国字「迚」のなぞ  西井辰夫  2024.12.14.

 2024.12.14. とてもじゃないが 国字「迚」のなぞ

 

著者 西井辰夫 1931年生まれ。東大法卒。三和銀行入行。80年取締役ニューヨーク支店長。帰国後国際部門担当。85年シカゴ駐在となり現地金融子会社会長。87年帰国、同年専務の役職を解かれ取締役(88年退任)、日立造船副社長、93年退任、顧問。95年退任、現役を退く。著書に『酒を搾り袖を絞る―国字と国訓を考える』(07)、『奇妙な国字』(09)、『「しんにょう」がついている国字 不思議な字「辷」 不死身な字「込」』(18)、『あっぱれから遖まで ある国字の盛衰』(22)

 

発行日           2024.11.29. 第1刷発行    

発行所           幻冬舎

 

 

序章 「とても」を漢字で書けるか

「とてもじゃないが」は面白い言葉。「ない」とあるから「とても」を否定するのかと思うと、そうではなく、「とても」を強調する表現で、文末の「ない」を伴って「とうてい・・・・ない」という否定表現を作るが、他方、「とても」は「たいへん」「たいそう」の意味で肯定表現を強調することもある。さらには、「とてものこと」といえば「いっそのこと」の意味もあり、「とてものついで」も同じような意味。そのほかにも昔は肯定表現での用法があり、「とても」は使い方次第でいろいろ変った意味を持つ

漢字は「迚」で、厳密には国字。常用漢字制定後は表外字とされ使われなくなったが、日本独自の「とても」という言葉には場合場合で意味は違っていてもそこに共通する何かがあって、その何かを端的に表現したいが中国渡来字では役に立たないので、日本人が工夫をして、その共通する何か(要素)を「迚」という字で表記したが、その要素とは何か?

それにしても不思議な字。「迚」は「中」と「辶(しんにょう)」の合字。「中」は一続きのものの両端でない場所、なかほど、途中を表す字で、外に対してうち、内部を表す字でもある。その「中」と、歩くとか道を表す「辶」を組み合わせて「とても」の意味、いろいろな意味に共通する要素をどうして表すことができるのだろうか

 

第1章     とても

1.    「とても」の意味

「兎角/とかく」は、平安中期の文学作品にみられる言葉。「と」(「そのように」の意)と「かく」(「このように」の意)の組み合わせで、「とありてもかくありても」が生まれ、その省略形が「とてもかくても」で、「どんなことがあろうと」(決意を示す)、「いずれにせよ」(諦めの気持ちを籠める)等の意味を持つ。さらに省略したのが「とても」で、用法が広がる

「とても」も平安時代後半の『平家物語』辺りから見られる

「とても」は「と」と「ても」の合成語。「と」は「そのように」の意で、「ても」は「仮定の条件をあげて、後に述べる事がそれに拘束されない意を表す」。従って、「とても」の意味は、「そうであっても、こうであっても」「たといそうしようとも、こうしようとも」という意味になり、「どうしても」「つまるところ」「しょせん」という言葉に導かれる。「とても」は「どうしたって勝つ」「しょせん勝てない」のように、正反対の局面に使い得る面白い言葉

具体的に「とても」の意味は、

    (否定を伴って)とんなにしても、なんとしても、とうてい

    どうせ、ともかく、所詮(決意も諦めも含む肯定用法)

    非常に、たいへん

現代の用法はほとんど①か③で、③の強調用法は①から変化したもの。大正期から多用

②の肯定用法は現在ではほとんど使われなくなっている。捨て鉢の気持ちや、禍福を転じた嬉しい状態だったり、「どうせもともと」という説明だったりさまざま

 

2.    用法の拡大

「迚」は1字で「とても」と訓むので送り仮名はないが、「迚も」と表記されることが多かった。日本語で漢字1字の副詞は、仮名1字を送って2字で構成される(「必ず」「暫く」「予め」「若し」「正に」など)が、それは漢文訓読みでの送り仮名に由来

『源氏物語』には「とて」という助詞が頻出。「とて」を強めた「とても」という助詞もある

2つの「とても」は、意味も語の構成(副詞の時は「と」+「ても」で、助詞ならば「とて」+「も」)もアクセントも全然違う別の言葉でありながら混同されやすい

副詞「とても」を「迚」と表記したものが「迚も」と書かれるようになると、「迚も」は助詞「とても」の表記にも使われるようになる。そうすると「迚」は「とて」と訓むことになるから、結果的に助詞「とて」の表記字になってしまう

兎角は兎の角で、亀毛と並んでありえないことの例として、空海の書が出所

 

第2章     「とても」を表記する字

「迚」の漢字表記が辞書に登場するのは室町時代中期以降。当時は「言當(1)」と共に使用

節用集には、「襠(とても)」の表記もあるが、江戸になると「迚」「擋」に統一

鎌倉時代には助詞で「迚」が使われている例がある

現代の漢和辞典の多くは、「擋」を「覆い隠す」「遮(さえぎ)る」など漢字本来の義を示し、国訓を示さず、「とても」と訓じるものもあるが、用例を示していないので現代の用法なのか不明

別に、「擋」は「手当」を1字にした合成字とも考えられる。室町後期には言葉遊びにも似た合成字の作成使用が広く行われていたことからの類推

以上のことから、「迚」「言當(1)」「擋」の3字の関係と変遷について類推すると;

「とても」という副詞は、平安末期には使い始められ、鎌倉後半にその漢字表記として「迚」が作字され、「擋」に使用されたが、一般に使用される時には至らず

この2字が辞書に登場するのは室町中期以降、書簡の往復が増え、活動の記録が残される機会が急速に増えたことがその背景にある

江戸になるともっぱら「迚」が、副詞「とても」としても、助詞「とて()」としても使われる。別途、室町末期に「手当」の合成字で使われた「擋」は、江戸ではその意味では使われなくなり、「言當(1)」に代わって「とても」に当て字されるようになる

戦後は、「迚」が当用漢字に採用されず、副詞・助詞は仮名書きが原則となったため、日常「迚」を見る機会は失われた

 

第3章     「迚」の成り立ち

1.   国字と国訓

国字とは、漢字を模し、漢字の作法に準じて日本で作られた字。典型例としては、既存の漢字の部首字の中から意味が適切なものを選び、もう1つの適切な意味の字と組み合わせる方法により新しい字が作られる(会意の作法)。訓みだけなので、原則として字音を持たない

もし国字として作られたものが既に漢字にあった場合は、既存の漢字に日本独自の訓みを与えることになるが、漢字本来の意味と異なる日本独特の訓みをその漢字の国訓という

日本製の漢字は「和俗字」として89字。うちいくつかは国訓(2文字以上は熟字訓)の字

国字・国訓の別を説いたのは新井白石

 

2.   辞書にみる解字の変遷

室町中・後期の節用集に注を付けたものがある: 「迚、言當(1) 言中理也、猶以の義」

「猶以」(なおもって・・・・)は通常「やっぱり」「なおさら」の意で、「とても」の意とはずれがある

江戸の解字の研究書によれば、「どのようにすべきか、どちらともいえず中途半端だということを表す」という解釈から、「右でも左でもない中道な道、中正な道を行くという意味」という新解釈まで見られる

現行の漢和辞典の解字は、「中途まで行く」「中間を往復する」「行きつ戻りつすることから、言葉を翻す(=否定する)時に用いる」とさまざま

 

3.   現代の解字への疑問

現代の解字に共通するのは、「迚」の「中」を「中=道の途中」と捉える

「とても全部は無理」のように、行為の一定部分を否定するために使われる場合は完全に適合するが、「とても合格できない」のように全否定の場合の説明には不適当。さらに、「しょせん」「どうせ」などの意味で肯定表現に使われる場合もあるところから、現代の解字には疑問

 

4.   「言當(1)」の国訓「とても」の誕生

「迚、言當(1) 言中理也」とあり、「中理」とは「理にあたる」と訓み、「理」とは「道理」なので、「理にあたる」とは「「道理にかなう」こと。言う事が道理にかなっているというのがこの注の意

「それか、これか」と考えた挙げ句、「これしかない」と決まったものは、決意であったり、諦めであったり、不可能という結論であったり、肯定否定どちらでもあり得る。この「これしかない」という言葉こそ正に「とても」の意味する所なのだ

漢詩を作る時に用いられた「韻書」に「言當(1) 言中理也」とあるのを見て、「とても」の漢字表記を求めていた人たちがこの字こそと思ったに違いない

 

5.   「迚」の誕生

こうして、「言當(1)」の国訓として「とても」が生まれたが、「言當(1)」を「とても」と訓んだのは「言當(1)」が「言が道理にかなっている」といみだからで、「言當(1)」の旁である「當」は「あたる」の訓みの字であり、「あたる」とは「道理にかなう」こと

であれば、「中」も「あたる」という意味の字であり、「中」を意符として他の適切な字と組み合わせれば「とても」の表記字を作れるはずだとして、人間の行動を表す字としてありふれた「道を行く」を使ってみようということになったに違いない

「言當(1)」「擋」「襠」はすべて『康煕字典』に載っているが、みな「とても」と関係のない義の字なので、この3字を「とても」と訓むのは国訓

 

6.   「辶當(1)」と「言中(1)」、「襠」

「迚」と「言當(1)」は「これしかない」ということを意味する字だから「とても」の表記字となったが、「これしかない」を意味するわけは、「中」と「當」がどちらも「道理にかなう」意味の「あたる」の表記字だから。であれば「中」と「當」を入れ替えて「辶當(1)」と「言中(1)」という字を作っても同じような意味を持つ字だと認められそうだが、その例はない

ところが、中世の日本に「辶當(1)」があり、「さても」と仮名がふられている。同じ本で「迚」「言當(1)」も見られ、いずれも「とても」と訓んでいる

「さても」は「さて」を強調する言葉、「そういうことで、そのままで」の意味を持つ副詞だが、同時に、「それはそうと、ところで」と話題を転換する言葉でもあるが、1冊以外に節用集に見つからないところから、どの程度使用されたのか疑問

「とても」と「さても」が選択と結論、それの確認と前進(又は場面の転換)という一連の流れを示すものならば、わざわざ同じ意味の「中」と「當」を入れ替えずに、「迚」を「さても」と訓んでもよさそうだが、それも実例が1つだけあった。同じ本の中で「迚」を「とても」と「さても」の2通りの訓みをしている。一方で、「言中(1)」の例は見当たらない

「襠」については、節用集に「とても」の書き込みがあることから、「とても」のひょうきじにしようとかんがえたひとがいたことがすいそくされ、なり得る字であることは前述の通りだが、現在は異なる意味の字として用いられている

衣服や袋物などの布の幅の不足した部分に別に補い添える布=「まち」のこと。別の布を「あてて縫う」ことから、「衣」と「當」の意味を合成した訓みで、国訓。「迚」と訓もうとしたときは「衣」を「着る」の意味に、「當」を「あたる」「かなう」の意味で使うものだったが、「まち」と訓むときは「衣」を「布」の意味に、「當」を「あてる」「あてがう」の意味に使っている

漢字を2つの字に分解し、その各々の字がそれぞれ複数の意味を持つ場合、相互に意味を組み合わせれば、お互いに関係のない複数の意味を作ることができる。その意味を訓みとして与えることにして元の字を復元すれば、お互いに関係のない複数の訓み=国訓を持たせることができる。国訓の面白いところである

 

終章 むすび

「とてもじゃないが」は「とても」を強調する言葉だが、ここの「とても」の用途は否定形を作る場合に限られる。「とても生意気な発言で容認できない」の「とても」は、「生意気」にも「容認できない」にもかかりうるが、「とてもじゃない」と言い換えると、「容認できない」にしかかからない。そして、「他に形容する言葉はない」と、切って捨てるニュアンスを生んで、「とうてい」という気持ちを強調する

「とてもじゃないが」は、必ず否定形と結びついて、諦め、自嘲、投げやり、呆れなどのニュアンスを籠めて気持ちを強調できるので多用される

「せわしない」「はしたない」の「ない」は、意味を強める形容詞を作る接尾語だが、「とてもじゃないが」の「ない」は形容詞であって否定語

否定しながら逆に強調するのは、「とても」では弱すぎる時に、「とても」じゃない、それ以上に強調する語を探したが見当たらないので、「とてもじゃない」といったん否定したが否定しきれなくなり、もとの「とても」に戻ろうとして、「とても」以外には適当な言葉がないと示唆することによって「とても」の意味を強める。同時にそれを示唆するだけで明言せず、「・・・・ないが」と不完全な形に止め、「あとは言わなくても分かっているだろう」という気持ちを示すことによって諦め、自嘲、呆れなどの感情を滲ませている

国字を見て、その由来に首を傾げさせるところが、国字の持つ魅力の1

 

あとがき

「しんにょうがついている国字」を調べようと思い立った時、対象としたのは、一般に使われている字で固有名詞を除いたもの。『国字の字典』で見出し字がゴチック体であるものから「逧」を除いたもので、「辷」「込」「遖」「迚」の4

その最後となったのが「迚」。93歳で予期せず老人ホームに入り、机も書棚もパソコンもない、辞書も資料もほとんどない、狭い個室のベッドサイドのテーブルで書いている。原稿用紙を汚し、杖をひいて図書館を訪れることは、智力体力の衰えだけでなく、生活環境からも容易ではなくなってしまった。とてもじゃないがこれ以上できない、以上、獲麟の弁

これからどうするかはおいおい考えるとして、取り敢えず何十年も前のカセットテープで圓生の子別れでも聴こう。それとも虎造の石松代参にしようか

 

 

 

 

 

 

セブンネット

「とても」から紐解く、日本語の奥深さ。否定も肯定も表す不思議な副詞「とても」。その漢字表記「迚」に込められたのは、日本人の豊かな表現力と知恵だった。国字誕生の歴史を辿り、言葉の本質に迫る知的冒険の書。

 

 

Wikipedia

国字(こくじ)は、中国以外の国で作られた、独自の漢字体の文字である。

広義では方言文字・職域文字・個人文字や仮名合字も含む。学者によって定義・解釈が異なり、調査が不十分であるなどの理由から、国字とされる文字にも疑義がある場合が多く、逆に文献・文書の調査が不十分なため漏れた文字も多い。

l  日本の国字

和字・倭字・皇朝造字・和製漢字などとも呼ばれる。会意に倣って作られることが多い。峠(とうげ)・榊(さかき)・畑/畠(はたけ)・辻(つじ)など古く作られたものと、西洋文明の影響で近代に作られた膵(スイ)・腺(セン)・腟 (チツ、本来はシツ)・瓩(キログラム)・粁(キロメートル)・竓(ミリリットル)などがある。主にのみであるが、働(はたらく・ドウ)のようにがあるものもあり、鋲(ビョウ)・鱇(コウ)など音のみのものもある。「錻」には「錻力」と表記したときの音読み「ブ」と、「錻」一字で表記することで音読みから派生した訓読み「ぶりき」がある。また、匂(匀+ヒ)の様に構成要素に片仮名が使われる事も有る。

中国などに同じ字体の字があることを知らずに作ったと考えられる文字〔「俥(くるま・じんりきしゃ)」・「閖(ゆり・しなたりくぼ)」・「鯏(あさり)」・「鞄(かばん)」など〕や、漢字に新たな意味を追加したもの〔「森(もり)」・「椿(つばき)」・「沖(おき)」など〕は、国字とは呼ばず、その訓に着目して国訓(こっくん)と呼ばれる。中国などで意味が失われているもの〔「雫(しずく)」など〕は、中国などで失われた意味が日本に残った可能性も否定できず、国訓ともいえない。国訓のある文字に着目して、国訓字と呼ばれることもあるが、一般的ではない。

日本で作られた国字の輸出現象も見られる(「鱈(たら)」など)。また、姓の「畑(はた)」は中国でも日本人の姓を表記するために用いられて、『新華字典』などの字書にも収録されているが、つくり(音符)の「田」の中国語音(tián)で読まれている。

〔「鰮(いわし)」・「鱚(きす)」など〕のように、中国にもともと同じ字体の字があり、日本で使われる意味を加えて使っている字もあるが、これらには、現在は使われなくとも、別に漢字本来の意味があるため、国字とは言えない。

国字かどうかの判断は難しく、「」は中国で古くから「銭」の異体字として使われていた字であるために国字ではないが、辞典類ではしばしば国字とされる。

l  朝鮮半島の国字

朝鮮半島でも独自の漢字が作られている。日本の国字と異なり、主に形声に倣って作られている。朝鮮国字の場合、構成要素に漢字の他、ハングルが使われる(ただしハングルそのものは構成要素が漢字とは共通しないので国字とは言えない)。日本同様に漢字に意味を追加したものを朝鮮では国義字といい、音を追加したものを国音字と呼ぶ[要出典]

l  ベトナムの国字

ベトナム語を表記するために作られた漢字。しかし最近では字体の統一性がないなどの理由から、ラテン文字に立場を取って変わられている。

l  その他の地域

女真文字契丹文字漢字に倣って作られたが、その民族の国家が滅亡して長期間が経過したためか、国字とは呼ばれない。壮族の作った古壮字も漢字に倣ったものであるが、中国の一少数民族であるためか、国字とは呼ばれない。西夏文字も構成方法は漢字を踏襲しているが、部品が漢字とは共通しないので、国字とは言えない。

 

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