ベートーヴェンとピアノ 「傑作の森」への道のり 小山実稚恵/平野昭 2020.10.25.
2020.10.25. ベートーヴェンとピアノ 「傑作の森」への道のり
著者
小山実稚恵 ピアニスト。チャイコフスキー、ショパンの二大コンクールに入賞した唯一の日本人。「12年間・24回リサイタル・シリーズ」を17年に完成、19年からベートーヴェンの後期ソナタを中心とした「ベートーヴェン、そして・・・・」を開始。国内外の主要オーケストラや著名な指揮者と数多く共演し、コンチェルトのレパートリーは60曲以上。被災地で演奏も続けている。CDはソニーと専属契約。紫綬褒章受章
平野昭 武蔵野音大大学院修了。西洋音楽史及び音楽美学領域。18~19世紀ドイツ語圏器楽曲の様式変遷を研究。特に、ハイドン、モーツァルトからベートーヴェン、シューベルトに至る交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタを中心にソナタ諸形式の時代および個人的特徴を研究。沖縄県立芸術大、静岡文化芸術大、慶應義塾大教授を歴任。音楽評論分野でも月刊誌、日刊紙と放送出演で活躍
編集協力
長井進之介 国立音大大学院伴奏科修了を経て、同大学院博士後期課程音楽学領域単位取得満期退学。在学中にカールスルーエ音大に交換留学。演奏、執筆、「OTTAVA」プレゼンター等、多方面で活動中
発行日 2019.7.15. 第1刷発行
発行所 音楽之友社
はじめに
小山 「ベートーヴェンにとって、ピアノは音楽の源であった・・・・」
対談を通して強く感じたのは、ベートーヴェンのピアノへの愛の深さ。ピアノの名手だったベートーヴェンは、自らがピアノで演奏することを前提に、あらゆる音楽表現をまずピアノ作品で試みる。この対談では、ベートーヴェンがまだピアニストだった時代のピアノ作品についてを語り合う
ベートーヴェンが書きつらねた『音玉』を眺めてみると、楽譜が読めても読めなくても、きっとベートーヴェンの心の声が感じられることでしょう
平野 ベートーヴェンの生涯がピアノという楽器の発展改良の時代と完全に重なっていることは、奇跡か、それとも運命のいたずらか。バッハ、ハイドン、モーツァルトと連なるチェンバロやフォルテピアノのための音楽の表現形式がベートーヴェンによって一変する
伝統を無批判に踏襲することを最も嫌ったベートーヴェンはまずピアノで様々な革新的表現を追究する
本書では、ベートーヴェンが古典派様式をいかに消化吸収し、19世紀の新時代様式を開拓したのかを演奏実践者とともに解き明かしたい
第1回 幼少期に当たる「ボン時代(1770~92)」、そして作曲家としてのキャリアを開始した「ウィーン時代(1793~1802)」に書かれた以下の曲を取り上げる
l 「ドレスラーの行進曲」の主題による9つの変奏曲 WoO 63 (作曲1782)
ボンに生まれ、幼少より父から音楽の手ほどきを受け、7歳でクラヴィーア奏者として公開演奏会をするほどの実力。79年ボンに移住してきたネーフェ(1748~98)に師事
師に勧められて最初に書いた作品が11歳の時の《「ドレスラーの行進曲」の主題による9つの変奏曲 WoO 63》で、テノール歌手ドレスラーの行進曲を主題とした作品で、ベートーヴェンの重要な作品に用いられるハ短調で書かれている。この直後に最初のピアノ・ソナタ《3つの《選帝侯ソナタ》 WoO 47》を書き、22年には最後の《ピアノ・ソナタ第32番 Op111》を書く。作曲開始から40年にわたりコンスタントに作曲し続けたジャンルはピアノ・ソナタだけ
ピアノ・ソナタで行ったことに様々な要素を肉付けして交響曲を書き、逆にいろいろなものを削ぎ落して弦楽四重奏曲を書く
変奏曲は、主題を展開する重要な手法
ソナタというジャンルは、調の移り変わりや主題の多様な展開などを学ぶ最高の課題
ソナタは、特にこの時期、貴族の子女が弾くことを想定して書かれた、サロン向けのジャンル
l 3つの《選帝侯ソナタ》 WoO 47 (作曲1782~3)
自分の主題によるソナタの最初が《選帝侯ソナタ》「急―緩―急」の伝統的な形式は守られているが、相当の革新性を持っている
l 3つのピアノ四重奏曲 WoO 36 (作曲1785)
バッハの《平均律クラヴィーア曲集》を徹底的に学んだことが、調選択や転調の仕方に大きな影響を与えており、3つの四重奏曲の中にも表れている
l ピアノ・ソナタ第1番 Op
2-1 (作曲1793~4)
l ピアノ・ソナタ第2番 Op
2-2 (作曲1793~4)
l ピアノ・ソナタ第3番 Op
2-3 (作曲1794~5)
本格的な最初のソナタ。従来の3楽章構成という常識を破り、3曲とも4楽章で、それぞれが全く違うスタイルで書かれ、サロンのソナタから、より大きなステージを想定した、巨大で複雑な内容を持つ作品に大きく進化。ハイドンに献呈
ベートーヴェンの和声感覚は完全にロマン主義の先取り、楽章1つとっても革新性が見いだせる ⇒ 第2番第3楽章に慣例のメヌエットではなくスケルツォを置く
ベートーヴェンの音楽観と師ネーフェ
幼年時代、師ネーフェによってもたらされた大バッハとその次男C.P.E.バッハの影響を見極める必要がある。生涯にわたってベートーヴェンの心の奥深く静かに流れ続けていたバッハ父子からの声があったのではないか
ネーフェは、幼少期オルガン奏法の手ほどきを受け、作曲、劇団の監督を経て、82年ボンの宮廷オルガニスト
Op記号を持たないピアノ曲と変奏曲
ベートーヴェンのピアノ独奏曲ではソナタと変奏曲が重要作品だが、その全体像は意外と知られていない。作品には番号なしや没後出版されたものもあり、日本では死後の出版に「遺作」とつけるが、不都合で無意味
WoOは、「作品番号を持たない作品」の意。WoO47~86がピアノ独奏曲。うち63~80の「32の変奏曲」が変奏曲集
ベートーヴェンにとって変奏曲は、あらゆるジャンルの器楽曲において重要な表現語法の一つだが、とりわけ自らも演奏したピアノ曲で傑出した才能を発揮しているが、最初の作曲作品が《ドレスラーの行進曲主題による9つの変奏曲》であり、最後の《ピアノ・ソナタ第32番》の終楽章が変奏曲楽章であることは象徴的。最後のピアノ曲の大作も1823年完成の《ディアベッリの主題による変奏曲》
ソロ・ピアノのための変奏曲を全20曲残したが、79年までの12曲と、以後の8曲では主題タイプが全く異なる。前半は交響曲も弦楽四重奏曲も作曲していないピアニストとして活躍していた時代で、主題は他の作曲家によるもので、《ドレスラー》以外はすべて舞台音楽から採られたもの、何れも上演直後や話題となって流行した時期に作曲され、作品番号こそつけなかったが、作曲から半年後までには出版され、即興の名人だったベートーヴェンであれば、作曲自体が即興演奏だった可能性がある
第2回 記念すべきOp
1となる3つのピアノ三重奏曲を扱う。従来の「ピアノ・ソナタ+弦楽器群による伴奏」という概念を破壊し、弦楽器の役割が向上
l ピアノ三重奏曲第1番 Op1-1 (作曲1792~4)
l ピアノ三重奏曲第2番 Op1-2 (作曲1793~5)
l ピアノ三重奏曲第3番 Op1-3 (作曲1793~5)
1792年ハイドンに弟子入りし、ウィーンに移住。95年にはブルク劇場で公式デビュー
当時あまり重要視されていなかったジャンルのピアノ三重奏曲にOp 1を与えたことに驚く。ピアノ三重奏曲というジャンルが定着したのは18世紀後半
Op 1で既に見出せる、作品全体が1つのコスモスを形成しているかのような作品構成はベートーヴェンの特徴、曲を纏めて出版する場合、各曲の調の関係についてかなり強く意識、一方が短調ならもう1曲は長調で書かれることが多い
初期ピアノ三重奏曲に内在する交響曲志向
ウィーン移住の大志の1つが交響曲創作だが、あと7年はかかる
その間、ピアノ三重奏曲にしてもピアノ・ソナタにしても異例の4楽章構成でスケルツォあるいはメヌエット表記ながらも実質的にはスケルツォの性格を持つ第3楽章を配していることから、ハイドンの交響曲様式の強い影響で書かれていることは確実。特に第3番はハイドンの《交響曲第95番ハ短調》(1791年ロンドンで作曲)をモデルとしている
第3回 1796年、名チェリストとの出会いによって生み出されたチェロ・ソナタ1番2番。バス楽器としての役割が高かったチェロに高度な技巧と豊かな音楽性を与え、このジャンルでもベートーヴェンはパイオニアともいえる存在となる
l チェロ・ソナタ第1番 Op
5-1 (作曲1796)
l チェロ・ソナタ第2番 Op
5-2 (作曲1796)
生涯でチェロ・ソナタを5曲しか書いていないが、両者完全に対等であり、それぞれの楽器のあらゆる技法を見出すことのできる充実ぶりを示す
チェリストに恵まれたが、この作品の初演はデュポールというプロイセン宮廷の首席
ピアノとチェロのために書かれた二重奏作品の最初のもの。ハイドンにはない。チェロ協奏曲はあっても、それはチェロと通奏低音のためのもの
1796年のプラハ~ベルリン旅行
ベートーヴェンの生涯で最も長い音楽の旅が、96年2月にウィーンを出発して、プラハ、ドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンを巡る5カ月の旅行で、ウィーンの家主兼パトロンのリヒノウスキー侯爵に連れられプラハの音楽界に紹介される。モーツァルトをプラハに誘ったのも同侯爵。各地で作曲し、演奏したが、ベルリンでプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の御前でデュポールと共演した新作が2つの《チェロ・ソナタ》
この時、自らチェロを嗜む国王のために作曲したのが、《ヘンデル「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲 WoO45》および《モーツァルト「魔笛」の主題による12の変奏曲 Op 66》も作曲
第4回 ベートーヴェンの個性がさらに輝き始め、洗練された技巧が映える3曲だが、実際は若い時に書かれた学習用のOp 49に新たな一面を見出す
l ピアノ・ソナタ第4番 Op
7 (作曲1796~7)
l ピアノ・ソナタ第19番 Op
49-1 (作曲1795~8)
l ピアノ・ソナタ第26番 Op
49-2 (作曲1795~6)
初期のソナタは重要ではあるが、プログラムに取り上げられる機会が少ない中、《第4番》は、書法や献呈された人物など総合的に見ていくと、新たな発見に満ちた作品
献呈されたのは、ベートーヴェンに早くから弟子入りしたピアノの優れた弾き手・バベッテ・ケグレヴィッチ伯爵令嬢
ベートーヴェンのソナタは32曲あるが、出版の順番で、作曲順ではない。Op 49の2曲は《第4番》の直前に書かれている。4楽章で書かれている《第1~3番》と《第4番》の間に書かれた各2楽章のOp 49の2曲は、併せて4楽章のソナタと捉えることが出来る ⇒ 20番第1楽章(ト長調)―19番第1楽章(ト短調)―20番第2楽章(ト長調)―19番第2楽章(ト長調)の4楽章とした方が自然
バベッテ・ケグレヴィッチとエルバ=オデスカルキ公
バベッテはクロアチアの名門で、チェコ在住の侯爵令嬢。97年までにはベートーヴェンに弟子入り。1801年にイタリアの名門貴族でウィーン宮廷の侍従を務めたこともあるエルバ=オデスカルキと結婚。33歳で早逝するが、エルバ=オデスカルキ公はウィーン楽友協会副理事長としてベートーヴェンに作曲の委嘱もするが、ベートーヴェンの難聴が進み
第5回 同じOp
10ながら、全く違う書法で書かれた3曲
l ピアノ・ソナタ第5番 Op
10-1 (作曲1795~7)
l ピアノ・ソナタ第6番 Op
10-2 (作曲1796~7)
l ピアノ・ソナタ第7番 Op
10-3 (作曲1797~8)
初期ソナタ群でも、その書法、キャラクターは実に多彩。新たな方向に進み始めた創作の歩みを追う。《第8番 悲愴》から大きく書法が変わるといわれるが、ピアニズム、調の推移、感情表現など、既に多くの革新性がOp 10で発揮されている
第6回 チェコとドイツへの大旅行で、改めてモーツァルトの書法に接し、自身の創作に取り入れつつ独自のスタイルを打ち出していく。様々な編成の作品の創作に取り組むことで音楽性も深めていく。過渡期を象徴する3曲
l ピアノ三重奏曲第4番《街の歌》 Op
11 (作曲1797~8)
旅行を通じ、いろいろな楽器とのアンサンブルによる作品が増加。ここではクラリネットが使われ、終楽章ではオペラ・アリアを主題にした変奏曲だったりと、新しい試み
l ピアノと管楽のための五重奏曲 Op 16 (作曲1796)
古典性や娯楽性が融合した作品
l ホルン・ソナタ Op
17 (作曲1800)
随所に新たな要素が見いだせる
モーツァルトからの影響
1787年ベートーヴェンがモーツァルトの教えを乞いにウィーンを訪問、与えられた主題をその場で即興演奏すると、モーツァルトが興奮して、「いつか話題になるだろう」と語ったというエピソードは、モーツァルト側の伝記にはなく、ベートーヴェン側の伝記のみが伝える
ボンの宮廷楽団員として、ベートーヴェンはモーツァルトのオペラのボン上演に数多く関わってきたし、ケルン選帝侯がウィーン育ちでモーツァルト音楽の讃美者だったことからモーツァルト音楽の受容が推奨されていた。85年作曲の《3つのピアノ四重奏曲》の楽曲構成は、モーツァルトの《6つのヴァイオリン・ソナタ Op 2》の中の3曲の楽章構成や形式を模倣して書かれている
1790年代の管楽器のための音楽
管楽器だけの編成の作品は、今日の演奏会では聴く機会がないが、ボンの宮廷楽士時代には仲間たちのために、ウィーン進出後はサロンに集う様々な管楽器奏者のために書かれたものがある。92年作曲の《2本のフルートのための二重奏曲 WoO26》や《パルティア》と題された弦楽八重奏曲 Op 103(オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2管。ハーモニームジークと呼ばれ、ベートーヴェンの室内楽で最大編成。緩―急―メヌエット―急の4楽章)
ウィーン時代初期に興味深い編成の2曲 ⇒ 3楽章編成による《2本のオーボエと1本のイングリッシュ・ホルンのための三重奏曲 Op 87》と同編成の《モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」から「お手をどうぞ」の主題による8つの変奏とコーダ WoO 28》
他にも様々な管楽器のための音楽表現が試みられており、同時期に書かれたピアノを編成に含む室内楽作品との様式的類似性を見ることもできる
第7回 漸くヴァイオリン・ソナタがとうじょう。大先輩のサリエリに献呈された3曲は、当然ベートーヴェンの強い自己主張と画期的な書法がちりばめられている
l ヴァイオリン・ソナタ第1番 Op
12-1 (作曲1797/8?)
l ヴァイオリン・ソナタ第2番 Op
12-2 (作曲1797~8)
l ヴァイオリン・ソナタ第3番 Op
12-3 (作曲1797~8)
ヴァイオリン・ソナタは全10曲。最初の9曲は僅か5年の間に書く。2つの楽器のデュオから、重厚な響きと緊密な対等性を構築。《第5番 春》以降が特に注目されるが、初期作品も魅力あふれる
サリエリは、ウィーンの宮廷楽長。1800~01年師事
作曲家として認められたいと強く願い、その想いを形にすべく様々な技法を凝らした作品だが、《第3番》は「ひたすら難解で、自然さや歌に欠ける」と酷評された
室内楽作品にみる作曲様式の変遷
生涯を通して取り組み続けたジャンルがピアノ曲と室内楽曲
ピアノ・ソナタは22年までに書き終え、23年には《ディアベッリ変奏曲 Op 120》、翌年最後のピアノ曲《6つのバガテル Op 126》を仕上げ、その後は弦楽四重奏曲へと向かう
室内楽ジャンルでは、編年的な変化がみられる ⇒ ハルモニーのような合奏を含めて、管楽器のための室内楽作品は1801年までに集中
室内楽作品で最も重視される弦楽四重奏曲への挑戦は慎重で、98年初めて着手。2年間で《6つの弦楽四重奏曲 Op 18》(成立順は第3,1,2,5,4,6)を書き上げ、同時期に初の《交響曲第1番》も完成させるが、弦楽四重奏曲への道に向かう入口に位置しているのがこの3曲のヴァイオリン・ソナタ
第8回 《悲愴》に込められた様々な作曲技法、そしてピアノ・ソナタの枠を超えた表現が次々と見出せる《第9,10番》を扱う
l ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》 Op
13 (作曲1797~8)
l ピアノ・ソナタ第9番 Op
14-1 (作曲1798)
l ピアノ・ソナタ第10番 Op
14-2 (作曲1799?)
ベートーヴェンのピアニズムや表現の多様性が凝縮した3曲
強いドラマ性や、それまでの7曲には見られなかった書法がみられ、「新時代を告げる」作品。当時ピアノ・ソナタにタイトルをつけることはなかったので、初めてのタイトル付きソナタ。自筆譜は存在しない
《悲愴》は、3大ソナタの中では最もやさしいが、聴いただけではそうとは思わせない効果的な書法、ピアノ・テクニックが機能的かつ効果的に使われている
直後に書かれた《第9番》は全く違うスタイル。ヘ長調の《弦楽四重奏曲 Hess 34》に編曲されている。《悲愴》までは「チェンバロまたはピアノ・フォルテのための」とあったが、《第9番》からは「ピアノ・フォルテのための」だけとなる
《第10番》も複数の楽器の対話のように書かれている
「愛称」の功罪
「愛称」を曲名と思ってしまうと、演奏解釈にまで影響を与えかねない
ベートーヴェン自身が「愛称」をつけたのは《悲愴》だけ。他は、音楽内容とは関係ないものもあり、《月光》などは最大の「罪」、《熱情》も根拠なし、《葬送》も第3楽章だけのタイトル、何れも曲のイメージをミスリードしている
ベートーヴェン ウィーン時代の住まい
1792年ウィーンに移住して以来、亡くなるまでの35年間で30回以上引っ越し
半径2~3㎞以内の狭い範囲で変えている
第9回 存命中は日の目をみなかったピアノ協奏曲第0番、《第2番》の第3楽章として想定されつつも差し替えられ、独立した曲となった《ピアノと管弦楽のためのロンド》を検証
l ピアノ協奏曲(第0番) WoO
4 (作曲 1784)
l ピアノと管弦楽のためのロンド WoO 6 (作曲 1793)
ピアノ協奏曲は5曲あるが、《第1番》と《第2番》は完成までにかなりの改訂された作品。これらの前には《第0番》があり、《第2番》の第3楽章は差し替えられている
ピアノ・パート譜しか現存しない ⇒ 後にそれを基にオーケストレーションしたものがある
新時代のためのピアノ協奏曲への道のり
ショパンやリストの30~40年も前に超絶技巧を持ったベートーヴェンにとって、先ずは自分で演奏するピアノ音楽、とりわけ協奏曲で、当時ウィーンではモーツァルトのピアノ協奏曲に熱狂、それを超えようと考えたことは間違いなく、先ずは模倣から入る
最初の協奏曲《第0番》、次の《第2番》にはモーツァルト・スタイルの色濃い残照が見られるが、次に書いたが先に出版されたために作品番号が逆転した《第1番》では、協奏曲革新の道のりが始まる。《第1番》に続く《第3~5番》に共通しているのは、第2楽章の調が古典派時代の5度調(主調より5度高い属調、5度低い下属調)ではなく、すべて3度調が設定されていること。協奏曲の交響的音楽内容の充実のため、協奏曲の醍醐味ともいえるカデンツァ部を作品の中に作曲してしつらえ、《第5番》ではピアニストの自由即興によるカデンツァ部を廃止
第10回
モーツァルトからの影響の脱却、「ピアニスト」から「作曲家」への移行など、ベートーヴェンの優れた筆致に進化の過程が見出せる2曲を取り上げ
l ピアノ協奏曲第1番 Op
15 (作曲 1793~1800)
「作曲家=ベートーヴェン」としての歩みを大きく進めた作品で、他の作曲家にも影響
l ピアノ協奏曲第2番 Op
19 (作曲 1786~98)
《第2番》は、モーツァルトの影響から離れようと改訂に改訂を加えたため、出版が遅くなった。編成が小規模なのは貴族のサロンで演奏することを想定したため
第11回
楽章構成やテクニック、モーツァルトの《トルコ行進曲》への自分なりの回答など、あらゆる点で前時代へのオマージュともいえるものが見出せる2曲
l ピアノ・ソナタ第11番 Op
22 (作曲 1800)
4楽章構成に貫かれた実験性と革新性
《第11番》は、パトロンだったウィーン駐在のロシア軍人・ブロウネ=カミュ伯爵に献呈
l ピアノ・ソナタ第12番 Op
26 (作曲 1800~01)
古典的なものから革新的なものに変化
《トルコ行進曲》を思わせるものが見出せる ⇒ 第2楽章のメヌエットに対してスケルツォを、第3楽章には《葬送行進曲》を置かれている
第12回
ソナタと題されながらもその形式から逸脱した《幻想曲風》と《月光》のOp
27、オーソドックスなソナタ形式ながらも、音色や楽章間の連結や調関係など新たな実験が見出せるOp 28を採り上げる
l ピアノ・ソナタ第13番 Op
27-1 (作曲 1801)
l ピアノ・ソナタ第14番《月光》 Op
27-2 (作曲 1801)
l ピアノ・ソナタ第15番《田園》 Op
28 (作曲 1801)
ベートーヴェンの創作様式をソナタ形式に注目していくと、7つの時期に分けられる ⇒ ①学習期・ボン時代(1782~92)、②ウィーン台頭期(1793~99)、③実験的ソナタ期(1800~01)、④ドラマ的ソナタ期(1802~08)、⑤カンタービレ期(1809~13)、⑥ロマン主義接近期(1814~16)、⑦孤高的様式期(1817~26)
実験の第1は、第1楽章にソナタ形式を使わないこと。全楽章がアタッカで繋がれ、より一層全体が密な繋がりを持つ
ベートーヴェンのペダル記号の意味
ベートーヴェンのピアノ・ソナタでペダル記号が初めて使われたのは《第12番》だが、《第13番》ではすべての楽章がアタッカ(続けて演奏)される構成に対し1カ所だけペダル使用指示がある。当時使用していたフォルテピアノには足踏み操作のダンパーはなく、すべて膝梃子の操作だった
第13回
初の短調によるヴァイオリン・ソナタである《第4番》と、交響曲のような充実した構成の名曲《第5番》を検証。2曲には大きなコントラストも見出だせる
l ヴァイオリン・ソナタ第4番 Op
23 (作曲 1800~01)
ヴァイオリンの位置付けを高め、書法的にも音楽的にもピアノとの対等性が強まる
l ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》 Op
24 (作曲 1800~01)
ヴァイオリン・ソナタとして初めての「急―緩―スケルツォー急」の4楽章構成
第14回
《クロイツェル》誕生に重要な功績をもたらした《第6番》、ベートーヴェンの重要作品に用いられるハ短調の大作《第7番》、隠れた名曲《第8番》
l ヴァイオリン・ソナタ第6番 Op
30-1 (作曲 1802)
l ヴァイオリン・ソナタ第7番 Op
30-2 (作曲 1802)
l ヴァイオリン・ソナタ第8番 Op
30-3 (作曲 1802)
3曲ともロマノフ王朝第10代皇帝・アレクサンドル1世に献呈され、《アレクサンダー・ソナタ》と呼ばれる
《第6番》の第3楽章には3稿あり、第2稿が《クロイツェル》に転用 ⇒ 《クロイツェル》はバイオリニストのブリッジタワーがウィーンで演奏会を行うために急遽作られたため、前年作曲して使われなかった楽章を転用
トリルやシンコペーションを多用するようになり、将来的にはフーガに結実
第15回
難聴と闘いつつ「強く生きる」意思を反映するかのように生み出された3曲
l ピアノ・ソナタ第16番 Op
31-1 (作曲 1801~02)
l ピアノ・ソナタ第17番《テンペスト》 Op
31-2 (作曲 1801~02)
l ピアノ・ソナタ第18番 Op
31-3 (作曲 1801~02)
このころ書かれた『ハイリゲンシュタットの遺書』をベートーヴェンの決意表明として捉えながら、Op 31の3曲を聴くと、唐突な変化や強烈な表現の意味がよく分かってくる
『ハイリゲンシュタットの遺書』
1802年悪化した聴覚障碍の苦悩に耐えきれず書いたものだが、天から与えられた人生を生き抜こうという力強い宣言でもあった
Op 31に見るドラマ的ソナタ様式の特性
ベートーヴェンの音楽における重要な特徴の1つ、「苦悩から歓喜へ」の精神が『遺書』に見出せるし、その内的葛藤のプロセスがOp 31の3曲の音楽内容にも見て取れる
全体的に共通して見られる特性としては、古典的ソナタ形式のプロセスにとって異質の要素、言い換えれば、前後の音楽的脈絡からは予測できない障碍要素が突然現れ、これが最終的には解消されていくという構成で、障碍との葛藤や克服によってドラマ的高揚が獲得されている
第16回
演奏機会は少ないが、ベートーヴェンの作曲技法のエッセンスが詰まった《7つのバガテル》と、彼が得意とした変奏曲技法が存分に発揮された2つの変奏曲を検証。晩年作品にも通じる新しい創作手法の萌芽を見出す
l 7つのバガテル Op 33 (作曲 ?1801~02)
l 創作主題による6つの変奏曲 Op
34 (作曲 1802)
l 15の変奏曲とフーガ 《プロメテウス変奏曲》 Op 35 (作曲 1802)
『遺書』後創作に没頭、自身の可能性をさらに拡大、新しい創作スタイルを生み出す
「パガテル」とは、楽器のためのキャラクターピース、小品のこと
Op 34は、それまで書いてきたものとは大きく違い、ソナタの中に出て来るものを除けば、自作主題を用いている変奏曲は初めてで、「新しい道」を具現化 ⇒ 主題を感じるのが難しくなっている。旋律変奏よりは性格変奏になっているので分かりづらい
「遺書」以後の劇的転換:「新しい道」、「英雄様式期」、そして「傑作の森」
Op 34はかなり異例。1801~03年ベートーヴェンからピアノを習っていた弟子のチェルニーが伝える師の言葉「新しい道」とは、まさに「新しい手法と流儀」による創作姿勢であり、03年に始まる「英雄様式期」に見られる様々な革新と大作群の爆発的な創造でもある
この時期は、ロマン・ロランのベートーヴェン研究で計画されていた5期分割の第2期「英雄的な年月:1801~06」に重なる。ロランが言う、「傑作の立ち並ぶ森のただ中で《レオノーレ》の第1稿は成長した」とある「傑作の森」の中心は05~06年頃と言ってよい
第17回
「新しい道」様式を歩み始め、伝統と革新を融合させて生み出したOp
37と、モーツァルトの影響からスタートし、チェロを非常に充実させて新たな楽曲形式を確立させた《三重協奏曲》を扱う
l ピアノ協奏曲第3番 Op
37 (作曲 1796~03/04)
得意のハ短調を用いてベートーヴェンらしい性格を感じさせる。第2楽章を長3度上げたホ長調で、モーツァルト的な伝統が残っていた最後の曲、協奏曲というジャンルそのものの「分岐点」と言えるかもしれない
l ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲 Op 56 (作曲 1803~04)
調や楽想、楽器の選択と活躍のさせ方など、様々な実験を試み成功させてきたが、1つの「分岐点」となった作品で、これ以降ベートーヴェンの音楽はさらに進化を遂げていく
第18回
最初のヴァイオリン・ソナタの作曲からわずか5年強で至った境地に驚かされる《クロイツェル》。革新性と卓越した書法が詰まった作品
l ヴァイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》Op
47 (作曲 1802~03)
主題をヴァイオリン独奏で始めるのは画期的
フランスのヴァイオリニストたちの奏法に影響を与える
「ピアノ・ソナタ」とは何か
なぜ32曲なのか?
《3つの選帝侯ソナタ》を加えて35曲とする説もある
更に、《ソナチネ WoO 50》と、《2つの小品 WoO51》を加えて37曲ともいえる
32曲中には2楽章構成が6曲ある ⇒ 両楽章が同じ長調(20(ト),22(ヘ),24番(嬰へ)、第1楽章が短調で第2楽章が同じ主音の長調(19(ト),27(ホ),32番(ハ)
3楽章、4楽章構成で主音が同じソナタは8曲 ⇒ 1(ヘ),6(ヘ),7(ニ),9(ホ),12(変イ),15(ニ),25(ト),30番(ホ)
バロック、古典派時代に於て同主調は同じ主音と同じ属和音を共有する調であり、旋法が異なるだけの同じ調という認識で、多楽章作品では、第1楽章の主調に対して、第2楽章は完全5度下の下属調か完全5度上の属調を選択するのが標準だが、ベートーヴェンの32曲中上記14曲が同じ主音調で全楽章が構成されている
2楽章構成の6曲中19番と20番は初心者用で、他の4曲と成立事情が異なり、本来出版が予定されていなかったので除外すると、22,24番が前期から中期、27,32番が後期の作曲。特に22番はロンドともソナタともいえない、ベートーヴェン独自の革新性の現れ
ベートーベンの晩年を追体験 ピアニスト小山実稚恵
編集委員・吉田純子
2020年10月17日 12時00分 朝日
なぜ私はこんなに音楽に恋し続けているのだろう――。ベートーベンの森に深く分け入ることが、音楽の道を歩む人生の意味を、あらためて自らに問い直す契機になったとピアニストの小山実稚恵は語る。名実ともに、日本の音楽界を代表するトップランナーだ。後期のピアノソナタ2曲を収めた新譜の録音で、いまを豊かに感じることを飛躍の礎とした、晩年の楽聖の心を追体験したという。
ベートーベンは今年が生誕250年。新たな響きの地平を開かんとする野心に導かれたピアノソナタ全32曲は、無限の独創性と多様性の宇宙だ。強烈な自我をまとう楽曲ぞろいだが、今回録音した第28番イ長調の、邪心を削(そ)いだ無垢(むく)な表情に、以前からずっと心ひかれていたという。
「いつものベートーベンの、ガツンとくる明快な『匂い』じゃなく、『香り』のようなものが静かにたちのぼってくる。冒頭の和声の移ろいなど、不安になるくらい所在なげなんだけど、その気配が高貴で美しくてたまらない」
自我の炎をふっと消し、たちこめる煙のなか、胎動を始める新しい音楽に心を研ぎ澄ませる。そうしてベートーベンは、ピアノという楽器の歴史の扉を未来へと押し開く金字塔、第29番変ロ長調「ハンマークラヴィーア」を世に放つ胆力を得た。
「最終楽章のフーガが、何かを乗り越えた人間の姿そのもの。バッハのフーガが自然のリズムの模倣だとしたら、ベートーベンのフーガは柔軟性を伴った肉体の躍動。28番の恥じらいも29番の強烈な意志も、全く別物なのに、まぎれもなくベートーベンなんです」
第28番で、答えを求めぬ問いのようなフレーズの行方を無心に眺め、ベートーベンの逡巡(しゅんじゅん)に寄り添った。そして続く第29番で、ありったけの命を託された音符の群れを、即興性たっぷりに解き放った。この対照的な2曲に、誰もが立ち止まらざるを得なかったコロナ禍の先にある、希望の在りかが示された気がした。
幼い頃は、自分の演奏を聴いて喜ぶ先生の顔を見たい一心で、ピアノのおけいこに通っていた。「おいしそうな果実に手を伸ばすように、本能で演奏を続けてきた」。東京芸大で、ドイツ音楽の権威だった田村宏から受け継いだ「音楽について思考する心」が、ようやく自分の中で熟しはじめていると実感している。
「先生に恵まれました。もし、若い時期に煮詰まったエキスを詰め込まれていたら私、きっと挫折していたと思います。今頃になって、という恥ずかしさもありますが、音楽がなぜこんなに素晴らしいのか、自ら探求する人生が本格的に始まったことへのワクワクの方が大きいんです」
始まったばかりの幸福な循環
昨年と今年、ベートーベン研究者の平野昭と共著を出した。ピアノに触れていない時間をいかに充実して過ごすか。そして、感じたすべてのことをどうやって音楽へと還元するか。幸福な循環は始まったばかりだ。
11月3日午後3時、東京・渋谷のオーチャードホールでのシリーズ企画「ベートーヴェン、そして……」第4回〈本能と熟成〉で、ピアノ協奏曲第0番と第5番「皇帝」を弾く。共演は山田和樹指揮横浜シンフォニエッタ。電話03・3477・9999(編集委員・吉田純子)
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