熱源  川越宗一  2020.10.23.

 

2020.10.23. 熱源

 

著者 川越宗一 1978年大阪府生まれ。(鹿児島県生まれ、大阪育ち) 京都市在住。龍谷大学文学部史学科中退。18年『天地に燦たり』で松本清張賞を受賞しデビュー。19年、2作目の『熱源』が本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。初めて直木賞の候補となった

 

発行日           2019.8.30. 第1刷発行                 2020.1.25. 第5刷発行

発行所           文藝春秋

 

史実をもとにしたフィクション

 

 

ヤヨマネクフ(山辺安之助) 樺太出身のアイヌ。幼少時に樺太から北海道・対雁(ついしかり)に移住

シシラトカ(花守信吉) 同じく樺太出身のアイヌ

千徳太郎治 ヤヨマネクフ、シシラトカの幼馴染み、和人の父とアイヌの母

ブロニスワフ・ピウスツキ リトアニア出身のポーランド人。ロシア皇帝暗殺を謀った罪でサハリンに流刑

 

1945年、ソ連はドイツに勝った後、対日宣戦布告で、サハリンの攻撃に参加

サハリン島は多様な先住民が住まう地で、民俗学の分野で注目され続けていた

 

1874年、樺太がロシア領になった際、帰国する和人から、アイヌも希望する者は日本への移住を世話してもらえることになり、長く和人に親しんでいたアイヌ800人以上が誘いに乗って北海道へ移住したが、決まった途端和人は銃と大砲でアイヌを脅し、石狩川沿いの原野の開拓に徴用され、対雁に落ち付くが、コレラと天然痘で半数近くが死に、大部分は元の樺太に戻る

 

1886年、ブロニスワフ・ピウスツキは、サンクトペテルブルクで大学の先輩ウリヤノフの革命思想に追随してデモに参加

翌年、皇帝暗殺を企図した容疑で、仲間とともにオフラーナ(帝国内務省警察部警備局)に逮捕、全員絞首刑を宣告されるが、助命嘆願書に署名させられサハリン島に15年の流刑

サハリンは、10年ほど前に日本とクリール(千島)列島を交換する形でロシア領に編入され、ロシア政府は囚人によって開拓を目論んでいた

囚人のやる仕事は、森を切り開き失地を干拓

作業の間に、地元のギリヤ-ク族と親しくなり、彼等の村に出入りする

ギリヤーク族の研究を進め、彼等の民具などを買い上げてサハリン博物館を開館

新皇帝の恩赦で刑期が10年に短縮され、帝国地理学協会のアレンジでヴラジヴォストーク博物館の資料管理人として島を脱出

 

95年、太郎治も樺太に戻り、アイヌの研究をするピウスツキと出会う。ピウスツキはアイヌにロシア語を教えようとして、太郎治に協力を持ち掛ける

1902年、樺太のアイヌの頭領の熊送り(イヨマンテ)で、ヤヨマネクフ、シシラトカ、太郎治の3人が再会。ピウスツキはアイヌの女性と結婚

学校が開校に漕ぎ着けるが、その日に日露が開戦。校舎がロシアに接収され、学校は閉鎖

ピウスツキは、特赦により流刑入植者から解放され、自由の身となる

 

日本艦隊が樺太沖合に来て、ロシア守備隊はアイヌの村の番屋を燃やし、日本軍が上陸して使えそうなものはすべて破壊していく

太郎治はロシア守備隊の道案内役に徴用され、上陸してきた日本軍と対峙

ヤヨマネクフは日本軍を先導。途中で太郎治と出会い、日本軍に寝返らせ、守備隊は降伏

 

ピウスツキは、リトアニア独立を期す弟の友人の勧めに乗って、妻子を樺太に置いたまま故郷に帰る決心をする。途中日本でロシアの革命家を支援している長谷川辰之助(二葉亭四迷)の紹介で大隈伯爵に会う

ポーランドに戻って、弟と会ったピウスツキは、方法論で弱肉強食を進めようとする弟に対し弱肉強食の摂理そのもに戦いを挑むとして決裂

 

南樺太を領有した日本は、樺太庁を置き、アイヌの村々に「土人部落総代」という役職を設けて役所との仲介役にあたらせた。ヤヨマネクフも4つの村の副総代となるが、そこに現れたのがアイヌの研究をする東京帝大学生の金田一京助で、その研究に協力

樺太は急速に「日本」になりつつあり、09年ヤヨマネクフの尽力で「土人教育所」開所、アイヌとして文明の中で生きていく知識を広めるための教育普及が目的

南極探検隊が組織され南極点一番乗りを目指すため樺太で犬を集めるというが、島のアイヌにとって犬は大事な財産であり、家産を傾けても養う誇りでもあり、探検隊への供出は任意で、かつ買取だったが、気の重い話。ヤヨマネクフは自ら橇の御者として参加を申し出、20頭の犬を連れていく。シシラトカも同道することに

出発前に、金田一に会って、帰国の暁には、自ら樺太の1人のアイヌの生きざまを、アイヌの言葉で語るのを書き留めてもらうよう依頼する

1911年、木造帆漁船を改造した開南丸で南極を目指すが、氷に閉ざされ失敗、樺太犬も不慣れな航海に耐えられず、生き残ったのは1頭のみ。一旦シドニーに引き返し、翌年再挑戦で南極大陸に初上陸に成功、新たに補充された30頭の犬とともに行けるところまで行くことになる。最終到達点は南緯805分、西経15637

人類初の南極点到達を成し遂げてこそアイヌの存在が認められるという信念で参加したヤヨマネクフは、空の犬橇で1人南極点を目指そうとするが、シシラトカに諫められる

生きるための熱の源は、人だ。人によって生じ、潰され、継がれていく、それが熱だ。自分の生はまだ止まらない。熱が、まだ絶えていないのだから

後援会会長の大隈伯は、「極点まで行けずとも、南極に立った人間は世界にもそうおらん。君らアイヌが見直されるきっかけになるだろう」といったが、ヤヨマネクフは、「見直される必要なんかなかった。ただそこに生きているってことに卑下する必要はない」と思う

 

ポーランドの独立は、第1次大戦中も実現せず。弟は政敵との抗争で蜂起に至らず、ブロニスワフも弟と袂を分かったため独立運動には関われず、食えない貧乏学者の身で欧州各国を転々としていたが、1917年ロシア寄りと見られていたドモフスキが設立した国民委員会から誘われ、国民委員会が連合国からポーランドの代表としての承認され、一気に独立の一大勢力となる。一方、武装組織を率いてロシアと闘ってきた弟の方は、独立の支援と引き換えに要求されたドイツへの忠誠を拒否したため、ドイツ軍に逮捕される

ロシアでは革命によりレーニン率いる世界初の社会主義国家が成立、ドイツと講和して戦争から手を引いたが、レーニンの元の名はウリヤノフで、ブロニスワフの大学の先輩で皇帝暗殺の罪で刑死したウリヤノフの弟

国民委員会の本部があるパリにいたブロニスワフは、18年ドイツ軍が攻め込んでくるなか、弟の僚友に、弟を裏切ったとして撃たれ、アパートの部屋から墜死

 

29年、金田一はアイヌ研究が認められて帝大助教授になり、樺太に戻ってくるが、その時泊まった旅館の若女将がブロニスワフの遺児

安之助は、南極の後樺太に戻って村の総代となり、農業と近代的な生活の導入に奮闘。金田一は彼の希望で樺太のアイヌ語で後述された自伝を書きとり、『あいぬ物語』として刊行。23年安之助死去

ブロニスワフの弟は、ポーランド独立の英雄にして独裁者・元帥。兄の遺児を探すために人を樺太に派遣したが、若女将は会うのを拒否

 

終戦が過ぎてもソ連の空爆は続く。漸く日本軍残党が降伏して戦闘が終わる

 

 

芥川賞に古川真人さん「背高泡立草」 直木賞に川越宗一さん「熱源」

2020116 500分 朝日

写真・図版162回芥川賞に「背高泡立草」が選ばれた古川真人さん(右)と、直木賞に「熱源」が選ばれた川越宗一さん=15日午後、東京都千代田区、林敏行撮影

 第162芥川賞・直木賞日本文学振興会主催)の選考会が15日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、芥川賞に古川真人さん(31)の「背高泡立草(せいたかあわだちそう)」(すばる10月号)、直木賞に川越宗一さん(41)の「熱源」(文芸春秋)が選ばれた。副賞は各100万円。贈呈式は2月下旬、東京都内で開かれる。2面=古川さんの「ひと」

  受賞作は一貫して書いてきた九州の島に本家がある一族の物語。濃密な方言を多用しつつ、草刈りに来た家族の意識と、その島にまつわる江戸時代から現代までの記憶を交互に描いた。

 選考委員を代表して島田雅彦さんが「草刈りという退屈な作業を描く中で、その土地の歴史的な重層性を巧みにすくいあげたことが評価された」と講評した。

 古川さんは受賞会見で「同じことをくどくどと遅い歩みの書き方しかできないと思っていた。延々とこれを書いていこうという気持ちと、いつか通じるだろうという気持ちがありました」と緊張気味に語った。

 川越さんは1978年、大阪市生まれ、京都市在住。龍谷大学文学部史学科中退。18年「天地に燦(さん)たり」で松本清張賞を受賞しデビュー。19年、2作目の「熱源」が本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。初めて直木賞の候補となった。

 受賞作は、樺太(サハリン)で生まれ南極探検に赴いたアイヌ民族の男性と、ポーランドの文化人類学者を主人公にした歴史小説。ともに故郷を奪われた2人の生涯を描き、文明がもたらす理不尽な側面を浮き彫りにする。

 選考委員を代表して講評した浅田次郎さんは「1回目の投票から一歩飛び抜けていた。近年まれにみる大きなスケールで小説世界を築き上げた。登場人物も生き生きと魅力的に描かれていた」と話した。

 

 

 

紀伊国屋書店

162 芥川賞・直木賞の受賞作が決定! 芥川賞は古川 真人さん『背高泡立草』、直木賞は川越宗一さん『熱源』

2020115日、第162 芥川龍之介賞・直木三十五賞の選考会が行われ、受賞作が発表されました。
おめでとうございます!

《直木賞》

熱源

故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌがアイヌとして生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島、樺太(サハリン)。人を拒むような極寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太のアイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感情に心を揺り動かされる、圧巻の歴史小説。

 

 

 

文藝春秋 20204月号

有働由美子のマイフェアパーソン 対談『直木賞は調べ癖から誕生した』

受賞作の『熱源』は、樺太生まれのアイヌ、ヤヨマネクフと、若くしてサハリンに流刑となったポーランド人、ブロニスワフ・ピウフツキという2人の実在した人物を主人公に、日本とロシアの同化政策に苦しみ、戦争に運命を翻弄されながらも逞しく生きる姿を描いた作品。北海道、樺太ほか、舞台はヨーロッパや東京などにも移り、選考委員の浅田次郎が「近年まれに見る大きなスケールで小説世界を築き上げた」と評した

着想は、5年前の奥さんと2人の北海道旅行。新千歳空港に戻る途中、白老町にあるアイヌ民族博物館で見たピウフツキの胸像で、なぜここまで来たのか興味を持って調べたこと

誰か漫画や映画にしてくれないかと思っていたが、18年第1作が出て、次に何を書くという段になり思いついた。1年ちょっとかけて197月脱稿

明治時代の同化政策によってアイヌが独自の文化を捨てさせられたり、忘れさせられたりしたのは、すごく寂しい。その「寂しさ」を描くことが『熱源』を書く大きなモチベーションになった。他にもさまざまな民族を描くにあたって意識したのは、「弱者として描かない」こと。「寄り添う」のも余裕がある人の横暴かもしれない。彼らには理不尽なことばかり降り掛かってくるが、その運命から逃げず、真正面から立ち向かう姿を強めに書いたつもり

「強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ。すべてを引き受け、あるいは補い合って」

「理不尽の中で自分を守り、保つ力を与えるのが教育」  「教育」という言葉は、「人間がより豊かに楽しく暮らしていくための知恵みたいなものを、広く行き渡らせていくための手段」という意味で使っている

鹿児島生まれの大阪育ち。高校1年の時からバンドを始め、ベースを弾いてプロを目指す

カラオケ屋のアルバイトで、今の奥さんと知り合い、27,8歳で結婚

次作は鄭成功

 

 

2020.4.2. 朝日

アイヌ博物館、初代館長就任

 424日に北海道白老町にオープン予定の国立アイヌ民族博物館の初代館長に、元国立民族学博物館(大阪府)副館長の佐々木史郎氏(62)が1日就任した。佐々木氏は、学術博士で文化人類学が専門。シベリアの先住民族を研究してきた。20164月からアイヌ民族博物館設立準備室主幹を務めていた。

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