正岡子規 Donald Keene 2012.10.21.

2012.10.21. 正岡子規 著者 Donald Keene 経歴は末尾参照 訳者 角地幸男 発行日 2012.8.30. 発行 初出 『新潮』 2011 年 1 月号~ 12 月号 発行所 新潮社 第1章 士族の子――「弱味噌の泣味噌」だった幼少時代 版籍奉還後俸禄が 1/10 に切り下げられて 14 石、まずまずの生活を維持 維新の改革では武士は俸禄を剥奪され士族となり、その体面だけは維持 玄祖父・一甫 ( いっぽ ) は「お茶坊主」の松山藩士。茶道を窮めた風雅な人 1869 年生家全焼 ⇒ 2 歳の子規にとって玄祖父との唯一の共有体験 父は、曽祖父の養子に ⇒ 大酒飲み、 40 歳の時肝硬変で死去 ( 子規 6 歳 ) 。手厳しく父を批判しているが、敬語は忘れない 母、妹と 3 人暮らしで育つ ⇒ 母は儒学者の娘だったが、子規の才能には無関心。妹は子規と違って勝気、それゆえか 2 度離婚 ( 子規看病のためというのは間違い ) 子規の本名は「處 ( ところ ) 之助」、トコロテンとからかわれたので「升 ( のぼる ) 」と変えた 弱虫で、友人からいじめられて泣いていた。左利きも一因 第2章 哲学、詩歌、ベースボール――実は「英語が苦手」ではなかった学生時代 1880 年 県立松山中学入学 1883 年 中退して東京の叔父を頼って上京、共立学校 ( 現在の開成中高 ) 入学 元松山藩久松家から奨学金を受ける 初めて『荘子』の講義を聞いて、哲学に目覚める 英語を高橋是清に習うが、子規は高橋に...