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明治東京畸人傳  森まゆみ  2015.3.23.

2015.3.23.  明治東京畸人傳 著者  森まゆみ  1954 年文京区動坂生まれ。作家、地域誌編集人、市民運動家。早大政経卒。 84 年季刊の地域誌『谷中・根津・千駄木 ( 愛称「谷根千」 ) を創刊。生まれ育った町に拘っているように見えて、実は無類の旅好き 発行日            1999.7.1.  発行        1999.7.25.   2 刷 発行所            新潮社 ( 新潮文庫 ) 初出  1996 年 新潮社刊 谷中・根津から千駄木――。かつてこの地を目茶目茶面白いヤツが歩いていた ! お雇い外国人教師ベルツ、最後まで丁髷 ( ちょんまげ ) だった老舗薬局の主人、チベット潜入の河口慧海、本妻と愛人を行き来した詩人サトウハチロー、混血の小唄の名手春日とよ、そして昭和恐慌に発展した倒産銀行頭取ヂエモンなど、精力的な聞き書きから甦る 25 のユニークな人生行路。こんな生き方もあるんだよな・・・・・。 1.     エルウィン・ベルツの加賀屋敷十二番館 1849 年南ドイツのビーティヒハイム生まれ。 1876 年来日、東京医学校のお雇い教師となって、内科を教え、 1905 年の帰国まで 30 年近くを過ごす。東宮 ( 大正天皇 ) の侍医。岩倉具視の最期に立ち会い、片脚を飛ばされた大隈重信を診たほか、鍋島直大、大山巌等貴顕のかかりつけ。多くの弟子を育て、日本の風土病を研究し、転地療養のため草津温泉や大磯を発見。大流行した化粧水「ベルツ水」にも名を残す 来日以降の見聞は、『ベルツの日記』に詳しいが、そこには本郷や下谷の情景も生き生きと描写されている 旧幕時代の前田家の加賀屋敷、上野の寛永寺を接収して教育・文化施設に用いようとした政府は、そこにまずお雇い外国人を分宿させた 按摩も加賀屋敷だけはご免と言ったのは、屋敷内に何カ所も空井戸があったから ⇒ 毒殺を恐れて、しょっちゅう井戸替...

天人 深代準郎と新聞の時代  後藤正治  2015.3.14.

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2015.3.14.   天人 深代準郎と新聞の時代 著者 後藤正治  1946 年京都市生まれ。ノンフィクション作家。 90 年『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、 95 年『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞、 11 年『清冽』で桑原武夫学芸賞。朝日新聞書評委員 (11 ~ 13 年 ) 発行日            2014.10.8.  第 1 刷発行 発行所            講談社 序章 言葉力 「天声人語」が大阪朝日新聞で始まったのは 1904 年。大正期に東京でも「東人西人」が始まり、 40 年東西朝日の題字が朝日新聞として統一された時、朝刊コラムも「有題無題」として一本化、 43 年「神風賦」に改題、戦後「天声人語」の名が復活 第 1 号は、日露戦争開戦の 1 か月前で、鳥居素川が勇ましい主戦論を述べる 復活第 1 号は、荒垣秀雄が開戦への反省を書き、以後 18 年続く 「天に声あり、人をして語らしむ」の意、民の言葉を天の声とせよ、というのが先人の心だったが、その至らざるの嘆きは尽きない (70 周年に際して深代が書いたもの ) 深代が担当したのは 2 年 9 か月 速報性ではテレビやインターネットに及ばずとも、その信頼性という意味では、いまも相対的に新聞は最上位にある。手間隙を要する活字メディアは人力の上に成立する。加えて、信頼度を養ったのはこれまでの長い蓄積の所産でもある 信頼というのは間違いを犯さないという意味ではない。人は誰でも間違いを犯す。間違いを小さく小さくしていく努力、そして間違いをした際の謙虚さと誠実さである メディア全体が大きな過渡期に洗われている。問題は、外側の変化ばかりではなく内側に、つまり紙面の〈言葉力〉にもかかわっているのではないか。言葉の力とは、記者一人ひとりの取材力と思考力と表現力である 深代が力ある言葉の紡ぎ手であったとすれば、どこに由来していたのか。伝説のコラムニストの足跡を辿ることは、〈言葉の復権〉と言う意味で今日的意味があるかもし...