輸血医ドニの人体実験  Holly Tucker  2013.12.5.

2013.12.5.  輸血医ドニの人体実験 科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎
Blood WorkA Tale of Medicine and Murder in the Scientific Revolution 2011

著者 Holly Tucker ヴァンダービルト大医療・健康・社会センター、フランス・イタリア語学部の准教授。医学史が専門。『ウォールストリート・ジャーナル』『サンフランシスコ・クロニクル』『クリスチャン・サイエンス・モニター』に寄稿。テネシー州ナッシュヴィル在住

訳者 寺西のぶ子       京都府生まれ。成蹊大経卒。

発行日           2013.5.20. 初版印刷                   5.30. 初版発行
発行所           河出書房新社

プロローグ
1799.12.14. 米国初代大統領は発熱の徴候を示し、主治医たちは瀉血を決断、200ml抜いても症状が改善しないため、計4回にわたって瀉血、喘ぎ苦しみながら息を引き取る。後世の医史学者は、喉頭蓋の感染症と判断するが、過酷な瀉血が原因との疑いもある
アメリカ国会議事堂の建築で知られるソーントン博士は、死体に血液と空気を満たしてやれば生き返る可能性があると考え、肺に繋がる気管の切開と、子羊の血液の輸血を提案したが、家族が却下
ヨーロッパでは、166568年輸血の可能性を巡る論争で騒然となる出来事があった
イギリスが犬同士の輸血に成功、フランスも追随する中、現れたのがドニで、動物からヒトへの輸血を行って科学界をあっと言わせ、大きな評価を得る一方で、それ以上に大きな論争を巻き起こす ⇒ 子羊の血液をヒトに輸血して成功、3人目が最後の被験者となったモーロワという精神異常者で、輸血を繰り返すうちに死亡、殺人罪で告発、無罪となったが輸血医としてのドニの経歴を終わらせた
69年パリ高等法院は輸血を公式に禁止 ⇒ 他のヨーロッパ諸国も追随。以後150年間再開されることはなかった
科学革命とは、自然の真理を解き明かす試み ⇒ 中でも激しく対抗していたのが科学と迷信で、その中核に位置したのが輸血
科学と社会がそれまでには想像もできなかったほどの速さで変化し、世界が急激な変革を遂げた時代が背景にある
輸血が長い間禁止されたのは、死亡率だけの問題であれば他にも帝王切開のように危険で耐え難い医療はあったが、公的な制限は課されておらず、それよりも、種が異なる生き物の血液を混合することにモラルや宗教が大きな影響を及ぼしたから
17世紀のヨーロッパでは、迷信と科学の境目は流動的であり、輸血による種の転換の可能性は現実的であり恐ろしかった
どんな時代にも「血Blood」は、自分が何者であるかという意識、自分はこういう者だと信じる意識の中核をなす
血とアイデンティティへの拘りが最も強かったのは1940年代 ⇒ アメリカ赤十字が、アフリカ系アメリカ人の血液を血液銀行に保管しないと発表、批判を浴びて保管することになるが、「有色人種」の血液は区別しておくという立場を鮮明にした

第1章        医師と狂気の男――歴史上初の輸血
1667年の冬、パリは記録的な寒さ
ジャン=バティスト・ドニは、無名の職人の子でありながら、あらゆる困難を排して上流階級に潜り込み、医師になるべくモンペリエ大学で医学の学位を取り、パリに戻る
貴族の後援を得て、精神を病んだ男を実験台として、子牛の輸血を輸血
血液型が発見されるのは1900年のこと、当時はまだ、高熱、めまい、血尿などの溶血性輸血反応が出たら輸血を中止するしかない
1回目の輸血では、一旦気絶したが翌朝には人が変わったようにいくらか正常になったように見えた
翌日2回目の輸血実行、3倍の450mlを入れると、またもや一旦悶絶して気を失ったが、翌朝には生き生きとしていたのみならず、精神的にも健全に戻る
ドニは、自らの成果を公表し、フランス初の輸血を

第2章        血液循環――ガレノス説の否定
1628年、イングランドの医師ハーヴェイは、人体の中を血液が循環することを発見
人間の生体に関する研究はまだ少なく、死体の解剖が中心で、処刑された犯罪人が使われた ⇒ 解剖はたんなる死刑よりも過酷な刑罰であり、死体ブローカーが開業医や医学校に死体を高値で売り捌いた
2世紀の医師ガレノスは、血液は胃から心臓に一方向へ流れるとされ、心臓が血液を燃やして体の熱を生み出すとした ⇒ 何世紀にも亘って病気治療は、熱くなった血を抜く瀉血が主体であり、血液は理髪外科医が定期的に抜くものだった

第3章        生体実験の時代――デカルトの機械論
デカルト哲学の出現により、17世紀は「生体実験の時代」となる ⇒ 1630年代、デカルトは、人間も動物も基本的には機械のように機能するが、動物は理解という知的能力の恩恵を受けていない単なる(魂のない)機械だとして、動物の生体実験横行への端緒を開く
心と体の二元論で、魂を身体から追い出したデカルトは、ヨーロッパ中から敵意に満ちた批判を浴びる
イングランドの外科医ロウアーは熱心な解剖学者で、詳細な体内構造の解明から血液循環論を検証、静脈内への栄養補給の可能性を追求 ⇒ 異物ではなく、血液を注入すれば補給が出来ると考え、2匹の犬を使って血液を移し替えることに成功

第4章        ペストとロンドン大火――ロンドンの破壊と再建
1664年末から翌年3月にかけて不吉の前兆とされて恐れられた彗星が2度も現れ、4月にペストがロンドン全域に蔓延 ⇒ 市民の20%、約10万人が死亡
ペストが収まりかけた669月、大火が町を襲い、城壁内の建物の85%が灰燼に帰す
再建計画に手を挙げた外科医のクリストファー・レンは、ハーヴェイの血液循環説を反映して、動脈のような道路と円形広場からなる、澱みなく流れる都市を目指した

第5章        『フィロソフィカル・トランザクションズ』――王立協会と学術論文誌
66年、ロウアーの実験が王立協会で再現され成功、誌上に公表され、フランスにも配布
フランスでは、厳格な階層制度の中で威厳を保っていたパリの医学界はハーヴェイの説を認めようとせず、一方自由闊達のモンペリエでは、かなり広く受け入れられていた
ドニは、パリ医学界で認められようとパリに出て、解剖の個人教授をしながら、輸血実験のニュースを読み漁り、自らも犬で実験し、血を提供した犬も生かすことに成功

第6章        貴族の野心――社会的地位を示す科学
ドニの後援者となった裕福な貴族モンモールはアマチュア科学者を自認、王立アカデミーの創設に先だって私的な学会「モンモール・アカデミー」を組成、デカルトには断られたが、オランダ人のホイヘンスを招いて、天文学者としての成功を支援 ⇒ 科学研究には裕福な個人的後援者が資金を提供するのが普通だった

第7章        貴族社会と科学者――王立科学アカデミーの創設とモンモール・アカデミーの終焉
ルイ14世が、特権を持つ高齢の貴族による支配から国を取り戻した時、科学的な知見や発見こそ国王の国家主義的な計画の中枢であるとして、国王の庇護に値する82名の傑出した人物を会員として66年王立アカデミーを創設。ホイヘンスの名前は筆頭に上がっていたが、モンモールの名前はなかった
自らの私的アカデミーが終わった後、モンモールはドニの輸血実験を見て有名人になることを確信、名声を掴むために必要なものをすべて与えようと決め、王立科学アカデミーに対抗しようとする

第8章        フランス王立図書館――フランスとイングランドの戦い
イングランドに対する血液の戦いが、王立アカデミーの1つの目玉
医学者であると同時に凱旋門の設計者でもあるクローd0ペローが、イギリスの資料に基づいて同様の実験をしたが、当時はまだ知られていなかった抗原抗体反応が出て失敗、異質の血液への順応反応はありえないこと、同種の間での輸血すら致命的であるとして、科学アカデミーもパリ大学医学部も輸血に反対する立場を明らかにした ⇒ 凱旋門の建築にすら、巨大な(36012060cm)石をモルタルで繋ぐことをせず、融合して完全に一体となるまで念入りに磨き上げるという独創的な手法を生み出した

第9章        賢者の石――物質変換と輸血
当時のヨーロッパには、輸血をすれば変身するという考え方が生き残っており、そうした考えがもともと緊張のあったプロテスタントの国イングランドとカトリックの国フランスの学者の間にさらに大きな亀裂を生む
イングランドでは、17世紀後半には科学と錬金術の明確な区別はなく、賢者の石(=卑金属を金に変える神秘な科学の霊薬)を求める密かな研究は科学者の仕事でもあり、錬金術師の仕事でもあった
「近代化学の父」ロバート・ボイルは、輸血を錬金術的変成の別の形――生理学的な賢者の石――ではないかとして、血液の研究推進を提唱。異種交配動物への強い関心を持ち、血液交換によって変成や異種交配の生き物が生じる可能性に夢中になる

第10章     動物から人間へ――輸血の戦いで勝利を目指す
1667年春、ドニはモンモールの支援を得て輸血実験の範囲を広げ、積極的に成果を公表 ⇒ 犬、羊、牛、馬と異種間での輸血にも成功、究極の目的はヒトへの輸血だが、実験ではドナーの命を奪っているので、ヒトへの輸血の場合のドナーは動物で、動物の肉や血液が標準的な薬として長年使われたという歴史がある以上、動物の血液を直接人間の静脈に入れた方が治療の効果が高いと確信

第11章     ロンドン塔――オルデンバーグの危機
同年夏、ドニは瀉血でも高熱が治癒しない少年と健康な若い男に羊を使って輸血を実行、いずれも術後健康に経過、イギリスの先行研究には一切言及せず自らの成果として公表したため、イギリス王立協会の事務総長オルデンバーグは責任を取らされ一時ロンドン塔に幽閉される

第12章     ベドラム――患者の選択
ドニの公表に対し、人道的見地から実験を躊躇していたイギリスでも、ロウアー(イングランドの輸血の「父」)を王立協会のフェローに選出してヒトへの輸血準備を進める
ベドラム ⇒ イギリスの王立ベスレム(ベツレヘム)病院の別称、修道会の設立した精神病院のこと。劣悪な環境にあり恐怖の施設で、混乱と表裏一体であるところから、混乱の意を持つ言葉となる
精神病の治療法は、体液のアンバランスによっておこる他の病気と酷似、輸血による冷却効果が「奇異」な精神疾患の確実な治療法となり得ると認められるようになり、実験台が提供され、羊の血液の輸血で成功、フランスに対して面目を施す
イングランドでは、輸血が道徳の堕落であり、甚だしく間違ったことであるという激しい怒りはほとんどなかった
パリでも、同じ様に精神を病んだ者が実験台として選ばれる

第13章     怪物のごとく――独学の医師、アンリ=マルタン・ド・ラ・マルティニエル
マルティニエルも、ドニと同様常に変化を求め続け、理髪外科医の後をついて回りながらその技術を学び、流浪の後正式に医者となって、ルイ14世の宮廷医に ⇒ 異種間の血液融合が大惨事を引き起こすとしてドニに戦いを挑む

第14章     未亡人――アントワーヌ・モーロワの妻
モーロワに対するドニの人体実験は1回目は成功し、2回目は深刻な症状に見舞われたが数日後には回復、精神錯乱状態で暴力的だった患者が分別ある行動を見せ、輸血の恩恵を示す証拠となる ⇒ モーロワの妻も回復を認め、ドニは成功を世界へ向けて発信、イングランド王立協会も68.2.の機関誌に内容を掲載
2か月元の精神錯乱状態に戻ったモーロワに再度輸血をしようとしたが、古い血を抜こうとしたところでショック死、未亡人から解剖を拒否され、患者の死だけが広まって輸血への批判の声だけが渦巻く

第15章     毒殺事件――モーロワの死の真相
ドニはモーロワの死が、未亡人が金に目がくらんで輸血反対派に唆された結果と知り、刑事裁判所に訴え出る ⇒ 裁判では、ドニの潔白が認められ、共犯者への追求が約束されたが、同時に今後人体への輸血にはパリ大学の医師の認可が必要と宣言 ⇒ 輸血の有効性を信じるドニは高等法院に上訴したが、17世紀の医学と科学が金と権力、知名度に基づく厳格な階層に縛られているのを打ち破ることは出来なかった。ましてや血液循環にしても輸血にしても、その概念が異端のプロテスタントであるイングランドに生まれたという事実がさらに抵抗感を強める原因となっていた。輸血は正式に終わりを告げる

第16章     キメラ――輸血の再開
フランスの判決が、イングランドのみならずヨーロッパ全土での輸血への熱意を挫き、以後は血液の他の謎――化学的性質や凝固の仕組み、赤い色素など――に焦点を合わせる
パリ高等法院の弁護士の遺した書簡によれば、モーロワの死にマルティニエルが関与していることは確実
マルティニエルの輸血に対する攻撃は、獣と人間の一体化した怪物(キメラ)の出現を予測し、輸血は悪魔の為せる業とした
モンモールは79年死亡、ドニも止血剤の開発で名を挙げたが1704年死亡
1817年、ロンドンの若い産科医ジェームズ・ブランデルが出血多量で死んだ妊婦を見て、何とか救う方法はないのかと考えて輸血に思い当たり、実験が再開される ⇒ 異種間で失敗した後、ヒトからヒトへの輸血に舵を切り、ドナーを募集。11年間に10人を対象に行い5人死亡
1900年血液型の発見、1904年にはクエン酸ナトリウムを加えると血液が凝固しないことも発見
輸血が臨床治療の最前線で効率的に行われるようになったのはヨーロッパの戦場 ⇒ 1936年のスペイン内戦で重傷を負った住民への公共医療サービスとして、ボランティアのドナーによる血液分配のネットワークが築かれた。アメリカでも血液バンク設立
キメラ ⇒ 同一個体内に異なった遺伝情報を持つ細胞が混じっていること、そのような状態の個体のこと

エピローグ
動物からヒトへの輸血は、17世紀後半の大きな政治闘争、宗教戦争、熾烈な野心などを理解するケーススタディとなった
17世紀の輸血は、人間であるとはどういうことか、また人間でないとはどういうことかを問いただすものでもあった。輸血を想定することは、種間雑種(インタースピーシーズ・ハイブリッド=キメラ動物)が存在するだけでなく科学によって創られる世の中を想定することでもあったのだ(クローンの世界?)
既に流動的になりつつあった動物とヒトとの境界をさらに流動的にしようとしても、17世紀後半の社会には明らかな制限があった
種間研究は、世界中の研究室で日常的に行われている ⇒ ワクチンの効果を測るために、ヒトの細胞をマウスに注入して実験しているし、種間雑種を利用した研究は人の命を救ったり生活の質を向上させたりする新しい薬や治療法を開発するうえで有益なことが判明している
04年、生命倫理に関する米大統領諮問委員会の報告 ⇒ 動物とヒトのES細胞研究を議会で禁止して、無法な研究者が人類に甚大な損害を与えるのを防ぐべき
06年、ブッシュ大統領は04年の報告を反映し、人と動物の異種交配など、医学研究による甚だしい虐待行為を禁じる法律の制定を求め、ヒトES細胞研究への助成に歯止めをかける
09年、オバマ大統領は、前政権のヒトES細胞研究に関する法的措置を撤廃
10年、連邦裁判所がすべてのヒトES細胞に関する研究活動への連邦政府助成の即時停止を求める差し止め命令を出す
人はどの時代においても、特に「科学革命」の時代は現代と同様に、人間の身体は、心は、魂は、私たちがこうあって欲しいと思うものと同じ姿をしているのかという、議論に立ち向かわざるを得ない




輸血医ドニの人体実験 ホリー・タッカー著 17世紀欧州の科学の現場  
日本経済新聞朝刊2013年6月30
フォームの終わり
 19世紀初頭のイギリスにおいて、ジェームズ・ブランデルが初めてヒトからヒトへの輸血に成功した。しかし、成功したとはいっても、10人の被験者のうち生き残ったのは半数にとどまった。20世紀になり、血液型が発見されるなどして、輸血はようやく信頼できる療法として定着する。そのように大きなリスクを伴う輸血には、17世紀のロンドンとパリで実験され、それから中断されるという前史があった。
(寺西のぶ子訳、河出書房新社・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(寺西のぶ子訳、河出書房新社・2800円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 17世紀は、「科学革命」の時代として知られる。ハーヴェイの血液循環の発見もその一環であり、輸血の実験はその延長線上に位置づけられる。まず、1660年に創立され、科学革命の牽(けん)引車となるロンドンの「王立協会」を舞台に、1665年から数年にわたって動物から動物への輸血の実験が実行され、その情報はヨーロッパ中に流れた。それに刺激されたひとりが本書の主人公、ドニである。
 ドニは、パリ大学に対して傍系のモンペリエ大学出身の野心満々の医学者だった。1666年に設立されたフランスの「王立科学アカデミー」に対して並々ならぬ対抗心を抱く貴族、モンモールの思惑がそれと共鳴し合い、そうして1667年末、モンモールの邸宅において、モーロワという、精神に異常をきたしていた人物に子牛からの輸血が決行されたのであった。手術直後は精神状態まで正常に戻ったかにみえたが、2カ月後、モーロワは死んでしまう。
 ドニは殺人罪で告発されるが無罪となった。とはいえ、事件の衝撃は大きく、フランスのみならずイギリスでも輸血の試みは19世紀の初頭まで中断されることになった。
 輸血がなぜ大きな関心を集め、強行されるに至ったのか。その背景には、ヒポクラテス、ガレノスという伝統的権威からの解放、そして身体を機械とみるデカルト哲学の抬頭(たいとう)という医学史上の大転換があった。それと、ドニとモンモールの野心、医学の進歩のために生贄(いけにえ)となるモーロワとその未亡人。科学革命の生々しい現場が、一般読者を念頭に置いて克明に描かれる。臨場感あふれる科学史であり、訳文も見事で、一気に読めた。
(中央大学教授 見市雅俊)

輸血医ドニの人体実験科学革命期の研究競争とある殺人事件の謎 []ホリー・タッカー
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血は畏怖の対象、生命の定義問う 現代では、ごく当たり前の処置方法である輸血だが、他人の血を注入することに対して、どこかで怖いとも思う。血に対して抱く畏怖(いふ)心は、本能なのか文化なのか。
 いずれにせよ、血液型や免疫や消毒、細菌の知識があるからこそ、医師に腕を差し出せるというもの。本書はそれらがまだなにもわかっていない17世紀に英仏で行われた輸血実験にまつわるブラッディな歴史ノンフィクションだ。
 17世紀の科学はまだ黎明(れいめい)期。迷信や錬金術も跋扈(ばっこ)する。中世まで教会は死体解剖に否定的で、学問として盛んに行われたのはルネサンス期からのこと。
 けれども死体はあくまでも死体。生存中の心臓や血液の動きなどはわからない。そこで行われたのが、動物による生体実験だ。犬猫、果ては蛇や鰻(うなぎ)を生きたまま切り開いて心臓を観察し、血液の流れを追うことを繰り返した末に、ようやく17世紀初頭に血液は身体中を循環しているのだと「わかる」。そうしてやっと、流れる血に別の生物の血を足し入れたらどうなるか、つまり輸血への第一歩がはじまる。
 英仏で競うように動物から動物への輸血、そしてフランス人医師ドニによって動物から人間(!)への輸血実験が行われ、いったん成功したかに見えたものの、3度目の実験の後、被験者は死亡する。しかもあとからそれが毒殺であったことが判明したにもかかわらず、輸血実験はその後150年間も凍結してしまう。ドニの野心も、潰(つい)える。
 現代の知見からすれば、早すぎた実験かもしれないが、殺人をしてまで1世紀半もタブーにしたことの意味は、重い。自然哲学と迷信、イングランドとフランス、カトリックとプロテスタント、医学界の政治と功名心、そして多くの貧民を生み出していた大都市パリとロンドンの階級社会。丹念に叙述されたこれらの対立項を追っていくと、科学主義の登場に揺れながらも、やはりまだ多くの人々にとって、血は畏怖の対象であったことが読みとれる。
 人の命を救いうるなにかが実験によって「できそうになる」たびに私たち社会を構成する全員が、人間や生命をどう定義するのか、無理やり考えさせられることになる。それは現代の先端医療でも全く変わらない。あまりにも難しい問いだ。発見されなければ考える必要もないのにと、思うときすらある。だからこそ、この事件を読めて良かったと思う。現代懸案の先端技術も数世紀経てば輸血のように「当たり前」になるのだろうか。
 ともあれ、被験者はもちろんのこと、実験初期の被験動物たちが流した大量の血潮に感謝しつつ、輸血技術を享受したいものだ。
    
 寺西のぶ子訳、河出書房新社・2940円/Holly Tucker ヴァンダービルト大学医療・健康・社会センター、フランス・イタリア語学部准教授(医学史)。「ウォールストリート・ジャーナル」「クリスチャン・サイエンス・モニター」に寄稿。米テネシー州在住。


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