あっぱれから遖まで  西井辰夫  2024.12.15.

 2024.12.15. あっぱれから遖まで ある国字の盛衰

 

著者 西井辰夫 1931年東京生まれ。東大法卒。金融機関、事業会社の役員を歴任。95年現役から引退。著書に『酒を搾り袖を絞る―国字と国訓を考える』(07)、『奇妙な国字』(09)、『「しんにょう」がついている国字 不思議な字「辷」 不死身な字「込」』(18)

 

発行日           2022.7.13. 第1刷発行      

発行所           幻冬舎

 

 

序章

「あっぱれ」の使い方はいろいろだが、全て褒め言葉

「あはれ」が促音化してできた強調形というが、現代では両者で意味が全く違う

漢字表記の「遖」の由来は?

「あ/あっ」は感動詞で、音だけあって意味はない

同じ感動詞でも「あっぱれ」は、褒めようという意志があって発する言葉。意味を持った言葉であれば、表意文字である漢字で表記できるはずで、「天晴」と「遖」があるが、前者は当て字であり、後者は国字(日本で作られた漢字)

促音は、奈良時代までは用いられていない。促音便(「誤ちて」→「誤って」)のほか、非音便の促音化(「またし(全し)」→「まったし」)があり、「あっぱれ」は後者。いつできたかが問題

「あっぱれ」の「ぱ」が問題――ハ行だけ特殊で、独特の変化を遂げてきた。ハ行の子音は「p」→「Φ()→「w(語頭に立つ場合を除く)と変化

藤原や菅原の「原」は「ワラ」で、「ファラ」から「ワラ」に変わったものだが、氏原や杉原は変化が完了した後の時代に作られた新しい氏なので、「原」は「ファラ」(江戸時代には「ハラ」)で、「ワラ」となることはなかった

いつ「あはれ」は「あっぱれ」に変化したのか。「あはれ」は促音化できないので、「あはれ」はハ行子音が「w」になる前に促音化して「あっぱれ」になったはず

「あっぱれ」の漢字表記の問題――「南」と「しんにょう」の合成字と考えられるが、その由来は?

 

第一章   あっぱれ

一、  「あはれ」と「あっぱれ」

同じ感動詞だが、心の奥底からしみじみ湧いてくる感情を口に出した言葉が「あはれ」で、悲しみ、喜び、同情、願望、称賛などの感情を、心を籠めて表出する感動詞

 

二、  ハ行音の変遷

Φ」は、日本語の「フ」の子音を表す発音記号。昔は「p」だったが、奈良時代に「Φ」に変化。さらに平安中期以降には語頭以外の時は「w」に変化(「川kaΦa」→「kawa)

清音と濁音は一対のものとして必ずあるべきもので、なければ言語体系が崩れる。「p」の濁音は「b」で、「p」が「Φ」に変化しても濁音は「b」で変わらず。「p」は半濁音として残る

 

三、  p」から「Φ」への変化と促音

p」→「Φ」→「w」という唇音退化の過程で、「Φ」の前に促音が挿入された時は「ΦΦ」になり(「あはれ」は「アパレ」から「アファレ」になった後促音化して「アッファレ」に)、後に「p」に変わった(「アッパレ」)とされるが、促音の後に立つ「p」は「Φ」に変化せず「p」のまま残ったのではないか(後述七へ)

 

四、  2種類の促音

和語の促音には2種類あり――促音便(「立ちた」→「立った」)と、強調のため語に促音が挿入される場合(促音化した強調形:「やはり」→「やっぱり」)

促音化した強調形と非促音形は併用されるが、「あはれ」「あっぱれ」のように意味が異なるものになると併用されることはなくなり、「まっくろ(真黒)」「まっさき(真先)」のように非促音形は使われなくなった言葉もある

国号の「日本」も併用されるが、「ニッポン」は強調形

 

五、  促音の表記と半濁音

促音は、1946年の内閣告示「現代かなづかい」制定により、「っ」で表記。現行の「現代仮名遣い」では、「なるべく小書きにする」としている

半濁音の成立は早くても室町時代後半

促音の表記に「つ」が使われたのは平安後期で、それまでは無表記が多くみられる――『土佐日記』は仮名書きだが「日記」は漢語なので漢字で書いたが、仮名であれば「にき」だろう

促音表記の変化(無表記→「つ」→「っ」)と、半濁音の成立を組み合わせると、「あっぱれ」の表記は、「あはれ→あつはれ→あつぱれ→あっぱれ」と変化してきた

 

六、  『平家物語』と「あっぱれ」

促音無表記の時代は、促音化した強調形も非促音形も「あはれ」と書かれ、区別し難い

『平家物語』(平曲)はいくつかの流派に分かれて伝承されたが、14世紀に覚一が大成した前田流が全国に広がり、1776年荻野検校が集大成してできたのが『平家正節(まぶし)』で、日本古典文学大系のものも発音については「正節」に多く拠っている

「あつぱれ」は2例で、慨嘆や嘆息の感動詞として使用

「あはれ」は約100例で、20例が「アッパレ」と促音で読まれ、単純に「あはれ」を強調したものもあるが、そればかりでなく、後世に見られる称賛の言葉の性格を全く確立しておらず、別の言葉になろうとする傾向がある

 

七、  「あっぱれ」の成立

前記三で、「アッファレ」→「アッパレ」の変化に疑問を呈したが、促音の誕生が平安初期より前であれば、「p」→「Φ」の変化の際、「アパレ」の強調形「アッパレ」は促音のまま変化に巻き込まれずに残ったといえる

 

八、  平安期以前に促音があったか

その一      促音便

奈良朝に促音便があった事例が『正倉院文書』などに見られる

その二      にっぽん

漢字音とは、中国渡来の漢字の中国語音を日本的発音に修正・定着させたもの

原音修正の1つが入声(にっしょう)韻尾――日本語は音節が母音で終わるため、入声韻尾(音節がt,p,kなどの入声音で終わる場合)には母音を付けたこと

t」だけは子音だけで発音される場合があった――2字熟語の後属語がt,p,kの破裂音で始まる語(一転、一遍)では、促音と同じに発音される。「ニッポン」も[nitpon][nippon]に移行したものと推測でき、日本の漢字音に促音があったことは疑いようがない

「日本」の国号の成立は『大宝令』(701年制定)により正式に決定。発音は遣唐使によってもたらされた「ジッポン」で、長安での発音に由来する正音だが、日本で古くから親しまれていた呉音系の発音[nitpon]に移行し、さらに[nippon]に移行し、促音を含む「ニッポン」という発音で定着。国号が正音と違った「にっぽん」という呼称で定着すれば、そこにある促音は日本語としての促音であったに違いなく、「にっぽん」を穏やかに表現するため強調の挿入促音を除いて「にほん」が成立したと考えられるならば、それは「にっぽん」が漢字音ではなく日本語として受け入れられていたからだと言えるのではないか

 

付、日本の国号について

日本は古くから「やまと」と称し、中国では「倭」と呼び、日本にも伝わって「やまと」は「倭」であるとしてこの字を使ってきた。「倭」は「順(したが)う」の意だが、『大漢和辞典』が「みにくい」(醜い)という義を示している

『大宝令』により「日本」が国号となり、唐にも伝えられ、唐人によって長安音で読まれた発音が日本に伝えられ「ジッポン」という促音の訓みになった

「にっぽん」が先にあり、「にほん」が後から出来たということは一般に広く認められているが、その成立の由来は不詳。以下推測:「ニッポン」は外国語である漢字音由来で、「やまと」と違ってきつく聞こえ、柔らかな響きを求めて、強調形の促音を除いて「ニポン」にしようとしたが、既に「p」は日本語から消失して「Φ」に変わっているので、「ニフォン」が非促音化したものとして生まれ、江戸時代の「Φ」→「h」の変化に伴い「ニホン」になった

 

九、  『平家物語』以後南北朝頃まで

「あはれ」は強い感動を表す言葉で、喜びにも哀しみにも使われ、「あっぱれ」も同様だが、次第に表現する感動の種類が限定されていったようだ

「あっぱれ」の使用例はあまり多くないが、南北朝まで戦記物に多少見ることができる

『太平記』(南北朝後半)に「哀」が100例を超えるが、ほとんどが「アハレ」と付訓され、大半が形容動詞で、現代の哀(あわれ)に通じるが、願望を表す感動詞用法も20件以上ある

「アッパレ」と付訓するものも4例あり、うち3例は褒め言葉

 

十、  能『盛久』

室町になっても、「あっぱれ」の使用範囲は多少狭まっているが、まだ称賛や驚嘆の言葉に特化していない

室町の重要な文家の1つ、能の謡本(うたいぼん)で「あっぱれ」が使われるのは100番中8番と多くないが、『盛久』の世阿弥自筆本にはわずかな漢字を交えた片仮名書きで、読み誤りを防ぐための工夫がなされていて、願望のケースが多い

 

十一、   江戸時代以降

「あっぱれ」は次第に、褒め言葉と驚きの発声(感動詞)に特化

現代の用法では、感動詞、形容動詞、「な」や「の」をつけて修飾語となるが、この用法は既に江戸時代に盛んに行われていた。浄瑠璃や歌舞伎では漢字表記が主流

 

第二章   天晴

一、  なぜ漢字表記が必要だったか

感動詞から発展して、意味を持った言葉になると、漢字表記の必要性が出てくる

 

二、  天晴

最初に使われた漢字表記が「天晴/天晴れ」で、南北朝に始まったものだが、用例は少ない

「あっぱれ」の使用が褒め言葉のような明るい用途に固まると共に「天晴」の表記が広がった

p.108後ろから2行目、「あっぱれ」は「天晴」の校正ミス

平安・鎌倉の公卿の日記で天気を示す言葉として多用されたものを当て字として借用

江戸時代には広く使われたと推測されるが、「天晴」と「あはれ」の関係はもっと古い

 

三、  『古語拾遺』

「天晴」の初見は『古語拾遺』(807年、「古語の遺(も=漏れる)りたるを拾う」の意)

本居宣長は、「「他愛もない俗解」として「あはれ」を「天晴」で説明するのは正しいと言えない」とするが、「阿波礼」と書きながら「言うこころは天晴(あまはれ)なり」と注しているのは「ここではアッパレというのだ」と言っているように思える

 

四、  『真名伊勢物語』と『梅松論』

「天晴」を「あはれ」の表記に当てているのが『真名伊勢物語』。「真名本」(漢字だけで書かれた本)の伊勢物語は『伊勢物語』の異本の1つ。写本は1643年とあるが成立時期は不明

「天晴」が5カ所あり、全て「あハれ」または「あはれ」と付訓されていて、「あっぱれ」はなく、全て同情、悲哀、感慨などを表す言葉で、褒める意味は1つもない

『梅松論』(1349年、北条執権~尊氏までの史書)に、「天晴」を「あっぱれ」と訓まれたと信じてよい例がある

 

五、  室町時代の狂言など

室町には、「天晴」は専ら「あっぱれ」と訓まれるようになった

狂言や軍記物に見られる

 

六、  『日本釈名』

江戸中期以降、浄瑠璃や歌舞伎の脚本に「天晴」が頻出。同時に「遖」も多用

一方で、「天晴」の訓みから「あはれ」は消えた

貝原益軒も『日本釈名』(1699)の中で、「「天晴(アハレ)」を天照大神が磐戸を出て周囲が明るくなった時、天初めてはるる故あはれと云。あはれとは天晴(あめはれ)也。今時の世俗物をほめんとてあつはれと云はこれなり。旧事『古語拾遺』に見えたり」とし、当時の意味を誉め言葉に限定している

 

第三章  

一、  「遖」という国字

国字が作られる一番の大きな目的は、中国にない、日本独特のものを漢字らしい字で簡潔に表すこと。「あっぱれ」は日本語独特の感動詞

「遖」は、「南」と「辵」の合成語

「南」の字形を調べると、いくつもの解釈で共通するのは、「南方は陽光が十分あって明るく暖かく、草木の成長育成が促される」というのが基本認識で、「あっぱれ」という時の明るい朗らかな気分が「南」に通じるのだと考えられる

「南」を構成要素とする字に、戦前に使われた「喋喋喃喃」(ちょうちょうなんなん、男女が小声で睦まじく語り合う形容)があり、「喃」が「あはれ」と訓まれている例(慨嘆の意)もある

「喃」や、よく似た「(だん、かまびすしい)を借用してもよかったし、「心」や「忄(りっしんべん)」と組み合わせてもよさそうなのに、なぜ「しんにょう」と組み合わせたのかも謎

「喃」は後に「なう(ノー)」の表記に流用、感動を表す助詞として文末に置かれ、謡曲に頻出

 

二、  あはれむ

「遖」が辞書に載るのは鎌倉から。訓みは「アハレム」、鎌倉中期以降は「アハレフ」、室町からは「アハレブ=アハレム」で褒める気持ちが後退

 

三、  「遖」の成立と「喃」

「喃(ナン)」は、「南」を声符とする形声字で、本来「しゃべる」意の字。擬声的な語で、「唐以後に用い、くどくどしくしまりのない語をいう」とされるが、「あはれ」の表記に使われたのは、本来の義とは関係なく、声符「南」からイメージされる明るく朗らかな気分が、喜びを口にする時の「あはれ」と共通するからと思われる。「あはれ」は日本で作られた訓み(国訓)

当初は「喃」に「しんにょう」をつけて合成語とし、「あはれぶ」(「あはれ」の動詞化)に当て、「口」を省略した簡略形が「遖」となったと考えられる

『大漢和辞典』が「喃」に国訓として「あっぱれ」の訓みを与えているが、用例も説明もない

 

四、  あっぱれ

「遖」の訓みとして「あっぱれ」は戦国時代の辞書に見られる

 

五、  江戸時代の「遖」

江戸中期から「遖」が盛んに使われる

 

六、  「遖」と「天晴」

江戸中期、「遖」と「天晴」は意味も用法も同じように使われた。理由は不明。「天晴」が当て字だからという説、「天晴」は古来天気にも使われたので混同するという説など

 

七、  「遖」の弱点と衰退への道

「遖」は、南国の持つ気分が「あっぱれ」という時の気分と共通するという薄弱な理屈だけが「遖」の表記字としての適性を支えていた。無理なこじつけで使われ、由来が分かりにくい字のため、長い間には存在意義を失ってゆき、明治にはほとんど姿を消す

 

八、  江戸時代の研究書について

「遖」について研究(解説)した本が江戸時代に多数書かれているが、成り立ちに言及しているものはない

 

終章

当て字とは、「漢字のもつ本来の意味にかかわらず、音や訓を借りて当てはめる表記。また、その漢字」のことで、「芽出度」「呑気」「野暮」など社会的に慣用が定着しているもの。現在使われているものの多くは言葉の意味と漢字の意味が近似する

言葉と意味の近似性は、当て字を社会的に定着させる大きな要因の1つで、「天晴」も「あっぱれ」と「あめはれ」の訓みの近似性から当て字にされたのだろうが、空が晴れ上がった明るい気分が「あっぱれ」という時の気分と共通するという意味の上での近似性も大切

「遖」の近似性は、「天晴」に比べて薄弱であり、存在意義を失ったのもやむを得ない

明治から終戦までは仮名表記より漢字の「天晴」が主に使われ、戦後は仮名書きが有力

「遖」はもはや死語。泉鏡花の『取舵』(1895)、紅葉の『金色夜叉』(1897)が最後

同じ「しんにょう」のつく国字でも、「込」は「中に入れて、そこに置いたままにする」ことを端的に表す漢字を求める人たちがいたから作られ、需要に適合したが故に大いに用いられ、定着し、常用漢字になった。「遖」は無理にこじつけられた漢字で、需要を失って消えた

気になるのは、「あっぱれ」の出現頻度が直近に急速に落ちていること。日本語の表現としてなくなってしまうのでは。杞憂であってほしい

 

 

あとがき

90歳になったのを機に身辺整理を始めたとき、「遖」のメモ・資料が見つかった

前著『「しんにょう」がついている国字』では、「しんにょう」の意味を考えた結果、動詞を取り上げることにし、感動詞は余りにも異質なので対象としなかったが、感動詞として使われる国字は珍しいので、もう一度「遖」を取り上げてみたいと思った

従って、本書は元々前著を補遺・増補するためのものというべきだが、「あっぱれ」という言葉は日本語としていろいろ面白い問題を含んでいるので、仮名書きの「あっぱれ」に多くのページを割くことになり、当初の想定と全く別のものが出来上がった

 

 

 

 

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あっぱれから遖まで ある国字の盛衰

日本独自の感動詞に秘められた、驚きの歴史を解き明かす

「あっぱれ」・「あはれ」・「天晴」・「喃」・「遖」

遷り変わっていくことばの不思議に、面白い!が止まらない。

言語の深奥に迫る、究極の一冊。

 

もともと「あっぱれ」は「あわれ」の強調形である。

しかし現代では、「あっぱれ」は称賛を、「あわれ」は悲哀や憐憫を表すためだけに使われている。

なぜ真逆の意味を持つようになったのか?

「あっぱれ」の漢字表記で使われる奇妙な字・「遖」の成り立ちは?

簡単なようで難しい「あっぱれ」の由来に迫ったとき、日本語の真髄が見えてくる。

 

 

 

All Reviews

書き手:橋爪 大三郎

 

『あっぱれから遖まで ある国字の盛衰』(幻冬舎)

2024/05/27

内容紹介:

日本独自の感動詞に秘められた、驚きの歴史を解き明かす「あっぱれ」・「あはれ」・「天晴」・「喃」・「遖」

遷り変わっていくことばの不思議に、面白い! が止まらない。

言語の深奥に迫る、究極の一冊。

 

もともと「あっぱれ」は「あわれ」の強調形である。

しかし現代では、「あっぱれ」は称賛を、「あわれ」は悲哀や憐憫を表すためだけに使われている。

なぜ真逆の意味を持つようになったのか?

「あっぱれ」の漢字表記で使われる奇妙な字・「遖」の成り立ちは?

簡単なようで難しい「あっぱれ」の由来に迫ったとき、日本語の真髄が見えてくる。

 

「あはれ」が「あっぱれ」になったのは本当か。テーマはこれだけだが、読めば痛快きわまる一冊だ。

探索はまず音韻から。ハ行は昔pだったのが奈良時代にΦ(フ)になった。それがやがてwに。だから「私は」はワタシワと読む。現行のハ行の発音は一貫性がないのだ。

促音の法則。強めるのに、息をとめたあと破裂音にする。やはり、やっぱりの類だ。ファがパになるか。定説はアファレがまずアッファレになって、アッパレになったとする。そんなはずはない、と著者は反論。丹念で合理的な推論が読ませる。

ニホン/ニッポンはどうか。これは逆で、まず日本と国号を決めたら長安でジッポンと読まれた。それが日本でニッポンになり、穏やかな言い方のニホンもできた。だから元気のよいときはニッポン、チャチャチャで、ふだんはニホン国憲法だ。

著者は九十歳で本書に着手。ビジネスマンを退いたあと国字や訓(よ)み方を研究し著書も多い。促音(っ)は昔表記されなかった。かな表記と発音の関係もやっかいだ。感動一般を表す「あはれ」が称賛を表す「あっぱれ」に進化した理由を、集合心理の奥底に探る探偵小説さながらだ。

 

 

 

毎日新聞 書評

今週の本棚

『あっぱれから遖まで ある国字の盛衰』=西井辰夫・著

 「あはれ」が「あっぱれ」になったのは本当か。テーマはこれだけだが、読めば痛快きわまる一冊だ。

 探索はまず音韻から。ハ行は昔pだったのが奈良時代にΦ(フ)になった。それがやがてwに。だから「私は」はワタシワと読む。現行のハ行の発音は一貫性がないのだ。

 促音の法則。強めるのに、息をとめたあと破裂音にする。やはりやっぱりの類だ。ファがパになるか。定説はアファレがまずアッファレになって、アッパレになったとする。そんなはずはない、と著者は反論。丹念で合理的な推論が読ませる。(続く)

 

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