世界の果てまで、買い付けに  上坂徹  2020.11.1.

 

2020.11.1. 世界の果てまで、買い付けに。

 

著者 上坂徹 1966年兵庫県生まれ。早大商卒。ワールド、リクルートを経て、94年フリーランスとして独立。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに雑誌や書籍、WEBメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手掛ける。著書で取り上げた会社は、ファミマ、サイバーエージェント、マイクロソフト、JAL、明治大学、成城石井など

公式サイト http://uesakatoru.com/

 

発行日           2020.8.13. 初版第1刷発行

発行所           自由国民社

 

はじめに ~ 成城石井はなぜ、あの品揃えができているのか?

店舗数18019年度売り上げ938億、前年比107%。10年で店舗は3倍、年商は2

好調な背景は品揃えの差であり、オリジナル商品(プライベートブランド)、自家製総菜

なぜ品揃えが違うのか、どうして実現させたのか、トレンドをどうキャッチしているのか、約30名のバイヤーと約20名の総菜開発担当者をインタビューして作ったのが本書

人気の30商品を巡る知られざるストーリー

 

序章

成城石井は間に商社を入れない。社長の原昭彦(90年新卒入社)自身が世界中に買い付けに行く

目指すのは、「本当にいいもの」を手に取ってもらいやすい価格で提供すること

品揃えで差別化を図る。自分たちで変えられる商品を買い付けしてすべて売り切る

バイヤーは全員店舗経験者

販売実績を自分たちでリアルタイムで分析できる ⇒ 売行状況によって販売戦略を変更

海外の買い付けでは、関税の状況、物流状況(輸出入のアンバランスなど)が重要なポイント

商品としての仕上げ方のアドバイスや、オリジナル商品の作り手としてコラボ

 

ü  フェラリーニ社製 パルミジャーノ・レジャーノ 24か月熟成 ~ 他のパルマ産とは違う、稀少な濃厚チーズの秘密

イタリアチーズの王様パルミジャーノ・レジャーノは、イタリアの品質認定表示のDOPを受けたチーズだけに認められた商品名

フェラリーニのはジャージー牛乳(乳脂肪分5)30

ミルクを熟成して水分を飛ばすことでより一層味が濃くなるのがハードチーズで、濃いミルクだともっと味が濃くなる

パルミジャーノ・レジャーノの場合は、最低12カ月以上熟成させて水分を飛ばす

店の品揃えを見ると、店の格がわかる ⇒ 販売先としての値踏みをされる

ホールそのままでも輸入し、成城石井最高峰のオリジナル商品desicaの原材料としても使われ、成城石井が展開するワインバーでも使用

 

ü  大山乳業 白バラ牛乳/白バラコーヒー/成城石井 大山バター ~ 一部エリアでは有名だった牛乳のおいしさの先に、昔ながらのバターチャーニング製法が

山陰、近畿、中国地方の一部で「ソウルドリンク」と呼ばれた幻のコーヒーが白バラ牛乳/白バラコーヒー。製造者は鳥取県大山山麓の大山乳業協同組合、酪農専門の協同組合

搾乳から製品化までの時間が短いという新鮮さが特徴

成城石井では03年取り扱いを始める。最初は物流網がないので、大阪の店だけで扱い、関西から関東への物流が少ないのに目をつけて、低温殺菌で知られるタカナシ乳業に持ち込みライバルに一緒に運んでもらう

コーヒーは、生乳70%使用、香料・カラメル色素不使用

かつてバターはスーパーの特売品、連続式製法で安価に製造したが、成城石井ではチャーン製法という手作りのバターを取り扱い。07年大山にチャーニング製法のバター作りを頼みオリジナル商品とした。成城石井のロゴは入れたが、ブランドは「大山バター」

 

ü  シャトー ラ ヴェリエール ルージュ/クイーン モン・ペラ ~ プリムールで高価格帯のボルドーワインを先物買い。シャトーとの共同開発も

シャンパンの消費増嵩に目をつけ、ナショナルブランド以外の選択肢を増やそうとした

成城石井が扱うワインなら、その代表格がシャトー ラ ヴェリエール ルージュ/クイーン モン・ペラの2銘柄。クイーン モン・ペラは成城石井がシャトーと協同開発したオリジナル商品

まだ瓶詰にする前の熟成中のワインを試飲し、その先の味わいを予想して買い付けを行うのがプリムールで、ボルドーの独特な慣習

80年代から温度調節付きのリーファー・コンテナで輸入

 

ü  出羽桜 よいと/真澄 野可勢/成城石井 オリジナル ハイボール ~ 酒蔵が、成城石井のオリジナル日本酒を。バイヤーや店舗スタッフが酒造りのお手伝いも

成城石井の店舗の日本酒の棚だけ蛍光灯が消えている ⇒ ワイン以上にデリケート

日本酒の蔵元は、自身の哲学や世界観を大切にするため、企業とのコラボ商品を作ることはほとんどないが、その例外が成城石井で、出羽桜の特別純米酒「よいと」は、究極の食中酒を目指して共同開発したもの。酒米の買い付けから麹造りまで一緒になって作業

真澄の純米吟醸「野可勢(のかぜ)」も共同開発品。織田・豊臣・徳川と伝わる天下取りの笛の名「乃可勢(のかせ、のかぜ)」を商標にと考えていた真澄が、成城石井との共同開発品にこの名をつけてくれた

酒の中で勢いのあるのがRTD:Ready to Drinkと呼ばれるジャンル。19年成城石井がオリジナル商品で出したのが「オリジナルハイボール」。最初はナショナルブランドから入り、1年かけてウィスキーの原酒に拘った商品を開発、最終的に選んだのはスコッチの大麦麦芽のみを使用したモルトウィスキー。原酒の特性を活かすために甘さを控えめにしようと、べたっとしない甘味がつくものとして水あめを入れ、すっと引ける甘さを実現

ブランデーを使った「プレミアムハイボール」や、直輸入の果汁を使ったレモンサワーとブラッドオレンジサワーも発売

 

ü  バーゲンダル 有機ルイボスティー ~ ブームになる前から密かに売れていたティー。今や紅茶を上回るほど人気に

12年から南アのメーカーのルイボスティーを販売、紅茶を大きく上回る売り上げ

南アに自生するマメ科の植物を発酵させたもの。低タンニンで渋みが少ないため、入れっ放しでも渋くならない。有機JAS認定。カフェインが入っていない

従来日本市場はガスコ社が独占だったが、新たにバーゲンダル社と直取引を開始、現地でパッキングまでして輸入

 

ü  ジュリアーノ・タルトゥーフィ ホワイトトリュフオイル缶/トリュフ入りゲランドの塩 ~ オランダでのトリュフ専門メーカーとの出会い

トリュフの香りと風味を普段の生活の中で気軽に楽しめるようにしたのが塩やオイルの調味料で、仕上げにかけるだけでトリュフの香りが広がる

17年からイタリアのトリュフ専門メーカーであるジュリアーノ・タルトゥーフィ社製のオイル缶やゲランドの塩を取り扱い。他者の輸入商品に代わって直輸入に切り替え

総菜を作るセントラルキッチンでも人気の調味料になっている

 

ü  成城石井メキシコ産オレンジ純粋はちみつ ~ はちみつをメキシコから20t輸入。特殊容器に日本で充填するという新発想

オリジナルに開発した逆さボトルに入っているので便利

12年為替に左右されない、安心・安全の切り口から、製品輸入からの転換

加工度の低いはちみつは、原料由来の異物混入が起きやすいし、瓶だと気温上昇とともに漏れるという未解明の謎が流通の妨げになっているのを解消するために、国内充填で製品化

ハンガリー産のアカシアが一番人気だが、バルクがなく、メキシコのメーカーがオレンジと百花(複数の花)とメキシコ産のアカシアのバルクを持っていたので、商品特徴と安定供給を考えオレンジにする

日本で充填メーカーを探し、割高な逆さボトルを開発。05年メキシコとの間にEPA協定が発効して25.5%の関税が撤廃されていたこともあって、他の国のはちみつよりかなり安価に出せることが判明

バルクで大量に買い付けるために、年度ごとの収穫や品質に偏りがあるので、生産者の言いなりにならないためには、商談には市場の情報が必須

 

ü  アスパラガス ~ 鮮度を重視し、海外からは空輸

「海の神」は、函館市白石町の津軽海峡を望む高台の畑で、農事組合法人函館つるの生産組合がビニールハウス栽培しているグリーンアスパラガスの中で、極太2Lサイズ以上のもの

「大槻さんちのアスパラガス」は、つるの組合の「海の神」の生みの親・大槻寅男さんの手によるものの中でLMサイズのもの

こだわりは土作り、ミネラル分を含んだ堆肥を作って、有機質肥料を使って栽培

成城石井の青果は、多くが産地直送。鮮度を重視する以上に、作り手の拘りを見る

122月はメキシコ、911月はオーストラリア、それ以外は通年生産のペルー

 

ü  60日間熟成安納芋(あんのういも) ~ 高温のキュアリング室から、低温の石倉へ。60日間も熟成した種子島産のさつまいも

特徴は甘味としっとりとした食感

安納芋の起源は、第2次大戦後まもなく、スマトラ島北部から兵隊が持ち帰った甘い芋で、種子島島内で栽培されるようになる。甘さの秘密はショ糖が多いこと

18年から産直、西田農産との出会いがきっかけ

澱粉が多い作物は、澱粉が中に貯蔵されることによって糖化され、甘味をもたらす

キュアリングは、貯蔵性を高めるための処理で、収穫時につきやすい傷をカバーするため、気温3435℃、湿度100%で2日寝かせた後13.5℃、湿度90%の貯蔵庫に移す

 

ü  成城石井 ナポリタンチョコレート

北イタリアの老舗メーカーの製品。子会社の商社を通じバルクで仕入れ、日本でリパックして提供する商品の第1号。11年開始。セントラルキッチンの機能が役立つ

バルクだと、包材や詰め合わせにかかる人件費まですべて最終コストに乗るので関税がかかるので割高。製品だけでなく輸入できるものの幅が広がり、買い付け交渉も多極化

 

ü  成城石井desica 和三盆ポルボローネ ~ 店頭で人気の焼き菓子を1年がかりで量産化

16年から新しいロゴマークの入った商品群の展開が始まる。シリーズ名称が”desica”(成城石井でしか作れないものの意)

1弾が和三盆ポルボローネ

1店舗時代から自家製総菜を作っていたのが、96年のセントラルキッチンという町田の総菜工場に発展。セントラルキッチンの職人が生み出すクオリティの高い総菜やデザートが対象で、オリジナル商品よりワンランク上の拘りのブランドとして展開

ポルボローネはスペイン発のクッキーの一種、バターの香りがたっぷりで、幸せのお菓子と呼ばれる。その表面に讃岐の砂糖として有名な和三盆糖をまぶす

今ではフレーバーが拡大、宇治抹茶、メープルシュガー、有機ほうじ茶、北海道産えびすかぼちゃ、沖縄産黒糖ときなこなど次々展開

 

ü  成城石井 ミックスナッツ/成城石井2種のトリュフ香るミックスナッツ ~ 煎りたて12時間以内にパックする。超人気の塩と油を加えていないミックスナッツ

07年発売開始。健康情報に敏感となり始めたころで、食塩を抜いて素焼きでおいしいナッツを前提にナッツ製造メーカーと商談

クルミ30%、アーモンド30%、カシューナッツ20%、マカダミアンナッツ20%の4種類を入れ、水分の抜け具合を合わせるように煎り加減を調節するとおいしくなる

定期的に食べ続ける人のために300gの大袋を作ったらまた大当たり

人気商品に更に新味を探して19年に作ったのがトリュフオイル、トリュフ塩を絡めた商品。両者とも自社輸入が始まったのが契機。カシューナッツに代わって単価の高いピスタチオを入れたのもトリュフとの風味が合うから

 

ü  成城石井 国産丹波黒しぼり豆

食べ始めたら止まらない

10年オリジナル商品として開発。甘納豆の一種。砂糖の蜜につけた黒大豆を煮た後、熱風で表面を乾燥させて作る。丹波黒というブランドは、黒大豆の中でも粒が丸くて形がよく大粒

パッケージのサイズにも拘る。後を引くおいしさなので、ドドーンと売るというのが狙いで、450gにするとともに、価格設定も1,590円とし、贈答品にも使えるようにした

透明のパッケージにしたのも、2L大粒の丹波黒がぎっしり詰まっているのが見えて好評

自社の名前も大きく出さず、「成城石井特選銘菓」と小さく書かれているだけ

 

ü  成城石井 特選味付けうずらのたまご ~ 化学調味料不使用の和風だしを使い、いかにおいしい味付けうずらの卵を作るか

16年発売開始。セントラルキッチンの職人監修の和風だしが発売されたのを応用したもの

和風だしと国産丸大豆醤油で味付けしているが、両者の味をいかに卵に染み込ませるかが難関で、加熱する時間を長くすれば染み込むが、卵が固くなってしまう

 

ü  成城石井 北海道産大豆100%納豆〈大粒〉〈中粒〉〈小粒〉 ~ 納豆に使われていない大豆を使ってみた。おいしい中粒納豆は、逆転の発想で生まれた

08年最初の中粒が登場、現在はあわせて年間50万個売上。

未成熟の小粒輸入大豆は苦みが強いので納豆の味が落ちるため、化学調味料の入ったタレ付きで売られる。値段の安さに惹かれて国産大豆の納豆が店頭から姿を消す

納豆に向いていると言われる品種以外で試作してもらったのが、煮豆に使われる北海道産の豊小町。豆に拘って作ったのがヒットにつながる

ご飯と一緒に食べるには小粒が人気ということもあって、シリーズで開発。豆は北海道産の鈴丸。わざわざ手で選別して粒を揃えている

大粒も6年後に発売。北海道のゆきほまれを使用

一番の売りは、大豆本来の旨みで、タレは控えめな味

 

ü  成城石井自家製 ポークウィンナー ~ ドイツのブナの角材を輸入して燻製。天然の羊腸を使ったオリジナルソーセージ

年間60万個を売る30年来のベストセラー、ドイツの加工肉コンテストDLGで金賞受賞

子供にも安心して食べさせられるために、添加物をなるべく使用せず、ドイツから取り寄せたソーセージ用のミックススパイスを使用して、素材の味を最大限活かしたソーセージを作る

冷凍していない生のフレッシュは国産豚肉を100%使用。冷凍すると旨みが抜ける

ドイツ岩塩アルペンザルツを使用、岩塩は素材の味を引き立てる

天然の羊腸を使用、扱いが難しく形も一律ではないが、パリッとした食感に繋がる

肉の比率が高く、粗挽きではなく絹挽きで素材の旨みを活かす

本場の味にするために、ミキシングや成形に使う機械はドイツ製、燻製用の木材もドイツから輸入したブナの角材、ドイツの伝統製法に従って作る

桜よりブナを使うのは、香りの出方が違い、仕上がりの色にも深みが出る

食べ方はボイルが一番

 

ü  成城石井 白菜キムチ ~ 11枚、葉っぱを開いてすり込んでいく。直前に切って、旨みが逃げるのを抑える

20年以上の歴史があり、年間30万個販売

唐辛子は韓国の英陽(ヨンヤン)産、標高300m以上の高原地域で、大きな寒暖差が厚い果皮を育てる

白菜は小さく切ると断面から白菜の旨みが出てしまうので、半株のまま11枚開いて塩を振る。一晩重しを乗せて寝かせた後、巨大な容器に水を張って白菜を入れ、葉を開きながら手洗いを3回繰り返す、その後一晩水切りし、キムチの素になるヤンニャムを11枚すり込んで漬け込む。最後食べやすい大きさにカットするまですべて手作業

最初はまだ発酵が穏やかな状態で店頭に出すので、どんな人にも食べやすい

パッケージも「キムチ」のラベルがあるだけで、透明で中のキムチが見える、オリジナル商品だが、成城石井のマークも入っていない

 

ü  成城石井自家製 フォー・ガー(鶏肉のフォー) ~ エスニック総菜に初めてチャレンジした人気商品。独特のスープとタピオカ入り麺がクセになる

輸送時間の問題で中部地方の店舗までしか置いていない

09年開発、米粉で作った平打ち麺のフォーを使い、味の決め手は隠し味の白ワイン

セントラルキッチンで使う調味料は本物ばかり、食材にも徹底的に拘る

 

ü  成城石井自家製 シンガポール風ソイソース チキンヌードル ~ 日本になかった蒸し麺をオリジナル開発。シンガポール屋台村の絶品料理を日本で再現

19年シンガポール政府観光局と一緒に第2回の社内のシンガポールフェアに出品するメニューとして開発

小さな屋台のような店が集まるホーカーという施設でミシュランを取った店で食べたのがソイソース チキンヌードルをヒントに総菜として開発

鍵となったのは麺、細いがコシのある蒸し麺を実現するのが一苦労

 

ü  成城石井自家製 プレミアムチーズケーキ ~ 年間120万本以上を売る成城石井の看板商品

03年登場。スーパーで菓子を作るためにケーキ店を辞めた異色の2代目パティシエが開発、成城石井のお菓子の骨格を会社全体で作っていこうという空気から生まれたヒット商品

珍しい3層構造、きび砂糖を使用した素材でナチュラルな甘さのスポンジ生地、癖のないオーストラリア産のクリームチーズをベースに加州産のアーモンド、レーズンを加えたチーズケーキ生地、アーモンドプードルを30%以上入れて作ったサクサクとしてシュトロイゼルの3

レシピはシンプルだが、11つの工程に、微妙な技術と経験が込められている、レシピがプレミアム

07年新丸ビル店オープンで出したところ、11,000本売れ、徐々に浸透していく

 

ü  成城石井自家製 モーモーチャーチャー ~ 台湾料理店のデザートにインスピレーション。全く新しいアジアンスイーツを閃いた

15年発売。マレーシア風お汁粉。食材を掻き混ぜて食べるという新しさ

 

ü  丸新本家 九曜むらさき溜り醤油 ~ 漁協で偶然見つけた、奇跡の醤油

日本の醤油は、金山寺味噌の製造過程でみそ樽に溜まる液を見つけ、取り出したのが始まりだといわれるが、金山寺味噌からわずかしか取れない稀少な溜りを素材にしているのが九曜むらさき溜り醤油 。創業明治14年、和歌山県湯浅にある丸新本家の醤油。モンドセレクションの最高金賞を2度受賞

20年以上も前、地元しか知らなかった時代から取引を始めたのが成城石井

一般的には大豆を蒸して麹をかけもろみを作るが、丸新では大豆をボイルし、旨みが逃げないよう手間をかけていることもあって、一般には1l298円で買える時代に700ml1,390

 

ü  藤井商店 魚沼産コシヒカリ ~ ブランド米になる遥か前から魚沼産コシヒカリが成城石井に置かれていた理由

元々成城石井には米に拘りがあり、2店舗しかない時代に、千葉のお米屋さんから精米したてのものをわざわざ取り寄せていたのが、店舗の増加で新たなお米屋さんが必要となり、日本酒を扱う問屋の紹介で始めたのが新潟のあるエリアの米を直接買い始める。そんな中で出会ったのが弥彦の藤井商店

魚沼産コシヒカリが「特A」を取ったニュースで売行き急増

バイヤーがやってはいけないのは、負けを認めないこと。負けを認める強烈な挫折感が、次への意欲を生み出す

客が求めるのは、価格に見合う価値

 

 

 

Wikipedia

株式会社成城石井

は、関東地方を中心に、中部地方近畿地方に店舗を展開する高品質な食料品主体のスーパーマーケットチェーンである。各店舗には倉庫が無く、コンビニのようにその日に必要な商品を物流センターから店舗に小分けして送る仕組みができているのも特徴である。

l  概説

輸入食料品を多く扱っている一般スーパーマーケットである。

当初は、高級スーパーマーケットのカテゴリーに属していたが、レックス・ホールディングス傘下以降、一般的なスーパーマーケットとしての経営方針に転換した[2]2014年以降、ローソン傘下となっている。

成城石井の名称は以下の経緯に由来している。もともと小田急小田原線成城学園前駅前にある果物店だったが、スーパーマーケットに業態転換。代替わりで社長が石井良明に交代してからは、高品質スーパーマーケットチェーンとして多店舗展開を開始した。2004レインズインターナショナル(現レックス・ホールディングス)へ株式の66.7%を譲渡し、レックスグループ傘下に入り、20062月にはレックスの完全子会社となり、従来の富裕層の多いエリアよりもターミナル駅の駅ビルへの出店を加速させている。

20063月から、「SEIJOISHII Select」という24時間営業の高品質ミニスーパーマーケット業態を西麻布代官山日本橋池袋サンシャイン4店舗で展開した。ただし池袋サンシャイン店のみは0730-2200の営業である。20087月に代官山店を閉店し、現在この業態は3店舗となっている。

2011228日、親会社のレックス・ホールディングス三菱商事系のファンド会社『丸の内キャピタル』に成城石井を売却する方向で調整中である[3]と報道された。当初、レックス側は「現時点で何も決定していない」[4]としていたものの、38日、同ファンド設立の新会社に事業譲渡することで最終合意した旨をレックス[5]と丸の内キャピタル[6]双方が発表し、同年531日、全事業譲渡手続き完了が発表された[7][8]

2014年、ローソン傘下となる。

l  沿革

1927 - 東京都世田谷区成城で創業。

195021 - 株式会社石井食料品店として東京都世田谷区成城町360番地に資本金50万円で設立。

19761130 - 株式会社成城石井に商号変更、スーパーマーケット業務開始。

1988 - 青葉台駅店開店。チェーン展開開始。

1996 - 東京都町田市のセントラルキッチン操業開始。

2001 - 大阪梅田店開店。近畿地方に進出。

2004

名古屋駅広小路口店開店。中部地方に進出。

10レインズインターナショナル(現レックス・ホールディングス)が経営権を取得し、同社の傘下となる。

2006

221 - 株式交換によりレックス・ホールディングスの完全子会社となる。

718 - 本社をアーク八木ヒルズから六本木ファーストビルに移転。

2007

1イトーヨーカ堂ファーストリテイリングなどでコンサルティングに関わった大久保恒夫が社長に就任。

730 - 本社を横浜西口加藤ビル(旧リバースチールビル)に移転。

201091 - 取締役執行役員営業本部本部長原昭彦が社長就任。前社長大久保は相談役となる。

2011

38 - 三菱商事系ファンドの丸の内キャピタル株式会社が設立する新会社に、全事業を事業譲渡することで最終合意[9]

531 - 新会社へ全事業譲渡手続き完了[10]

1215 - 東名高速海老名SA上り線に、初めてサービスエリア内に24時間営業の店を出店した。ただし、サービスエリア内の出店なので、運転手飲酒運転防止のため酒類の取扱いは一切無い[11]

2014

5 - 丸の内キャピタルが成城石井の全株式を売却する意向を表明。

930ローソンが成城石井の買収を発表[12][13]。買収争奪戦にはローソンのほか三越伊勢丹イオン3社が乗り出したが、イオンの買収提示額はローソンと三越伊勢丹のそれを大幅に下回ったため断りを受けた[14]。残る2社が正式入札に参加し、最終的にローソンが550億円を提示して合意に至った[14]

2015

313 - 「遠隔地単店オペレーション」展開の第一弾として山梨県甲府駅ビル『セレオ甲府』に開店[15]

1015 - 新業態「成城石井 SELECT」の1号店を愛知県JR豊橋駅改札内に開店。1211日にはJR名古屋駅太閤通口に2号店を開店[16]

201625 - プライベートブランドdesica」を発表[17]

2017

2 - 創業90周年。

61 - エスパル仙台店開店。東北地方に進出[18]

9 - 「新青果チルドセンター」本格稼働。群馬県初出店となる「高崎モントレー店」オープン。新業態店舗となるグローサラント型店舗「トリエ京王調布店」オープン。

2018

3 - マルシェの名称でコーチャンフォー札幌新川店内に成城石井の商品取り扱いコーナーを開設し、北海道に進出。

4 - 滋賀県初出店となる「近鉄草津店」オープン。

2020

629 - 岡山県、ならびに中四国初出店となる「さんすて岡山店」オープン。

                                                                              

l  店舗

201312月現在、直営95店舗、フランチャイズ15店舗である。

具体的な現行店舗については、店舗情報(成城石井のサイト)を参照

l  脚注

1.    a b 株式会社成城石井 9期決算公告

2.    ^ 「西山知義 レインズインターナショナル 会長兼CEO インタビュー」『『日経ビジネスアソシエ』』20041019日。

3.    ^ 成城石井、三菱商事系のファンドが買収へ読売新聞. (2011228) 2011228日閲覧。

4.    ^ 本日の一部報道について (pdf) (プレスリリース), 株式会社 レックス・ホールディングス, (2011228) 2011228日閲覧。

5.    ^ 丸の内キャピタル株式会社への事業の譲渡について (pdf) (プレスリリース), 株式会社 レックス・ホールディングス, (201138) 201138日閲覧。

6.    ^ 「株式会社成城石井の全事業譲受けに関するお知らせ」 (pdf) (プレスリリース), 丸の内キャピタル株式会社, (201138) 201163日閲覧。

7.    ^ 丸の内キャピタル株式会社への事業の譲渡手続き完了のお知らせ (pdf) (プレスリリース), 株式会社 レックス・ホールディングス, (2011531) 201163日閲覧。

8.    ^ 当社全事業の譲渡手続き完了のお知らせ (プレスリリース), 株式会社成城石井, (2011531) 201163日閲覧。

9.    ^ 三菱系ファンド、成城石井を買収 400億円で. 共同通信. (201138)

10. ^ 当社全事業の譲渡手続き完了のお知らせ

11. ^ スーパーマーケット成城石井海老名SA上り店が1215日、東名高速道路 上り線 海老名サービスエリア内にオープンいたします (プレスリリース), 成城石井, (20111212) 2017212日閲覧。

12. ^ “株式会社成城石井の株式取得に関するお知らせ”. ローソン (2014930). 2018329日閲覧。

13. ^ “当社株主変更に関するお知らせ”. 成城石井 (2014930). 2018329日閲覧。

14. a b “成城石井、ローソンが買収発表――幻の共同買収提案、三越伊勢丹、執念届かず(真相深層)”. フランチャイズ・ショー (2014101). 2018329日閲覧。

15. ^ “2015313日、成城石井が山梨県内に出店 遠隔地単店オペレーションの第一歩、「成城石井 セレオ甲府店」をオープン! (プレスリリース) 201523日閲覧。

16. ^ この秋、成城石井は新業態「成城石井 SELECT」をオープンいたします (プレスリリース)

17. ^ 成城石井「でしか」できない、こだわりの味 ~最高峰のオリジナル商品シリーズ「desica(デシカ)」が誕生します~ (プレスリリース)

18. ^ 成城石井が東北エリアに初出店!仙台駅ビルにオープン東京ウォーカー. (2017518) 2017518日閲覧。

 

 成城石井社長 原昭彦さん

「らしさ」貫き再編乗り切る(1

20211213 14:30 日本経済新聞 連載 「人間発見

店の前に立つスーツを着た男性

中程度の精度で自動的に生成された説明

  業界再編が続く流通業界。高品質スーパーの成城石井は20年近い間に筆頭株主が4回も変わった。経営権の交代は社内に動揺を招きがちだが同社は創業の精神を守りつつ、社会の変化に合わせて価値を高めている。社長の原昭彦さんは「成城石井らしさ、ならでは」にこだわり、生活者に豊かさを届ける。

東京都世田谷区の成城で果物店を営んでいたのが始まりだったので、スーパーマーケット事業に進出する1976年に創業家の石井良明さんが「成城石井」と名付けました。紙の買い物袋にメロンが描かれているのは果物店の名残です。コーポレートカラーのワインレッドは、我が社が得意とする直輸入品の赤ワインがモチーフになっています。

店舗は首都圏を中心に仙台市から岡山市まで約200店を展開。売上高は2020年度に初めて1000億円を超え、新たなステージに入ったと考えています。コロナ禍によってさらに健康を意識するようになってきており、そうした品ぞろえを通して、幸せな暮らしのお役に立てたらと考えているところです。

  実家も代々、八百屋、青果業を営んでいた。

母親のおなかの中でも商売の息づかいを感じていたのでしょう。いつごろかはわかりませんが、「自分もお店をやってみたい」と思っていたのは間違いないです。実家は成城に近い千歳烏山です。幼稚園からその足でお店に行き、店番をしていた記憶があります。小学校で算数を習うと、お店で実践です。合計金額やお釣りを正確にお客さんに言うと「坊や、計算速いね」と褒められるのがとてもうれしかったですね。

お店は小売りだけでなく、近くの総合病院に野菜などを届けていました。その時に父の商売の姿勢が垣間見えた気がします。

病院の栄養士さんに指示された野菜の種類、数量を基に市場で仕入れるわけですが、品薄だったり価格の変動もあったりして気を使う商売でした。指示通りに買い付けないと病院食が作れなくなります。父が「大根150円でも500円でも買わないといけないときは買うんだ」と言っていたのが印象的でした。

産地の天気予報を参考に早めに手当をするなど工夫をして、病院に届けます。仕入れ値が高くてもそのまま上乗せすると病院に迷惑がかかるので、大変だったと思います。そうした中から信頼関係が醸成されていくことを学んだ気がします。いつしか自分も天気が気になるようになり、今でも続いています。最近は白菜やネギなど鍋物向けの産地の天候ですね。

  まわりはジャイアンツファンばかりの中、ヤクルトスワローズが好きだった。

初めてプロ野球を見たのが小学校低学年のころ。ヤクルトの本拠地、神宮球場でしたが、ジャイアンツファンで埋め尽くされていました。当時のヤクルトはまだ優勝したことがない一方、ジャイアンツは常勝軍団です。なぜか判官びいきのところがあって、ヤクルトファンになっていました。今年は20年ぶりに日本一になってくれて感無量です。

ヤクルトの戦い方を見ていて、子どもながらに指導者(監督)の大切さが分かったような気持ちになりました。選手の顔ぶれはそんなに変わらないのに、広岡達朗さんが監督になると年を追うごとに勝ち星を重ね、1978年には初の日本一に。管理野球と呼ばれ、食事や日常生活にも目を光らせていました。ただ、本質はブレない姿勢、適材適所での選手の起用、責任はリーダーが取ること、データに基づく客観的な判断です。

これは経営にも通じる不易なものだと確信しています。

(編集委員 田中陽が担当します)

 略歴 1967年生まれ、東京都出身。90年駒沢大学経営学部卒、成城石井に入社。店舗勤務後、営業本部商品部部長などを経て2007年執行役員営業本部本部長。ほぼ一貫して営業畑を歩み、10年に社長就任。54歳。

 

成城石井社長 原昭彦さん

「らしさ」貫き再編乗り切る(2

  中学、高校時代はアイドル全盛期だった。東京っ子らしい放課後を過ごしていた。

初めてレコードを買ったのは中学生の頃。ピンクレディーでした。歌謡曲の公開放送が数多くあり、観覧希望の往復はがきを出しまくっていました。日本テレビのザ・トップテンやNHKのレッツゴーヤングなどです。

当たると小躍りして観覧へ。実家や学校から会場の渋谷公会堂やNHKホールまでは、電車に乗り30分程度の近さです。父親からは「人様には迷惑はかけるなよ。高校だけはちゃんと卒業しろよ」と言われる始末です。

実家の近くには有名なプロ野球選手や、女優の大原麗子さん、コメディアンの志村けんさんなど芸能人もたくさんいらっしゃいました。なので色紙と油性フェルトペンを持って自転車にまたがり、お目当てのご自宅に伺っては、ピンポーン。運が良ければサインをしてもらえました。

  大学時代はバブル経済の真っ盛り。アルバイトに明け暮れていた。

海外でワーキングホリデーの制度を使って働いてみたいと思い、軍資金集めのために時給のいいアルバイトを探していたら、新宿・歌舞伎町にあるラーメン屋さんの求人が目に留まりました。当時で時給が1000円くらいあった記憶があります。仕事は調理のお手伝いではなく、出前でした。

新宿の繁華街は不夜城のごとく眠らない街です。マージャン荘、バーやクラブなどからラーメンの注文がひっきりなしできます。

ラーメンやチャーハンを届けに行くと、代金の他に、時給とほぼ同じくらいのお駄賃を手渡されました。「学生さん、ごくろうさん」と。バブル期の私の記憶はこのラーメン店での出前での出来事ですね。

大学3年の頃です。お金もたまって、オーストラリアに行くつもりだったのですが、母親が病気になり「店を手伝ってほしい」と言われて、断念しました。

  就職活動はスーパーに絞って会社訪問を繰り返した。

1989年が就活の年です。子どもの頃から小売業の商売に関心があったので、スーパーに絞って就活をスタートさせました。当時のスーパーは急成長中で、採用意欲も旺盛でした。立派な本社に圧倒され、会社説明会には数多くの学生が真剣に参加していました。いくつかの会社から色よい返事をいただきました。

ただ、一抹の不安を覚えたのです。「同期が何百人といるなかでは歯車となり、埋もれてしまうのではないか」と。父の後ろ姿を見ていると、小さいながらも一城の主(あるじ)を目指したいと思ったものです。

そんな時に世田谷区成城にある「成城石井はどうかな」と思ったのです。当時はまだ本店と横浜市青葉台の2店のみの会社です。実家からも近かったので、輸入食材を多く扱うユニークなお店であることは知っていました。

問い合わせをして会社に行くと、担当者から「今、社長がいるから会ってみる?」と言われてびっくり。小さな会議室に社長の石井良明さんが現れました。果物店だったこの会社をスーパーに変えて、石井食料品店から成城石井にした人です。海外のおいしい食品やワインを日本に紹介してお客様に喜ばれる会社にしていることを熱っぽく語って下さり、圧倒されました。

石井さんの話を聞いて「成城石井で働きたいな」と思っていたのですが、その後会社からは連絡はありません。

念のため「私はどうなったのでしょうか」と電話で問い合わせると、担当者が「えっ。うちに関心があるのですか。実は、君は来ないと思ったので連絡しませんでした」と言うではないですか。とっさに「御社にすごく興味があります」と話すと、「じゃあ、書類を持ってきて」ということになり、話が進んで内定をいただきました。

 

成城石井社長 原昭彦さん

「らしさ」貫き再編乗り切る(3

 晴れて成城石井に入社したが、自分の売り場のことで目いっぱいで苦い経験をする。

入社1年目の冬の出来事が今でも忘れられません。「焼き豆腐事件」です。担当する日配商品(豆腐や牛乳など毎日仕入れて販売する商品)で、焼き豆腐が夕方の前に売り切れました。売れ残るよりは良かったと思った直後に、精肉売り場の担当の先輩が「原君。こっちが困るよ。肉だけじゃない、白菜だって売れなくなるんだよ」。

「はっ」としました。焼き豆腐がないと、すき焼きを作ろうと思わなくなりますよね。メニューの組み立てができなくなるからです。お店全体に目配りをすることの大切さを学びました。

  成城石井は地元の成城の住民に鍛えられた。

成城には目も舌も肥えたお客様が多くいらっしゃいます。海外に駐在経験のある方もいて、欧米のライフスタイル、食文化、食生活についていろいろと教えていただくことが日常でした。それを参考に食材調達の直輸入商社を作り、流通経費を抑えたのです。社長の石井良明さんはこうした仕組みづくりに熱心で、今の会社の基盤になっているのは間違いありません。

  入社して3年。ワーキングホリデーでの海外行きの希望を常務に打ち明けた。

バブルが崩壊していたので、常務は「日本に戻ってきたときに、どうなっているのかわからないよ」と難色を示しました。「1週間でどうか」と翻意を促されましたが、「すみません。それはできません」と頭を下げました。数日後、常務が「1年間の休職扱いにする」とおっしゃったので、改めて頭を下げてオーストラリアに旅立ちます。

職場は免税店の時計売り場でした。日本からの新婚カップルの接客が主な仕事です。新婚さんは買う気満々でしたので、販売成績はすこぶる良く、仲間から「ミスターロレックス」と言われていました。

  帰国すると会社は大きく変わろうとしていた。

成城石井が多店舗展開に向け新たな段階に入ろうとしていた時期に重なりました。総菜や加工肉を手作りにこだわり、自社で製造する工場を東京・町田に作る決断を社長がしたのです。私は横浜市内の店舗の副店長から本社勤務となり、成城石井が手掛けてこなかった「駅ナカ」戦略の仕事を任されました。

JR山手線恵比寿駅の駅ビル「アトレ」の一角に成城石井が出店することが決まり、責任者になりました。JR東日本からは、特色のあるスーパーとしての出店を希望されました。とはいえ、これまでは路面店での運営経験しかありません。しかも、恵比寿のお店の規模はコンビニを少し大きくしたぐらいの規模で、フロアの形もよくなかったのです。妙案はなく、開店の日を迎えます。

開店のチラシでは卵や牛乳のセールを大々的に打ち出しました。スーパーの本能のようなものです。ところが朝に店を開くと通勤客には全く見向きもされません。

「これは大変だ」と抱えた在庫の山に途方に暮れて、次の日の朝に恵比寿店に配送予定だった商品を急きょストップさせました。後で思えば、出勤途中にチーズやワイン、牛乳、卵などを朝に買うはずもありません。「これまでのやり方は通用しない」と気づきました。

ところがです。夕刻になると勤め帰りの女性を中心に店は大にぎわい。総菜が飛ぶように売れて、売り場が空っぽになりました。翌日も同じでした。あわてて近くの成城石井の店舗から総菜類をかき集めて並べました。自社工場にも総菜の増産をかけて対応に追われたのです。

まだ「駅ナカ」という言葉が一般化していない時期だったので、JR側も駅でスーパーが成り立つのか半信半疑でしたが、大宮、横浜、東京・立川、大阪・梅田に出店してもにぎわいは変わりませんでした。「成城石井」という知名度が高まってきたその矢先に、社内に激震が走りました。

 

成城石井社長 原昭彦さん

「らしさ」貫き再編乗り切る(4

 成城石井の「駅ナカ」事業は好調に推移。事業拡大への手応えを社内の誰もが覚えたそんなタイミングで激震が走った。

2004年の出来事です。焼肉店を展開する急成長中の大手外食企業が、成城石井の創業家から株式の67%を取得し、経営権が移ったのです。寝耳に水のことでした。決して業績は悪くなく、身売りする必要はなかったはずだからです。

ただ社長の石井良明さんは会社の今後について悩まれていたようでした。営業全般を担当し、石井さんから全幅の信頼を寄せられていた役員がその数年前に急逝したのも遠因だったはずです。

この外食企業は積極的なM&A(合併・買収)戦略を展開していて、ほかにも中堅のコンビニエンスストアを傘下に収めていました。てこ入れのために成城石井の独自商品を販売することを考えていたのです。

もう社内は大混乱です。会社で新たな戦略の説明会があると泣き出してしまう社員もいました。この外食企業は自社が提供しているキムチを成城石井で販売するよう求めてきましたが、商品部長として仕入れの責任者だった私は「絶対に扱わない。会社は売られてしまったが魂は売らない。キムチも焼き肉のタレも売らない」と社員には伝えました。成城石井じゃなくなることが許せなかったからです。

外食企業から落下傘部隊としてやってきた経営幹部は、私の強硬な姿勢を知ると、おとなしい社員を集めてコンビニ事業「成城マーケット」を立ち上げます。

大阪出張から戻る新幹線の車内ニュースのテロップで「成城石井、高級コンビニ3年で100店舗」と流れたのを見たときには、「聞いていないぞ」と声が出そうになりました。

取引先にはこう話した記憶があります。「成城マーケットのことは私は知らない。私はいつ首になっても構わない」。成城石井らしさ、こわだわりを貫かないと会社の存在意義はなくなってしまうのは明らかです。お客さんから「成城石井のままでいて下さいね」とのお言葉をいただいたのも励みでした。この間、会社を辞める人も出てきてつらかったです。

  買収されてから約3年。07年に再び大株主が変わった。

成城石井は外食企業などと持ち株会社の傘下に入っていました。BSE(牛海綿状脳症)などの影響もあってこの外食企業は業績が落ち込んだため、資本体制が大きく変わり、持ち株会社の大株主がファンドになりました。ファンドですから数年後には成城石井の株式を売却するはずなので、「この先どうなるのか」と気になっていたのは間違いありません。

このファンドは企業再生のノウハウを持っていました。成城石井の経営にも参画し、一時期混乱した経営体制の正常化に取り組んでくれたのです。

新社長としてやってこられたのは現在、西友社長の大久保恒夫さんです。大久保さんはイトーヨーカ堂で「業革」と呼ばれるきめ細かな商品管理の手法の立案に携わり、ユニクロや良品計画などもサポートした小売りのプロです。

大久保さんは「成城石井をしっかりと磨いていきましょう。これまでもやり方は間違っていないから」と従業員を鼓舞。品切れの防止、戦略的商品の集中販売、お客様への挨拶の徹底、店内の清掃など、小売りとしての基礎を地道に積み重ねてくださったのが印象的です。

新しい体制になったときにリーマン・ショックで景気は大きく落ち込んでいましたが、こだわりの商品をお客様が支持して下さり、多くの小売企業が業績が振るわない中で成城石井の業績はしっかり。社内は明るくなりましたね。

109月、このファンドから思わぬことを伝えられ、本当に戸惑ったのを昨日のことのように覚えています。

 

成城石井社長 原昭彦さん

「らしさ」貫き再編乗り切る(5

 ファンドから社長就任を打診される。そして最初の仕事が成城石井の売却準備だった。

驚きましたよ。ファンドが大株主なので、いつかは会社が売却されるのは間違いないと覚悟を決めていましたが、複雑な気持ちでした。20109月に42歳で社長に就任したときに、大久保さんからは「原さんなら成城石井をより価値のある会社にできるから」とエールを送っていただきました。

とはいえ、最初に手掛ける大仕事が会社の売却とは。ファンドと一緒に資料を作成し、成城石井に興味のある事業会社などとヒアリングを繰り返しました。小売業、異業種、ファンド、海外企業などいろいろな会社が興味を示してくれました。うれしい半面、成城石井の運命に関わることですから、眠れない日々が続きました。

ヒアリングで心がけたのは、成城石井の原点である「成城のお客様に育てていただいた店」であることを尊重してもらえるかどうか。輸入食材については「現地の味をお求めになりやすい価格にするための仕組みづくりのユニークさ」、いろいろな立地でも成り立つ「店舗運営と物流、製造システムの優位さ」を丁寧に説明し、高い評価をもらえるように努めました。ところが数回の入札を繰り返している最中に東日本大震災が襲いかかります。

  社会が混乱し、売却交渉どころではなくなる。

さすがに交渉相手も「一旦、様子を見ましょう」ということになり、営業の正常化に注力しました。震災直後は多くのスーパーやコンビニの棚から商品が「蒸発」しました。

でも幸いなことに、震災の影響を受けなかった関西や中京地区の取引先の協力を得て、日常生活に欠かせない乳製品などを品切れせずに販売していると「成城石井では売っている」と評判になりました。自社の物流ネットワークが生きました。

このレジリエンス(復旧)する力を知った売却交渉相手も、私たちの機能を改めて高く評価してくださることになり、115月に新たな大株主が三菱商事系投資ファンドの丸の内キャピタルになりました。社長としての自分の立場がどうなるのか気になっていましたが「経営体制は変わりません」と言われました。ようやく社長業に取りかかることができ、うれしかったですよ。

  丸の内キャピタルは14年に成城石井株をローソンに売却した。

成城石井の株式は創業家から外食企業、2つのファンドを経てローソンへと数奇な運命をたどりました。ただ、ファンドの皆さんからは、「成城石井の株式を取得したときは高値づかみをした」などと言われましたが、売却するときには「とても高く売れて良かったです」とお褒めの言葉をいだだき、素直にうれしかったですね。

でも、それは従業員が成城石井に来店されるお客様の期待に沿い、期待以上の商品やサービスを地道に心がけてきたからです。お客様に満足していただくためには何をすべきか、全社一丸となって地道に取り組んできたと確信しています。お客様に鍛えてもらっているのです。

親会社がローソンとなり、3年周期で大株主が変わることもなくなりました。ローソンにはもともと高品質なコンビニ「ナチュラルローソン」があり、成城石井の品ぞろえと親和性があります。コンビニが成り立ちにくい立地でも、成城石井なら営業できるケースも散見されます。ローソンの竹増貞信社長も成城石井の小売り力を評価して下さっていて、もっと企業価値を高めていきたいと思います。

ありがたいことに「成城石井が私たちの街に来てほしい」という話はいくつも寄せられています。「成城石井らしさ、ならでは」のこだわりを大切にしながら、地道に店を出していきたいと考えています。

(編集委員 田中陽が担当しました)

 

 

 

 

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