バンヴァードの阿房宮  Paul Collins  2014.12.30.

2014.12.30. バンヴァードの阿房宮 世界を変えなかった十三人
Banvard’s Folly Thirteen Tales of People Who Didn’t Change the World 2001

著者 Paul Collins 1969年ペンシルヴェニア州バーキオメンヴィル生まれ。アメリカの作家、編集者。少年時代から本に埋もれて過ごし、大卒後市民大学の講師などをしながら様々な雑誌にエッセイを寄稿。古書に関する膨大な知識を基に書き上げた本書を01年発表。

訳者 山田和子 1951年生まれ。翻訳家・編集者

発行日           2014.8.10. 印刷     8.20. 発行
発行所           白水社

19世紀にミシシッピ川流域の風景を描いた巨大パノラマがでアメリカ、ヨーロッパを巡業、巨万の富と名声を得ながら今日まったく忘れられた画家、新発見のシェイクスピア劇の上演で大騒動を巻き起こした贋作者、トンデモ学説の元祖(地球空洞説)の提唱者、驚異の放射線”Nを発見した物理学者、でたらめの台湾語と奇怪な逸話満載の『台湾誌』でロンドン社交界の寵児となった偽台湾人、幻のニューヨーク空圧式地下鉄計画の推進者などが次々登場。壮大な夢と特異な才能を持ちながら、運が悪かったのか、それとも何かが間違っていたのか、世界を変えることなく歴史から忘れられた偉人たちの数奇な人生を紹介したポートレート集

まえがき
歴史の脚注の奥に埋もれた人々。傑出した才能を持ちながら致命的な失敗を犯し、目のくらむような知の高みと名声の頂点へと昇り詰めた後に破滅と嘲笑の只中へ、あるいは全き忘却の淵へと転げ落ちた人々。そんな忘れ去られた偉人たちに惹かれ続けてきた
勝利したイノベーション、その栄誉を勝ち得た一人ひとりの背後には必ず、同じ夢を追求して敗れた者がいる。この敗者達はタイミングが悪かったのか。歴史上の勝利者たちの推進力である非情なパーソナリティが欠けていたのか。あるいは、彼等が最終的に敗北に至ったのは、そのアイディア・思索そのものの素晴らしさとはほとんど関係のない、当人の性格的な弱さによってであったのかもしれない

1.    バンヴァードの阿房宮 John Banvard (1815-1891)
1人の人間の生涯で、バンヴァードほど高みにまで上り詰め、なおかつ完璧な失墜を遂げた例は他にない。1850年代のバンヴァードは世界一有名な画家であり、恐らくは絵画史上初の億万長者の画家。同時代人はこぞって大喝采を送り、その才能も財産も偉業も何もかもが永遠不滅のものと思われた。それから35年後、彼はダコタ準州の侘しいフロンティアの町の貧窮者墓地に葬られた世界中に知れ渡っていた彼の作品は悉く廃棄され、様々な参考書を調べても彼の名に言及しているぺージは見つからない
10代で父親が急逝、破産状態で放り出され、ショーボートに乗り込んでアルバイトするうちに、一座を立ち上げ
円筒状の周面に描いた風景画などを内部から見るようにした透視図法を利用した動くパノラマを手掛ける ⇒ ヴェネツィアやエルサレムに題材をとった自作の風景画を使って製作
ミシシッピ川を全域にわたって探検、その経験を辺境図として、大型の動くパノラマを完成させたところ大成功、東海岸にまで進出し、僅か1年で巨万の富を稼ぐ
ヘンリー・ワズワース・ロングフェローも、このパノラマを見てそのリアルさに感激した1人、叙事詩『エヴァンジェリン』(1847)で行ったこともないミシシッピ川のことを書いたばかりか、小説『カヴァナー』でも、未来のアメリカ文学が規範とすべき人物像として再度言及している
ボストン、ニューヨークでの成功に続き、英国へ渡り、ウィンザー城にも招かれて王室の認証も獲得、ロンドンでの20か月に亘る公演は大成功裏に終わり、チャールズ・ディケンズも「貴下の絵には、これ以上ないほどに感動し、楽しませていただいた」と絶賛の手紙を送る
ナイルやパレスチナのパノラマも作成、8年間で世界一有名な現役の画家となり、史上最も裕福な画家となったバンヴァードは、1852年ロングアイランドに戻ってコールド・スプリング・ハーバーに豪壮な邸宅を構える ⇒ バンヴァードの阿房宮”(秦の始皇帝が建てた大宮殿で、転じて、大金をかけたバカげた大建築の意)と呼ばれる
さらに10年間、事業は拡大を続ける
当時、漸くアメリカでは美術館や博物館が出来始めた頃で、詐欺まがいの安手の模倣と卓越した宣伝で次々と成功した希代の興行師に対し、義憤を感じたバンヴァードが対抗して立ち上がり、民間の出資を募って巨大博物館を建設し、自らのコレクションを展示したが、資金繰りが悪化して破綻、安房宮も競売の対象となり、一文無しとなって辺境の地に戻っていく
再度復活をかけてパノラマの製作に取り掛かるが、1886年にはエジソンの映画の発明によって時代遅れとなり、間もなく妻のあとを追うように他界
辺境の地に葬られたばかりか、数々の傑作はほとんど跡形もなく散逸、巨万の富と名声をもたらしたパノラマは今はない

2.    贋作は永遠に William Henry Ireland ( 1775-1835)
1775年、ロンドンの銅版画家・古書収集家の息子として誕生、自らの城に籠るタイプで、周囲からは薄のろと言われていた
やがて中世の紋章の虜となる
父親と一緒に、画材を求めてシェイクスピアの生誕地ストラトフォード・アポン・エイヴォンを訪れる。ストラトフォードは、シェイクスピアの死後、彼に特別の関心を向ける住民など1人としていなかったが、この地を訪れる熱狂的なシェイクスピア崇拝者に対し、カトリック教会が発明したツーリスト・トラップの俗世間版として、まがい物のシェイクスピア聖遺物を提供しはじめ、それに引っかかったのがアイアランド父子
崇拝していた父親が感嘆に騙されるのを目の当たりにして、ウィリアムは弁護士事務所での仕事の合間にシェイクスピアの筆跡の真似をして戯曲を書き写していた
古文書の証明書を、事務所にふんだんにあった過去の法定文書を参考に偽造
シェイクスピアの自筆文書を何よりも欲しがっていた父親のために、シェイクスピアの書名の入った抵当証書を偽造、父を喜ばせることに成功
さらに、シェイクスピアがカトリック教徒だったかもしれないという可能性が読者たちを悩ませていることを知って、シェイクスピアがカトリックへのいかなるシンパシーも持っていないことを明らかにした自筆の信仰告白を偽造。父親があまりの重要性に驚いてこれ等の発見を隠しておくことが出来ずに信頼できる人に精査してもらおうと言い出すが、2人の学者も真正であることを認める
ウィリアムは、やけっぱちとも言える熱情に任せて、法定文書から恋文に至るまで作品を造り続け、父親はいまや今世紀最大の発見物の所有者に
王太子、ピット首相に加えて、サミュ
エル・ジョンソンの伝記を書いたジェイムズ・ボズウェルも感動に打ちのめされ、「もういつ死んでも悔いはない」と言ったが、その通り数か月後に逝去
偽造はますますエスカレート、原作を改編したばかりか、遂には勝手に題材を選んで自ら創作した劇をシェイクスピアの文学作品として父親に渡し、父親はそれを当代随一の興行師兼演出家に上演を持ちかける ⇒ 英語自体、古文を真似たものに過ぎず、エリザベス朝の英語とは似ても似つかないものだったが、気付く人はいなかった
美術館の学芸員の間で自明の理とされていることがある。最高の贋作はいまも美術館の壁にかかっている、というのがそれ。不完全故に贋作とばれるのであって、最高の贋作であればばれることがない
父親が、息子から贈られた贋作の数々を本に編纂するに及んで、世間からの批判が巻き起こり、父親は捏造者の汚名を着せられ、ウィリアムは自らの仕業であることを告白するが、父親は息子にそれだけの才能があるとは信じられず、第3者によるものと信じ込む
ウィリアムは、告白した後町を逃げ出し、自らの作品を書きながら貧しい生活を続けるが、シェイクスピアの贋作の作者として名が売れ始め、古書収集家の注目を集め、彼のオリジナルの贋作はかなりの高値でオークションにかけられるとともに、贋作の贋作が出回る

3.    空洞地球と極地の穴 John Cleves Symmes, Jr. (1779-1829)
オハイオ州ハミルトンは、何の変哲もない地方都市で、1980年代に街の活性化を狙って名前を「ハミルトン!」に変更したが、何の効果もないまま元の名前に戻したものの、今も不思議なものが1つ残されている ⇒ シムズの墓
ニュージャージー州サセックス生まれ。1802年陸軍入隊、武勲を挙げ大尉まで昇進。1818年に地球の中心が空洞だとする同心球体及び極地の穴に関するシムズ理論を提唱
同心球体は、自然の構造物として最も効率的な配置であり、骨や植物の茎等どれもが中空の管ないし同心円構造という生態デザインを示していることに注目し、それを地球レベルの構造に当てはめた。地球は回転しているから、遠心力が回転軸を中心にして物質を外側に追いやり、結果極地に穴が出来るので、そこから潜り込んで探検すれば、地球内部が多重球体になっていることが判る
1618年ヨハネス・ケプラーが、地球及びその他の惑星が同心状の複数の外殻」によって構成されているという考えを提起している
彼の理論は誰にも相手にされなかったが、極地の穴にヒントを得て穴の探検を題材にした冒険小説が、極地探検を求める市民感情に火をつけ、議会に探検を請願する法案が提出されるまでに発展
シムズ亡き後、19世紀後半には極点にアプローチする探検が始まり、地球空洞説は魅力あふれる科学的な思弁の領域から、無知な変人や知識だけはあるペテン師の妄想の領域へと落ちていく
科学的な観点から、我々の足の下に生命溢れる未踏の世界が広がっていると考える人はいつの時代にもいて、科学史的に見ても極めて長い期間続いた、魅力的な考えだった
エドガー・アラン・ポーは終生、科学に強い関心を寄せ、その最後の日々のほとんどを費やして、かの神秘的なエッセイ『ユリイカ』で、いわば宇宙の統一場理論を構築しようと挑み続けた。そんな彼が、最後の最後までシムズの壮大なヴィジョンとその継承者たちに固執していたとしても、何ら不思議はない

4.    N線の目を持つ男 Prosper-Rene Blondlot (1849-1930) ルネ・ブロンロ
1903年は放射線の年
1895年 レントゲンがX線発見、以降毎年のように新しい放射線――α線、β線、電磁波、γ線が発見される
とりわけ大きなブームとなったのがラドンソーダとラドン消化薬だったが、大量摂取で体に異変が起き、ブームは一気に終息
放射線研究の先頭に立っていたのがフランスのナンシー大学物理学部の学部長ブロンロ教授で、導体中を移動する電気の速度が光速に近いことを発見したことで有名
1903年 ブロンロは、電波とX線の速度と偏向性を精密に調べる実験法を考案、X線が波であることを立証。同時にプリズムがX線を偏向させないことを知りつつX線を水晶のプリズムに当てたところX線の経路の脇に置いた検知器の光が増すことを発見、X線以外の新しい放射線に違いないと確信、生地ナンシーに因んでN線と名付ける
1904年 ルコント賞受賞、フランスで最も偉大な物理学者の栄誉を受ける
イギリスの学者が不信を抱き、アメリカの学者が嘘を見破り、忽ちにして世界中の科学雑誌からN線関連の論文が消える
それでもなお、ブロンロ本人は自分の実際に見たN線のことが忘れられずに、さらなる論文を書くが、全く相手にされないまま、精神に異常を来して世を去る
ブロンロとN線が話題に上ったのは、死後20年経って、あるノーベル賞学者が病的科学の好例としてブロンロの失墜を取り上げたとき。自己眩惑の危険性を戒める訓話となった
さらにその35年後の1989年、常温核融合への疑念が噴出しつつあった渦中の時期にこの訓話が思い起こされた
極度に人間の視力に依存したN線についての教訓は、人間の目は信頼できる器官ではないということ。周辺視野が知覚に極めて不思議な影響を及ぼすことは、天文学者たちの間では夙に知られている事実で、遠い星を見たいと思った時、周辺視野で見えたと勘違いする

5.    音で世界を語る Jean-François Sudre (1787-1862) シュドル
普遍言語体系を構築して、言語を本来あるべき形に――より平明な、人間と動物が思いのまま話し合えるツールにしようという試み
パリ音楽院で音楽を学んだ後、音楽教師となるが、既存の言語を音という符号で伝えるシステム(ラング・ミュジカル)を作り、音楽による普遍言語への第1歩を踏み出す
1オクターブの全音7つを使い、5音節の語数9072個の全てにことばを当てはめるための法則を考案し、ソレソ語というシステムを作り上げる ⇒ 3音節(392)までをマスターすれば必要最低限のことを伝えるには十分、4音節(2268)以上は一定の法則が必要
どの言語でも応用がきき、障碍者にも使える普遍言語だったところから、忽ちヨーロッパの評判を得て、イギリス王室からも招かれるようになる
8か国語の辞書が作られ、死の直前にロンドン万博で展示して大喝采を浴びるが、金銭的な報酬には結びつかないままシュドルは死去。夫人が引き継いで修正を加え、1866年に文法と辞書をまとめた『普遍音楽言語』を出版、現在アメリカ議会図書館が所蔵
20世紀初めには、ソレソ語使用者がフランスだけでも数千人に広がったが、その後は減少
単語と単語の間に休止を入れるのが難しいことと、語彙がすぐに混乱してしまうことがネックとなって、今日のソレソ語唱道者は、そのほとんどが比較言語学の1つの実践として、また、歴史の再構築という価値ある営為として、ソレソ語の追求に携わっている
コンピューターのユニコードのUTF-16の文字セットに、ソレソ語のアルファベット7文字が組み込まれ、他の言語と同じように重要な国際言語として捉えられようとしている

6.    種を蒔いた人 Ephraim Wales Bull (1806-1895)イーフレイム・ウェールズ・ブル
北米人にとって、グレープジェリーは、紙糊やカラー粘土やクレヨンに近い。味や手触りや匂いで即座にわかる、そういうものの1
その匂いはイコール子供時代だが、その香りと甘さを生み出すぶどうの名前(コンコード)が思い出されることはまずない
コンコードブドウは、今でもボストン近郊のコンコードに生育。アメリカ以外ではほとんど知られていない
アメリカはブドウの地。北米大陸を探索したヴァイキングは、ブドウが生い茂るのを見て新世界をヴァインランドと名付けた
移住者は、1630年以降ヨーロッパから苗木を持ってきて接ぎ木したが、全く育たず、病気でやられた
ボストンに住んでいたイーフレイムがコンコードに移り住んで自宅の庭で見つけたブドウを育てて市場に出したところ評判を呼び、周囲がこぞってイーフレイムから苗木を買って栽培を始める。19世紀末には合衆国産で最大の収穫を誇る
殺菌技術と瓶詰技術があれば、ジュースやジェリーにして大量生産出来たが、イーフレイムは生まれるのが早過ぎた ⇒ その方法で大富豪になったのは牧師のウェルチで、1893年の万博での強力なマーケティングにより、ウェルチのブランドは世界に広く知れ渡る
一方のイーフレイムは、一介のブドウ栽培業者として、晩年は救貧院で暮らし死去

7.    台湾人ロンドンに現る George Psalmanazar (1679?-1763)
1840年 ヨーロッパ各地の稀覯本収集家がオークションに参集、世界に1冊しかない本ばかり52冊集めたコレクターが死去したためとの触れ込みだったが、全くのペテンだった
それ以上に凄かったのが、1704年のサルマナザール
台湾出身で、初めてイングランドに辿り着いたという触れ込みで、ロンドンの社交界にデビュー
幼少時から修道院で育ち、語学の習得に単能、世に認められるためには別人に成りすますのが早道と考え、それもすぐにバレないよう、誰もが名前だけは聞いたことはあるが、実際にその国について知っている者は誰もいない、そんな国の人間になる必要があるとして、まず日本を選び、さらに知っている人の少ない台湾とする
誰も正確な知識を持っていなかったことをいいことに、勝手に台湾を作り上げ、時代の寵児に上り詰める
見破ったのは、天文学者のハレ―。今の時期薄暮がどのくらい続くかと質問し、化けの皮を剥ぐ
晩年、自分のペテン師人生に愕然として悔い改めたが、アヘン中毒に罹って死亡

8.    ニューヨーク空圧地下鉄道 Alfred Ely Beach (1826-1896)
1870年 『サイエンティフィック・アメリカン』誌の発行者にして社主のビーチが、マンハッタンのブロードウェイの地下のチューブ内に敷設された軌道を圧搾空気で駆動する空圧搬送を紹介
市庁舎のすぐ横の地下にチューブを通し、巨大な蒸気駆動の送風ファンで車輛を押し出す
1861年 ロンドンのテムズ河畔で、空圧配送会社が400mのチューブで実験に成功、アイディアは1810年からあったが、実用に至らなかった
60年代、大都市の人口密度が急激に上がり、労働者の住宅を郊外に広げるために、新たな通勤手段が必要となったが、交通渋滞から路面電車は実際的ではなかった
最初は、郵便事業で使われ、ロンドン市内には30年で94路線、総延長54㎞のチューブが出来る
ヨーロッパの他の大都市にも普及
1868年 ヨーロッパでの普及に目をつけたビーチが、マンハッタンにも同じものを持って来るべく、まずはニューヨーク市庁舎中心の小規模の空圧郵便ラインの敷設許可取得
ビーチは、地下を掘るシールドマシンを発明
1871年 州議会は、ビーチにジャージー・シティからハーレム、ブルックリンまで、空圧鉄道路線を認可73年の金融パニックで、資金繰り逼迫、計画は頓挫
ヨーロッパでも、蒸気機関車と電気機関車の改良が進み、空圧搬送の優位性が薄れたり、事故や故障が起こったりで熱が冷める
ただ、イギリスのロイヤル・メールは、いまもロンドンで空圧搬送線を使っているし、パリでも一部残っている
ブロードウェイの地下トンネルは、暫く射撃場、次いでワイン貯蔵所となり、その後封印
1912年 ニューヨーク市が市庁舎下に地下鉄の新駅建設をした際、ビーチのトンネルにぶち当たる。シールドマシンは当時のまま残されていた

9.    死してもやは語ることなし Martin Farquhar Tupper (1810-1889)
今日私たちが、その時代を代表する作家としてとらえている人々が、実際に生きていた時代には全く無名だったこともあれば、当時時代の中心人物と考えられていた人々が跡形もなく消えてしまっていることもある
19世紀、150万部のベストセラーとなった詩集を出した詩人がタッパー
読者から圧倒的支持を受け、出版人たちから、ワーズワース、テニソン、ブラウニングに並ぶ究極の評価を受けた詩人と言われたが、以後1世紀以上再刊されていない
ロンドンの著名な医者の息子として生まれ、エリート寄宿校で教育を受け、古典語を学び、オックスフォードではグラッドストーンと同級
発話障碍といって、人に理解してもらえるように話すことができないが、紙の上では自分の考えを自在に表現
グラッドストーンを押しのけてカレッジのエッセイ賞をもらう
障碍のため、聖職者になる夢も果たせず、1839年『箴言の哲学』を刊行。詩と散文の垣根を壊すものとなる
生態系への賛歌を先見的に表現、一躍著作家の仲間入り、10年で28回版を重ね、大英帝国最大の詩人となる
箴言の内容が万人の共感を呼び、ヴィクトリア女王も子供に読み聞かせるようになり、多くの誕生と結婚を記念する思索の提供者となり、永遠を語る詩人となり、その不滅についての言葉や神の意図についての言葉が墓石や埋葬室に刻まれている
あまりに有名になりすぎて、読者が食傷を起こしたことが衰退の始まり
死後はアンソロジーからも文学史からも完全に消滅

10. ロミオに生涯を捧げて Robert Coates (1772-1848)
何事であれ、偉大の域に達するのは難しい
だが、それを実現できる能力もないのに偉大であろうとする情熱を持ち続けるのは、それ以上に難しい
1809年 イギリスのリゾート地バースにコーツというアマチュア俳優が真っ黒に日焼けした肌にだいやもんどを全身にまとって登場
72年 アンティグア島で大富豪の息子として生まれ、9人の兄弟のうち1人だけ生き残り、自分の強運を確信する
ロンドンで教育を受けると、自ら上流世界の一員になると固く決意する
教育が終わって島に戻ったコーツは、文明の香りに憧れて、植民地を巡業して回る旅の一座に入り、特にロミオ役の習得に情熱を注ぐ
バースの劇場でロミオを上演する機会を得て絶賛を浴びる
ピチピチの衣装が破れて尻が丸出しになったり、死の場面での立ち回りが受けて、何度もアンコールに応じたり、パロディ化されたロミオが受けてロンドン中に知られる有名人になるが、嘲笑と名声が相半ばしたもの
劇場では、コーツを笑いものにするためにやってきた集団との間で衝突。彼らのいたずらで、遂に夢だったイギリス王室からパーティの招待状が届くが、偽造だったため、出席を丁重に断られる
熱狂していた観客も、徐々にロミオが崩壊するのを期待し始める
いまでいうキャンプという様式で、あらゆるカルチャーで、その悪趣味性ないし強烈なアイロニーゆえに魅力を発揮する様式、美学のこと
コーツは、自らの慈善事業としてやっていたことが、仲介者の悪だくみで、収益目的の公演だったことがばれて世間の批判を浴びたこと、実家のプランテーションの経営不振から、ファンも財産も失い、英国演劇界から消える
30年後、ロンドンの演劇界はメロドラマ全盛。かつて大仰な芝居とされていたものが、いまでは芸術的なパッションの表現となっていた。コーツは、間違った演劇スタイルを実践したのではなく、単に間違った時代に生まれただけ
ロンドンで公演を見た後、忘れ物を取りに戻ろうとして馬車に轢かれて死去。劇場は倒れた彼の手がほんの少し届かないところにあった

11. 青色光狂騒曲 Augustus James Pleasonton (1801-1894)
19世紀後半は、医療の奇跡の時代。致死率が降下する一方
同時に、便乗する怪しげな薬品販売業者や偽医師が跳梁
小荷物の全国配送網の確立で、雑誌に広告を載せれば、全国にいるおめでたい人々から金を巻き上げることができるようになった
学位を売る学士製造所やいかさま医学校が国中に乱立。もっとも悪名高く長続きしたのがシンシナティのアメリカン・ヘルス・カレッジ。職員は全員退職したか休職中 
フィラデルフィア出身のプレゾントンは、州の民兵軍組織の大佐。独学で異なる波長の可視光線、特に青色の光が植物の二酸化炭素の成長の速度をコントロールすることを知り、自宅周辺にブドウ畑を作って実験
1860年 60坪の温室を建て、一部に青いガラスを入れると、ブドウが驚異的な勢いで育成。それを見て動物への応用を考え、豚で試す
電気と青色光が密接に関係していることが明らかにされ、病弱者や老人に新たな生命を吹き込むことができると考えた
1871年 「植物と動物の生育を加速させる考案」に対し特許取得
一般市民が、自分の家に青色ガラスを使い始め、その効果が続々報告される
真面目な科学者は、内容のあまりのばかばかしさに相手にしなかったが、事実がそれを上回り、全国に青色光フィーバーが広がる
ヨーロッパにも広がり、77年ピークに
立ちはだかったのが『サイエンティフィック・アメリカン』の社主ビーチ(ニューヨーク空圧地下鉄の提唱者)、青色ガラスの下では、陽光の下にいるより青色光が減少するとし、治療効果もプラセボ効果にすぎないとしたが、フィバーはますます加熱
1878年 青色ガラス熱は、科学的基盤が粉砕されようやく終息
プレゾントンの死後も紛い物が出続けたが、プレゾントンの名は完全に消える
南北戦争で同名の将軍が活躍するが、それは弟アルフレッドで、生前から混同
20世紀前半には、くる病や黄疸等の皮膚病に日光療法や紫外線療法が始まるが、可視光線の一部のスペクトルを利用する方法は全くない

12. シェイクスピアの墓をあばく Delia Salter Bacon (1811-1859)
1857年 アメリカがこの10年に生み出した創作者2人のうちの1人がベーコン
天賦の才を持ちながら、狂気の淵に落ちたといわれる
生涯の大半を、体も心も病んだ状態で、極度の貧困のうちに過ごす。出版した本は悉く負債となって彼女を追い詰め、最後の本となった畢生の大書も読まれることはなかった
1811年 オハイオの辺境の地の極貧の伝道師の家で生まれ、幼くして父と死別、コネティカットの私塾で、私塾の経営者の妹で『アンクル・トムの小屋』の作者ハリエット・ビーチャーと親交、並んで才媛の片鱗を見せる
15歳で卒業後、マラリアやコレラにやられながらも文筆活動に入り、早々に『フィラデルフィア・サタデイ・クーリエ』紙の懸賞小説で1(2等がエドガー・アラン・ポー)
私塾の教師をしながら著作を続け、全国を講演して回る
シェイクスピアの作品について、あれほど洗練された作品が4流の役者に書けるわけがないとし、ロンドン塔に幽閉されたフランシス・ベーコンほか2人の共同のペンネームだと主張
イギリスに行ってその証拠を探す旅に出る
随筆家トマス・カーライルに会って自説を主張するも一蹴されたが、戯曲そのものの内にこそ証拠があるとした
墓の中にこそ証拠があると気付き、ストラトフォード・アポン・エイヴォンの墓に忍び込むが、何もできず
誰にも相手にされず、次第に狂気の世界に入って行ったディーリアの最後の大著は、意味のない文書の羅列で、誰も読むことが出来なかった
シェイクスピアを巡る学術界の辺境には、いまもなおディーリアの考えに執着している者が存在する
アメリカでも一時、シェイクスピア=フランシス・ベーコン説が盛り上がった

13. 宇宙は知的生命でいっぱい Thomas Dick (1774-1857)
スコットランド生まれの内向的な独学の天文学者ディックは、機織り職人の息子。8歳のとき空を飛ぶ隕石を目撃して啓示を得るとともに、天文学に関心を抱く
教師・著作家として成功した後、53歳で天文学に専心
ディックにとって、天空という巨大な機構とその働きは、神の壮大にして深遠なる目的を達成するための手段だった
物質は、その主人たる意識ある存在がなければ、どこであろうと存在する意味がなく、すべての天体に生命体が住んでいなければならない
知的生命は、宇宙の自然な状態として、最初に月に目を付け、生命体数を推定
異星人の知性とモラルは、地球人より遥かに進んでいると考える
1835年 イギリスの天文学者サー・ジョン・ハーシェルが巨大望遠鏡を使って、史上最大の驚異的な天文学上の発見を成し遂げたが、それに便乗するかのように哲学者ジョン・ロックの末裔といわれるリチャード・アダムス・ロックが望遠鏡で見たという月面のヒトや動物の生態を記事にして読者を驚愕・魅了する
しばらく続いた後、化けの皮がはがれる
ロックの法螺話以上に、ディックの話は説得力を失い、死後は誰にも顧みられることはなかった


訳者あとがき
2章のアイアランドは、シェイクスピア研究ではよく知られた人物
N線の発見者ブロンコは、思い違いの科学史系では、常に引き合いに出される人物で、科学界では有名
コリンズは、歴史学者である以前に、古い本好きな本読みであり、古書とどっぷり付き合う中で発見した「忘れられた偉人たち」に心惹かれてきたからこそ、文学と科学技術の領域を同等に鳥瞰できる研究者として、アカデミズムの研究者ではなしえなかったアプローチを可能にした
コリンズは、1969年ペンシルバニア州の片田舎の生まれ、イギリス移民の両親が各地で探してきた得体のしれない古書を片端から読んで、獣医学から英米文学に転向、市民大学の講師をしながら、評論やエッセイを寄稿。本書はいくつもの出版社から拒否されながら、ようやく単行本化。以降1,2年に1冊のペースで刊行
現在は、ポートランドで、「ノンフィクションの書き方」を教える



バンヴァードの阿房宮 ポール・コリンズ著 型破り人生を走った人物の列伝 
日本経済新聞夕刊2014年9月3日付2014/9/3
(白水社・3600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(白水社・3600円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 型破りの人生を走りぬき、忘れ去られた人物の列伝。これら13篇。特殊な分野で業績は残したものの、最後には「負け組」になった。栄耀と転落のコントラストも眩しい。皮肉な転変を気楽に愉しむか、あるいは、身につまされて読むか。
 「歴史は人類の巨大な怨みに似ている」という警句の実例集? いや、大方が19世紀の話。そして、無名人がほとんど。絶頂から奈落への滑り落ち方も同じにみえて、個性は鮮やかだ。「格差」をますます増長させる現代、この「落差」の話の連弾は、まことに贅沢(ぜいたく)なエンタテインメントではなかろうか。
 評者の好みで、1点選ぶなら、地球空洞説をとなえた元軍人の話。生き物の棲む地表は同心円状の外郭であり、この地底にはより小型の球体世界が存在するという仮説だ。彼はSF作家ではなく、空洞への通路を探す探検家になった。
 これら奇人変人の敗残の記録はもの哀しいか。いやいや『歎異抄』をもじっていえば、善人ですら往生する「いわんや変人をや」であろう。
 極上の素材を使った短編小説集のような満足感。しかも、すべてトゥルー・ストーリー。山田和子訳。
★★★★
(評論家 野崎六助)


バンヴァードの阿房宮世界を変えなかった十三人 []ポール・コリンズ
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]朝日 20140928   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 
敗れ去ったひとなどいない
 本書は、「敗れ去ったひと」についてのノンフィクションだ。「地球空洞説の提唱者」「新放射線(N線)を発見した科学者」「『ロミオとジュリエット』の舞台で、斬新すぎるロミオを演じた役者」など、十三人の男女の人生が語られる。当時は注目の的だったのに、のちに誤りが発覚したり飽きられたりして、歴史の波に消えていってしまった人々だ。
 アメリカ人の著者によると、「忘れられた人々や事物」に関心を示す出版社を見つけるのが大変だったそうだ。恐るべし、サクセス・ストーリーの国。アメリカには「判官びいき」に類するような言葉はないのか? こんなにおもしろい本なのに!
 著者は、登場する十三人の社会的な「功績」(のちに評価が反転するわけだが)だけではなく、生い立ちなどの私的な面にも光を当てる。そのため、読者は十三人をとても身近に感じ、手に汗握って、あるいは切なく、かれらの運命を見守ることになる。
 私が特に好きだったのは、前述した十九世紀のロミオ役者、ロバート・コーツと、台湾人だと自称して十八世紀のロンドンを騒がせたジョージ・サルマナザールだ。コーツ氏の珍妙な舞台衣装と熱演ぶり(および観客の戸惑いと怒号)の描写は、腹の皮をよじれさせずに読むのが困難だ。見たかったよ、こんなすごすぎる『ロミオとジュリエット』! サルマナザール氏に至っては、数奇な人生すぎて、ここでは説明しきれない。彼は日本人を自称したこともあるのだが、実際はアジア人では全然なかった。
 本書に登場する人々は、ほとんどが失意と悲しみのうちに世を去り、死後の栄誉や称賛とも無縁だ。だが、著者の丹念な筆致は、大切な事実を浮き彫りにする。情熱を持って精一杯生きたひとのなかに、「敗れ去ったひと」など本当は一人もいないのだ、ということを。
     
 山田和子訳、白水社・3888円/Paul Collins 69年米国生まれ。作家・編集者。『古書の聖地』『世紀の殺人』など。

[書評]『バンヴァードの阿房宮』
ポール・コリンズ 著 山田和子
井上威朗(編集者)20141106
それでも人生は生きるに値する  
 自信満々の企画がボツになる。サラリーマンなら誰でも味わう悲しい出来事ですね。もちろんこれはサラリーマン編集の世界においても同様で、渾身の企画がサクッとボツになり、いつしか他社で評判の企画として刊行される……というのは本当によくある話です。
 その「ボツ理由」の一例が、「インタビュー集や人物列伝は売れない」というものです。
 確かに、この種の企画で章立てに頭を悩ませることは多くありません。それゆえ、読者にそのへんを見透かされて、つまり楽して作られたと思われて、買われないのかもしれません。
 そして本書は紛うことなき人物列伝です。原書が数十社に刊行を断られ、訳書が出るまで13年かかったのも、もしかして上記のような理由が作用したのかも、と妄想してしまいます。
 だけどこの本、読み出したら止まりません。この企画を断った人は全員、読まないで断った思考停止野郎ではないか、と妄想が膨らんでしまうほどの面白さです。
 なにしろ、446ページ全編が濃厚で、「楽して作られた感じ」はこれっぽっちもありません。
 本書の登場人物13人はすべて「同時代では国民的人気だったのに、今やキレイさっぱり忘れられた人」です。1人分を書く資料を探す労力を想像するだけで、もうゲップが出そうです。
 しかし1969年生まれの著者、ポール・コリンズ氏は生まれながらの古書マニア。むしろこの困難なテーマに取り組めるのが嬉しくて仕方ないかのように、インターネット普及前の1990年代をまるまる調査に費やします。
 そして英語圏全体にまたがる古書市場と図書館のネットワークに分け入り、忘れられた偉人たちの生涯を丁寧に再現していったのです。
 かくして命を吹き込まれたのはこんな13人です。
 全長800メートルの絵を「上演」した画家。20歳でシェイクスピアの「幻の作品」を書き、専門家も騙した贋作者。地球空洞説を全米に信じさせた退役軍人。新しい放射線「N線」を発見し国家最高の栄誉を得た大学教授。エスペラントより前に「演奏できる世界共通語」を考案した音楽家。今もアメリカで一番栽培されているブドウを開発した農場主。架空の「台湾」を語って世間を欺いたまま長寿をまっとうした自称台湾人。ニューヨークに空気で駆動する地下鉄を勝手に通した出版人。真面目で好人物すぎるので晩年は嘲笑の的になった元・国民的詩人。劇壇を怒らせ観衆を熱狂させた富豪にして素人俳優。万能の治療法を発見し普及させた准将。才能を嘱望された結果、難解・奇怪な大評論を残した引きこもり作家。天文学的な数の宇宙人の実在を断言した神学者。
 ……いかがでしょう。みんな活躍ぶりが想像の斜め上すぎてハンパない、というか、それぞれ1人でも新書ができてしまいそうな逸材ぞろいではないですか。
 だけど、その全員の生涯を一冊に収めた本書にダイジェスト感はありません。むしろ著者のサービスは満点です。
 いかにして彼らは成功を手にしたのか。その成功が歴史から抹消されたのは、どんな不運や錯誤や悪意が作用したせいなのか。逆にうまいこと「勝ち逃げ」した脇役のエピソードまで盛り込みつつ、「よくぞここまで」と呆れるレベルまで描き切ってくれます。
 訳書に投じられた熱量もすごいことになっています。原著のパロディ表現まで日本人にわかるよう訳出し、巻末では原注をインターネット対応にアップデートし、さらに日本語文献リストまでつけています。著者のケタはずれの情熱にがっぷり四つで組み合った結果でありましょう。「このエピソード、俺は前にどっかの本で読んだよ」という物知りな人も、おかげで過去の記憶をインデックス化することができるはずです。
 そんな本書、読後の満足感は同じモチーフの名作、種村季弘作品や、森田信吾のコミック『栄光なき天才たち』のそれすらも上回るように思えます。なぜだろうかと考えてみると、波乱すぎる生涯を送った登場人物たちがけっこう長生きしているから、のような気がします。
 彼らは失墜した後、自分の挫折をどう受け止め、あるいは受け止めずに長い余生を送ったのか。
 本書によると、多くの人がずいぶんとマイペースです。誤解を恐れずに言えば、楽しそうな印象すらあります。貧乏になった人はいますが、自殺した人は(たぶん)いません。みんな相当のことをしでかしているのに、それこそ「ありのままに」生きている感じです。 


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