言葉はいかに人を欺くか  Jennifer Mather Saul  2021.10.3.

 

2021.10.3. 言葉はいかに人を欺くか 嘘、ミスリード、犬笛を読み解く

Lying, Misleading, & What is said: An Exploration in Philosophy of language and in Ethics        2012

 

著者 Jennifer Mather Saul 1968年生まれ。カナダのウォータールー大教授。イギリスのシェフィールド大哲学科名誉教授、Implicit Bias Philosophy Research Network所長。博士(プリンストン大)。専門は言語哲学、フェミニズム哲学、心理学の哲学。11Distinguished Woman Philosopher賞受賞。言語哲学の主要概念である「言われていること」の研究から出発し、日常的・政治的発言による人心操作やバイアス、人種差別、性差別の分析に新しい流れを作る

 

訳者 小野純一 自治医大医学部哲学研究室講師。専門は哲学・思想史。東大大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学:東大)

 

発行日           2021.4.30. 初版第1刷発行

発行所           慶應義塾大学出版会

 

序文

「言われていることwhat is said」やそれに関連する用語は、現在、言語哲学で極めて多様な使われ方をしている

嘘とミスリードの区別は自然。ミスリードは嘘をつくことなく誤った理解に誘導すること

「言うことsaying」という概念に関心を向けさせる区別でもある

「誤ったこと/誤りだと信じている何か」を意図的に言うのでない限り、嘘をつくことはできない

1998年クリントンはスキャンダルの発覚で更迭に繋がりかけた時、単にミスリードすることによって嘘を避けようとした――「不適切な関係はない」と、現在形で否認

両者の区別は特に政治においてかなり頻繁に重要になる

プッシュ・ポールは、データ収集のための世論調査を偽装した電話を有権者にかけるキャンペーン戦術。一連の質問を通じて、対立候補の不利になると見做される情報を真実であるかのように示唆する

2000年の予備選で、ブッシュ陣営が有権者に対し、「あなたが、マケインが黒人の私生児を認知したと知ったとして、彼に賛成票を投じる可能性が高くなるか低くなるか?」と質問、単なる仮定の質問だが、マケインはサウスカロライナで大敗したと広く考えられている

嘘とミスリードの区別がはっきりしているにも拘らず、「言うことsaying」という概念が、言語哲学的にはまだ把握しきれていない

1章から3章までは、嘘とミスリードの間に直感的な区別があるという考えを出発点とする。この区別に多くの人は道徳的な意義を与える

どちらも話し手は意図的に聞き手を誤った信念に誘導している――話し手が誤ったことを「言う」のか、それとも他の手段で単に誤ったことを伝えて誘導するのかの違い

4章では、両者の間に道徳的区別などないと主張しながらも、道徳的意義を持つかもしれないと主張

5章では、両者の区別が言語哲学と倫理学の問題の交差する領域に関わることが明白にも拘らず注目されてこなかったところから、「言われていること」を巡る議論での両者の溝を埋めていく。「言うこと」の本質を巡る作業が、嘘とミスリードの道徳性を巡る作業とかなりうまく対応することがわかる

本書の目的は、嘘とミスリードの間の直感的な区別を導き出しながら、特定の目的にとってどれが「言うこと」の適切な理論かを見極めようとする

2つの哲学的な問題である「嘘をつくこと」と「言うこと」について考えることが、人間の真の関心事である現実の出来事を理解するのに役立つことを示してくれると期待したい

 

第1章        嘘をつくとはどういうことか

人を欺く行為なら何であれかなり広い用法で嘘と呼ばれているが、本書の関心は、「ミスリード」と対照をなす場合の「嘘」を理解することのみ

クリントンの現在形での発話も嘘ではないが、多くの人が不適切な関係自体を否認したと受け取った。クリントンは、嘘をつくよりミスリードするほうが道徳的に好ましいと考えたのだろうが、慎重なミスリードは完全な嘘より卑怯で非難に値するともいえる

この章の目的は、「ミスリード」と対照的に使われる「嘘」の定義を見出すこと

「嘘をつくこと」の定義は、誤りだと信じていることを真実と言い、保証を与える文脈に自分がいると見做している場合に限って、話し手は嘘をついている

 

1.    「言うことsaying」とは何か

「嘘をつくこと」の定義の中の「言う」が果たす重要な役割は、嘘をつくことを単にミスリードすることから区別すること

イラクに破壊兵器があるとは思っていないが、国民にはあると信じ込ませようとして、破壊兵器があると言うのは嘘だが、破壊兵器はあるかと聞かれた時、サダムは危険人物だと答えることは、聞き手は破壊兵器があると伝えようとしていると受け取るし、聞かれた方もそう思い込ませるつもりだった場合は、嘘をついたのではなくミスリードだと直感する

「言われていること」に焦点を合わせなければ、嘘とミスリードの区別は出来ない

 

2.    嘘をつく人は、「言われていること」が誤りだと信じていないといけないのか

すべての辞書が、「嘘をつくこと」の定義を、嘘をつく人は自分の言うことが誤りだと信じている必要があるとしているわけではないという。むしろ、「欺く意図でなされる誤った陳述」でなければならないとされる

サダムが危険人物だという答えは、もしその時サダムが脳卒中で倒れていれば嘘になるので、嘘をつく人は、「言われていること」が誤りだと信じていなければならない

そこで「嘘をつくこと」の定義は、「聞き手を欺く意図をもって、自分が誤りだと信じている誤ったことを言う場合に限る」となる

 

3.    「言われていること」は誤りでなければならないのか

誤ったことをいうことが嘘の必要条件であることが明白とは言い難いとわかった。自分の言うことが誤りだと単に信じるだけで十分なのかもしれない

破壊兵器が実際にあったとすると、話し手の意図とは裏腹に本当のことを言ったことになるが、それでも話し手は嘘をついたと直感的に見做されるのは、話し手が誤りを言っていると思っていたから

そこで「嘘をつくこと」の定義は、「聞き手を欺く意図をもって、自分が誤りだと信じていることを言う場合に限る」となる

 

4.    欺く意図は何か、それをどう表現するか

欺く意図を定義に含める利点は、誰にでもわかるような嘘やジョークの嘘の場合は嘘をついたとはいわないからだが、「欺く意図」を明確にする必要がある

欺瞞であるか否かは、「言われていること」によって決まる

「聞き手にPだと信じさせる意図」を定義に組み込むには、「言われていること」を聞き手に信じさせようとする意図が不可欠だと、多くの理論家は考える

定義の必要条件を区分する:話し手は①Pだと言い、かつ、②Pが誤りだと信じていて、③聞き手にPだと信じさせる意図を持つ場合に限り、嘘をついている

 

5.    欺く意図を定義に組み込むことに反対の立場

「白々しい嘘」や、見せしめの裁判で犯してもいない罪の自白を強要される場合も③は不要

 

6.    「保証warrant」を定義に加える

③を除くと、嘘とジョークの区別がつかなくなる。それを区別する概念が「保証」

もし、人がある言明が真実だと保証するならば、その人の発話は真実であることを明示的であれ暗示的であれ約束、または担保している

少なくとも圧倒的多数の文化では、自分の言うことが真実だと保証している

保証を入れた再定義:話し手は①Pだと言い、かつ、②Pが誤りだと信じていて、③保証を与える文脈に自分がいると見做している場合に限り、嘘をついている

 

7.    最後に残ったやっかいな問題

隠喩(メタファー)の場合、「トニー(ブレア)はプードルだ」(ブッシュの言うことは何でも聞くという隠喩)は、紛れもなく誤りだが、誰も嘘をついたとは言わない

偶々間違ったことを言ってしまう場合――アラプロピズム(言い間違い)などは除外されなければならない

いかさま(ブルシット)とは、嘘をつくことと密接に関連しているが、最大の違いは、いかさまをいう人は真実かどうかをまったく気にしないということ

大量破壊兵器があると言っても、それが真実かどうかには関係なく自分の目標を達成するよい方法だと思ったから言ったのであれば、いかさまになる

 

第2章        「言われていること」を巡る議論

「言われていること」の概念と、嘘とミスリードの通常の直感的な区別との間にある関係を検討する

1.    背景と舞台設定

発話の真偽は「言われていること」によって決まる

l  指標辞(指標詞)indexica――「私」「ここ」「今」などは文脈によってその指示が異なる

l  指示詞demonstrative――「これ」「それ」「彼」などの指示的な語は、文脈による補足が必要

l  完成化completion――「私は準備できている」という発話には文脈による寄与が必要

l  拡張expansion――発話の中に存在しない何等かの概念を聞き手が読み取ろうとすること

 

2.    「言われていること」の「非制約的な概念」

嘘とミスリードと偶発的な誤りの区別に関連して重要な事実の1つは、話し手にとってその区別は直感的に把握できる極めて明確なものであるということ

「言われていること」に関する最も直感的な概念は、多くの人にとっては最も緩やかで、最も文脈に沿った概念であるようだ

 

3.    「言われていること」の「制約的な概念」

「言われていること」は、発話された文の構造と何らかの形で決定的に結びついていなくてはならないということ――Sを発話することでPであるというために必要な条件は、PがSのすべての顕示的な構成要素に対応する構成要素を含むこと

言いたいことを正確に表現していないために「言われていること」(聞き手)が誤解を生む

 

4.    「言われていること」の「厳格な概念」

「言われていること」の文脈による寄与を極小に抑えること

嘘とミスリードの区別に関して、非常に重要な場の1つが法廷。そこでの極めて重要な発話の1つに、人や物の識別がある

 

第3章        「言われていること」とは何か

1. 問題の分析

「言う」の用法を単純に分類しても、嘘とミスリードの区別には役立たない

「言われていること」や「表意explicature」といった概念は、心理的な現実を捉えようとする努力の中で生まれた――聞き手の頭の中で何が起こっているのかを理解しようとする

想定される「文脈による寄与」が実際に「言われていること」の一部であるための必要条件とは何か

 

2. 文脈による寄与をどこまで許容するか

「言われていること」が真偽判定できるようになるために「文脈による必要な補足」を認めれば、ある文の中の発話によって想定される文脈による寄与を、「言われていること」へと作り変えるための必要条件が与えられる

NTE:Needed for Truth Evaluation(真偽判定の必要条件)――「言われていること」に対して想定される文脈による寄与は、もしこのような文脈によって与えられる要素がなければ、文が文脈において真偽判定できる意味内容を持たない場合のみ、「言われていること」の一部となる

 

3. 結論

この章では、嘘とミスリードを区別するのに必要な「言われていること」の概念について概略的に論じた

真偽判定できる命題が、「言われていること」であることを重視し、真偽判定のために必要なだけしか文脈による変化を認めない

「言われていること」は、それについて話し手が直感的に把握しているものでなければならない

 

第4章        嘘は本当にミスリードより悪いのか

嘘の道徳性に関しては、2つの大きな伝統がある――功利主義とカント主義

功利主義では、嘘をかなり広く定義し、特定の動機を伴う嘘、または特定の結果を伴う嘘があると認識。意図的に人を欺く発話を全て嘘と見做す傾向があり、道徳的に問題ないものを例外とする。欺きをその動機や結果によって判断する

カント主義では、嘘は決して許されないとするが、嘘をかなり厳密に定義した結果、人を欺く多くの発話を嘘ではないと見做す。同じ結果と動機でも、欺きの方法に優劣があるとし、道徳的か否かの判断をする

ミスリードが嘘より常に好ましいというのは必ずしも正しくないが、道徳心理学にとって重要な区別であり、両者の区別が持つ意義を解明してくれるのではないか

 

1. 明確にすべき問題点

l  ミスリードは嘘とは異なり、成功を表す語

l  嘘はミスリードと異なり、意図的でなければならない。誤って嘘をつくことはできないが、偶発的にミスリードすることはあり得る

l  他の条件が不変ならば、嘘がミスリードよりも悪いとされる理由はなぜか

ミスリードは嘘よりも道徳的に好ましいとする主張を正確に表す条件をMとする

主張M――他の条件が不変ならば、嘘をつくことは、単に意図的にミスリードしようとするよりも道徳的に悪であり、成功した嘘は、単に意図的にミスリードするよりも道徳的に悪である

 

2. 主張Mへの反例

HIV陽性だがまだエイズは発症していないとき、「エイズじゃない」と答えてセックスしたら相手がHIVに感染した場合、欺いたことは確かだが嘘をついたわけではなく、ミスリードしただけ。嘘をつくのを避けたことで、欺きが僅かでも善くなったとは考えられない

 

3. 無効にできる(defeasible)主張とは何か

主張Mは、状況に応じて例外があることを特殊なケースとして認めれば成り立つ

 

4. 代替案

嘘やミスリードの行為そのものに道徳性があるわけではない。どういう状況で使われたが道徳性を左右する

 

5. 複雑な代替案

行為者が嘘を選択するか単なるミスリードを選択するかは、行為者の道徳的評価に重要な違いをもたらす

法廷のような当事者主義的な文脈では、ミスリードは嘘よりも道徳的に優れている

ミスリードが嘘よりも好ましいという合意が事前にある場合、ミスリードは嘘よりも道徳的に優れている

 

第5章        さまざまな「欺瞞」を読み解く

1.    これまでのまとめ

l  嘘をつくこと」の定義――嘘とミスリードを区別するには、嘘をつくことの理解が必要

l  「言われていること」の定義――基準NTE

l  道徳的な意義――主張M

人が嘘をつくかミスリードするかの選択は、その人の人格が持つ道徳性を明らかにすることが多く、さらにはミスリードが嘘よりも道徳的に好まれる特別な文脈があるから

 

2.    決疑論の策略

3.    「完成化」のケース

4.    エンパイアステートビルと別の場所でしたジャンプ

5.    クリントンの発話と偽証罪

6.    マダガスカル人

7.    気配りと配慮

「気配りtact」が要求するのは多くの場合、特定のことを言わないことだが、状況によっては、それが非常に難しいこともある。気配りについて考察することで、許容できると判断されるミスリードの様々のケースに気づかされる

 

8.    聞き間違いにつけこむ

聞き間違い易いという事実を話し手が利用することもある――このようなミスリードの行為は、それに相当する嘘をつく行為よりも道徳的に好ましいとは言えない

 

9.    文脈を無視した引用

文脈を無視した引用は大いに人を欺く。引用した内容は嘘ではないからといって、その引用を使って人を欺くという不当性は軽減されない

 

10. 「言われていること」の他の用法

真実を言わずに、真逆の意味を伝えることもできる――哲学関係の仕事に応募する出来の悪い生徒のための推薦文を書く際、「時間厳守でいつも明るく笑顔だ」と書くことで、出来が悪いとは言わずに、その意を伝えることはできるため、「言われていること」に細心の注意を払う必要があるのは欺瞞の例に限らない

 

結論

嘘をつくこととミスリードすることを区別するために「言うこと」が重要だと論じた。多くの人がこの区別には道徳的な意義があると捉えている

いま一般に通用している「言うこと」の理解が、嘘とミスリードを区別するにあたり「言うこと」の役割を果たしていない

その後両者の倫理の問題に目を向け、道徳的な優劣は必ずしもつけがたいと反論

嘘をつくかミスリードするかの決定は、まさに道徳性を露呈させるのであり、このことが嘘とミスリードの区別に道徳的な意義を与えるのだ

本書の要点は、このような問題が言語哲学と倫理学の両方が持つ関心と洞察を1つにすることから探求する価値があると示すこと

意味論・語用論の領域の論争で用いられる様々な概念は、どちらが正しいかを競う対象ではなく、それぞれが異なる目的に適した概念と見るべきではないか

 

附録:犬笛、政治操作、言語哲学

従来の言語哲学の関心事は、意味内容、指示、真理条件だけだったが、「会話の含意」という概念が入って来て、その概念によって意味論学者は、自分たちが支持する理論の障碍となる「直感」を「単に語用論的なもの」として説明できるようになった

最近の言語哲学は、重要な側面で拡大してきている――言語の倫理的、政治的な側面を考察する動き

犬笛は密かに政治操作を行う点で憂慮すべき重要な手法。政治的な発言の中で最も強力な形式の1つであり、意識的に拒否される人種差別的な態度を利用する

本稿は、隠れた言語行為に対する注意を喚起し、それらを理論化しようとする試み

 

1.   犬笛

犬笛は、1980年代にアメリカの政治ジャーナリズムで誕生。『ワシントン・ポスト』紙が世論調査で着目されていた不可解な現象を議論した際に使われた

質問の言葉遣いが微妙に変わると、驚くほど異なる効果を生み出すことを犬笛効果Dog Whistle Effectという――回答者が質問の中に何かを聞き取る

現在では、大衆の大部分に気づかれないように設計された故意の人心操作に焦点を絞る

 

2.   意図的な犬笛

あからさまで意図的な犬笛は、2つのもっともらしい解釈ができるよう、意図的に設計された言語行為――子供頃見たアニメで気付かなかったメッセージが大人になってわかる

03年ブッシュの一般教書演説で、「奇跡を起こす力がアメリカの人々の善良さと理想主義と信念のうちにはある」といったのは、キリスト教原理主義者にだけ犬笛として送ったメッセージで、「奇跡を起こす力」はキリストの力を明確に示す表現として好まれる

ブッシュが、自由民でも奴隷でも黒人は米国市民になれないとする「ドレッド・スコット」判決(1857)に反対を表明するのは、中絶反対の右派に向けて吹いた犬笛で、右派のコメンテーターが中絶権を議論する時この判決を論じるのが極めて一般的であることを利用して、奴隷たちの認知されない人格と胎児の認知されない人格との類比の一部として機能

隠れた意図的な犬笛は遥かに複雑で、「人種平等の規範」が存在するお陰で、アメリカの人種言説の中で特別の役割を果たす――あからさまな人種差別は嫌悪されるが、「人種的な不満」は広範に残っている中で、表面上は無害で人種には無関係に見える言説であれば、潜在的な人種差別意識に訴えることができる

88年の大統領選挙戦でブッシュがデュカキスに対して使った広告は大成功――殺人罪で終身刑になったが一時出所していた黒人の画像を使うことで、デュカキスがマサチューセッツの知事時代に実施した受刑者の一時出所の制度を批判。ブッシュ陣営は広告をきっかけに一時出所した黒人を重要な問題に仕立て上げ、ニュースでも大々的に放映されたため、それまで世論調査では優勢だったデュカキスを逆転。ところが予備選に立候補していたジェッシー・ジャクソンが広告を「人種差別だ」として批判したため、視聴者は人種問題が提起されていることを考え始め、ひとたび人種が明示的に議論されると広告は効果を失い、デュカキスの支持は回復し始めた

人種的な不満のレベルは、広告の視聴によっても変化しなかったのに対し、人種的な不満と投票の意向の関係は広告によって強く影響された。広告を見ることによって人種的な不満を持つ有権者はブッシュを支持する可能性が高くなったのに対し、ジャクソンが批判した途端、この相関関係は低下

アメリカでは「インナーシティ」(大都市の中心部の意だが、「スラム」を暗示)が黒人を意味する犬笛として機能――政治家が黒人犯罪者への厳しい対策を謳えば厳しく非難されるが、インナーシティにおける犯罪取り締まりならそのような心配なく呼びかけられる

 

3.   意図的でない犬笛

現実の世界では、犬笛が意図しないうちに本来の効果を伴って広められる現象が起こる

意図的でない犬笛とは、他の者によって意図的に使用され、それが意図的な犬笛を成す言葉や画像であることを知らずに使用することであり、その使用は意図的な犬笛と同じ効果を持つ――第三者に意図的でない犬笛を吹かせることは、最初に犬笛を吹く者の計画の一部であることが多い

黒人犯罪者の映像広告は、短期間に狭い地域で放映されただけだったが、「ネガティヴ・キャンペーン」や「犯罪」についての報道の一部として何度も取り上げられたのも一例

 

4.   現在の理論が完全には捉えられないこと

「仄めかし」という概念も同様。自分の意図が認識されることを意図しているが、それについて意志や責任があるとは認めない。「そんなことは言っていない」と否認できる

聞き手が犬笛を意識するようになると、犬笛は意図された効果を発揮するのに失敗する

犬笛が成功するか否かは、話し手の意図を認識していない聞き手にかかっている

隠れた犬笛は、特に狡猾なプロパガンダの形態とされるが、話し手の意図が隠されたままでないと犬笛は機能しない

 

5.   政治的な結果

犬笛は、民主主義にとって深刻な問題を提起する

人種問題を明示的に提示することによって人種の犬笛を和らげられる

犬笛が世の中の具体的な現実を変えることはなく、人種的な不満は投票の選択に影響を及ぼさなくなるかもしれないが、それ自体は残り続ける

犬笛について公然と議論することは重要だが、実際以上に強力なものであると誤解してはならない

 

訳者解題

通常、私達は嘘をつくことに罪悪感を抱く。冗談と違って、嘘つくには能動的、積極的に相手を騙す必要がある。それに対しただのミスリードでは道徳的に悪といえる欺瞞を自ら積極的に行わず、誤解を生じさせるだけに思える。嘘に比べて好ましいと感じるかもしれないが、ソールはこの倫理的な価値判断は再考すべきと論じる

ミスリードでは、聞き手が勝手に間違って解釈した部分的な責任を担うという考え方もある。相手が勝手に誤解したのだから自分は悪くないと、自らの行いを正当化する自己欺瞞であるなら、嘘より反道徳的ともいえる

日常生活でどの言語行為を選ぶかで、発話者の人格や道徳性が露呈する

クリントンの発話が、嘘かミスリードかを考察し、その区別にこそ倫理的な重要性があるとし、政治的な発言では、それを聞き手がどう考えるかで、その人が元から有する政治的姿勢そのものが露呈するという

嘘とミスリードの区別には、言語哲学の中心概念である「言われていること」や、言葉通りの意味、言外の意味が関わる。哲学だけでなく、ありふれた会話や政治の中で「言われていること」とは何かという問題は、自明のようでいて、実は共通した理解がない

「言われていること」のソールの理解は、ポール・グライスの理論に依拠するところが多い

グライスが体系的な説明を与えた含意は、会話において字義通りの意味以上の何かが伝えられる現象で、その前提には「協調の原理」(参加される会話の中で含意される目的や方向性に従うこと)と「会話の格率」(必要十分な量の情報が提供され、情報が正しいことが前提となり、会話の主題に関係したことが話され、明瞭でなければならない)がある

人を欺く言語行為は嘘以外にもさまざま存在する。その1つが民主主義にとって危険な政治戦略としての「犬笛」で、これも含意によって人心操作するという特定の目的を持った「言うこと」

嘘とは異なる欺き方で人心を操作する犬笛の仕組みを分析することで、差別と偏見を助長する犬笛への対抗策を探る

元来、犬笛は犬が人間よりも広い範囲の周波数を聴きとれることを利用し、犬に合図することを目的に使われるところから、特定の集団だけに分かる合図でメッセージを送り、人心を操作する政治手法を犬笛と呼ぶ

16年トランプ政権誕生で犬笛の議論は注目。19BBCニュースで犬笛政治を取り上げ、ソールにインタビュー。犬笛政治の危険性を簡潔に訴えた

ソールは、トランプが差別主義を巧妙に隠す話法を利用することを分析し、「人種のイチジクの葉racial figleaf」と名付ける。イチジクの葉は彫像で性器を隠す用途から、「不都合な事実や不正の隠蔽」を意味

言語哲学的なアプローチで人種差別や性差別の問題に迫るのが彼女の哲学的スタンスで、その1つが彼女が主導する「暗黙のバイアス」を巡る大規模な国際プロジェクト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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