サン・ルイス・レイの橋  Thornton Niven Wilder  2021.9.12.

 

2021.9.12. サン・ルイス・レイの橋

The Bridge of San Luis Rey           1927

 

著者 Thornton Niven Wilder

 

現代アメリカ文学選集 No 8

 

 

21-08 ヒロシマを暴いた男』の主人公ハーシーが、広島入りする前に中国でインフルエンザになった際、収容されていた船の図書館から持ち出して読んだ本で、広島の被災者の惨状を主題とするのに有効な方法だと気づいたもの

 

峡谷にかかったロープの吊り橋が5人の人間が渡っているときに壊れ、そこで死んだペルー人5人の人生を詳しく描いた。事故の前段階と、主人公の5人が悲劇的瞬間に至るまでの経緯を描いている

 

 

第1部        或は偶然か

17147月、ペルーで最も美しい橋が壊れ、5人が深い谷底の淵へ落ちた

リマからクズコに向かう公道にかけられたもので、毎日無数の人が行き来

100年以上も前にインカ人たちが柳条で作ったもので、リマ市に来る遊覧客は皆それを見に案内される

峡谷の上に渡された1列の薄板というだけのもので、葡萄の蔓が手摺にされていた。馬や馬車や駕篭は渡ることができないので、数百尺も谷へ下りてゆき、筏船に乗って川を渡らねばならなかった

仏王聖ルイ(9世、121570、十字軍を起こし陣中に没す)自らが、その名と橋の向こうにある小さな土壁でできた会堂とによってこの橋を守護している

ペルー人には、橋が永久にその姿を保ってゆくもののように思われ、この椿事を耳にして自分が深い峡谷へ落ちたような幻覚に襲われた

リマの寺院では大きな追悼の式が営まれ、多くの人々が恐怖に駆られ、女主人から盗んだ腕環を返す女中がいた

法律家が「天災」と呼ぶこの種椿事はむしろ多く、津波はしばしば都市を流し去り、毎週のように地震が発生、流行病が絶え間ないような町でありながら、橋の崩落に特別に心を動かされたのは奇妙なことだった

たまたま北イタリアから来ていたフランシスカン派のフニペル神父は、ペルーで土人の改宗に当たっていてこの椿事を目撃。荒廃した教会をいくつか復興し仕事もうまく行っていた暑い真昼に橋が2つに断ち切れ、5つの人影が落ちていくのを見た

神父はそれを見た瞬間、宇宙に神の意思があるなら、そしてその痕跡が人間の生活に印されるものならが、突然断ち切られた5人の生活の中に神秘的に織り込まれているのが見つけられるかもしれないと思い、墜落した5人の内密の生活を探求して、その死の本当の理由を把握しようと決心

神父の考えによれば、現代こそ神学が科学と同じ立場を取るに格好の時代で、自らも神学にそういう立場を取らせるような仕事をしようと思っていた。その実験室が目の前に突然現れ、6年に亘ってリマ市内の家々を回って5人を完全に掴むために骨を折った

分厚な本になったその記録は公衆の面前で焼かれたが、密かに写しが残され、何十年も経ってからサン・マルコ大学の図書館に現れた

椿事の犠牲者のことを一人一人取り上げ、無数の小さな事実や逸話や証拠を取り上げて、なぜに神がその日その人間の上に、神の叡智の現われをもたらしたかということを厳かな筆致で書いた結論がついている。しかし、神父はあらゆる努力を払ったにも拘らず、犠牲者たちの生活の中心になった情熱の根源には気付かなかった。私は、彼よりも遥かにそれを知っているという自負は持っているが、その私すら、泉の中の本当の泉のような部分は見逃してしまってはしないかと思う

ある人々は、我々は何事も知らぬもので、神様からすればちょうど子供たちに叩き殺される蠅のようなものだという。またある人は、神様の指が動かない限り雀の羽根の1本すら抜け落ちることはないという

 

第2部        モンテマヨール侯爵夫人

今日のスペインでは小学生ですら、モンテマヨール侯爵夫人ドナ・マリアについて詳しい

死後100年経たぬうちに彼女の手紙はスペイン文学の記念塔の1つになった

彼女は美しく優しい表面の陰で、自らを卑しめ、美しさを剝ぎ取るような様々な事実が隠されていた

マリアの父は総督官邸近くに住む呉服屋、金は溜めたが市民からは憎まれ、彼女も幼少時は不幸。長じて1人で暮らし、独身を通そうとしたが、26歳で破産した傲慢な貴族と無理やり結婚させられ、クララという娘を設ける。溺愛したが諍いも多く、クララはスペインの伯爵と結婚してスペインへと去る。1人残ったマリアはますます1人暮らしに籠り奇行が目立って宗教裁判にまでかけられた

劇場に行くと、総督の愛人である女優が、マリアの生涯を風刺した小唄を披露、それを耳にした総督は女優にマリアに謝罪に行くようにと厳命

クララはスペインの芸術と科学を維持するのに貢献。4年後に漸く母親を呼び寄せるが、諍いの再現となり、マリアはペルーに戻って以後娘に手紙を書き続ける。それが後に世を驚かせ、小学校の教科書になり、文学研究者の研究の対象となる

尼僧院付属の孤児院にいたぺピタという少女を侍女として連れ巡礼の旅に出てリマに戻る途中サン・ルイス・レイの橋を通りかかった時椿事に遭遇

 

第3部        エステバン

ある朝尼僧院の捨子籠に双生児の男の子が入れてあり、マニュエルとエステバンと名付けられる。親が誰かは不明で、成長するにしたがって身の持し方がきちんとして、寡黙で真面目なことなどからリマ市民はスペイン人だと噂し、彼等の家系をあれこれ推量

尼僧院長が一番身近な保護者となり、院長はあらゆる男性を嫌悪していたが、双子だけは好きになった

彼らが成長して、神に仕える処女たちの軽い慰謝の種になるようになると、市内の教会の聖器室の番人のようなものにされたが、成人するにしたがって僧侶の生活に興味を抱かず、次第に筆耕の仕事を喜ぶようになり、脚本や歌の文句を書き写したりして生活費を稼いだ

口数が少なく、言葉を覚え始めた頃から2人だけの秘密の言葉を持つようになった

リマの大僧正は一種の言語学者で、2人の秘密の言葉に興味を持ち聞き出そうとしたが、2人はそれを大そう怖がった

この言語が2人の間にある深い相似性の象徴だったが、2人はほとんど互いに言葉を交わさず、一緒に街にも出ないよう暗黙の約束をしていた

兄弟はお互い意識はしていなかったが、互いに相手が必要だし、離れていてもどこにいるか分かっていた

初めて2人の間に暗い翳が、劇場で踊る女優の愛情によって落された。マニュエルが総督の愛人であるその女優に魅惑された。それまでにも兄弟はそれぞれに女を持っていたことがあったが、それは身体だけのことに過ぎなかった

エステバンはマニュエルの変わりようを理解できないまま、ある日女優が2人の部屋を訪ねてきてマニュエルに総督宛の絶縁の手紙の代筆を依頼

マニュエルが女優とのことを考えないようにしていることを知ったエステバンは、マニュエルにすぐに追いかけてゆけと言い、マニュエルはエステバンが苦しんでいることを知って自分の心から女優を追い出してしまう

ある時マニュエルが大怪我をし、エステバンが必死に看護したが、苦痛のためうわごとのように、「エステバンなど地獄に堕ちろ、女優との中に割り込むな」とうめく。ようやく正気に戻ったマニュエルにエステバンが、女優と一緒になったらいいと言うと、マニュエルはうわごとなど覚えていないと言って、自分にはエステバンしかいないと言う。夜になるとまたうわごとが始まり、3日目にマニュエルは死ぬ

1人になったエステバンは、クズコで筆耕の仕事をしていたが、以前兄弟で一緒に働いたことのある有名な船長と出会う。船長はかつて侯爵夫人の手紙をスペインの娘の所に届けたこともある。船長から一緒に航海に出ようと誘われ応じるが、直前になってリマを離れるわけにはいかないと同行を拒む。自分の部屋で自殺を図り、止められると自分は独りぼっちだと叫ぶ。船長に説得され2人でリマに戻る途中、船長は何かの用事で川に降りてゆき、エステバンは橋を渡って橋と一緒に墜落

 

第4部        ピオ小父さん

侯爵夫人は娘への手紙の中で年取った道化役者だったピオ小父さんのことにも言及、娘の夫を除けば世の中で一番面白い人だと言い、良く呼びつけて楽しんだ

ピオ小父さんは女優の侍女であり、歌の教師、髪結いであり、噂では彼女の父親だった

ペルーはこの50年の間に、文芸復興期に進み、人々の関心も高まっていた

リマの大僧正がスペインに旅行して大量のスペイン文化の香りを持ち帰り、それが女優の名声をさらに高めたが、その陰にはピオ小父さんがいつもいた

ピオ小父さんは立派なスペインの家系の私生児として生まれ、10歳でマドリッドに逃げだした後は自分の頓才だけで生活。サーカスに出たり、早耳料を取ったり、さらには王宮にも密かに出入りするようになり重宝がられた

ペルーに渡ってますます多芸多才に磨きをかけ、ほとんどすべての人を知り、総統からも重宝がられるが、孤独を愛した。ピオ小父さんに才能を見出されたのが女優で、12歳だった女優の卵は小父さんに買い取られ、メキシコなどまで公演をして歩き回った

女優は総督の目に留まり、大僧正や有名な船長、ピオ小父さんも加えてスペインを慕う自分たちの心を慰め合った

女優は次第に舞台を避け、貴族の生活に耽り、太り始めるとともにピオ小父さんを避けるようになる。彼女が天然痘に罹ったという噂がリマ市中に広がり、妬み深い連中を満足させた。女優は世の中のしがらみを全て断とうとしたが、ピオ小父さんだけはいつの間にか忍び込んできた。女優が生んだ総督との間の子供を1年だけ面倒見ようとピオ小父さんが言い、連れ出してリマに戻る途中で有名な船長に会い、橋を越したら休憩しようと言ったが、休む必要はなくなった

 

第5部        或は神意図か

以前の場所に新しく石の橋が架けられ、事件は人々の記憶に残り、諺の表現に移し入れられるようになったが、本当の文学的な記念碑は神父の書物

ある学者の妻が娘を残して兵士を追って出奔してしまったような摂理ある世界という観念を裏切るような思想や逸話を耳にするにつれ、神父は今こそ生き生きした確信の証明を表にして世界に示すべきと思い始め、ペストによる犠牲者と生存者の各15人につき、「善良さ、敬虔さ、有用さ」の3要素について各10点満点で評価

死者の総点数が生存者の合計の5倍にもなり、ペストはその村の本当に貴重な人間だけを狙って襲ったようなものに思え、信仰と事実の間にある矛盾は一般に考えられているよりも甚だしいことを知る

本が書き上げられると、ある宗教裁判官の目に触れて、突如として邪宗的との判決を受け、著者共々焚かれるべきとされた。神父はその判決に服し、悪魔が彼を利用してペルーに於て神への大きな戦いを挑んだものと信じた。最後の夜、監房に座って犠牲となった5人のことでよく掴めなかった意味を、自分の生涯から掴み出そうと思う

翌日処刑の場に集まった群衆の中には彼の潔白を信じている人々がたくさんいた

少なくとも聖フランシスなら彼を全く罪ありとはしなかったであろうと信じ、聖フランシスの名を2度呼び、焔の上に崩折れ微笑んで死んだ

墜死者の告別式の日、リマ市民は大寺院になだれ込み、総督が亡くなった1人息子のために父親としてなすべきことを彼に期待した

有名な船長もちょっとの間入ってきたが、すぐに自分の船に戻って事故に憤慨

尼僧院長もぺピタのことを偲んでいた

女優は、自分の天然痘と息子の病気と今度の墜落という3つを天からの非難として受け止め、自分の額に罪文字が現れたように心から恥じた。ピオ小父さんにも一度も自分の愛情を伝えてやらなかったことも思い出して、「私は誰でもみんなを滅ぼしてしまう」と苦しむが、徳の高い尼僧院長があの日の椿事で愛する人を2人失ったという話を聞いて密かに会いに行く

尼僧院で院長に会った女優は、自分がどうしたらいいのかと院長に聞く

侯爵夫人の娘も尼僧院にやってきて、母親の弁護をしながら自らを責めると、院長はぺピタとエステバンのことを話し、女優の訪問のことも話して、「皆私たちは失敗したが、愛の中では私たちの犯した間違いも長いこと続いておれない気がする」といって慰める

尼僧院長は、「私達が死んでしまえば5人についての記憶はこの世に無くなってしまうが、愛があったということだけで十分なのだ。総ての人の抱いている愛の衝動は、その人たちを送ってよこした大きな愛へとまた帰ってゆくのだ。愛のためには記憶ということすら必要ではない。生きている人たちの国と死んだ人たちの国があって、その間に架けられている橋が愛なのだ。この愛だけが生き残るもの、それだけが意味のあるものなのだ」と考える

 

 

 

Wikipedia

ソーントン・ワイルダー(Thornton Niven Wilder, 1897417 - 1975127)は、アメリカ合衆国劇作家小説家。アメリカ演劇史における代表的劇作家の1人とみなされている。

ウィスコンシン州マディソンに生まれる。父親は新聞の編集者で、領事として香港上海に赴任したため、1911年から12年まで、中国でイギリス系とドイツ系のミッションスクールに通った。のちアメリカのイェール大学に進学し、さらに考古学の勉強のためローマのアメリカン・アカデミーに留学した。学業を終えてからは、ニュージャージー州のローレンスヒルでフランス語の教師になっている。

小説『サン・ルイ・レイの橋』(The Bridge of San Luis Rey, 1928年)でピューリッツァー賞を受賞した。同年、1幕劇集の『平静を乱した天使』(The Angel That Troubled the Waters and Other Plays)を出版する。

戯曲『わが町』(1938年)で2度目の、『危機一髪』(1943年)で3度のピューリッツァー賞を受賞する。1957年にはドイツ書籍協会平和賞を受賞した。

1955年、ハーバード大学教授となる。

主要な作品(上記以外)[編集]

長い長いクリスマスディナー(The Long Christmas Dinner, 1931年)

ヨンカーズの商人(The Merchant of Yonkers, 1938年)

危機一髪(The Skin of Our Teeth, 1942年)

結婚仲介人(The Matchmaker, 1954年)

テオフィリス・ノース(Theophilus North, 1973年) - 日本語訳は『ミスター・ノース』

主な日本語訳[編集]

『サン・ルイス・レイ橋』 松村達雄訳、岩波文庫1951年、復刊1987

『わが町』 鳴海四郎訳、早川書房・ハヤカワ演劇文庫(新版)、2007

『わが町』 額田やえ子訳、劇書房、2001年(新版)

『第八の日に』 宇野利泰訳、早川書房1977

『ミスター・ノース』 村松潔訳、文藝春秋1989

『ソーントン・ワイルダー戯曲集』 新樹社(全3巻)、1995

1 わが町(鳴海四郎訳)、2 危機一髪(水谷八也訳)、3 結婚仲介人(水谷八也訳)

『三月十五日 カエサルの最期』 志内一興訳、みすず書房2018

 

 

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