投稿

競泳日本代表の強化の実際――ベッドコーチ松澤一鶴を中心として  武上魁斗  2026.3.6.

  2026.3.6.  競泳日本代表の強化の実際――ベッドコーチ松澤一鶴を中心として     2025 年度 東洋大学修士学位論文   『第 10 回オリンピック競技大会 (1932) における 競泳日本代表の強化の実際――ベッドコーチ松澤一鶴を中心として――』 健康スポーツ科学研究科 健康スポーツ科学専攻 博士前期課程 武上魁斗     序章 本研究の課題と方法 1. 研究の意図と着眼点 戦前にも欧米諸国と肩を並べるべく試行錯誤を重ね、黄金期を築いた過去があった 初めて参加したアントワープ大会 (1920) では古式泳法で臨み惨敗。帰国後にクロールの有効性を日本に伝え、その後力をつけた日本競泳界はアムス (1928) で初めてメダルを獲得し、ロサンゼルス大会 (1932) では男子が 6 種目中 5 種目で優勝、さらにベルリン大会( 1936 )では 6 種目中 3 種目で優勝し、世界のトップクラスの強豪国となった 戦前の黄金期のロスとベルリンの 2 大会でヘッドコーチを務めたのが松澤一鶴 (1900 ~ 65) 。ロス大会に向け日本水上競技連盟から指導に関わる全権限を与えられ、候補者の選考から合宿の計画、現場での技術指導など強化活動の全般を担う。松澤の手腕は、日本競泳界において「水泳界の革命」をもたらした人物として評価されている。本研究では、昭和初期の日本競泳界の国際的な飛躍を支えた人物として、松澤一鶴に着目 オリンピックでの勝利が国民的関心を集め「スポーツの黄金期」を築いた時代的潮流の中で、 1924 年に創立された日本水上競技連盟がわずか 8 年で急速な発展を遂げ、 ’32 年のロス大会において世界を制覇するに至った。 '69 年水連は 40 年史において、「ロス大会のようにほとんど全員が記録を更新した例はない。水泳は個人競技だが、チーム全体が向上した。その後も期待されたが、うまくいったためしがない」とロス大会を評価 その発展の背景には、水連がロスでの勝利を明確な目標として掲げ、「オリンピック第一主義」の理念のもとで一貫した強化方針を推進したことが挙げられる この方針の下、成果に導いたのがヘッドコーチの松澤一鶴であり、ロス大会における男子競...