あの本は読まれているか Lara Prescott 2020.12.6.
2020.12.6. あの本は読まれているか
The
Secrets We Kept 2019
著者 Lara
Prescott アメリカ、グリーンズバーグ出身。アメリカン大学で政治学を学ぶ。18年にテキサス大オースティン校のミッチェナーセンターにて美術学修士号を取得。執筆活動を始める前は選挙運動のコンサルタントとして活躍。16年に本書の最初の章を基にした作品『Aedinosaur』でクレイジーホース・フィクション賞受賞。19年にデビュー作の本書が刊行され、アメリカ探偵作家クラブMWA主催の2020年エドガー賞最優秀新人賞にノミネート
訳者 吉澤康子 津田塾大学芸学部国際関係学科卒。英米文学翻訳家
発行日 2020.4.24.
発行所 東京創元社
本書はフィクション。すべて著者の想像の産物か架空のもので、実在のものと似ていても偶然の一致
冷戦下のアメリカ。ロシア移民の娘であるイリーナは、CIAにタイピストとして雇われるが、実はスパイの才能を見込まれており、訓練を受けてある特殊作戦に抜擢される。その作戦の目的は、反体制的だと見做され、共産圏で禁書となっているボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民の手に渡し、言論統制や検閲で迫害を行っているソ連の現状を知らしめることだった。―――そう、文学の力で人々の意識を、そして世界を変えるのだ。一冊の小説を武器とし、危険な極秘任務に挑む女性たちを描く話題沸騰の傑作エンターテインメント!
Ø 東 1949~50年
パステルナークの恋人オリガがルビャンカに拘束され、パステルナークが何を書いているのか尋問され、5年の懲役刑を宣告され、モスクワから500㎞離れた強制収容所に送致
Ø 西1956年秋
アメリカに亡命したロシア人女性がアメリカで産んだイリーナは、老弁護士事務所閉鎖に伴い、再就職先として国務省勤務の恋人の紹介でCIAのソ連部にタイピストとして雇われる
両親はロシアの国境が閉鎖される寸前にアメリカへの亡命を企図したが、父は出国検査で引っ掛かり強制収容所で死去。母親が仕立ての手仕事でイリーナを大学にやる
CIAは、イリーナの父親の前歴のファイルを持っており、タイプの成績は悪かったが、ソ連の父親に対する処分に怒っていると答えてCIAに採用される
Ø 東 1950~55年
スターリンが死んでオリガに恩赦が出て、3年でモスクワに戻る
パステルナークは、その間心臓発作に見舞われ、家族の元に戻ろうと弱気を見せたが、オリガの娘に咎められて翻意し、また元の付き合いが始まり、やがて『ドクトル・ジバゴ』が完成、出版の交渉を開始する
Ø 西 1957年2月~秋
スプートニクの打ち上げ成功が衝撃をもってアメリカに迎えられたころ、CIAは本が武器になると考え、ソ連圏の人々の気持ちや考え方を変えるための長期戦に取り組んでいた
AEDINOSAUR(イーダイナソー)の暗号名で、最初はオーウェルの『動物農場』やジョイスの『若い芸術家の肖像』が取り上げられ、観測気球で送り届けたり、偽の表紙を貼って郵送したりする案が検討されたが、その後にジバゴが登場。1917年の10月革命批判と、破壊活動的な内容のために共産圏で禁書となっていて、スターリンの死後、ソ連の作家による最も異端な文学作品で、傷つきやすく知的な市民の人生にとって、ソ連の体制がどれほどの影響を持っているかについて、控えめながら非常に鋭敏に示されているため、素晴らしい戦略的価値があると考えられた
Ø 東 1956年
モスクワ放送をイタリアで放送するためにニュース速報を翻訳していたセルジオが、モスクワ放送の紹介でイタリアの新興出版社による『ドクトル・ジバゴ』出版の際の著作権代理人としてパステルナークの隠れ家にやって来て、パステルナークからイタリアでの出版の権利を譲り受ける
オリガはそれを後から知って激怒
イタリア人が『ドクトル・ジバゴ』を入手したという噂が伝わり、共産党中央委員会の文化部から取り戻すよう求めてきた
パステルナークは、オリガから、パステルナークのせいで矯正収容所に送られたと責められ、言われたとおりにイタリアの出版社に返却を求めるが、時すでに遅し
Ø 西 1957年秋~1958年8月
イリーナは、ソ連部の幹部から運び屋としての仕事をオファーされ、そのテストに合格
非常勤の受付として現れた女性諜報員サリーに、諜報員としての訓練を受けるうちに、同性愛の相手をさせられる
CIAの要望株で、諜報員の管理者でもあったテディと、最初は仕事上で付き合っているうちに、次第に本気になって婚約迄するが、結局はイリーナのほうから別れを告げる
サリーは、イタリアに飛んで、『ドクトル・ジバゴ』のイタリア語版を入手する
テディは、イギリスの諜報員から『ドクトル・ジバゴ』のロシア語版入手の約束を取り付け、イリーナがその運び屋をやる
イリーナの母親は、腕のいい縫製職人だったが死去
Ø 東 1958年5月
イタリアに続いてヨーロッパ各国で『ドクトル・ジバゴ』の翻訳・出版が進む
それにつれて、ルビャンカによるオリガ一家の監視が強まる
パステルナークは、イタリア語版の出版以来すっかり時の人となり、いまは英語への翻訳のことで頭がいっぱいで、オリガ一家への監視への対応まで頭も手も回らない
Ø 西 1958年8月~9月
ロシア語の原稿を入手したCIAは、直ちにロシア語版を360部印刷し、ブリュッセルの万博の最後の3日間にソ連パヴィリオンの出演者を中心にロシア人たちに配布され、イリーナはそれを手伝う
Ø 東 1958年9月~10月
パステルナークは友人からロシア語版を見せられ、直後にノーベル文学賞に推挙されたことを告げる記者たちに囲まれ、辞退するのかどうかと聞かれるが、すぐにスウェーデン・アカデミー宛に「感謝しているが当惑している」と返電
Ø 西 1958年10月~12月
サリーは、CIAを去って二重スパイとなる
Ø 東 1958年10月~12月
パステルナークはノーベル賞受賞を受諾したが、ソ連政府はスウェーデン・アカデミー宛に「ソ連の現実を歪んだ形で描き、社会主義革命やソ連国民を誹謗中傷した作品だ」として抗議の手紙を送る
世論はパステルナークの非難で溢れ、国内の全作家を招集した作家同盟の会合でも嘲りの声が響き渡る
パステルナークはオリガに一緒に自殺しようと迫り、オリガが逡巡すると、受賞辞退の電報をストックホルムとクレムリンに送る
Ø 西 1958年12月
サリーはパリにいて、ソ連大使館への潜入の可能性を探る
Ø 東 1959年1月
『ドクトル・ジバゴ』のロシア語版は瞬く間にソ連社会に広がり、西側では映画化権まで売られ、パステルナークにはイタリアの出版社から謝礼が送られてくるが、パステルナークは受け取ろうとせず、オリガが保管。パステルナークはソ連政府から、作品の発表や翻訳を通じて生計を立てる術を断たれ、一層厳しくなった監視の目を感じながら過ごす
一時は亡命も考えたが思い止まり、フリシチョフに詫びを入れ、国民の非難の声に対し謝罪の手紙を書き、プラウダに掲載される
Ø 西1959年夏
ウィーンで7月開催される世界青年学生祭典でもさらに2000部の『ドクトル・ジバゴ』の小型版をアンドレ・ジイドの『動物農場』『神は躓く』やオーウェルの『1984年』などとともに配布することになり、イリーナが手伝う
Ø 東1960年~61年
パステルナークは70歳の誕生日をオリガの家で友人たちとともに祝う。既に次の戯曲を書きあげ、原稿をオリガに渡す。それが2人の最後の夜となる
パステルナークの最後に命を奪ったのは心臓。家で倒れたパステルナークには、本妻が見舞いに来て、オリガは家の前に立ったままで寝ずの番を続けるが、やがて臨終となり、近くの墓地に埋葬
2か月半後、当局が海外の印税を探索に来たが、既にある隣人に預けた後だったため、家に残っていたものと一緒に拘束され、尋問を受ける
Ø エピローグ
65年冬、映画版『ドクトル・ジバゴ』公開。昔のタイピストたちが揃って観に行った。大部分はすでにCIAを辞めていた
ジュリー・クリスティー扮するラーラの姿が映し出されると、みな同じ様にイリーナを思い浮かべた
ソヴィエトがロシアの三色旗に変わる3年前、『ドクトル・ジバゴ』は合法的に母なる国へやってきた。88年グラスノスチのためのオークションで小説はそこら中にあふれ、その翌年パステルナークの息子が亡き父に代わってノーベル文学賞を受け取る
サリーはロンドンに50年住んで、何十年にも前にソ連に情報を漏洩していたとして89歳で逮捕、合衆国に送還されるという記事が『ワシントン・ポスト』に載る
『ドクトル・ジバゴ』作戦の成功は、その後CIAの伝説となったものの、イリーナの仕事の記録は58年の万博の後、疎らになり、彼女に関するファイルは80年代に退職した旨を記した短い報告だけで終わっていたが、サリー逮捕の記事によれば、彼女が30年にわたって経営していた稀覯本を扱う古書店の上で2000年代初めに亡くなった女性と一緒だったとあり、2人の同性愛関係が続いていたことを想起させる
「あの本は読まれているか」書評 冷戦下の禁書と女性たちの秘密
評者: 大矢博子 / 朝⽇新聞掲載:2020年05月30日
著者:ラーラ・プレスコット 出版社:東京創元社ジャンル:小説
発売⽇: 2020/04/21
反体制とみなされ、共産圏で禁書となっている小説「ドクトル・ジバゴ」をソ連国民の手に渡し、迫害を行っているソ連の現状を知らしめる。冷戦下、一冊の小説を武器とし、危険な任務に…
1957年、ソ連の作家ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』がイタリアで刊行された。革命に揺れるロシアを舞台にしたこの小説は、翌年、パステルナークにノーベル文学賞をもたらすことになる。
しかし当時この本は、内容が反体制的としてソ連では禁書となっていた。そこに目をつけたのが、米中央情報局(CIA)だ。CIAは、自国がいかに抑圧的であるかをソ連国民に知らせるため、『ドクトル・ジバゴ』を密かにソ連に広めるというプロパガンダ戦略を実行したのである。
その事実をもとに、作戦の様子や携わった人々をフィクションとして描いたのが本書だ。
ソ連で禁じられた本の原稿はどのように西側に持ち出されたのか。CIAはそれをどうやって入手し、どうやってソ連国民に渡したのか。その過程は駆け引きあり謀略ありロマンスありで、まさにスパイ映画さながらの興奮! 同時に、社会を変えるだけの力を文学が持っているという事実に胸が熱くなった。
だが本書にはもうひとつ重要なテーマがある。本書の原題を直訳すると「私たちが守った秘密」。これはその作戦の陰で秘密を守り続けた女性たちの闘いの物語でもあるのだ。
名門大学を出てもタイピストの採用しかないCIAの女性職員たち。スパイの素質を見込まれて最前線に出る女性もいるが、そこでも差別が待ち構える。
実在の人物も登場する。『ドクトル・ジバゴ』のヒロインのモデルとなったオリガだ。彼女はパステルナークの愛人だったためシベリアの収容所に送られた。それでも釈放後は彼と彼の小説のために奔走する。
タイピストたちの、ふたりの女性スパイの、そしてオリガの強さが悲しい。彼女たちが守り続けた〈秘密〉は、現代を生きる私たちの胸にも刺さるはずだ。
文学は人の心を動かす。二重の意味で、その力を見せつける物語である。
◇
Lara
Prescott 米国生まれ。作家。デビュー作である本書でエドガー賞最優秀新人賞候補に。
産経 書評
【書評】『あの本は読まれているか』ラーラ・プレスコット著、吉澤康子訳 特殊作戦の女性たち描く
一冊の本が人生を変えたという話はよく耳にする。いや、それどころか世界を変えたという例もある。
東西冷戦下の1950年代後半、まだ黎明期だった米中央情報局(CIA)はプロパガンダ戦略のひとつとして、本や音楽など芸術を武器にしようと考えていた。その一例が、反体制的だと見なされ、共産圏で出版禁止となっていた一冊の小説-ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』を、ひそかにソ連国民の間に流布させる特殊作戦だった。
本書は、2014年になって初めて機密解除されたこの“事実”をもとに、作戦の陰で秘密を守り続けた女性たちを描いた、衝撃的なエンターテインメントである。
当時のCIAの女性職員は、ほとんどが名門大学出身の才媛であったにもかかわらず、その大半がタイピストとして採用された。もちろん出世など望むべくもなく、多くの女性が差別やハラスメントを受けていたという。職場では、フラットな靴を履くことさえ禁止されていたのだ。だが、その中のごく一部の人間は才能を見込まれ、スパイの訓練を受けることになる。
本書は、こうした名もなき女性たちの日々を描く一方で、ソ連側-パステルナークの愛人で『ドクトル・ジバゴ』のヒロイン、ラーラのモデルとなった女性の悲惨な運命も描かれていく。彼女は愛人であったがゆえに、シベリアの収容所に送り込まれ、地獄の苦しみを味わうのだ。
彼女たちは、言ってみれば歴史の陰に生きた女性であった。では、彼女たちにとって歴史とは一体何だったのだろう?
その疑問は『ドクトル・ジバゴ』の冒頭で、ある人物が語る「人間は自然の中に生きているのではなくて、歴史の中にこそ生きている」という言葉に繋がるような気もする。ジバゴとラーラの物語は激動する時代のさなかで、歴史とは何か、その中で生きていく意味と意義とは何かを、ひたすら問い続けたものだったからだ。その上で、愛の形、愛の物語をうたったものだった。本書に描かれる特殊な“愛”の物語もまさにそこに繋がる。だからこそ、ラストの余韻が深く心に残る。(東京創元社・1800円+税)
評・関口苑生(書評家)
Book
Bang 書評
『ドクトル・ジバゴ』をめぐるCIAの一大プロジェクトとは
レビュー 新潮社 週刊新潮 2020年6月18日号 掲載
著者 ラーラ・プレスコット [著]/吉澤 康子 [訳]
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
ここでいう「あの本」とは一九五七年に母国ソ連ではなくまずイタリアで刊行されたボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』である。
パステルナークにノーベル文学賞をもたらし、イタリア語版からロシア語版がつくられ、ソ連内でも広く読まれるようになった。この出版のプロセスには、CIAが深くかかわっていた。
何年か前に、伝説の文芸誌「パリスレビュー」の創刊にCIAが深く関わっていたと知ってびっくりしたが、CIA、どうやらある時期の現代文学に力づくで関与していたようである(しかもかなりいい仕事をしていて、これをどう受け止めればいいのか混乱する)。
本書は、『ドクトル・ジバゴ』にまつわる史実にもとづく。史実ではわからない部分をフィクションで補って、秘密裏にすすめられたCIAの一大プロジェクトをミステリに仕立てた。重厚な恋愛小説でもあり、面白くならないはずがない。
東(ソ連)と西(アメリカ)のパートが交互に進行し、語り手は基本的に女性だ。東は、ボリスの恋人で、彼に巻き込まれるかたちで収容所に送られ、数奇な運命をたどるオリガ。西は、ロシア系アメリカ人で、CIAにタイピストとしてやとわれ、スパイ教育を受けるイリーナ。
オリガも、イリーナも、その他のタイピストたちも、歴史の中では忘れられた無名の存在である。彼女たちが意思を持つとも想像せずせっせと秘密を運ぶ男たちが、彼女らの目にどう映るか、存分に語らせる手腕が冴える。
『ドクトル・ジバゴ』の小説も映画も知らないという人でも、映画の主題歌「ララのテーマ」を耳にしたことはあるのではないか。ラーラという著者の名前は、映画の大ファンだった母親がヒロインの名からつけたそう。『ジバゴ』をめぐる壮大な物語に登場する人々の列の最後に、著者自身もつらなるようである。
Wikipedia
『ドクトル・ジバゴ』(Doctor
Zhivago)は、1965年のアメリカ合衆国・イタリアの恋愛ドラマ映画[1]。監督はイギリスのデヴィッド・リーン、出演はオマー・シャリフとジュリー・クリスティなど。 原作はロシアの作家、ボリス・パステルナークによる同名小説『ドクトル・ジバゴ』。モーリス・ジャールによる挿入曲「ラーラのテーマ」が有名[1]。
米アカデミー賞で5部門を受賞した。
ストーリー[編集]
国境沿いのダムにて[編集]
第二次世界大戦後、ソビエト連邦の将軍、イエブグラフ・ジバゴは腹違いの弟の娘を探していた。そんな中、戦災孤児の中にその娘がいると知らされ、モンゴルとの国境近くのダムの事務所でトーニャと名乗る少女に出会う。トーニャは父と母の名前、顔、素性を知らず、イエブグラフが父と母の素性を明かしても狼狽するばかりであった。イエブグラフは彼女に、ユーリ・ジバゴの生涯を語り始める。
ユーリの出生[編集]
時は遡ること19世紀末、幼くして両親を亡くしたユーリは、モスクワに住む親戚のアレクサンドル・グロムイコ夫妻の家に引き取られる。両親の遺品はバラライカという楽器ただひとつ。寂しさを覚えながらも夫妻からの愛情を受け、ユーリは成長していく。
1913年、医学生となったユーリは教授からも認められ、研究者になることを勧められる。しかし本人は医師免許を習得し、開業医になることを目指していた。本業の医者以外にも詩人としても才能を開花させ、フランスの新聞記事にも自身の詩が載った。また、ユーリはグロムイコ夫妻のひとり娘のトーニャと婚約しており、順風満帆な生活を送っていた。
美しき娘、ラーラ[編集]
一方、同じくモスクワに住む17歳の少女、ラーラは洋品店を営む母、アメリアと暮らしていた。ラーラにはボリシェヴィキに傾倒する青年、パーシャという恋人がいたが、母のパトロンである弁護士のコマロフスキーもまた、アメリアの娘であるラーラを狙っていた。
ある日の夜、貴族階級のパーティーが行われ、アメリアが出席する予定だったが、彼女は発熱してしまい、代わりに娘のラーラがコマロフスキーと共に出席することになった。会場に到着し、ダンスを踊る二人。そんな中、会場の外からインターナショナルが聴こえてきた。革命運動のデモ行進が起きたのだった。その中にはラーラの恋人、パーシャの姿もあった。彼らは群衆歌を一蹴し、パーティーの続きを楽しんだ。そのパーティーの帰り道、コマロフスキーはラーラに接吻した。一方のデモ隊は、ロシア帝国の騎馬隊により蹴散らされてしまう。家のバルコニーから様子を見ていたユーリは負傷者の手当てをしようとするが、憲兵に家に入るように命令され、仕方なく家に戻る。翌日、ユーリの婚約者のトーニャがフランスから帰国。二人は再会を喜ぶ。一方、パーシャが顔に火傷を負ってラーラの前に現れた。パーシャは官憲から追われており、ラーラに銃を預ける。その夜、ラーラは処女をコマロフスキーに奪われる。
そんな中、コマロフスキーとラーラの関係を勘ぐったアメリアが服毒自殺未遂を起こす。コマロフスキーから隠密に依頼された医師のカート教授は教え子のユーリを連れ、治療に向かう。そこでユーリはコマロフスキーとラーラの不貞関係に気づいてしまうのであった。ラーラは母のこともあり、何も知らないパーシャと結婚するとコマロフスキーに話す。そんな彼女を否定したコマロフスキーはラーラを強姦した。ラーラはショックと怒りに燃え、パーシャから預かった銃でコマロフスキーを殺すことを決意する。ラーラの向かったコマロフスキーがいるクリスマスパーティーの会場では、ユーリとトーニャの婚約が発表されていた。その瞬間、同じくその場にいたコマロフスキーに向かってラーラが発砲。ラーラは取り押さえられたが、コマロフスキーが「警察には突き出すな」と言った為、ラーラは駆けつけたパーシャと共にその場を逃れた。一方、コマロフスキーは弾が急所を逸れた為、一命をとりとめ、ユーリが彼の手当てをした。その中でコマロフスキーが彼女を軽蔑している事に対し、ユーリは不快感を覚える。パーシャのお陰でその場から逃れたラーラはパーシャと結婚。子を成した。
第一次世界大戦とロシア革命[編集]
時は流れ、第一次世界大戦が勃発。パーシャは軍に志願して前線に向かうが、帰ってこず、ラーラは看護婦として前線に向かい、夫を探していた。そんな中で同じく軍医として来ていたユーリと再会。ふたりで戦士らの治療にあたっていった。負傷者が全員退院し、ラーラに恋心が芽生えたユーリ。しかし、ラーラはそれを制止し、二人は別れる。
ユーリはモスクワに帰郷するが、ロシア革命が発生し、家の様子は一変していた。一軒家だった家は共同住宅となっており、薪ですら配当制。さらに、家の私有物まで没収されそうになる。そこに、腹違いの兄、イエブグラフが来た。共産党員であった兄だったが、兄との初対面を喜ぶユーリ。ユーリはロシア共産党を一定の評価はしつつも、入党は拒否した。イエブグラフはユーリの詩が批判されていることを伝え、ユーリは落ち込む。イエブグラフは一家の別荘があるベリキノへの疎開を勧める。
トーニャの賛同もあり、疎開を決めた一家は夜の汽車に乗り込む。その汽車の中でストレリニコフという、赤軍の将軍が民衆を苦しめていると聞くが、その正体はパーシャだった。汽車の停車中、事情聴取に呼び出されたユーリはパーシャと出会ったが、パーシャはラーラへの愛を失っており、ラーラがベリキノから遠くない、ユリアティン(ベリキノと同様に実在しない街だが、原作者パステルナークが1916年に数ヶ月間滞在していたフセヴォロド・ヴィリヴァというペルミ地方の村がモデルであるといわれる)という街にいることも聞く。
二人の再会[編集]
ベリキノに着いた一家は、もともと所有していた大きな家も没収され、案内人の紹介で近くのボロボロの小屋に住み、自給自足の生活を始める。そのなかで塞ぎがちになっていくユーリを心配した家族は町へ出掛けることを勧める。ユリアティンの図書館に向かったユーリはラーラと運命的な再会を果たす。二人はラーラの家に向かい、愛し合った。しかし、トーニャへの罪悪感からラーラと別れることを決め、ラーラもユーリの意思を尊重する。
ユーリはトーニャのお腹の子の薬を買うために街に向かう道中でパルチザンに拉致され、活動協力を強要される。しかし、彼らの活動はただの虐殺行為であり、危険を感じたユーリは活動から脱出。身一つで戻るが、出迎えて介抱してくれたのは、ラーラであった。トーニャやその家族はユーリが拉致されている間にモスクワに移っており、トーニャはラーラにユーリのバラライカを託していた。その後、トーニャ達はフランスへ国外追放された。
ラーラに看病してもらいながら、身を潜めていたユーリだったが、ある日突然、コマロフスキーが二人の前に姿を現した。今や司法大臣となっていたコマロフスキーはユーリの言動や思想が反革命的であること、ラーラもストレリニコフの妻ということで、これにより狙われていることから国外脱出を勧めるが、二人はその申し出を断る。そして、残り僅かな未来をベリキノで過ごす決意する。
取り押さえられていた例の家は放置され、氷の宮殿と化していた。その家で新たな生活を始めた二人。ユーリはラーラへの愛を詩に書き始めた。「私たち、もっと前に早く出会っていたら・・・」「言うな。むなしくなるだけだ」
しかし、彼らの幸せもそう長くは続かなかった。ある日、再びコマロフスキーが姿を現した。コマロフスキーはユーリにストレリニコフが失脚して殺害されたことを話す。白軍が消滅した今、ソ連にとってストレリニコフは、ただの邪魔者でしかなかったのだ。そしてその余波がラーラに迫っていることも話し、国外脱出を強く勧める。受け入れるユーリ。支度を済ませ悲しそうにソリに乗るラーラ。しかし、ソリの座席定員が足りず、ユーリはソリに乗らず、あとからついて来ると話してバラライカをラーラに託す。一行を見送るユーリ。すると突然、ユーリは家に戻り二階に駆け上がった。窓ガラスを割り、その先の大雪原に消えるラーラを悲しく見つめるユーリ。出発した汽車にユーリの姿はなかった。「彼はあなたに助けられようなんて思わないわ」と言うラーラにコマロフスキーは「奴は馬鹿だ」と言うだけであった。
二人の最期[編集]
その後、モスクワに戻り、兄のツテで医者の仕事に就いたユーリ。ある日、街中でラーラを見つける。ひたすら呼ぼうとするが、声が出ず、持病により心臓が麻痺してしまい、ラーラに気付かれることなく、死んでしまった。
その後、ユーリの埋葬でラーラはイエブグラフと出会う。ラーラは疎開先で生き別れてしまったユーリとラーラの間に生まれた子供を捜した。二人は懸命に捜索したが、見つかることなく、ラーラは強制収容所に連行され、亡くなったという。
両親の物語を聞いたトーニャは涙を流した。「でも父とは、戦火の中ではぐれた」と言うトーニャにイエブグラフは「それは実の父ではなく、コマロフスキーだ。だから手を放してしまった。親なら絶対に離さない」と言う。そして、トーニャに今後の協力を申し出る。そこへ、ダムの操作をしているトーニャの恋人が迎えに来た。二人を見送るイエブグラフは、トーニャの背中にバラライカがあることに気づく。事務所からイエブグラフが、「トーニャ、バラライカが弾けるのか?」と聞くと、恋人が「えぇ、プロ顔負けです」と答えた。「誰かに教わったのか?」「いいえ、誰にも」「遺伝だな」
キャスト[編集]
役名 |
俳優 |
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ユーリ・ジバゴ |
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ラーラ・アンティポヴァ |
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トーニャ・グロムイコ |
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パーシャ・アンティポフ/ストレルニコフ |
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イエブグラフ・ジバゴ |
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ヴィクトル・コマロフスキー |
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アンナ・グロムイコ |
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アレクサンドル・グロムイコ |
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美術監督・装置賞(カラー) - ジョン・ボックス、テリー・マーシュ、ダリオ・シモニ
衣裳デザイン賞(カラー) - フィリス・ダルトン
撮影地[編集]
アルデアダビラ・ダム(英語版) - スペイン サラマンカ県とポルトガル ブラガンサ県の境を流れるドゥエロ川にあるダム[5]。
DVD / 世界配給[編集]
日本で発売されたDVDは、大作であることから2枚組となり、1枚目(片面2層)にイントロダクションと本編の前半、2枚目は珍しい両面1層でA面に本編の後半、B面に豪華特典が収録された。
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