球技の誕生――人はなぜスポーツをするのか  松井良明  2015.8.1.

2015.8.1. 球技の誕生――人はなぜスポーツをするのか

著者 松井良明 1964年生まれ。奈良教育大学大学院教育学研究科修士課程修了。体育科学博士(日体大大学院)10年より奈良工業高等専門学校教授。専攻スポーツ史・スポーツ文化論

発行日           2015.5.20. 初版第1
発行所         平凡社

民族フットボールの広がりは多様であり、それぞれユニークな歴史を持っている。それを行う人々がそれらの球戯に共同体独自の価値観(エスノサイエンス)を投影している場合が少なくない。本書では、知られざるヨーロッパ球戯とその歴史的重要性を探り、グローバル化によって覆い隠されたヨーロッパ球戯の多様性を明らかにし、そこから近代スポーツの歴史的功罪を読み解くことを狙いとする

第1部        グローバル・スポーツの誕生
本書が前提とする「グローバル・スポーツ」の誕生に至る歴史
1.   サッカーとラグビー
Soccer  Association Footballの短縮形
1863年 Football Association(FA)設立  ハンドリングとドリブリングの相違から、ハンドリング派が1871年分離・独立してRugby Football Union(RFU)設立

2.   歴史的和解?
ベース・ボールは、18世紀にイングランドで始まる
一方、クリケットも19世紀までは米国でも盛んに行われており、お互いが影響しあっていたという可能性も大

3.   「ボールはやさしく打ちなさい」
ウィンブルドンのAll England Lawn Tennis and Croquet Club1868年設立、最初はCroquetという別の打球技のクラブ
ローンテニスを考案した目的は、客人との娯楽やホーム・パーティの娯楽であり、1873年に公表したルール・ブックには、プレイヤーへの助言として、「ボ-ルはやさしく打ちなさい」とあった

第2部        人はなぜスポーツをするのか
フィールド・ワーク編として、ヨーロッパ」の複数の地域にみられる特徴的なボールゲームとその背景を探り、ヨーロッパ球戯の多様性を示す
1.   イングランド
2.   バスク地方(スペイン北東部及びフランス南西部)  現存するヨーロッパの最古の民族といわれ、独自の言語やスポーツを持つ。ペロタ・マノ
3.   オランダ・フリースラント州  カーツェン(手袋でやるテニス)、スケートの聖地ヘーレンフェーン
4.   ベルギーと北フランス  ラ・バル・プロト(ハンドボール)
5.   アイルランド  長い間イングランドの弾圧下にあって、独自のスポーツを4種、創出し国技として普及させた。ハーリング(ホッケーに近い)、ゲーリック・フットボール(サッカーとラグビーのミックス)、ハンドボール、ラウンダーズ(野球に近い)
6.   連合王国としての英国  

第3部        ヨーロッパ球戯考
歴史編として、ヨーロッパ球戯を「ハンドボール」「フットボール」「打球戯」に分け、それぞれの歴史的分析を試みる
1.   2つの系図  従来の球戯史は英国を中心に記述されることが多かったが、類似する球技が「英国」以外の地域でも数多く行われている。ヨーロッパの球技の系譜は、いずれも中世騎士が行っていた馬上試合から分化したものとの説がある。「パルク球戯」はまずテニスとフットボールに分化し、さらに世界各地の球戯へと分化
2.   ハンドボール考  テニスを素手で行うのがハンドボール
最も古いのが12世紀のジュ・ドゥ・ボーム
3.   フットボール考  起源は12世紀のスール
連合王国の中でフットボールが始まったのは古い順にイングランド(1314)、スコットランド(1424)、ウェールズ(1593)、アイルランド(1695)
4.   打球戯考  15世紀のスツールボールがクリケットや野球の起源。打球戯で最も古いのは、7世紀に見られるアイルランドにおけるカマーン/カモーンを起源とする別の系譜を持つが、ゴルフ・ペルメル(クロッケーの先祖)・ビリヤード・ホッケーなどに発展、使用する道具はあくまでも手の延長
5.   新たな系図  連合王国では歴史的に、ハンドボール、フットボール、打球戯に分類されているが、3者間に区別がなかった可能性も高い

第4部        近代化の歴史的特質とは何か
ヨーロッパ球戯史の課題と近代スポーツの歴史的特質について考える
1.   ヨーロッパ球戯史の謎  ヨーロッパ球戯の系譜としては打球戯が最も古くまで痕跡が辿れる
アイルランドやイングランドでは、圧政や囲い込みへの反対運動の隠れ蓑としてスポーツが悪用された歴史もある
1819世紀にかけて民衆娯楽として定着
特定の球戯が特定の地域で受容される過程には何らかの条件なり、理由があったはずで、それを理解するには特定の球戯を受容した側のエスノサイエンスそれぞれの土地の自然環境や価値観に基づく独自の認識を掘り起こす必要がある。それがヨーロッパ球戯史にける今後の課題

2.   スポーツの近代化と英国  20世紀半ばにスポーツを「遊戯、闘争及び肉体活動」の3要素で定義した背景には、そもそも「気晴らし」を意味した英語sportが、gameathleticsの意味を順次獲得してきたことと深い関わりがある
Gameは、元来「集団によってもたらされる喜び」を意味する言葉で、14世紀には「ルールに従って勝敗を決する気晴らし」と意味するようになるとともに、その後スポーツは18世紀にかけて著しく「ゲーム化」した。その背景には、植民地帝国の形成を背景とした「商業革命」と同時に、南海泡沫事件のような一大投機ブームの到来があり、スポーツのゲーム化は時代的な現象でもあった
ジョッキー・クラブ(競馬)、ロイヤル・アンド・エンシェント・クラブ(ゴルフ)、メリルボーン・クリケット・クラブはいずれも18世紀半ばから後半にかけて創設されたが、それらの主眼は「ゲーム」で賭けを楽しむことにあった。ルールの成文化が必要となったのもそのため
フットボールのゲーム化が遅れたのは、民衆を中心とする娯楽だったためで、町全体を巻き込んだ闘争は、時に騒擾罪や生活妨害罪にあたる違法行為にも発展。これに対し、ジェントルマンが中心となって組織化したアソシエーション・フットボール(サッカー)が「合法的なスポーツ」と見做されたことは当然の成り行き
19世紀の英国では、賭博スポーツにも批判が高まり、ブックメー、カーを排除して「運動競技化」が図られた
明治維新以降、すでに一定の「近代化」を経て運動競技化したスポーツを受容した日本においては、「スポーツ」と「賭博」は水と油のように考えられる傾向が強いが、もともと競争の結果は必然的に不確かであることから、「理想的な規則のある競争という性格を持つあらゆる戦い」、すなわち近代的な競技スポーツは、賭けの対象となりうることから、賭博は常に近代スポーツの一部となってきたということができる


エピローグ
どの地域が、いついかなる時期に特定の球戯ないしは球技を受け入れるかということについては、それなりの歴史的かつ社会的な背景があるのではないかということで、その糸口となるのが当該地域のエスノサイエンス
20世紀に一応の完成を見る地球規模でのグローバル・スポーツの歴史的前提  ヨーロッパ人による世界進出に端を発する現象であり、また、人々の「移動」の増加が影響している。ヨーロッパ球戯がグローバル化するにあたっては、それが「スポーツ化」し、「ゲーム化」し、そして「運動競技化」するという近代化のプロセスを経ることが前提


2015.6.21. 日本経済新聞
球技の誕生 松井良明著 人の移動からスポーツ史再考
フォームの終わり
 全編を一読し、「球技の歴史研究に、これだけ時間を捧(ささ)げている日本人がいるのか!」と驚いた。書かれている内容は、日本人はおろか、欧州に住んでいる人にとっても初見のことが多いだろう。
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 著者はこれまでも英国のスポーツ近代史などを手がけているが、本書では冒頭で欧州の様々なスポーツの博物館に足を運び(日本人が初めて来たと歓待してくれた資料館もある)、各国、各地域独自のスポーツを紹介している。
 特に目新しいのは、バスク地方で行われている手を使った球技で、それが今も現存していることだ。また、イングランドと敵対的な歴史を持つアイルランドには独自の競技があり、それが現在も根強い人気を誇っていると書く部分では、著者の熱がこもっている。激しい抑圧や、抵抗の歴史を持つバスク地方、そしてアイルランドで独自のスポーツが盛んなのは、政治とスポーツが密接な関係にあることを示している。
 加えて商業的なつながりも関連性がある。歴史的にアイルランドと交易していたフランス、スペイン、ポルトガルには似たようなルールを持つ競技があり、著者は「人と物の移動が、ヨーロッパ球戯史を再考するうえで重要な視角になることを気づかされた」と書く。スポーツに対する知的なアプローチは、新たな視点を提示してくれる。
 全編から浮かび上がってくるのは「近代スポーツの多くはイングランドで生まれた」という先入観が、必ずしも正しくはないということだ。たしかにルールが整備され、それが交通の発達によって世界に広まったことは間違いない。しかし、イングランドだけでスポーツは整備されていったわけではなく、欧州各国で遊ばれていた球戯が、収斂(しゅうれん)されていったと見るべきだろう。
 ただし、見たことがない競技の紹介が多いため、具体的にどんなゲームなのかがなかなか想像しづらい恨みがある。興味を持ったら、自分で動画サイトを見るなど補完するとより深い読書体験となるだろう。これも、21世紀の読書のスタイルかもしれない。
 私は小学生の時、生まれ育った気仙沼湾の岸壁で「ハンド・ベースボール」(ソフトテニスの球を手で打つ競技)を楽しんだ。場所が狭ければ、三角ベース。こうした創意工夫が数百年前から行われていたことを実感した。
 人間は、手で、足で、そして時には道具を使ってボールと戯れる生き物なのだ。
(平凡社・2800円)
 まつい・よしあき 64年生まれ。奈良高専教授。著書に『スポーツと政治的なるもの』など。
《評》スポーツジャーナリスト
生島 淳









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