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内閣調査室秘録  志垣民郎  2020.2.20.

2020.2.20. 内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男 著者 志垣民郎(ミンロウ) 1922年東京生まれ。旧制東京高等学校、東京帝国大学法学部卒。43年の学徒出陣に召集され、中国戦線に従軍。復員後、文部省などを経て、52年から内閣総理大臣官房調査室勤務。第5部、第3部、第1部主幹を歴任。78年に退官後は、社団法人国民出版協会会長、千代田管財株式会社(現ALSOK保険サービス株式会社)社長・会長を務めた。父・寛は生活綴り方運動の指導者の1人、志垣太郎は妹の子 編者 岸俊光 1961年愛媛県生まれ。全国紙記者。学芸部の論壇記者や論説委員を務める。NPO法人インテリジェンス研究所特別研究員。日本の非核政策研究により早稲田大学で博士号(学術)を取得 発行日 2019.7.19. 第1刷発行 発行所 文藝春秋 (文春新書) 表紙裏: 内閣調査室は本当に日本を親米反共国家にするための謀略機関だったのか――創設から70年近くたった今日でも、なお闇に包まれた戦後史最後の謎を解き明かす第1級の資料! 内側の創設メンバーの1人が残した詳細な記録と手記をここに公表する 編者による前書き 内閣調査室(内調、現内閣情報調査室)は67年前の発足当初から、そのありようが議論の的になってきた政府機関 52年、内閣総理大臣官房調査室として新設 この首相直属の情報機関を取り上げた著作は多数あるが、代表的なものは61年『文藝春秋』連載の『深層海流』のほか、内調を厳しく追及してきたジャーナリスト吉原公一郎が内調の元職員から内部文書を入手し自らの著作に利用した『小説日本列島』『謀略列島 内閣調査室の実像』など 『深層海流』は『日本の黒い霧』の続編、占領下の奇妙な事件、下山事件、帝銀事件、松川事件や朝鮮戦争などを取り上げ、一貫して背後にGHQの謀略があったとしており、一部からの反発に対して清張は「帰納的にそういう結果になったに過ぎない」と釈明したが、『深層海流』でも連載終了後に執筆の意図を、「占領政策は終わったが、安保という形で継続されている。情報それ自体の蒐集は、国策運営上当然だが、内調の役目がその辺を逸脱して謀略性を帯びていたとなれば、見逃すわけにはいかない」と述べている 清張も吉原も、内調によって、日本を「親米反共」国家にしようという力が作用していたことを...

背高泡立草  古川真人  2020.2.15.

2020.2.15.  背高泡立草 著者 古川真人 ( まこと )   1988 年 福岡市 生まれ。 横浜市 在住。高校時代に小説を書き始め、 國學院大学 では近代 日本文学 の研究会に所属した。 2016 年、『縫わんばならん』で 新潮新人賞 を受賞しデビュー、 芥川賞 候補に。今回で 4 度目の候補 発行日              2019.10.  『すばる』 10 月号 発行所              文藝春秋 20 年以上も前に打ち捨てられてから、誰も使うものもないまま荒れるに任せていた納屋の周りの草を刈るために、老婆の子ども 3 人の家族が島にわたって草刈りに精を出す 戦前、夫婦が住んでいた家は、次男だった夫が所帯を持つにあたって、妻の大叔母が住むこの家を買い、子供を 4 人育て、実家から譲られた耕地から得られるもので暮らしていた。大叔母の家族が皆大阪に移り住んでしまったため、先の短い老婆を看取ることが暗黙の条件となって、夫は家を安く譲り受けた。その老婆は 1 年前に死んでいた 夫は、このまま大叔母のようにここで死ぬまでいることを思うと鬱屈するものがあって、最初の子どもができた後、大阪に出ないかと言い出し、次いで妻の親類から来た手紙に、奉天で成功した知り合いのことが書いてあるのを読んで、滿洲へ渡ろうと言い出す 妻の実家を介して、近くに住んで酒屋を営んでいた男に空き家を買わないかという話が持ち掛けられ、統制が厳しくなって酒屋の看板を下ろしたばかりの男は手狭な家を売って引っ越して移り住むことに決めた ( この 1 段落のみ何の脈絡があるのか不明 ) 戦時中働かされていた本土の工場から、終戦直後に船で釜山に逃げる 鯨漁のとどめを刺す刃刺 ( はざし ) の話。江戸時代松前に出稼ぎに行った男が島に帰ってきた 漁師で飲んだくれの父親と暮らす中学生の男の子。かつ上げを繰り返したテニス部の先輩たちの共犯として捕まり、父親と大喧嘩。母はとうに家を出て、兄も横浜でバーテン...