オーケストラの音楽史  Paul Bekker  2013.6.29.

2013.6.29.  オーケストラの音楽史 大作曲家が追い求めた理想の音楽
The Orchestra                  1936

著者 Paul Bekker 1882年ベルリン生まれのユダヤ系ドイツ人。幼い頃からヴァイオリンとピアノを学び、ヴァイリニスト、指揮者を経て音楽評論家に転身。1911年に新聞『フランクフルター・ツァイトゥング』の専属評論家に。ナチスが政権を取った翌年の34年にフランスへ亡命、同年ニューヨークへ移住。37年歿

訳者 松村哲哉 1955年生まれ。慶大経卒

発行日           2013.4.10. 印刷               4.30. 発行
発行所           白水社

クルト・ザックスのオーケストラの楽器の歴史に関する学究的な書物に負うところ大
著者が自ら英語で書いた本

1.    前奏曲――オーケストラの楽器の系譜
たくさんの楽器の中から今あるものを選び、オーケストラに必要な機能をそれぞれが適材適所で発揮できるように配置する作業は、17世紀初頭から18世紀半ばにかけて行われ、1750年前後に今あるような組み合わせの姿が出来た
1600年以前に使われていた楽器が、そのまま現在でも演奏されているという例はない
楽器のお手本は、人間の歌声 ⇒ ヴァイオリン属は、ソプラノに当たるのがヴァイオリン、アルトに相当するのがヴィオラ、テノールやバスに相当するのがチェロ。コントラバスはヴァイオリン属ではなく、同じ擦弦楽器でもヴァイオリン属とは異なる特徴を持つガンバ(ヴィオール)属の生き残り。複雑なテクニックにも対応してよく通る豊かな音量のヴァイオリン属の出現でガンバ属は後退したが、後に弦楽4部のスタイルが確立した際、穏やかで深々と響く音色ゆえにコントラバスだけが最低音を担当する楽器として存続した
弦楽器による「合唱隊」が完成し、それがモダン・オーケストラの土台となった
17世紀には、人間11人の歌声に匹敵するものを求めて楽器の開発が盛んに行われた
旋律を奏でるうえでの表現力と技術的な可能性が向上するに従って、代役に過ぎなかった楽器が徐々に独立性を獲得していった
ヴァイオリンの完成は、音楽史上における最も画期的な出来事の1つ ⇒ 驚くほど人間の歌声に似ていて、しかも感状表現力でも引けを取らない。言葉との繋がりだけが問題だが、楽器を使って自由な演奏を繰り広げるうえでは言葉がかえって邪魔だと感じられる時がやがて来る
ヴァイオリンの最初の偉大な製作者はガスパロ・ダ・サーロ(ベルトロッティ)とアンドレア・アマーティで、次いでアントニオ・ストラディヴァーリが完成させた
楽器の形状が変化することもなく、改良の余地も必要性もなく、改良自体望ましくない、という人間の発明品としては極めて稀なケース
近代オーケストラの最大の特徴は、この合唱団を手本とするヴァイオリン属のアンサンブルが土台になっているという点で、その後もヴァイオリン属はオーケストラ音楽の中心的地位を占める
管楽器は、少しずつ時間をかけてオーケストラに加えられた
管楽器の音色を特徴づけるのは素材。様々な形状の楽器があり、音の出し方も違い、常に改良が加えられ、絶え間なく構造が変化し続けた
最も複雑な機構を持つ管楽器がオルガンで、弦楽器に管楽器を組み合わせるという考えはオルガンの演奏を参考にして生まれたのかもしれない ⇒ 複数のパイプで異なる音色を出すアイディアと、和声的に重要な音にオクターヴあるいは完全5度を重ねる演奏法はオルガンから始まった
オーケストラは、弦楽合奏が生み出すハーモニーに木管楽器が彩りを添え、金管楽器と打楽器がアクセントを付け加えるという考え方に基づいて作られた ⇒ オーケストラの発展史は、管楽器の機械構造が完成形へと近づいて行く歴史であり、管楽器と弦楽器の音をよりうまく混ぜ合わせることを追求した物語
弦楽器のアンサンブルを作り上げるまで、様々な楽器を取りまとめる役割を果たしたのはチェンバロ。その祖先はリュートであり、弦楽器の集合体(同時にいくつもの音が出せる)
ハーモニーを重視するホモフォニーへと音楽のスタイルが変化した結果、11つの声部はその独立性を失い、全体の一部として基の音から派生し全体の一部を構成するようになる。基礎となる音は通常バスで、楽譜もバスの旋律とメロディーだけになり、バスの音には構成和音を表す数字が付けられ、演奏者はこの数字に基づいて和音を演奏する ⇒ このような低音声部の書き方を「数字付き低音」または「通奏低音」と呼び、通奏低音を演奏する楽器にぴったりなのがオルガンやチェンバロだった
1600年頃フィレンツェで最初のオペラが作られ、オーケストラを編成するための最初の実験が行われた
16001750年は、何か全く新しいものを作ろうとする人々の熱意に押され、新手法や新たなアイディア、新たな傾向が矢継ぎ早に、そして過剰なまでに生まれた時代。音楽の世界でも古い楽器と新しい楽器、古い様式と新しい様式が並存、有り余るほどの楽器を無頓着に使い、実験的な演奏が行われた
175年頃のオーケストラでは、オーボエとファゴットの数が異常に多い
オーケストラ音楽の発展に大きく貢献したのは、コレギウム・ムジクムという音楽愛好家の集まり、ドイツとスイスで盛んに活動
教会も礼拝とは切り離した形で公開コンサートを開催、音楽の発展に寄与
18世紀中頃には、各地を旅するヴィルトゥオーゾ達が登場、主にヴァイオリン、チェンバロ、オルガンの名手で、公開の場でその卓抜した演奏能力を披露
曲そのものより、楽器を演奏すること自体に人々の興味が向けられた
当初は、楽譜に楽器の指定はなかったが、声楽にはない器楽ならではの演奏効果が認識されるようになると、新しい形式の誕生へと繋がる ⇒ より厳密な記譜法が必要となり、その中でも重要な演奏効果をもたらすものとして最初に注目されたのが「デュナーミク」という「強弱法(音の強弱の変化により演奏効果をもたらす方法)
次いで音色の変化による効果 ⇒ 様々な楽器を組み合わせたり、様々な楽器を独奏に用いて名人芸的な演奏をさせたりすることによってもたらされる。室内ソナタなどがそれで、ヴィヴァルディによる曲などがある。鍵盤楽器に応用したのがバッハで、チェンバロ協奏曲を作ったり、ブランデンブルク協奏曲もこのグループに属する楽曲であり、曲ごとにアンサンブルの編成を変えることによって音色の変化による効果がもたらされている
3番目の最も重要な演奏効果が開発されたのは、個性的な主題の創造というアイディア ⇒ 声楽から離れて、音の強弱や音色変化と言った楽器ならではの特色を生かして器楽のための新たな音楽言語が生まれるが、それを具現化したのがソナタであり、オーケストラの誕生
オーケストラが、他者に奉仕するのではなく、自らの明確なイメージをもって音楽の王国に君臨するようになるが、そのための武器としたのが「ソナタ形式」であり、オーケストラの「ソナタ」は「交響曲」と呼ばれた

2.    古典派のオーケストラ――ハイドン
交響曲という器楽曲の出現とともに、本当の意味でのオーケストラの歴史が始まる
新たな道を切り開くことに繋がる創造的な作品を発表した最初の大作曲家はハイドン
ハイドンは18世紀と19世紀を繋ぐ人物。音楽史上「古典派」の時代の中心。レッシング(詩人)、ルソー、カントといった哲学者と同時代人であり、理性を重んじ啓蒙思想を説く時代精神を共有
ハイドンの曲はそれ自体完璧な音楽作品。前の時代の大火から刺激を受けたとはいえ、ハイドンはそれを吸収し、完全に独自の手法で作品へと結実、自力で切り開いた道を通って完成形へと辿り着いた。その作品に後世の人間が手を入れる余地は全くない
ハイドンは、器楽の世界で最初の絶対君主となった ⇒ ほとんど独学。器楽の作曲で参考にしたのは、当時新しいスタイルの和声を用いた豊かな感情表現でセンセーションを巻き起こしていたバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品
その才能が認められてアイゼンシュタットのエステルハージ家のオーケストラに招かれ
その後ロンドンを訪れ、最後の12曲の交響曲(ロンドン・セット)を作曲し、自らのライフワークの最終的な仕上げを行う。ヘンデルのオラトリオに刺激を受け《天地創造》と《四季》を作曲して自らの作品群の掉尾を飾る
ハイドンの時代には、ドイツの作曲家はイタリアで教育を受けるのが当たり前だったが、彼はその機会を逃したものの、実際にはイタリアには彼の必要とするものは何もなかった
器楽曲こそが自分に与えられた責務と認識、ピアノ曲も作ったが、ベートーヴェンのように終生変わらずピアノ音楽に対して特別な興味を抱いていたわけではない。次に手掛けたのが室内楽で、弦楽四重奏曲を4声のハーモニーによる代表的な楽曲と見做すようになると、彼の作品における基本形式となり、ある意味オーケストラ曲をも凌ぐ重要性を獲得 ⇒ 4つの楽器の音色が同質であるため、聴き手には4人が1つの楽器を演奏しているように聞こえる。通奏低音を伴わない独立したスタイルの器楽曲であり、1つの楽器を演奏しているように聞こえるだけの機動性と音色の同質性を持つゆえに、主題の操作・展開を行う「主題労作」と呼ばれる作曲技法を可能にした
 音楽では一般に主題とは,楽曲の一部ないし全体の構成基盤であると同時に,しばしば固有の性格的相貌を有し,それ自体である程度完全な音楽的表現を成立させる主要楽想をいう。楽曲の冒頭をはじめいたるところで提示あるいは再現され,ときには変奏され展開されて(特に主題に含まれる部分モティーフへの分割・展開を〈主題労作〉という)全体の性格を決定し,楽曲に統一性を与える。音楽の各要素(旋律,リズム,和声,音色,デュナーミク等)の相互作用によって総体的かつ明確に規定され,ある程度まとまった形態を示す点でモティーフとは区別される。
ハイドンは主題労作の原型と基本ルールをフィリップ・エマヌエルのピアノ曲に見出す
フィリップ・エマヌエルこそ、ピアノ・ソナタという形式を作り上げた人 ⇒ 第1主題とは独立した個性を持った第2主題を付け加え、正反対な表情を持つ主題の対話という形でソナタが出来上がる
2つの主題の対象を示した楽章に対し、メロディーと呼ばれる歌うような最上声部が誕生、極めて抒情的な性格を持つところから、独立した楽章が必要となり、ソナタの第2楽章(歌の形式に基づく緩徐楽章)となるが、旋律的でゆったりとした楽章で終えるのは効果的でないところから、第1楽章ほどの重要性はないまでも同じように生き生きとしたリズムを持つ楽章をもう1つ続けて演奏するようになった(3楽章)
「ソナタ」と呼ばれる器楽の形式が整うまで50年以上を要した ⇒ 他の様々な器楽形式からの影響を受ける。その1つが独伊仏でそれぞれ独自の発展を遂げた「組曲」と呼ばれる一連の舞曲があり、「序曲」からも影響を受ける
「ソナタ」とは、「演奏される曲」の意。「カンタータ」が「歌われる曲」の意であるのと対照
スカルラッティの作ったイタリア風序曲は、急―緩―急の3つの楽章から構成。リュリのフランス風序曲の場合はその反対で緩―急―緩。巧者の阿智プの序曲は、時とともにオペラに限定。イタリア風序曲から派生したのが3つの楽章を持つ協奏曲で、その第1楽章が徐々にソナタ形式へと発展し、やがて「ソナタ」は形式を指す言葉になる
ソナタの進化はフィリップ・エマヌエルによって完成 ⇒ 主題労作を行うソナタ形式の第1楽章、歌謡形式で書かれ旋律的でゆっくりとした第2楽章、そして軽やかな舞曲もしくはロンド(主題が繰り返される一種の輪唱)によるフィナーレ。ハイドンはその形式を継承したうえで、4つ目の楽章となる「メヌエット」を追加し、第2と第3楽章の間に挿入。この「メヌエット」は当時はやっていた舞曲の中でも最も特徴的な曲であったため人気
フィリップ・エマヌエルの楽器はピアノだったのに対し、ハイドンは弦楽四重奏で、管弦楽曲についてもその原則は変わらないが、室内楽とオーケストラの場合とでは下敷きとなる弦楽4部の性格に著しい違いがある ⇒ 室内楽は独奏者の集まりゆえ、各演奏者に大きな演奏の自由が与えられるのに対し、オーケストラでは複数の奏者が同じパートを演奏するため各奏者への要求にはどうしても限度がある。ハイドンは管楽器を徐々に参加させてこの欠点を補い、様々な演奏効果を新たに生み出した
音楽にダイナミックなものを求める傾向が強くなったことで、室内楽から管弦楽への緩やかな移行が促される ⇒ 楽器の数の増加は、それまで予想もしなかった結果をもたらす
ハイドンのオーケストラ曲は、一貫して弦楽四重奏をベースにして作られたため、どうしても小規模の弦楽アンサンブルのディナミーク(音の強弱)に準じる
ハイドン以前にも、マンハイム学派の作曲家たちがソナタ形式やメヌエットを挿入するという作曲形式を用いながらオーケストラの演奏水準を飛躍的に進歩させていた ⇒ ゴセックは、若い頃マンハイム学派の影響を受け、後にパリで最も影響力のある指揮者の1人となる。ただ、マンハイム学派の作品は直ぐに忘れ去られた
洗練された形式を持つハイドンのオーケストラ曲は、交響曲と呼ばれるようになる ⇒ 「組曲」の最初の楽章を交響曲とも言ったが、最終的にはオーケストラのためのソナタを指す言葉となる
ピアノ或いは弦楽四重奏のソナタがオーケストラのソナタへと移行し、当初弦楽4部のアンサンブルであったものが、徐々に管楽器が加わることでディナミークの幅が広がり、より豊かな演奏効果を実現した
ハイドンは104の交響曲を書いた(現在では3曲追加) ⇒ 当初は2つのメヌエットを含む5楽章編成だったものが、その後4つに絞られた。オープニングはアレグロ、次いで歌謡形式のアダージョまたはアンダンテ、さらにメヌエット、ロンド形式のフィナーレが続く。使える楽器の種類によってオーケストラの編成が左右された。ハイドンは使える楽器の中から選択して編成を変えていったが、常に変わらないのは弦楽四重奏をモデルとした弦楽4部、ないしはコントラバスがあれば弦楽5部だった
オーケストラの土台となる弦楽アンサンブルには、様々な管楽器が加えられた ⇒ 初期は2本のオーボエと2本のホルンで、ハーモニーを膨らませたり、重要な音やフレーズを際立たせたりしたため、本来補助的な役回りにもかかわらず目立つ存在に
ハイドンは種々試して常に新しい演奏効果を求め続けておりオーケストレーションに決まった方はなかったが、晩年になってようやく今日基本的と見做される編成が出来上がる
ハイドンはオーケストラを使って様々な実験をした結果、彼の下でオーケストラはかつてない明晰な響きを獲得したが、その1つが表題的要素を使った訴えかけがある ⇒ オラトリオ《天地創造》では世界が出来る以前の混沌とした状態や動物の動きを楽器によって描いたり、《告別》交響曲ではオーケストラの奏者が1人ずつ蝋燭を消して会場から出ていくが、それは家族の待つ街にかえりたいという楽士達の気持ちを代弁
ワーグナーによると、ハイドンの交響曲は舞踏を洗練させた音楽だそうだが、第2楽章は純粋に「歌」であり、第1楽章も舞曲のリズムから一番遠い世界 ⇒ ハイドンが自分の音楽で表現しようとしたのは「感情」ではなく、理性のルールに則った調和的秩序の存在を前提とした古典的合理主義で、心に感じたものを理想的な形で表現しようとした。理性によって支配された調和こそが世界の基礎であり、目的である
エステルハーザからウィーン、パリとより大きな社会に広がり、最終的にロンドンにおいて一般民衆との出会いを果たすが、聴衆の規模が大きくなるにつれてハイドンの曲の規模も表現の幅もオーケストラの規模も拡大し、時代を代表する作曲家として尊敬と支持を勝ち取っていった
音楽を支配するのはハーモニー(調和)であり、そのハーモニーを奏でるのが器楽曲の雄たる交響曲。すべては神聖なる啓蒙思想に則って人間の活動が生み出した最高の成果たる、合理主義への賛歌なのである

3.    オペラのオーケストラ――モーツァルト
オーケストラ音楽のもう1つのジャンルがオペラ ⇒ オーケストラはあくまで全体の一部かつ補助的地位に留まるが、時とともに「歌声」とオーケストラの対立関係が激しさを増し、「歌声」や「演技」に対する配慮が創造的なアイディアを生むための刺激となり、純粋器楽としてのオーケストラ音楽の発展に結び付いたのは否定できない
楽団員一人一人の個性を犠牲にして、多彩な個性を持つ集団を一括りにした、オーケストラという個を超越した新たな楽器を創造する重要な作業をこなしたのが指揮者 ⇒ ルイ14世の宮廷指揮者でパリ王立オペラの監督だったジャン=バティスト・リュリが最初。作曲家でもあり、フランス・オペラの基礎を築く
オペラのオーケストラのルーツは、フィレンツェで行われた最初のオペラ公演の際に集められた演奏集団で、アマチュアの弦楽器奏者
ヴェネツィアでオペラを書いた最初の大作曲家モンデヴェルディがオーケストラの重要性を高めたが、あくまで伴奏に留まり、オーケストラが単独で演奏する唯一の機会である序曲はまだ生まれていなかった
オペラの分野でモンデヴェルディの後継者となるのがリュリとスカルラッティ(ナポリ・オペラ学派の祖) ⇒ ナポリがあくまで伴奏の留まったのに対し、フランスではレチタティーヴォ(旋律を伴わない朗唱)が導入され、歌と踊りが同じ程度の重要性を持つオペラに適したオーケストラ(=声楽から独立し単独で演奏する機会を持つ)が作られた
リュリが「序曲」を作り始め、序曲が舞曲と組み合わされて「フランス風組曲」という独立したオーケストラ曲となり、オペラとは別に演奏されるようになる
スカルラッティも器楽のみで演奏されるオペラの導入曲の必要性を感じて気楽な即興的性格の導入部を作曲し「シンフォニア」と名付ける
イタリア・オペラではチェンバロのみを伴奏とするレチタティーヴォが生まれ、指揮者がチェンバロに座ってリズムを刻んだが、フランスではレチタティーヴォをオーケストラが伴奏したため、指揮杖で床を叩くという正確さを重視した指揮法が採用された
オーケストラ演奏に関する実践的な技術をもろもろの面で発展させたのはフランス人、中でもオーケストラの形を整えたのはリュリで、ルイ14世の絶対王政をモデルとし、他のヨーロッパの宮廷オーケストラに波及、さらにコンサート・オーケストラへも及ぶ
オペラの発展とともに、オーケストラも目覚ましい成長を続けたため、主従関係は徐々に逆転し、最終的にはオーケストラが音楽界の専制君主となりすべてを支配下に置く
オペラのオーケストラの発展に対する貢献度が最も高いのはモーツァルト
モーツァルトの音楽的才能は常に声楽によって養われた ⇒ 音楽の歌としての性格が失われては元も子もない
モーツァルトは、生まれたとき既に24歳だったハイドンから、オーケストラ全般と調整の効果的使い方に関する新しい考え、そして器楽アンサンブルに適応可能な形式に関する理論を学んで刺激を受け、自作に役立てた。ハイドンの影響が模倣という形で表れることはなかったが、モーツァルトの音楽の中で二人がともにイタリア音楽から受け継いだメロディー重視の伝統的スタイルと見事に融合
モーツァルトのオーケストラが持つ独特の性格は、技術的な工夫ではなく、楽器の使い方から生まれたもので、彼はそうした楽器の使い方をオペラのオーケストラで学んだ ⇒ モーツァルトのオペラでは、生身の人間が自然な音楽の流れの中で自分たちの感情を表現するが、言葉や雰囲気、感情をはっきりと聴衆に示すために楽器が利用される。個を尊重
声楽と器楽が等しく重要性を持つオペラを作り上げる ⇒ こうしたやり方の効果が最も顕著に現れるのが序曲。本編と無関係に自由に演奏された序曲を、本編との繋がりを持つ先駆けとして最初に考えたのはグルックで、モーツァルトはその原則を受け継ぐ
序曲の変化がオペラのオーケストラの発展に重大な影響を与えたのは、本編の最も重要な場面の音楽を序曲に取り込んだことで、器楽がより力強く明快な表現力を身につけていく
オーケストラがこうした表現力を手にしたことで、言葉は不要となり、その背景にある概念やイメージへと純化され、音楽の持つ想像力が言語と人間の声の制約から解放され、独自の道を歩き始めた

4.    ダイナミックなオーケストラ――ベートーヴェン
演奏機能の効率化、高い技術水準を要求
編成も大規模となり、演奏は貴族の私的なコンサートから、入場料を取って公の場で行われるようになった
ベートーヴェンが新しかったのは、曲自体がその内に秘めた力を最大限発揮するためには公の場で演奏される必要性があったという事実 ⇒ ベートーヴェンの曲を中心にコンサートを運営する組織が育ち、オーケストラもプロ音楽家の集団として発展
ベートーヴェンの音楽の最大の特徴は、ディナミークの幅の広さで、それが楽器の用法にも、形式に対する考え方にも、アイディアの展開の仕方にも決定的影響を与えている
若き日にフランス革命の影響を目の当たりにして、コスモポリタニズム、自由、平等、友愛といった新しい考え方に共感、感情の起伏を伴う絶え間ない変化を常に意識した結果、それを音楽で実現するには、ディナミークが最も有効な手法であり、ディナミークを様々な方向へと発展させることが主要な目標となった ⇒ 最初のロマン派作曲家
ベートーヴェンの作品の中核をなすのは純粋な器楽曲 ⇒ ピアノ曲、管弦楽曲、室内楽の3つのグループに分けられるが、オーケストラが声楽パートに対して完全に優位な立場にあるのがハイドンとの違い。ピアノ曲は、室内楽や管弦楽曲を書くための準備、管弦楽曲のエッセンスを昇華させた最終形として室内楽、特に弦楽四重奏曲を位置付けていた
《ウェリントンの勝利、またはヴィットリアの戦い》⇒ メトロノームの発明者メルツェルが作ったパンハルモニコンという楽器のために書かれた曲が後にオーケストラ用に編曲され、ベートーヴェン最大の成功作であり、ベートーヴェン自身も他の交響曲と同じくらい高く評価。標題音楽を単に心の状態のあらましを示すものとして捉えた
数少ない新機軸の1つとして、メヌエットの代わりにスケルツォを導入 ⇒ ダイナミックな楽節の持つ力を自由に発揮させ、新たなクライマックスを創り出す楽章となった
ベートーヴェンの交響曲の骨組みを決定するうえで重要な要素
   楽章のタイプ ⇒ これに応じて表向きの構造やテンポが決まる
   曲の中心となる調性と各楽章の主音の関係 ⇒ 調性を重視、ピアノ曲でさえ移調を嫌った。第13、最終楽章は主調で書かれ、緩徐楽章のみ近親関係にある調性で書かれる
当時の交響曲はニ長調で書かれることが多かった ⇒ オーケストラの中心となる弦楽器は通常C-G-D-Aに調弦されるため、音階内の多くの音で開放弦が使えるところから、ニ長調は弦楽器の演奏にて適した調性。逆に、ハイドンが嬰へ短調で弦楽四重奏曲を書いたのは開放弦を避けるためという
調性の決定は、ディナミークの幅を大きくとるために選択された楽器の特54性によって決められた ⇒ 楽曲の構想が浮かぶと、次にディナミークの扱いが決まり、それによって楽器が決まる。ベートーヴェンは英雄的な雰囲気を醸し出すのに最も適した音色を持つ楽器はホルンだと思っていたため、《英雄》交響曲ではホルンの音色を中心に据えて曲を作り、ホルンが一番響くのは変ホ長調であることから《英雄》の調性が決まった
《運命》や《レオノーレ》序曲は、勝利の雰囲気を作るのに最も適した楽器はトランペットとされ、その音色を念頭に曲が作られ、トランペットの効果を最大限引き出せるハ調が調性となった
ベートーヴェンが主題として選ぶ動機の性格にも、楽器の特性が大きく関わっている ⇒ ハイドンやモーツァルトの主題は弦楽器で演奏されたが、《英雄》以降は管楽器が優勢になり、管楽器が最も表情豊かに演奏できるような主題が用意されるようになった
それまでオーケストラが持っていた貴族的な性格や個人主義的な性質は無効となりあらゆる芸術的手段はダイナミックな精神の支配に従い、クライマックスは主題の展開の結末として新たな意味を獲得
ベートーヴェンの音楽は、形式、音響、規模において従来の制約を打ち破り、あらゆる意味でもはや一部の限られた社会の聴衆向けではなく、音楽が持つ精神性は、自由、友愛を謳う思想や個人責任を求める運動と結びついて自由な社会におけるすべての個人の解放と人類の融和という理想を完璧に反映。これがベートーヴェンの交響曲の、偉大な2つのミサ曲の、そして《フィデリオ》の結論
彼が掲げた究極の目的は、芸術、社会、政治、宗教すべてを一つにまとめて新たな理想を作ることであり、完璧な形式を伴って表現できる組織体がオーケストラだった
オーケストラはその後も様々な変化を遂げるが、完成度においてベートーヴェンのオーケストラほど理想に近づいたものはない

5.    ロマンティックな幻想のオーケストラ――ウェーバー、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン
ベートーヴェンの死(1827)までに、3人の作曲家が新たなタイプのオーケストラを完成させたが、様々な新しいアイディアを発展させ、1つの流れへとまとめあげた ⇒ ドイツ・ロマン派と呼ばれ、現実世界に対する強い不満を純粋な感情の噴出で表現
Ø  ウェーバー(17861826) ⇒ ベートーヴェンより1年前に死去
Ø  シューベルト(17971828) ⇒ ベートーヴェンの1年後に死去
Ø  メンデルスゾーン(180947) ⇒ 最も重要なオーケストラ作品の1つであるシェークスピアの戯曲『夏の夜の夢』への序曲の完成は1826
Ø  シューマン(181056) ⇒ ロマン派を代表するピアノの詩人。3人に遅れてメンデルスゾーンに刺激され表現領域をオーケストラへの世界へと拡大
想像の世界を表現するのにうってつけのジャンルが以下の3
Ø  歌曲 ⇒ 詩の世界を音楽の力でより鮮やかに表現。シューベルトが代表作曲家
Ø  オペラ ⇒ ロマンティックな物語を舞台上で再現。ウェーバーが代表作曲家
Ø  オーケストラ ⇒ 現実を超越し、神秘的な音の力だけで幻想的な雰囲気を表現。代表作曲家がメンデルスゾーン。シューベルト、ウェーバーも後に加わる
ロマン派のオーケストラは、ベートーヴェンのオーケストラとの違いはそれほどない ⇒ ベートーヴェンでは特別の場合のみ採用されたホルンの4本編成が当たり前になり、トロンボーンが正規のメンバーになり、大きな編成になったくらい。違いがあるとすれば楽器の使い方で、音色の重ね方や特定の音質を強調するやり方に特徴
ウェーバー ⇒ 一定の楽器を協奏曲の独奏楽器のように扱い、それまであまり顧みられなかったヴィオラ、クラリネット、オーボエ、ホルンなどに注目が集まる様仕掛けた。《魔弾の射手》序曲冒頭のホルン四重奏は、ベートーヴェンが英雄的響きを求めたのに対し、森や自然そのものの象徴として用い、新たな活用法としてその後広く受け入れられた
各楽器から生き生きとした表情を引き出すため、様々な試みを行う ⇒ 最高音や最低音が使われ使用音域が拡大。トロンボーンは神秘的雰囲気を、ホルンは自然らしさを醸し出すために多用。弦楽器のミュート(弱音器)も神秘的な効果の切り札
鎖や鞭の音などの擬音も取り入れ、劇的な要素とその雰囲気を自在に駆使できるオーケストラを作り上げ、現在でもこの種の音楽表現を目指す際の手本となっている
シューベルトがソナタや交響曲を作曲した時、曲の構造においても曲作りに対する考え方においても手本としたのはベートーヴェンのモデルではなくウェーバー。曲は幻想の世界を再現するための手段であり、聴衆に新たな景色を映し出すために半音階的転調を多用
メンデルスゾーン ⇒ 早熟で短命。この時代のロマン派作曲家の中でオペラに興味を示さなかった唯一の人物。彼に霊感を与えたのは言葉ではなく詩的な雰囲気で、ピアノ小品集《言葉のない歌(無言歌)》のタイトルがそれを象徴。序曲《真夏の夜の夢》はその最初の幾つかの音符だけで新しい魔法の領域を切り開いたと言っていい。フルートを特に好み、しばしば木管の中心的楽器としてソロ風に扱う。力強さを前面に押し出すのを嫌い淡い色合いを好んだ。《結婚行進曲》のように金管群が全体をリードするような音楽は例外
シューマン ⇒ メンデルスゾーンとの違いは、同じ詩的要素の重要性を心得ながら、音色の効果と楽器の技術的な潜在能力についての実践的で深い知識に差異。常にピアノをベースに曲を考える。頭に浮かんだ抽象的な音のアイディアを一定の楽器によるフレーズと結びつけて全曲のスケッチを作り、それを後でオーケストラのスコアにする「オーケストレーション」という創作法を行った最初の作曲家の1
指揮法の発達にもウェーバーの果たした役割は大きい ⇒ 現代的な意味におけるドイツのオペラ指揮者第1号。丸めた紙を手に、演奏全体のリーダーシップをとった

6.    ヴィルトゥオーゾ・オーケストラ――ベルリオーズ、マイヤーベーア、リスト
フランスでも、オーケストラは同時並行的に独自の発展を遂げる
リュリの後継者がスポンティーニ(17741851)
1829年初演のロッシーニ作《ギョーム・テル(ウィリアム・テル)》が広範な成功を収めた2年後、マイヤーベーアの《悪魔のロベール》が最大の成功を勝ち取る
ベルリオーズ ⇒ 大胆で全く新しいタイプのフランスの交響曲を作る。1829年《幻想交響曲》で衝撃を与えたが、ウェーバ-を称賛。進歩と共に規模が拡大、500人の奏者に400人の歌手の規模を理想とした。現在でも代表的な教科書とされる『管弦楽法』を書き、オーケストラが圧倒的な演奏効果を実現するヴィルトゥオーゾの時代という新たな段階に入る象徴的な出来事
ヴィルトゥオーゾ ⇒ 優れたテクニックと解釈により音楽の細かな陰影を表現できるくらい完全に楽器に熟練していることを意味する
木管楽器に最も大きな関心を寄せる
パガニーニがヴァイオリンの、ショパンがピアノのヴィルトゥオーゾだったように、ベルリオーズはオーケストラのヴィルトゥオーゾ
ベルリオーズが変えたのは、オーケストラという組織の編成のみで、音楽形式については編成拡大に伴う多少の修正に留まり、基本的な楽章の枠組みには手を付けていない
リスト ⇒ 交響詩で主題の統一性から形式の統一性へと踏み込む
リストのキャリアは、ピアノのヴィルトゥオーゾとして始まるが、ショパンのようにピアノという楽器に縛られず、ピアノはあくまで音楽的アイディアを最初に書き留めるための手段であって、ピアノ曲の多くもオーケストラ曲となって初めて本来の姿を聴き手の前に現した。詩的な発想を音で表現することが第1で、どのような器楽形式をとるかは二の次であり、しばしばオーケストレーションは弟子に任せた。自作の楽譜に書きつけた「ためらいながら」とか「皮肉たっぷりに」というような演奏指示も通常の演奏記号とは違い、文学的な要素を重視する作曲家の意図を反映
多くの人が理解できる曲を作り、曲に込められた詩的或いは哲学的な内容が聴き手にはっきりと伝わるよう努めるというのがリストの音楽の原点 ⇒ 「社会主義的」音楽家(音楽が持つ意味をすべての人がはっきりと理解できるよう努めると同時に、知的価値を持つ事柄をすべて音楽によって伝えようとする人間)1号。まずは、オペラやオーケストラ曲をピアノ独奏用に書き直して世に知られていない名曲や作曲家を広く紹介、次いで作曲家として詩人や哲学者の偉大な思想を自作の中で音によって感情表現した。理性に対する感情の勝利だったが、彼の業績を軽んずる声が常に付きまとうのは、ほぼ同時期に圧倒的な創作力を持って登場したリヒャルト・ワーグナーの存在が影響

7.    宇宙のように壮大なオーケストラ――ワーグナー
ワーグナー以前のオーケストラ曲の作曲家は、ベルリオーズを除きプロの器楽奏者としての腕前を持っていたが、初めて指揮者=作曲家という新しいタイプの指揮者が登場
少年時代にウェーバーの指揮振りを見て憧れ
オーケストラを1つの楽器として独立させた ⇒ 情感を完璧に表現するにはどうしても言語が必要であり、声楽と器楽が合体して生まれた新たな表現媒体としての「ドラマ」こそが最終の形式だと考えた ⇒ 総合的芸術作品としての「楽劇」の創造
ハーモニーを重視、それを奏でる楽器がオーケストラ
《ローエングリン》が決定的な転機 ⇒ 初めてハーモニーを第1に考えて作曲
「ライトモティーフ(示導動機)」と呼ばれるワーグナー独特の作曲手法 ⇒ 物語の展開を予感させたり、過去の出来事を思い出させたりするほか、劇中の動きに込められた音楽的な意味と演劇的な意味を聴衆に分かり易く説明するという役割を持ち、一貫性のある音楽を創るうえで有効に働く。主題労作や交響的作品の主題に変わるもの
ある日偶然ドアの向こうから聞こえてきたオーケストラの雑音のない音(各楽器の特徴的な音色だけが聞こえる)に閃いて「隠されたオーケストラピット」というアイディアが浮かび、バイロイトにおいて実現、その新しい経験に基づいて作曲されたのが《パルジファル》

8.    世紀末のオーケストラ――ブラームス、ブルックナー、マーラー
Ø  ブラームス(183397) ⇒ ピアニスト。ベートーヴェンを模倣
Ø  ブルックナー(182496) ⇒ オルガニストから出発した最初の作曲家。マーラーを模倣したとされるが、弟子たちが世に受け入れられるよう余計な変更を加えたためにワーグナーの影響がいっそう強調された面も否めない
Ø  マーラー(18601911) ⇒ 指揮者から出発。ボヘミアの民謡が創作の源にある。ブルックナーの弟子でありながら、マーラーよりもシューベルトの影響が濃く、声楽付きの交響曲をよく書いた。今日においても必ずしも大作曲家とは認められていない
いずれもベートーヴェンとその後継者たちの作品に多くを負っている ⇒ これまでの作曲家が独自の世界を切り開いてきたのに対し、革新と発見の時代が終わって、それまで発見されたものを手間をかけて磨き上げる時代となる
オペラ作曲家は1人もなく、ブルックナーとマーラーは完全に交響曲作家
いずれも「純粋にドイツ的な」交響曲作家 ⇒ ①金管楽器を土台に曲を構築し、②ホルンとクラリネットの用法に特に心を砕いている、③弦楽器、木管、金管という3つのグループが個別にハーモニーを奏でることが多いというドイツのオーケストラの特徴を踏襲
フランスのように、様々な楽器の音をすべて混ぜ合わせて同化させようとする傾向が強く、その結果オーケストラ全体の響きにある種の統一感が生まれるのとは対照的

9.    国民的オーケストラ――ヴェルディ、ビゼー、スメタナ、チャイコフスキー、シベリウス
ドイツ型とフランス型のオーケストラの発展とともに、楽器製作の中心も金管はドイツ、木管はフランスになったが、その前の弦楽器がオーケストラの中心だった時代には、楽器製作の先進国はイタリアで、特に弦楽器は北イタリアやチロルが中心
独仏伊に次いでオーケストラの発展に参加して来たのが以下の3か国
ロシア ⇒ 民俗音楽における器楽伴奏の伝統もあって徐々に開花、特に金管楽器に対する関心が高まる
オーストリア
ボヘミア ⇒ 民謡や民族舞曲の宝庫、弦楽器を特に好み、旋律の歌わせ方やリズム表現に新たな特色を加える
19世紀のイタリアでは、創作努力は全てオペラに向けられ、前半のロッシーニと後半のヴェルディ、その間の世代にベルリーニ、メルカダンテ、ドニゼッティがいる ⇒ 歌に寄り掛かった弦楽オーケストラで、単独で演奏するのは序曲や間奏曲のみ。オペラの中心地パリで修業。ベルリーニの卓越した声楽書法を特徴づける「ベルカント」と呼ばれる歌唱法に基づいてすべての音楽が作られていたため、オーケストラが独自の発展を遂げることはなかった。唯一の例外がロッシーニの《テル》だが、これはイタリア・オペラを放棄してフランス・グランド・オペラを目指した作品
Ø  ヴェルディは、従来のオペラによくあった型通りの伴奏を、登場人物の性格を生き生きと描写するための手段へと変貌させたが、オーケストラはあくまで脇役
Ø  ビゼーの《カルメン》がフランスにおける新たなオペラ・オーケストラの先駆け ⇒ オーケストラの規模の拡大傾向に異を唱え、洗練された演奏効果と技術面での軽量化を果たし、1つの楽器の音がハーモニー全体を代表する手法を取り、歌詞の中の最も重要な一言が明瞭に聞こえたり、トランペットやフルートのちょっとした音がフルオーケストラの咆哮よりも重要な意味を持って響いたりする。木管楽器がオペラ全体の響きを決定づけるのはフランス音楽一般に共通する特徴
Ø  スメタナ(182484) ⇒ 意識的に民族的な要素を取り入れたオペラを発表。国民的なオーケストラを育てる
Ø  ドヴォルジャーク(18411904) ⇒ スメタナの後を継いで、生まれた土地との繋がりを大切にするとともに、舞曲のリズムを好み、より華麗にオーケストレーションを施すことで、そこから色彩豊かな音楽を引き出した
Ø  ヤナーチェク(18541926) ⇒ 言語から発展した音楽としてのオペラを多く書き、音楽によって言葉の抑揚やリズムを模倣しようとする音楽書法
Ø  グリンカ(180457) ⇒ ロシア初の国民的オペラ《皇帝に捧げた命》を作曲。ライプツィヒで学び、音楽的には外国の音楽をそのまま用いている
Ø  ムソルグスキー(183981) ⇒ 意識的にヨーロッパ音楽を捨て、民族音楽やビザンツ風のハーモニーを取り入れたり、ロシア土着の音楽への関心を転じた最初のロシア作曲家
Ø  リムスキー=コルサコフ ⇒ ムソルグスキーと同様、意識的に西欧音楽の影響から脱しようとしたが、独自の音楽の創造には至らず
Ø  チャイコフスキー(184093) ⇒ 世界的に大作曲家と認められた唯一のロシア人だが、精神的成熟度はあまり高くない。友人の企画に基づく作曲(《マンフレッド交響曲》)も多く作品の独創性ではブルックナーに遠く及ばない
他にも、イギリスではエルガー(18571934)、ハンガリーではドホナーニ(18771960)、バルトーク(18811945)、スカンジナヴィアからはグリーグ(18431907)などが出る
シベリウス(18871974) ⇒ 国民的音楽から出発した最も重要かつ著名な作曲家。現役の中では一般に最も高く評価される。特にアングロサクソン系で高い

10. 「芸術のための芸術」としてオーケストラ――シュトラウス、ドビュッシー、プッチーニ
主としてコンサート用の器楽曲を作曲した作曲家グループは、約150年の期間に集中
交響曲以外の分野では隆盛と衰退が繰り返されたのに対し、交響曲の分野はベートーヴェンを唯一の頂点として後は支流を生み出すのみ ⇒ 現在でもコンサートの演目の中核にはベートーヴェンの作品が置かれる
交響曲の創作は、ある種の知的、社会的条件があって初めて成立する ⇒ 交響曲は、ベートーヴェンを理想形として完成を見た
純粋な芸術を追い求める傾向が高まる ⇒ 滅び行く世代の最後の1
Ø  リヒャルト・シュトラウス(1864) ⇒ 楽器の扱いに長けた器楽的芸術家。金管がベース
Ø  ドビュッシー(1862) ⇒ ハーモニーの芸術家。楽器はその手段
Ø  プッチーニ(1858) ⇒ メロディーの作曲家
Ø  ストラヴィンスキー ⇒ 新しい目標に向かって進み出しているところは前三者と異なる

11. メカニズムとしてのオーケストラ――シェーンベルク、ストラヴィンスキーと現在
19世紀を通してオーケストラは発展を遂げたが、社会的、経済的、教育的組織として確固たる地歩を占めたが、創造へと駆り立てる推進力は失われつつあった
大衆化の進行 ⇒ 聴衆の興味が過去の作品へ移る
演奏水準がより高度になり、オーケストラの経済的基盤が安定 ⇒ 学校や博物館と並ぶ公共性を具備
指揮者が専門家として独立した職業になる ⇒ ハンス・フォン・ビューロー(183094)が最初
20世紀初頭の最も重要なフランス人指揮者はエドゥアール・コロンヌ(18381810) ⇒ベルリオーズのスペシャリスト
英国ではヘンリー・ウッド(18691944)、トーマス・ビーチャム(18791961)
イタリアでは、コンサートは常にオペラの陰に隠れた存在で、その統率に特別なリーダーシップは求められていない
重要な指揮者の多くは、レパートリーを1人の作曲家に絞り、その専門家として解釈に力を注いでいる ⇒ ワーグナーは、自分の作品を上演する為に多くの指揮者を育成。モットル、ザイドル、リヒター等
ワインガルトナー(18631942) ⇒ ベルリオーズやリストの解釈
ニキシュ(18551922) ⇒ チャイコフスキーやブルックナー
ブルーノ・ワルター(18761962) ⇒ マーラーがベース
メンゲルベルク(18711951) ⇒ 指揮技術の教育者
フルトヴェングラー(18861954) ⇒ 持ち前の音楽に対する真摯な姿勢を捨て、表面的な技巧に走るようになった
ビューローに匹敵するのは以下の2人のみ
マーラー(18601911) ⇒ ステージと音楽に精神的な一体感をもたらす演奏を繰り広げる。死を前にして行った演奏はオペラ公演の模範とされる
トスカニーニ(18671957) ⇒ 作曲家の指示に従うことこそが真の解釈に繋がる道だと立証。若い世代の作曲家を無視。偉大な指揮者の系譜に繋がる最後で、偉大な指揮者に後継者が生まれないことと、最後の偉大な指揮者がレパートリーを新しい世代の作品へ広げようとしないことの2つの出来事は、偶然や個人の特性では説明がつかない
モダン・オーケストラの発展の3方向
   独奏に代わり、楽器の数を増やして「合唱隊」を構成 ⇒ ディナミークによる効果が発揮される
   重要な音にはオクターヴあるいは5度離れた音を重ね強調した ⇒ ハーモニーの完成により、ポリフォニーのスタイルが崩れ、音色に注目が集まる
   核となる弦楽群に他の楽器を加えてアンサンブルを構成した結果、楽器の増加や音の重なりによる演奏効果が生まれた ⇒ オーケストラが常にハーモニーを奏でる楽器という性格を持つ
「芸術のための芸術」に続く時代に起きた新展開の中でこの基本的方向が崩れてきた
Ø  シェーンベルク(18741951) ⇒ ワーグナーの流れを汲むが、徐々に一般的な音楽ルールを否定して簡素化、「オーケストラは終わった」とまで言い、ハーモニーに代わる新たな音楽の中心を模索
Ø  ストラヴィンスキー(18821971) ⇒ 作曲家としての出発点は踊りの音楽、ロシアのバレエ音楽。従来の音楽展開を見直し、徹底した簡素化によってオーケストラのサイズが縮小、新たなタイプの室内楽が出現。ハーモニー中心の技法は否定され、「リズムのオーケストラ」が必要とされた
ディナミークに基づく音楽作りが限界を迎え、映画やラジオが音楽に新たな刺激をもたらす要素として登場した影響から、創作活動にも新たな目標がもたらされる ⇒ 「純粋な動きとしての音楽」の可能性に気付く
「ダンス・オーケストラ」の登場 ⇒ 音楽史上初めて、アメリカが生み出したオーケストラで、ヨーロッパの音楽社会に向けたアメリカからの最初のメッセージ。弦楽器群が姿を消し、従来シンフォニー・オーケストラに加える価値がないとされ管楽器の中でも私生児扱いされていたサクソフォーンのファミリーが弦楽器にとって代わったのが最大の特徴
フランス「6人組」 ⇒ 「音楽そのものへの回帰」が合言葉
ヒンデミット(18951963) ⇒ ストラヴィンスキーの考え方を引き継ぎ、音楽以外の要素を徹底的に排除

オーケストラの歴史は聴衆の歴史。多くの人々に共通する考えや感情、目標を表現する媒体として、オーケストラに比肩する楽器も組織も他に存在しない。こうした事柄をオーケストラほどストレートに表現できる媒体はない。なぜなら、オーケストラは人間社会という基盤の上に成り立っており、社会のあらゆる動きがオーケストラに反映されているから。オーケストラはこれまでも人間文化が生み出した最も価値ある発明品の1つであったし、将来もそうあり続けるだろう



オーケストラの音楽史 パウル・ベッカー著 読み手の視点に立つ文章の魅力 
日本経済新聞朝刊2013年6月9日付
フォームの終わり
 本書はオーケストラ音楽を語る上でかつての名著であった。1936年に出版され、ヨーロッパ音楽の偉大な時代への最後のオマージュとして、アメリカ亡命時代に新大陸に育ちつつある聴衆のために書かれた本書は、オーケストラという表現媒体の歴史的な終わりを告げるシェーンベルクやストラヴィンスキーの記述で終わっているが、著者のほかの名著からかなり遅れてようやく邦訳されたのは、ある意味今日的である。
(松村哲哉訳、白水社・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(松村哲哉訳、白水社・2400円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 オーケストラに代表される西洋古典芸術音楽がいよいよ最期の時期を迎え始め、さまざまな延命策が講じられ始めた今日、理論と実践両面で法外な知識量を誇っていた偉大なる批評家ベッカーの手になる本書の持つ意味を探り、ここに書かれていることひとつひとつを美しい想い出のように噛みしめながら読む行為はふたたびアクチュアルである。単なる批評文ではない、学術書でもない。
 ベッカーは19世紀に確立された音楽研究を踏まえながら、それを一般聴衆に簡明に示し、かつ音楽の進んでいく方向をそれとなく諭すことにかけては絶妙だった。声楽から生まれ、ハーモニーをその旨とするオーケストラの歴史を、ハイドンから、頂点としてのワーグナーを経て20世紀までの「オーケストラ世界の探検家」に即してたどる記述が、専門的な知識を多分に披露しながらも無味乾燥な歴史記述に陥っていないのは、常に読み手の視点に立って文章を書いているからである。
 その姿勢は、歌劇場の支配人をも歴任して客入りを思案した彼が自(おの)ずと身につけたものだ。魅力的な文が多い。それはオーケストラ以外の分野に視線を延ばす箇所にもたっぷり盛り込まれている。ブラームスにとってピアノはリストのような名人芸ではなく「自分の心の内をそっと打ち明けたり」「親しい仲間と気持ちを通わせたりするための楽器だった」など、恥ずかしくなるくらいキラキラした表現がちりばめられている。それを十全に味わわせる訳文も巧緻だ。オーケストラ・ファンのみならず、オペラ・声楽・室内楽、どのファンにも喜ばれるだろう。
(音楽評論家 長木誠司)



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