交響録 N響で出会った名指揮者たち  茂木大輔  2020.12.14.

 

2020.12.14.  交響録 N響で出会った名指揮者たち

 

著者 茂木大輔(もぎだいすけ) 1959年東京都生まれ。国立音大、ミュンヘン音大でギュンター・パッシン(ベルリン放送響RISA)に師事、新星日響、シュトゥットガルト・フィルを経て、1990年から2019年までNHK交響楽団首席オーボエ奏者を務めた。室内楽、音楽祭、放送などでも活躍し、多数のCDをリリース。1998年から指揮活動に入り、自らの企画による解説コンサートを全国展開。原作者との交流をきっかけに企画・指揮している「のだめカンタービレの音楽会」は全国で100回を超えてなお上演中。オーボエを丸山盛三、G・パッシンの各氏に、また指揮を岩城宏之、外山雄三、広上淳一の各氏に師事。東京音大指揮科助教

 

発行日          2020.10.5. 第1刷発行

発行所           音楽之友社

 

 

はじめに

名指揮者たちが醸し出してくれたシンフォニーの音、その音を介しての交流を記録したのを交響録と名付けた

個人的な記憶の濃さによって採否を決めた

掲載順は、著者自身が最初に一緒した順番で、来日やN響の客演順ではない

 

I 199011月~199110

Ø  「銀髪の紳士の穏やかなる休日」 ヴァーツラフ・ノイマン(199011) 192095年。チェコ出身のヴァイオリニスト。48年チェコ・フィルで指揮者デビュー。ライプツィヒ歌劇場音楽総監督とゲヴァントハウス管弦楽団カペルマイスター、チェコ・フィルの首席指揮者

90年契約団員として出演した定期がノイマン指揮のドボルザーク《スラブ舞曲》全曲

当時のチェコを代表する指揮者

 

Ø  「親しみのあるクワジ名誉指揮者」 ハインツ・ワルベルク(199012) 192304年。ドルトムントとケルンで学び、ヴァイオリンとトランペット奏者。47年指揮活動開始。トーンキュンストラー管弦楽団やミュンヘン放送管弦楽団の首席

名誉指揮者に準じる「準名誉指揮者」ともいえる幾人かの1人。ドボルザーク《レクイエム》を皮切りに14年付き合う

「クワジーquasi」という言葉を多用、愛称「クワジの爺さん」。音楽用語のイタリア語で、「~みたいに、~のような感じで」というあいまいな表現。「クワジ・アレグロ」などと使う

 

Ø  「繰り返さない《新世界》の思い出」 フィッシャー・アダム(19911) 1949~。ハンガリー出身のピアニスト。87年国際ハイドン音楽祭を開設。01年バイロイト音楽祭に代役でデビュー。ハンガリー放送楽団、ハンガリー国立歌劇場の音楽監督

情熱的な人で、いろいろと楽員と衝突して現場は不穏な雰囲気に。テレビ放送のない日の本番で、楽員が結束して《新世界》第1楽章の「繰り返し」ナシで演奏、仕返しをしたときは一瞬ぎょっとしていた。その後客演は長く途絶えたが、12年《タンホイザー》で復活

 

Ø  「大作曲家は「同業(作曲)」の偉人」 外山雄三(19912) 1931~。48年東京音楽学校作曲家入学。56N響指揮者デビュー。大フィル、京都市、名古屋、仙台の指揮者、音楽監督など歴任後、79年正指揮者

指揮者とオケの稀に見る相互信頼感に恵まれ、リハは殆ど午前中で終了

その後、直接指揮を習うことになった時にも、「指揮者という仕事は、《エロイカ》(非常に長く、演奏がツラい)の第1楽章を練習して、やっと最後まで行ったときに、もう1回頭からお願いします、とオーケストラに言わなくてはならない、という商売です」などと教えてくれた

 

Ø  「今すぐN響をやめて来なさい」 岩城宏之(19913) 193206年。藝大打楽器中退。56N響指揮デビュー。69年正指揮者。88年オーケストラ・アンサンブル金沢設立。放送文化賞、日本芸術院賞、恩賜賞受賞。夫人はピアニストのかをり氏

01年指揮を教えて欲しいと頼み込んだ時の岩城の返事が冒頭。N響を辞めないと、オーケストラの人は誰も仲間の片手間指揮者のことなど本気で叱らないからというのがその理由

指揮について最初に教わったのは、「打楽器を打っていい音がするように振り下ろす」と、「紙風船を空中に持ち上げるように振り上げる」こと

 

Ø  「最長のお付き合いとなった名誉指揮者」 ヘルベルト・プロムシュテット(19913) 1927年~。スウェーデン出身。スウェーデン放送響、ゲヴァントハウス管などの首席指揮者。86年からN響名誉指揮者。16年から桂冠名誉指揮者

90N響の入団試験で共演の夢が叶う。チャイコフスキーの2番とブルックナーの5番で、以後30年にわたって毎年のように来日

練習は几帳面で、時間通り、N響のリハは10時~1515分と決まっているが、それをきっちり守る。即興もなく、妥協もなく、精神的な緊張感、高潔な理想に満ちている

 

Ø  「厳しい練習で音楽の全てを表現する巨人」 シャルル・デュトワ(19914) スイスの指揮者。ローザンヌでヴァイオリンを学ぶ。ミンシュの指導。0812年フィラデルフィア首席、0918年ロイヤル・フィル芸術監督兼首席指揮者。N響の名誉音楽監督

「作曲家が楽譜に書けない」部分も知り尽くしているのがデュトワの指揮

 

Ø  「飴と鞭! 記憶が飛ぶほどの制圧力」 ヴォルフガング・サヴァリッシュ(199110) 192313年。室内楽ピアニスト出身。57年バイロイトでは史上最年少で登場。バイエルン国立歌劇場、フィラデルフィアの音楽監督。64年~N響指揮、94年桂冠名誉指揮者

朝の挨拶の一言だけ日本語だったが、最後の来日の時に「サヨナラ」と一言

抽象的な「雰囲気」や、「例え話」や、ややこしい演奏法の話などはしたことがなく、冗談もまずいうことななく、笑ったことも殆ど無い。威厳と貫禄に満ちた振る舞い

 

(出番・オリ番) N響の予定は1年前に決まるので、それに合わせて各セクションで出番、オリ番を決める。小編成の特定の曲だけオリる場合は「曲オリ」

 

II 199111月~200010

Ø  N響は実家? 人生を貫く指揮哲学の花咲く時」 尾高忠明(199111) 1947年~。桐朋で斎藤秀雄に師事。ウェールズ、読売、札幌、メルボルン、新国立オペラの後、紀尾井シンフォニエッタ創設。10年~N響正指揮者。18年~大フィル音楽監督

N響では、「指揮研究員」が指揮者になった関係。遠慮と尊敬と礼儀作法みたいなことがずっとつきまとった

 

Ø  「楽員に最も愛された親方指揮者」 ホルスト・シュタイン(19924) 192808年。ドイツ出身。ベルリン国立歌劇場楽長。スイス・ロマンド管音楽監督。バンベルク響首席。69年以来バイロイト出演。75N響名誉指揮者

オーディションを受けるときに、共演した著名音楽家に推薦状を書いてもらって履歴書に添付する習慣があるが、シュタインは滅多に書かなかったのに、茂木のために「こんなに褒めるのは珍しい」と感心されるくらいの内容を書いてくれ、「(茂木は)オケが危機的状況に陥った時にも達観して平静を保つ人物」とあった。この推薦状がドイツ中のオーケストラからオーディションの招待状をもらえる魔法の切符になった

演奏はいつも最高で、とにかくオケが良く鳴った

「指揮をしたい」といって門を叩いた時も、「レコードで勉強しなさい」と、普通はイケナイことのように言われる「レコ勉」を勧めてくれた

14年からN響が《指環》4部作を4年かけて上演した際、指揮者にヤノフスキ、コンマスにキュッヒルを迎えたが、Staatsoperで《指環》をやった時の最高の指揮者はと聞くと、即座に「シュッテイン」と言った

 

Ø  「指揮者とオーケストラの最も幸福な瞬間」 エフゲーニ・スヴェトラーノフ(19931) 192802年。ロシア出身。55年ボリショイ劇場指揮者、のち首席。6500年ソヴィエト国立交響楽団音楽監督兼首席指揮者。68年人民芸術家。72年レーニン賞

遅めの基本テンポで、とにかく安定。ここぞという時の大きなアゴーギク(テンポの変更)が感動的

 

Ø  「マドリッドの夜の孤独な司祭」 エリアフ・インバル(199312) 1936~。イスラエル出身。ヴァイオリニスト。チェコの首席。都響でプリンシパルの後、桂冠指揮者

93N響初登場がチャイコフスキー5番とマーラーの3

音楽づくりはダイナミック

 

Ø  「再会は世界のオザワの独壇場」 小澤征爾(19951) 1935~。トロント、サンフランシスコ、ボストン、ウィーン国立歌劇場音楽監督。新日本フィル桂冠名誉指揮者

小澤だけはN響を指揮することはないと信じられていたが、95年手打ちで、ロストロポーヴィチのドボルザーク(ドボコン)とバルトークの《管弦楽のための協奏曲》、更に直前の阪神大震災の犠牲者追悼のために《G線上のアリア》が追加されたプログラムを共演

全ての合図、動きには音楽として尾意味があり、見ているだけでどうすればいいのかがよく理解できた。表現が細かく、かつ具体的で、演奏者にとっては一切の迷いがない、巨大な安心感がある

 

Ø  「ユーモアと笑顔、「もう一度。しかし今度はご一緒に」 アンドレ・プレヴィン(199510) 192919年。ドイツ出身。ピアニスト。作曲家。米移住後ジャズや映画音楽で活躍後、62年指揮者デビュー。ヒューストン、ロンドン、ピッツバーグ、ロサンゼルス、ロイヤル・フィル、オスロなどを歴任。N響名誉客演指揮者

モーツァルトは絶品

自身が作曲したファゴットを入れたトリオを共演したこともある

 

Ø  「今すぐもう一度振りたい」  スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(19962) 192317年。ポーランド出身。作曲家。ワルシャワ、クリーヴランド、ミネアポリス、ハレ、ザールブリュッケンを歴任。読響桂冠名誉指揮者

深い作曲作業への洞察から「大作曲家の書斎に入り込むパスポート」を持った、限られた人物の1

最後の客演になった時、初日の講演の後「お疲れになったでしょう」と、90近い高齢を気遣って言った時の返事が冒頭

 

Ø  本当に特別な指揮者」 ズビン・メータ(199611) 1936~。ウィーン・フィルでデビュー。モントリオール、ニューヨーク、ウィーン・フィル、ミュンヘン、フィレンツェ国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場などの名誉指揮者。イスラエル終身音楽監督

96N響を初めて指揮する際の挨拶では、父親の葬儀のために来日が1日遅れたことを詫びた後、「この年齢になると、初めてのオーケストラを指揮することはほとんどないので、とても緊張している」といって感動させた

もう1回、東日本大震災のチャリティでベートーヴェンの第9を共演したが、通常のベートーヴェンの演奏とは全く異なる独特の雰囲気、ことに歌い回しなどが随所にあり、どこまでも「歌」にしてしまう自然の感性が感じられる

 

Ø  「美味しい、楽しい料理を少しづつ」 広上淳一(19974) 1958~。東京音大卒。ノールショピング、リンブルク、リヴァプール、日フィル、コロンバス、京都市響常任指揮者

指揮の師であり、人生の師でもある

N響デビューは91年、余りに個性的な言動から指揮を巡って楽団員同士が喧嘩

共演は97年、プログラムの構成が冒頭の感じ

とんでもない譬えで演奏尾を説明するので、リハは良い雰囲気で進む

10年に指揮を勉強するために門を叩く

 

Ø  「東フィルが羨ましいほど素晴らしい」 チョン・ミョンフン(19989) 1953~。ピアニスト。ロス、フィレンツェ市立歌劇場、フランス国立放送フィル、東フィル名誉音楽監督

東フィルとは、オケと指揮者の関係でそんなことがあるのか、という程の愛情と信頼感だったようだ

 

Ø  「いきなり本質を見抜く野生のカン」 ウラディーミル・アシュケナージ(200010) 1937~。ロシア出身。ピアニストとしてショパン、エリザベート、チャイコフスキーで上位。ロイヤル・フィル、ベルリン・ドイツ、チェコ、シドニーを歴任。04年からN響の音楽監督、07年桂冠指揮者

レパートリーがとんでもなく広く、野性のカンのようなものが鋭く、いきなり本質を理解

04年の定期のチャイコフスキー4番で指揮棒が左手に刺さって折れ、そのまま病院に担ぎ込まれたが、翌日は元気に指揮していた。以後ほとんど弾き振りはしなくなった

 

(定期公演) 定期会員になって、いつも同じ曜日、同じ時刻、同じ席で聴くシステムの演奏会。3か月単位が基本。プロのオーケストラが自分たちの希望する曲目、指揮者などで公演に臨む、真剣勝負であり、成果発表の大切な機会。毎月3つのプログラムを2日間づつ公演し、全部を1人の指揮者が通して指揮。すべてにテレビ中継、ラジオ生放送が入るのも異例

世界ではプロオケの多くが歌劇場の専属か、営業公演中心で経営してたまに定期をやっているのが普通

 

III 20015月~200912

Ø  「クラシックの指揮も面白い! 中国文化を牽引する天才」 タン・ドゥン(20015) 1957~。作曲家として洋楽と中国古典音楽、実験音楽の融合を実現

中国の発展を象徴する芸術の旗手、中国の小澤征爾

 

Ø  「アドリア海の見える練習@NHK交響カラオケ」 ネルロ・サンティ(200111) 193120。イタリア出身。作曲家。イタリア・オペラのスペシャリスト。チューリヒ、コヴェント・ガーデン、ザルツブルク音楽祭、メトロポリタン、ウィーン国立歌劇場などで客演

最もイタリア的。180㎝を超える巨体。英独伊ごちゃまぜの指示がくる

レパートリーを全て暗譜。オペラも、歌手のいない時は勿論、来てからも自ら歌う

 

Ø  「スター指揮者の君臨するオケの悲哀」 ワレリー・ゲルギエフ(200211) 1953~。アルメニア首席、キーロフ劇場芸術監督。96年マリインスキー芸術総監督。ロンドン、ミュンヘンの首席

96N響初登場

「何も決めずに演奏に取り掛かる」という雰囲気が濃厚で、練習と本番でテンポが2倍も違うというような即興的な解釈などを平気でやる

練習も意外に普通で、どうしてあそこまで世界的名声を保ち続けているのかの神秘には辿り着けなかった

 

Ø  「ノン・ヴィブラートは今週で終わりだな」 サー・ロジャー・ノリントン(200611) 1934~。イギリス出身。合唱と声楽を学ぶ。バロック作品中心に録音。ケント・オペラ音楽監督。古楽オーケストラのロンドン・クラシカル結成。シュトゥットガルト放送、チューリヒ室内の各首席

ヴィブラートをかけない(ノリントンは「ピュア・トーン」と呼ぶ)、澄み切った音程の積み重ねが作る和音の美しさに覚醒した時に出会ったのが06年に共演したノリントン

ピリオド奏法に不慣れだったN響メンバーからは相当な不評、反発が起きたが、「モダンのオケを振るピリオド指揮者」の草分けとなる

その後、ホグウッド、コープマン、ロトなどピリオド系の名指揮者が続々と客演した

 

Ø  「オケからとってもいい音がするサー」 サー・ネヴィル・マリナー(200710) 192416。ヴァイオリニスト。アカデミー・オブ・セント・マーティン創設。ロサンゼルス室内、ミネソタ、シュトゥットガルト放送響の音楽監督

07年、83歳で客演(最初は79)N響に最も愛された指揮者の1

オーケストラにとって「いい音がする」指揮者

 

Ø  新世代のエースN響最後のカンタービレ」 トゥガン・ソキエフ(200810) 1977~。ロシア出身。ロンドン・フィル、マリインスキー劇場、トゥールーズ・キャピトル、ベルリン・ドイツの音楽監督。14年からボリショイ劇場音楽監督

柔軟で感情豊かな美点は、21世紀の指揮者として新しい世代の登場を告げる

20世紀途中まで、「指揮者」はオーケストラにとっての指導者だったが、21世紀にかけて世界中のオーケストラの演奏能力は飛躍的に向上、ほとんどのレパートリーなら1日のリハの半分で本番ができる完成度まで持って行ってしまうので、確定した解釈を繰り返すことには限界がある所から、進化したオーケストラの能力、魅力を引き出して良いコンサートを作るには、音楽の時間の中にオケとともに身を置いて、瞬間ごとの音楽思考を重ねていける素質がとても重要。音楽とオーケストラに対するファジーで微細な感情の共鳴は、音楽ア演奏の未来を指し示すものと言えるのではないか

 

Ø  まだ、これでは足りない”!? 土着と洗練の《春の祭典》」 アレクサンドル・ヴェデルニコフ(20093) 1964~。ロシア出身。モスクワ市響の初代芸術監督兼首席指揮者。ボリショイ劇場音楽監督、ロシア国立管首席客演、オーデンセ名誉指揮者。18年からデンマーク王立歌劇場首席指揮者

09年の初登場時45歳の若さ

チャイコフスキー4番も、《春の祭典》も独特の「ロシアの土着音楽」の雰囲気を濃厚に醸し出すことに成功していた

 

Ø  「オーボエ指揮者の大先輩」 エド・デ・ワールト(20094) 1941~。オランダ出身。オーボエ奏者。ニューヨーク、コンセルトヘボウ副指揮者、サンフランシスコ、ミネソタ、香港、ミルウォーキーの音楽監督、シドニー、ネーデルランド・オペラの首席、ニュージーランド音楽監督

オランダ管楽アンサンブルのリーダー

オーボエ出身の指揮者は、ピアニスト、ヴァイオリニストに次いで多い。オーボエは扱いが繊細で失敗し易い楽器で、音域が狭くて単旋律しか演奏できず、伴奏が不得手なことから、欲求不満が蓄積し、全体をストレスなくコントロールできる指揮者に憧れる

ルドルフ・ケンペ、ミヒャエル・ヘルムラート、ベルリン・フィルのシュレンベルガー、ハインツ・ホリガーなどがいる

オーボエとクラリネットは暗黙のライバル関係にあり、指揮者もオーボエを褒める人はあまりクラリネットに関心がなく、クラリネットに「ブラボー」を出す人はオーボエに愛情を感じていない様子

 

Ø  「チューニングはトランペットで?」 クリストファー・ホグウッド(20099) 194114。イギリス出身。鍵盤楽器奏者。音楽学者。オリジナル楽器によるアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックを創設。ヘンデル・ハイドン・ソサイエティ芸術監督、セントポール室内音楽監督

09年初登場。指揮棒を持たず、ヴィブラートなしというピリオド・スタイル

研究の範囲が1819世紀に音楽が持っていた役割や聴衆との関係まで広がっていることを思わせた新鮮な指揮

残された膨大な資料を綿密に判読、検討し、資料価値を判断したり整理しながら実用楽譜にして本番で使用。校訂を自ら行う指揮者は珍しい

聞いた中で最も驚いた話は、「18世紀当時ロンドンでは、オーケストラのチューニングはトランペットで、しかもAではなくDで行っていた」というもの

 

Ø  東独ライプツィヒの街で見かけた日本車の持ち主」 クルト・マズア(200912) 192715。ドイツ出身。ゲヴァントハウス、ニューヨークの音楽監督、ロンドン・フィル首席、フランス国立管名誉音楽監督

メンデルスゾーンが指揮していたという歴史を持つゲヴァントハウスの伝統を、西側の風に当てずに「純粋培養」してきた常任指揮者として長い

東独時代に日本車を運転する特権を許されていた。何番目かの夫人は日本人。ベルリンの壁崩壊の時は彼が危険な市民運動の先頭に立って平和的解決に導き、統一の記念演奏会では第九を指揮

09N響に初登場し第九を指揮。読響と非常に親密だったので予想外の僥倖

壁崩壊前のN響名誉指揮者4人のうち東ドイツ出身はオトマール・スウィトナー1人だったので、久しぶりに「東ドイツの響き」をN響にもたらす

 

(休憩時間) N響のリハーサルは10時~1515分。1時間ごとに15分の休憩が入るが、時間通りになるか否かは指揮者次第

本番の初日のゲネプロ(本番前の会場練習)は、11時~13時。カメラ・リハーサルを兼ねているので、原則的に本番通り止まらずに通す

 

IV 201210月~20193

Ø  「音楽の世界の頂点から見えたもの」 ロリン・マゼール(201210) 193014。 フランス生まれアメリカ育ち。作曲家。ヴァイオリニスト。ベルリン・ドイツ・オペラ、ウィーン国立歌劇場総監督兼首席指揮者、ベルリン放送、クリーヴランド、ニューヨーク、バイエルン放送、ミュンヘンの首席指揮者

唯一のN響との共演が12年に実現、定期ABCプログラム全部+NHK音楽祭に連続登場

世界一の暗譜能力の持ち主との噂も。即興の遊びを優先している気配も。大胆な楽譜変更、独自の解釈の限界のようなことも行い、《ボレロ》の最後で突然テンポを変えるなどはその代表例

オケマンは、それぞれの曲の「作曲家、様式、時代」などを大切に考えて演奏するが、マゼールの指揮は、そうした区分、匂い、味などを超えた「マゼールの音」になっている

 

Ø  「《マイスタージンガー》を振る若きマイスター」 セバスティアン・ヴァイグレ(20134) 1961~。ドイツ出身。ベルリン国立歌劇場首席ホルン奏者15年の後同管の指揮者に。フランクフルト歌劇場音楽総監督。19年から読響常任指揮者

ベルリン国立歌劇場の音楽監督だったバレンボイムに見出されて指揮者に転向

N響でワグナーといえば、シュタインとの共演が有名だが、ヴァイグレの快速でありながら熱いワグナーは、最初の数分でオーケストラを虜にする力があった。ワグナーの音楽の11秒が交響曲のような密度を持っているのを実感

 

Ø  「ホルン、吹く前から大きすぎる」 マレク・ヤノフスキ(20144) 1939~。ポーランド出身。ヴァイオリニスト(15歳の時ヒンデミット指揮で共演の経験あり)。ケルンでサヴァリッシュに師事。フライブルク、ドルトムントの音楽監督、フランス放送、ベルリン放送芸術監督、ロマンド音楽監督、ドレスデン芸術監督

14年の「東京、春、音楽祭」での《指環》全4部での4年間の共演がスタート

《ラインゴールド》のリハでは、演奏前から冒頭の一言。曲の頭がホルンの波打つような重なりなので警告を発しておく。ほとんどは音量が小さい方向に修正される

 

Ø  徹底的に、迷いなく、高速で直進する現代的指揮者」 パーヴォ・ヤルヴィ(20152) 1962~。エストニア出身のアメリカ人。ストックホルム、カンマーフィル、シンシナティ、パリの音楽監督。15年からN響首席指揮者。19年からトーンハレ音楽監督兼首席指揮者兼務

明快で無駄がない。レパートリーの広さに驚く

パーヴォの活動全体を貫いているのは、多くのことを同時に、しかも高い精度で実現していくための徹底した「無駄のない、迷いのない、高速で直進する」行動哲学を支える能力と知性であり、新しいタイプの指揮者が出現

 

Ø  「いいなあブラームス、いいなあベートーヴェン!」 クリストフ・エッシェンバッハ(201710) 1940~。ドイツ出身。ピアニスト。トーンハレ、北ドイツ放送、パリ、フィラデルフィア、ワシントンなどの音楽監督、19年よりベルリン・コンツェルトハウス首席指揮者

細かいことに拘泥せずおおらか

 

(N響入団の頃と今)

 

特別編 まだまだ書きたい名指揮者たち

Ø  N響入団まで

Ø  1990年~2000

Ø  2001年~2010

Ø  2011年~2019

 

 

 

 

 

 

 

 

「交響録 N響で出会った名指揮者たち」茂木大輔さん

共有したい名演の記憶紡ぐ(あとがきのあと)

2020117 2:00 日本経済新聞

2019年、首席オーボエ奏者を30年近く務めたNHK交響楽団を定年退職した。「ファンと記憶を共有したい」と、在団中に共演した指揮者の思い出をつづった。現在、自らが専業の指揮者として歩みを始めたばかりだ。「指揮者の苦労はやってみないと分からない。プレーヤーの時は態度も悪く、嫌な思いもさせたかも」と苦笑いする。

「人間、最高のものはよく覚えている。その上を行かないと感動はしてくれない」と話す

2019年、首席オーボエ奏者を30年近く務めたNHK交響楽団を定年退職した。「ファンと記憶を共有したい」と、在団中に共演した指揮者の思い出をつづった。現在、自らが専業の指揮者として歩みを始めたばかりだ。「指揮者の苦労はやってみないと分からない。プレーヤーの時は態度も悪く、嫌な思いもさせたかも」と苦笑いする。

N響にとって名演とは何か」。一つの問いが念頭にあったという。名手ぞろいの楽団の演奏レベルは高い。観客の耳も肥えている。「人間、最高のものはよく覚えている。その上を行かないと感動はしてくれない」。期待を超える演奏が常に求められてきた。

そんな楽団にあって「明らかな名演を引っ張り出した指揮者が、やっぱりいた」と力を込める。ヴォルフガング・サヴァリッシュやホルスト・シュタイン、シャルル・デュトワ……。「本に挙げたのは、聴いたこともない音楽を引き出した人ばかり」。一方、世界的に有名な指揮者でも「個人的には、あまり理解できない人もいた」と、時折厳しめの評価も飛び出す。

1996年に著した『オーケストラ楽器別人間学』が話題となった。関連コンサートで自らタクトを振ったことから、指揮活動を始めた。「意外と簡単と思ってしまったが、メンバーは失笑しながら合わせてくれたと思う」。その後、東京音楽大学で広上淳一の指揮レッスンを目の当たりにし「自分が何も分かっていないことに気付いた」。

広上門下で一から学び、退団後は肩書を指揮者一本にした。オケマンとしての未練はない。「背水の陣を敷いて、棒の振り方も勉強の仕方も変わった。指揮は甘いものじゃない」

名指揮者が楽員との関係づくりに悩む姿など、裏話も書いた。「プレーヤーと音楽の上で共感はできても、勉強は独り。演奏が終わっても独り。やっぱり指揮者は孤独なんです」。その言葉には、実感がこもる。

(音楽之友社・2000円)書籍の価格は税抜きで表記しています

もぎ・だいすけ 1959年東京生まれ。国立音大卒業後ドイツ留学。91N響首席オーボエ奏者。98年から指揮活動に入る。現在、東京音大指揮科助教を務める。

 

 

 

出版社評

N響29年。元首席オーボエ奏者にして人気エッセイスト(「のだめカンタービレ」クラシック監修でもおなじみ)、しかも指揮者としての顔をもつ著者が、N響で共演した巨匠・名指揮者との思い出を綴った渾身の一作。
音楽を介して数々の名指揮者たちと濃厚な時間を過ごしてきた著者が、自身の記憶の濃さを基準に34名+約110名を厳選。聴く側ではわからない指揮者一人ひとりの個性、仕事ぶり、普段の姿、また、現在指揮者として活躍する著者からみた彼らの技量……を卓抜な文章センス(=茂木節)で表現。共演の感動や熱い想いを、読者も自らの聴取体験と重ね合わせながらしみじみと味わえる。さらに、N響団員の日常を描いたコラム、各章末のイラストには思わずほっこり。こんな本を待っていた!! 日本のクラシック・ファンにこの本を読んでもらうために著者は29年間在籍したのでは!?そんな思いを抱く読者も多いだろう。

 

 

 

 

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