死ぬということ 黒木登志夫 2024.12.4.
2024.12.4. 死ぬということ 医学的に、実務的に、文学的に
著者 黒木登志夫 1936年、東京生まれ。開成中・高から東北大学医学部卒業。専門はがん細胞、発がんのメカニズム。1961年から2001年にかけて、3ヵ国5つの研究所でがんの基礎研究をおこなう(東北大学加齢医学研究所、東京大学医科学研究所、ウィスコンシン大学、WHO国際がん研究機関、昭和大学)。英語で執筆した専門論文は300編以上。その後、日本癌学会会長(2000年)、岐阜大学学長(2001-08年)、日本学術振興会学術システム研究センター副所長(2008-12年)を経て、日本学術振興会学術システム研究センター顧問。2011年、生命科学全般に対する多大な貢献によって瑞宝重光章を受章。2021年に川崎市文化賞、2022年に神奈川県文化賞を受賞
発行日 2024.8.25. 発行
発行所 中央公論新社 (中公新書)
著者は野瀬君の元上司
2024.10.19. 野瀬君からのメール
賢人会の皆様
その後お変わりなくお過ごしのことと思います。
さて、私の昔の上司だった黒木先生が最近中公新書から「死ぬということ」という本を出版されました。縁起でもない題名と思われるかもしれませんが、添付した日経の書評でも好評のようですし、長生きするための注意点なども紹介されていて、役に立つ書物ではないかと思っています。これまで10冊以上の書籍を出しておられますが、今回が最後というので、著者割引で大量に購入して知人に配っています。12月の昼食会の折にお持ちしようと思っています。
帯
理想の死はピンピンコロリならぬピンピンごろり
老いること、病むこと、そして「死ぬということ」を、医学者が正確な知識と溢れるユーモアで語る
はじめに
医学の観点から書かれた死の本がほとんどないのに気づいたのが本書執筆の動機
本書の特徴
① 広い立場から冷静に、死について考えたこと。証拠に基づいて死を分析した本
② 健康で長生きするためにどうしたらよいかを書く
③ 「理想の死とは何か」という問いへの答え(12章)。その答えがこの本の基本
④ 短歌、俳句、詩を引用。文理融合の試み
⑤ 出来るだけ面白く。「死」が791回出る
本書における、常識に反する2つの主張
① 理想の死に方。ピンピンごろりの勧め
② 世界の常識へのチャレンジ。WHOは病死と事故死のみを死亡原因とする。老衰は寿命死
第1章
人はみな、老いて死んでいく
1 生まれるのは偶然、死ぬのは必然
生れるのは70兆分の1の確率。精子と卵子の減数分裂の際の染色体の組み合わせは無数
2 人はみな老いて死ぬ
老化の進行は、老化に対してプラス思考かマイナス思考かによって異なる
2023年の死亡原因:がん、心疾患、老衰、脳血管疾患、肺炎の順。世界では循環器病が1/3
3 もしも老化しなかったら、もし死ななかったら
18歳当時の死亡率(0.1%)が生涯続くと、半分の人は693歳まで生きる
4 老化と寿命のメカニズム
臓器ごとの老化の程度が血液検査で測定できる
1997年、黒尾誠(国立精神・神経センター、現自治医大教授)は老化抑制遺伝子クロトーの発見を発表
正常なヒト細胞は、10か月間におよそ50回の分裂を繰り返すので1000兆を超える。全身の細胞数は37兆。細胞ごとに寿命は異なるので、人間の寿命の測定は困難
第2章
世界最長寿国、日本
平均寿命とは、現在の状況下でゼロ歳児が何歳まで生きられるかを示したもの
1 長寿国日本
1840年以降の最長寿国の女性の平均寿命は、0.243の勾配で右肩上がりの直線になる
日本は女性86.9歳、男性81.5歳。65歳以上が29.8%という超高齢化社会(7%が基準)
人の寿命限界は117歳
2 日本人は絶滅危惧種
日本の出生数と志望者数は、2005年以降死亡者数が上回るので、このままでは1000年もたずに日本人は消滅。人口維持に必要な特殊出生率2.06(日本は2022年には1.26)達成のためには、フランスのように婚外子を認めること(90年代1.7台が30年で2.0台へ)
3 江戸時代の寿命とライフサイクル
女性の厄年は、妊娠・出産の危機の年に該当。医療の向上で日本では妊産婦死亡率は10万人当たり5人に減少したが、アメリカではまだ2500人以上が死亡
第3章
ピンピンと長生きする
1 健康を維持する
「健康寿命Health Expectancy」とは、平均寿命から、日常的・経常的な医療・介護に依存して生きる時間を差し引いた期間のこと(WHO基準)。60歳の健康余命は、男23.9、女28.6
(1)毎年1回は健康診断を受ける――病気は年齢とともに「べき乗則」に従って増える。死因となるどの病気もべき乗則指数は5前後なので、1歳で9%も罹患のリスクが上昇
(2)タバコをやめる――日本人の生活習慣のワーストは断トツで喫煙。次いで高血圧、運動不足、高血糖、食塩過剰摂取。喫煙は10年命を縮める。循環器疾患による死亡の原因
(3)酒は飲み過ぎない――イギリスでは150g/週までのアルコール摂取(日本酒1合)は安全というデータがあるが、安全量などないというデータもある
(4)メタボリック・シンドロームにご用心――日本ではBMI25以上が肥満とされ人口の2.8%だが、WHOでは30以上で日本の10倍はいる。痩せすぎ(BMI18.5以下)も死亡率は高く、小太り(同男23~27、女21~27)が一番低い。肥満・高血圧・高脂血症・糖尿が重なると循環器疾患になりやすく、4つの原因を一括してメタボと呼ぶが、日本での基準は、ウェスト85㎝(女90㎝)以上、血圧85~130㎜Hg以上、空腹時血糖110㎎以上、中性脂肪150㎎/dlまたはHDL40㎎/dl以下のうち2つ以上に該当。予防法は食事の改善と運動
(5)運動をする――日本は特に運動不足が目立ち、全死亡の16.1%の原因。60歳以上では6~8000歩/日(週2日)歩くと7年後の死亡率が低い、それ以上歩いても効果は増えない
2 サプリメントをとるべきか
健康の効果を謳うには、「特定保健用食品(トクホ)」か「機能性表示食品」でなければならないが、前者は効果を確認するデータを審査して承認を必要とするが、後者は都合のいいデータがあれば届け出のみなので、客観的効果のデータは不要。アベノミクスの負の遺産
第4章
半数以上の人が罹るがん
1 症例
歌人河野裕子と分子生物学者・歌人永田和宏が、妻のがん発症から死までの8年間の相聞歌
30歳で亡くなった医者。生れてくること見ることなくがんで死去する悲しみを詠む
私の親戚は、がんで夫人を亡くしたが、本人はオプジーボが劇的に効いて寛解
弟も膵臓がんから寛解。28年再発なく、膵臓がんの最長生存例
池江璃花子も、急性白血病から骨髄移植により寛解
自身も56歳で大腸がん発見、以後31年間に58個のポリープを摘出
2 がんのリスク
日本人が一生のうちにがんと診断されるリスク――男65.5%、女51.2%
がんで死亡するリスク――男26.2%、女17.7%
男に多いがんは、前立腺がん、大腸がん、胃がん、肺がん、肝がん
女では、乳がん、大腸がん、肺がん、胃がん、子宮がん
5年生存率――男62%、女66.9%
3 がんの受け止め方は大きく変わった
1960年代までは、がん告知は死刑宣告と同様に受け取られていた
現在との大きな違いの背景には、患者の同意を得て治療する「説明と同意」の考えの普及があり、1997年の医療法改正でも医師らの努力義務とされている
[コラム4-1] セカンド・オピニオン
診察ではないので、患者自身の参加は必須ではない
証拠に基づく医療かどうかが、判断の重要な根拠となる
4 がんを知る
がんの死亡率は年々上がっているが、それは年齢とともに増加する病気で、高齢者が多くなる分罹患者も増えるからで、年齢調整死亡率では漸減している。ただし、胃がん・子宮がんは減っているが、その他のがんは横ばい
進行ステージ――粘膜上皮のすぐ下の基底膜から出ているのがI期、漿膜を破ったのがII期、リンパ節転移がIII期、遠隔臓器に飛び火したのがIV期
五木寛之『文藝春秋』2023年新年号(末尾に原文)――日本人の死生観が大きく変わった
5 がんの診断と治療
がんに共通する自覚症状――①出血、②しこり、③違和感
がん治療の基本は、機械的(手術)、物理的(放射線)、化学的(制がん剤)にがん組織を取り除く
新しいがん治療――分子標的治療薬、オプジーボ、ゲノム解析、粒子線治療、外科的治療技術の進歩、鎮痛剤・鎮静剤による緩和治療
6 高齢者のがん
患者の余命を考慮した上で治療法を考える⇒静岡がんセンターのホームページ参照
第5章
突然死が恐ろしい循環器疾患
1 症例
塩分取り過ぎによる脳出血――宮川大助(07年、57歳で倒れたが回復し後遺症もなし)
若い頃から高血圧だったが、降圧剤を拒否。広範囲の脳梗塞で、右半身麻痺と言語障害
作家の宮本美智子も降圧剤を拒否して、講演中に倒れ、長い闘病生活ののち52歳で死去
自身62の時狭心症に。冠動脈にステントをいれたが、以後25年再発せず
グレース・ケリーは、モナコの別荘から王宮に戻る運転中に脳梗塞を起こし崖下に転落死
2 循環器病を知る
心疾患(60.9%、死亡原因2位)、脳血管疾患(29.3%、同4位)、大動脈疾患(5.4%)
突然発症し、突然死も多い
(1) 不整脈:期外収縮、心房細動、心室細動――シグナルの中継点が田原結節(房室結節)
期外収縮――世紀ではないところからくるシグナルによって脈が飛ぶ感じ。治療不要
心房細動――脈の感覚が不規則となり、強弱が乱れたりする。動悸・息苦しさなどを感じ、血流が澱んで心房内に血の塊ができ、脳に流れると心原性脳梗塞。アブレーション
心室細動――心室が空回りしポンプの機能を果たせなくなるので最も危険。AED
(2) 虚血性心疾患:狭心症と心筋梗塞――虚血(心臓に血液を送れない)から起こる心臓病
狭心症――冠動脈が細くなり一時的に心臓に酸素を送れなくなって起こる病気。ニトロ
労作性狭心症(一般的、心臓に負担がかかると発症)、攣縮性狭心症(就寝中など冠動脈が痙攣し心臓への血流が細る)、不安定狭心症(冠動脈の狭窄部位の不安定なプラーク(粥腫)が原因で起こる)
心筋梗塞――最も危険。冠動脈が完全に詰まり、心臓の筋肉に血流が途絶え心肺停止
(3) 脳卒中――「卒然として邪風に中(あた)る」の意。発作の後に障碍が残る
脳梗塞――原因は動脈硬化と血栓。一過性脳虚血発作は脳梗塞の前触れが多い
脳出血――脳内出血と脳外出血がある。くも膜下と硬膜下。最大のリスク要因は高血圧
3 循環器疾患は突然死が多い
時間との勝負。症状は、胸痛・背中の痛み・脈の異常・頭痛・神経異常
血管からカテーテルを入れて治療。ステントを狭窄部に入れ血管内を保護する
4 循環器疾患のリスク要因
典型的な生活習慣病。リスク要因となる生活習慣では喫煙・運動不足・塩分過剰摂取があり、基礎病態では高血圧・動脈硬化・糖尿病・メタボなどが循環器病の引き金となる
(1) 高血圧――比重13.6の水銀Hgを押し上げる圧力で測定。1896年から上腕で測定
正常血圧(最高100~120、最低80未満)、高値血圧(130~140、最低80~89)
降圧剤は、血管を広げるカルシウム拮抗剤など症状に合わせて服用
(2) 高脂血症(動脈硬化)――コレステロールは細胞膜の必須成分
LDL(悪玉コレステロール)――肝臓で作られたコレステロールを血流に運ぶ。120以下
HDL(善玉コレステロール)――血管内に溜ったコレステロールを肝臓に戻す。40以上
LDL/HDL比が動脈硬化のリスクを決めるファクターで、2以上は不可。1.5未満
中性脂肪――エネルギー源だが、多すぎると肥満、内臓脂肪になる。150以下
コレステロールを低下させるために、三共のスタチン系の薬品が有効
第6章
合併症が怖い糖尿病
1 症例
血管・神経・免疫など全身に及ぶ糖尿病の合併症は、1000年前から変わっていない
2 世界の10%が糖尿病
11月14日は「世界糖尿病デー」――1921年インスリンを発見したバンティングの誕生日
シンボルカラーはブルー。成人の10.5%が罹患。日本でも患者・予備軍各1000万人
3 糖尿病を知る
(1) インスリン製造細胞が死んでしまった1型糖尿病――ランゲルハンス島のベータ細胞というインスリンを作る細胞がダメージを受けることで発症。15歳未満に多い
(2) 2型糖尿病――全糖尿病の95%を占める。インスリンが血糖値を70~140にコントロールするが、126を超えると糖尿病と診断。110までは正常。赤血球のヘモグロビンに結合した糖を測りHbA1cが6.5以上なら糖尿病、6.0以下が正常。グルコースを飲んで2時間後の血糖値(糖負荷血糖値)が200以上なら糖尿病、140以下なら正常
いずれも、両数値の間は境界型糖尿病で予備軍
[コラム6-1] インスリンの発見
バンティングはインスリンの発見で1型糖尿病の少年を治した。23年ノーベル賞受賞、共同研究者のベストに賞金の半分を与え彼の貢献に感謝。後にノーベル賞委員会はベストにも賞を授与すべきだったと発表
4 糖尿病が恐ろしいのは合併症
全身の血管や神経がじわじわと傷めつけられる――足の壊疽、虚血性心疾患と脳梗塞、糖尿病腎症、糖尿病網膜症、がんのリスクも20%高い、認知症・歯周病も関連
5 糖尿病の経過
死因としての糖尿病は1%と低く、がんが38.3%と最多。10年程短命
[コラム6-2] 糖尿病という名前が嫌いな糖尿病専門家
江戸時代には「消渇(しょうかち)」。消耗し、喉が渇くの意。1907年から糖尿病
2023年、日本糖尿病学会/協会は、「ダイアベティス」に改名すると発表
第7章
受け入れざるを得ない認知症
1 症例
「痴呆症」を「認知症」と改名し、長谷川式スケールという診断法を作った長谷川和夫(1929~2021)は、2017年自らの認知症を認め、実体験を本にした
認知症の母の日記を読んで、精神科医の息子が、認知症患者が自分の病態を自覚しないという精神医学の迷信を打破
2 認知症を知る
2004年から「認知症」に。英語名Dementiaはラテン語で「理性を欠く人」の語源から
90を過ぎると男性の46%、女性の62%が認知症。女性が多いのは世界共通、理由は不明
神経細胞が加齢によって変性し、機能を失っていくため
代表的なものは、
① アルツハイマー病――「アミロイド・ベータ」タンパクが「しみ」のように神経細胞の内外に蓄積。認知症の6~7割を占め、プロトタイプ
② 若年性アルツハイマー病――65歳以下のアルツハイマー病。進行が速い
③ 脳血管型認知症――脳梗塞・脳出血などにより神経細胞の機能が落ちることによる
④ レビー小体型認知症――神経細胞のタンパクが変性するもの。パーキンソン病とも共通
⑤ 前頭側頭型認知症――前頭葉や側頭葉の判断力などの領域の障碍による。ピック病とも
[コラム7-1] アルツハイマーの生家
アルツハイマー(1864~1915)のドイツの小さな町の生家が、51歳の女性患者のアミロイド・ベータを見た単眼の顕微鏡と共に保存されている
3 認知症の中核症状と周辺症状
(1) 中核症状
① 記憶障碍――食事の内容ではなく、食事をしたこと自体の記憶がなくなる
② 見当識障碍――日付がわからず、見慣れた風景がわからず迷子になる
③ 実行障碍――何をするのも面倒になる
(2) 周辺症状――睡眠障碍、徘徊、失禁弄便(便をいじる)、異食(食べ物以外を食べる)、幻覚、譫妄(意識の混濁)、妄想、暴言・暴力、易怒性、介護拒否など
4 認知症の予防と治療
確実なものはなく、症状の軽快、完治もない
(1) 認知症の予防――若いときの「低教育レベル」、中年期の「聴覚障碍」、老年期の「喫煙・欝・社会的孤立」とされるが、リスクが分かっているのは40%までで60%は不明
(2) 認知症の治療――レカネマブがFDAに承認され、初期・軽度アルツハイマーには有効とされている。生活を変えずに、周囲も静かに見守るべき病気
5 認知症の進行
加齢とともに脳の中に老化物質が溜り、記憶や認知などの脳の大事な機能が劣化してきて、何もしなくなり、おとなしくなる病気。ゆっくりと進行する。穏やかな最期を迎えるための適応現象。認知症発症後の患者は寿命が2年半短い。老衰は寿命の限界、認知症は「生活の限界」
6 われわれは認知症を受け入れざるを得ない
悲しいことだが仕方がない
第8章
老衰死、自然な死
1 症例
エリザベス女王夫妻は96と99で他界。死因は「高齢Old Age」とされたが、WHOではGarbage Code扱い
Garbage
Code(ゴミ箱入りのコード)とは、公衆衛生分析に役立たないデータに割り当てたコード
バート・バカラック(1928~2023)がなくなった時も日本では「老衰」と報道されたが、現地では「病死Natural cause of death」。「自然死因」とは、自殺・他殺・事故死などの外因による死ではなく、病死の意味で、日本では老衰死を「自然死」ということが多いための混乱・誤訳
2 老衰死を知る
死因の3位(女性は2位)。2005年ごろから急増、9人に1人は老衰死。80歳以上は96.5%
老衰による死亡の最大の問題は診断――「他に診断すべき死因がない」というのが基準
フレイルFrailty――老化により様々な生理機能が落ち、体力がなくなり、様々なリスクに対する抵抗性がなくなること。老化による虚弱・老衰
サルコペニア――老化に伴う筋力の低下
カヘキシー(消耗症候群、悪液質)――大抵の病気の終末期に共通して見られるのは、著しい体重の減少、筋肉の消耗であり、食べられずに痩せて来る
3 なぜ老衰死が増えたのか
介護保険(2000年スタート)と介護施設(2005年スタート)の整備。後期高齢者保険も2008年に始まり、過剰な終末期医療をせずに自宅で自然に看取るようになってきた
老衰死と高齢者医療費は逆相関する一方、安易に老衰死とする傾向への批判も
4 なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか
死亡原因の書き方はWHOが決める。死亡を含む診断書に書いてよいのはWHOによる国際疾病分類の病名7万件のみで、WHOが認める死亡原因は病死と事故死に限定
老衰は「その他」に分類され、WHOは「不明瞭な死因」として認めていないし、データベースでもGarbage Codeとして死因に使うことを禁じている
本質的な死亡原因であり、寿命死ともいえる
[コラム8-1] 誤嚥性肺炎はなぜ高齢者に多いのか
人体の無理な構造が原因――空気は鼻から入り、食べ物は口から入る。言葉は口から発する。気管と食道の交差点には、気管の入口に蓋をする喉頭蓋があり、赤信号で気管に食物がいかないよう入口に蓋をするが、歳と共に赤信号の感度が鈍ると誤嚥性肺炎が起きやすくなる
新生児の気管の入口は食道の入口よりも高くなっているのでむせることもなく、乳を吸いながら呼吸ができる。喉頭が低くなって空気が口腔内に入るようになると、複雑な音が出せるようになる。誤嚥性肺炎は、話せることとのトレードオフなのだ
[コラム8‐2] 骨折
高齢者の転倒と骨折に関し、介護施設では「身体拘束・行動制限」が「安全策」の障碍に
第9章
在宅死、孤独死、安楽死
1 在宅の死
介護保険以後、自宅看取りが増え続けているが、在宅看取りには覚悟が必要
自宅を死に場所と選んだ人が55%いるのに、実際自宅で死ぬことができたのは17%
2 高齢者施設
特養は要介護3以上が対象、基本的に低所得者
老健は在宅復帰を前提に、原則3カ月
老人デイサービスは、日常生活に困難の在る高齢者を対象にした日帰り介護
ショートステイは、一時的に介護が困難な老人を受け入れ
サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)――介護は外部との連携
3 孤独死
1人住まいの人が、誰にも看取られることなく、疾病や自然死=老衰死により死亡すること
医師の診断がなければ、「異状死」として警察の管轄
[コラム9-1] 孤独死数をめぐる混乱
推定では、「病死+老衰死」による孤独死は、年5万人台後半。死因ランキングでは6位相当
上野千鶴子著『在宅ひとり死のススメ』は、エビデンスなしに、主観的な印象だけで書いた「無責任で困った本」。社会学者なら、調査データに基づき、きちんとした本を書いてほしい
4 安楽死Euthanasia
死の苦しみから逃れるために、末期の患者の死に介入する措置
尊厳死は人間としての尊厳を維持したまま死を迎えることで、その国の法の許容範囲に従う
(1) 間接的死介入(延命装置取り外しによる安楽死)――嫌疑不十分や不起訴が多い
(2) 直接的死介入(薬物などによる安楽死)――安楽死4条件があっても認定は難しい
(3) 警察の介入――医療側が指針を作っても法的根拠がなければ無罪にはならない
(4) オランダの死因の4.2%は安楽死――欧米の多くは直接的死介入を法的に認めている
(5) 自殺幇助――自殺には介入するだけの医学的理由がないが、スイス・墺では認めている
第10章
最期の日々
1 終末期を迎えたとき
最後は痩せて食べられなくなる。食べてもBMIは下がり始め、食事・水分摂取量が急に下がり始めると死が近い(BMIが12以下だと生きていけないと言われている)
2 延命治療
高齢者の意識調査では、91%の人は延命治療を望まない
終末期医療で大事なのは、胃婁よりも、口腔ケアにより肺炎を抑えること。胃婁は日本だけ
3 痛みと苦しみを抑える
人々が死を恐れる最大の理由は、その時の苦しみと痛み、精神的な寂寥感だろう⇒緩和ケア
日本は疼痛対策が遅れている。オピオイドや疼痛用モルヒネの使用量はアメリカの1/9
モルヒネは麻薬のため誤解が多いが、鎮痛以外の目的に使うことはないのでいつでも使える
4 延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示す
患者の生前の意思表明として、延命治療やケアに関する自分の意思をリビング・ウィルに遺しておけば、どこの病院でもそれを尊重する
[コラム10-1] マーラー交響曲9番
マーラーは、この交響曲を自身の死を予感する中で作曲し、完成したこの曲を聴くことなく世を去る。最終楽章の最後は、人の呼吸が静かに途絶えるように終り、指揮者はそのままの姿勢で指揮台に10秒立ち尽くす。死の持つ重みを改めて感じる
第11章
遺された人、残された物
四照花(やまぼうし)の一木(ひとき)覆ひて白き花咲き満ちしとき母逝き給ふ 上皇后陛下
ご実家跡地の「ねむの木の庭」にヤマボウシの木と歌碑がある
1 遺された人
垣添忠生(1941~、国立がんセンター名誉総長)の奥さんは12歳年上の人妻。06年肺がんで陽子線治療により完全消失したが、半年後転移発見。07年自宅で死去。Griefから立ち直るために登山など積極的に実践したが、心の奥底深くには癒えることのない深い悲しみが巣くっている。妻の慰霊のため四国のお遍路に出たが、すぐに目的は妻への感謝に変った
2 不条理な死
不確実かつ無意味という点で死は常に不条理
3 グリーフから立ち直るため
不条理な死は、いつまでも、深く心の奥深くに残る。グリーフケアとグリーフワークが必要
4 死んでも心のなかで生き続ける
5 残された物
遺言状、断捨離
第12章
理想的な死に方
1 死の考えは大きく変わった
五木寛之「うらやましい死に方」(『文藝春秋』2023年新年号)――多くは家族に見守られながら最期の時を迎えている。日常の延長の死をごく自然に受け入れている⇒「死の日常化」
寿命が延びたこと、老衰死の増加、インフォームドコンセントの徹底などが背景
2 生きることに意義を求めない
生きていること自体が社会への貢献であり、理想的な人生とは、健康で長生きし、人に迷惑をかけずに一生を終えること
3 理想的な死に方
① 「ピンピン」と生きる――良い生活習慣を心掛ける
② 「コロリ」と死なない――責任を果たし、死後の準備をしてから死ぬ
③ 「ごろり」と死ぬ――「ごろり」として過ごす最後の時間が人生を豊かにする
④ 病気をよく理解する――病気を知れば、残された時間を有効に使える
⑤ リビング・ウィルを決めておく――終末期の治療をどこまでするか、予め決めておく
⑥ 遺る人に迷惑をかけないで死ぬ――看取る人が倒れることのないような配慮が必要
⑦ 苦しむことなく、平穏に死ぬ――死ぬ間際には脳内の麻薬のベータ・エンドルフィンが増加して幸福感の中で苦しむことなく死ねるというのが定説。一番苦痛がないのは老衰
終章 人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死(「個としての死」)
1 なぜ寿命が尽きて死ぬのか
大切なのは「生」の継続時間である「寿命」
なぜ、寿命に至るとすべての個体が死亡するのか、メカニズムは分かっていない
2 なぜ病気で死ぬのか
死に至るプロセスは、初期の小さな変化が大きな結果に至るという意味で「バタフライ効果」と似ている。そのプロセスが非線形かつ予測不能という点で「カオス理論」と似ている
われわれは生まれた時から「寿命」という形で死を内蔵し、危ういバランスの上に恒常性を保っていたのに過ぎなかったのだ
おわりに
私は、自身の早期がんと狭心症を早期に発見し、適切に治療したことだけで、医学を学んだ価値があったと自己満足している
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死ぬということ医学的に、実務的に、文学的に
黒木登志夫 著
出版社内容情報
「死ぬということ」は、いくら考えても分からない。自分がいなくなるということが分からないのだ。本書は、哲学、宗教の立場からの本が占めている生死という大テーマに、医学者によって書かれた初めての医学的生死論である。といっても、内容は分かりやすく、たくさんの短歌、文学、映画とユーモアを交えた本書は誰にでも面白く読めるだろう。加えて、「家庭の医学」書のように、実務的な情報も豊富な、「一家に一冊」的な本である。
「死ぬということ」は、いくら考えても分からない。自分がいなくなるということが分からないのだ。生死という大テーマを哲学や宗教の立場から解説した本は多いが、本書は医学者が記した、初めての医学的生死論である。といっても、内容は分かりやすい。事実に基づきつつ、数多くの短歌や映画を紹介しながら、ユーモアを交えてやさしく語る。加えて、介護施設や遺品整理など、実務的な情報も豊富な、必読の書である。
死ぬということ 黒木登志夫著
科学の目で寿命を捉える
2024年10月12日 日本経済新聞
題名から想像される重さや深刻さはまったくなく、気軽に読める。著名ながん研究者で米寿を迎えた著者が、自らの寿命にも思いをはせつつまとめた。ユーモアをまじえながらも死をできるだけ科学的にとらえ、多くのデータを引用しながらその意味を考える。
例えば1840年以降、年代とともに平均寿命がどう延びたかは簡潔な数式で表現できる。「寿命の延びが数学的に決まるなんて信じられないくらいだ」と自身も驚いたという。年齢と病気ごとの死亡率との関係も対数グラフにきれいに乗る。年齢とともに病気の要因が積み重なっていくさまがわかる。
面白いのは日本で目立つ「老衰死」についての指摘だ。2023年には9人に1人が老衰死だったが、海外の死因に老衰は存在しない。日本人が特殊だからではなく、世界保健機関(WHO)が死因分類として病死と事故死しか規定していないからだ。安易に老衰だと記載するのもよくないが、WHOの規定は改めるべきだと問題提起する。
そして、老衰死を含む「寿命死」、つまり生物固有の寿命による死へと考察を進める。寿命死は病死や事故死と異なり、生命にとっての本質的な意味を持つと指摘する。では、寿命死の引き金は何か。科学的に解明できるのか。興味は尽きない。(中公新書・1320円)
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このたび本研究所元癌細胞学研究部教授であり、本学名誉教授でもあります黒木登志夫(くろき としお)先生が、瑞宝重光章を受章されました。黒木先生は、1960年、東北大学医学部卒業後、東北大学抗酸菌病研究所(現、加齢医学研究所)助教授(1967年)、東京大学医科学研究所助教授(1971年)を経て、1984~96年、同教授を務められました。この間、ウィスコンシン大学がん研究所留学(1969~71年)、WHO国際がん研究所(フランス・リヨン)勤務(73、75~78年)など国際的にも活躍されました。さらに昭和大学腫瘍分子生物学研究所長(1996~2001年)、岐阜大学長(2001~2008年)を歴任され、また2000年には日本癌学会会長を務められ、現在は日本学術振興会学術システム研究センター副所長(2008年~)として我が国の 学術研究の振興と人材の育成に携わっておられます。この間、癌研究や科学英語、プレゼンテーション、さらには大学運営に関する優れた著作を発表されるなど、 癌研究のみならず生命科学全般にわたり多大な貢献をなされたことが評価された ものです。
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黒木 登志夫(くろき としお、1936年1月10日 - )は、日本の医師・医学者。医学博士(1966年)。東京大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。
略歴
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東京生まれ。1960年東北大学医学部卒。1966年医学博士。東北大学抗酸菌病研究所助手、1961年東北大学医学部助教授、1971年東京大学医科学研究所助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授、昭和大学教授。2001-2008年岐阜大学学長、同名誉教授。2000年日本癌学会会長。2008年日本学術振興会学術システム研究センター副所長(2012年−同相談役、2016年−同顧問)。専門は、がん細胞・発がん。
受賞・栄典
1970年 高松宮妃癌研究基金学術賞
1998年 日本癌学会吉田富三賞
2011年 瑞宝重光章
2017年 山上の光賞
2021年 川崎市文化賞
五木寛之 『文藝春秋』2023年新年号
「うらやましい死に方2023 読者投稿」
404通もの貴重な投稿から選ばれた心を打つ14篇
日本人の死生観が大転換を遂げていたことが分かりました
今回、皆さんから寄せられた404通におよぶ投稿を一つ一つ読み、非常に印象的だったことがありました。それは亡くなる人が「俺は死にたくない!」と是が非でも生きることに執着したり、あるいは家族が悲しみに打ちひしがれて、泣きわめいたりする場面がほとんどなかったことです。無念の死を感じさせる投稿は見当たらず、もはや人々の間で死が日常化してしまっている、それが私の率直な感想です。
この「うらやましい死に方」の企画は今回で3回目です。第1回は1999年に、第2回は2013年に行いましたが、いずれもその時代の相貌を色濃く反映していました。とくに第1回目は、人々が死を心から恐れていることがヒシヒシと伝わり、事故死や変死など、若い人が不慮の死を遂げる投稿もありました。
ところが今回は70代以上の高齢者が癌を患い、終末期医療を受けた末に死を迎える例が圧倒的に多かった。医師に「あなたの寿命はあと何年です」と告げられ、死期が迫ると病院に運ばれる。そして家族が見守る中で息を引き取るといった場面が、投稿の多くに共通していました。残された余命のなか、家族で最後の海外旅行に出かけたり、去り行く妻が夫に「あなたと一緒になれてよかった」と言い残したり、人間的情愛に溢れた心打たれる投稿も少なくありませんでした。「畳の上で死ぬ」という言葉の通り、平和的かつ安定的な死、ある意味では「うらやましい死に方」が増えていることは喜ばしいことかもしれません。
今回も不慮の死を綴った投稿がなかったわけではありません。ある投稿者の父親は、燈台下の岩場についた牡蠣を獲ろうと海に飛び込み、そのまま夕日が沈む日本海の沖合まで流されてしまう。そして無残にも2日後、水死体で発見される。投稿者は痛ましい記憶を打ち明けながらも、「父は寿命が尽きたのであって、それまで楽しく生きるのが『うらやましい死に方』だ」と心の整理を付けています。ただ、このような思いがけぬ死を扱った投稿はごく僅かです。
その他の多くの人が死を自分の身に起こり得る出来事として、あるいは日常の延長の死をごく自然に受け入れている。今回の投稿募集をした時点から予想はしていましたが、改めて考えると驚くべきことです。日本人の死生観が大転換を遂げていることを、現実のものとして明確に実感できました。私なりの表現をすれば、「死の日常化」と言える事態が起きているとも考えられる。私自身、今年で90歳になりましたが、この歳になると、次第に死への恐怖がなくなり、生と死の境界が曖昧になってきます。死の観念が希薄になってくるのです。ですから、皆さんの中で死が日常化し、自然と受け入れられる状況があるのも、やはりそうかと納得のいくものがありました。
戦争の影がすっかり消えた
この「死の日常化」は決して一時的な現象ではなく、今後、ますます定着していくのではないでしょうか。というのも、今年はコロナ禍やウクライナ戦争の勃発、そして安倍晋三元首相の銃撃事件などが立て続けに起きた年でしたが、いただいた御手紙を読んでも、それら異常な出来事に人々が怯える様子はあまりなく、死に対する意識に影を落としている気配も不思議と少なかったからです。コロナ禍で死を迎える親との面会制限を強いられ、苦悶する心情を綴った投稿はたくさんありました。ただ、病院と争ってまで、面会を強要する人は皆無だった。ルールに従い、仕方がないことだと割り切っている。つまり、それだけ死が受け入れるべき存在として、確実に日常化しているのだと思います。
その理由はいくつか考えられますが、手紙を読んでいくと、まず気づくのは投稿者の中から戦争を生き抜いた世代が激減していることです。今年は戦後77年の年にあたりますが、現在80歳の人ですら、終戦時に3歳ですから、物心ついたときには戦争が終わっていたことになります。ましてや現在は、戦後生まれの団塊の世代が次々と亡くなり始めることが話題になる時代。戦中戦後の生きるか死ぬかという時代を生き抜いた人はもはやいなくなり、手紙の中から戦争の影がすっかり消えてしまうのは当たり前のことかもしれません。
それに比べて、この企画の第1回目は今から23年前に行われたこともあって、投稿者の中には大正生まれの戦争体験者がまだ何割か残っていました。東京大空襲の記憶や、終戦直後の食糧難で芋を食べて飢えを凌ぐ悲惨な場面もあった。今回も僅かではありますが、戦争体験者を描いた手紙があって、例えば戦時中に鹿児島の基地で米軍機の機銃掃射を受け、バリバリと音を立てながら銃弾が身体の真横をかすめる、そんな九死に一生を得る体験をした父親の姿を回想する投稿者もおられました。
戦争は生と死が劇的に転換する強烈な体験を人々の記憶に残します。戦時下を生き永らえた人たちの中で死の存在感はいやが上にも高まり、その分、生への執着が増し、死への考察も自ずと深まっていく。現代のように平和な時代に生まれ、平和な時代の中で生涯を終える人は、死への意識が希薄になるのは当然のことです。ただ、それは裏を返せば生の意識も希薄化していることの証でもあるので、今回の手紙を読んでいてやや寂しくもあり、私が懸念している点でもあります。
死んだら自分の霊魂はどうなるのか
「人々はもはや宗教を必要としていない」ということも、今回の投稿を読んでわかったことの1つです。原稿の中に「お寺」や「お坊さん」という言葉を目にする機会が少なく、過去2回に比べて宗教色がはっきりと薄らいでいるんですね。たしかに数珠を手にする場面や、戒名について書かれている投稿はありました。ただ、古い昔は亡くなる際に「枕経」と言って枕元でお坊さんにお経を唱えてもらったり、西向きに布団を敷き、見守る家族との間に衝立を置いたり、あるいは仏像の指から五色の糸を伸ばして死にゆく人の手に握らせるなど、もっと仰々しい儀式、いわゆる臨終行儀が行われた時代もあります。ところが今回はそうした描写はほとんどなかった。
昔のように宗教にすがり付くほど、人々は死を恐れていないということでしょうか。それは歓迎すべきことなのかもしれませんが、安倍さんの銃撃事件後、統一教会をはじめこれほど新興宗教の問題が騒がれているにもかかわらず、宗教が人々の死生観にほとんど影響を与えていないのは驚くべきことです。その理由は、今の宗教が「いかに生きるか」と、もっぱら現世の問題ばかりを扱っていて、昔の宗教のように人々に死後の世界を説くことがなくなったからではないかと思います。ですから、今回の投稿には「死後の世界はどうなっているのか」、「死んだら自分の霊魂はどうなるのか」などと疑問を抱く人や、あるいは「あの世で死んだお母さんに会える」などと死後に期待をかける人もほとんどいらっしゃらなかった。月並みですが、孫がお祖父ちゃんに「死んだらどうなるの?」と問いかけ、「お前たちを見守っているよ」と答えるような日常的な会話の場面もないんですね。人々は死後の世界など夢想する必要はなくなったのかもしれません。死は死であり、それ以上でもそれ以下でもない、とあくまでも現実的に捉えているわけです。
日本の宗教は退潮の一途を辿っています。全国のお寺の数は現在約7万7000と言われますが、年々減っているのが現状です。最近は政財界の大物ですら盛大な葬儀を行わず、身内だけで慎ましやかに済ませ、後日、お知らせの葉書を受け取ることも多くなりました。また、聞くところによると仏教界の専門誌でも、仏教思想や哲学を扱うと同時に、お寺が駐車場を経営した場合に法人税はどうなるかなど、経営面での問題が話題になったりもするらしい。宗教の教団が信仰の拠り所というよりも、現実社会の事業体のようになり変わっている傾向も見られます。
その昔、「話の面白いお坊さん」として三代目桂米朝が評価した薬師寺の高田好胤さんや、『般若心経入門』がベストセラーになった松原泰道さんのようにメディアに登場するお坊さんも少なくなりました。最近では瀬戸内寂聴さんがその役割を一手に引き受けていたところがありますが、残念ながら亡くなられてしまった。今回の投稿を読んで、今後、宗教がかつての勢いを盛り返すことは至難の道で、臨終の際にお坊さんが立ち会う場面もやがて目にしなくなることも考えられないではありません。
では、私なりに考える「うらやましい死に方」とは何なのか。今回選んだ14篇の投稿の中で、とりわけ印象に残った数篇があります。ひとつは91歳男性の投稿で、囲碁を趣味にしている長年の友人が、碁会所で一緒に碁を打っている時に、白石を握りながら、突然、碁盤の上に突っ伏し数日後に亡くなってしまったことを書いたお手紙でした。もう一つは雀荘の店主の投稿で、いつも笑顔で誰からも慕われていた常連客が末期がんを患い痩せ細りながらも徹夜で麻雀を打っていたこと。そして別れ際に、「麻雀をすると痛みを忘れて気持ちよく眠れる」と満足気に言い残して、数カ月後に亡くなったことを書いたものです。この2篇は、自分の好きなことをしながら逝った幸福な人を描いていて、まさに「うらやましい死に方」の典型と言えます。死に際の場面だけでなく、そこからその人の趣味に興じた生涯がまざまざと浮かび上がってくる点も好ましい。
別のある投稿では、大の酒好きだった80代半ばの祖父が大病を患い、医者から「長生きしたければ、断酒するように」と告げられる。最初は従っているものの、やがて我慢できなくなり、「うんと飲んで、はよ迎えに来てもらう」と毎日七合飲む生活を再開し、宣言通り早くに亡くなる。囲碁や麻雀と同じように、好きなことをやり切った人生かもしれませんが、自分の命と引き換えにしてでも、酒を飲む覚悟には「私にはとても無理だ」と読みながら溜め息をつくほど驚かされました。
思わず眉を顰めてしまったのは、警官だった祖父の死に際を綴った投稿です。その祖父は手首に女性の名前の刺青を彫って、絆創膏で隠している。放蕩の限りを尽くし、上司を川に投げ込むほどの暴れん坊で、なんでそんな人が警官になれたのか、私などは不思議で仕方なかった。ただ、「祖父は戦前の取り調べで行う拷問には耐えられなかった」とさりげなく書かれてあって、そこに周囲の人から慕われる人間性を感じました。死後、布団の下から葬式代のお金が出てくる場面を読んで、「義理堅いなぁ」と膝を叩き、思わず選んでしまいました。まさに「うらやましい死に方」と「うらやましい生き方」が表裏一体になっていることを感じさせる投稿です。
家族に見守られながら最期を迎える
お風呂の中でポックリ逝ってしまった、という投稿もいくつかありました。温泉に行けば、1日に5回も6回もお風呂に入る父親が寝たきりになってしまい、タオルで身体を拭くだけの生活が続いていた。そこで息子が父の93歳の誕生日に足湯をしてあげようと考え、道具をひととおり揃える。父は足湯に浸かり「いいなぁ。ありがとう」と息子への感謝の言葉を呟きながら、そのまま息を引き取ってしまう。まさに「大往生」と呼ぶにふさわしい逝き方です。
ただ、この投稿で私が最も心を動かされたのは、息子さんの父親を思いやる気持ちでした。先ほどの警察官の話でも、最後の臨終の場面では、子供や孫たちに囲まれながら亡くなります。今回の404通の投稿に一貫して言えることですが、家族に見守られながら最期を迎える事例が実に多かったのです。それを皆さんが「うらやましい死に方」の形であると考えていることがよく分かりました。今は高齢の単身者による孤独死が騒がれる時代です。ところがアパートの大家さんが部屋を覗いたら、1人暮らしの住人が亡くなっていたなどという投稿はなかった。孤独な人が増えているのは事実なのでしょうが、現代においても日本人は家族の支えを拠り所にしていることがわかって心強く思いました。
ただ、今後、未婚化や少子化も進んでいく中で、家族の形は確実に変容していく。ますます死も日常化していくでしょう。果たして10年後、今回と同じように「うらやましい死に方」の企画が開催できるのか、私にも分かりません。あるいはこんなことも考えます。日本の65歳以上の6人に1人が認知症を患う時代、生きながらにして記憶を無くして生活することが、死ぬことよりも恐いと感じる人が増えてきたのです。今度投稿を募るときには「うらやましいボケ方」をテーマにするのがいいのかも、と思ったことでした。
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