デジタル社会の日本語作法  井上史雄他  2017.2.19.

2017.2.19. デジタル社会の日本語作法

著者
井上史雄 1942年生まれ。現在、明海大外国語学部教授。社会言語学・方言学。
荻野綱男 1952年生まれ。現在、日大文理学部教授。日本語学・社会言語学。
秋月高太郎 1963年生まれ。現在、尚絅(しょうけい)学院大総合人間科学部准教授。言語学・語用論

発行日           2007.7.26. 第1刷発行
発行所           岩波書店

メール、ケータイのあるべき作法とは?
社会言語学の目から見た実用的現代コミュニケーション論
電子メールに時候の挨拶や拝啓・敬具を書いたら変か?
メールの返事はどれくらい直ぐに返さないといけないのか?
ネット会議で、顔を合わせたことのない人たちと、誤解のないようにやり取りするための留意点は?
ビジネスで、日常で、ケータイやメールが当たり前のコミュニケーション・ツールになった現代。自分で気づかないうちに、相手に不快感や誤解を与えないためにはどうするか。デジタル社会の「ことばの作法」を、言語学者が、基本原理から丁寧に説き起こして指南する

本書の狙い
電子メールやケータイに焦点を当てて、新しく形成されつつある作法を、社会言語学の目で整理しようと試みた

序章 デジタル社会の作法 (井上)
デジタルの基点は、コンピューターの基礎を作ったシャノン(19162001)の発想
通信手段が社会を変えるかという問いは、昔から論じられてきた ⇒ ケータイの普及による日常行動の変化
デジタル・コミュニケーションが急速に広まると、電子メールが「無形の刃物」になり得るにもかかわらず、個人の良識・常識・作法・マナー・エチケットに頼っている
昔から書状では、対人関係に十分配慮した書き方が発達、用心深い書き方ができた
電話のマナーは、発明から100年以上たった今、規範と言えるものが確立している
デジタル社会の新作法を身につけることは、社会人としての適性判断の基準になり得る

I章 デジタル出世論――メール作法の通時論 (井上)
通時論 ⇒ 多様な現象を、まずそれが成立した歴史的経緯から位置付け、相互にどう関わっているかを考察する
共時論 ⇒ 一時点での仕組み・体系・構造を扱うもの
メール文化の上からの変化 ⇒ 公的言いかえが提唱される場合で、差別語・不快用語がいい例。痴呆症・ボケに代わって「認知症」と言ったり、イザリウオと言えずに「カエルアンコウ」と言ったりしているように、新しい言い方を新たに覚えることになるので複雑化している。メールの作法にしても複雑化の傾向にある。メールの文章の変化は、押し付けられた「上からの変化」の一種
メールの作法については、敬語と同じ心得が基盤にある ⇒ 「自らに厳しく、他人には緩やかに」という人生訓。人の行動を善意に取り、好意的に解釈する態度

II章 デジタル行動論――談話としての電子メール (井上)
手紙は人の家への訪問と同じだという比喩がある
手紙文における「2重の3分割」構造とは ⇒ 頭語と結語が主文を包み込み、主文も前文と末文に挟まれる
談話研究における日常行動の用語も、始めと終わりに挨拶があって、間に本題があるが、本題も前置きと終了予告に挟まれる形式をとる
手紙には、定型性と独創性が共存
ネット上のエチケット=ネチケット 系統的に身につけるものは少なく、経験を踏まえて熟練労働として身につけることが多い
基本的な考え方として、昔からの手紙の知恵が活用できる ⇒ すぐには投函するな、時間がたってから読み直せ。一呼吸おくことが勧められる

III章 デジタル書簡論――電子メールの共時的構造 (井上)
公的な電子メールの文章全体の構造に現われる違いに注目
一般的注意として、相手の文章を末尾につけたままにしないこと。送信前の読み直し・点検
メール文をきちんと書くことが社会人の常識の1つとして位置付けられるようになり、作法も単なる記述を超えて、規範として提示できる段階に達した

IV章 デジタル文体論――ケータイメールの新言文一致と方言 (井上)
ケータイの文章が話しことばに近づいているのは、新しい言文一致の現象
通信手段とことばとの、双方の上昇・下降の歩み寄りによって、現在のケータイメール文が誕生

V章 デジタル談話論――電子民主主義の作法 (荻野)
3人以上の集団になった場合の文字によるコミュニケーションに着目
メーリングリストと電子掲示板 ⇒ 何を伝えて何を伝えないか。量と質、関連性(話題に関連する話に限定)
デジタル社会は、トラブルを防ぐコミュニケーションが可能な社会 ⇒ メールなどの記録を保存する。記録が残されていることは、種々の問題解決のための第1

VI章 デジタル表現論――デジタル空間を浮遊する言葉とコミュニケーション (秋月)
新しい言葉とコミュニケーションのスタイルについて考える
ネオ・メーラー ⇒ パソコンではなくケータイでメールを送受信する人
電話ではなく、会話の送受信としてケータイを使用

VII章 デジタル対話論――イエ電からケータイへ (秋月)
ケータイにおける会話のあり方に注目

VIII章 デジタル敬語論――デジタル社会の敬意表現 (荻野)
従来起こりつつあった敬語使用の変化の傾向が今も続き、デジタル社会の登場が敬語を変えたわけではない
血縁や地縁というつながりの旧来の集団が衰退、代わって大きなうねりとなってきたのが「情報縁」という情報による新たなつながり ⇒ 性別や年齢といった個人の属性がなく、あくまでバーチャルな空間にだけ存在する個人の間では、常体と敬体(敬語の対象)を分ける基準は、発信者・受信者・発信内容で、ある個人に対する発信は常体になりやすく、集団全体に対する発信は敬体になりやすい。とはいえ、敬語の面からは特に新しいことは何もなく、従来の敬語の使い方と同じ。日本語の使いかたは、情報縁が発達しても基本は変化していない
「時間圧」 ⇒ すぐに何かを「しなければならない」感覚のこと。メールに返事をするまでの時間が、相手に何らかの意味を与える
言語学では、「言語」「非言語」「パラ言語」の3つを区別する ⇒ 「言語」は文字通りのことばで、書きことば、話しことばの全体。「非言語」はジェスチャーや視線、相手との距離など。「パラ言語」は、言葉を産出する際に必然的に伴う言語以外の部分で、声の大きさや高さ、泣き声などの声質、丁寧な話し方などで、メールの返事までにかける時間もパラ言語の一部と言える
返事を出すまでの時間が相手に対する待遇を決めている面がある ⇒ 早い方が丁寧であり、望ましい
相手も時間圧に晒されていることを考慮すれば、メールは簡潔に書くことが重要で、同時に完結性も大事

IX章 デジタル作法論――メディアの中の人間関係 (荻野)
コミュニケーションの作法 ⇒ 手間暇をかける=手間暇の法則
日本社会が共有するコミュニケーション原則 ⇒ 「気が利くこと」「気をつかうこと」が望ましいとされる
メディアを使い分けることは、「相手にどのように伝えるか」を考えること

終章 電子メールとケータイによる情報革命 (井上)
よく会う人、対面でことばを交わす人との交流強化に使われるのが、ケータイとケータイメール
グーテンベルクの印刷術は、文字情報の流通を画期的に変えた。電話と放送は音声情報の伝達を大幅に変えた。ケータイは、文字と音声の交信を24時間、たいていの場所で可能にして、人間を地表上の位置から解放し、かつてない情報革命を人類にもたらした
言語の基本的部分の習得は、幼児期・児童期に終えるが、専門用語を覚え、敬語を使いこなし、適切な場で適切なことを言う社会言語学的能力は、成人以降に身につく。デジタル社会に入って、パソコンやケータイを使いこなす能力はあらゆる年齢層に要求されていることから考えると、マナー、作法も、成人後であっても意識して身につける必要がある


日本経済新聞 朝刊  連載『現代ことば考』の下記コラムを読んで、同じ著者の本に興味を覚えたもの

敬語の3分類は不変 井上史雄
2017/2/12 2:30
日本経済新聞 朝刊  連載『現代ことば考』

フォームの終わり
 現代敬語について気にかかっていたことが、やっと整理できた。結論から言うと、学校で教えている敬語の3分類「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」は変える必要がない。現在それぞれの用法が変化し、拡散しつつあると考えればいい。
 文化庁の『敬語の指針』では敬語5分類を提唱し、「尊敬語」「謙譲語1」「謙譲語2」「丁寧語」「美化語」に分けた。それを発展させて、「尊敬語2」(または新尊敬語)を追加すれば6分類になる。その上で基本的3分類に単純化するのだ。これは、『敬語の指針』の考え方を、一歩進めて二歩後退させるものだ。
 「尊敬語」の用法が発展したものを「尊敬語2」と呼ぼう。実例は「いらっしゃる」で、「指が細くていらっしゃる」は『敬語の指針』でも正用としている。「ネクタイが曲がっていらっしゃいます」は誤用すれすれだろう。「ていらっしゃる」は、国会会議録では1960年代から増えて、「(公庫は)農業向け融資が随分と残高が多くていらっしゃる」という発言もある。
 「いらっしゃる」を使っても、別に、指やネクタイや残高に敬意を払うわけではない。その所有者に向けて間接的に使うもので、角田太作(つのだたさく)さんの唱えた所有者敬語と呼ばれる用法である。
 これは「まいる」「申す」「いたす」などの「謙譲語2」の用法と似ている。「電車がまいります」「この鳥をドドと申します」「まもなくいたしますと」なども、謙譲語本来の使い方からずれて、ことば全体の丁寧さを高めようとするものだ。
 「あげる」が身内や目下にも使われ、「~ていただく」が相手の許可や恩恵と関係ない文脈でも使われるのも同じで、敬語の使い方が拡散したのである。
 「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」に属していた単語の一部の使い方が広がって、「尊敬語2」「謙譲語2」「美化語」と呼ばれる用法を生み出した。敬語本来の機能を薄めつつあるのだから、敬語論としては度外視してもいい。つまり従来の基本的3分類は変えなくていい。細かい違いだから、教え方も変える必要がない。
 単純化できて、胸のつかえが降りた。納得のいく結論を出せて、近刊の本に書かせていただいた(・・・・・)。
(言語学者)


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