伊東豊雄 伊東豊雄 2020.8.11.
2020.8.11. 伊東豊雄 美しい建築に人は集まる
著者 伊東豊雄
発行日 2020.6.24. 初版第1刷
発行所 平凡社 (のこす言葉)
人は言葉をたよりに生きている
言葉は人をはげましてくれる
心にのこる言葉は、人に手渡すこともできる
2019.1.15.早朝、脳幹梗塞で倒れ入院。記憶や言語の障碍はなかったが、2カ所に麻痺が生じ、体のバランスが崩れ歩行に障碍が生じたことと、嚥下に障碍が生じたこと
膨大な時間が出来たので、過去を振り返り、建築とは何かという原理的なところまで思考が廻った
自分の中でこれだけは変わらないと言えるもの、自分が腹の底から思考してきたことがはっきり見えた
病を経験して一番大きかったのは、人との接し方が変わったこと。人と同じ目線で、立場で建築を考えられないか、ということが気になる
一人の個人が他の人と如何に同じでありうるかを感じながら、建築を考えることが出来るのか、確かめてみたい。「優しい視線」で建築を考える
² 真夜中の病室で考えたこと――「中野本町の家」から「台中国家歌劇院」へ一回転
東日本大震災の時、立ち上げ直後の伊東建築塾の塾生と「みんなの家」という集会所を作る
最初は仙台の宮城野区。僕たちの提案した復興計画は採用されず、建築家の無力を思い知らされたことが、簡素な「みんなの家」につながる
モダニズムの論理のなかで建築の教育を受けてきたが、グローバル経済の論理と結びついて堕落したしまった。建築を作る動機は最早経済活動でしかない
歴史とか地域性とか、ゼロから考え直していくことで、1つのものに結び付けられないか。近代以前の思想と、現代技術を使う建築とが1つになり得る接点を見つけることが、僕が目指す建築
菊竹事務所で、建築は理論じゃない、身体全体でこれはいいと思うものを考えない限り認めてもらえない、ということを学ぶ
姉のために設計した「中野本町の家」が原点。地中に沈潜していくような内向的な建築が自分の身体性なのかなと感じた。地上にあるが洞窟みたいな建築
自分の身体性は、言語によって作られた。日本語の曖昧さによるところが大きい
² 自分を形づくってきたもの――内向的な野球少年が建築を志すまで
齢とともに、子ども時代の原風景が自分の空間感覚とオーバーラップしている
² 公共建築をつくるということ――「せんだいメディアテーク」から「新国立競技場」まで
独立して事務所を構えたころ、建築とは、世の中を批判することと思っていた
「消費の海に浸らずして新しい建築はない」(89年)と大見得を切ったことがきっかっけで初めての公共建築として「八代市博物館」を設計(91年)
00年の仙台メディアテークのコンペでは、審査委員長の磯崎新が出したお題の「メディアテーク」とは何かの提案から始まる ⇒ 僕の提案は、来た人が自由に過ごせる「場所」で、中身は市民と協力して新しい建築の形にまとめ上げるというもの
最近の公共建築ではPrivate
Finance Initiative方式で、施工するゼネコンや運営会社も含めたチームでないと応募できず、施設における建築デザインの点数・評価がとても低い
新国立競技場も同じ方式。12年の第1回コンペは未だ招致が決まる前。法規や予算を守ったのは僕らだけだったが、ザハ案に決まる。改修案も提案したが、議論もせずに解体
15年の第2回コンペは、大成・梓設計と組んだ隈研吾と、竹中・清水・大林・日本設計と組んだ我々との一騎打ち。元々第1回の結果から大成が施工を請け負うことになっていた政治色の濃い出来レースで、完成されたスタジアムの凡庸さを見ると悔しさが蘇る
公共建築の問題は、利用者と設計者の間にある自治体・官僚組織の衰退にある ⇒ 東京のような大都市では、住民との関係が切れてしまっているので、いい公共建築を作るのは至難の業。オリンピック施設も、新国立競技場以外はみな大手組織設計事務所が担当
² 美しい建築に人は集まる――大三島のおだやかな海を見ながら考える内なる自然
いま作りたい建築は、美しい建築
04年、今治市大三島町の「ところミュージアム大三島」のアネックス設計の注文が入り、若手を育てる仕事をしたいという希望が叶って、11年「伊東豊雄ミュージアム」がオープン
86年に建築学会賞を受賞した自宅「シルバーハット」を作り直して寄附
大山祇(おおやまづみ)神社の参道の一角に古い木造の建物を借りて「みんなの家」を作る
これからの建築は、人と自然と建築の関係を、もう1回どう組み直すか。再編するか。そこにかかっている。近代主義の時代を超えた先に、自然との関係を回復した建築はどのように可能だろうかと考えた時に、僕は「内なる自然」ということをテーマにする
人の手を加えて作られたもう1つの自然。抽象化されているからこそ、多くの人が共感してくれるような空間を作ることが出来るのではないか
五感に訴えかける美しい空間を作ることが出来たら、自ずと人は集まってくる。一人よがりに終わることなく、個を超えられるか。共感を呼べるかどうかが勝負どころ
近代化が今後どのように展開されても変わらない、そして、新しい現代の美しい建築に挑み続けていきたい
建築は人の集まる場所をつくる仕事なのだと改めて思わずにはいられない
Wikipedia
伊東 豊雄(1941年6月1日 -
)は日本の建築家。一級建築士。伊東豊雄建築設計事務所代表。東京大学・東北大学・多摩美術大学・神戸芸術工科大学客員教授を歴任。高松宮殿下記念世界文化賞、RIBAゴールドメダル、UIAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞2度、グッドデザイン大賞、2013年度プリツカー賞など受賞歴多数。
l 来歴・人物[編集]
1941年(昭和16年)、日本統治時代の朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。2歳頃から中学生までを祖父と父の郷里である長野県諏訪郡下諏訪町で過ごす。
東京都立日比谷高等学校、東京大学工学部建築学科卒業。
菊竹清訓設計事務所勤務を経て、1971年(昭和46年)に独立。アーバンロボット(現:伊東豊雄建築設計事務所)を設立。当初は、『White U(英語版)』や自邸『シルバーハット』など個人住宅を中心に手がけ、安価かつ禁欲的・ミニマルな作風で注目を浴びた。また消費社会に暮らし、物だけでなく生活空間まで消費する若い女性ら都市の「遊牧民」(ノマド)をテーマに、「東京遊牧少女の包(パオ)」といったプロジェクトを発表するなど、体を柔らかい膜のように包む建築などを構想し、都市を批評する活動を行った。
1986年(昭和61年)、横浜駅西口に作ったシンボルタワー兼地下街換気塔『風の塔』は、無数の穴を開けた金属板(パンチメタル)と照明多数で構成された半透明な簡素な塔であるが、夜間は風などの周囲の気象条件に合わせて表面にカラフルな光が浮かび上がるようプログラミングされており、金属板の斬新な使用方法や環境に対する相互作用性で注目を浴びた。
1990年代に入り、『せんだいメディアテーク』を代表として、次第に構造上でも実験的で、なおかつ官能的な外観・内部空間を有する作風に移りつつある。新建築誌上で槇文彦から「平和な時代の野武士たち」と呼ばれた世代の筆頭。
2006年(平成18年)には王立英国建築家協会よりRIBAゴールドメダルを受賞するなど、世界でも重要な建築家の一人とみなされるようになり、2013年(平成25年)にはプリツカー賞を受賞した。また、設計する建築のための家具の設計も行う。後進の建築家を多く輩出する教育者としても高い評価を得ている。
2010年(平成22年)には愛媛県今治市大三島町に今治市伊東豊雄建築ミュージアムを設置。
2012年(平成24年)には国立競技場「基本構想国際デザインコンクール」に参加し、最終選考11作品に残った。仕切り直しとなった2015年(平成27年)の再コンペにも参加し、今度は明治神宮外苑という立地を踏まえ神道を意識した作品で臨んだが、審査の評価点では「工期短縮」部分で27点の大差をつけられたこともあり、「総合」で8点の僅差で敗れ採用に至らなかった。
しかし、敗因となった 「工期短縮」部分では、A案の36ヵ月に対し伊東らB案は34ヵ月で勝っていた。
略歴[編集]
1965年(昭和40年) ~ 1969年(昭和44年) - 菊竹清訓設計事務所勤務
1979年(昭和54年) - アーバンロボットを伊東豊雄建築設計事務所に改称
2005年(平成17年) - くまもとアートポリス第3代コミッショナー
2013年(平成25年) -
2017年(平成29年) - UIAゴールドメダル受賞
作品[編集]
風の塔、1986年
せんだいメディアテーク(2000年、仙台市)
多摩美術大学図書館(2007年、東京都)
座・高円寺(2008年、東京)
南青山Fビル
名称 |
年 |
所在地 |
国 |
備考 |
アルミの家 |
1971 |
神奈川県藤沢市 |
||
千ヶ滝の山荘 |
1971 |
長野県軽井沢町 |
||
黒の回帰 |
1975 |
東京都世田谷区 |
現存せず |
|
1976 |
東京都中野区 |
現存せず |
||
上和田の家 |
1976 |
愛知県岡崎市 |
||
ホテルD |
1977 |
長野県上田市 |
||
PMTビル |
1978 |
愛知県名古屋市 |
現存せず |
|
PMTビル2 |
1979 |
福岡市博多区 |
||
PMT工場 |
1979 |
大阪府寝屋川市 |
||
小金井の家 |
1979 |
東京都小金井市 |
||
中央林間の家 |
1979 |
神奈川県大和市 |
現存せず |
|
日本航空チケットカウンター |
1979 |
米・仏他 |
- 1991 |
|
笠間の家 |
1981 |
茨城県笠間市 |
||
梅が丘の家 |
1982 |
東京都世田谷区 |
||
中井の家 |
1983 |
東京都新宿区 |
||
花小金井の家 |
1983 |
東京都小平市 |
||
田園調布の家 |
1983 |
東京都大田区 |
||
1984 |
愛媛県今治市 |
移築 |
||
東京遊牧少女の包 |
1984 |
東京都 |
現存せず |
|
馬込沢の家 |
1986 |
千葉県船橋市 |
||
1986 |
神奈川県横浜市 |
|||
レストランバー・ノマド |
1986 |
東京都港区 |
現存せず |
|
ホンダクリオ世田谷ショールーム |
1986 |
東京都世田谷区 |
||
神田Mビル |
1987 |
東京都千代田区 |
||
高樹町の家 |
1988 |
東京都港区 |
||
奈良シルクロード博・浮雲エリア |
1988 |
奈良県奈良市 |
現存せず |
|
サッポロビール北海道工場ゲストハウス |
1989 |
北海道恵庭市 |
||
レストラン・パスティーナ |
1989 |
東京都世田谷区 |
||
名古屋世界デザイン博・メイテック・中日新 |
1989 |
愛知県名古屋市 |
現存せず |
|
浅草橋Iビル |
1989 |
東京都台東区 |
||
横浜博覧会・海のゲート周辺施設 |
1989 |
神奈川県横浜市 |
現存せず |
|
アントウェルペン市再開発計画 |
1990 |
アントウェルペン |
||
中目黒Tビル |
1990 |
東京都目黒区 |
||
八代市立博物館・未来の森ミュージアム |
1991 |
熊本県八代市 |
||
八代ギャラリー8 |
1991 |
熊本県八代市 |
||
湯河原ギャラリーU |
1991 |
神奈川県湯河原町 |
||
風の卵 |
1991 |
東京都中央区 |
||
南青山Fビル |
1991 |
東京都港区 |
||
上海市再開発計画 |
1992 |
|||
ホテルP |
1992 |
北海道清里町 |
||
1992 |
東京都多摩市 |
|||
松山ITM本社ビル |
1993 |
愛媛県松山市 |
||
1993 |
長野県下諏訪町 |
|||
養護老人ホーム八代市立保寿寮 |
1994 |
熊本県八代市 |
||
つくば南駐車場 |
1994 |
茨城県つくば市 |
||
八代広域消防本部庁舎 |
1995 |
熊本県八代市 |
||
蓼科S邸 |
1995 |
長野県茅野市 |
||
1996 |
新潟県長岡市 |
|||
小国S邸 |
1996 |
熊本県小国町 |
||
横浜市立東永谷地区センター |
1997 |
神奈川県横浜市 |
||
1997 |
秋田県大館市 |
|||
東京大学物性研究所 |
1997 |
千葉県柏市 |
||
1998 |
長野県東御市 |
|||
旧野津原町役場 |
1998 |
大分県大分市 |
||
祐天寺T邸 |
1999 |
東京都目黒区 |
||
1999 |
島根県出雲市 |
|||
桜上水K邸 |
2000 |
東京都世田谷区 |
||
ハノーバー万博テーマパーク |
2000 |
ハノーファー |
||
2000 |
宮城県仙台市 |
|||
2001 |
大分県杵築市 |
|||
ブルージュパビリオン |
2002 |
|||
稲城W邸 |
2002 |
東京都稲城市 |
||
2002 |
移築 |
|||
東雲キャナルコートCODAN2街区 |
2003 |
東京都江東区 |
||
2003 |
神奈川県横浜市 |
|||
2004 |
長野県松本市 |
|||
アルミコテージ |
2004 |
山梨県南部町 |
||
トッズ表参道ビル |
2004 |
東京都渋谷区 |
||
アイランドシティ中央公園 |
2005 |
福岡市東区 |
||
フローニンゲン・アルミニウム・ハウジング |
2005 |
フロニンゲン |
||
オフィス・マーラ−4・ブロック5 |
2005 |
アムステルダム |
||
「フィガロの結婚」舞台装置 |
2005 |
長野県松本市 |
||
SUS福島工場社員寮 |
2005 |
福島県須賀川市 |
||
ミキモト銀座2 |
2005 |
東京都中央区 |
||
コニャック・ジェイ病院 |
2006 |
|||
Vivo
City |
2006 |
ハーバーフロント |
||
瞑想の森 市営斎場 |
2006 |
岐阜県各務原市 |
||
多摩美術大学図書館 |
2007 |
東京都八王子市 |
||
バルセロナ見本市会場 モンジュイック2 |
2007 |
|||
SUMIKA
パビリオン |
2008 |
栃木県宇都宮市 |
||
2008 |
東京都杉並区 |
|||
ペスカラの大きなワイングラス |
2008 |
ペスカラ |
||
2009 |
||||
スイーツアベニュー アパートメント |
2009 |
バルセロナ |
||
White
O |
2009 |
マルベリャ |
||
トーレス・ポルタ・フィラ |
2010 |
バルセロナ |
||
ベルビュー・レジデンシズ |
2010 |
オクスリー・ウォーク |
||
台北世界貿易センター広場 |
2011 |
|||
2011 |
愛媛県今治市 |
|||
2011 |
愛媛県今治市 |
|||
東京ガス 千住見学サイト |
2011 |
東京都荒川区 |
||
みんなの家 |
2011 |
宮城県仙台市 |
||
東京マザーズクリニック |
2011 |
東京都世田谷区 |
||
2012 |
埼玉県川越市 |
|||
伊東建築塾 恵比寿スタジオ |
2013 |
東京都渋谷区 |
||
台湾大学社会科学部棟 |
2014 |
|||
松山 台北文創ビル |
2014 |
|||
CapitaGreen |
2014 |
シンガポール |
||
山梨学院大学国際リベラルアーツ学部棟 |
2015 |
山梨県甲府市 |
||
2015 |
岐阜県岐阜市 |
|||
バロック・インターナショナル・ミュージ |
2016 |
プエブラ |
||
2016[6] |
||||
宮城学院女子大学附属認定こども園 |
2016 |
宮城県仙台市 |
||
2018 |
埼玉県川口市 |
|||
2018 |
長野県松本市 |
|||
新青森県総合運動公園陸上競技場 |
2019 |
青森県青森市 |
シルバーハット
八代市立博物館・未来の森ミュージアム
大館樹海ドーム
大社文化プレイス
まつもと市民芸術館
ミキモト銀座2
VivoCity
多摩美術大学図書館
高雄ワールドゲームス2009メインスタジアム
ホテル・ポルタ・フィラ(左)とトーレ・レアリアBCN(右、オフィス)のツインタワー
辜振甫先生記念図書館(国立台湾大学社会科学院の一部)
山梨学院大学国際リベラルアーツ学部棟
バロックミュージアム・プエブラ
受賞歴[編集]
1984年(昭和59年) - 日本建築家協会JIA新人賞(笠間の家)
1986年(昭和61年) - 日本建築学会賞作品賞(シルバーハット)
1990年(平成2年) - 村野藤吾賞(サッポロビール北海道ゲストハウス)
1991年(平成3年) - 毎日芸術賞(八代市立博物館・未来の森ミュージアム)
1993年(平成5年) - BCS賞(八代市立博物館・未来の森ミュージアム)
1994年(平成6年) - 日本建築学会北海道支部北海道建築賞(ホテルP)
1997年(平成9年) - ブルガリア・ソフィア・トリエンナーレグランプリ、BCS賞(八代広域行政事務組合消防本部庁舎)
1998年(平成10年) - 芸術選奨文部大臣賞(大館樹海ドーム)
1999年(平成11年) - 日本芸術院賞(大館樹海ドーム)、BCS賞(大館樹海ドーム)
2000年(平成12年) - 国際建築アカデミーアカデミシアン賞
2001年(平成13年) - グッドデザイン大賞(せんだいメディアテーク)
2002年(平成14年) - World Architecture Awards Best Building(せんだいメディアテーク)、BCS賞(せんだいメディアテーク)、ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞
2003年(平成15年) - 日本建築学会賞作品賞2度目受賞(せんだいメディアテーク)
2006年(平成18年) - RIBAゴールドメダル(
2008年(平成20年) - 金のコンパス賞、フレデリック・キースラー建築芸術賞、BCS賞(瞑想の森 市営斎場)
2017年(平成29年) - UIAゴールドメダル
著書[編集]
「マニエリスムと近代建築 コーリン・ロウ建築論選集」、松永安光共訳、彰国社、初版 1981年(昭和56年)、ISBN 4395050433
「風の変様体 建築クロニクル」青土社、1989年(平成元年)、新装版2000年、ISBN 4-7917-5782-3
「シミュレイテド・シティの建築 (INAX ALBUM 1)」INAX出版、1992年(平成4年) ISBN
4-87275-015-2
「透層する建築」青土社、 2000年(平成12年)、ISBN 4-7917-5837-4
「せんだいメディアテーク コンセプトブック」NTT出版、2001年(平成13年)、ISBN 4-7571-0044-2
「UNDER
CONSTRUCTION -せんだいメディアテーク写真集」(建築資料研究社) 2001年(平成13年)、ISBN 4-87460-716-0
「伊東豊雄 ライト・ストラクチュアのディテール」彰国社、2001年(平成13年)、ISBN 4-395-11103-3
「Serpentine
Gallery Pavilion 2002:Toyo Ito With Arup」建築都市ワークショップ、2002年(平成14年)、ISBN 4-906544-81-9
「建築:非線型の出来事-smtからユーロへ」彰国社、 2003年(平成15年)、ISBN
4-395-11109-2
「みちの家 くうねるところにすむところ 08」インデックスコミュニケーションズ、 2005年(平成17年)、ISBN
4-7573-0318-1
「20XXの建築原理へ (建築のちから)」INAX出版、 2009年(平成21年)
「建築の大転換」中沢新一共著、筑摩書房、2012年/ちくま文庫(増補版)、2015年
「あの日からの建築」集英社新書、2012年(平成24年)
「『建築』で日本を変える」集英社新書、2016年(平成28年)
「日本語の建築 空間にひらがなの流動感を生む」PHP新書、2016年
「みんなの家、その先へ」LIXIL出版、2018年(平成30年)1月
「伊東豊雄 21世紀の建築をめざして」エクスナレッジ、2018年4月
「伊東豊雄 美しい建築に人は集まる (のこす言葉)」平凡社、2020年6月
「伊東豊雄 自選作品集」平凡社、2020年(令和2年)8月。大判作品集
出演[編集]
Youtube 「デザイン特講」『1/3伊東豊雄』 2009年(平成21年)3月27日
Youtube 「デザイン特講」『2/3伊東豊雄』 2009年(平成21年)3月27日
Youtube 「デザイン特講」『3/3伊東豊雄』 2009年(平成21年)3月27日
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」(第114回)(2009年(平成21年)4月7日 22時 - 22時48分)
ノルウェー・オスロの図書館設計コンペの案をまとめるまでの軌跡が紹介された(コンペは落選)。
その他[編集]
伊東家の養子となった義兄・伊藤成憲は幸田露伴の姪孫(露伴の長兄・成常の長男・政吉の五男)。
空間デザインコンペティション、建築環境デザインコンペティション、セントラル硝子国際建築設計競技、せんだいデザインリーグ、トウキョウ建築コレクション、広島8大学卒業設計展などの審査員を歴任。
伊東事務所出身の建築家[編集]
石田敏明 -
1973~81年、所員。建築士、前橋工科大学大学院教授。
妹島和世 -
1981~87年、所員。建築士、慶應義塾大学教授。
城戸崎和佐 -
1985~93年、所員。建築士、京都工芸繊維大学准教授。
曽我部昌史 -
1988~94年、所員。建築士、神奈川大学大学院教授。
ヨコミゾマコト -
1988~2000年、所員。建築士、東京藝術大学大学院准教授。
アストリッド・クライン - 1988~90年、所員。建築士。
佐藤光彦 -
1986~92年、所員。建築士、日本大学大学院教授。
福島加津也 -
1994~02年、所員。建築士。
松原弘典 -
1997~01年、所員。建築士、慶應義塾大学准教授。
平田晃久 -
1997~05年、所員。建築士。
中山英之 -
2000~07年、所員。建築士。
末光弘和 -
2001~06年、所員。建築士。
白川在 -
2001~06年、所員。建築士。
篠崎弘之 -
2002~09年、所員。建築士。
御手洗龍-2004~13年、所員。
岡野道子 -
2005~15年、所員。建築士、芝浦工業大学特任准教授。
脚注[編集]
1.
^ 1981年(昭和56年)に、コーリン・ロウの建築論文集『マニエリスムと近代建築』を松永安光と共訳し彰国社で刊行。
2.
^ 伊東豊雄自身も「せんだいメディアテークは、私にとって転機となった建築である」(引用)と語っている。
3.
^ そこが聞きたい:新国立競技場見直し 伊東豊雄氏 -
毎日新聞、2015年7月22日
4.
^ 新国立競技場 「A案」に決定 点数の内訳をめぐり物言いも - FNN、2015年12月23日
5.
^ 新国立「A案採用」は出来レースだったのか!?~「大成建設に取らせたい」という空気はこうして作られた 伊藤博敏 -
現代ビジネス、2015年12月24日
6.
^ 伊東豊雄氏、設計手掛けた台中国家歌劇院を視察 完成目前に喜び/台湾 - 中央社フォーカス台湾、2015年12月2日
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