目撃者  Ernst Weiss  2013.7.28.

2013.7.28. 目撃者
Der Augenzeuge

著者 エルンスト・ヴァイスErnst Weiss 1882年モラヴィア生まれ。プラハ及びウィーンの大学で医学を学び外科医として勤務。1913年世界周遊の旅から帰国後、処女小説『ガレー船』を刊行。14年第1次大戦が勃発すると、オーストリア・ハンガリー帝国の軍医として東部戦線に従軍。21年プラハからベルリンに移り、23年ごろから作家活動に専念。33年ヒトラー政権成立に伴いドイツを離れ、34年からはパリで執筆活動を続ける。40年ドイツのパリ占領時に自殺

訳者 瀬野文教 1955年東京生まれ。北大独文科修士課程卒。

発行日           2013.5.22. 第1刷発行
発行所           草思社

1次大戦に従軍し、毒ガス攻撃によって失明状態に陥っていた若者A.H.
医者としてA.H.と対峙し、この男の中に眠る全能感を呼び醒ました「私」が半生を語る――という形で綴られた異色の小説。第2次大戦へとひた走る危機の時代を、独裁者誕生の瞬間に立ち会った医師の視点で鮮やかに描き出す

A.H.=Adolf Hitler

橋の設計技師の息子。馬の蹄にかかったが、ユダヤ人カイゼルの医者の肋膜穿刺法が効いて一命をとりとめる
町にいたもう一人の"きちがいカイゼル枢密顧問官の精神科医の息子と親しくなる
父の設計した橋が崩れ落ち、父の贈収賄事件が発覚、最終的には無罪
母の叔父の支援で医学の道に進むことになったが、両親にかすめ取られ、結局頼ったのがきちがいカイゼルで、精神科に進む。そのままカイゼルの精神病院に勤務、第1次大戦勃発の際も兵役免除になっていたが、そのうちに応召、野戦病院で軍医として働く
1918年秋 野戦病院で出会ったのがA.H. ⇒ 自分で徹底的に調べて魂の底から理解して何らかの治療を施して治癒させようと試みた数少ない患者の1人。戦争中毒ガスでやられたと自ら主張している失明、不眠症で疲れ果て、ひどく興奮したバイエルン・リスト歩兵連隊の上等兵、連隊本部の命令で伝令兵を務めたいた。たえず不満をぶちまけては平穏をかき乱し、何かに憑りつかれたように患者たちを扇動する、まるで悪党の首魁のような人間。凄まじいユダヤ人嫌い。タバコ・酒を嫌う禁欲者。考え方は単純だが説得力あるもので、忽ち周りに浸透し、彼を取り巻く輪が大きくなっていった。ドイツ民族の天与の使命を阻害するものとして、暗黒のペスト、戦争の仕掛け人である「あのユダヤ野郎」を槍玉に挙げて憎悪せよと訴え、いつの間にか宗教に変わっていた。自己催眠にかかったまま、何も学ばず、何も疑わず、なんの新しい経験も掴もうとしない
自分が子供の頃肋骨を折って肋膜が破れた時、ユダヤ人カイゼルから命を救ってもらった奇跡の神業と同じように、この上等兵をひどい病の苦痛から解放してやろうとした
ドイツ国境に近いオーストリア出身だが、路上生活者から、ハプスブルクのために戦うことを拒否してドイツ軍に入隊
ヒステリー性の失明になった男の、人に認められたいと望む自己顕示欲を利用して、病気から救い出そうと無謀な思いに駆られた
検眼してみると角膜、結膜共に異常はなかったが、敢えて患者の眼が見えないことを認め、不眠を解消するための催眠術も眼が見えなければかけられないことを告げる。さらに、自分の意志の力で自然を超越することもできると暗示をかけたところ、見えるようになったと告白
休戦協定とともに、地元に帰還、患者の病状記録を持ち帰り、精神的、肉体的苦痛が人間にどのような影響を及ぼすのかの実例として、学術論文を書こうとしていた
戦後の窮乏生活の中で、ワイマール共和国の転覆によって戦前のドイツを取り戻す運動を画策していた仲間にA.H.のことを知らせる ⇒ A.H.は、バイエルンの軍隊で、戦争の発端となった11月革命の屈辱とバイエルン共和国の成立に関与した軍関係者を調査する委員に選ばれ、片端から誰かれなく審問して断罪に。さらに兵隊の教育係として社会主義や共和主義の毒の撲滅を期す一環としてユダヤ人について議論した際の催眠術効果は常軌を逸していた
「自分を導くのはドイツの血だ。この血は決して迷わない。だから自分も決して迷わない」と言ったが、彼が何者であるか、私にはわかっていた。なぜなら私は彼の目撃者であり、彼を呼び覚まし、この奇跡の人に最初の奇跡を行ったのは私だったから
彼の咆哮のような演説の前に会場の全員と共にひれ伏したが、1918年秋にしたことを一瞬後悔したのかもしれない
いずれ世の中に役立つはずと考え、A.H.に関する書類を湿原に隠す
私は、ユダヤ人を嫌っていた母の反対にもかかわらず、ユダヤ人カイゼルの娘と結婚
ソヴィエト国旗の一筆書きで書ける星をユダヤ教のシンボルのダビデの星と言い、収穫のシンボルであり平和の証である鎌をテロを意味すると偽ってみたり、アジ演説はでっち上げと嘘を塗り固めたものだったが、人々は疑うことをしなかった
1923.11.  A.H.が組織する一揆勃発 ⇒ バイエルンの警察によって鎮圧
A.H.に関する書類を隠し持っているという噂が広がり、警察が追跡を始める。私は、書類を郵便局留めで発送
一旦スイスに逃げるが、家族を連れに戻ったところで警察に捕まり、拷問の後ダッハウの強制収容所に入れられる
ナチ親衛隊で出世していた"きちがいカイゼルの息子が、夫の解放と引き換えに妻からA.H.に関する書類を巻き上げ、私は無事に収容所からの脱走に成功
34年にはスイスからパリに移動
カイゼルの息子も、私を放免したために大目玉をくらってパリに逃げてくる
暫くしてドイツの父が後妻とともに、匿ってくれていた子供たちを連れてパリに来る ⇒ パリで子供たちと一緒に暮らすようになるが、子供たちはすっかりA.H.崇拝に染まっていて、父親の全身の酷い傷を見てようやく目が覚める
スペイの内戦勃発を聞いて、劣勢の共和政府軍に加わるためにパリを発つ


訳者あとがき
ナチスに追い詰められて自殺した亡命作家の遺作が、年月を経たのち、ひょんなことで発見されて陽の目を見た。死後20年の時を経て、1960年代ドイツ文壇で復活
カフカトハセイシュンジダイノトモデアリ、トーマス・マン、シュテファン・ツヴァイク、ヨーゼフ・ロート、アルフレート・デブリンといった世界的な文豪とも交遊し、切磋琢磨し合う仲だった
『アドルフ・ヒトラー』などで名高いピュリッツァー賞作家のジョン・トーランドは、1977年本書の英訳が出版された時、「本書は重要な歴史的発見だ。フィクションの衣を着た驚くべき歴史の一幕である」と評した
著者は、1882年オーストリア帝国モラヴィアのブリュン(現チェコのブルノ)に、ユダヤ人織物商の父と教養豊かな母の間に生まれ、4人兄弟の次男。4歳で父を亡くすが、母方の叔父が後見人となって恵まれた教育を受けて育つ。
人間嫌いで孤独。兵役の後、各地の病院で外科医として勤務。肺結核となり船医として世界を回り、帰国後『ガレー船』を書いて文壇デビュー、当時最先端の放射線医学を題材に織り込み注目を集める。この直後カフカと知り合う
1次大戦にオーストリア・ハンガリー帝国の軍医として東部戦線に従軍し、この時の戦場体験がヴァイスのその後の人生に大きな影響を与える
戦後しばらくプラハで外科医として勤務しながら執筆を続けた後、21年ベルリンに移住、23年ごろから執筆に専念
1928年 アムステルダムオリンピックに際して催されたオリンピック芸術コンクールで銀メダル ⇒ 青春小説の中の馬の調教シーンが馬術競技への貢献として評価
1930年 10年に渡る文学活動が評価され、アーダルベルト・シュティフター賞受賞
1933年 ヒトラーの政権掌握と共にプラハに移り、34年母を看取った後パリに移住
小説を続けるが、作家活動の場を無くして孤独と窮乏に沈み、仲間に支えられてどうにか食いつなぐが、パリ陥落により心神喪失が嵩じて生きる希望を失い、トーマス・マンがアメリカ亡命のお膳立てをしたが拒否、直後に自殺
本書はこうした絶望の中で書かれた、まさに遺作
ヴァイス自身もパリに亡命中、軍医としてスペイン内戦に志願する積りだったが、健康状態の悪化がそれを許さなかった
ヴァイスの下にヒトラーの秘密を持ち込んだのは、エトモント・フォルスターという精神科医。1918年秋ベルギー戦線でイギリス軍の毒ガス攻撃を受けて負傷したヒトラー上等兵は北ドイツ・パーゼヴァルクの野戦病院に運び込まれ、フォルスターから「ヒステリー症状を伴う精神病質者」と診断されるが、彼の催眠治療によって視野を取り戻したばかりか強烈な暗示をかけられて娑婆に戻される。ヒトラーの過去を知るフォルスターは33年にナチスが政権を握るとゲシュタポに狙われ、同年9月に追い詰められて自殺するが、自殺の直前、一時パリに逃れユダヤ系亡命作家サークルにヒトラーの診断書を託していた。その作家仲間にヴァイスもいて、同じ精神科医であるところから意気投合、秘密の診断書を預かる。フォルスターは1878年ミュンヘン生まれ、第1次大戦に海軍野戦病院精神科に勤務、189月にパーゼヴァルクのプロイセン予備野戦病院精神科の主任医として配属されヒトラーに出会う。フォルスターの型破りの性格と強烈な個性が治療の際圧倒的な役割を果たしたと伝えられる
ヴァイスも戦争を体験したが、戦争体験は極限状況に魂を奪われた者たちに埋まらない溝を残した。フォルスターはその溝を埋めるために催眠療法の研究開発に異常なまでの執念を燃やしたし、ヒトラーはゲルマン民族による千年王国を打ち立てることで溝を乗り越えようとし、ヴァイスは破綻した精神を救えるのは文学しかないと信じ、医者を辞めて小説を書いた
パリでの耐乏生活の最中の38年、アメリカの文化振興団体がドイツ語圏の亡命作家支援のために懸賞小説を募集しているのを見て、大急ぎで執筆に取り掛かり5週間ほどで書き上げ、「ろくに見直しもせずに」ニューヨークに発送したのが本書。そのせいか話の筋にむらがあり、表現にも緻密さを欠いて受賞には至らず。ツヴァイクのアドバイスを受けながら「完成版」を書き上げるが、完成稿は失われ、ツヴァイクのアドバイスの内容も残っていない。本書はその「第一稿」。第2次大戦後出版代理業者の手でヨーロッパに持ち帰られたが、ナチ残党の勢力がまだ残っていた時で何処も引き受け手がなく、63年漸くミュンヘンの小さな出版社から初版200部で刊行
生身のヒトラーが登場する唯一無二の小説ということもあり、世紀の大発見として文壇にセンセーションを巻き起こし、それを機にいくつもの大手出版社がこのカフカの影を宿した幻の亡命作家を取り上げるようになった
本書発掘のきっかけとなったのは、ベルンハルト・ホルストマンという1919年生まれの元ドイツ国防軍の将校で、第2次大戦末期に反ヒトラー抵抗運動に参加してゲシュタポに逮捕され、処刑寸前に終戦を迎え奇跡的に生き延びたというナチス時代の稀少な生き証人が著わした『パーゼヴァルクのヒトラー、催眠とその結果』 80歳を迎えてから後世への遺言として同書を執筆、パーゼヴァルクの病院で過ごした「謎」の28日間に焦点を当て、フォルスターがヒトラーに行った催眠治療について詳しく述べている





2013515 () 草思社書評
目撃者
1976
ルンスト・ヴァイス著 瀬野文教
46判上製/336頁/定価2940円/20135
 ナチスに追いつめられて自殺した亡命作家の遺作
 この作品の著者エルンスト・ヴァイス(1882年~1940年)は戦間期のドイツ文壇で活躍したユダヤ系作家で、『目撃者』は彼がパリで自殺する直前に書き上げた作品です。フランツ・カフカとは青春時代からの友人で、トマス・マンやシュテファン・ツヴァイクといった作家たちとも交遊し切磋琢磨しあう仲だったヴァイスですが、この作品は長いあいだ歴史の闇の中に埋もれていました。本作品がドイツで刊行され、生身のヒトラーが登場する小説として話題になったのは、その死から四半世紀近くが過ぎた1963年のことです。
 第一次世界大戦後のベルリンで前衛派の旗手として活躍していた著者は、ヒトラーが政権をとったのを機にドイツを離れ、パリに移住しました。しかし異国での暮らしは多難なもので、時に旧友のツヴァイクに資金援助を受けるまでに経済的にも困窮していたといいます。そんな生活の中で、アメリカの文化振興団体がドイツ語圏の亡命作家支援のために懸賞小説を募集しているのを知って書き上げたのがこの『目撃者』でした。結局、この作品は受賞を逃し、まもなくヴァイス自身も自死を遂げたために、この小説は長いあいだ、陽の目を見ることがなかったのです。
 戦場で毒ガス攻撃を受け失明状態に陥っていた「A・H」を治療し、この男の中に眠る全能感を呼び醒ました医師が半生を語る――という形式で展開するこの異色の小説は、ヒトラー研究者のあいだでも大きな反響を呼びました。『アドルフ・ヒトラー』などで名高いピューリッツァー賞作家のジョン・トーランドは、本書の英訳がアメリカで出版されたさい、「エルンスト・ヴァイスの『目撃者』が出版されたことは重要な歴史的発見だ。これはフィクションの衣を着たおどろくべき歴史の一幕である」とさえ評しています。本書が1930年代末というナチスの最盛期に書かれたことを意識しながら読んでいただければ、この作品の持つ意味がより深く理解できるのではないかと思います。第二次世界大戦へとひた走る危機の時代、その時代の気配を濃密に味わうことのできる一冊です。


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