左利きの歴史 Pierre-Michel Bertrand 2024.12.27.
2024.12.27. 左利きの歴史 ヨーロッパ世界における迫害と称賛
Historie
des Gauchers 2008
著者 Pierre-Michel Bertrand 1962年生まれ。左利き。パリ第一大学パンテオン・ソルボンヌ校で博士号取得。専門は中世から近世にかけての文化史、美術史。主な著書は、『ファン・エイクの肖像画』『左利き事典』など。フランスでは在野の歴史家として知られ、左利きの歴史・エピソードをテレビやラジオなどで解説することもある
訳者 久保田剛史 青山学院大教授。左利き。
発行日 2024.6.15. 印刷 7.10. 発行
発行所 白水社
第二版の序文
どんな歴史家にも、自分たちの専門分野を過大評価し、そうした歪んだ視点を通してしか物事を捉えないという罠が仕掛けられている。私としては、左利きの歴史が小さな歴史に過ぎないことを自覚しているが、何らかの大きさを持つ歴史であることは認めてほしい
左利きの人々は、決して例外的な人種ではなく、ただひとつ、彼等に「邪悪な手」を使う傾向があるという点を除けば、ごく普通の人間たちの代表例
今日、左利きの人々の境遇に関心を抱くということは、恐らく彼らを正当に評価すること、とりわけ、我々の精神的遺産の知られざる側面を問うことを意味する。それは、現在の自分をよりよく理解するために、かつての自分を知ろうとすることである。これこそが、私が思うに、大いなる歴史であれ小さな歴史であれ、歴史の唯一の正当性なのだ
序論
年々左利きの人々が増えている。少数派としては莫大な数。こうした現象の背景には、社会が左利きに対する寛容さを増したことがある
左利きが伝統的に大きな反感を買っていたことは事実。両手が精神世界の二元性を象徴的に反映していることが、常に至る所で認められていた。生理的規範からの逸脱を意味するだけでなく、肉体を通して魂の正しさの欠如も表していると考えられた
北半球の国々ではつい最近左利き解放が実現されたが、右利きの人々の抱く憎悪・寛容・無関心・尊敬の感情は常に混在し変動していた
そこで本書では、時系列的ではなく類型的な研究を行うことにした。まずは左利きの歴史が属する文化的背景を再構成してから、研究を3つの部分に分類――①軽蔑された左利き、②容認された左利き、③称賛された左利き
心性史は、しばしば万華鏡のような輝きでできている。それが歴史の難しさであり、また面白さでもある
第一部
正しい手と邪悪な手
右droitと左gaucheの区別は、とかくリベラルと寛容を誇りがちな現代社会においても未だに根深い文化的特徴の一つ
右手はつい最近まで「正しい手」と呼ばれ、挨拶は右手、有能な部下は「右腕」と呼ばれる一方、機嫌が悪い人を「左足から起床した」といい、手際の悪い人は「不器用な」(仏語では左利きと同じスペル)人と呼ばれ、「邪道な奴」のラテン語の語源も左を意味するなど、インド・ヨーロッパ語族に属する多くの言語の慣用表現は偶然の産物ではない。いずれも昔の生活習慣や古来の精神的カテゴリーをとどめたものであり、「左よりも右の方が多くの価値を持つ」という同一の定理から生じたもの
第1章
なぜ人類は右利きなのか
右手優位の原因は難しい問題。文明の起源に遡る必要がある。文明の誕生期に作り上げられた集団的な精神構造は、今日でも未だに我々の思考や行動を支配している
l 戦士の習慣
近代組織学の父と呼ばれる解剖学者のグザヴィエ・ビシャ(1771~1802)は、右利きが戦闘技術に結び付いてることを示唆した最初の人。心臓を守るために盾を左に、槍を右手に持った。「振る舞いの習慣が動作を磨く」といい、この習慣が遺伝的特性となり、右手と左手における握力や敏捷さの不均等が生じたに違いないとする
l 太陽の運行
右利き優位の起源を古代の宇宙神話に求める人もいる。原始宗教は向日性を持ち、あらゆるものが太陽に対して奉献され、神に捧げる祈りは太陽の上る方角に向けられていた。東に顔を向ければ南が右手に、北が左手に位置するので、信者は無意識のうちに世界を2つの領域に分けて認識する。こうした左と北、右と南の対応関係は、一般的な空間認識を植え付けた
左右という2つの指標は、未開人にとって超自然界の2極を象徴――右は光と熱の発生源であり、それゆえ有益なる力の中枢で、左は陰と夜と濃霧に包まれ、不吉な力と結び付けられる
人体は全宇宙に対応する小宇宙であり、左右の2極を写し出すものであるという考えから、右手の価値が高められ、左手の価値が貶められることになる
l 両極性の法則
原始文明の知的基盤は、両極性(ポラリテ)と呼ばれる法則に支配され、全宇宙はこの法則に従って様々な対立項に分割されてきた。万物に内在する二元論の印を物質的世界や社会的世界のうちに見出し、対立項の全てが肯定的価値及び否定的価値に変わることで、聖なるものと俗なるものという対立的な2大カテゴリーに統合されると考えた。右手と左手も二元論体系に組み込まれ、左右の手が器用さにおいて異なるだけでなく、品位においても対立しあうことをおのずと認めるようになった。右手はこれ以降、極めて有力かつ器用な手であるばかりか、極めて有徳の手にもなった
l 右利きという理想
左右の優劣という問題の核心は、生理的側面よりも象徴的側面にある
第2章
右手主導の規則
l 宗教的先入観
聖書がどこまで右手優先の伝統を継承したのか――「賢者の心は右へ、愚者の心は左へ」などいくつも右手優位の表現がある。最後の審判でも左右の区別に関する規範を極めて明確に示す。キリストが祝福するのは「羊」たちで、福音の教えを素直に守った敬虔な人たちであり、左手が罰するのは「山羊」たちで、福音の教えに逆らった人たち
l 言語活動
ラテン語では「右の」と「好都合な、有利な」が同じたんごで、右手には忠実さや吉兆が結びついていることをイメージする成句がいくつもある
一方、「左」の方は、不幸・裏切り・悪徳といった意味合いを常に伴っていた
l 日常生活における慣習や俗信
左側全般、とりわけ左手が持つ不吉なイメージは、西洋の思考様式に最も深く根付いている偏見のひとつだったようだ
左手に対する右手の優位は、日常生活における他の多くの儀礼を条件づけて来た。16世紀末から「上流社会」に定着し始めた形式的規範では、右側全般、特に右手が、相手に対する敬意の象徴とされていた。挨拶の際右手を差し出すのがマナーとなり、右側の席(上座)は左側の席(下座)よりも名誉ある位置とされた
第3章
左利きによる秩序の転覆
左右の手に品位の差があるとする考えは、世界を善悪の力の戦いによって動くものとする二元論的世界観に繋がり、右手に属するのは名誉・特権・美徳であり、左手に属するのは不幸・脇役・現世の卑劣さだとする。こうした考えは、つい最近まで西洋の価値規範に最も浸透していたステレオタイプのひとつで、ユングも、神秘主義がこうした考えと密接な関係を保っていたと指摘している。人間は、心のうちに眠る不気味な力を抑えるべく、右手が左手を凌ぐように努めた結果、伝統的なヨーロッパ社会では多くの面で右手主導であり、左手嫌いだった
第二部
軽蔑された左利き
20世紀初頭でもまだ左利きに関する偏見が流布――左利きの割合は2.8%に過ぎず、この割合の低さこそ、左利きが解剖学的異常の証左。病的遺伝によって生じ、多少なりとも人間の一般的性質から逸脱した人々であり、隔世遺伝による変質的な特性ともされた
第4章
左利きという異常性
1960年以前の辞書で左利きの定義を見ると、「右手を使う”代わりに”左手を使う者」となっており、偏見が根強く続いていることが分かる
l 不調和
歴史上最も有名な左利きであるダ・ヴィンチを巡る証言には、驚くべき才能を称賛する一方で、「彼にとっては、思い描いていた完璧さに到達するには自分の手が及ばないように思われた」とか、もっと直接的に「彼の並外れた能力の中には、ある種の障碍が混じっていた。彼は左利きだったのだ」とするものまであった
l ある種の障碍
ダ・ヴィンチへの評は、巨匠を称賛しながらも、太古からの固定観念の影響力に屈していた
「左利き=身体的障碍」という連想は、長きにわたって人々の心に刻まれ続けた
第5章
左利きという烙印(スティグマ)
左利きは、才能と完全に相反するものとされていなかったが、ある種の制約、生来的欠陥や異常や不手際のようなものを示すことから、「多少なりとも人間の一般的性質から逸脱した」人物とされていた
l 「左利き」という侮蔑的な形容
16世紀初頭にも、一夫一婦制が自然に叶った制度であるのは、右利きが人間にとって自然であるのと同じようなものとされ、左手は不道徳と結びつくとされた
不吉な事物は現象の表現にgaucherという形容詞がつくこともあった
驚くべきは、イギリス人が「左利き」を指すのに豊富な語彙を持っていて、多くが軽蔑的意味を含み、下品な言葉に属している
l 怪物の象徴
ローマ皇帝ティベリウス(在位AD14~37)は左利き。堕落した品行、外見の醜さ、並外れた能力や恐るべき怪力が、帝をある種の超人、極端にいえば怪物のような人物に仕立てている
l 病的な遺伝
1877年、ダーウィンは自分の末子が左利きであることに気づき、「疑いもなく遺伝性だ。この子の祖父も、母も、兄たちの1人も、同じ様に左利きだから」
いくつもの学術誌でも、左利きの有害さを示す表現が頻繁に用いられた
第6章
下等人間の特性
l 変質あるいは人種的劣等性のしるし
19世紀後半~20世紀初頭、ファシズム的なイデオロギーを巧みに宣伝するために、「左利きはあらゆる下等人間の共通項である」という論法が用いられた
左利きを「変質者の身体的徴候」とする学説は、19世紀末~20世紀初頭に広まった。学説は数々の医学校で教えられ、様々な学術誌や博士論文でも論じられてきた
l 犯罪の誘発要因
「左利き著名人リスト」にほぼ例外なく載っている切り裂きジャックやビリー・ザ・キッドは、2人とも左利きではなかったにもかかわらず、世間の噂ではいまだに左利きとされている
19世紀後半に登場した犯罪学(現在は刑法学に吸収)では、犯罪は環境的要因に結び付いた現象というより、むしろ先天的な精神異常による結果だとされた。イタリアでは総人口の3%が左利きにも拘らず、トリノの刑務所では左利きが10倍前後。左利きが他の多くの要因と結びつくことで、人類のうちで最悪の欠点を誘発しかねないとした
l 逸脱
神秘学のヘルメス思想では、左右の対立は男性と女性という根源的対立を反映したもの
健全にして正常な性的特徴を持った人は、当然ながら右利き。それに対し、右手よりも左手を使いがちな人は同性愛者で、同性愛者は右手よりも左手を使う傾向があるとした
この学説は、左利きを逸脱者扱いするものでしかなかった
第7章
不寛容のはじまり
ヨーロッパのあらゆる国で、19世紀後半~第1次大戦の数十年間は、左利きの歴史の中で最も暗い時代で、公然かつ大々的に敵意が表明された。そこにはブルジョワ文化の特徴がいくらか関係したと考えられ、秩序や画一性を好み、あらゆる種類の社会的逸脱を退ける原因となった。当時の保守的な人たちが学問的権威を利用しながら、自らの理想にそぐわない種類の人間を巧みに侮辱していたことは明らかで、左利きに対する差別発言は多くの点において低俗かつ恣意的なもので、疑わしい事実を寄せ集め、極めて保守的なイデオロギーを正当化するための口実でしかなかった
この時代がとりわけ左利きにとって災いとなったのは、蒙昧主義的な傾向に加えて、人道主義や共和主義がもたらした価値観のせいでもあった
19世紀を通して公教育が大幅に進展すると、あらゆる階層の人々が、学校の文明化と徹底した規範化の動きに巻き込まれ、左利きの子供たちは例外なく右利きの支配下に置かれる
公教育の大衆化により右利きが圧倒的な覇権を握り、左利きは「極めて珍しい例外」とされた
第8章
虐げられた左利き
左利きが道徳的に非難されるべきものであれば、それを矯正し、少なくともその悪影響を抑え、最も目に付く特徴を和らげようとするのは当然の成り行き。その最たるものが、自分の子供に対する左利きの矯正。日常生活の主な行動に左手を用いることがタブーとなったのは16世紀後半からで、やがてほとんどすべての人に共通した礼儀作法の規則と化していった
l 右利きに直すこと
左利き撲滅運動は、間違いなく教育史における最も不名誉なエピソードのひとつ
l 矯正された左利きの苦しみ
矯正された左利きの子供たちは、歩くのも話すのも遅く、動作にぎごちなさや緩慢さが見られるのは明白で、こうした症状は年齢とともに和らぐどころか、長きにわたって不都合をもたらすことがある。最も特徴的な障碍が言語表現では吃音に、視覚では斜視などの原因になっている。さらに、重大な心理障碍や知能障碍にもつながる
第三部
容認された左利き
今日、西欧の民主主義国家において、左利きの人々が非難を浴びることはもうない
第9章
中世の黄金時代
中世の時代は、「他者に対して開かれた博愛」という意味での「寛容」ではなく、「あることがらを非難しつつもあえて阻止はしない」という意味、ある種の精神状態/社会道徳を意味する「寛容」さが、左利きの少数派に対してあった。左利きに対する軽蔑/差別は、あくまでも象徴的な次元に留まり、強制的な政策がなかったために、左利きの黄金時代だったと考えられる
l 礼儀作法の規則以前の時代
中世の作法集には、食事中の手の使い方に関する指示がほとんど記されていない――フォークがまだ存在していなかったため。フォークの風習化は17世紀で、それまでは手づかみ
16世紀後半に騎士道的高貴さが衰退して絶対王政が成立すると、君主を取り巻く支配階級である宮廷人にとって、エチケット、しきたり、マナー、礼儀作法、その他外見上のルールが君主に対する敬意と服従の印となり、それを厳守することで、自らの地位を保ち、特権が正当なものであると主張できた。こうした考えをもたらした先駆者がエラスムス(1469~1536)
17世紀には、貴族階級と市民階級との伝統的な隔たりが次第に消えてゆき、上流階級の風習が庶民にも適用され、「紳士」が守るべき社会生活の規範を示す「礼儀作法(シヴィリテ)」という概念が誕生。以前の時代よりはるかに強い統制や自己規律が必要となる。手についての作法も、右手にいくつもの特権を与え、左手を常に卑しい状態に貶める形で定められる
l 書字の規範以前の時代
16世紀に印刷術の発明と宗教改革がもたらした識字教育の発展は、中世的世界から近世的世界への移行を示すという点で、ヨーロッパ人のメンタリティを変えた主要な事象の1つ
文字が普及する以前は、手の左右差についてはほとんど意識されていなかったが、修道院や行政や大学組織に限られていた行為が広い社会階層に普及した16世紀末になると、右手で字を書く規則が生まれる。教育の大衆化が始まると、文字を書くことにも規範化が進む
文字教育は道徳教育と結びつき、宗教学校がその中心的役割を果たす
l 非常に緩やかな変動
ルネサンス期まで左利きに向けられていた寛容な態度は、礼儀作法(とりわけ食事のしきたり)と学校(書字の学習)という二重の圧力の下で消滅
近代初期には、右手の使用が上品さの印と共に礼儀作法の規則になると、先ずは外見を重んじる上流社会の間で、それから少しづつ学校を通して下層民の間で、これまでの状態に異議が唱えられ始め、右手使用という共通の規則が拡散していく
第10章
近代の解放にいたる長い道のり
いつの時代にも、大半の人たち以上に、同胞に対する寛大さを持った人々が存在した
l 先駆者たち
近代において、初めて本格的に「右手優位は根拠のない学説に過ぎず、左利きは人間的本性の一つの変種」だとして左利きを弁護したのはイギリスの学者トーマス・ブラウン(1605~82)
18世紀後半には、教育における寛容主義が、フランスの知識階級の間で広く知られた見解となる。「幼児が社会的束縛を受けない自然な状態を出来るだけ長く保ってこそ、真の人間らしい素質が現れる」という考え方が生じ、左右の手にはっきりとした習性を植え付けることを推奨せず、児童の成長を阻むような独断的使い方を押しつけてはならないとされた
こうした立場を最初にはっきりと表明したのは、啓蒙時代の象徴ともいえる『百科全書』(1751~71)で、両手の間には足や耳、目と同様能力差はないとして「偏見や教育の圧力」に抵抗
プロイセン国王フリードリヒ2世(1712~86)は、晩年痛風のせいで右手が使えなくなり、左手で書く苦労をしたので、子供の頃から両手を等しく使うよう教育すべきと唱える
解剖学者のグザヴィエ・ビシャ(第1章参照)も、右手の優位には然るべき根拠などないという点に気づいていた
l 進みつつある変革
事態がようやく変わり始めたのは、19世紀末頃のアングロ・サクソンの民主主義国からで、その契機となったのは、両手利きの流行に加えて、熱心な右利き教育が子供たちに悪影響を及ぼしたかもしれないという自覚だった
学校における左手の使用禁止を解いた最初の国はオーストラリア
l フランスの例
第1次大戦の膨大な「戦争障碍者」から生まれた「新たな左利き」(と一般的に呼ばれた)の急激な増加に対処すべく、様々な公的私的取り組みが増え、右手を失った人たちの左手が新たな役割を担うことにはほとんどの場合何の問題もなかった
両大戦間には「左利きは右利きと同じく一つの素質である」ことが認められるようになったが、古くからの習慣は消えず、1950年代になって漸く事態が変わり始めたのは、モンペリエの女性児童心理学者のコヴァルスキーの功績に負うところ大で、左利きの名誉回復に貢献
第11章
二つの右手の神話
一部の左利きは天性及び教育の力により、両手にいくつもの能力を持ち、他の人々よりも多くの利点に恵まれていたが、なぜ左利きだけがそうした恩恵にあずかっていたのか
l 太古の昔のユートピア
左右の手に根本的な違いはなく、誰でも望めば両手を同じように楽々と使えるのだという考えは古くから存在。代表例はプラトンとアリストテレスで、プラトンは両手に生まれつきの能力の違いがあるとする考えを「偏見」と見做し、アリストテレスも左右の違いを認めながらも、それは習慣的なものに過ぎないとした
l 両手利き文化
両手利きの推進運動は、19世紀末の英米に登場したのち、ヨーロッパに広まったとされるが、フランスでは18世紀末には両手の能力を早くから習慣的に利用させることが推奨された
1903年イギリスで両手利き文化協会が設立されたが、左右の非対称性こそが人類の本質的特徴であり、両手利きという似非平等主義は自然の法則に反しているのみならず、両手利き文化は「矯正された右利き」という新たな社会的カテゴリーを作り出しかねないとの反論が沸き上がり、両手利き推進運動は急速に萎んでいる
l 両手利きと左利きの解放
両手利きの流行がピークに達する時期と、左利きに対する寛容がアングロ・サクソン諸国で出現する時期との間には、明らかな関連性がある。2つの現象に因果関係があることは間違いない。両手利き文化が絶えず左手の再評価を推し進めていた
第四部
称賛された左利き
左利きは、右利きが右手を使うのと同じような巧みさで左手を使っていたことから、様々な機会で称賛を浴びることもあった
第12章
左利きの卓越性
l 左利きであるという誇り
左利きとしての自尊心を示す最古の証言は、ガロ=ローマ時代(カエサルがBC50年頃にガリア地方を征服し、多くのローマ人が移住、ローマ文化を移植した)に遡る。その時代の陶器には
鏡文字=鏡に映したように左右に反転した文字が刻まれたものがあり、左手の作者が自らのオリジナリティを誇示するために付加したものと推測される。こうした考えを裏付ける証言は後の時代にもあり、写本等の末尾に、わざわざ「左手で書いた」という言葉が添えられている
たまたま運よく生まれつきの才能を保ち続けた左利きが、常に周囲の人々からの賛嘆を得ていたのは事実
l 並外れた才能
太古の神話には、一部の左利きが、普通の人(右利き)よりもはるかに優れ、偉大な能力と並外れた体力を持っているとするものがあるが、左利きの優秀さを認めることは、奇妙さという意味合いも含めた上で、彼らが「平凡ではない」ことを意味し、超人は下等人間と同じように、本当は人類に属さないことになる、という両義性を示唆するものでもある
鏡文字を書いた左利きのうちで、最も有名かつ華々しい例は、ダ・ヴィンチであり、膨大なページ数にわたって鏡文字を書き残したことが知られる
l 「左利き転向者(スカエウオラ)」たちの例
半身不随に悩まされたイギリスの作家・歴史家トーマス・カーライル(1795~1881)は、右手を失ったことを嘆き、「夕闇が訪れたようなもの」と形容したが、悲劇的な証言は極めて例外的なケースで、歴史には右腕が使えなくなった人々がそうした障碍を勇敢に乗り越えた例は枚挙に暇がない
右利きから左利きに転向した最初の人物として知られるのは、BC6世紀のローマ人ガイウス・ムキウスで、祖国に侵入してきたエルトリアの王に対してローマ人の抵抗力を見せつけるために、激しく燃える火を自分の右手に押しつけてわざと負傷し、その日からスカエウォラ(左利き)という綽名がつけられた
ホレーショ・ネルソン提督(1758~1805)も有名な左利き転向者で、「左利きの提督など何の役にも立たない」という格言を残し、軍人としての自己犠牲を表したものとされるが、その後もトラファルガー海戦の勝利など数々の軍功を残している。右利きだったころの字が判読不能だったのに対し、左利き転向者になってからの字は優雅かつ滑らかで繊細だったという
ロベルト・シューマン(1810~56)は、右手の中指を器具で固定して弾くことで他の指をさらに鍛えるという技術を開発したが、行き過ぎて31年右手が麻痺、妻クララが最高のピアニストになることで彼の夢を実現し、彼自身は左手で作曲活動に専念
「イラスト業界のヴェルディ」と呼ばれたダニエル・ヴィエルジュ(1851~1904)は、豊かで創意工夫の才能に恵まれたが、30歳で右腕が麻痺、その後は左手で現代芸術の傑作を残す
パウル・ヴィトゲンシュタインもロシア戦線で右腕を失いながら、ピアニストを断念しなかった
これらの左利き転向者は、右利きだった時には恐らく不可能であった偉業を、左手のお陰で達成できた。彼等は「高潔さや才能、力や偉大さは、利き手の問題ではなく、性格の問題だ」ということを示す生きた証拠であり、優れた性質と左利きは十分両立し得るのだ
第13章
左利きの巨匠たち
我々が左利きの人々に抱く関心は、歴史家としての関心であり、マニアックな収集家としてではない
l 画家たち
左利きの名を高めた人々のうちで、重要な地位を占めているのが画家たち
画家が左利きかどうかを探り当てるには、①伝記的資料、②描画の特性、③補足的証拠、の3点を横断的に検証することが必要
基準①伝記的資料――文字的証拠と描画的証拠をクロスチェックしなければならない
基準②描画的特性――陰影や立体感を与えるためのハッチングの斜線が異なる。右利きは右上から左下、あるいはその逆に引くのが自然で、左利きは左上から右下、あるいはその逆に引く傾向にある。この傾向が顕著な左利きは、ダ・ヴィンチ、ホルバイン、モンテルーポなど
また、手で素早く線を引くと、線が真ん中あたりで曲がる傾向にあり、右利きの場合は上方に膨らみ、左利きは下方に膨らむ。ハッチングでもその傾向が見られる
基準③補足的証拠――画家の自画像、文字の書き方や署名の方法、横顔の向きなど
いずれにしても、画家における利き手の問題は、多大なニュアンスと多くの不確かさを示しており、極端に二元論的な方法では扱えない
事例1 ニコラ・ミニャール(1606~68)は、批評家から「当代最高の画家の1人」と評されたが、疑いなく本当の左利き。息子で弟子のポールが左手で絵を描く父親の肖像画を描いているという証拠がある。彼のデッサンの大半には、明らかに左利きの技法を示している
事例2 ミケランジェロ(1475~1564)は、左利きのリストに頻出するが、弟子のモンテルーポが、「生まれつき左利きだったが、力仕事以外は左手を使わなかった」と証言を残しており、矯正された左利きであり、実際はすっかり右利きになっていたのかもしれない
事例3 ラウル・デュフィ(1877~1953)は、色彩の魔術師で左利きとされるが、美術史家によれば人為的なもので、右手の過剰な使用を減らし、「安易さと無意識的動作の誘惑に打ち勝つ」ために故意に行われたらしい。両手利きで、人前では右利きとして行動していたようだ
事例4 ポール・ドラロッシュ(1797~1856)は、全てのデッサンのハッチングは完全な右利きを示すが、同時代の画家からは左利きといわれた。実際は、右手でデッサンをし、左手で彩色
事例5 ヤン・ファン・エイク(1400頃~41)が左利きとの説は、ありふれた観察結果に由来。数少ないデッサンは「右利きの」技法だと判明、両手利きで左右別の仕事に特化させたようだ
事例6 オーギュスト・ルノワール(1841~1919)も、一時的に右利きでない画家とされたが、80年・97年の2度も骨折し、「邪悪な手」で描くことを余儀なくされたが、彼の左手は予想以上の才能に恵まれていたことが判明。自らもそれを認め、カミーユ・ピサロも同じ意見だった
事例⑦ ヒエロニムス・ボス(1450頃~1516)が左利きだったかどうかは議論の余地あり。20世紀になって、デッサンのハッチングが右手の特徴を示すが、下絵が左手の特徴を示すと指摘され、アメリカの大学の博士論文でも取り上げられ、全ての下絵を体系的に分析したうえで、「左利きの特徴」が「ボスの作風の本質的な要素」であることを証明した。両手利きの可能性も
l 天才たち
天性の才能を最もよく体現した人物として頻出する10人――プラトン、カエサル、ダ・ヴィンチ、パスカル、ナポレオン、フランクリン、ショパン、フロイト、アインシュタイン、ピカソ――は、左利き有名人リストにもよく登場する
このうち明らかに左利きとして認められているのはダ・ヴィンチのみ。プラトン、カエサル、パスカル、ナポレオン、フランクリン、ショパン、アインシュタイン、ピカソは左利きでなかったにもかかわらず、左利きの噂があるのはなぜか。左利きと天才を結び付ける風潮はどこから生じたのか。2つの要因が働いているように思われる
1つは「レオナルド症候群」――強烈な知性と長年の左利きという2つの極性を、あれほど華々しく明白に1人の人間が兼ね備えていることで、世論がこの2つの極性の間に因果関係を無条件に打ち立てるのに大きく寄与したのは間違いない
2つ目の要因は、人間性の異常な形、知性の恐ろしい奇形のようなものを、ひたすら天才の中に見出そうとするもの。長きにわたる数々の偏見によれば、左利きはそうした知性が生み出した不吉な結果ということになる
今日、「左手の有名人」を闇雲に列挙しようと意気込むことは、ある偏見を別の偏見に置き換えることに過ぎない。左利きの人々は軽蔑に値しなければ、称賛にも値しない。彼等は人間性の1つの種類、1つのカテゴリーに過ぎず、生存権というごく基本的な権利を認められるようになるまで、歴史の中で多くの浮き沈みを経験してきた。今日、左利きの人たちが要求するものは、他人の干渉を受けないという権利以外には、おそらく何もないだろう
結論
《ミロのヴィーナス》は理想的かつ標準的な美の典型である。というのも、明らかに右利きであるからだ。(1902年、医学博士エチエンヌ・ロレのリヨン人類学会会長就任演説より)
荒唐無稽であるにせよ、少なくとも何世紀にもわたる差別的偏見を見事に凝縮している
「理想的、標準的、右利き」という3つの語は、互いに結び付くことで、歴史を通して左利きの人々が耐えてきた一切の重圧を物語る
左利きを巡る人類の大まかな方向性や基本的な流れを明らかにすると以下の通り
l 右手の優越という偏見は、我々の精神構造に消し去ることの出来ない痕跡を残した。どんなところにも、誰にも、極めて執拗に繰り返される公理がある。それは「あらゆる名誉、あらゆる特権、あらゆる高尚さは右手に属し、あらゆる軽蔑、あらゆる卑俗な任務、あらゆる下劣さは左手に属する」というもの。この原因は殆ど宗教的なもので、原始宗教の二元論的思想を継承するキリスト教が、西洋社会において左手が常に嫌悪されるうえで決定的な役割を果たしてきたのは明らか
l こうした社会学的に極めて重要な象徴体系の枠組みの中に、左利きの歴史に関する問題を位置づけるべき。左利きの人々に対する不寛容が、歴史上かなり後の時代になってから、強制的な形となって表れたのは、あらゆる点で明らか。そうした弾圧の必要性が認められたのは礼儀作法や文字を書く時に右手を使うのが唯一の相応しい方法であると定められた後のこと
l だが、排除や軽蔑の言説は、普遍的かつ継続的なものではなかった。左利きの人々は、歴史上最も悲惨な時代であっても、何らかの分野で秀でることができれば、ある種の賛嘆を浴びることがあった
l 徹底した右手使用の正当性が再び議論の的となり、矯正された左利きの悲惨な境遇が人々の同情を集めるのは、19世紀末になってからで、両手利きという理想と無関係ではない。両手利きの理想は欧米で急速に広まり驚異的に流行し、「邪悪な手」の知られざる長所を改めて認識するきっかけとなった
l 人権の誕生地であるフランスでは、メンタリティの変化にはさらに多くの労力を要し、左利きの真の解放は、第1次大戦の傷痍軍人を模範とする形で始まり、1960年代初頭に漸く達成
付録
1900年以前に生れた「右利きではない」西洋画家のリストを以下の7カテゴリーに分類
① 左利き――先天的かつ不変の素質として画家の個性を特徴付けているケース
② 矯正された左利き――生来は左利きだが、「右利きへと修正」されたケース
③ 両手利き――左手を偏重するが、多少なりとも右手も使う能力を持合わせているケース
④ 後天的左利き――後天的に右麻痺を発症したケース。発症の年齢により意味が異なる
⑤ 一時的左利き――右利きの人が左手で描くことを一時的に余儀なくされたケース
⑥ 偶然的左利き――右利きの人が実験的に左手を使う「気まぐれ」のケース
⑦ 不確かなケース――左利きの性向が認められるが、資料不足から憶測でしかないケース
訳者あとがき
副題の直訳は「あべこべの人たち」
第1部
正しい手と邪悪な手
ヨーロッパ文明に深く根差した右の優越性について説明
象徴的秩序や社会規範は、直接的な利き手の決定要因ではないにせよ、少なくとも人々の行動様式に影響を与え、右手の優位を促したのかもしれない
第2部
軽蔑された左利き
左利きがヨーロッパ世界において長らく迫害されてきた経緯を詳述
左利きはしばしば生理的異常とされてきたが、とりわけ19世紀後半~20世紀初頭左利きは人種的劣等性の印と見做され、社会的な偏見の対象となった。公教育での右手使用の強制
第3部
容認された左利き
左利きに対する社会の態度の変化、とりわけ寛容の歴史に焦点を当てる
第4部
称賛された左利き
左利きの人々による功績や彼らの並外れた能力に注目
本書の特色は、①より幅広い視点から左利きの歴史について考察、②「右手の優越」を通して近代ヨーロッパの思考様式や価値観が浮き彫りにされている
日本文化は元々左優位(左大臣や平安京の左京など)、中国文化の影響で右優位の思想が入って来た(「左遷」「右に出るものなし」などはすべて故事成語に由来)
維新後もヨーロッパの規範や慣習の導入で、右優位がゆるぎないものとなり、戦前の学校教育では右利きが徹底された
戦後右利きの強制教育に異を唱えた先駆者は、精神科医の箱崎総一(1928~88)
1990年代前後から利き手矯正衰退が見られる
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左利きの歴史
ヨーロッパ世界における迫害と称賛
左利きに対する偏見が生まれ解消に至るまでの複雑な歴史を、テーブルマナーの変化や絵画の分析など、さまざまな角度から語る。
内容説明
偏見はいかにして生まれ、 解消されたか
ヨーロッパの歴史において、左手は「邪悪な手」とされ、左利きは差別されてきた。ヨーロッパの諸言語には、右を「縁起の良いもの」、左を「不吉なもの」とした慣用表現が多く見られる。さらには、古代の呪術的信仰からキリスト教にいたるまで、右は「聖」もしくは「善」の象徴、左は「不浄」もしくは「悪」の象徴とされてきた。中世やルネサンスの名画でも、エバはしばしば禁じられた木の実を左手でもいでいる。 ただし、現代スポーツのサウスポーを待つまでもなく、たとえば戦闘において左利きの存在が有利に働く場面があることは古代から認識されていた。一方、平等の名のもとに不寛容が広まった時代もあり、偏見の裏返しとして左利きを天才と結びつける傾向も存在する。偏見から解消への道のりは紆余曲折あった。本書は、人文科学、社会科学、自然科学のさまざまな分野を横断しながら、左利きの人たちに対する寛容と不寛容の歴史を明らかにしていく。 中世からのテーブルマナーの変化や、美術史家は絵画からどうやって画家の利き手を見分けるのか、「右手の優越」を通して見る西洋近代の思考様式など、興味深い話が満載の文化史。
(書評)『左利きの歴史 ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
2024年8月3日 朝日新聞
■長く続いた偏見、その源泉と今
わたしは左利きではないが、昔から憧れがあった。ロック史上最高のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスは左利きだったが、右利き用のギターをそのまま構えて、誰にも真似のできない演奏をした。美術の世界に目を向ければ、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、ハンス・ホルバイン、ヤン・ファン・エイク、ヒエロニムス・ボスといった巨匠たちが、抽象画ではカンディンスキーやクレー、加えて迷宮のような絵を描くエッシャーも左利きで、ルネサンスに戻れば、あの「天才」ミケランジェロも矯正された左利きだったらしい。
ところが、西洋社会で左手は長く嫌悪の対象とされてきた。「あらゆる名誉、あらゆる特権、あらゆる高尚さは右手に属し、あらゆる軽蔑、あらゆる卑俗な任務、あらゆる下劣さは左手に属する」というのだ。古代ギリシャの美の規範「ミロのヴィーナス」さえ、右利きゆえに美しいと唱えられた過去がある。
著者は、その源泉を善と悪を峻別するキリスト教世界特有の二元論に見る。聖書では右手の優位は随所で喧伝されてきた。「ああ主イエスよ、どうかずっと私の右にいて、この手をけっして離さないでください」という一節など典型だろう。また、西洋の絵画でエバは禁断の果実を左手でもいできた。
幼い頃、利き手の矯正に理不尽を感じた人は少なくないはずだ。それもまた「迫害」の歴史の一端ではなかったか。けれども著者は、このような左利きへの偏見が、ついぞ宗教裁判やナチズムのような宗教的・民族的・政治的帰属をめぐる大規模な迫害にまで発展しなかったことに着目する。
それどころか、わたしがかつて憧れたように、裏返しの称賛さえ浴びることもあった。さらに左利きは「障害」でもない。むしろ「美意識」の問題なのだ。だからこそ右利きの優遇は、ユニバーサルデザインが唱えられるいまの社会でも根深く生き残っている。
評・椹木野衣(さわらぎのい)(美術評論家・多摩美術大学教授)
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『左利きの歴史 ヨーロッパ世界における迫害と称賛』 ピエール=ミシェル・ベルトラン〈著〉 久保田剛史訳 白水社 3960円
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Pierre-Michel Bertrand 62年生まれ。左利きで、中世から近世にかけての文化史、美術史が専門。
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2024年8月26日 00:24
「左利きの歴史」が教える、気づいていない身近なマイノリティへの偏見
目次
左利きの人間が「左利きの歴史」を読む
信仰や文化に根ざし、左利きは異端視されていった
自分も子供の頃、左利きを「矯正」された
身近なマイノリティから学ぶ
おまけ: AIは左利きを知らない
左利きの人間が「左利きの歴史」を読む
SNSで見かけた「左利きの歴史」という書籍を読みました。自分自身が左利きだということもあり、当事者として「偏見はいかにして生まれ、解消されたか」を知りたかったからです。
もしかしたら、右利きの方(本稿をお読みになる多くの方はそうでしょう)は「左利きへの偏見?そんなものあるの?」と思われるかもしれません。蔑称で呼ばれたり、あからさまに忌避されたりといったことは、確かに近年はありません。けれども、社会のそこかしこに偏見の残滓が横たわり、ちょっとずつ左利きを生きづらくしているのです。
そんな社会が形作られた歴史を知りたく、手にとってみました。
左利きの歴史
- 白水社偏見はいかにして生まれ、 解消されたか ヨーロッパの歴史において、左手は「邪悪な手」とされ、左利きは差別されてきた。ヨーロwww.hakusuisha.co.jp
信仰や文化に根ざし、左利きは異端視されていった
本書によると、左利きへの偏見は相当に根深く、ルネサンス期の絵画、さらに遡って旧約聖書にまでその痕跡があります。聖なる行いは右手で行なわれ、左手はそうではないもの。
それがエスカレートしていき、左利きを矯正することが当然になっていく。ある時代においては、左利きの人間の割合は自然に発生するそれと比べてずっと低かったようです。これは矯正のたまものです。
なぜそうまでして矯正したかというと、左利きは邪悪なもの、正しくないものだからです。あってはならない存在。だから矯正することが、左利きの人間のためでもあると
誰もが信じて疑わなかった時代があったのです。
左利きは「正しくない」もの。
左利きは「直すべき」もの。
当事者というよりも、親が「恥ずかしいもの」として矯正にやっきになるもの。(当事者は文字通り「右も左もわからない」年齢のときに矯正されるので、自分から積極的に矯正することは稀でしょう)
ここは、左利き当事者として実感があります。後述しますが、私が子供の頃は左利きを「矯正する」のことが当然の時代でした。そういった過去の体験がよみがえり、正直「読むのやめようかな」と思うくらい気分が悪くなるパートでした。
そのあと、人権意識の高まりだったり、様々な事情で左手を使わざるを得ない人が問題なく左手を使えることがわかっていったりなどの環境の変化を受けて、左利きは受容されていきます。
これは本当に興味深い変遷です。
信仰というある種「当然のもの」として受け止めるところから偏見が生まれ、偏見に基づいた価値観による行動から偏見が強化され、かと思えば社会の考え方の変化だったりそれ以外の外部要因で偏見が減退していく。
自分も子供の頃、左利きを「矯正」された
私が小学校に入ったばかりの頃、30年前ほど前には、左利きは矯正するものという考え方がありました。
学期が変わるごとに減っていく、左利きの同級生。みんな右利きに矯正されていきました。
私も例外ではなく矯正されました。なかなか右手を使えるようにならない私に、親がひどく苛立っていたし、悲しんでいたのを今でも覚えています。
ある程度右手を使えるようにはなったのですが、左手のほうが明らかに器用なので、結局すぐ左利きに戻りましたが…
本書では、そのようにして矯正された人々の話も描かれています。偏見に基づき「矯正」することが、結果として何をもたらすのか。残念ながら、良い結果はもたらしません。それはそうですよね、右利きの人に「左手で文字を書け!食事をしろ!」と強制し続けたら、いい結果にならないのは想像つくでしょう。
ともあれ、30年前には偏見が強烈に存在し、左利きは「矯正されるもの」だったのです。今はどうなんだろう?
身近なマイノリティから学ぶ
偏見が減退した現代に生きる「右利き」の人は、左利きの人にかつて向けられた眼差しなど知らないし、偏見も持っていません。(左利きなんですね!と驚かれることはあっても、蔑まれることは少なくともこの20年くらいはありませんでした)
そして同時に、左利きがちょっとずつ不便に暮らしていることも知らないかもしれません。駅の改札、飲食店で置かれる箸の向き、トイレットペーパーの位置。ちょっとしたことが、右利き優位の価値観で作られている。興味深いことに、左利きの当事者自身も自分たちが置かれた「不便さ」「特殊さ」に気づいていなかったりします。私自身も、子供の頃から「そういうもの」だと思っていたから、いろいろなものが右利き用に設えてあることは当たり前だと思っていました。また、鏡文字を書けるのは左利きの特性だというのも、本書で初めて知りました。
マイノリティが被るちょっとした不便を、マジョリティは気づきもしないという点からはいろいろ学べることがあります。たとえば、自分がマジョリティである領域で、マイノリティがどんな不便、不快を感じているか想像してみる、など。そういう一歩が社会をインクルーシブにしていくので、身近なマイノリティである「左利き」の歴史を知る本書で、その一端を垣間見るのはいい手段なんじゃないかなーと思っています。
おまけ: AIは左利きを知らない
本稿のトップ絵をAIに描いてもらったところ、衝撃的なことがありました。「左手で文字を書く絵を描くね」といっておきながら、出てきた画像はすべて右手にペンを持っていた
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