京大的文化事典  杉本恭子  2020.9.26.

 

2020.9.26. 京大的文化事典  自由とカオスの生態系

 

著者 杉本恭子 同志社大大学院文学研究科新聞学専攻修了。学生時代(90年代)は、同大の自治寮に暮らし、吉田寮や熊野寮、ブンピカなどで自治を担う京大生とも交流した。現在は、フリーランスのライターとして活動。アジールとなり得る空間、自治的な場に関心を持ち続け、寺院、NPO法人、中山間地域での街づくりを担う人たちなどのインタビュー・取材を行っている

https://writin-room.tumblr.com

 

発行日           2020.6.25. 初版発行

発行所           FILM ART

 

最後の(!?)自由領域を大解剖

 

はじめに――なぜ今、京大的文化を?

京大には面白い空間や一風変わった風習がたくさんあり、これらを「京大的文化」と呼んで、「実は、学問の自由を真剣に追求するがゆえの副産物ではないか?」という仮説の下、生真面目に探究した結果を事典風にまとめたのが本書

同志社を出て百万遍まで来ると、胸の奥まで空気を吸い込みたくなるような解放感があったが、これぞ京大のカオスな生態系が醸し出す空気だったのかもしれない

編集者から、国立大学法人化が行われて以来、風向きが変わりつつあると聞かされドキッとして、久しぶりに京大に行ってみると「自由な雰囲気」の濃度が薄くなった気がした。今のうちに、京大的文化とその根っこにある大学自治との繋がりを伝えたいと思って本書を作る

同時に、京大的文化を生み出してきた、京大の「自由」という土壌を問い直したいと思う

いま京大で起きていることは、個別京大だけの問題ではなく、日本社会、ひいてはこの世界の不自由さと地続きになっているはず。京大的文化の源流をたどり、現在起きていることを見ていくことは、「私たち自身はどうありたいか」「どんな世界を作りたいのか」を問うことにも繋がる

扱ったのは90年代から現代まで。テーマは場と空間を軸とする。あくまで「現在を問うもの」

 

京大の創立は1897年、西園寺公望が日清戦争の賠償金で、三高の校舎と校地を使って開校

初代木下広次総長が目指したのは、自由な学問研究と学生の自主性を重んじるユニークな教育システムであり、自由な学問研究のあり方は京大的文化の根本にも深く関わる

1869年 長崎養生所(61年長崎に設立)の理化学部門を大阪に移設、舎密(せいみ)局開校

1870年 理学所と洋学校合併、開成所と改称。後に大阪専門学校、大学分校と改称

1886年 大学分校が第三高等中学校と改称 ⇒ 京都に移転後第三高等学校と改称

1897年 京都帝国大学創立、順次理工科大学、法科大学、医科大学、文科大学設置

 

序章 折田先生像(ハリボテ)と「自由」

折田先生像が現れるのは、入学試験が始まる2月下旬の吉田南構内

像は京大的文化に共通する要素を3つ兼ね備えている

1つ目は、キッチュはサブカルに見せかけて注目を集め、紐解いていくと本質的な問いに至る仕掛けになっている ⇒ ゆるキャラなどがモチーフ

2つ目は、京大の基本理念において、自学自習を促す根幹とされる「対話」によって成立していること ⇒ 設置を巡って学生と大学当局の対話が継続されている

3つ目は、京大当局を含む全学的な参加を促す運動性を秘めていること ⇒ 連続性のある表現物へと進化。今や原形を留めないハリボテだが、「折田先生像」の5文字がある限り、運動は続く

折田彦市(18491920)は、薩摩藩出身の三高初代校長。岩倉使節団に随行して7年留学。帰国後は文部官僚として教育界に尽力。「生徒の人格を高めることから教育が始まる」という信念を持ち、三高から京大へと自由の校風を導入。先生と生徒がお互いを「さん付け」で呼ぶ

1988年、学生間の内ゲバで機動隊が3回も乱入、折田先生像が赤く塗られ、「怒っている」と添え書きされた。以降銅像への落書きが常習化。97年校舎建て替え時に銅像を撤去、図書館地下に保存、13年以降は100周年記念時計台記念館に修復されて公開

銅像の撤去後も、ハリボテの形で漫画のキャラクターなどに変身しながら、台座と当局の看板の3点セットで出現を続ける。大学当局は1度だけ「汚さないで」と意思表示

京大は創立以来、「自重自敬」の精神に基づき自由な学風を育み、創造的な学問の世界を切り開いてきた。「自重自敬」とは「自尊」のこと、人格の尊厳ないし絶対の価値を自己自身に認める意識であり、他者についても同じく人格の尊厳を認めることまでも含む。初代総長木下広次は第1回入学宣誓式において、「大学学生に在りては自重自敬を旨とし以て自立独立を期せざるべからず」と語っている

 

1章       教養部とA号館

昨日までのあたりまえを覆してしまう場がいくつも存在する

その1つが教養部とその構内全体(現・吉田南構内)。旧三高校舎のA号館(現・吉田南総合館)は使用に関する公式ルールすら存在しないフリースペースだし、学生たちは授業が行われていない教室で自由に活動

「自由と気まま」がここの空気で、気ままには胡散くさい臭いがつきまとう

教養部は、名実ともに元・三高であり、豊穣な学問の場

森毅(19282010、通称・モリキ)は、数学者、三高OB57年京大教養部助教授、91年退官

最も頻繁にバリケード・ストライキが行われたのも教養部。69年の大学紛争以後も23年間に28回のバリスト、うち8回は定期試験が全面的に延期

A号館(北棟)は常時出入り自由、約20のサークルが活動、共有する人たちの不文律で成立

94年、教養部廃止に伴いロックアウトされたが、各教室は施錠されたが正面入口は開放

A地下は学生たちが占有する空間、Black Riotというバーが02年の本館取り壊し迄開店

巨大な落書きで最も有名なのは、A号館西側壁面のキリン、87年登場し、3か月で当局によって消されたが、別の妖怪が描かれた

京大変人講座は、17年開講の公開講座、「自由の学風」と「変人のDNA」を広く伝えるべく、山極寿一学長初め、京大の変人教官を講師に迎え不定期に開催。悩んで引きこもる学生が増えてきたことと世の中の息苦しさへの問題提起がきっかけ

京大っぽさの原点である教養部が、一般教育の意義喪失の中で92年廃止され、総合人間学部新設とともに、大学院重点化始まる

 

2章       西部講堂

大屋根に3つ星を掲げる巨大な木造建築、元は柔剣道場。戦後は文化サークルの活動拠点となり、学生運動の時は政治集会の場になったりデモの出撃拠点となったが、70年代には表現の場として開かれる。ロック・コンサートの聖地となり、テント芝居発祥の地となり、日常空間の中にテント劇場という非日常を持ち込む愉快さは、京大的文化のシンボルとなるやぐらやこたつに受け継がれていった

既存の秩序や常識を鋭く問いながら、新しい表現を試みながら、社会運動と文化運動が分かちがたく結び合う独自のスタイルを築いていく。75年以降、公認の合議体が運営を担う

アングラの殿堂

1971年、MOJO WESTというロック・コンサートがスタート、映画・演劇の場だった西部講堂にロックやブルースのライブ空間という新たな可能性を作る

CRY DAY EVENT89年天皇崩御の翌日から3日間行われた40組のバンドによる連続イベント。右翼や警察による妨害が予想され、バリケードが築かれたが、無事に終わる

大屋根は講堂のシンボルと同時に、その存在が放つメッセージを表現するメディアでもあり、723つ星が描かれたが、何度か塗り替えられ、現在は黄色一色。補修には大学当局は一切手を貸さず、合議体が自力で維持、文化発生の空間にはDIY精神が脈々と息づいている

RADIO FREEDOMは、電波法の特例で、50m以内なら免許も申請も不要というので、学生や市民の情報発信に使われている自由ラジオ運動で、88年放送開始

 

3章       やぐらとこたつ

やぐらは丸太や単管パイプから作られる構造物であり、そこに自治空間があることを主張するシンボルで、キャンパス内に自由に設置。83年吉田寮自治会の団交用のやぐらが最初

古畳23枚で代替するのがこたつ、神出鬼没の対話の場。80年代から見られる

両者の合わせ技が小屋、シートやべニヤ板で壁を作り、人が常駐した。89年が最初で無目的

「普段やっていることを人に見えるところでやる」以上の意味はない

石垣★カフェは、0518月百万遍角の石垣に出来たオープンカフェ。北西門改善工事の反対運動の拠点として建てられ、市民にも愛されたが、工事計画変更で閉店

ブンピカは、文学部東館の自主管理スペースのこと。劇団の活動場所で、公演も行われる。00年の構内再編でも変わらず汚いまま残されたのが文学部東館の学生控室

総長団交は、京大の最高責任者である総長との話し合いの場。学生から大学当局に対して要求がある場合、教授会や学生部長などの責任ある教員との話し合いで物事を決めてきた。団交は、自らを当事者と考える全ての人に開かれ、合意事項は確認書を作成し保存される

最後の団交は03年の大学法人化に関わるもので、関係者による誠実な話し合いを確認して終わる

 

4章       自治寮

福利厚生施設で、吉田寮、熊野寮、女子寮、室町寮(院生用)、地塩寮(京大YMCA)5

総て自治寮、しばしばその空間を外に向かって開いてきた

自治領という空間と、寮生がハブとなって広がる人的ネットワークは、京大的文化を作る人たちのコミュニティを育んでもきた。事務所や自宅を一部開放してコミュニティを作る「住み開き」を実践

吉田寮は、1913年開舎した日本最古の学生寮。120室定員150+新棟44室定員90+寮食堂からなる。入寮資格は在籍するすべての学生、寮費月約2500

吉田寮食堂は、1889年竣工の三高寄宿舎時代の食堂で京大最古の大学建築物、86年末まで食堂として利用後、サークルのイベント会場として自主運営、寮外にも開放

熊野寮は,1965年開寮、収容422人、寮費月4100

90年代前半に頻発したガサ入れは、学生運動や政治集会など違法行為に関連するものだったが、現在はほとんど行われていない

地塩(ちえん)寮は、京大YMCAが設置し、寮生が自治を行う寮。1913年設立。定員30名、寮費月24000円。ヴォーリズ設計のYMCA青年会館の敷地内に立つ

 

5章       受け継がれ、生み出される空間

この30年間、京大当局はキャンパスの管理強化を進め、90年代に始まったビラ貼り規制、04年吉田南構内に掲出された「歌舞音曲禁止」の看板、18年始まったタテカン撤去、吉田寮の入寮募集停止に関連して寮生20名を提訴するなど、学生や教職員との対話によって物事を決める意志を失っているように見える

それでも受け継がれてきた京大的文化は、ある日突然消えたりはしない。京大にはまだ、「ことを起こしていく養分」を含んだ場がいくつもある

タテカン(立看)の基本サイズは、ベニヤ板4枚で作る縦長の「4枚張り」、最大は4枚張りを横に4つ並べる「16枚張り」。学生文化の象徴であり、学生たちの重要なコミュニケーションツール。異変が起きたのは2017年。京都市が屋外広告物条例違反として警告、大学当局が内規を制定し、公認団体に限って認めるとし、場所、期限・サイズに制限を設け、違反者の自主撤去を求め、応じない場合は一斉撤去したため、学内外に反対運動が起きる。以後、設置と撤去のいたちごっこが続く。まだまだ議論の余地はありそう

「ごりらとスコラ」は、「『サル化』する京大を憂うゴリラ有志の会」と「中世の大学の良さを取り戻したいスコラ哲学者有志の会」を併せた略称。現状の京大の在り方に疑問を覚える京大生有志から構成され、教員・学生・市民など、様々な人の助けを借りながら、16年に時計台楠前に巨大なタテカンを立てたが、大学当局によってすぐに撤去され、直後のホームカミングデイにことよせてイベントを企画、一応の目的を達して1年後に解散

吉田寮第2次在寮期限 ⇒ 17年京大当局は、寮生の安全確保を目的に、18年以降の新規入寮募集停止を通告、86年の在寮期限に対し、第2次と呼ばれる。15年新棟竣工のあと、現棟の補修に向け寮自治会と当局が合意したが、当局は耐震性を理由に新規入寮募集を停止し、寮生の新棟への転居を求めたため、寮自治の伝統に反するとしたが、当局は団体交渉を拒否しただけでなく、全寮生の退去を通告。189月の在寮期限経過後も、電話回線の遮断などは行われ、19年には現棟に対する占有移転禁止の仮処分も執行されたが、寮生による自治は続いている

百万遍クロスロードは、京大周辺の文化発信地を守り、「これらの空間を残そうというエネルギーが充満するような場を、自分たちの手で作りたい」という有志によって18年に始まったムーブメント。学生や市民らが不定期でサウンド・デモを行っている。毎回デモのネーミングも秀逸。町のイベントや京都市長選とコラボするデモも行われる

卒業式のコスプレは、ハロウィンにも広がり、京大の風物詩になっている。82,3年ごろ、卒業式がなんとなく気に食わない連中が考え出したのが始まり。仮装した学生が総代に変わって卒業証書を受け取り外に駆け出した。仮装やコスプレは京大生にとって、自らの身一つをとして何かを表現するという最後の手段なのかもしれない

京都大学新聞は、1925年創刊、学内唯一の報道系公認団体が運営・管理。大学や学内諸団体から独立したジャーナリズム活動を行う

 

6章       今は個々バラバラの細流であっても

「自分たちのことは自分たちで決める」という自治の精神は、今どんな風に息づいているのか

まずは自分自身を深く知って自分の在り方を認め、他者と向き合うなかで相手のあり方も認めていく。その繰り返しのなかでこそ、この社会は少しづつ多様になるのだし、そこに文化と呼べるものが生まれてくる

同学会は、1941年創立の京大学生組織。当初は総長を会長とする全学生加入制の組織だったが、戦後に学生を主体とする全学自治会に改組。京大の学生運動を率いてきた。民青が多数となって69年の京大闘争では全共闘運動と激しく対立、72年に民青系執行部をリコールし再建を果たす。その際の再建宣言に、「今は個々バラバラの細流であっても、新しいそしてとてつもなく大きな奔流として形成され始めている」と記されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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