大名倒産  浅田次郎  2020.9.10.

 

2020.9.10. 大名倒産

 

著者 浅田次郎 1951年東京都生まれ。95年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、97年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、00年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞、06年『お腹召しませ』で中央公論文芸賞、、司馬遼太郎賞、08年『中原の虹』で吉川英治文学賞、10年『終わらざる夏』で毎日出版文化賞、15年紫綬褒章、16年『帰郷』で大佛次郎賞、19年菊池寛賞

 

発行日           2019.12.10. 第1刷発行

発行所           文藝春秋

 

初出 『文藝春秋』 20164月号~20199月号 連載

 

思いも寄らぬ舞台に引きずり出されてしまった若き御殿様の運命やいかに!?

泣く泣く人助けする貧乏神とどうにも頼りない七福神は丹生山に宝船を呼べるのか――

 

前口上

幕府の余命が僅か数年ということを誰も予見していない、平和な時代の江戸城中から始まる

黒船以来、国家意識は急速に高まり、我国を欧米列強の植民地にしてはならぬという、攘夷運動も盛んだったが、幕府は将来の指針を明らかに出来ず

加えて、幕閣や大名たち為政者の日常は、長い平和の間に増殖した繁文縟(じょく)礼に縛られて身動きできず。その象徴が江戸城本丸御殿、平屋建て11千余坪

殿中における礼法や慣習は、時代と共に積み上げられ、起源も意味も不明な習わしばかり

 

1.    和泉守殿下城(げじょう)差留之事情

文久2年、家康の江戸入りを祝う八朔の式日、総登城した大名が去ったあと下城差留を伝えられ1人残されたのが越後丹生(にぶ)3万石松平和泉守信房。お手付きの子で部屋住みだったが兄の急逝で跡を継いだ13代若干20歳。松平姓は38家。上屋敷は小石川(3800)、中屋敷が駒込(1万坪)、下屋敷が柏木村(1万坪)にあった

新任の月番老中・板倉周防守から直々に下問があり、目録に記された献上品が後日届かぬこと(目録不渡)23度あるという。金がないことが露見

 

2.    12年前過日之追懐(おもいで)

12年前の下屋敷でのこと、殿様が来て、母共々小四郎(信房の幼名)が召され、殿様の実子として幕府に届けが出され、その生活が始まる

 

3.    越後丹生(にぶ)山松平家縁起

松平家は将軍家御家門の1つ。御三家御三卿は徳川姓。外様国持ちの多くも松平姓を下賜

松平家は家康公の旧姓、三河国加茂郡松平郷を根拠とする。祖父清康公が三河一国を統一したころは、「十四松平」と称し、14の分家別家が合力して三河一国を治め、天下をとった際、家康はそれぞれを大名に封じたが、その1つが丹生山松平家3万石

2代秀忠から会津松平が、3代家光から越智松平が、御三家の分家として、尾張からは美濃高須の松平、紀州からは伊予西条の松平、水戸からは讃岐高松以下4家の松平が立藩、2代将軍になり損ねた結城秀康公の系譜から作州津山、越前福井など8家もの松平、これで30

家康の外孫を祖とする奥平松平、異父弟に始まる久松松平、伊予松山や伊勢桑名など5家、異色は5摂家から迎えられた鷹司松平で上野吉井の1万石ながら城中殿席は越前松平、加賀前田とともに格式ある大廊下下之部屋と定められた。加賀前田家は松平の賜姓を受けているので正式には松平加賀守。以上38家に加え、賜姓された外様の松平が20家ばかり、旗本の松平は数えきれないほどで、城中では姓を呼ぶ習慣はない

ただ、和泉守にしても、全国にあちこちあってややこしい。松平和泉守という同姓同名もある

上屋敷に戻って家老に老中から言われたことの真意を質すが、殿様が口を出すことではないと諫められたため、直接先代に会って確かめる

 

4.    悠々閑々無暦日(れきじつなし)

天保年間の不作の煽りで家政が窮乏、2年前からは上士の禄を半減させたが、それでも立ちいかず殿様に訴え出る。借金総額25万両、利息だけでも年3万両に対し、収入はせいぜい1万両。その説明を聞いた翌朝、嫡男が昏倒、10日後に逝去。次男3男とも出来が悪かったり病弱で、急遽4男の小四郎を認知して跡を継がせる

小四郎が先代に会って尋ねると、先代はすんなり認めて居直った

 

5.    冷水(ひやみず)一椀百万石

小四郎の小姓たちは、春夏に冷水を売って日銭を稼ぐ町人から、お屋敷に金がないとの噂が広がっていることを聞かされる

 

6.    中屋敷御蔵内之有様

勘定方奉行を問い詰めるが埒が明かず、家宝が収められた蔵のある中屋敷へと向かうが、去年持ち出されたまま戻っていないという

 

7.    本郷元町92間裏長屋

規模の似たような藩の勘定方で、嫌気がさして水売りになり下がった町人に話を聞きに行く

水売りは、元豊後杵築の松平大隅守の勘定方で出奔した比留間伝蔵と分かる。同規模の同じような事情にある藩で、和泉守に召し抱えられる

 

8.    一狐裘(こきゅう)30

江戸市中の西の端が淀橋

「一狐裘30年」とは、礼(らい)記の中で、1枚の狐の皮衣を30年も着ている倹約家のこと

主君の在国中に江戸表の一切を差配する江戸留守居役が、中屋敷での顛末を先代に報告

家宝は、借金のカタに没収されないよう、先代が持出して十二社の熊野権現に預けてあった

間もなく、老中から呼び出され、目録不渡り解消の事実を告げられるが、不審なことが起こっているのではとの懸念を伝えられる

薩摩藩の島津家でも500万両を踏み倒した

中屋敷にいた次兄が、旗本中の極官(ごつかん)の大御番頭(おおごばんがしら)の息女と結婚するに際し、男の側から「お頼み金」500両を出すのが三河以来の旗本旧家のしきたり

 

9.    嫁取手形500

結納となって祝いの目録を見ても「お頼み金」の記載がない。代わりに1年期限の手形を渡される。実情を率直に打ち明けられて娘の父親も胸を打たれる

 

10. 道中10057

和泉守の初の国入り。どんなに削っても供連れは136とされたが、8代吉宗の改革では、3万石なら供連れは54とあり、強行軍の貧乏道中を決め込み、7日で100里を駆け抜ける

 

11. 御黒(おくろ)書院就封(しゅうほう)之儀

「襲封(しゅうほう)」とは、家督封地の相続

「就封(しゅうほう)」とは、参勤交代で封地に赴くこと

登場して就封の許可を得ると、54人の行列が出発、次兄の妻の実家の大御番頭が途中で出迎え丹生松平の先祖にお詣りにと供を申し出、70人が合流。思わぬ大行列が道を急ぐ

 

12. 会津道中御本陣憂患(うれい)

会津街道籠居(かごい)の宿では、和泉守の到着を待つが、先触れのご家来衆が来ないので心配、宿割りも出来ない。漸く来た先触れは、全員が本陣に泊まると言い出す。本陣は無料で、ご祝儀だけで成り立っているにも拘らず、ご祝儀すら払えないと告白

 

13. 和泉守殿初之国入

大御番頭は、嫡男が夭逝したきり男子に恵まれず、相応しい婿も見つからないまま、老体に鞭打ってお役目を務めている

お国入りした和泉守は鮭が産卵に溯って

くる川に鮭役人の養父を見つけ劇的な再開を果たす

 

14. 難攻不落天下之要害

丹生山城は堅固で要害、元は上杉謙信の手になる戦国砦

 

15. 御不在中江戸表之様子

和泉守が在国となって1年は留守が保証された江戸では、下屋敷で先代が手足を伸ばして、屋敷内の権現様に奉納するためと偽って藩財政からくすねた金や米俵を隠匿。併せて、和泉守初のお国入りのご祝儀として両替商から巻き上げている。退蔵金は既に500両を越える

 

16. 北之丸御重役会議

お国入りに従ってきた勘定方が、江戸表の上司に様子を知らせる

 

17. 御領分錦繍之彩

大御番頭はすっかり丹生山が気に入る。鮭役人を和泉守の養父と見破り、召し抱えようと申し出るが、鮭を守るためと拒否される

 

幕間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文藝春秋Books

借金の積もり積もること二百年、御家を救う唯一の手立ては計画倒産!?

読めば福がやってくる! 笑いと涙の経済エンターテインメント。

 

連載中から「面白い!」の声続々!

 

〇江戸時代にもロスジェネってあったんだ!と思いました(30代女性)

〇鮭と米がとにかく美味しそう……。(40代男性)

〇もはや古典落語のような語り口、どこで止めていいのか分からない!(40代女性)

〇『プリズンホテル』以来の大笑い。それでいて、ほろり。こんな浅田作品が読みたかった! 60代男性)

 

丹生山松平家三万石を襲いだばかりの若き殿様は江戸城で脂汗を垂らしていた――御尊家には金がない。

老中からの宣告に慌てて調べてみれば藩の経済事情は火の車であった。

奇跡でも起こらぬ限り返しようもない額の借金に押し潰される寸前の弱小大名家。

父である御隠居はこの苦境を見越して、庶子の四男である小四郎に家督をとらせたのだ。

計画的に「大名倒産」を成した暁に、腹を切らせる役目のために……

 

父祖から受け継いだお家を潰すまい、美しき里である領地の民を路頭に迷わせまいと、江戸とお国を股にかけての小四郎の奮戦が始まる!

 

だが、大名行列の費用に幕府からの普請費、さらに兄が嫁取りしたいと言い出し、金は出てゆくばかりで……しかも、お家にとり憑く貧乏神まで現れて!?

 

親世代の逃げ切りと負債にあえぐ子供世代……と現代にも身につまされるお金をめぐる新旧交代の物語。

 

 

執筆裏話満載! 担当者が語る『大名倒産』泣きどころ、笑いどころ

司会 「大名倒産」は月刊文藝春秋20164月号~199月号に連載されていました。そして、いよいよ単行本(上下巻)が126日に発売されます。刊行にあたって、雑誌で連載を担当していた「ゆとり世代」のIさんと、単行本を担当した「ロスジェネ世代」のHさんに集まってもらい、執筆裏話を伺いたいと思います。

IH よろしくお願いします!

司会 まずは雑誌担当Iさんに連載開始の頃の話を伺いましょうか。

浅田次郎の鉄板ネタ

I 「大名倒産」というタイトルは割と早い時期に決まっていたと思います。浅田さんは、江戸時代の藩経営は、現代の会社経営に通じるというお考えを前々から持っていて、よくお話を伺ってました。

H 浅田さんが企業向けになさる講演会の鉄板ネタがあるんです。それは、「江戸時代には老中という、今の会社で言えば重役にあたる役職がありましたが、なんと、その数の半分以上は幕末に偏っているのです。つまり、組織が揺らぎ始めると老中(重役)がばたばた交代して人数だけが増えていく」という話。ここまで聞くと、聴衆はフムフムと頷いて、前のめりになります。

I いつの時代も変わらないんですね。

H 「大名倒産」は、そのような現代的なテーマを江戸を舞台に書こうとなさっていたんだと思いますし、実際そうなっていますね。

(『大名倒産』のあらすじ)

主人公は丹生山松平家三万石を襲いだばかりの若き殿様。老中からの宣告に慌てて調べれば、藩の経済事情は火の車であった。奇跡でも起こらぬ限り返しようもない額の借金に押し潰される寸前の弱小大名家。父である御隠居はこの苦境を見越して、庶子の四男である小四郎に家督をとらせたのだ。計画的に「大名倒産」を成した暁に、腹を切らせる役目のために……。父祖から受け継いだお家を潰すまい、美しき里である領地の民を路頭に迷わせまいと、江戸とお国を股にかけての小四郎の奮戦が始まる!だが、大名行列の費用に幕府からの普請費、さらに兄が嫁取りしたいと言い出し、金は出てゆくばかりで……しかも、お家にとり憑く貧乏神まで現れて!?


I 大企業であればあるほど、意味のない縟礼が残っていますよね。メールを一度に複数名に送るときも、誰それを筆頭にしないといけないとか。ある意味、どうでもいいことにこだわっている。「大名倒産」ですと、まさに江戸幕府が大企業になるわけですが。

H 小説の冒頭で、和泉守が居残りとなりますが、そのとき気にしているのは、「御目見の折に、畳の縁(へり)に手をついたか、それとも脇差の鐺(こじり)が襖(ふすま)に触れでもしたか」という作法の問題でした。

I 浅田さんは、一般企業や出版社などを見て、そういう変な風習が残っていることの滑稽さを感じていたんでしょうね。

H 権威づけのために始めたであろう風習が、意味もわからず継承されて、最後は誰も理屈が分からないのに、それに縛られていく。例えば、小説に出てくる「八朔の日」っていうのも、家康が江戸入りした日を記念して……ということになっていますがこれもあくまで儀礼的な日付らしいです。しかも、八朔の日の前には「鯖代献上」という儀式があるんですが。

I 鯖を買うお金をあげるんですか? 

H 私も浅田さんにそう言ったら、「いや、本当に買ったわけじゃないと思うよ」とおっしゃっていた。そういう意味不明のことが山ほど受け継がれ、その一方で、幕末になると多くの藩の経営は破綻を迎えるようになります。今回舞台となります丹生山松平家も、お金がすっからかん。

I 25万両の借金があって利息だけで毎年3万両になっている。台所事情も知らずに受け継ぐことになった若殿にしてみれば、いったい、どうすればいいのだと。

H そこが私たちロスジェネ世代にはグッとくるんです。我々はいわば親世代の借金を押し付けられた世代で、「人生再設計第一世代」なんて名前まで政府につけられて……。再設計が前提って、いったい何よと言いたい。親世代はおそらく戦争も知らずに生き抜けるでしょう。そんな親世代と作中の御隠居様たちが重なって「いいですよねー、羨ましいです」と浅田さんに言うと、「なんか、ごめんな」っていつもたじたじとされる。小説の感想をお伝えしてるだけなのに(笑)。

I ロスジェネは借金を作ってきた世代への怒りがあるんですね。一方、浅田さんは団塊の世代です。

H 会社だってそうじゃないですか。上司を見てても、この世代までは、逃げ切れるんだろうなぁって思いますもの、しがないOLとしては。

I けど、「大名倒産」ってタイトルで本当に倒産しては小説になりません。あの手この手で経済を再建し、成功していくところに読者は溜飲をさげてもらえると思います。

H 再建の中心となるのが若殿の和泉守。浅田さんが描く、子どもや若者は本当に健気ですね。

I こんだけ借金を抱えていてどうするの? という状況ですからね、小説もいまの日本も。大人たちが、内部留保を分けて藩(会社)を解散したくなるのも分かります。それを見ているロスジェネ世代はやりきれないですね。

H その若い世代の健気な闘いが、まさに読みどころです。

H 取材には2度行っています。最初は連載を始めて間もないころ。丹生山のモデルになりそうな新潟県の村上市を取材しました。そのときに、「笹川流れの夕陽」を見たんです。まだ具体的に財政再建の方法が見つかってなかったと思うのですが、この時代は「廻船」が経済の中心になりますので、きっと海が小説の鍵になると思われたんだと思います。
 
I
 村上は夕陽がきれいな街ですよね。

H 海に夕陽が沈んでいくのね。私は東京生まれの東京育ちなので、海に沈むのはそのとき初めて見ました。そんな話を浅田先生にしたら、「当時は、この景色を見たことがない人がきっと沢山いたんだろうな」とおっしゃった。ああ、同じ景色を見ていても、この方は江戸時代のことをずっと考えているんだと思いました。

I 小説に出てくる「黄金ヶ浦」という地名は、このときの夕陽からイメージされたのかもしれませんね。

H あと、うち捨てられたお寺や、笹川流れから塩汲みも見に行きました。その辺の取材の成果は、単行本でいえば下巻で活きていると思います。

I 天井からずらりと鮭が吊るしてあるのを見たのも1回目の取材です。

H 塩引き鮭ね。あれは、美味しかった。

I 2回目の取材は去年の秋ですね。

H そうそう、単行本でいえば23節のころ。いよいよ藩に宝船を呼び込まねばならないけど、どうやろうかという段になり、千石船を見に行きました。佐渡に千石船の復元模型を展示している「佐渡国小木民俗博物館」という場所があるんです。そこで、浅田さんは、船頭たちが乗るところに実際に乗り込んで「なんだ、狭いもんだなぁ」と驚いてました。その体験が小説でも終盤の神様達の場面に活かされているんじゃないかしら。浅田さんも「(取材は)行っておくもんだ」とおっしゃってました。

I 取材は拾い物が大事とよく言われますが、本当にそうなんですね。

H 博物館近くの宿根木という地区に保存されている家にいくと、天井が漆塗りだったりして当時の船主の裕福さが伝わってきました。そこから叩き上げの船頭・房五郎というキャラクターをつくったのではないかしら。宿根木の家にも囲炉裏のある吹き抜けの間に立派な神棚があったんです。それで、福禄寿が神棚から舞い降りてきて炉辺で居眠りしてる房五郎に話しかけるっていう場面が生まれたと思っています。

I 村上では三面川の居繰網漁の取材にもいきました。鮭を追い込む漁ですね。
その後で、我々と一緒に「新多久」という料理屋で鮭料理を食べました。沢山食べましたねぇ。死んだら鮭になりそうだった(笑)。

H 1回目の時期はまだ新鮭は上ってきてなかったんですよ。浅田さんはどうしても新鮭が食べたいとおっしゃって、2回目の取材が10月末になったんだ。いま思い出した。小説としては、本当はもっと早く取材に行きたかったんだけど。

I 口がひん曲がるような塩引き鮭が食べたいとおっしゃてっましたよね。

H 「新多久」でIさんと3人での会食のとき、浅田さんは下戸なので一滴もお酒を飲みませんが、飲みたそうにしている私を見て、「飲める人は飲んでいいんですよ」と。
「では、ビールを」
「ビールでいいの」
「では、日本酒で……
鮭をつまみに飲んでいたら、
「鮭はそんなに日本酒にあうのかい」と取材されました。
「鮭の脂が、お酒に溶けてくようで」と答えますと、「そんなもんかねぇ」と。どんなことも取材になるんですね。

I 私も下戸なので、美味しそうに飲んでいるHさんが羨ましかった……。全く飲まない浅田さんですが、酒の場面は本当に美味しそうに書かれます。

H 日本中の下戸の中で、一番お酒を美味しそうに書ける作家だと私は思います。
飲まないからこそ、理想の酒が描けるのだ! と勝手に思っている。

I そもそも、なぜ村上藩がモデルになったのでしょうか。

H 江戸から遠からず近からず、しかもさして表立った大きな事件が無く、石高も五万石とほど良く平均的、幕末までわりと平穏だったというのもポイントでしょうね。鮭という名産品があったのも大きいと思います。そういえば、取材で佐渡島からの移動中に、「この辺りにはどのくらいで討幕の知らせが届いたのかなぁ」とおっしゃった。

I 薩摩や長州といった西国とは情報の早さが全然違いますもんね。

H それで、佐渡島で郷土史の本を調べてみたら鳥羽伏見の戦いのことが伝わるのが「四日」とありました。私は意外と早いと思ったのですけど、でも当時において距離は現代の想像以上にハンデだったでしょうね。連載の中で、鮭をいかに大坂・江戸への物流にのせるかが焦点になりつつある時期だったので、浅田さんは、新幹線や高速船で繋がった現在とは違う「村上東京」間の距離のことをずっと考えていたのかな、と。

担当者イチオシのキャラクターと泣ける場面

 

I 私が連載中にずっと気にしていたのは、七福神の一柱、サラスヴァティー(弁財天)なんですよね。恋愛至上主義の女神さまキャラがすごく好きで。1000年か2000年前に付きあったマハーラージャにおもざしが似ている和泉守に一目ぼれして、窮地から救おうとするんです。他の七福神も巻きこんじゃう恋心がかわいい。

H 経済より恋愛のほうが一大事なお年頃だもんねぇ、まだ。

I そうなんですかね。ゆとりだからかな。

H 良いと思うよ。お金も大事だけど恋愛も大事だよ、たぶん。

司会 私は原稿を読んで5回泣きました。皆さんは、泣いた箇所はありますか?

H 単行本の校了作業をしながら読み返す度に泣いてしまう箇所が最低5箇所あるんですよ。まず、上巻「二、十二年前過日之追懐」での和泉守と育ての父との別れの場面。

I だいぶ早いタイミングで泣きますね。

H そうなんです。ここは文章までピンポイントで決まっていて、p35の〈けっして権現様の血を享けた体を尊んでいるわけではないと知れた。二度と触れることのできぬ倅の体を、父は愛おしんでいた。〉……読み上げるだけで泣きそう。ここの、なさぬ仲といえども慈しんできた父と、そのことを十分に理解している幼い息子のいじらしさが堪らないんです。

I 国元の蘆川(あしかわ)で、育ての親と再会するところもいいですね。父は、鮭の養殖を務める川役人になっていて。

H そう! 丹生山にお国入りしてからのことなのですが、風景描写の美しさとあいまって忘れがたい場面です。上巻のクライマックスと言っても過言ではないかも。

H 新次郎の嫁取話は、お笑い担当かと思いきや、泣いてしまう。和泉守も兄の願いを叶えてあげたくても結納金が準備できないわけです。そこでお初の親に「払いたくてもお金がないのです」と率直に打ち明ける。武士の体面も捨てて、実の親に頼れず、他人にすがるしかない和泉守が健気で哀れで泣いてしまう。

I 和泉守の兄・新次郎とお初は心から応援したくなる夫婦ですね。新次郎は「天衣無縫の馬鹿」と評されるほどなんだけどとにかく人柄が良くて、似たり寄ったりのお初という女の子が好きで好きで結婚したくてたまらない。

I 実の父の御隠居様は、百姓与作に、茶人一狐斎、職人左前甚五郎や、板前長七と、役柄を演じ分けながら、和泉守を追い詰めていく。妾腹の四男なら「腹を切らせたところでさほど惜しくはない」(上巻p143)なんて、ひどい!と思っていたのですが、御隠居様にも時代なりの理由があって。長く仕えた側近の八兵衛には、それが分かるんです。その八兵衛の心情にもぐっときます

H 残る場面はあんまり詳しく言うとネタバレになってしまうかもしれないのですが、泣きながら作業していると誤植を見落としたんじゃないかと不安になるくらいでした。笑って読んでいるとグッと涙がこみ上げるような場面がくるので油断できないんです。でも、良いユーモア小説ってそういうものだと浅田さんもおっしゃっていました。

 

 

Book Bang

大名倒産 上・下浅田次郎著 文芸春秋

[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)

 越後丹生山松平家3万石。260年もの長きに積もり積もった借財はなんと25万両。利息の支払いだけで年に3万両。しかるに収入は1万両。どうしたらいいのか。ある時は百姓与作、ある時は茶人一狐斎、またある時は職人左前甚五郎や板前長七を演じる第12代当主御隠居様が策をめぐらせたのが、25万両をチャラにする大胆不敵な「大名倒産」に他ならなかった。

 返すべき金はビタ一文返さず、計画倒産の暁に藩士に還元するため、せっせと金銀を貯め込む。さすれば業を煮やした幕府が領知不行き届きで「改易」を迫るだろうという筋書きだ。

 これに抗したのが四男小四郎。嫡男は急死、次男は天衣無縫の馬鹿、三男は生まれつきの病弱。そこで先代が村娘に産ませ、9歳まで足軽の子として育てられた小四郎が第13代当主となる。

 この13代、糞がつくほど真面目。老中から言われた「領国経営」の要である節倹、収税の正確な実行、そして殖産興業に着手する。手始めは参勤交代費用の徹底的な切り詰め。なりふりなど構ってはいられない。たとえ莫大な借金の前では焼け石に水と思われようとも一つ一つ実行していく。その質朴なまでの姿に、国家老ら家臣も、豪農や天下の豪商たちも、そして七福神や貧乏神さえ打たれてしまう。

 気の遠くなるようなこの難問をどう解決しようとしたのか。その捻出方法については読者のお楽しみに取っておくとして、小四郎の思いはただ一つだった。「松平和泉家の名を惜しみ、父祖の伝えたふるさとをゆめゆめ失うてはならじ」ということだった。凡庸でも誠実であり続けることの大切さを教えてくれるのである。

 それにしても「浅田ワールド」の極致とさえ言えるこの小説のすごいところは、悪評高い御隠居様を含め、登場人物の誰一人として造型が細やかでない者がいないことである。悪意が満ちあふれている今日日、これほどの「性善説」小説にお目にかかるとは大いなる驚きである。

 

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