暴かれた真実  バウネット・ジャパン  2020.10.10.

 

2020.10.10.  暴かれた真実 NHK番組改ざん事件――女性国際戦犯法廷と政治介入

 

編者 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(略称:VAWW-NET(バウネット)ジャパン)。女性の人権、被差別、非戦、非暴力、平和の視点から、戦争と武力紛争下における女性への暴力の根絶と女性の人権確立を願い、「慰安婦」問題の真の解決や軍事主義・

国家主義の問題に取り組む。2000年に「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を被害国と国際社会の女性たちとともに開催

 

執筆・責任編集

西野瑠美子 VAWW-NETジャパン共同代表。NHK裁判原告(松井やよりの亡き後、原告を承継)

東海林路得(るつ)子 「女性の家HELP」ディレクター、「女性国際戦犯法廷」事務局長、矯風会ステップハウス(性暴力や虐待を受けた女性の自立の為の中期宿泊所)所長、参加団体:VAWW-NETジャパン運営委員、女たちの戦争と平和人権基金理事長

 

発行日           2010.11.15. 第1版第1刷発行

発行所           現代書館

 

 

 

第1章     NHK裁判をふり返る――原告から――

l  人間の生きざまを問うたNHK番組改ざん裁判(西野瑠美子)

2001年、NHKETVシリーズ2001「戦争をどう裁くか」の第2夜「問われる戦時性暴力」が放送されてから10年。現在もなお、真相究明と再発防止を求める声が止まないのは、政治家が番組に介入したという事実の重さ、市民に与えた衝撃の強さ故だろうが、何より裁判では為し得なかった未解決課題が依然として積み残されているからだ

NHKは何ら視聴者・市民に対して説明責任を果たしておらず、再発防止の手だてが何ら提示されていないのみならず、表現の自由、報道の自由を守るべき放送機関としてそれを揺るがす重大な過ちを犯したという深刻さや反省が全く見られない

政治介入に言及することを避けた最高裁の不当判決が、「何の問題もなかった」と言うNHKの居直りを維持させているが、それを可能にしている背景として、「慰安婦」問題に対する大手メディアの煮え切らない姿勢と、日本社会の歴史認識、戦後責任意識の低さを抜きにして語ることは出来ない

この事件は、放送の自律という側面と、「慰安婦」問題をめぐる歴史認識、戦後責任という両方の側面から読み解かなければならない

前記の放送された番組が、取材協力依頼時の話と一変、女性国際戦犯法廷(以下、女性法廷)を取り上げておきながらそれを伝えないどころか、むしろ否定する論調の番組が制作されたことに対し、VAWW-NETジャパンはNHKに質問状を出したがまともな回答がなかったため、提訴に踏み切る

NHK番組改竄事件とは、外形的には、政治圧力に屈したNHKが、女性法廷の人格権と、そこに参加した被害女性の人権を軽視し、不当に上層部の権力指示をもって女性法廷を歪めて伝えたというもの

放送前日、野島直樹国会対策担当局長と松尾武放送総局長が安倍晋三官房副長官に面会した直後、野島・松尾・伊東律子番組制作局長の主導で制作現場に不当な改変の指示が強要され、放送当日に松尾の指示で中国・東ティモールの被害女性と、元日本への加害証言の現場がカットされたことは、政治圧力と制作現場への上層部の不当介入=番組改竄との因果関係を如実に象徴

長井デスクは証人尋問で改変のポイントを、①判決を消す、②「慰安婦」の存在をなるべく消す、③慰安所・慰安婦に対する日本政府・軍の組織的な関与を消す、④その後の日本政府の責任や対応を消す、⑤女性法廷を肯定する表現を消

意識的に消しただけに留まらず、「慰安婦」被害女性を冒瀆し加害者の人権を強調した秦郁彦のインタビューを不正確な内容のまま挿入

この番組が政治圧力の対象となったのは、単に「慰安婦」を取り上げたからではなく、昭和天皇を筆頭に日本軍の高官を被告として、国際法に則り日本軍と日本政府の責任を明らかにした女性法廷を取り上げた番組だったからだろう

おりしも2000年は、02年度版中学教科書の検定で、「慰安婦」を否定する動きと、それを支える自民党保守の議連が全盛期を迎えていた時期であり、安部はその事務局長、代表は中川昭一、下村博文が事務局次長。議連幹部の多くがNHK幹部に会っている

NHK上層部は、議連から強要されたこともあり、「公平・公正」を振りかざして改変を正当化したが、元々放送法3条では、「政治的公平」を義務付けているにも拘らず、今回の事件ではその公平性を政治介入に対してではなく、番組内容に向けるという異常な正当化が行われた。「慰安婦」問題について政治的公平を言うなら、日本政府の公式見解が重視されるべきで、93年の河野官房長官談話で、明確に強制性を認め、お詫びと反省までしている

最高裁判決は無残な結果だったが、制作会社ドキュメンタリー・ジャパンのディレクター坂上香さん、政治介入を内部告発したNHKの長井デスク、退職後も臆せず証言を続けた永田プロデューサーら制作関係者の勇気ある証言などで少し山は動いた

 

l  私にとってのNHK裁判(東海林路得子)

1審が敗訴、高裁(南敏文裁判長)で勝訴、最高裁(横尾和子裁判長)で敗訴。法で裁かず、「放送されない可能性があることを国民一般が認識している」ことで判断した、驚くべき内容

横尾は厚生官僚、社会保険庁長官時代、職員の横領事件を放置してマスコミに糾弾、本判決の直後在任が長期(7年弱)という理由で依願退官

 

l  NHK裁判を闘って(田場祥子:98年よりVAWW-NET所属)

最高裁の判決後、国連人権理事会の特別手続きの中に「表現の自由」に関する委員会に訴える手段があり、その手続き中

 

l  マスメディアと市民運動のはざまで(池田恵理子:50年東京生まれ。73NHK入局、番組ディレクター、10年定年退職)

98年頃から女性法廷開催に向け準備を担当。世界の注目を集め、企画は大成功

NHKの放映を見て愕然、「法廷」を取り上げながら、それを評価しない否定的な空気が基調に強く流れ、「昭和天皇有罪」のかけらも出てこないのは勿論、主催団体も、原告や被告も判決内容も明示されないし、「処罰なくして和解なし」と明快に断言し「法廷」を評価した米山氏のコメントも理解不能に切り刻まれていた

放映直後から、NHK内部では池田が画策して番組を乗っ取ったとのデマが流布。長井の内部告発を受けて政治介入を問われた安部は、フジテレビに生出演して「組織的な陰謀」だと発言。池田は06年左遷

NHKでは、「慰安婦」問題、天皇の戦争責任、フェミニズムが3大タブーだが、日本のマスコミに共通しており、戦後日本社会の反映そのもの

戦争加害を取り上げた時の風当たりの強さは近年始まったことではなく、88年の〈戦争を知っていますか〉と96年の〈アジアの従軍慰安婦〉は制作中止の憂き目にあっている

60年代のベトナム戦争の生々しい戦場報道が世界中に反戦運動を巻き起こし、日本でも元日本兵が自らの戦争加害に向き合うきっかけになり、戦争報道が戦争をやめさせるに至る過程が、当時の若者たちにも強いインパクトを与えた

09年、武蔵大学で開かれたNHK番組改変事件を考えるシンポジウムで初めて改竄前の最終版を見ることが出来た

 

l  最高裁判決は間違っている(飯田正剛:54年生まれ。弁護士。本件裁判を担当)

高裁は、「期待・信頼の利益」損害と「説明義務違反」を理由に損害賠償責任を認めたが、最高裁はすべて否定

最高裁の判決理由は、「放送事業者の放送の自由」と「編集の自由(自律性)」からして、「取材対象者」の「期待や信頼」は原則として法的保護の対象にはならないとする。本件争点の判断として、「放送事業者」と「取材対象者」の「2元論」に貶め、矮小化したのは致命的誤り

本件の本質は、「政治家」「放送事業者(放送機関の上層部)」「放送機関の取材・編集・放送現場」「取材対象者」の「4元論」にあり、4社それぞれの「自由」「利益」の調整を論じるべき

事実認定でも、「政治家の圧力・介入」、それを忖度した「放送機関上層部」の指示の事実を無視しており、その指示が番組の編集に与えた関係に言及・判断していない

本判決の与える影響は小さくない。政治家の圧力・介入や報道機関上層部の指示は、結果として事実上容認され、報道現場の表現の自由を軽視・無視に繋がり、取材現場でも取材への協力者の減少に繋がりかねない

本件を報道するマスコミも、最高裁の2元論を無批判に受け入れて賛意を評しているのはどういうことか。まさに「知的状況の劣化」以外の何物でもない

今回の判断に最高裁自身が自信がなかったことは、2度にわたって「国民一般の認識」を理由に判断の正当化を計ろうとしたところにも表れている ⇒ 「どのように番組の編集をするかは放送事業者の自律的判断に委ねられているが、これは放送事業者による放送の性質上当然のこと」と「最終的な放送の内容が当初企画されたものとは異なるものになったり、企画された番組自体が放送に至らない可能性があることも当然のこと」の2カ所で言及

 

l  「女性国際戦犯法廷」裁判を振り返って(大沼和子:87年弁護士登録。本件弁護団一員)

バウネットが原告となって裁判をするためには、取材される側の権利・利益は何かということを手探りで考えることから弁護団の取り組みは始まる

番組提案票には、「女性法廷の過程を追い、戦時性暴力が世界の専門家によってどう裁かれるか見届ける」と書かれ、その趣旨の番組が放映されることを期待して取材に応じたものであり、バウネットの信頼・期待は法的に保護されるべき権利であり、その侵害は不法行為に当たると考え、長期取材で築かれた信頼関係により、取材の趣旨・目的が変更されるような番組内容改変の場合は通告の義務があり、その義務違反は債務不履行になると判断

地裁では、前者の不法行為責任を認め、制作会社に損害賠償を認めたが、後者の説明義務違反については、放送事業者に認められた番組編集の自由の範囲内として却下。「取材対象者に生じた期待をもって法的保護に値する信頼」だと正面から認めた画期的判決

高裁では、編集の自由についてもより事案に沿った判断をして自由の限界を示した上、後者の説明義務違反についても不法行為を認め、制作会社のみならずNHKの責任も認めた

最高裁は、「編集の自由」は放送事業者の自律的判断に委ねられるのが原則とした上で、取材対象者の期待・信頼が保護されるのは「取材対象者に格段の負担が生ずる場合」とより限定し、説明責任も説明を約束するなど「特段の事情」がない限り認められないとした

裁判の場では、関係者が職を賭して改変假定について証言をし、放送番組の「編集の自由」は報道機関の経営上層部のみの権利ではなく、むしろ制作現場のジャーナリストの権利でもあると、「編集の自由」の担い手が誰かについて真摯な問題提起をしたが、最高裁は編集過程に触れなかったため、判断を示していない

 

l  取材対象者の期待と信頼の保護に関する最高裁と東京高裁の判断(緑川由香:弁護士。NHK番組改編訴訟代理人)

メディアは、本裁判を、バウネットの期待権が法的に認められるか否かが争われる裁判として捉え、最高裁の判断に対して、「編集の自由」が守られたと評価し、国民の「知る権利」に資する判断と持ち上げたが、一般論としては当然であるものの、最高裁も例外的に自由が制限される場合があり得ることは認めている

メディアは、知る権利に奉仕する表現の自由の担い手として、権力監視という重大な使命と責任を担っている。その使命を果たすために、個別の事案における様々な状況に応じて丁寧かつ臨機応変な対応で取材対象者との信頼を築いていくものなのではないか。最高裁の判決のような限定的な規範を受け入れることによって、本当に取材対象者との間で信頼関係を築けるのか、今一度考えてみる必要があるのではないか

 

l  NHK番組改変事件高裁判決における内部的自由に関する問いかけ(日隅一雄:弁護士。本件弁護団一員)

最初は、こういう訴訟は編集の自由の侵害になるのではないかと考え、次いでいったん完成した台本と最終的に放送された番組を比較して、編集の自由がむしろ外部的な圧力によって侵害されたケースではないかと考えるようになって弁護団に参加

判決は、内部的自由の保障を検討するよう、マスメディアに鋭い質問を投げかけたと評価できる

 

l  法律実務家の観点から、最高裁と高裁判決を比較検討する(中村秀一:93年弁護士登録。本件弁護団一員)

最高裁と高裁の判決は、法的枠組みにおいて、原則として表現の自由の優越性を謳いつつ、信頼利益が認められるのは極めて例外的ケースであるとの基本的な枠組みに立ちながら、結論は全く異なった。両者の法理論的な分水嶺は、「格段の負担」と「やむを得ない事情」の「二重絞り論」だが、何れも具体的な内容は示されていない

 

第2章     改変ドキュメント

l  消された裁きとフェミニズム(米山リサ:UC San Diego教員。日米文化研究)

番組にスタジオのコメンテーターとして番組制作に関わったが、放送された内容が制作協力に応じた際の内容と大きく異なっていたばかりか、スタジオ収録時の発言に対して過剰な編集・削除が加えられたため、研究者としての立場に誤解を生む結果となったことを、メキキ・ネット(メディアの危機を訴える市民ネットワーク)の協力を得て、BRC(放送と人権等に関する委員会)に対して申し立てた

03年、BRCは、NHKの編集は「人格権に対する配慮を欠き、放送倫理に違反する結果を招く」過剰なものだったと認定したが、NHKから米山氏への謝罪は、VAWW-NETの裁判が終わった08年になってから

放送された番組は、法廷で証言した女性たちの名誉と人格を故意に侵害するものだったにもかかわらず、そのような番組に自らの声と映像を断りもなく用いられてしまったことを告発する手立ては彼女たちにはない。その欠如を補うことが出来るのは、NHKが自ら検証番組を通じて公に謝罪する時が来るまで、別の者たちが告発し続けることでしかない

 

l  〔コラム〕女性国際戦犯法廷とは何だったのか(金富子:東外大大学院教員。VAWW-NET副代表)

l  真相究明と責任追及(板垣竜太:メキキネット事務局。同志社大教員)

7年に及ぶ裁判闘争の最大の成果は、持続的な運動によって、当初は見えなかった多くの事実が明らかになったこと。本来なら追及されるべきだった責任の所在を可視化した。更なる責任が追及されるべきだったのは政治家3人、故・中川昭一、安倍晋三、古屋圭司、NHK5人、教養番組部長の吉岡、その直属の上司の番組制作局長の故・伊東律子、その直属の上司の放送総局長の松尾、会長直属の総合企画室の担当局長の野島、会長の海老沢

野島直樹 ⇒ 69NHK入局、政治部を経89年総合企画室勤務、国会など外部対応業務のベテラン。番組制作とは直接関わり得ない職位にありながら、政治家との面談後に番組内容に直接介入したことがこの事件の核心。予算を国会議員に説明した際、番組が話題になり、試写を見て大幅変更を指示

吉岡民夫 ⇒ 番組への政治介入には、政治家による介入のほかに、放送局内での忖度による内容改変もあり、制作会社を降板させた責任は重い

伊東律子 ⇒ 政治家による介入が起きているというメッセージを不用意にもあちこちで発していたのは興味深い。中川らの出した『歴史教科書への疑問』なる本を局内で見せびらかし、「この時期政治とは闘えない」と言い、政治家の影を仄めかしていた。重要な現場に居合わせながら、疾病を理由に証人証言を拒否し、09年末、多くの事実を抱え込んだまま死去

松尾武 ⇒ 総局長としてすべてに関わる。改変の責任はすべて自分が取ると言いながら、取った形跡はない。NHK出版社長を経て円満退職。議員からの事前の呼びつけがあったことや圧力を感じたと言いながら、後に発言を覆すなどたちが悪い

海老沢勝二 ⇒ 黒幕

古屋圭司 ⇒ 「若手議員の会」副幹事長(後に会長)。総務部会にも所属、早い段階でNHKが女性法廷を取り上げることをキャッチ。放映前の詰問の代表者

安倍晋三 ⇒ 「若手議員の会」事務局長。野島が松尾を連れて安部に説明に行く。予算説明に総局長が同行するのは異例。その席で歴史認識に関する自論を述べたとされる。テレビでダーティーな弁明をしたり、女性法廷を「北朝鮮の工作活動」など悪質なデマを飛ばしているがその責任をとっていない

中川昭一 ⇒ 「若手議員の会」会長。番組の放映を直接差し止める

 

第3章     その時、何があったのか?

l  ETV2001改変事件は私たちに何を問うているのか――NHK側の担当プロデューサーの体験、そして考えること    (永田浩三:NHKディレクター・プロデューサー。ETV2001の編集長。武蔵大メディア社会学科教授)

09年、BPO(NHKと民放で作る放送倫理・番組向上機構)は、4本のシリーズ全体を視聴し直し、意見書を出す。「予算について日常的に政治家と接している部門の職員が、政治家が関心を懐いているテーマの番組の制作に関与すべきではない」「番組制作にあたる職員が、政治家に会いに行って放送前に番組内容について喋ったり、政治家の意見を聞いたりするのはあってはならないこと」

「第1の改変の波」は、吉岡教養番組部長への番組試写の場。女性法廷の紹介番組とした制作会社に対し、部長は半世紀以上を経たこの問題を今裁くことの難しさに焦点を当てたがった。そのため、前代未聞となる制作会社から素材を取り上げてNHKの独自制作に切り替え。ドキュメンタリーの道に進む恩人だった部長に逆らえず

「第2の改変の波」は、米山発言の改変。「人道に対する罪」に対する罪のおさらいから入る編成に変え、野島、松尾、伊東も満足したが、右翼がNHK内に乱入して暴れる

「第3の改変の波」は、安部と面会した後の野島から全面的見直しの指示

「第4の改変の波」は、放送直前の変更で、外国人慰安婦や加害兵士の証言など、3カ所3分のカット

1審では、野島の存在も、政治家の関与も全く議論にならず

高裁で事態が一変、朝日が番組への政治家の圧力をスクープ、翌日長井プロデューサーが内部告発。それを受けて内部の勉強会が開かれるが、NHKは職場の上司に圧力をかける。永田も初めて裁判で慰安婦への思いや制作会社の尊厳について言及、長井とともに制作の現場から外される

最高裁では、表現の自由を楯にしたNHKの主張が認められるが、BPOへの申し立ての結果、分厚い意見書が提出される

問題の発端は、制作会社の番組現場からの切り捨て

次いで政治介入、魚住昭が『政治介入の決定的証拠』を発表するが、メディアは朝日vsNHKの矮小なフレームで片づけしまい、ジャーナリズムの責任は大きい

NHKの予算が国会で審議されることも背景に。NHKを権力の介入から防ぐ体制が必要

編集権の問題については、「自己検閲の弁明に、編集の自由を濫用してはならない」というのが高裁からの警告だが、最高裁では180度違う結論に

 

第4章     判決・裁判をどうみるか?

l  NHK番組改変事件」は終わっていない――ジャーナリズム再生への重い課題 (松田浩:29年東京生まれ。日本経済新聞記者・編集委員を経て、立命館大・関東学院大教授歴任)

最高裁判決とBPOの「意見書」は、日本の社会とメディアが抱える深い病巣と歪んだ構造を浮き彫りにした。我々はどんな教訓を学び取るべきなのか、残された課題は?

何より怖いのは、NHKにタブー意識が定着してしまうことで、番組改竄事件は、メディアの担い手たちの「ジャーナリズムの論理」と、それを妨げようとする与党政治家たちの政治的圧力、与党と事を構えたくないNHK経営者たちの政治的打算の力学を背景にして起きている

公共放送NHKの「公共性」とは何か? それはNHKが文化・ジャーナリズムのメディアとして大きな社会的影響力を持ち、一方人々も民主主義国家の主権者として、その「知る権利」の充足を公共放送であるNHKに期待し、託しているという事実に立脚している。受信料を払ってNHKを支えているのは、「国営放送」を支えるためではない。市場原理に左右されず、文化とジャーナリズムの論理に基づいて放送活動を行う公共放送の「信頼性」を、受信料制度によって担保している ⇒ NHKの「公共性」とは、何より権力から「自立」し、真実の報道を通じて人々の「知る権利」に応えることにあることは明白

改竄事件の核心にあるのは、法制度や仕組みとあわせて、それ以上に権力に対抗して「放送の自由と自律」を闘って守り、放送を通じて視聴者や市民社会の「知る権利」に第一義的に責任を負う、NHKの側の言論・報道機関としての主体性が完全に欠如している事実

 

l  ETV番組改変裁判で考えたこと(原寿雄:25年生まれ。元共同通信編集主幹。民放連放送番組調査会委員長など)

番組は政界右派と右翼の反発を受け、NHK幹部が当時の安部官房副長官と会談後、大幅に改変され、企画の意図を歪めて放送された。これは歴史に対する冒涜であるだけでなく、言論・報道の自由に対する典型的な政治的介入であり、番組制作に賛同して撮影やコメントなどに進んで協力した関係者への裏切り

政治的圧力とは、「政治家の意向を受け入れなければ不利になる――と当事者が受け止める関係の中で、政治家側が直接、間接にその要求、意向を相手側に伝える言動のこと」

政治家の言動が法律外的な強制力を持つ社会を、民主主義とは言えないし、法治国家の資格もない

朝日の特ダネ報道で始まった番組改竄事件に対する多くの他メディアの対応は、まるでやじうまジャーナリズムだった。自ら取材して真相追求に努力したメディアが全く見当たらなかったどころか、政治家の否定発言に乗って朝日批判に狂奔していた

アサヒは、第三者委員会の見解と社長のコメントを発表、社長は反省を口にし、世論のムードもそれを受け入れたが、ジャーナリズムは「疑わしきは報道する」のが原則で、100%の確証が取れなくとも報道すべき場合はしばしばある。強制捜査権を持たない報道機関が、権力監視や社会正義の追求で確証を求められると、ジャーナリズムの存在意義は大きく減殺されてしまう

取材の結果、問題の公共性、公益性、違法性、道義性からみて相当な疑惑があると判断したら、人権に留意しながら果敢に報道するという姿勢こそ、いま日本のジャーナリズムに一番求められていること

 

l  朝日新聞の劣化を憂う(柴田鉄治:ジャーナリスト。元朝日新聞記者、論説委員など)

この事件ほど、朝日新聞の劣化を強く感じさせた事例はない

すべて「NHK問題」だったのを、番組担当の長井デスクが「政治家の介入があった」とNHKのコンプライアンス委員会に届け出たが、NHKは放置、そこへ朝日新聞がスクープ、それをNHKが虚偽報道と断定する形で繰り返し報じる。両者の大喧嘩に発展し、朝日は「公共放送と政治の距離を問う」と大見得を切ったが、半年後朝日の社長が「詰めの甘さを反省する」として謝罪、編集局長らを解任。ところが真相は、朝日の記事が正しかったことが判明

朝日は、戦前の「白虹事件」戦後の「西山記者事件」という現実には存在しない「過去の幻影」に怯えたのが早々と謝罪に走った原因

NHKが憲法上水戸園られた編集権を自ら放棄したに等しい」と言い切った高裁判決を導き出した原動力は、番組制作の責任者だった永田プロデューサー

「ジャーナリズムは「組織」ではなく「個」が支えるもの」と言われるが、NHKも遅ればせながら「ジャーナリズムを支える「個」が2人も現れた」のだ

朝日のこのような劣化は、89年のサンゴ事件辺りからひどくなった。1カメラマンの問題ではなく、会社としての対応の拙さに劣化がみられる。ジャーナリズム精神より、経営優先という考え方が随所に顔を出す。湾岸戦争では他社と「談合」して記者を引き揚げる。更にその5年後、文藝春秋の雑誌『マルコポーロ』の編集長でナチのガス室はなかったという記事を載せて世界中から抗議を受けて解任された花田紀凱を創刊する女性誌の編集長に招聘(1年半後に10億の赤字を出して廃刊、花田はその後雑誌『Will』を創刊して朝日を激しく攻撃)。劣化の極が00年の武富士事件で、悪質な取り立てで叩かれている同社からの「口止め料」だったことが判明

NHK問題に対する朝日の謝罪と「幕引き」が、これらの不祥事の後だったことを考えると、朝日の組織の劣化の頂点にNHKとの大喧嘩があったというところに朝日の不幸と不運があった

 

l  NHK番組改変問題と表現の自由(田島泰彦:上智大新聞学科教授。憲法・メディア法専攻)

番組改変事件の本質は、番組への政治介入の問題であり、問われているのはNHKと政治の関係を巡るその在り方であり、その背後には、表現や報道への規制、介入を強める権力と、それとの緊張感や距離感を希薄化しつつあるメディアという、今日のジャーナリズムが直面する深刻な事態があるのではないか

05年朝日のスクープや、政治家とのやり取りの詳細を暴露した魚住昭の月刊誌の記事が朝日の社内資料流出問題にすり替わって、自民党が朝日による同党への取材拒否を通告したことは、権力介入の新たな次元を示すもの。自らの説明責任を蔑ろにして、取材規制、取材制限をする乱暴極まりない対応で、国民の知る権利を踏みにじる措置

最高裁が提示した番組編集の自由の論理は、本来の番組編集の自由とは異質な捉え方と思われる。本来の編集の自由は、戦後日本新聞協会によって提示された「編集権」とは異なるものであり、正当な編集の自由を行使するためには一定の前提、条件が不可欠。特に外部からの圧力がないことや、制作現場の自由の確保、正当な目的・理由が必要

NHK上層部の対応に、権力への警戒心が全く見られないのには驚愕

番組編集を巡るもう1つの論点は、一方で制作側の自由と、他方で取材を受けた側の利益や権利と、どう調整していくかという問題で、最高裁はメディアに対する市民のアクセスを極小化する考え方だが、番組は両者の調整の上に成り立つはずのもので、公権力が決めるというより、自主的倫理的なレベルの調整により解決すべき

倫理やジャーナリズムの観点からの決着はついていない。番組制作過程の検証はもとより、編集の自由や、番組関与者の関わり方をどう考え緊張感をもって作っていくのか、ジャーナリズムは制作現場の本質的な問題が問われている

 

l  NHK番組改変問題で問われたもの(野中章弘:53年生まれ。ジャーナリスト、プロデューサー。アジアプレス・インターナショナル代表。80年代よりアジアの社会問題を取材)

番組改変問題で問われたものは、メディアに関わる者たちの「良心」であり、制作者(ジャーナリスト)たちの「倫理」であって、権力と対峙する気構えを問うリトマス試験紙の役割を果たしたと言える

制作者としての「良心」を守るために立ち上がった本番組の企画者・坂上ディレクターの姿に心を揺さぶられて本件に関わる

長井氏の告発を受け、議員たちにこの問題の本質を訴えるこtにより、政治とメディアとの歪んだ関係を再検証しようと、永田町の議員会館での記者会見を呼びかけ、十数名のメディ伊関係者、ジャーナリストが政治介入とNHKを厳しく批判する意見を述べた

NHKによくなって欲しいと願いながら批判を行ってきたつもりだったが、批判者は「敵対者」として分類され、NHKは今も外の声に耳を傾けず、閉じたまま

 

l  事実を埋もれさせてはならない――孤立と断絶を越えるために(戸崎賢二:39年生まれ。62NHK入局。教育・教養番組制作。99年退職。元愛知東邦大教授)

09年開催の放送を語る会20周年記念の集いで、永田・長井両氏が初めて揃って公の場で番組の経過について詳細な報告をした

その直前、BPOが見解を発表したのに対し、NHKは改めて政治的圧力による改変を否定

この裁判は、政治家の圧力がかかった時に放送人がどのように振舞うべきか、その豊富な教訓を将来に向かって与えた。番組の制作担当者が捉えられた断絶的な状況と孤立は、実践的に克服しなければならない切実かつ差し迫った課題として我々の前にある

 

l  残る疑問(小滝一志:放送を語る会事務局長。元NHK教育番組ディレクター)

長井氏の内部告発の直後、「放送を語る会」は団体として初めて対外的な見解を公表、NHKに対し全容を明らかにするよう要求

残る疑問の1つは、放送前日の番組試写後のNHK幹部の態度豹変で、野島・松尾が安部と面談直後のこと

疑問の第2は、放送直前、会長と面談直後の松尾・伊東が態度を豹変し、3分カットされ、本来の44分の番組を異例の40分で放映

私たち視聴者・市民は今後も常に厳しくメディアを見守り続けたい

 

l  最高裁のNHK裁判を批判する(奥平康弘:29年函館生まれ。東大法卒。東大・ICUなどの教授。憲法学者)

NHKの上告趣意書にショック

1点は、憲法21条の表現の自由は、放送事業者に一方的に認められるものであって、相手方の自由は全く考慮されていないこと

2点は、説明義務とか証明義務を課すことは、それだけで報道の自由に対する萎縮効果をもたらすもので、あってはならないとする

3点は、個々の編集のありようについて合理性の判断をしているのは、編集権の侵害とした点

高裁判決では、訴訟当事者としてのNHKが真実究明のための審査に非協力的であったと明言しているが、当事者の一方をこういう形で批判的に記述することは滅多になく、高裁はNHKの訴訟活動の非協力性、不真面目な対応を指摘しつつこれは民事訴訟法第2(「信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない」とする)に違背するとさえ述べている

このような上告人の主張する「編集権の独立」を最高裁がそのままそっくり採用したところに、この裁判の本質・問題性の核心がある。編集過程がどのように屈折したか、そういった事態の変容過程には一歩だに触れていない

法律論として、編集権の独立とか番組編集の自由とかは、放送事業者の側に一方的に絶対的に保障されているのだという憲法第21条の解釈論を打破しないといけない

行政訴訟における司法のあり方には、ある程度限界があるのは、行政というものが権力を与えられて、その権力を行使しているからで、番組の改変によって第3者市民の権利利益を害したことが裁判で争われるような場合には、司法によってのみ初めて適切に処理してもらえるので、司法のあり方に制限があるとは思えない

 

l  「表現の自由」とは何か?――NHK内部から見た番組改変事件(皆川学:40年生まれ。早大文卒。63NHK入局。04年退職。フリーディレクターとして冤罪事件などのビデオ制作中)

放送日の数日前に右翼が放送センターに突入したことを新聞で知る。放送当日も代々木公園に右翼の街宣車が集結

当日番組を見て仰天、4分早終に、周囲からも驚きの声、教育テレビの番組では前代未聞

海老沢会長時代になると、自民党議員の言い分をストレートに現場に下ろす人たちが登場

安倍・中川ら新自由主義者のメディア支配戦略のお先棒担ぎを内部から行う人々が出て、「新しい教科書を作る会」や「日本会議」に情報を伝え、その意向をNHK内にフィードバックさせることでNHK内に地位を占めようとした

編集権とは、日本特有の用語、48年新聞協会声明で、「憲法上保障された権利であり、行使者は経営管理者」としたが、それは讀賣の労働運動への対抗概念として生まれたもの

バウネットによるNHK提訴は、「表現の自由」と国家権力との関係について、私たちに大きな問題提起を行った。本来の表現の自由=国家権力からの自律を取り戻すために、正念場はこれから

 

あとがき――西野瑠美子・東海林路得子

NHKは未だに番組をNHKアーカイブスに公開すらせず、BPOの意見にもあった検証番組の制作も拒否。一方で事件の背景にあった慰安婦問題をめぐる歴史認識も変わっていない

このような状況を変えるための第1歩は、事実を知って、次世代に伝えること

 

 

現代書館

暴かれた真実 NHK番組改ざん事件――女性国際戦犯法廷と政治介入

2001年に放映されたNHKETVシリーズ2001「戦争をどう裁くか」第二夜「問われる戦時性暴力」は、制作中より街宣車が乗りつける放送中止の強迫に遭い、政治介入による幾度もの改変の結果、4分も尺の足りない状態で放映された前代未聞の番組だった。改ざんの末放映された番組は、内容の中心である「女性国際戦犯法廷」やコメンテーターの発言を意図的に切り刻み、順序を入れ替え、肝心な被害者女性や加害者男性の証言をカットしたものだった。
 この番組改変事件をめぐり、番組の取材対象で「女性国際戦犯法廷」を主催したVAWW-NETジャパンはNHK他2社を提訴。人権と名誉をかけ7年にわたり裁判を闘ってきた。高裁では勝訴したものの、最高裁ではそれまでの論点と責任を回避する不当な判決が下されてしまった。
 この事件と裁判闘争は、日本社会が「慰安婦」問題の「歴史と責任」に向き合えないのは何故か、メディアは何故「慰安婦」問題の加害の歴史に沈黙するのか、そこに立ちはだかるものは何かを浮き彫りにしている。
 この事件・裁判をめぐって発言してきた原告バウネット、元NHK職員、弁護団、研究者等22名による、様々な角度からの見解を収録した判決評価集。

 

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