アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? Katrine Marçal 2024.12.17.
2024.12.17. アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話
Who
Cooked Adam Smith’s Dinner? A Story about Women and Economics 2012
著者
Katrine Marçal(マルサル) スウェーデン出身、英国を拠点に活動するジャーナリスト。スウェーデンの大手新聞紙記者。政治、経済、フェミニズム等の記事を大手メディアに寄稿するほか、ミシェル・オバマへの単独インタビューを担当。スウェーデンのニュース・チャンネルで経済界重鎮へのインタビューを手掛ける。2015年BBCの選ぶ「今年の女性100人」に選出。初の著書『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』は世界20カ国で翻訳、ガーディアン紙のブック・オブ・ザ・イヤー(2015年)に選出。日本でも話題に。
高橋 璃子(リコ) 翻訳家。京都大学卒業、ラインワール応用科学大学修士課程修了(MSc)。訳書にゴドシー『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』、マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』、ノーデル『無意識のバイアスを克服する』、バークマン『限りある時間の使い方』、マキューン『エッセンシャル思考』など多数
発行日 2021.11.20. 初版印刷 11.30. 初版発行
発行所 河出書房新社
プロローグ 経済と女性の話をしよう
フェミニズムは常に、経済を語って来た。今もお金を巡って進行している
リーマン・ショックの経済危機をほぼ無傷で乗り切った数少ない投資銀行の1つ、アイスランドのオイズル・キャピタルは、女性だけで経営されている。テストステロン値の高い男性ほどリスクを取りたがる傾向が強いという研究成果もある
女性はいつだって働いていた。変わったのは仕事の種類で、家の仕事をする代わりに、労働市場に出ていって労働の対価を受け取り始めた
第1章
アダム・スミスの食事を作ったのは誰か
食事をどうやって手に入れるか? これは経済学の根本的な問題
利己心が世界を動かすのだと、初期の経済学者は確信。経済学の第1原理は、各人が自己利益のみに基づいて行動すること。ある状況から利益を得るために、人はどう行動するか、それが経済学の核心で、利己的に動けば全体がうまくいく。「見えざる手」がうまく調整してくれる
ニュートンは、現代科学の基礎を打ち立て、私たちの世界観を書き換えた
人の社会において、万有引力と同じ働きをする力は利己心
アダム・スミスの最大の功績は、生まれたばかりの経済学に物理学の世界観を当てはめたことにある。ロジカルで合理的で予測可能というのが当時の物理学だった
アダム・スミスは生涯独身で、ほとんど母親と一緒に暮らし、母親が家のことをやり、いとこが金のやりくりをした
経済学が語る市場というものは、常にもう1つの、あまり語られない経済の上に成り立ってきた。家事労働は、「生産活動」には当たらない。GDPにカウントされず、経済から無視される
ボーヴォワールが女性を「第2の性」といったように、世の中には「第2の経済」がある
誰のおかげで飯が食えるのか? アダム・スミスが答えを見つけたのは、経済の半分の面でしかない。商売人が利益を求めて取引したためだけではない。女性が伝統的に担わされてきた社会的役割が経済を支えているという言い方もできる
第2章
ロビンソン・クルーソーはなぜ経済学のヒーローなのか
第3章
女性はどうして男性より収入が低いのか
女性に関していえば、利己的な行動はタブー。女性の役割は、自分の利益のためではなく、誰かのために世話をすることで、女性が自己主張するのを社会は決して許さない
英語で経済を意味するeconomyはギリシャ語で家を意味するoikosから来ているが、経済学者は家のことを無視してきた。女性の自己犠牲は私的な領域で経済には無関係とされた
1950年代になるとシカゴ学派は、女性の活動も含めて、人のあらゆる活動は経済モデルで分析できると主張し始める。シカゴ学派といえば、政府の市場介入を批判する新自由主義の牙城で、世の中は合理的に出来ていて市場は常に正しいという。女性は非生産的だから賃金が低いというのが彼らの結論。人種差別も合理的な判断の所産だとして、市場に任せておけば自然に淘汰されたり分化が進むとしたが、人種差別も女性差別もなくならなかった
経済学の描く個人は、体を持たない理性であり、そのため性別がない。だが同時に、その個人のあらゆる性質は、伝統的に男性のものと見做されてきた性質に一致する。合理的で、冷淡で、客観的で、競争を好み、非社交的で、独立心が強く、利己的で、理性のままに行動する
シカゴ学派は女性を「発見」し、あたかも男性と同じであるかのように経済モデルに組み込んだが、そう簡単なことではなかった。女性的な世界を視界から排除したおかげで、世の中すべて経済なのだと主張できた
第4章
経済成長の果実はどこに消えたのか
ケインズは、20世紀の経済問題を解決する鍵は「経済成長」にあり、、資産を正しく投資すれば、その価値は時間とともに値上がりし、利子が積み重なって、1世紀もたてば貧困のない世界が実現するとした。その通り世界の経済は予想を遥かに超えて成長し、私たちは豊かになったが、ケインズの描いた経済成長後の穏やかで幸福のユリの花が咲き乱れる世界は実現していない
実際、経済人は成長をもたらしてくれたが、経済が成長しても、経済人は手を引こうとしないばかりか、益々力を強め、世界を牛耳った。物質的な成長とは裏腹に、現実の経済問題は解決からは程遠いところにある
貧困問題は女性問題であると言ってもいい。世界の貧困の7割が女性に押しつけられている
1991年、当時世銀のチーフ・エコノミストだったローレン・サマーズは、「環境汚染型産業の最貧国への移転を世銀は推進すべきだ」と明言。論理的には正しいが、経済合理性の話は常に、無人島に流れ着いた2人の個人という前提を暗黙のうちに含んでいる
第5章
私たちは競争する自由が欲しかったのか
女性たちは男性を求める代わりに、男性の持っているものを求め始めた。それは確かに進歩かもしれないが、話の中心にあるのは依然として、男性
2010年、OECD加盟国では大卒の過半が女性になり、職場の女性の数も男性を追い抜く勢いで増え、「女性の勝利!」と英エコノミスト誌は謳ったが、フルタイムのキャリアはフルタイムの家事労働がなければ回らない。フルタイムの家事担当を雇えるのは一握りでしかない
労働市場は今でも、体を持たず性差もない。孤独な利益追求型の個人を前提にしている。女性が働こうと思うなら、自らそのような人間になるか、あるいは逆に自己犠牲を前面に押し出して等式のバランスをとるしかない。そして多くの場合、決定権は本人ではなく周囲にある
男性が自分の雇った家政婦と結婚すればGDPが減り、自分の母親を老人ホームに入れればGDPが増加する。同じ種類の労働でも、場合によりGDPに含まれたり含まれなかったりする
無償労働の価値は、GDPの30~40%と推計される
女性は今でも、経済人の世界への平等なアクセスを求めて戦っている。男性は仕事だけしていればいいのに、女性が同じことをするとダメな女といわれ、子どもを宿した時からそれまでのやり方は通用しなくなる
フェミニズムとは、女性がパイの分け前にあずかろうということではなく、全く新しいパイを焼くための運動だが、社会がやろうとしてきたのは、せいぜい女性を加えてかき混ぜること
第6章
ウォール街はいつからカジノになったのか
1944年発表されたゲーム理論は、全ての経済行動を2者間の利害が対立するゼロサム・ゲームとして説明。戦争や紛争すらも合理的な計算の上に実行されるといい、戦争のコストが上がれば、もっと低コストの解決策が見つかるはずだというが、効率的市場仮説は失速
第7章
金融市場は何を悪魔に差しだしたのか
技術の変化はいつでも、市場を大きく転換させてきた。お金はどんどん抽象的になり、多くの人が一攫千金を狙い始めた。豊かになれる可能性は大きく膨らみ、リスクも大きく膨らんだ。最も危険なのは、何のためのお金なのかを忘れてしまうこと
第8章
経済人とはいったい誰だったのか
1950年代以降、経済理論の前提となった経済人とは誰なのか、問い続けて来た
人は利益の最大化よりも、リスクの回避を好む傾向があり、現状維持を良しとする傾向があるとし、利他的にも行動し得ると言い出した。集団的行動や人の感情的要素が見直される
第9章
金の卵を産むガチョウを殺すのは誰か
市場は元々、人の住むエリアの周辺や、村と村の中間地点に生れたが、経済人が世界を席巻し、市場の生き物のような動きが人を支配するようになり、人々の生活が変わった
金の卵を産むガチョウを殺しても金が出てこないように、経済的要因が人を動かすと信じて経済的インセンティブを設定すれば、その経済的要因が他の動機を全て押し潰すことになりかねない。良心も感情も文化的要因も全部壊してしまい、失った後でそれが経済の営みを支える大事なものだったと気づくのだ
第10章
ナイチンゲールはなぜお金の問題を語ったか
どんな社会にも、他者をケアする仕組みは必要だが、経済学は愛を無視し社会から隔離し、社会の富とは関係ないとして、思い遣りや共感やケアは分析の対象から外された
白衣の天使とイメージされるナイチンゲールは、手厳しい批評家で、経済に物申す人だった。統計学を武器に看護に対する考え方を変革。看護が神聖な仕事だとしてもお金を受け取っていけないわけがない。善い行いと金銭的な豊かさが両立しうると繰り返し主張
お金のためか善意のためかという二者択一は、私たちのジェンダー感と密接に繋がる。男性が利益のために働き、女性がそれを補完する、というイメージは私達の心に染みついている
お金とモチベ―ションの関係は複雑
第11章
格差社会はどのように仕組まれてきたか
1978年鄧小平が経済自由化に着手、中国は20年で資本主義の風雲児となるが、同時に様々な社会問題も噴出
その頃西欧社会ではインフレの進む経済の立て直しのために新自由主義が始まり、行政の関与を最小限とし、市場の自由化を促進した結果、格差が拡大し、生産性の伸びも低調
第12章
「自分への投資」は人間を何に変えるのか
ドバイは、フリードマンの新自由主義を実践、長年にわたって高い経済成長率を維持、自由経済のユートピアとして君臨。規制はなく経済は活発。下層社会は見えないところに隔離
自由放任主義は、アダム・スミスの「見えざる手」を最も忠実に受け継ぐ経済理論だが、新自由主義は政治を市場に従属させようとする立場で、政治を使って競争と合理性という社会規範を広め、経済を特定の方向へ導いていく
古典的自由主義において、人は市民としての側面と経済主体としての側面を持っていたが、新自由主義では、そういう区別はなく、人と人との関係はすべて経済でしかない。マルクスは資本主義について、労働者の知識やスキルや人間性を徐々に機械化するプロセスだと言っている。他人の言われるままに他人の物を作っているうちに、労働者は機械の歯車に近づく
人の教育やスキルや能力は一種の「人的資本」だとスミスは言う。新自由主義では、人的資本という概念が人々の世界観を変えた。自分自身が企業になり、古典経済学でいう互いに取引する個人は存在せず、あるのは自分への投資だけ。投資がその人の市場価格を左右する
新自由主義の世界において、私たちはみな平等になった。人間であることの意味を根本的に書き換えた
第13章
個人主義は何を私たちの体から奪ったか
1965年スウェーデンの写真家が電子顕微鏡を使って子宮の中の胎児の撮影に成功。ライフ誌に掲載され、何者にも縛られない個人のイメージに合致したのか、爆発的に売れた
「みんな同じ人間だ」というとき、階級やジェンダーや人種や年齢や経歴を超えた共通のものを前提にしている。ものごとを単純化し過ぎると、大事なことを見落としてしまう
人は元々、他者への依存の中に生れついている。そこからあえて自分のアイデンティティを見出し、自分の空間を広げていくのが自立という仕事で、他者に取り囲まれ、関係性の中に編み込まれながら、人は自分自身を見つけ出す
経済人が現実的でないのは明らかだが、人はそれでも経済人にしがみつこうとする。でもそうやって現実から目をそらしてきた結果、私たちは一体何を得たというのだろう?
第14章
経済人はなぜ「女らしさ」に依存するのか
男らしさや女らしさは、現実よりもむしろ社会の期待を反映したもの。私たちはみんな社会の期待に合わせて行動する。男性の身体に合わせて作られた世界に、女性は自分を合わせなくてはならない。でもあまり男性っぽくなり過ぎると、それはそれで叩かれる
経済学は合理的で、貪欲で、利己的な個人を前提としている。いずれも伝統的に男性に結び付けられてきた性質であり、それらを普遍的な人間の性質だと思い込むが、同時に、経済学はいつでもケアや配慮や依存を引き受ける誰かを必要としている
第15章
経済の神話にどうして女性が出てこないのか
通常の経済学は、経済とジェンダーは無関係だと考えるが、女性が社会規範や文化によって様々な制約を受ける社会で、ジェンダーが問題でないわけがない
男性優位社会の問題の1つは、経済の測定が偏ったものになること
第16章
私たちはどうすれば苦しみから解放されるのか
人々の暮らしをよくするために経済を発展させるというのはわかる。だが、社会全体を利益と競争に従属させるのは話が別
人間関係を競争と利害と売買と勝ち負けだけで見るのではなく、人が人であるための基盤として人間関係を捉え直そう。みんなを同じ思考の型にはめこむのはやめて違いを認めよう
エピローグ 経済人にさよならを言おう
アダム・スミスの母親はマーガレット・ダグラス。いとこのジャネット・ダグラスと共にアダム・スミスを支えたが、母親たちを視界から消した結果、アダム・スミスの思想から何か大事なものが抜け落ちてしまったのではないか。欠けていたパズルのピースは、マーガレットにある
経済への影響力こそ、フェミニズムの秘密兵器。経済格差から人口問題、環境問題、高齢化社会における介護労働者の不足まで、あらゆる問題にフェミニズムが深く関っている。単なる「女性の権利」の問題ではなく、経済人に別れを告げて、もっと多様な人間のあり方を受け入れられる社会と経済を作っていくことが求められる
訳者あとがき
l 金融危機とコロナ危機
本書が書かれたのは、2008年金融危機の数年後。金融中心の資本主義を根本的に問い直そう、という機運が広がったが、結局大きくは変わらなかった
今、再びコロナで経済は大きなダメージを受けた。とりわけ目立つのは、ジェンダーを始めとする社会的な立ち位置による格差。就業者数は減ったが、女性の減少は男性の2倍。リモートワークがしにくい職種には女性が多く、厳しい環境で働くことを強いられている。女性に深刻な影響が及んでいる状況は「女性不況」とも呼ばれる
何かがおかしい。本書はそんな疑問に答えるための、有力な手掛かりを与えてくれる
l 北欧にもジェンダー格差はある
国連発表のジェンダー不平等紙数GIIで、スウェーデンは世界3位だが、それでも男女平等が実現しているとは言い難い。それは何なのか。経済の仕組みに何か問題があるのではないか、というのが本書の着眼点
l なぜ女性は生きづらいのか
女性の悩みの中心には、性別役割分担の意識があるのは北欧でも変わらない
男性によって男性のために作られた枠組みの中に女性を放り込んでも、女性の負担が増えるだけ。もんだいは、私たちの働き方や考え方が、「経済人(ホモ・エコノミクス)」という誤った前提の上に立っていることではないか。この幻想に立ち向かわない限り、状況は変わらない、と著者はいう。経済学の考え方が、女性を全力で排除してきた経緯を明らかにする
l 経済学を定義しなおす
男性中心の経済学に対抗する立場として1990年代に登場したのがフェミニスト経済学
第1に、ジェンダー平等を考慮する経済学。女性の置かれた立場を分析する
第2に、市場経済の外にあるものを含めて、社会全体がどう維持・運営されているかを考える。女性の家庭内労働は、経済の世界から排除され、価値のないものとされてきた。そして伝統的に女性の労働であったケア労働は、賃金の安い、不安定な仕事になっている
フェミニズムは、単なる「女性の権利」の問題ではなく、社会全体の問題。みんながどんな世界に生きるのかを考えること
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(天声人語)アダム・スミスと家事
2024年12月2日 5時00分
牛を飼ってもいないし、ブドウを作ってもいない。なのに私たちがステーキやワインにありつけるのは、肉屋や酒屋の善意のおかげではなく、それぞれが利益を追求した結果だ。「見えざる手」を説いた経済学の父、アダム・スミスの有名な思想である▼はて、本当にそれだけか。生涯独身だった彼がステーキにありつけたのは、台所にいた母親のおかげでもあるはずだ。「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」という本で、北欧出身のジャーナリスト、カトリーン・マルサル氏が疑問を投げかけている。経済学は、家事や育児を軽視してきたのではないか、という問いだ▼料理をしても、食器を洗っても、子どもを寝かしつけても、国内総生産(GDP)には反映されない。介護や保育など、かつては家の中だけにあった仕事の賃金も低いままだ▼言うまでもなく、家事や育児を担ってきたのは圧倒的に女性である。その価値や負担と向き合わないまま、さあ外で自由に働きましょうと追加発注しているのが、いまの状況ではないか▼芥川龍之介の短編に「メンスラ・ゾイリ」という不思議な器械が出てくる。小説をのせると、その価値を測れるという。自身の作品を酷評された物書きは、ばかばかしくなって言う。「しかし、その測定器の評価が、確かだと云(い)う事は、どうしてきめるのです」▼使い古したものさしが、本当に正しいのか。実は世の中の半分しか測れていないとすれば、その上に立つ社会は当然ぐらぐらになる。
河出書房新社 ホームページ
アダム・スミスが研究に勤しむ間、身の周りの世話をしたのは誰!? 女性不在で欠陥だらけの経済神話を終わらせ、新たな社会を志向する21世紀の経済本。20カ国で翻訳、アトウッド絶賛。
アダム・スミスが研究に勤しむ間、身の周りの世話をしたのは誰!? 女性不在で欠陥だらけの経済神話を終わらせ、新たな社会を志向する、スウェーデン発、21世紀の経済本。
格差、環境問題、少子化―現代社会の諸問題を解決する糸口は、経済学そのものを問い直すことにあった。
20カ国語で翻訳、アトウッド、クリアド=ペレス称賛。ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ等各紙誌絶賛。
★各紙誌で大絶賛!★
知的で痛快、スラスラ読める経済とお金と女性の本――
マーガレット・アトウッド(作家、ドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』原作者。Twitterより)
経済学にまったく新しい光を当てる。挑戦的で、目がひらかれる一冊――
ウィル・ハットン(オックスフォード大学ハートフォードカレッジ学長)
古典派経済学とその現代版の欠陥を明らかにし、市場という祭壇に人類の目的すべてを従わせようとする宗教的熱意のありさまを暴きだす。ウィットと怒りを織り交ぜ、経済人がいかに作られてきたかを描く、パワフルでおもしろい物語――プロスペクト誌
仕事とは、生産性とは、価値とは。これまでの考え方に挑む本格的な考察――バフラー誌
アダム・スミス、ケインズ、フロイト、シカゴ学派、ローレンス・サマーズらの間を縦横無尽に駆けめぐる。思慮深くも軽快な語り口で著者が指摘するのは、経済学の真ん中にぽっかり開いた、利己心や市場でカバーできない大きな穴だ。本書はある意味でベティ・フリーダン『新しい女性の創造』にも匹敵するほど画期的な一冊と言えるだろう――ボストン・グローブ紙
「食事をどうやって手に入れるか?」この経済学の古典的問題に、スウェーデンのジャーナリストが独自の切り口で挑む。資本主義というシステムの誕生にまで遡り、経済人という概念がもはや世の中に合わないのではないかと分析。ユーモアを交えた読みやすい筆致で、経済とジェンダーの交わりをしっかりと考察する。答えを提示するよりも、問うことを促してくれる――ライブラリー・ジャーナル誌
切れ味鋭い文体、豊富な実例とポップカルチャーへの言及。経済学なのにとっつきやすく、非常にリーダブル。重要な一冊だ――ポップ・マターズ誌
Aii Review
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』(河出書房新社)
2024/03/06
経済格差の広がりを止められない理由
ボーヴォワールの『第二の性』に、「人間とは男のことであり、<中略>つまり女は“他者”なのだ」という有名な一節がある。男性が基準(デフォルト)であり、女性は逸脱した変異型だという古来の考え方だ。
アダム・スミスの経済理論「見えざる手」の届かないところに、見えない性がある、とカトリーン・マルサルは言う。見えない性とは「女性」。ホモ・エコノミクス(経済人)理論のモデルは女性の存在を無視して作られてきたという意味だ。女性権利活動家のクリアド=ペレスは『存在しない女たち』で、雪かき作業から病気の診断まで、社会のあらゆる機構が女性の心身を度外視して設計されていることを論証したが、経済学もその例に漏れなかったようだ。
アダム・スミス曰(いわ)く、「我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである」。人間の愛や親切はあてにならないが、人は常に利を求めて動き競いあう。自由市場こそが効率的な経済の鍵であり、人びとの利己心があればこそ、ステーキが食卓に上る。経済学は「愛の節約」を研究する学問なのだ――果たしてそうだろうか? 「ちなみにそのステーキ、誰が焼いたんですか?」と、マルサルは問う。
独身者の母が日々世話をしたのだ。無償で。愛ゆえに(かどうかはわからない)。第二の性が支えてきた「第二の経済」があるのに、それを経済学は丸々視界から排除してきた。1950年代のシカゴ学派のように、女性のケア労働なども経済モデルで分析しようとした人たちもいるが、それは新自由主義の牙城の学者たちが「自説を確認しただけ」で、「答えは最初から決まっていた」という。
economyの語源のoikosは「家」に由来するのに、家事や家族の面倒を考慮しなかったのはなぜか。一つには、ケア労働が他者への献身であり(看護師業は元々修道女の仕事だった)、「高潔で尊いもの」だからお金には換算できないという理屈がある。だが、ケア=愛は女性から無尽蔵に湧いてくる「天然資源」ではない。ナイチンゲールが看護の偉業を成し遂げたのは、資金があったからだ。
もう一つには、自律と自由を重んじる近代以降の「個人像」の影響もあるだろう。マルサルのいう「自分の生き方は自分で決め、他人のやり方には口を出さない」「孤立した」経済人というのは、政治哲学者のチャールズ・テイラーがbufferedself(緩衝化され隔絶した自己)と表現した近代人像と重なる所がないだろうか。三つ目に、突き詰めれば、ケア労働が人の「肉体」に関わることだからではないのか?
人類は昔から精神を上位に、身体をより下位に置いてきた。本書によれば、男性は知性が司る生き物=「精神の体現者」である一方、女性は身体に「引きずられ」るので劣った存在=「身体の体現者」という見方がある。
いまの世界が抱える貧困問題の多くは、女性問題だ。マルサルは「自由という言葉は、使い方しだいでどこまでも残酷になる」と述べ、「弱さを受け入れよう。私たちの共通点はいつも身体から始まる」と主張する。経済格差が広がるのを止められない理由を知りたいなら、アダム・スミスの夕食について知るべし。
書店で身近にフェミニズム 情報発信し「世界変える」
2022年3月19日 2:00 [会員限定記事] 日本経済新聞デジタル 『活字の海で』
エトセトラブックス(東京都世田谷区)は、同名のフェミニズム専門出版社が立ち上げた
フェミニズムを意識した東京の書店がファンをつかんでいる。独自の選本や取り組みで、思想を身近に体感できる工夫をこらす。
新代田駅近くのエトセトラブックス(世田谷区)に入ると、棚にぎっしり貼られたカラフルなふせんが目に飛び込んできた。「それでも絶対幸せをあきらめない」「みんなで考える」。さまざまな筆跡の言葉は来店者が記したものだ。昨年「幸せそうな女性を殺したかった」と話す男性が電車で女性を切りつけた事件の後、このスペースを設けた。「いてもたってもいられなくなって来た人も少なくないのでは」と寺島さやか店長は振り返る。
「フェミニストのための本屋」を標榜し、同名のフェミニズム専門出版社が昨年立ち上げた。絵本から学術書まで3000点弱が並ぶ。古書も新刊も扱うため、過去から現在までの豊かな広がりを一望できる。専門書以外でもエッセンスの詰まった本は多く、特に売れているのは性暴力に屈しない中学生を描く漫画『卒業式』(榛野なな恵著、集英社)。ロシアによるウクライナ侵攻後は、戦争と女性について考察したヴァージニア・ウルフの『三ギニー』(平凡社)を手にとる人が増えた。
30~40代の女性客が中心だが、「ヤングフェミニスト割引」を始めると若者も一気に増えた。有志の客の寄付額に応じた割引券が壁に貼られ、10代と学生が使える仕組みだ。「韓国のフェミニズム書店は窓が割られることもあると聞いたので、立地は安全性を考慮した」との店長の言葉からは、思想を打ち出した店を構えることへの覚悟がうかがえる。
マルジナリア書店(府中市)は、小林えみ店長が「多様性やジェンダーイクオリティに配慮した」という選書にファンがつく。ビジネス書は家事労働の価値に光をあてるカトリーン・マルサル著『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(河出書房新社)など、女性に関わるものが多い。法律や宗教などあらゆるジャンルで女性著者を集めた。
マルジナリア書店(東京都府中市)は窓際にカフェスペースもある
小ぶりな店だがカフェスペースを設け、通路はベビーカーが通れる幅にした。店頭にない本の注文が多いのは書店を応援する気持ちの表れだろう。男性客も3割ほどを占める。選本や雰囲気が「安心できる」との声も多い。
両店ともフェアや著者イベントなどにも積極的に取り組む。「まず私たちが行動することで世の中を変えたい」と寺島さん。書店は情報発信の場所であり、同じ思いを持つ人が集まれる場所でもあるのだと実感させられる。(佐々木宇蘭)
Wikipedia
『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』は、2012年に作家・ジャーナリストのカトリーン・マルサル(英語版)がスウェーデンで発表した経済批評本である。マルサルは女性の社会貢献が歴史的に軽視、過小評価されてきたこと、そして経済学分野の理論において女性の代表性が欠如していることを論じた。
内容
マルサルの批評では、女性の役割(特に家庭内におけるもの)が長年の無視されてきたことに意義が唱えられている。彼女は経済学者たちが社会を支える複雑な家庭内活動をいかに一貫して無視してきたのかを暴いている。
経済学的思考
マルサルは、社会が経済学に年々執着するようになった歴史的経過に注目している。例を挙げるとマルサルは、ゲーリー・ベッカーの経済学的思考はあまりにも行き過ぎていたため、当初は経済学の分野ではタブー視されていたと指摘している。ベッカーが「経済の理論さえあれば世の中を理解できる」と論じていたからである。ベッカーの立場は次第に受け入れられ、彼はその後、ノーベル経済学賞を受賞した。
新自由主義
本書では、経済学の分野を形成する上で新自由主義思想が広く影響していることが強調されている。マルサルの批評の中心にあるのは、いわゆる「経済人」の概念であり、それは経済学において一般的であるが過度に単純化されたパラダイムである。彼女はケインズの「経済人」の用法は一過性の概念であり、それは「使えるバカ」であると指摘する。彼女はまた、ケインズが2030年までに我々は労働から解放され、「アートや詩作にふけり、心を浄め、哲学を語り、生きる喜びを味わい、『野に咲くユリ』を愛でることができる」と予想していたことにも言及し、そして実際に「私たち」はケインズの予測以上に豊かになったにもかかわらず、彼の予想する世界は実現に至っていないと指摘している。
社会と経済の関係についての現代的分析
マルサルは社会が「いつにもまして経済の虜」の状態に後退し、「バニラアイスクリームの効用も、人生の価値も」あらゆるものの価値を計算するために経済学が使われていると指摘している。マルサルはまた、人間は「合理的な個人」であるという考え方が経済学で一般的になり、さらに社会に大きく広まったことにより、社会問題が見えなくなっていることを指摘している。彼女は、「私たちがみんな合理的な個人であるなら、人種や階級やジェンダーの問題など考える必要はないだろう。なぜならみんな自由なのだから。そう、たとえばコンゴに住む女性が、缶詰3つを手に入れるために武装組織の男性と寝ることも。チリの女性が危険な農薬をたっぷり使った農園で働き、脳に障害のある子どもを産むことも。(中略)すべては合理的な意思決定だ」と例を挙げて論じている。
日本語版
2015年に出版された英訳版『Who cooked Adam Smith's dinner? A story about women and economics』を基に高橋璃子によって日本語訳され、2021年11月17日に河出書房新社より出版された。
これまでの経済で無視されてきた数々のアイデアの話 カトリーン・キラス=マルサル著
社会の革新妨げた女性排除
2023年11月4日 2:00 [会員限定記事] 日本経済新聞
女性の労働問題が専門である米ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン教授のノーベル経済学賞受賞が決まった。経済分野におけるジェンダーへの取り組みは遅れていると感じていたので、時代が変わり始めたのだと驚いた。
英題=MOTHER OF
INVENTION(山本真麻訳、河出書房新社・2310円) ▼著者はスウェーデンの新聞記者。政治、経済、フェミニズムなどの記事を執筆。
※書籍の価格は税込みで表記しています
本書は『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』という著書で一躍有名になったカトリーン・キラス=マルサルの新刊である。
相変わらずタイトルのインパクトは強烈だ。なにより、昨今流行(はや)りの「ジェンダード・イノベーション」について、具体的なエピソードを紹介しながら、かみ砕いて説明してくれている。
例えば、スーツケースにキャスターが付いて簡単に地面を転がして運べるようになるまでに5000年もの時間がかかった理由について、こう問いかけている。スーツケースに車輪を付ける名案をなぜ思いついたのか、ではない。なぜ1970年になるまで誰も思いつかなかったのだろうか?
この問いへの著者の回答は明確だ。「真の男ならかばんを抱えろ」という男らしさの神話、そして私たちに深く根付いているジェンダーに対する固定観念のせいで、私たちは革新的な発明にたどりつけなかったというのである。
さらに、人工知能(AI)が計算や検索といった合理的思考能力ばかりを発展させ、感情知能やケアに関わる能力を開発されてこなかった理由も、人間の能力とステレオタイプ化されたジェンダー観が紐(ひも)づけされている点にあると著者は主張する。
AIが模倣する人間の能力は男性性と結びつけられたものであり、女性性と関連付けられてきた社会関係の構築や他者の意識を読み取り配慮するといったケアに関わるスキルは、今日もっとも重要な人間の能力であるにもかかわらず、「能力」として認識されず、開発されてこなかった。
体系化された女性の排除は、個々の女性に影響を与えるだけでなく、革新的で生産的な方法で前進する社会の可能性をも損ない続けてきたのである。
本書の逸話は、私たちの社会が女性の視点と要望を無視してきたことで、どれだけのイノベーションのチャンスを取りこぼしてきたのか端的に示している。本書を手に取り、さまざまな業界の方に視野を広げてほしい。
《評》東京大学教授 田中 東子
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