NHK 鉄の沈黙はだれのために  永田浩三  2020.10.11.

 

2020.10.11.  NHK 鉄の沈黙はだれのために 番組改変事件10年目の告白

 

著者 永田浩三 1954年大阪生まれ。住吉高、東北大教育学部教育心理学科卒。77NHK入局。81年ラジオ・ドキュメンタリー《おじいちゃんハーモニカを吹いて》で芸術祭賞・放送文化基金賞。ディレクターとして《ぐるっと海道3万キロ》でアジア放送連合賞、NHK特集《どんなご縁で》でテレビ技術大賞、91年からプロデューサーとして《クローズアップ現代》《NHKスペシャル》を担当。《ETV2001》ではシリーズ《戦争をど裁くか》の編集長。02年国谷裕子キャスターらとともに《クローズアップ現代》で菊池寛賞。NHKアーカイブス・エクゼクティブディレクターを経て09年から武蔵大社会部メディア社会学科教授。精神保健福祉士

 

発行日           2010.7.25. 第1刷発行

発行所           柏書房

 

事件から10年がたとうとしているいま、あらためて、NHKはだれのためにあるのかを問いたい

沈黙は何も解決してくれない

毎日毎日人の道を説き、社会のありようを提言し続ける放送局が、ふだんの多弁とはうって変わって沈黙を守り続けるのは、どう考えても不自然だ

いま、すべてが語られねばならない

番組はなぜあれほど無残に書き変えられたのか

事件後になにがおこなわれ、なにがおこなわれなかったのか――

 

 

Ø  事件の現場にいた人々

本書は、01年放送のNHK教育テレビ《ETV2001》シリーズ《戦争をどう裁くか》の第2回《問われる戦時性暴力》の内容が、国会議員らの圧力によって放送前に改変された事件について、当時NHKの番組担当プロデューサーだった私の体験と、その思いを綴ったもの

ETV2001》シリーズは、月~木放送の定時番組で、視聴率は0.6%ほど

放映されたのは、国会でNHKの予算や事業計画の審議が始まる直前

テーマは慰安婦問題。前年末開かれた「女性国際戦犯法廷」の意義を考える内容

l  松尾武放送総局長 ⇒ ドラマのプロデューサー出身、すべての報道と番組の責任者。個別の定時番組の編集にまで関わることはまずない

l  伊東律子番組制作局長 ⇒ 報道以外の番組制作の総責任者。分野が広いだけにそれぞれの番組に直接関わることは決して多くない。青少年・家庭番組のディレクター出身

l  吉岡民夫教養番組部長 ⇒ 教養番組のディレクター・プロデューサー出身で、ドキュメンタリーを得意とする辣腕

l  永田浩三 ⇒ 吉岡の下で統括プロデューサー。《ETV2001》シリーズ編集長。先々の企画や、番組の品質管理が主な仕事

l  長井暁 ⇒ デスク。私とタッグを組んで、番組内容やスケジュールの管理、制作スタッフや設備使用の手配を取り仕切る。《ETV2001》シリーズは部所属のディレクターが作っていたが、《戦争をどう裁くか》の時は外部の制作プロダクションに一部外注

l  林勝彦 ⇒ 関連会社NHKエンタープライズのチーフ・プロデューサー。女性法廷の企画を持ち込んだため、番組制作を委託、エンタープライズはドキュメンタリー・ジャパンに再委託

l  広瀬涼二 ⇒ ドキュメンタリー・ジャパン代表。ドキュメンタリー分野の名プロデューサー。本番組の企画提案書を書いたのは彼の部下の坂上香ディレクターで、制作は広瀬の下にいた甲斐亜咲子ディレクター

l  野島直樹 ⇒ 総合企画室担当局長。政治部記者出身。国会対策の責任者

 

Ø  わたしたちはいまも過ちを続けている

本書でやりたかったこと、1つは出来事の検証、もう1つは、事件後の9年間になにがおこなわれ、なにがおこなわれなかったのかをふり返ること

わたしたちはいまも過ちを続けているのではないか、そう思えてならない

 

Ø  伊東律子さんの死、永遠の沈黙のはじまり

09年末、伊東律子死去

NHKの公式見解では、番組内容に不安を抱いた伊東が、当初予定の44分を放送直前に3分カットさせ41分の番組にして放送されたことになっている

理解のある上司だったが、意を決して理事室で、あのとき何があったのかと迫ると、目に涙をためながら逆切れし、遂に口を開くことはなかった

女性法廷については、定時ニュースでも取り上げられ、右翼が動き出していたため、制作会社の粗く編集したバージョンを吉岡と一緒に試写をすると、手に負えないと判断した制作会社が編集作業から手を引き、教養番組部で編集を引き取る

高裁判決の後、伊東に会って放映直前の改変が誰の指示だったのか問い質すと、会長だとの返事。伊東は業界の花形だったが、発言に重みは感じられない人

 

Ø  楽観主義と議論不足が火種を生んだ

林・広瀬のコンビとはうまく連携していたこともあり、難しいテーマだったが取り上げ、吉岡もかつて同じテーマで取材撮影トラブルから放映できなかった経験もあって、今度こそということでゴーサインが出た

ネックは天皇の戦争責任の取り扱いで、永田の方からは歴史的に考察してほしいと依頼したつもりだったが、制作現場は、法廷さえしっかり撮れれば天皇の戦争責任は問題ないと受け止めていた ⇒ NHK内部での裁判対策の場で、制作現場の未熟さに責任転嫁

根拠を欠く楽観主義をベースに、リスクについて議論も深まらないまま取材撮影に突入した段階で、既に大きな問題が芽生えつつあった

 

Ø  番組はこうして改ざんされた

吉岡同席のもと初めての試写で、「このままではアウト。お前たちは嵌められた」と容赦ないコメントとなり、大幅に編集をし直したが、これも法廷との距離が近すぎると言って却下、永田も制作会社を守れず決裂し、素材をNHKが引き揚げた

吉岡の指示もあって再度の編集が行われるが、その頃右翼からの攻撃が激化したことに合わせるように、NHK幹部たちが番組制作に口を出すようになる

3回目の試写が伊東の部屋で行われ、野島・松尾が同席、特に3人に異論はなかった

吉岡もこれで決まりといい、松尾もこのまま任せると言ったが、万一に備え前日の試写を決めるが、直後に右翼から脅された野島からの指示で、女性法廷に批判的な人のインタビューも入れろとなって、秦郁彦が加わる。伊東は中川昭一の指示だと吉岡や永田に説明したが、なぜか番組放映後だと証言を翻した

翌日、午前午後2回にわたって右翼が押し寄せ、午後は迷彩服の愛国党員ら30人がNHK放送センターに乱入

放送前日の第4回目の試写で、安部との面談から戻った野島が「全然ダメ。話にならない」と言って、吉岡を入れた4人で密談、吉岡は「勝手にやれ」と言って席を立つ

野島は、「毒食らわば皿まで」と言って安部からの指示に従って内容を変えていった

解説部分の米山氏の発言は無残に作り変えられ、順番まで入り繰ったので、脈絡がつかなくなり、米山氏は翌年BRCに訴え、私は委員の1人から厚顔無恥だと罵倒され、訴えは認められたのは当然のこと

放映開始の4時間前に吉岡が松尾・伊東に呼ばれ、「自民党は甘くなかった」と言って更なる削除を言い渡されたため、永田は松尾に直訴に行くが、「責任を取る」の一点張り、最後の編集が終わったのは開始時間の1時間半前

放送の2日後、ETV班の全てのプロデューサーとデスクに顛末を伝え、出来るだけ真実を知ってもらおうと努力。伊東や吉岡も自分の胸にしまってはおけず、番組改変の事実が世の中に知られるようになったのは、永田や長井が不満をぶちまけたからではなく、それよりずっと前から自分たちは悪くないことを示すためいいろんなところで事件について口にしたから

 

Ø  やがて虚しき裁判の日々

1週間後の自民党総務部会は、海老沢を始めNHK幹部たちを激しく追及。中川は「偏向番組だ」と攻撃を続けた

米山氏からは、「自分の発言がどう使われたのか、正確に文字に書き起こしたものを送れ」との依頼が来たが、総務部門の指示でエッセンスしか送っていない

番組に協力して出演してくれた有識者からも、内容の大幅な改変に、「検閲」のような権力的な圧力が加わったのではないかとの、本質的な疑問が次々に飛んできたし、米山氏への謝罪と名誉回復の要請もあったが、NHKを楯に不誠実な反応しかできなかった

半年後、長い裁判が始まる。市民とメディアの協働のありようを問うていたのではないか。争点を、被取材者の「期待権」のような本質とかけ離れたところに置き、議論を矮小化したために、私たちはメディアの大いなる成長の機会を失ったのではないか

NHKの裁判体制の中で、私心は総て封印して、筋書きに従い証言台に立つ

高裁の結審直前に朝日のスクープで事態は一変。長井氏の記者会見によって、裁判で争う枠組みそのものが変わり、証言台では正直に答える覚悟が出来た。永田が記憶している上層部の言葉を何れも当事者は否定、あるいは記憶にないという

証言台に立って初めて、元慰安婦の人たちへの思いや、制作現場で苦しみ抜いたドキュメンタリー・ジャパンの尊厳について言及することが出来た

早速参院総務委員会で自民党議員が、NHKの公式見解があるにも拘らず伝聞に基づいて裁判の席で証言するのは問題と指摘され、NHKの橋本会長は謝罪し、処分に言及、番組制作の現場から外された。プロデューサーに昇格していた長井氏も放送文化研究所に異動

高裁は、NHKが憲法が尊重し保障する編集の自由を濫用し、逸脱して、変更を行った、政治家の意図を忖度して、何より大切な編集権を自ら放棄したと判断

最高裁では、判決が出る前からひっくり返るとの声がもっぱら。まもなく始まる裁判員裁判制度を国民に伝えるためにNHKに協力してもらいたい最高裁は、NHKに厳しい態度は取れないとも言われた

最高裁のNHK勝訴の判決を見て、労組も見解を出したが、本質を見誤っている。NHKと政治との距離、取材・制作現場がどこまで尊重されるかこそがこの事件で問われていることの本質なのだ

BPOは、番組改変はNHKの自主自律を危うくする行為と断じたうえで、NHK自身の手による検証と、放送現場の若手たちの議論を求めているが、NHKは音なしの構え

 

Ø  だれが真実を語り、だれが嘘をついているか

高裁結審の直前、朝日の政治圧力があったとするスクープが載り、翌日行われた長井氏の記者会見は衝撃的

長井氏が語ったのは、「前年末、一連の不祥事を経て作られた「NHKコンプライアンス通報制度」に基づいて通報をし、不正行為を調査し公表するよう求めたが、調査するとの連絡はあったものの1か月たっても関係者へのヒアリングすら行われていないことから、会長や側近が関わる不正行為は公表することがないことが明らかとなった。制作現場への政治介入を恒常化させてしまった海老沢会長と、国会・政治家対策を担当する役員や幹部の責任は重大。NHKが真の改革を実行し、視聴者の信頼を回復するためにも、最低限今回の不正行為について調査を行い、公表し、海老沢会長と全役員が責任を取るべき」

海老沢会長になってから、放送現場への政治の介入が日常茶飯事のように起こるようになった

真相を自分たちで究明すべく、職員有志が終結して、手分けして事件当時の状況を洗い出し、まとまったところで第1弾として、NHK理事会に対し、「制作現場有志」の名で、「ETV2001年問題から考えた提言」を提出、年末には大部の記録が完成したが、なぜかそれがバウネットの手に渡り、高裁の最後でそれに基づいて尋問されることになった

放映直前に安部から呼ばれて野島と松尾が説明に行った経緯についても、NHK側から出向いたことにしようと上から圧力をかけて口裏合わせをさせられた吉岡が、制作現場に戻ってきて不満をぶちまけていたのに、後になって自分の思い込みだったと証言を翻した吉岡の気持ちは不可解

朝日のスクープを受けて、松尾は記事内容を全面的に否定、NHK《ニュース7》はそれまで公共放送であるNHkが作り上げてきた客観報道、ニュースの話法を大きく逸脱した。ある意味で異常なニュースを流した。NHKは正しく朝日の記事は誤りだと、一方的に語った。NHKのニュースは松尾と心中したと言っていい。東大石田英敬教授も、「私たちが受信料で育み、慣れ親しんできたNHKニュースとは全く異質のもの」だとし、「NHKニュースの死」とまで表現

中川もそれまでの発言を覆して、放送前にNHK幹部と面会したことを否定

朝日のスクープのもとになった録音テープなど、内部調査文書がジャーナリストの魚住昭に流れ、それが月刊誌に発表されたが、内容は朝日の記者の取材した内容と完全に合致

完全に勝負あったはずだが、メディアの世界は全く違った反応を示す。松尾と安部・中川の証言がほぼ一致している上、朝日記者の取材方法に問題ありとして、NHK対朝日に対しNHKに軍配を上げ、一部の新聞、雑誌が朝日記者や永田・長井を「反日・偏向プロデューサー」としてのバッシングを始める

 

Ø  慰安婦問題と天皇の戦争責任について

NHKはこれまで、歴史、特に現代史をどのように扱ってきたのか

60年代の《教養特集》の《日本回顧録》(6265)では、開戦当時の当事者が出演して、持論を語り、聞き手の突っ込み不足は否めず、限界を感じさせた

70年代に入ると、発掘された公文書に基づき、より踏み込んで歴史の空白を埋めようとする番組が作られ始める。《熊本県公文書が語る水俣病》(77)はその代表格。公文書を深堀し、元知事に迫り、国民の知る権利に奉仕する記者の執念と努力に感銘を受ける

盗聴の録音盤の発見をもとに二・二六事件に迫った《NHK特集―事件秘録》(76)など、歴史番組は着実に進化

新発見の文書や物証を手掛かりにしながら関係者が語るという手法は、教養番組だけでなくNHKの様々な部署で揺るがない番組制作の基本手法として継承

90年代に入ると、慰安婦問題について番組が盛んに作られるようになり、慰安婦たちの証言をもとに制作された番組に世間は衝撃を受け、政府の対応も始まる。物証はほとんどなく、頼れるのは当事者の証言だけ、裏が取れないなかで、最終的に問われるのは取材者の判断であり、判断のベースとなる圧倒的な知識

女性国際戦犯法廷についても誤解されて伝わる情報が少なくない。手本はベトナム戦争を止めさせる原動力の1つとなったラッセル法廷であり、70年代のイタリア常設民衆法廷であり、特に前者はバートランド・ラッセルが提唱、サルトルやボーボワールも参加、大衆運動と結びついた民間法廷という新たな運動形態の可能性を世界に発信

昭和天皇の戦争責任について、85年放映された《ドキュメント『東條内閣極秘記録』密室の太平洋戦争》の取材で、1000日余りの首相秘書官の克明な記録を読み、戦局が不利になるなか天皇の前で参謀たちの作戦会議が何度も開かれていたのを知り、実態としての天皇のイメージが養われたように思う

国家の大義の前には、手続きの不当さ、乱暴さなどは不問、弾圧という意識すらない。権力側の人間は極端にナイーブで彼等の方が孤立している

時代が変わって、慰安婦問題に対する向き合い方を見ても、事実に向き合えず意気地がないように見えるのは権力の側だという気がする

番組制作開始前の全体会議で、伊東から指示があったことの1つに、女性法廷の主催者バウネットとは一定の距離を保ち、NHKエンタープライズのディレクター・池田恵理子とは関わらずに番組を作れということ。池田は慰安婦問題に最も真剣に取り組んできた人だったが、バウネット側に立っている以上直接関わることには慎重でなければならないと思っていたが、そもそも番組である問題をテーマに企画するとき、その問題に取り組んできた専門家なくして番組は成り立たないはずで、その道のオーソリティと適切な距離を取るということ自体がおこがましく、取材の現実とかけ離れた空論ではないか。おんぶにだっこで具体的なケースを全て紹介してもらって番組を作りながら、最後に偉そうにまとめたり、後からバッサリと斬るのが今のジャーナリストたちの現実。冷静さは必要、客観性も必要、公共の電波を活動のプロパガンダに使ってはならない、その通りだ。が、実際起こっている生々しい状況を取材するなかでそんなクールな態度を貫けるものだろうか

NHKアーカイブスに問題の番組は削除され、NHKは何の問題もないと言いながら、番組がなかったかのような状態になっているのは腑に落ちない。NHK上層部は、BPOが米山氏に対する放送倫理違反を認定したから職員も見ることが出来ないと説明、詭弁は許し難い

 

Ø  番組制作の現場を離れるとき

06年、制作現場を離れ、アーカイブスをどう活かすか考える仕事を任される

武蔵大学のメディア社会学科の教員に応募して、社会人講座でアーカイブの可能性について話す。バウネットの共同代表とも一緒に市民集会で議論

 

Ø  これからの放送、これからの言論のために

ある会合で番組改変が話題になった時、加藤周一が、事件の真相がまだ不明だったのでそれには触れずに、政治家の公共放送への圧力に関して3つの寓話を話した

1つは、80年代の英国保守党の大物がBBCの「偏向報道」を糾弾、どの新聞も政治家とBBC会長との大論争を一面で詳しく伝える

2つ目は、ニクソン政権下のアグニュー副大統領が州知事時代の収賄事件についてある新聞社とバトルになったが、ほかの新聞社がスクラムを組んでニクソン政権と対峙

3つ目が30年代後半の日本、ニ・二六から真珠湾まで、間違いなく何かが変わろうとしていたこと

加藤氏が3つの寓話を紹介した意図は明白で、改変事件は言論の自由を揺るがす出来事だったという自覚を忘れてはいけないということ。加藤氏の拘りは、常に民主主義とメディアのありように向けられていた

核兵器持ち込みに関する日米の密約、沖縄返還に関する密約について、政権交代を実現した民主党の主導で調査報告書がまとめられ、「嘘を含む不正直な説明」が続いてきたと断定

謎を解き明かすきっかけの1つが、佐藤首相の密使を務めた国際政治学者・若泉敬の著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で、英訳が決まった日、周囲の人たちに「沖縄に申し訳ない」と言い遺して服毒自殺

権力の側にある人間には、いつも民衆へのシニシズムがある。国家に秘密があるのは当然で、国民にすべてを知らせる必要はない。こうした考えは大手メディアにも浸透していき、遂にはメディアも共犯者になっていった。それが沖縄密約の本質。密約の問題が明らかになった時、安部はこう云ったそうだ、「秘密を暴露するのではなく、国家の安全を守り続けたことを評価すべき」

 

 

 

「NHK、鉄の沈黙はだれのために」書評 意思決定の真相に当事者が迫る

評者: 中島岳志 新聞掲載: 2018.6.8.

NHK、鉄の沈黙はだれのために 番組改変事件10年目の告白著者:永田 浩三出版社:柏書房ジャンル:産業

2001年にNHKで放送された「戦争をどう裁くか」の第2回「問われる戦時性暴力」の内容が、国会議員らの圧力によって放送前に改変された「番組改変事件」。当時の番組担当プロデ

 NHKの番組改変事件から10年がたとうとしている。ETV2001特集「戦争をどう裁くか」の2回目「問われる戦時性暴力」が、直前に改変されたこの事件は、大物政治家からの圧力問題にまで発展した。
 番組が扱った内容は、慰安婦制度の責任を議論する「女性国際戦犯法廷」。2000年12月に都内で開催された民間法廷で、一部の右派が強く反発した。
 著者はこの番組の担当プロデューサー。現在は、既にNHKを離れている。
 本書は、事件の当事者が「改変」の真相に迫るドキュメンタリーだ。彼は、当事者でも知ることができなかったNHK幹部の意思決定にメスを入れる。自分が直面した問題と向き合い、事件の暗部を掘り下げる。
 問題の焦点は、政治家からの圧力の有無と幹部の意思。公共放送であるNHKは、事業計画や予算が国会で審議され、承認を必要とする。そのため、権力との距離が常に問題になる。
 この番組に対しては、一部の政治家が「偏向している」との懸念を示した。右翼によるNHKへの抗議が激化する中、幹部は与党政治家と会談を行い、番組改変の流れが加速する。
 事件後の高裁判決と局内有志の検証では、幹部の行きすぎた忖度(そんたく)が問題視された。政治への過剰反応が具体的な改変へとつながり、重要な場面のカットが断行されたというのである。
 著者はさらに深く真相に切り込む。改変の意思決定の中心人物の一人に伊東律子番組制作局長がいた。著者は伊東氏に真相を聴き出すべく迫った。
 伊東氏は沈黙の後、言った。「じゃあ言うわよ……。会長よ」「えっ、海老沢会長ですか」「そう、会長。それ以上は言えない」
 伊東氏は昨年、鬼籍に入った。当時の放送総局長は一切を語らず、海老沢氏も沈黙を続けている。
 著者がこじ開けようとしても揺るがない「鉄の沈黙」。問題の核心が見えないまま、事件は忘却されようとしている。
 メディアと権力、そして表現の自由の揺らぎ。我々は、この事件を放置してはならない。
 評・中島岳志(北海道大学准教授・アジア政治)
   *
 柏書房・2100円/ながた・こうぞう 54年生まれ。元NHKプロデューサー。武蔵大学教授。

中島岳志(ナカジマタケシ)東工大リベラルアーツ研究教育院教授=南アジア地域研究・政治思想史

1975年生まれ。著書に「中村屋のボースインド独立運動と近代日本のアジア主義」「ヒンドゥー・ナショナリズム印パ緊張の背景」「パール判事東京裁判批判と絶対平和主義」など。

 

 

 

 

 

 

 

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