現代ゲーム全史  中川大地  2016.10.21.

2016.10.21. 現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から

著者 中川大地 1974年墨田区向島生まれ。ゲーム、アニメ、ドラマ等のカルチャー全般をホームに、日本思想や都市論、人類学、生命科学、情報技術等を渉猟して文化と社会、現実と虚構を架橋する各種評論の執筆やコンセプチュアルムック等を制作。批評誌『PLANETS』副編集長

発行日           2016.8.20. 印刷                8.25. 発行
発行所           早川書房

Tennis for TwoSpacewar!、ポン、D&D、インベーダー、ゼビウス、ファミコン、スーパーマリオ、ドラクエ、テトリス、ストIIDOOM、プレステ、FF VIIUltima Online、ニンテンドーDSWii、モンハン、Minecraft、パズドラ、そしてポケモンGOへ――。
ゲームの進化は、人類をいかに変容させてきたか? 世界大戦以前に遡る情報テクノロジーの黎明期から、VRARが人々の生活を塗り替える〈拡張現実の時代〉まで、総計600点以上のゲーム機とソフトの詳細分析を通じて展開する、壮大なスケールの現代社会・文化論

序章
ゲームは現実より強い
人間の本質を、「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」と説き、「遊びは文化より古い」と喝破
2次大戦を機に、20世紀後半から21世紀にかけての文明世界に爆発的に普及したテクノロジーの徒花・コンピューターゲームの影響は大きい
コンピューターゲームないしデジタルゲームを可能にしているのは、国民国家の共同幻想を醸成する大衆的な装置となった映像技術や通信技術、そして元々は核兵器開発のための数学シミュレーターとして発展した電子計算機技術に他ならない
情報機器と戯れることそれ自体を"目的とするエンターテインメントが見いだされていったことが、コンピューターゲームの成り立ち
ゲームを先行実験としながら情報革命を実現してきたと言える
ヒトの遊びの力に衝き動かされてコンピューターが発展していったのと同時に、遊びという人類学的な営みの側もまた、コンピューターという他者に媒介されることで、かつてないレベルで文明のありように作用する力を強められつつある
遊びの本質の1つは、日常の現実世界とは切り離された空間的・時間的領域やルール・法則の支配する〈魔法円〉を恣意的に作り出し、遊ぶ者たちがそれをひと時共有することにある  コンピューターゲームは、遊び手となる人間同士の合意やコミットがなくても、ゲームの〈魔法円〉を半自動的に形成できる点を特徴とする
本書が書こうとするのは、そのようなゲームの世界の変容の全体性
コンピューターゲームを育んできた日米両国におけるハードやソフトの系統的な発展を中心に、コンピューター技術そのものの黎明から2010年代に至るまでのデジタルゲームの来歴を、遊びとテクノロジーと社会文化がせめぎあう特異な表現ジャンルとしての異種混交的なダイナミズムを辿る
デジタルゲームの4つのカテゴリー
   汎用コンピューターを用いたパソコンゲーム  ハッカーたちのカウンターカルチャー
   アミューズメントスポットなどに設置される業務用のアーケードゲーム  見世物小屋に連なる土俗性
   テレビモニターに接続するコンソール型および携帯型のコンシューマーゲーム
   スマホなど汎用携帯端末で動作するモバイルゲーム


第1章        「ゲーム」の黎明――戦争と巨大科学の徒花として 191259年〈理想の時代〉
コンピューターゲームの起源となるいくつかの事例と経緯を辿る。国家的な巨大科学開発の片隅でTennis for Twoのようなゲームがひっそり産み落とされた脈絡の持つ意味を探る
歴史上最初に計算機を利用して実作されたゲームマシンの最も古い事例として挙げられることが多いのは、スペインの発明家レオナルド・トーレス・ケベードが1912年に完成させた、チェスの最終局面を指すことのできる電気式のオートマトン(自動人形)「エル・アヘッドレシスタ(チェスプレイヤーの意)
コンピューターの父であり"ゲームの理論的研究の父であるヴィクトリア時代のイギリスの数学者チャールズ・バベッジが、1844年相互手番制の思考ゲーム全般の攻略手順を数学的に分析する手法についての論文を発表。その着想を電気工学で具現化しようとしたのがケベードで、1914年のリヨン万博にも出展されたが、第1次大戦でその系譜は途絶
アナログ式の演算回路の時代から、ゲームは計算機の性能を確かめるための試験台という役割を果たし、情報技術そのものの成立・発展と密接不可分のものとして制作されてきた
バベッジ以来の数理的なゲーム研究の蓄積の上に、1944年数学者と経済学者が共著『ゲームの理論と経済行動』を発表、のちに「ゲームの理論」と呼ばれるようになる応用数学の分野として体系化している
1945年、マンハッタン計画にも参加していたフォン・ノイマンが、プログラム(計算手順)自体もデータと同一の記憶装置に入れることで演算速度と汎用性を高める「プログラム内蔵方式」を発表、現在のデジタルコンピューターの基本アーキテクチャとなる
1958年、Tennis for Two発表。ジャズ曲Tea for Twoにちなんだ命名で、米ブルックヘブン国立研究所のオープンハウスでの展示だった。オシロスコープを転用した表示画面と掌の上で操作できるコントローラーをアナログ演算機に接続し、2人プレイ用のテニスゲームを見せた。それ以前の、あくまで数学的に必勝戦略が定義できる相互手番制の思考ゲームで、ゲーム理論で完全に記述できるタイプとは違い、リアルタイムのデータ変化に応答する高速描写が可能なモニターを使って、演算機で計算された運動方程式の瞬間瞬間の計算結果を具体的な空間上に表示。原コンピューターゲーム的なものと原ビデオゲーム的なものが融合を果たす。映像装置と計算機ならではの情報処理過程を生かしたオリジナルな遊びの体験を創出した最初の事例
開発者は、同研究所のヒギンボーサムで、全米科学者連盟FAS初代会長であり、核開発と軍事利用に対し軍産学複合体制の内部における良心的抵抗者の立場をとるゆえに、ジレンマに満ちた職場や、自らの立場の欺瞞性に晒されながら、それまでのコンピューターゲームの発想とは質を異にする人間同士の遊びそれ自体を目的としたゲームを開発したもので、以後のゲーム史が遂げていく展開への起点であり、ゲームがある種のカウンターカルチャー性を帯びる時代の幕開け

第2章        「宇宙」が育んだゲームカルチャー――スプートニクショックからカウンターカルチャーへ 196074年〈夢の時代〉
ハッカーたちのコミュニティがカウンターカルチャーとしてのゲームを育んでいった様を描出。宇宙開発がSF的な「夢」をまといながら浮上する中で、Spacewar!にどのような思想が結実したのかが焦点
1957年、ソ連が初の人工衛星打ち上げに成功したスプートニクショックを機に、58年には米国がNASAを設立、有人宇宙飛行で先手を取るべくマーキュリー計画が始動したが、61年にはガガーリンが宇宙飛行を実現、またしてもアメリカが敗退
コンピューターゲームの次なるステップの舞台となったのはMIT61年にDECが商用汎用コンピューターを寄贈。そうした環境がもともと同校キャンパスに存在していたゲリラ的な悪戯を愛好する「ハック」の気風を大いに触発、プログラミング技術によって本来真面目な使用目的の裏をかいてコンピューターを愉快犯的に操ることを楽しむ「ハッカー文化」が育まれていった
その成果の1つが、62年学内年次科学セミナーで披露された、SF的な宇宙戦争のイメージを具現化した世界初のシューティングゲームSpacewar!
次いで、1人用の遊びとして開発された自在に宇宙旅行するSpace Travelが、69年に汎用OSUNICS(後にUNIX)を開発したことが、多数のUnixOSを派生させ、現在のコンピューター利用環境の礎を築くことになる  史上最も根本的にコンピューターアーキテクチャそのものの発展に寄与したゲームの1つとして後世にその名を残す

第3章        ビデオゲーム産業の成立――大衆社会とテレビメディアへのハッキング 197182年〈夢の時代〉から〈虚構の時代〉へ
アメリカでのビデオゲーム産業の立ち上げを扱う。人々が消費文化の「虚構」に耽溺していく時代に、民生エレクトロニクスによる情報技術が技術進歩の主戦場となって、民主化の成就期にあって、ポンのヒットを契機とするゲーム産業の成立を捉え直す
東西両海岸を追う第3のコンピューターサイエンスの中心地として立ち上がったのがユタ大学で、同大卒のブシュネルがSpacewar!をベースに初の業務用ビデオゲームComputer Spaceを開発。ハッキングの快楽を目的としたものから、ゲームそれ自体の快楽を目的として、枯れた技術だったTTLを採用したハード設計を行った
Computer Spaceは、アーケードゲーム業界の見本市に出品され、19世紀後半から歴史を持つ街の遊技場「ペニーアーケード」を彩るエレメカゲーム群、とりわけ花形だったピンボールの世界へ挑戦したが、一般大衆には操作が難し過ぎて失敗に終わる
ピンボールが主導したアーケードゲームの文化形成の重要な要因となったのは、アミューズメントとゲーミングの相克  ピンボールゲームの持つギャンブル性が違法視されいったん壊滅するが、戦後フリッパー付きとなって大ブレイクし、独特のアーケードゲーム文化が開花。シカゴのブルーカラー層が行政や裏社会との対峙の中で鍛え上げていった
大人の大衆娯楽だった
テレビの使い道に介入した本格的な家庭用ビデオゲーム機の嚆矢は、72年にマグナボックス社から発売されたODYSSEYで、パドルでボールを打つゲームとして一世を風靡
72年、ブッシュネルがアタリ社を設立して、同じようなゲームだがよりプレイヤーにテクニックの発揮余地を与えたポンという大ヒットを飛ばす  テレビ技術の延長線上に作った「テレビゲーム的なもの」の基本構想を、「コンピューター的なもの」によって育まれたブッシュネルらのハッカー的な気質が磨き上げ、シカゴ産のエレメカやピンボールが培ってきた「アーケードゲーム的なもの」の場に接続したという意味で、まさに異なる出自を持つ3つのゲーム文化の来歴が本格的に合流し、化学反応を起こした最初の結節点と言える
75年初頭には、ゲーツとマイクロソフトがBASICインタープリターを発売、コンピューターが頒布された最初の時点から、標準的なハードを利用するための最も基幹的なソフトを提供することに成功。次いでジョブズのアップルが登場して、以後の情報技術産業に重要なイノベーションを長きに亘って提供し続けることになる
76年、アタリ社が次の進化形であるブレイクアウト(ブロック崩し)を投入。1人遊びを前提とした固定画面アクションゲームの萌芽であり、ビデオゲームの次なる進化を方向づけた作品。ジョブズとウォズニアックも開発に関わっていた
77年にはアタリ社からカートリッジ交換式のテレビゲーム機が登場
怪物退治を中心とした冒険ファンタジー物語を疑似体験するロールプレイングゲームRPGというジャンルを創始したのがダンジョンズ&ドラゴンズD&D
アタリ社はわずか4年で資金的に行き詰り、ワーナー・コミュニケーションズの傘下に入り、テレビゲームは78年に日本のタイトー社が開発したスペースインベーダーによって家庭用ゲーム機の世界に初めてのデファクトスタンダードと呼ぶに値するプラットフォームとしての地位を確立する

第4章        日本ゲームの揺籃――「ジャパニーズ・インベージョン」の底にあるもの 192870年代後半〈虚構の時代〉確立期
日本のゲーム産業需要を担う主要プレイヤーたちの来歴と背景を辿りながら、世界を席巻したスペースインベーダーへと結実した事実を検証。ビデオゲームこそが時代精神を最も端的に体現する文化産物であり、経済的繁栄に裏打ちされた日本ゲームのターンの始動を告げるものだった
日本のアミューズメント産業の創始者は、箱根の温泉街に納入する自動木馬の製作を皮切りに1928年日本娯楽機製作所を創業した遠藤嘉一。31年浅草松屋開業にあたり世界初の屋上遊園地の敷設を請け負うが、このスポーツランドこそ、のちのゲームセンターに連なる日本のアミューズメント施設の原点。世界最大規模を誇る米コニーアイランド遊園地をモデルに、様々な機械式の遊戯機を開発して陳列
戦後、進駐軍とともにアメリカのゲーム機メーカーが日本に進出、52年「セガ」と名付けた自社生産のジュークボックスのブランドを発売するとともに、コインオペレーション式のゲーム施設を日本各地の繁華街に普及させ、65年にはセガ・エンタープライゼス社として以後のアミューズメント産業と日本ゲーム史の重要な牽引役となる
遠藤の正統的な後継者が、71年にナムコ社を創始した中村雅哉で、子供向け・家族向け施設の国産遊戯の脈絡からアーケードゲーム業界に参入。エレメカ機から始まってビデオゲームという新興遊具の移入と普及にあたり中心的な役割を果たす
ナムコを機に、玩具業界にテレビゲームのブームをもたらしたのが任天堂でありバンダイやエポック
ブロック崩しを参考に、78年登場したスペースインベーダーが日本のみならずアメリカにも逆上陸してゲーム業界を席巻

第5章        ファミコン登場に至る道筋――日米ゲーム文化の交錯と再編 1980年代前半〈虚構の時代〉本格期
ゼビウスなどのアーケードゲームの濃密なムーブメントや、ソフト交換型のテレビゲームが持続的な市場発展を遂げていく契機となったファミコンの台頭を中心とする動きを追う。この段階に至って、パソコン、アーケード、玩具という別々の脈絡で発展してきたゲーム文化が1つに結合される
アメリカ由来のコンピューターテクノロジーの発達により、日本がデジタルゲームという新興の娯楽ジャンルに爆発的進化をもたらした
アーケードビデオゲームの「日本化」の強い推進役となったのがナムコの諸製品。80年登場のパックマンは、ドット上の餌を食べ尽すことを目指し、のちに「ドットイートゲーム」というサブジャンル名で呼ばれる大ヒットに成長するとともに、モンスターたちとのコミカルな関係性がもたらすパックマンのキャラクター性が様々なグッズ展開やスピンオフ利用などを可能とし、商用キャラクターをビデオゲームが初めて生み出した例となる
アメリカでは、77年登場のカートリッジ交換式のテレビゲーム機が事実上の標準機となって家庭用ビデオゲームの本格的な独自市場を築きつつある中、日本でも輸入販売が始まるが高価すぎて普及には至らず、代わりに新機軸の玩具として台頭してきたのが電子ゲームで、主にLSIによる制御装置とデジタル時計や電卓に使用されるLEDFL(蛍光表示)官といった表示装置を用いて生み出されたゲーム玩具の総称だが、ビデオゲームの疑似体験の性格を帯びる
80年、任天堂のゲーム&ウォッチの発売で、高級感ある小型・薄型の外観が斬新で大人っぽさを漂わせたゲーム内容と相俟って、玩具市場に空前の電子ゲームブームを巻き起こす
81年登場のアーケードゲームの傑作だったドンキーコングを移植、この主人公が任天堂の看板キャラクターとなるマリオ
機能面では、アーケード筐体におけるジョイスティックの役割を置き換えた十字型の方向キーの発明が重要
ゲームウォッチの成功とノウハウの蓄積こそ、やがてファミコンがゲーム史を大きく塗り替える世界標準機となっていく直接的な起点となっており、日本のコンシューマーゲーム産業の発展基盤は、黎明期の携帯ゲーム機によって築かれたと言える
このように現実空間との接触面が大きいモバイル型のゲーム環境が重要なイノベーションを誘発する図式は、以後デジタルゲーム進化の史的パターンとなって、幾度も繰り返されていくことになる
70年代後半には、パソコン分野でも国産のハードウェア環境が整いつつあった  まずはマニアに広がったマイコン(アメリカではホームコンピューターというカテゴリー)
83年にアーケードに登場したナムコ社のゼビウス。縦スクロール型のSFシューティングゲームで、従来の固定画面型ゲームからすれば、ビジュアル面でもゲームシステム面でも大幅な飛躍
画面スクロールによって、グラフィカルに描かれたマップを連続的に移動する仕様が、必然的に広大な世界の実在と潜在的な物語の展開を感受させるという体験をもたらすと同時に、日本アニメに作劇・設定上のリアリズム革命を起こした機動戦士ガンダム(79)を着想源としており、ゲームの世界に初めて本格的に同時代のアニメ文化の脈絡を接続した
83年を境に米国のテレビゲーム市場は急速に縮小、ファミコンに取って代わられていくが、ファミコンの優位を決定づけた最大の要因は、アーケードゲームの水準に極力近づけるというコンセプトの下、任天堂の依頼によりリコーが開発した独自のファミコン用CPUの組み込みにあった
ファミコンたる所以は、協力・妨害の自在な2人プレイの面白さを押し出したマリオブラザーズのヒットに見るように、人間同士が戯れあえる仮想空間を提供するという役割にある
任天堂からライセンスを受けたハドソンに続いて、アーケード文化を牽引するナムコがファミコンに参入。自社のヒット商品を高い完成度でファミコンに移植、アーケードゲームに近い体験性を提供。ファミコンが玩具とアーケードとコンピューターという3つの異なる遊戯文化を統合する結節点となり、1つのゲームシーンの中心メディアとなっていく
84年末には、ファミコンの普及台数が300万を超え、マイコンブームやテレビゲームブームは終焉を迎え、85年からは新たな社会現象としてのファミコンブームが本格化

第6章        パックス・ファミカーナ――分化してゆくゲーム環境 1980年代後半〈虚構の時代〉変貌期
ファミコンがゲーム全体の事実上の標準プラットフォームとしての地位を固めるブームの中で、スーパーマリオブラザーズやドラゴンクエストなどのヒットを経てデジタルゲームのサブジャンルが成立していく状況を点描
85年は、冷戦終結へのスタートであり、つくば科学万博もディズニーランドをテクノロジー寄りにした時限テーマパーク程度の趣向として消費される中、日本人のリアリティが様々に浮足立っていく〈虚構の時代〉のクライマックスを彩る風景の1つとして、ファミコンブームも推移していく
任天堂がほぼ独占する市場で、多数のソフト業者が輩出、新作ソフトの情報を提供するメディアの勃興、ゲームの成績を競う全国大会の開催等々、新たな市場が拡大
一方で、アーケードゲームは少年非行の温床となって衰退
任天堂は、アタリ以降クラッシュしていたアメリカのビデオゲーム市場に、「ゲーム機でもコンピューターでもない架電的な娯楽システム」という偽装で、85年末から自社のゲーム専用機を投入。スーパーマリオを同梱した廉価版セットが爆発的に普及、市場を独占。欧州でも史上最大級の売り上げを達成。スーパーマリオは、地球人類が言語を超えて同一のデジタル空間上の体験を共有しうる時代の条件を、初めて本格的にもたらした
ファミコンに本格的なパソコンゲーム型のRPG(ロールプレイングゲーム)を持ち込んだのが86年エニックスから発売のドラゴンクエストと、翌年スクウェアから発売のファイナルファンタジー
芸能人などの参入でさらにブームに火が付くが、その代表が86年発売のビートたけし監修の『たけしの挑戦状』
89年発売の任天堂ゲーム・ボーイは、ソフト交換型の携帯型ゲーム機としてヒット
異色は、ソ連の科学技術アカデミーで開発されたテトリス。84年にソ連邦内で公開、グラスノスチの波に乗るかのように西欧社会に無償公開され、カルチャーショックとなる

第7章        ニンテンドー・ウォーの世界――爛熟に穿(うが)たれた亀裂 1990年代前半〈仮想現実の時代〉確立期
本書後半では15年スパンで新たな時代を想定し、それぞれさらに5年スパンで章立てするが、それはファミコン以降のコンシューマーゲームの各社プラットフォームが世代更新を重ねてきた期間に合致する
スーパーファミコンがファミコンの地位を引き継ぐ中でのゲームシーンの爛熟を取り上げる。対戦格闘ゲームの火付け役となったストリートファイターIIや、3D表現の導入で来るべきVR(ヴァーチャルリアルティ)世界の未来像が垣間見えたバーチャファイターなど、アーケードから新たなムーブメントが興った時代
91年のカプコンのストリートファイターIIが対戦格闘ゲームの嚆矢
93年にはセガから、ポリゴン(ポケモンのキャラクター)による3Dグラフィックスを用いた初の対戦格闘シリーズ・バーチャファイターが、テーマパーク的イベント施設での大人数向けのインタラクティブ・アトラクションとして1歩先の未来を体験できる夢を伴った形で浸透

第8章        世紀末ゲームのカンブリア爆発――「次世代機競争」とライトコンテンツ化の諸相 1990年代後半〈仮想現実の時代〉本格期
プレイステーションやセガサターンなどの次世代機競争を通じ、日本ゲームの黄金期ともいえる90年代後半の諸相を見る。3DCGがゲーム機の標準機能として実装されたバイオハザードやファイナルファンタジーVIIや、子供たちの間ではポケットモンスターがブレイク。さらにウルティマオンラインのようなオンラインゲームの進化が始まる
95年の阪神大震災、サリン事件と、Windows95によるグラフィカル・ユーザー・インターフェイスGUIOSの本格普及を境に、社会のIT化が急速に進行
90年代前半のポケベルのカジュアルな普及の延長線上に、携帯電話やPHSへの移行も始まり、人々のコミュニケーション様式とライフスタイルを大きく変容させる動きも本格化
次世代機競争の先頭を切ったのがセガの究極の2Dゲーム機サターン、任天堂のニンテンドー64、プレステ
家庭用ゲーム機でのプレイステーションの登場によるゲームのライトコンテンツ化と同じ傾向の変化は、アーケードゲームの領域においても進行、UFOキャッチャーの登場などを機に徐々にカジュアル化していくとともに、95年のプリント倶楽部の登場と相俟って特異なコミュニケーションカルチャーが発達。両者が女子主導のカジュアル層に向けてゲーセン入口近くを占める。その少し奥で男性サラリーマン向けに人気を集めていたのが96年タイトーから発売の『電車でGO!
アメリカ発のパソコンゲームのネットワーク化の動きが着々と進行  本格的にサーバーを介しての遠隔ネット対戦への道が開かれる
97年登場の『ウルティマオンライン』は、大規模な多人数同時参加型のゲーム
96年、当時すでに寿命を終えつつあるハードと見做されていた携帯ゲーム機ゲームボーイに忽然と登場したポケットモンスターがネットワークゲームの様相を一変する  ゲーム攻略同人誌として伝説を築いた田尻智のゲームフリークが制作、RPG1つ。友達同士の協力が必然的に促進され、子供たちのリアルな交遊関係をベースに、口コミで燎原の火のように広まっていった

第9章        和ゲーム成長期の終わり――二極化するゲーム産業の中で 2000年代前半〈仮想現実の時代〉変貌期
プレステ2やドリームキャストなどへの代替わりを経て日本ゲームの進化が臨界に近づき〈仮想現実の時代〉が終期を迎える様を描出。国内外のゲームシーンの動向が乖離してゆく状況が浮き彫りとなる
グローバル勢力の挑戦として脅威を持って受け止められた象徴的存在が、マイクロソフトが初めて家庭用ゲーム市場に参入したXbox(北米01年、日本02年発売)

第10章     「ゲーム」を離れはじめたゲーム――コミュニケーション環境が変えたもの2000年代後半〈拡張現実の時代〉確立期
生活環境としてのネットやケータイの定着が「コンテンツからコミュニケーションへ」の潮流を引き起こし、〈拡張現実の時代〉へと変動するプロセスを追う。コンシューマーゲームの主流は携帯型ハードに移行し、携帯電話インターネットサービスの独自進化に下支えされたゲームが登場、国産ゲームのビジネススキームが転機を迎える
04年にはFacebookmixiといったSNSが始まり、05年にはYouTube06年にはニコニコ動画といった動画投稿サイトが登場、こうしたソーシャルメディア環境の勃興がインターネット本来の解放的な理念性をますます顕現、コミュニケーション・プラットフォームの整備に呼応する形で新たな環境に適応したカルチャームーブメントが勃興するが、その代表格が07年初音クミの登場を契機とした歌声合成ソフト『ボーカロイド』シリーズのブレイク
04年発売の携帯型ゲーム機ニンテンドーDS(dual screenの意で、下のスクリーンがタッチパネル式の入力装置を兼ねていた))で王者・任天堂が復活。DSのポテンシャルを最大限に発揮させたのが05年発売の『脳トレ』
06年にはWiiも発表して任天堂のテレビゲーム機の伝統が復活。ゲーム機でも家電でもない、日常と非日常の間にある、テレビを利用した新たなカテゴリーのライフスタイルを提供する装置としてのスタンスを打ち出す。機能的には、Bluetoothによるワイヤレス式の標準コントローラーWiiリモコンが最大の特徴
迎え撃つソニー側も、プレステの新機種を投入して対抗
日本ゲームにとっての本当の脅威は07年発売のiPhone  テクノロジーのコスト対効果がこなれないうちは音楽のような単独のコンテンツ分野に特化した単機能機として地番を固め、そこから徐々に多機能化させてマルチメディア機器化していくというロードマップは。かつてソニー陣営がプレステ・ブランドで成功した方法論を徹底化させたものであり、タッチスクリーン式のインターフェースで携帯ゲーム機にPDA的な機能を取り込んだDSと、AV機器的な機能を取り込んだプレステのそれぞれの特徴を、あたかも統合していくようなデバイスだった。WiFiでの無線インターネット接続が標準化され、様々なアプリを利用可能なコミュニケーション端末になっていたDS・プレステ世代の携帯型ゲーム機は、期せずしてスマホによって実現されるユーザー体験の先行実験になっていたとも言える。タッチスクリーン入力を生かした触覚的な体験性を前面に打ち出したゲームが多数制作され人気を博す。さらにはApp Storeを通じてワンアイディアを活かした格安なゲームソフトが販売され、それらが人気ランキングで可視化されることによってパブリッシャーの広告宣伝力によらずに対等な競争条件で評価を集めることが可能になり、中小ディベロッパーや個人制作者の作品がブレイクを果たすというサクセスストーリーが次々と誕生
同じようなエコシステムが08年にはグーグルが投入した汎用の携帯情報端末向けOSAndroidでも踏襲され、2大陣営による世界的なスマホ市場の拡大が、そのまま新たなゲーム・プラットフォームの台頭となって、ゆくゆくは日本ゲームの強みだった携帯ゲーム機の存在意義をも脅かしていく
この時期の日本では、まだ国内の携帯電話キャリアとメーカーが築いたフィーチャーフォンの市場が強固だったため、スマホにはまだ移行せず、ただ国内コンシューマーゲーム市場における据置機から携帯機への趨勢として、象徴的なトピックが09年スクウェア・エニックスからDSでリリースされた『ドラクエIX 星空の守り人』で、任天堂が再び国民機の座を奪還(シリーズのドラクエVIIIはプレステからリリース)、マス向けの家庭用ゲーム機の主戦場が据置機ではないというメッセージを業界内に知らしめた
09年は、デジタルゲームの在り方そのものが揺るがされていく巨大な変化が決定的になった年  インターネット接続されたパソコンや携帯電話のウェブブラウザー上のSNSで動作するソーシャルゲームの勃興
ITリテラシーの高い層から裾野に向けて急速に普及し、ウェブ2.0時代の情報環境を最も端的に体現する社会インフラの域にまで到達。このプロセスはちょうど日本のデジタルゲーム市場において、見知らぬ他社と接するオンラインゲームよりも現実空間での身近なレクリエーションの活性化に寄与するタイトルが大きくブレイクしたのと同じ意味を持つ社会変化だったと言える。前時代とは桁違いの口コミ集積力によって「動員の革命」を引き起こすと同時に、日常的な相互監視の感覚や、「自分の情報発信を承認されたい」という欲望が脅迫的に肥大する、ある意味ストレスフルな情報環境が現出したとも言える
07年、Facebookがサードパーティー向けのアプリ開発用APIFacebook Platform』を公開したことで、ブラウザー上で手慰みにプレイ可能なカジュアルなゲームアプリの開発が本格化
一方、日本の場合の特殊状況として、iモードなど携帯端末で利用可能なJAVAアプリケーションサービスが普及
〈拡張現実の時代〉が理念の表現から端的な実態へと近づいていくプロセスを実感させたのが、携帯型デバイスの位置情報を活用するコンテンツ  ロケーションベース型のAR技術を応用したタイプのゲーム。09年頓智ドット社が提供した『セカイカメラ』

第11章     デジタルゲームをめぐる地殻変動――汎遊戯的世界への芽吹き 2010年代前半〈拡張現実の時代〉本格期
スマホの普及によりAR(Augmented Reality拡張現実)技術がゲームエンターテインメントの分野に導入され、〈拡張現実の時代〉が本格化していく様を追う
AR  Augmented Reality(拡張現実)現実世界の「もっと知りたい」をWebと連携して補うことを実現するための、今注目の技術。実写映画のプロモーションとして始まる
スマホのゲームアプリが、パッケージゲームに引けを取らないゲームらしさを持ち得ることを示したのが、12年ガンホーから発売の『パズル&ドラゴンズ(パズドラ)』で、13年以降モバイルゲームの市場規模がコンソールゲームを上回る時代へと突入
日本の子供たちが熱狂したのが、不可視の存在とのコミュニケーションを可能とするウェアラブルデバイスがもたらした『妖怪ウォッチ』  13年ニンテンドーDS3版で登場、月刊誌でのマンガ連載やテレビアニメとのクロスメディア展開によりヒットコンテンツとして一世を風靡。劇中空間と現実空間での体験性をリンクさせたプレイバリューが盛り込まれた仕掛けが大当たり。ポケモンとの違いは、劇中の妖怪を実体玩具として発売した点
15年、ポケモンGO発表。位置情報を元に現実空間とリンクした本格的ARゲームであり、太平洋の両岸でそれぞれに影響を及ぼし合いながら独自発展を遂げたARのビジョンは合一し、〈拡張現実の時代〉の最終局面へと向かう

終章
ポケモンGOVRの本格普及が進む現在の動向を追いながら、デジタルゲームを通じてテクノロジー化された遊びの力が、いかに今後の文明のありようをデザインしていき得るかの原理的な考察を試みる
人工知能の急速な発展は、VRARを連続的なスペクトルの中に包含する「複合現実MRMixed Reality」というコンセプトを生み出すだろう
MRを謳った具体的な技術産物としては、HMD:Head Mount Displayに現実空間とリアルタイム同期する3DCG映像を合成するキャノンのMREALなどが生まれている
リアリティを増した〈仮想現実〉とゲーマビリティを増した〈拡張現実〉とが融合する、来るべき〈複合現実の時代〉への助走に勢いがつき始めているのが目下の状況
ゲームの力が現実を変える

あとがき
2010年、批評誌『PLANETS vol.7』の特集「ゲーム批評の三角形(トライフォース) アーキテクチャ/コンテンツ/コミュニケーション」で、情報環境の激変に伴う状況総括を行ったことが本書のきっかけ
4章以降は、13年よりPLANETSのメルマガ『ほぼ日刊惑星開発委員会』の連載記事としての配信及び『ニコニコPLANETSチャンネル』での連続講義としてネット上で先行生放送



(書評)『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』 中川大地〈著〉
朝日 2016.10.9.
 ■社会変えた歴史に迫る本格批評
 今年6月に出た小山友介『日本デジタルゲーム産業史』(人文書院)など、デジタルゲームの歴史を総括する労作が増えている。本書もその一つで、黎明期(れいめいき)から「ポケモンGO」に至る日米のゲーム史を描き、ゲームが社会をどのように変えたかに迫る大作である。
 著者は、写真を一切使わず、ゲームのシステムや画面構成を文章だけで説明する。ここには広告と情報を得たいメディアと、ゲームを売りたいメーカーが相互依存し、長く本格的なゲーム批評が書かれなかったことへの批判も感じられる。
 ゲームを動かすコンピューターは、アメリカの原爆開発の副産物だった。著者は、国家が管理するコンピューターでゲームを作った技術者には、反体制のハッカー気質があり、この伝統は今も残っているとする。
 こうして誕生したゲームは、敗戦国で原爆被害国の日本に輸入され、独自に発達する。「スペースインベーダー」やファミコン文化をアメリカへ輸出し、社会現象を巻き起こした20世紀までと、職人技で新しいゲームを作る日本が、専用ソフトを使って組織力で世界標準のゲームを作るアメリカに抜かれガラパゴス化した近年の状況は、ほかの産業にも当てはまるので、日米関係史としても面白い。
 1990年代、日本ではゲームセンターで行う対戦格闘ゲームが、アメリカではパソコンを持ち寄って対戦する一人称視点のシューティングが流行した理由を考察する比較文化論や、アップルの初代iPodにブロック崩しが入っていたのは、当時のCEOスティーブ・ジョブズが、ゲーム会社アタリ出身だったからなど、意外な因果関係も示されていて興味が尽きない。
 見田宗介、宇野常寛の社会論を使った時代区分、ロジェ・カイヨワの遊戯論によるゲーム分析には賛否があるだろう。ただ本書は、否定派も肯定派も避けては通れない論理と資料的価値を持っており、ゲーム史の定番になるのは間違いない。
 評・末國善己(文芸評論家)
    *
 『現代ゲーム全史 文明の遊戯史観から』 中川大地〈著〉 早川書房 3024円
    *
 なかがわ・だいち 74年生まれ。編集者、批評誌「PLANETS」副編集長。『東京スカイツリー論』。


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