アメリカは食べる。  東理夫  2016.10.17.

2016.10.17.  アメリカは食べる。 アメリカ食文化の謎をめぐる旅

著者 東理夫(ひがしみちお) 1941年生まれ。作家・ブルーグラス奏者。学生時代からカントリー音楽のファンで、テネシー州名誉市民。アメリカ文化への造詣が深く、ミステリーから音楽・料理まで幅広い知識を生かして様々な分野で執筆を続ける。

発行日           2015.8.25. 初版第1刷印刷           8.30. 発行
発行所           作品社

ある日アメリカ食特有の奇妙さに気づく
英仏ではデザートの前に出てくるサラダを、最初に出てくるスープと同列にして選択を迫られるのはなぜか
朝食のメニューの中身がアメリカ中どこに行ってもほとんど同じなのはなぜか。しかも季節によってメニューが変わることもないのはなぜか
なぜアメリカは食において季節感や地方色が希薄なのか
食は、アメリカを理解するごく手っ取り早い、そして分かり易い1つの方法である

第1部        アメリカ料理とは何なのか
序 なぜアメリカを代表する料理がないのか
フランスやスペイン、中国の代表的な料理には地方性が顕著だが、日本の代表的な料理には地方性がない
アメリカを代表する料理というものが見当たらないのは、寄せ集めの人々によってもたらされた料理ばかりだから。それぞれの移民たちの食を代表はしても、国全体を代表しない
ピッツァは、南イタリア、特にナポリの代表的料理だが、トマトの普及によってアメリカの国民食になった

第1章        インディアンの居住地がアメリカの地方食を作った
ベーリング海峡がユーラシア大陸と地続きだったころ、ベリンジャー平原を渡ってきたモンゴロイドは、エスキモー(=イヌイット)とインディアン(=ネイティヴ・アメリカン)に分かれ、前者は北極海沿岸部から奥に入らずに海洋動物を主食として選び、後者は内陸に進んで、陸棲動物の狩猟によって食生活を維持
南米まで浸透したアメリカ・インディアンによって、トマトやトウモロコシ、ジャガイモなどの食材が世界各地に広がる

第2章        アメリカ食の誕生
コロンバスが2回目の航海で持ち帰った農作物が大陸に広がり、新旧大陸の異文化を中心とした様々な交流とその結果の相互理解と両者の変容をコロンブス交換というが、誘拐されてタバコ栽培業者と結婚した酋長の娘ポカホンタスに付き添って彼女の死後アメリカ大陸に戻ってきた11人のインディアンが新大陸に持ち帰ったものこそが本当の意味でのコロンビア・エクスチェンジ
ピルグリムたちが上陸した後の1621年のサンクスギヴィングは、唯一インディアンと合同で、「ノーターキー、ノーポップコーン、ノーレイディーズ」で3日間の会食が行われたが、その模様を詳しく説明する小学校教師向けの副読本的な役割をしているサイトがある
食卓を飾った料理について詳述されているのは、その瞬間に「真のアメリカ料理」が誕生したからに他ならない。それまでにあったイングランド料理とインディアン料理に対し、初めて両者が食べ物を分かち合った瞬間であり、新大陸の食材と、インディアンの知恵と工夫による栽培法と調理法、イングランドの調理器具と調理法、それらが一体となってそれ以前にはなかった料理を生み出した
ハイブリッド――混合、それこそがアメリカ料理の本質であり真髄

第3章        アメリカを作った人々の食
多種多様な移民の寄せ集めであり、多文化共存の国ゆえに、どれもアメリカを代表する料理にはなりえない
l  イギリスからの移民の食  
東部では、ヨークシャープディングに代わるコーンプディング、トウモロコシから作ったモック(偽物)オイスターやトウモロコシと豆から作ったボストン・ベイクドビーンズ。アメリカ大陸で初期の入植者が手作りした最初の食材は塩。塩漬けの豚を煮たボイルドビーフ、豚が牛に代わってコーンドビーフ(塩漬けにするときの塩の塊がコーンの粒の大きさだったことに由来)、その残った肉片とジャガイモを炒め合わせたコンビーフ・ハッシュ、簡単に掴まえられる最良のシーフードを使ったロブスターパイ、クラムチャウダー、ドーナッツもニューイングランドが発祥の地、パンプキンパイ、ブラウニー
南部では、州ごとに特色のあるサザン・フライドチキン、バーベキュー
南部とは、Below the Mason-Dixon lineの下。ペンシルヴァニアとメリーランドの境界線が基準とされる
アパラチアンでは、ホーケーキ(コーンブレッドの一種)と茹でたキャベツ
クエーカーの土地であるノースアトランティック・シーボードと呼ばれるペンシルヴァニア、ニューヨーク、メリーランドでは、ハッシュドブラウン・ポテト、バッファロー・チキンウィング、エッグ・ベネディクト、ロブスター・ニューバーグ、ヴィシソワーズ(1910年代リッツ・カールトンにいた仏ヴィシー出身のシェフの創作)、メリーランド・クラブケーキ、野菜類の酢漬けのチャウチャウ
l  スペイン系の人々の食  コンキスタドールとパードレ(神父)の置き土産
キドニー・ビーンズ、チリ・ビーンズ、ロングライス(=インディカ米)を使った料理、バーベキューもスペインがもたらした調理法(バルバコア=丸焼き)、フィンガーフード(手で食べる食事全般を指し、ホットドッグやハンバーガーはその典型)、ストリートフード(ベンディングカートで販売される、場所や時間に縛られない食事)
l  フランス系の人々の食  ケイジャンとクレオール
ジャンバラヤ(炊き込みご飯)、クローフィッシュ(ザリガニ)パイ、ガンボー(シチューの一種)
ケイジャンとは、フランス系移民がいたニューオリンズの北一帯の土地アケイディアナが訛ってケイジャンとなったもの。スワンプと呼ばれる湿地帯だったため、ケイジャン・フードは水稲が主食材となる
ニューヨーク州のサラトガ・スプリングスの高級カジノ「サラトガ・クラブハウス」が発祥のクラブハウス・サンドウィッチ(トースト4枚に具が3層というのが本格派で、ローストビーフかターキーかで2派あるが、必需品はBLTと、店によってチーズや薄焼きの卵焼き、キュウリ、ハム、コールスローを加える)
クレオールとは、スペイン語の語源の意味はnative bornであり、ルイジアナ地方に植民し、奴隷労働の上に優美なフランス的文化を土着化させたスペインやフランスからの移民の純血の子孫ということになるが、実際にはフランスおよびスペインの文化を根源に保有しているすべての人種の人々とその文化的背景を指している言葉
ケイジャンとクレオールの区別は曖昧で、前者が家庭料理的、後者がより商業的に洗練された、どちらかといえばレストランで供される料理
フランスから多くの食材と「美食」を輸入した代表者は第3代大統領トマス・ジェファーソンで、それらを南部の食材や調理法と融合させてアメリカ独自のものを作り上げた
全米のバーベキューの中心地はメンフィス
l  ドイツ系の人々の食――ブルーグラスと茹でキャベツ
l  アイリッシュ系の人々の食――ジャガイモと肉体労働
アイリッシュ・シチュー、コドル(煮込み料理)、コンビーフ・キャベッジ(茹でキャベツとコンビーフ)
野菜をなんでも煮た上に煮すぎるのと肉をウェルダンで食べるのは、伝染病が大流行して多くの人が死んだ過去の教訓から過度に学んだ結果?
l  イタリア系の人々の食――赤いチェックのテーブルクロスと2択問題
イタリア系移民によってそれまでの食の概念がいくつも変わる  アンティパスト(前菜)が第1
l  東欧系の人々の食――ロックスと種無しパンの間
ロックス(ベーグルにスモークサーモンとクリームチーズを挟んだもの)
東欧系のユダヤ人がアメリカに移住した際、塩蔵と燻蒸の文化を持ってきたのがスモークサーモンとなり、マンハッタンのロワー・イーストサイドからアメリカ中に広がった
食材を扱う店を「コーシャー・デリ」というが、「コーシャー」とは「適正な」との意で、ユダヤの厳しい戒律に沿って正しく調理したものを提供している
l  アジア系の人々の食――雑炊とコーン・スシ
酸辛湯(サンラータン、ホット・アンド・サワー・スープ)
アジアの食がアメリカの食を変える力を持っていることに気づく

第2部        画一性という食の魅力
序 逃げ水を追いながら、アメリカの朝食を考える
どこの土地に行っても朝食は同じという地域性の欠如はアメリカ食の1つの特徴  初期移民たちの故郷であるイングランドからやってきたもの
食での季節感を気にしていない

第1章        土地の広さが食を作る
なぜアメリカには醗酵食品が少ないのか  アメリカで知られる醗酵食品はルイジアナ産のタバスコくらい
チーズも、加熱によって細菌による過醗酵を止めてプロセスチーズにしてしまった
アメリカ人は、いつでも、どこでも、同じものを食べたい。それがアメリカの広さを克服する1つの手段。どれだけ距離が隔たっていようと、場所が違っていようと、誰もが同じ程度のものを手にする機会が均等にあるということは、誰もが公平であることに通じ、アメリカという国が求め続け、また将来にわたってそうであることを保証していける国であろうとしている

第2章        なぜアメリカの食は画一的な側面を持っているのか
フロンティア・ストリップ6(南北ダコタ、ネブラスカ、カンザス、オクラホマ、テキサス)の中央辺りの西経100度を境に、東は降雨量が適当で農業に向き、西側は乾燥地帯で牧畜が主な産業になっている
l  移民であることの意味  新大陸で得られる限られた食材と限られた調理法・器具での加工が、自然と食の固定化を生み、後続の移民にも伝えられた
l  開拓民であったこと  携行食、移動食という制約の中で、食材や調理法・器具を画一的にしていくしかなく、それが1つの「食」として確立していった
l  鉄道の影響  鉄道によってアメリカは均質的な文化を万遍なく行き渡らせることができたが、鉄道に従事した労働者に提供された「賄い料理」によって、食材の範囲や調理の技術、味付けの程度など食の一定のレベルが広まり、「定型の食」が形作られていった
l  軍隊食の影響  缶詰が普及したのは南北戦争、缶詰によって味覚が統一された

第3章        アメリカの食を特殊なものにしたいくつかの要素
l  スーパーマーケットがアメリカの食を変えた  ナビスコの開発したInner Seal Packageによってあらゆる商品が小分けにして販売することが可能となり、1品種1商品システムからの脱皮を可能とし、消費者に「購買の自由」「選択の自由」がもたらされ、スーパーマーケットが誕生。スーパーは「セルフサーヴィング・システム」を採用するが、その第1号はメンフィスの食品雑貨店「ピグリー・ウィグリー」であり、消費者の大量購入がアメリカ人の生活習慣と食習慣を変えていった
l  冷凍保存という革命  1918年ごろに冷凍庫出現、一般家庭にも普及。TVディナーの始まり
l  パンのスライサー(1917年発明)と、電気によるトースター(1893年スコットランドで発明)
l  プロとアマの差がない  南部の家庭の(サザン・)フライドチキンはアマ料理の極致。良きアメリカを代表するものは、「ママと星条旗とアップルパイ」
女性の台所仕事からの解放。電化調理器具の開発が調理技術の錬磨意欲を削いだ
一般家庭が営々と地味ではあっても作り続けてきた料理、家族のために心を込めて作る料理こそ、アメリカ食の真髄
l  簡便食への志向  「ロードフード(=椅子に座らず、道具も使わないでする食事)」から「フィンガーフード(=カトラリーを使わない、食器すらいらない食事)」へ

第4章        アメリカ人は何のために食べるのか
アメリカ料理が大雑把で荒々しく、繊細さに欠けるのは、食べることの快楽よりも優先されるものがあったから
l  「アメリカ人」とは誰なのか  祖国を捨ててアメリカ人になるためにやってきた人
l  健康のために食べる  他国では見られない熱意と工夫がある。タバコやアルコールの制限(たいていの町のちゃんとした店ではほとんど飲む人を見かけない)、ダイエット食品の登場、ヴェジタリアン運動
l  神のために食べる  パンと葡萄酒と蜜
l  教育のために食べる  「食」は愉悦以上の何ものかがある。本性たる欲望を超えた先にもっと大切なことがある。「食」を通して伝えるものがあるのではないか
l  アメリカ人になるために食べる  アメリカは差別と排斥の歴史を持つ「差別の大国」であり、移民の誰もが大急ぎで同化したがった
トウモロコシがアメリカを創った。トウモロコシを1度でも口にしたら、もう2度とイギリス人には戻れない
移民たちは、アメリカ人になろうと公平な食を食べる。アメリカの食は、そういう人々の夢の具現であり、そういう人々の夢を内包した食べ物。材料や調理法、食べてからの結果は問わない
アメリカ人にとって、「食」は美味や栄養、健康、団欒といったことだけではなく、アメリカの食べ物を食べることによって、自分がアメリカ人なのだと確認しているのではないか
そうまでしてアメリカ人になろうとするのは、公正、公平、機会均等を旨とするこの国で、夢見ることに意味があると思いたいから

あとがき
アメリカの総体を知りたい。そこに住む人たち、アメリカ大陸という地形的にも、地勢的にも、気候や風土や人情の異なる広大な地に住む人たちに近づいていきたいというのが夢で、それを実現するためにひたすら車で走ることを考えた
その時々で、一番知りたいことを満たしてくれる場所がとりあえずの目的地で、ひとまずそこを目指して当てのない旅を始める
毎日3度否応なく付き合う食のことを考えていくと、この国の成り立ちや文化、他国との関係や文明の進歩といった、食以外の問題が芋づる式に表出してくる



(書評)『アメリカは食べる。 アメリカ食文化の謎をめぐる旅』 東理夫〈著〉
2015.11.29. 朝日新聞
メモする
 ■「広さ」と「移動」、克服する料理たち
 著者はカナダの日系2世の両親を持つ日本育ち。グレイヴィソースのかかった肉料理とか、コーンビーフ・キャベッジとか、食卓には一風変わったメニューが並んだ。その記憶をたどりながら、北米を車で旅し、土地の食堂に入り、人々の食べるものを口にする。おいしいものを探すのではない。食べて、調べて、考えて、アメリカとは何かを問うために。
 本屋で店主が言う。トウモロコシがこの国を創ったと。最初に来たインディアンはトウモロコシの栽培に成功してこの土地に定着し、イギリス人は本国から持参した種子が根付かないという危機を小魚を肥料にこれを育てる彼らのやり方を学んで乗り切った。制限の多い環境下で本国のメニューに似たものが工夫がされる。トウモロコシをイギリスの調理法で料理したコーンプディングは典型だがほかにもチーズをまぶして焼いただけのマカロニグラタン、塩漬け牛肉の残りをジャガイモと炒めたコンビーフ・ハッシュなど、なるほどアメリカの味には他の文化圏とのハイブリッド料理が多い。
 イタリアのスパゲティーはアメリカから世界に広まった、という話もうなずかせる。値段が安いのに、満腹感のあるワンプレートフードになるという利点が若者に歓迎され、全土に広まった。日本にもイタめしブーム以前に、アルデンテではないふにゃふにゃのものが赤いチェックのテーブルクロスと共に到来している。
 買ったものを立ったまま食べるという今や当たり前になった習慣も、アメリカの影響なくして考えられない。カウボーイの野営料理や野外のバーベキュー料理などが、指でつまんで食べられるフィンガーフードを生み、その移動可能の食のあり方がストリートフードにつながり、さらには家族団欒(だんらん)や行儀作法など、食を巡る固定観念をも突き崩したのだ。
 ケイジャンやクレオールやソウルフードなどのローカルフードには地域ごとの違いがあるものの、ハイウェイ沿いの店はたいがい同じメニューで同じ味で、ステーキの焼き方もほぼ一定だ。料理人にプロとアマの差が見られず、食べる方も家庭料理の延長で構わないと思っている節がある。
 なぜだろう、と考える著者の頭に灯(とも)るのは、アメリカの「広さ」と「移動」だ。広い土地を移動するのは生の可能性を拡大するのに等しい。どこでも同じ程度のものが手に入るという公平感はその広さを克服する力になる。隣人と同じものを安心して食べることが、明日の旅立ちへのファイトを生み出すのだ。
 厚さ4センチの本にアメリカ化した各国の料理のルーツがたどれる。願わくば索引があれば!
 〈評〉大竹昭子(作家)
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 作品社・4104円/ひがし・みちお 41年生まれ。作家・エッセイスト・ミュージシャン。料理や音楽に造詣が深く、著書に『アメリカは歌う。』『ケンタッキー・バーボン紀行』『5弦バンジョー教本』など。訳書に『ミリオンダラー・ベイビー』など。


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