ベートーヴェン 不滅の音楽を聴く 宇野功芳 2013.7.30.
2013.7.30. ベートーヴェン 不滅の音楽を聴く
著者 宇野功芳(こうほう、本名功) 1930年東京生まれ。国立音大声楽科卒。53年より評論家活動開始。現在『レコード芸術』誌の月評を担当。歯切れのいい文章で核心をついた批評は注目度が高く、影響力も強い。指揮者としても活躍、数多くのCDを残す
発行日 2013.7.1. 初盤第1刷発行
発行所 ブックマン社
新聞の三八広告より
l 印が、著者の推薦盤
交響曲
第2番 ニ長調 作品36
1802年、31歳の作
ベートーヴェンの9つの交響曲の中から1曲落とせと言われたら、99.9%の人が第1番を選ぶ。ハイドンの形を超えず、先輩には敵わない
僅か2年後にもかかわらず、2番は素晴らしい
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ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1959.1.盤が必聴 ⇒ 《田園》ともども絶賛
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ノリントン指揮 ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ 1986年盤も必聴 ⇒ 古楽器による。8番と共に古楽器にぴったり
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シェルヘン指揮 ルガノ放送管弦楽団 1965年盤がそれに次ぐ ⇒ ライヴ
第3番 変ホ長調 作品55 《英雄》
1803~04年、32~33歳の作
第9と並びベートーヴェンの交響曲の最高傑作と言われる
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 1977.10.6.盤 ⇒ リマスター盤。ドイツの指揮者のようにバランスを取らず、フォルテと書いてあればすべての楽器をフォルテで鳴らすのでベートーヴェン向き。最後のテヌートとスタッカートの使い分けは、シューリヒト共にベスト
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フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1952.11./ 1944.12.盤(オーパス蔵) ⇒ 44年盤はライヴ(放送用の通し演奏)。終楽章のウィンナ・ホルンは抜群
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フルトヴェングラーの中では、5番、7番、9番に次ぎ、目一杯振る舞えない
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ワインガルトナー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1936.5.盤(オーパス蔵) ⇒ テンポが速い。弦の響きが抜群
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シューリヒト指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1961.8.23.盤 ⇒ ザルツブルク音楽祭ライヴ。指揮者が晩年偏愛した曲
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チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 1987.4.盤 ⇒ フルトヴェングラーの激しいドラマに反抗押し、カラヤンの浅薄な流麗さに反抗
第4番 変ロ長調 作品60
1806年、35歳の作
昔は温雅な演奏が多かったが、現在では爆発するようなフォルテを利かせるコンダクターが増え、純粋な昔ながらの偶数番号曲は《田園》だけになった
シューマンの評 「2人の北欧神話の巨人の間に挟まれた、ギリシャの乙女」
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クレンペラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1968.5.26.盤 ⇒ ライヴ
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ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団 1973.5.26.盤 ⇒ 東京文化会館のライヴが絶品だが、CD化でやや落ちる
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ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団 2002.8.30.盤 ⇒ 古楽器
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ラトル指揮 ウィーン・フィル 2002年盤もいい
第5番 ハ短調 作品67 《運命》
1807~08年、36~37歳の作
ベートーヴェンの交響曲の中で最も密度の濃い曲
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フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1947.5.25.盤 ⇒ 裁判で無罪となり、3年ぶりに姿を現した4日間のコンサートの初日の《田園》に次ぐ演奏
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クナッパーツブッシュ指揮 ヘッセン放送交響楽団 1962.3.20.盤
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チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 1992.5.盤
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ラトル指揮 ウィーン・フィル 2002年盤もいい
第6番 ヘ長調 作品68 《田園》
1807~08年、36~37歳の作
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ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1958.1.盤 ⇒ ワルターの得意中の得意
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ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1936年盤(オーパス蔵)
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ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1977.3.2.盤 ⇒ NHKホール・ライヴ
第7番 イ長調 作品92
1811~12年、40~41歳の作
第2楽章に難あり、ベートーヴェンの緩徐楽章としては充実感に欠ける
初演時から、第2楽章がアンコールされるほど人気
l フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1950.1.盤/ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1943.10.31.盤(オーパス蔵)
l クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1960.10.盤 ⇒ 白眉はフィナーレ
l カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管弦楽団 1982.5.3.盤 ⇒ ライヴ。クライバーの中でもベスト
l ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1980.10.6.盤 ⇒ 人見記念講堂でのライヴ
l ラトル指揮 ウィーン・フィル 2002年盤もいい
第8番 ヘ長調 作品93
1812年、41歳の作
ベートーヴェンは、第7を大きな交響曲、第8を小さな交響曲と呼んでいた
作曲家は、余りに優れ過ぎて人気がなかったと、自信を示す
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ワインガルトナー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1938年盤(オーパス蔵)
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ジンマン指揮 チューリッヒ・トンハレ管弦楽団 1997.12.盤 ⇒ 古楽器系演奏のトップが現代楽器のオケを率いて古楽奏法の最高水準を達成
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クナッパーツブッシュ指揮 北ドイツ放送交響楽団 1960.3.14.盤
第9番 ニ短調 作品125 《合唱》
1922~24年、51~53歳の作
l フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/シュヴァイツコップ、ヘンゲン、ホップ、エーデルマン 1951.7.29.盤
l フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ウィーン・ジングアカデミー合唱団、ゼーフリート、アンダイ、デルモータ、シェフラー 1953.5.30.盤
l フルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ウィーン・ジングアカデミー合唱団、ギューデン、アンダイ、パツァーク、ペル 1952.2.3.盤
l ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/バーミンガム市交響楽団合唱団、ボニー、レンメルト、ストレイト、ハンプソン 2002.5.盤
l プレートル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団/ウィーン楽友協会合唱団、ストヤノヴァ、ゲルドナー、ベグリー、ホル 2006.5.30.盤
l アーベントロート指揮 ベルリン放送交響楽団/ベルリン国立歌劇場合唱団、ブルーム、オイストラリ、ズートハウス、パウル 1950.12.31.盤 ⇒ 指揮者は第9を偏愛
管弦楽曲
《コリオラン》 序曲 作品62
1807年、36歳の作
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フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1943.6.盤(オーパス蔵)
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クレンペラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1968.5.26.盤 ⇒ ウィン音楽祭ライヴ
《レオノーレ》 序曲 第2番 作品72a
1804~05年、33~34歳の作
l ワルター指揮 コロンビア交響楽団 1960.7.1.盤 ⇒ 死の1年半前の録音
歌劇《フィデリオ》 序曲 作品72b
1814年、43歳の作
l ワルター指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団 1941.2.22.盤 ⇒ ワルターのメトロポリタン・デビュー・ライヴ
協奏曲
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15
1794~95年、23~24歳の作
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プレトニョフ、ガンシュ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団 2006.9.盤
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19
1793~95年、22~24歳の作
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プレトニョフ、ガンシュ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団 2006.9.盤
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アルゲリッチ、シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 1985.5.盤
ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58
1805~06年、34~35歳の作
ベートーヴェンは、第3番から初めて自分らしい世界を確立したと言われる
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バックハウス、クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1962.5.31.盤 ⇒ ウィーン音楽祭のライヴDVD
ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 《皇帝》
1809年、38歳の作
常に既存のスタイルをはみ出そうとするベートーヴェンの心意気が直に出ている
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ルービンシュタイン、バレンボイム指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1975.3.10/11.盤 ⇒ ルービンシュタイン88歳の録音
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バックハウス、シューリヒト指揮 スイス・イタリア語放送交響楽団 1961.4.27.盤 ⇒ ライヴ。バックハウス76歳
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プレトニョフ、ガンシュ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団 2006.9.盤
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
1806年、35~36歳の作
l チョン・キョンファ、テンシュテット指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1989年盤
l コパチンスカヤ、ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団 2008.10.盤 ⇒ モルドヴァ出身の若手女流で、キョンファを凌ぐ天才の業
l ヤンセン、ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィル・ブレーメン 2009年盤 ⇒ オランダの若手女流
l クレーメル、アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団 1992.7.盤
室内楽曲
弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 作品59の1 《ラズモフスキー 第1番》
1806年、35歳の作
l カペー四重奏団 1928年盤(オーパス蔵) ⇒ 格調高い演奏
弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 作品59の2 《ラズモフスキー 第1番》
1806年、35歳の作
3曲中唯一の短調曲
バリリ四重奏団 1956年盤 ⇒ モノーラル末期。
弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 作品59の3 《ラズモフスキー 第1番》
1806年、35歳の作
3曲のうちでは一番密度が濃い。
l カルミナ四重奏団 1998.6.盤
l ライプツィヒ・ゲヴァントハウス四重奏団 1977年盤
弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130
《大フーガ》をフィナーレとする曲は、1825年、54歳の作
新しいフィナーレは、1826年、55歳の作
交響曲とピアノ・ソナタの作曲を止めた後も、弦楽四重奏曲の創作は生涯にわたって続く
1822年ペテルブルクの貴族ガリツィン公から2,3曲の弦楽四重奏曲の依頼を受けたベートーヴェンが本格的にクワルテットに打ち込み、1825年に完成させたのが作品127,132,130の順で、いわゆる《ガリツィン四重奏曲》を書きあげた
最初第6楽章のフィナーレを長大な《フーガ》としたが、あまりに抽象的で、友人たちの忠告で後に軽い終曲を書いて、旧作は《大フーガ》作品133として独立させた。新しいフィナーレの作曲は1年後、作品135より1か月遅く、ベートーヴェンのまとまった作品としては最後のものとなった
スメタナやバルトーク四重奏団の録音があるものの、レコード業界不況のせいで弦楽四重奏の世界の録音もこれといったものがない
スメタナは無難だが、録音が古い
弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 作品131
1825~26年、55歳の作
ベートーヴェンが自発的に書いたのが、作品131と135で、死の前年
特に131は、ベートーヴェンの四重奏曲の最高傑作も言われる
形式に縛られず、自由に流動する音楽の中に彼自身の心を息づかせようとする意図は、7つの楽章を中断せずに続けて演奏することにもはっきり表れている
理想のCDはないが、カペー四重奏団の28年盤が次善の選択
弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 作品132
1824~25年、53~54歳の作
作品131と並んでベートーヴェンの最高傑作と言われるが、132の方がより親しまれている ⇒ 彼のモットーである「苦悩を克服して歓喜へ」の思想はもはや表面には現れず、孤独の影が深い
l ブッシュ四重奏団 1937.10.7.盤 ⇒ SP復刻盤
弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135
1826年、55歳の作
1812年の爆発するような歓喜(パトロン・ブレンターノの妻とイギリスに駆け落ちする約束を交わし、7月には妊娠が分かる)の後、アントーニアへの失恋から不幸のどん底に落ち、2度と幸せには戻らなかった ⇒ 長いスランプに陥り、数年後に書き始めた作品は晩年の憂愁の色濃いものとなる
第4楽章に[やっとついた決心]という標題が書かれ、さらに「そうでなければならぬか?」「そうでなければならぬ」という言葉を持った動機が示され、それにしたがって作曲されているのは、謎の部分
ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団が次善の選択
ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 作品97 《大公》
1811年、40歳の作
l カザルス・トリオ(カザルス、ティボー、コルトー) 1928年盤(オーパス蔵)
l アリスタ・トリオ(鳥羽泰子、ウィーン・フィル) 2001年盤 ⇒ 鳥羽のリードが巧み
ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 作品24 《春》
1800~01年、29~30年の作
l 佐藤久成(ひさや)、鳥羽泰子 2012年盤 ⇒ 正真正銘のデュオ
千住の1998年盤は、両端楽章が遅くて流れが悪く、第2楽章は反対にかなり早い。恐らくハイドシェックのテンポだろうが、違和感がある
ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47 《クロイツェル》
1802~03年、31~32歳の作
ほとんど協奏曲のようなスタイルで書いたと言っており、外面的な華麗な演奏効果と迫力において、これに匹敵し得る作品は稀有
l クレーメル、アルゲリッチ 1994年盤
チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 作品69
1807~08年、36~37歳の作
第2楽章は、ベートーヴェンのシンフォニーでこれより優れたスケルツォはないというくらいの傑作。2つの楽器の掛け合いがクレッシェンドし、一体となってフォルテで弾く場面は圧巻
l ロストロポーヴィチ、リヒテル 1961.7.盤 ⇒ 曲も演奏も最高傑作
l フルニエ、ケンプ 1965年盤 ⇒ パリ・ライヴ。フィナーレは前者を凌ぐ
ピアノ独奏曲
ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27の2 《月光》
1801年、30歳の作
l バックハウス 1958.10.盤 ⇒ ピアノという楽器を超えて豊かな音楽を奏でる
l ホロヴィッツ 1972.4.20.盤 ⇒ 録音がいまいち
l ザラフィアンツ 2004.10.盤
l HJリム 2011年盤 ⇒ 2012年末突然CDデビュー。24歳。女流。2010年パリで8夜連続で同全曲を弾き大センセーションを巻き起こす。ベートーヴェンのソナタを8つのグループに分け、それぞれに詳細な解説を書いている。その思い入れは尋常ではない。第1楽章は誰よりも速い
HJリムのベートーヴェン・リボリューションを聴く~ピアノ・ソナタ第8番、12番、23番、32番 2013年06月21日 浜離宮朝日ホール
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会(第19番と第20番を除く)の一環です
プログラムはベートーヴェンの①ピアノ・ソナタ第8番ハ短調”悲愴”、②同第23番ヘ短調”熱情”、③同第12番変イ長調”葬送”④同第32番ハ短調です 使用楽器はヤマハCFX。日韓関係が微妙な中、韓国のピアニストが日本製のピアノを弾くことに挑戦します
結論から言えば、それは衝撃的な演奏でした
会場は7~8割程度くらいの入りでしょうか。最前列中央の席に音楽評論家・宇野巧芳氏の姿が見えます そもそも私がHJリムのベートーヴェンを聴こうと思ったきっかけは、たまたま新聞紙上で宇野氏の「この演奏会を聴かないと後悔する」という論評を見たからです
ロビーでプログラムを読んでいると、「6時45分から7時までHJリムによるプレトークがあります」というアナウンスがありました 時間になると上下黒一色の衣装に身を包まれた長い黒髪のHJリムが通訳とともに登場、この日演奏する4曲について彼女の解釈を披瀝しました 500円で買い求めたプログラムにも彼女自身によるソナタ全曲の解釈が載っていますが、演奏する側がどういう姿勢で楽曲に取り組むのかが分かり、プレトークとともにとてもいいことだと思います
演奏は7時5分から始まりました。1曲目のソナタ・ハ短調”悲愴”は、ベートーヴェンがタイトルを付けた唯一のソナタです。 ”悲愴”というタイトルが相応しいのかどうか、むしろ熱情に近いニュアンスだと思います。もっともこの後演奏するソナタ・ヘ短調が”熱情”というニックネームをもっているので紛らわしくなりますが
第1楽章に入るや否や、力強いピアノ演奏に彼女の尋常ならざる集中力を感じます。 何という強靭なベートーヴェンなのか。 「お行儀のよいベートーヴェン」とは無縁の、なりふり構わぬベートーヴェンが鳴り響きます。 長い黒髪、黒い衣装、獲物を追いかける雌豹のような俊敏な動き・・・・・・・・若き日のマルタ・アルゲリッチを想い起します。
2曲目のソナタ・ヘ短調”熱情”では、その演奏スタイルが一層顕在化します。一言でいえば”狂気迫る演奏”です。 まるでベートーヴェンがリムに乗り移ったような演奏です。 もしベートーヴェンが生きていて、この会場で彼女の演奏を聴いたなら、終わるや否や舞台に駆け上がって彼女を抱きしめるでしょう。「私は、こういう演奏を待っていたのだ」と叫んで。
CD売り場に「サイン会あります」の表示があったので、15分休憩にロビーで彼女のCDを買いました。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(輸入盤8枚組・3990円)です。さて、どのCDにサインをしてもらおうかな、と悩みました
プログラム後半第1曲目はソナタ・第12番変イ長調です。第3楽章に送葬行進曲があるため”葬送”というニックネームが付けられています。 リムは第1楽章が始めって間もなく、右手を挙げ人差し指を左右に振りました。「ノー、ノー」というサインです。 彼女の書いた解説には「弱り切った心の内や精神状態が第1楽章の変奏曲によって奏でられ、もはや手の届かないところにある人世の喜びに哀愁のまなざしを向けているかのようだ。このソナタを作曲したすぐあと、彼はハイリゲンシュタットで遺書をしたためているのだ」と書いています。 この時、彼女はベートーヴェンと会話をしていたのです。身振り手振りで「そんな弱気になっちゃだめだよ」と語りかけていたのです
ソナタ・第32番ハ短調はベートーヴェン最後のピアノ・ソナタです。第2楽章の第3変奏はまるでジャズです。 リムは自由にテンポを揺らして演奏します。 最後に演奏される穏やかな音楽は、リムの言葉を借りれば「勝ったとか負けたとか、そういうことではない。日本に”悟りをひらく”という言葉があるが、そういう世界だ」という音楽です
終演後、圧倒的な拍手とブラボーが会場を満たしましたが、何度も舞台の呼び戻されたリムは、ついに折れて、アンコールを演奏しました。演奏前にリムが「マイ・フェバリット~」と言ったので、彼女のお気に入りの曲を演奏したのだと思いますが、サインをもらうことに気を取られて、アンコール曲名を控えるのを失念してしまいました
通路側席の利点を生かして、すぐにロビーに行きサイン会に臨んだのですが、本当は1番だったのに、脇から一人の中年男が割り込んできたので2番になってしまいました。 しかも、この男、何をとち狂ったか、手持ちのCDを4~5枚も広げ、プログラムも広げて、すべてにサインをもらおうとしているのです。 さすがに、係りの人にサインを求める人が多いので、一人1枚にしてほしいと言われて諦めたようです。私は4枚組CDのうち、この日の演奏曲目を収録した4組目のCDジャケットにサインをしてもらいました
今後しばらくはコンサートでベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴く気にはなりません。 どんな演奏を聴いても凡演に聴こえてしまうでしょうから。 この日の演奏はまさに今回のキャッチフレーズ”ベートーヴェン・リボリューション”にふさわしい革命的な演奏でした。 他のコンサートと重なっていなければすべての公演を聴きたかったと思います。それが心残りです。 宇野氏に感謝しなければなりません。いずれ彼は”音友”や新聞に演奏会評を書くのでしょうが、内容はだいたい想像できます
プログラムに載った予告によると次のリムのベートーヴェン・リボリューションは「ベートーヴェン生誕250年祭」の2020年(今から7年後)、その後はベートーヴェン没後200周年の2027年(14年後)とのこと。”生きていれば”必ず聴きに行きます。 その前に、次回のHJリムの来日予定は来年2014年11月とのこと。プログラムは何だろうか?気になります。もちろんこれも聴きに行きます
ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 作品28 《田園》
1801年、30歳の作
《月光》の次のソナタで、1838年の出盤当時田園情緒を持つ音楽が流行していたので、商策としてつけられた名前だが、”ソナタ・パストラール”に相応しい佳作
l バックハウス 1961.11.盤 ⇒ 昔からこれしかなかった
l HJリム 2011年盤 ⇒ やっとバックハウスに匹敵するものが出てきた
ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31の2 《テンペスト》
1802年、31歳の作
作曲当時「自分の今までの作品に決して満足していない。今後は全く新しい道を進むつもりだ」と言い、交響曲では《第2》のように大胆な傑作を生み出したが、ピアノ・ソナタではこの《テンペスト》や次の作品31の3に極めて斬新な手法が認められる
題名については、この曲を理解する鍵を教えてほしいと尋ねられたベートーヴェンが、シェークスピアの『テンペスト』を読めと答えたところからつけられた名前だという
l ハイドシェック 1989.9.22.盤 ⇒ 伝説の宇和島ライヴ盤。19歳でパリ・デビュー。73年にはEMIでベートーヴェン全集という大物を完成させたが、その後急速に人気が衰える。宇和島で復活したが、それだけで燃え尽きてしまったようだ
ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 作品31の3
1802年、31歳の作
即興的なセンスと、閃きと、鋭敏なリズム感を持ったピアニストにして初めて弾ける佳曲であり、ベートーヴェン演奏にかけては天下一品のバックハウスもこの曲には重すぎる
実演では、72.11.郵便貯金ホールでの宮澤明子が忘れられない
l エリー・ナイ 1964年盤 ⇒ 当時82歳。バリバリのナチ党員だったが、戦後も普通に活動
ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 作品53 《ワルトシュタイン》
1803~04年、32~33歳の作
l バックハウス 1959.10.盤 ⇒ カッティングが成功
l HJリム 2011年盤 ⇒ 彼女の中でもベスト
ブーニン盤(1993)は、大阪のザ・シンフォニー・ホールでのセッション録音。ライヴの人
ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 作品57 《熱情》
1804~05年、33~34歳の作
l バックハウス 1959.10.盤 ⇒ 最高の芸術家
l HJリム 2011年盤
l ファジル・サイ 2005.6.盤
ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 作品101
1816年、45歳の作
l バックハウス 1963.2.盤 ⇒ ピカ一
l HJリム 2011年盤
ライヴのベストは、初来日のアルゲリッチが新宿厚生年金会館で弾いた美演
ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 作品106 《ハンマークラフィーア》
1817~18年、46~47歳の作
コルトーに師事したハイドシェックが、指が短いことからショパンには向かないがベートーヴェンにぴったりと言われ、パリ音楽院での卒業演奏に難曲中の難曲(ハンマークラフィーア)を弾いたという。大体フランスのピアニストは大事な時にドイツ音楽は弾きたがらない。卒業後の56年、ハイドシェック家を訪れたケンプの前で同曲を演奏、感心したケンプは翌年彼を招き、ベートーヴェンのレッスンを授けた。57年のデビュー・レコーディングにこの曲を選び、67年からはEMIにベートーヴェン全集を6年かけて録音。デビュー・レコーディングは20歳というから信じがたい
「ハンマークラフィーア」と言うのは、「フォルテピアノ」のドイツ名、作品101以降の晩年の5大ソナタにこの名前を付けたが、今日では作品106(第29番)だけがこの名前で呼ばれる ⇒ 大シンフォニーのようなこのソナタをオーケストラに編曲しようとする試みは古来多くの人が夢見たが、レコード化されたのはSP初期のワインガルトナー盤だけ
ベートーヴェンのソナタの集大成と言える ⇒ 1822年の作品111(第32番)でピアノの蓋を閉じ、「この楽器はこれからも多くの作曲家を悩ませるだろう」といって、2度とソナタに手を付けなかった
l ハイドシェック 1999年盤 ⇒ 57年盤、70年盤に続く3度目。高音の美しさは比類がない
l HJリム 2011年盤 ⇒ 第1楽章の速いテンポの勢いに敵うピアニストはいない
ピアノのためのバガエル イ短調 WoO59 《エリーゼのために》
1810年、39歳の作
19世紀半ばになって発見されたピアノの小品。ベートーヴェンの字が汚かったので、発見者が「テレーゼ」を読み間違えたと言われ、当時ウィーンの大地主の娘テレーゼ・フォン・アルファッティという17歳の少女に想いを寄せていたので、彼女のために書いたと思われる
実演では、アリス=紗良・オットのピアニッシモで通した演奏が印象的だが、2010.8.盤のCDではあの夢の世界を想像するのは不可能
声楽曲
ミサ・ソレムニス ニ長調 作品123
1819~23年、48~52歳の作
宗教音楽の白眉
l クレンペラー指揮 ニューヨーク・フィルハーモニア管弦楽団&合唱団/ゼーダーシュトレーム、ヘフゲン、クメント、タルヴェラ 1965年盤 ⇒ すでに半身不随だった80歳の指揮者による名演
2000年という20世紀最後の年に誕生し10年を越えました。
生々しい音で20世紀前半の芸術・技術の本当の姿を
21世紀に伝えるレーベルです
オーパス蔵の音
SPをノスタルジアで味わうのでなく、20世紀の名演奏の芸術および技術の実際を21世紀に伝えると同時に、演奏そのものを現在の演奏と並べて味わうことができるようにしたい。 ここにオーパス蔵の基本方針がある。 従来の蓄音器の音を目指した復刻は演奏者がレコード溝に刻み込んだ音を取り出しきれていない。実際には当時の技術は従来の復刻盤に聞かれる音よりもっと多くの音楽があったのである。 他方最近のノイズを著しくカットした復刻は以前のフィルター方式に比べ原音の劣化は少ないが、それでも音が変化している例が散見される。英Classic Record Collector誌(SP,LP時代を対象にしたレコード雑誌:現在はClassical
Recordings Quarterly)でもノイズ低減に際して音楽も低減し、お化けの演奏のようになっていると危惧されている。 (Noise Reduction, Music Reduction: Tully Potter,CRC編集長)そこで音楽・音質を最優先に考え、スクラッチノイズを敢えて残している。せめて ‘盛大なノイズの中に・・・’と言われることのないレベルにしたつもりである。演奏の質さえ高ければ1分もすれば耳は慣れるという昔からの言を信じている。
<復刻の名人安原 暉善>
<復刻の名人安原 暉善>
半世紀以上のレコードコレクションは筋金入りで、40000枚ほどのSP・LPは岡山県牛窓町のレコード蔵で開放され実際に味わうことができる。 この蔵がオーパス蔵という名前の出所である。 安原は以前造り酒屋を経営していたので,酒蔵を連想される向きもある。またこの蔵の文字には、クラシックのクラも掛けている。
安原は従来のSP復刻LPの音に満足できず、SPを蓄音器で聞くだけでなく、もっと手軽に味わえるようにとSP復刻を手がけだして30年以上になる。 他の復刻の音が溝に刻まれた情報を十分に取り出していないと不満を感じ、溝と針先の接触を基本から考えることや様々な工夫を加え従来にない温かみがあり、かつ生々しい迫力ある音を取り出すことに成功した。
これまでにも倉敷の大原コレクションの約1800枚のSP復刻やNHKの復刻など、依頼による多くのテープ化を行っている。 いまは亡き大ピアニストウィルヘルム・ケンプにも彼の若い頃のSPを復刻し差し上げており、その音の瑞々しさを驚嘆する礼状を頂いている。
身近の少数で味わっているだけで埋もれてしまうのは惜しいと思い、その音をCD化して世に出そうとできたのがオーパス蔵である。 SPの音、そして演奏が意外によい、こんなによいのかなど共感する人がひとりでも多く増えることを願うところである。
復刻ばかりでなく、レコード蔵における月1回の例会、岡山オリエント美術館を始めとするSP鑑賞会などSPをわってもらうための活動を盛んに行なってきたが、現在の活動は六甲ヒルトップギャラリーが中心である。
(問合せ先)
レコード蔵 :(岡山県邑久郡牛窓町在) Fax:078-731-2427安原 暉善(神戸)
安原は従来のSP復刻LPの音に満足できず、SPを蓄音器で聞くだけでなく、もっと手軽に味わえるようにとSP復刻を手がけだして30年以上になる。 他の復刻の音が溝に刻まれた情報を十分に取り出していないと不満を感じ、溝と針先の接触を基本から考えることや様々な工夫を加え従来にない温かみがあり、かつ生々しい迫力ある音を取り出すことに成功した。
これまでにも倉敷の大原コレクションの約1800枚のSP復刻やNHKの復刻など、依頼による多くのテープ化を行っている。 いまは亡き大ピアニストウィルヘルム・ケンプにも彼の若い頃のSPを復刻し差し上げており、その音の瑞々しさを驚嘆する礼状を頂いている。
身近の少数で味わっているだけで埋もれてしまうのは惜しいと思い、その音をCD化して世に出そうとできたのがオーパス蔵である。 SPの音、そして演奏が意外によい、こんなによいのかなど共感する人がひとりでも多く増えることを願うところである。
復刻ばかりでなく、レコード蔵における月1回の例会、岡山オリエント美術館を始めとするSP鑑賞会などSPをわってもらうための活動を盛んに行なってきたが、現在の活動は六甲ヒルトップギャラリーが中心である。
(問合せ先)
レコード蔵 :(岡山県邑久郡牛窓町在) Fax:078-731-2427安原 暉善(神戸)
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