半自叙伝  古井由吉  2014.6.22.

2014.6.22. 半自叙伝

著者 古井由吉 Wikipedia参照

発行日           2014.3.20. 初版印刷                   2014.3.30. 初版発行
発行所           河出書房新社

初出
I 半自叙伝           20123月~10月 『古井由吉自撰作品18』月報
II 創作ノート       19829月~833月 『古井由吉 作品17
もう半分だけ         書き下ろし


08-02 杳子(ようこ)妻隠(つまごみ)』参照

I 半自叙伝
Ø  戦災下の幼年
大正の東京流入者の2世、昭和の沿線郊外っ子のハシリ ⇒ 新興開発地で、出来たときにはさぞや年寄りたちの微苦笑ならぬ微顰蹙を買ったことだろうが、空襲で焼き払われ、ひとまずご破算になった
39日夜半からの下町を襲った空襲は、西南遙か隔たった私の地域では無事だったが、下町の惨状が伝わるにつれ、空襲というものに対する観念、考えが一変
524日未明、東京の西南部を山の手から郊外まで焼き払った空襲に、私の家も焼かれた
大垣の父の実家に疎開したが、7月にはそこにも空襲が来て町全体を焼き払い、私たちは美濃の母親の実家に移動

Ø  闇市を走る子供たち
昭和2010月、父親が迎えに来て美濃から東京に帰る
八王子に向かう東京駅中央線ホームで、アメリカ兵がかじっていたリンゴをくれたが、捨てろと父親に言われてぽとりと下に落とした。あれが私の戦後の始まり
昭和25年に新制の中学校に入る ⇒ 前年に開設されたばかりの区立中学で、私たち2期生が入ると午前と午後の二部授業となる
朝鮮戦争たけなわの頃、ラジオの政府広報のスポットで、「あなたは今、何をしてますか」と夜の茶の間に呼びかけ、貯蓄を奨励した末に、「これからは物よりも金の時代です」と結んだ
アメリカから援助の、赤砂糖がどっさり、煮炊きに使っても余るほど、配給になった頃で、初めは甘味料の足りない時代の事とて喜んで嘗めていたが、そのうちダニが棲息していると伝えられ、持て余していたところへ、誰が発明して広めたのか、カルメ焼きが家々に流行り出した

Ø  蒼い顔
昭和282月、虫垂炎をこじらせて腹膜炎を発症、五反田の病院で死を覚悟の再手術を受けた
入院中に高校の受験が終わり、ドイツにゆかりのある私立校に入学、ドイツ語を勉強したことが後に独文科に進む機縁となる。同学年に美濃部、後の古今亭志ん朝がいた。校長の天野貞祐にも教えを受けるが、私立の親の負担を考え、秋に都立の編入試験を受けて転校
湯川秀樹が理論物理学を選んだ理由を尋ねられ、紙と鉛筆があればできるので、と答えたことが戦後4年の貧しい時代に小学校6年生の子どもの心にとまったが、高校に入って周りの生徒が苦も無く数学の難問を解くのを見て、理数系への志向は吹き飛び、代わって小説の類を熱心に読むようになったのが文学の道に進む契機。小遣い銭をかき集めて買っては読みまくった
その頃、仲間には蒼い顔が多く、結核や学校の屋上からの投身が続く
わずか1,2年の差というものはやはりあるもののようだ。昭和31年春先のこと、古本屋帰りに、ふと何年か前の自分と引き比べ、相変わらず安い本の1冊も買えば帰りの電車賃もあやしくなるような貧乏さで、時代にも置き残され加減のようだが、それにしてもなんと気楽な心で街を歩いていることだろう、とひそかに驚いた。死の影がいつの間にか遠のいたというところか。以前に比べれば背筋もよほど伸びて、足取りも軽快になっているように思われた。しかし以前と今と、どちらが実相なのか、という訝りは後々まで持ち越されて、折に触れては出てくる

Ø  雪の下で
大学で独文に進み、カフカの日記を卒論にまとめ、就職先もないまま昭和35年大学院へ
世の景気の中にあって役立たずの意識を、寒い上着のように身に着けて運んでいた
昭和37年から金沢の大学のドイツ語教師として就職、ハンコ屋の2階に間借り。381月の大雪で雪かきに駆り出される

Ø  道から逸れて
昭和40年帰京、上保谷に妻帯して住む
翻訳の大仕事の初めが、ヘルマン・ブロッホの長編小説『誘惑者』
同人誌に『先導獣の話』を寄稿
43年秋に馬事公苑近くのマンションに越し、現在に至る
453月で教職を辞め、作家専業に入る
ことさら決断したわけでもなく、毎朝勤めに出る道で、真っ直ぐ急いでいる筈の足が時折ふっと、どこかへ逸れるようなふうになるのを、逸れる道もないのにおかしなことだ、と訝ることが重なるようになったのがきっかけと言えば言える
退職後にまず『杳子』を書き、『妻隠』は真夏の仕事となった
翌年母が肺がんで逝去。享年62.父母とも長命の血統だったが、それから20年の間に父、姉、兄が亡くなる

Ø  吉と凶と
昭和55年は異様な不景気、戦後の経済成長がひとたび天井をついた頃。天候も異常
『山躁賦(さんそうふ)』と『槿(あさがお)』の連載始まる
57年 河出書房新社から私の作品集、全7巻の第1巻が出る
57年に父が、62年姉が亡くなる
自分には無関係のバブル景気の最中、90年暮れに、足がどうかするとよろけるようになり入院、頸椎の一部が壊れて、脊髄を圧迫しているので、手足に痺れ、手術の首尾が悪ければ四肢不随になるらしい

Ø  魂の緒
91年頸椎狭窄を手術で治癒、後頭部から顎にかけていかめしい装具で固定され仰向けで寝たきりの苦しい3週間を過ごすことに。実際は半月で退院 ⇒ 16年後に再発したが、その時は仰臥固定もなく、手術の翌々日には立って歩けるようになっていた
98年 不況がいよいよ深刻になった頃に、今度は眼が壊れ、物の輪郭がギザギザになる。眼底の網膜に微小な穴が開いたと言われ手術、今度は俯けを強いられた
江藤淳が亡くなり、続いて後藤明生(季刊雑誌『文体』を一緒に出した仲)も逝去、いずれもまだ60
大勢の高年者たちが経済の行き詰まりの皺寄せにあって、世の活動の外へ押し出された
2000年に新宿の酒場で朗読会が始まり、ホスト役と前座を務める ⇒ 年2,3回で29回続いた

Ø  老年
平成に入ってからというもの、年月の流れがめっきり速くなった
2002年 フランスのナントで朗読会があり、私も参加して『聖』を読む
06年から連作の『白暗淵』を始める ⇒ 文語訳聖書の創世記の「黒暗淵(やみわだ)」から取った題

II 創作ノート
Ø  初めの頃
日本語の、文章を書くことにこだわりだした初めに、転がり込んだ翻訳の大仕事が『誘惑者』 ⇒ 翻訳の仕事は2度目で、好きな作品だったが、今から考えてその「好運」が悔やまれることもある。自分がいかに日本語を書けぬか、思い知らされた
1年かかって1600枚の『誘惑者』を仕上げ、30枚の解説も書いて、42年に筑摩世界文学全集の第17回配本として出版、生まれて初めて百万円という大金を手に入れる
その頃参加した文芸同人誌『白描』に寄稿したのが処女作の『木曜日に』。次いで『先導獣の話』を寄稿、1ページ5百円を書いた方が払う
寄稿したものが評判となって、執筆依頼が来始める
453月 立教大学を5年で辞職、独立 ⇒ 単行本はいまだなし、商業誌に載ったのが2作、予定が1作、次のテーマは五里霧中、32歳、2女の父、無職…・ようやるよ

Ø  駆出しの喘ぎ
『杳子』とは書き出すその日に思いついた名前

Ø  やや鬱の頃
「几帳面なようで、物書きとしては実にずぼらなところがある」と、よく言われる
締切りやら人との待ち合わせやらには几帳面に約束を守る方だが、校正刷(げら)にうるさく手を入れたり、文章に執着したりするのは粘着質そのもの。だが書かれたものが一旦手が離れると、親しく思い出せなくなる
49年には京都での天皇賞のテレビ中継にゲスト出演し、前年の葬式で挨拶した親類たちをびっくりさせた

Ø  場末の風
父親は航空機会社の役員
終戦直後、八王子の社宅に身を寄せた
中学は3年から高松中、それから大学に入るまでは御殿山に在住

Ø  聖の祟り
52年 『文体』の事務所を麹町に開き、同人自身が毎号書く仕事が始まり、事務所に詰める毎日 ⇒ 短篇を書きたかったが、雑誌を作るからには筋の太い、ひとつながりの作品で押すべきと考えたものの、『聖』の続きくらいしか思い当たらず、東京の新興住宅地での世帯の始まりを描く

Ø  厄年の頃
『文体』に関わって、生活全体も季刊誌に合わせて3か月周期となり、終刊の55年まで続く
53年には42歳の厄年になり、肉体の変調期に合わせて、予めけじめを設けて慎むべしと前々から思っていた
物を書く時間と精力を割いても腰を入れて始めなくてはと思っていたのは、文学者としての基礎工事となる勉強

Ø  秋のあはれも身につかず
文書を綴るのは苦手なほうで、今でも根は変わらない。ちょっとしたことが表現できなくて難渋する。こういうことは、当たり前の言葉で表せばどうなる、と考えだすともう勘がおかしくなる。そんなわけでエッセイの仕事は辞退してきたが、55年に、この生業に入って10年目に3冊のエッセイ集を出してもらえる

Ø  もう半分だけ
2012年 河出書房新社から私の作品集として『自撰作品』と題する全集を出版 ⇒ 本書前半の「I 半自叙伝」は全集の巻毎に本に挟み込まれた月報に載せられたもの
後半の「創作ノート」は、82年から河出で刊行された『古井由吉 作品』全7巻のそれぞれの巻末に書かれたもの
老いて体力も気力もめっきり落ちて、恐らく感覚も大分鈍くなったであろうそのかわりに、自分の歳月を、そして現在を、とかくあやしむ。とりわけ震災後に、それが繁くなったように思われる










半自叙伝 [著]古井由吉
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幼年との往復、積み重なる記憶

 人は生き続ける限り、心の奥深くにいくつもの記憶を少しずつ積み重ねる。それらの記憶は、たいてい年齢を経るごとに移ろい変容してゆく。輪郭がぼやけて忘れてしまう場合もあれば、逆に輪郭がぼやけることで、かえって生涯にわたる意味合いを帯びてくる場合もある。
 古井由吉は、本書で自らの人生における二つの時期の記憶について語っている。第1部は2012年に発表された文章を、第2部は1982年から83年にかけて発表された文章を収めている。一方は40代、他方は70代になって来し方を振り返り、記憶に残った出来事や場面を、「矛盾はなまじ整合させずに」描き出している。
 当然、両者には記憶の重なりがある。例えば、70年11月25日の三島由紀夫の自決を、著者は肺がんの母親を見舞いに訪れた実家のテレビニュースで知った。40代では三島由紀夫という文字そのものにまがまがしさを感じたのが、70代ではもう少し落ち着いた記憶になっている。ここには三島に対する心境の変化が反映しているように見えた。
 その一方、敗戦直後の45年10月に岐阜から上京してきたとき、東京駅の連絡通路で遭遇したアメリカ兵がかじりかけの林檎(りんご)を子供に渡したときの記憶は、40代よりも70代のほうが「戦後の始まり」として認識されている。
 両者に共通しているのは、記憶の根底にある空襲の体験である。45年5月の空襲で東京の自宅を焼かれ、父親の実家があった岐阜県の大垣に逃げたが、大垣もまた7月末の空襲で町全体が炎上した。
 7歳の古井由吉が、赤々と燃えさかる大垣の町を慄(ふる)えながら眺めている。この体験こそ、たとえ40代になろうが70代になろうが、幼年の自己との間を無限に往復するこの作家の人生を宿命づけたのではないか。本書で語られる著者の生涯そのものが、まるで小説のように思えてくる。
    
 河出書房新社・1836円/ふるい・よしきち 37年生まれ。作家。『古井由吉自撰(じせん)作品』全8巻、近著に『鐘の渡り』。


Wikipedia
古井 由吉(ふるい よしきち、19371119 - )は、日本小説家ドイツ文学者。現代日本文学において、特定の作風や文壇的派閥にかかわらない特異な位置を占める[要出典]。一般にはいわゆる「内向の世代」の代表的作家とも言われている。代表作は『杳子』、『聖』『栖』『親』の三部作、『槿』、『仮往生伝試文』、『白髪の唄』など。

来歴・人物[編集]

東京府出身。港区立白金小学校から同高松中学校を経て、19534月、獨協高校に入学。隣のクラスに美濃部強次(古今亭志ん朝)がいた。同年9月、都立日比谷高校に転校。同級生に高修也塩野七生、福田章二(庄司薫)がいた。
19563月、日比谷高校卒業。19564月、東京大学文科二類入学。同文学部独文科卒。同大学院人文科学研究科独語独文学専攻修士課程修了。その後、金沢大学助手、同大学講師を経て、立教大学助教授に着任。
大学教員の時期は、「日常に潜在する苦そのもの」を見た(講談社文芸文庫の自筆年表より)とするフランツ・カフカの研究に加えて、ロベルト・ムージルヘルマン・ブロッホなどの翻訳をすすめる一方、1968、処女作「木曜日に」を同人雑誌『白描』に発表、続いて発表した「先導獣の話」、「円陣を組む女たち」で評価される。
19703月付で立教大学を退職し、作家業に専念する。神経を病んだ女性・杳子と登山で出会った男を非現実的・幻想的なイメージを交えて描いた「杳子」(『文芸』19708月号)で、197164芥川賞を受賞。古井を含むこの時期の作家は小田切秀雄によって「内向の世代」と命名され、「社会的問題やイデオロギーなど外部に距離をおいて、内に向っている作家たち」との批判を受けた(実際はこの一派の作家にそうした現実逃避の傾向は希薄であるとの反批判もある)。ことに古井は「朦朧派」(石川達三)や「退屈の美学」(後年の江藤淳による批判)との揶揄も受けたが、他方で秋山駿柄谷行人らには擁護された。
その後も『杳子・妻隠』の延長線上にある作風の『行隠れ』(1972)、『櫛の火』(1974)などを経て、1977から、後藤明生坂上弘高井有一とともに責任編集者として、平凡社から季刊雑誌「文体」を刊行。様々な媒体で旺盛に短篇を発表する。
1980、都会に投げ出された男女の生活を描く『栖』で12日本文学大賞受賞。1983、偶然出会った男女の間の濃密な性を描いた『槿』で19谷崎潤一郎賞受賞。1986には芥川賞選考委員に選出され、翌年短編「中山坂」(『眉雨』所収)で14川端康成文学賞受賞。
1990、宗教説話を引きながら生死に対する認識をたどった『仮往生伝試文』で41読売文学賞受賞。1991椎間板ヘルニアのため2ヶ月間入院、この体験が転機となり、『楽天記』(1992年)『白髪の唄』(1996年)と、老いの中で正気と狂気、生と死、現在と過去など様々な相克のあわいを継ぎ目なく往還する独特の作風に達する。
1997『白髪の唄』で37毎日芸術賞受賞、以降は文学賞を一切辞退している。その後左右相次いでの眼の故障もあり(この経験は『聖耳』などの作品にも書かれている)、2005に芥川賞選考委員を「執筆に専念する」として辞任。朗読会や講演も多数行っている。以降の作品に『辻』『白暗淵(しろわだ)』などがある。
『折々の馬たち』などの作品にもうかがえるように、熱烈な競馬ファンとしても知られる。エッセイのみならず、自身の居住区付近の馬事公苑を散策したり、その近辺で見かけたとおぼしい馬から喚起される想念など、競馬にまつわる描写が作品に登場することも少なくない。現在でも日本中央競馬会の機関誌『優駿』にエッセイを連載したり、デイリースポーツ紙上でGI競走の当日に自らの予想を寄稿していたこともある。

作風[編集]

ロベルト・ムージルヘルマン・ブロッホといった心理・想念を錯綜した記述で描く作家からの影響を礎としつつ、心理主義とは異なる手法と柔らかく明晰な文体で男女の奇妙な愛縁を描いたが、その作風の集大成とも言うべき『槿』以降はそうした明瞭な物語性を離れ、一貫した(自然主義身辺雑記的でない)私小説的リアリズムによる随想的かつ小説的でもあるような作品を書き続けている。
(静謐だがしばしば性的な側面を持つ)男女の愛、認識論、民俗学、連歌短歌、漢詩、神話や説話などの古典、記憶や追想、老耄などをライトモチーフとし、身辺の多岐にわたる事柄を又聞きならぬ「又語り」する体裁で、隠微な日常性にあふれた描写と同時に情景と心理のあいまいとした内奥を明晰かつ幻想的に描く作風、文法・人称・時間軸などの構成を意図的に脱臼させめまぐるしい想念の流れを映し出した眩惑的な文体を確立。また、以前は『円陣を組む女たち』など、僅かな作品でしか描いてこなかった戦争体験を、近年では積極的にモチーフとして採用し始めている(『野川』、『白暗淵』など)。『蜩の声』の作中には、戦時下あるいは戦後間もない頃の記憶が随所にちりばめられている。

著書[編集]

小説[編集]

·         円陣を組む女たち 中央公論社 のち文庫 1970年 短編集
·         男たちの円居(まどい) 講談社 のち文庫、「雪の下の蟹・男たちの円居」講談社文芸文庫 1970年 中編集
·         杳子・妻隠(つまごみ) 河出書房新社 のち新潮文庫 1971
·         行隠れ 河出書房新社 のち集英社文庫 1972年 長編
·         河出書房新社 のち集英社文庫、講談社文芸文庫 1973年 連作短編集
·         櫛の火 河出書房新社 のち新潮文庫 1974
·         新潮社 のち「聖・栖」新潮文庫 1976年 短編集
·         女たちの家 中央公論社 のち文庫 1977
·         哀原(あいはら) 文藝春秋 1977年 短編集
·         夜の香り 新潮社 のち福武文庫 1978年 連作短編集
·         栖(すみか) 平凡社 のち「聖・栖」新潮文庫 1979年 連作長編
·         椋鳥 中央公論社 のち文庫 1980年 短編集
·         平凡社 1980年 連作長編
·         山躁賦(さんそうふ)集英社 のち文庫 1982年 連作短編集
·         槿(あさがお)福武書店 のち文庫、講談社文芸文庫 1983
·         グリム幻想-女たちの15の伝説-(絵本・東逸子挿画) パルコ出版 1984
·         明けの赤馬 福武書店 1985年 短編集
·         眉雨(びう) 福武書店 のち文庫 1986年 短編集
·         夜はいま 福武書店 1987年 短編集
·         仮往生伝試文 河出書房新社 1989年、のち新装新版 2004年 長編
·         長い町の眠り 福武書店 1989年 連作短編集
·         楽天記 新潮社 のち文庫 1992年 長編
·         陽気な夜まわり 講談社 1994年 短編集
·         白髪の唄 新潮社 のち文庫 1996年 長編
·         木犀の日 講談社文芸文庫 1998年 自選短編集
·         「先導獣の話」「椋鳥」「陽気な夜まわり」「夜はいま」「眉雨」「秋の日」「風邪の日」「髭の子」「木犀の日」「背中ばかりが暮れ残る」収録
·         夜明けの家 講談社 のち講談社文芸文庫 1998年 連作短編集
·         聖耳(せいじ) 講談社 2000年 連作短編集
·         忿翁(ふんのう) 新潮社 2002年 長編
·         野川 講談社 のち文庫 2004年 長編
·         新潮社 2006年 連作短編集
·         白暗淵(しろわだ) 講談社 2007年 連作短編集
·         やすらい花 新潮社、2010年 連作短編集
·         蜩の声 講談社、2011年 連作短編集

随筆・評論など[編集]

·         日常の"変身"―全エッセイ1 作品社 1980
·         言葉の呪術全エッセイ2 作品社 1980
·         山に行く心全エッセイ3 作品社 1980
·         東京物語考 岩波書店 1984
·         招魂のささやき 福武書店 1984
·         裸々虫記 講談社 1986
·         「私」という白道 トレヴィル 1986
·         フェティッシュな時代 田中康夫対談 トレヴィル 1987
·         日や月や 福武書店 1988
·         ムージル 観念のエロス(作家の方法) 岩波書店 1988
·         魂の日 福武書店 1993年 ただし「長篇作品」と表記されている
·         小説家の帰還(江藤淳吉本隆平出隆松浦寿輝養老孟司大江健三郎との対談集) 講談社 1993
·         半日寂寞 講談社 1994
·         折々の馬たち 角川春樹事務所 1995
·         神秘の人びと 岩波書店 1996
·         山に彷徨う心 アリアドネ企画 1996
·         遠くからの声 佐伯一麦対談 新潮社 1999
·         ひととせの 東京の声と音 日本経済新聞社 2004
·         聖なるものを訪ねて ホーム社(発売:集英社) 2005年 掌編小説十二編も併録
·         詩への小路 書肆山田 2005年 ライナー・マリア・リルケ『ドゥイノの悲歌』などの本人訳詩も併録
·         始まりの言葉 (双書 時代のカルテ) 岩波書店 2007
·         色と空のあわいで(松浦寿輝との往復書簡) 講談社 2007
·         ロベルト・ムージル 岩波書店 2008
·         漱石の漢詩を読む 岩波書店 2008
·         人生の色気 新潮社、2009年 

集成[編集]

·         日常の"変身"―全エッセイ1 作品社 1980
·         言葉の呪術全エッセイ2 作品社 1980
·         山に行く心全エッセイ3 作品社 1980
·         古井由吉作品 1-7 河出書房新社 1982-1983
·         1巻 『円陣を組む女たち』『男たちの円居』
·         2巻 『杳子・妻隠』『行隠れ』
·         3巻 『櫛の火』『水』
·         4巻 『女たちの家』『夜の香り』
·         5巻 『聖』『栖』『哀原』
·         6巻 『親』『椋鳥』
·         7巻 エッセイ・翻訳(「愛の完成」『誘惑者』部分)
·         古井由吉自撰作品 河出書房新社 2012
·         1巻 『杳子・妻隠』『行隠れ』『聖』
·         2巻 『水』『櫛の火』
·         3巻 『栖』『椋鳥』
·         4巻 『親』『山躁賦』
·         5巻 『槿』『眉雨』
·         6巻 『仮往生伝試文』
·         7巻 『楽天記』『忿翁』
·         8巻 『野川』『辻』「やすみしほどを」(『やすらい花』収録)

翻訳[編集]

·         世界文学全集 56 筑摩書房 ブロッホ「誘惑者」 1967
·         世界文学全集 49 筑摩書房 ムージル「愛の完成、静かなヴェロニカの誘惑」(のち岩波文庫) 1968


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