東京アンダーワールド  Robert Whiting  2013.7.11.

2013.7.11. 東京アンダーワールド
TOKYO UNDERWORLD                2002
The Fast Times and Hard Life of an American Gangster in Japan


著者 Robert Whiting 1942年ニュージャージー州生まれ。カリフォルニア州立大から上智大に編入。政治学専攻。72年帰国後、出版社勤務で76年に日本に戻り、退職して、日米比較文化の視点からユーモアとエスプリの利いた執筆活動を展開。1977年『菊とバット』を発表、日米両国で高い評価を得、90年には『和をもって日本となす』がベストセラーに。本著はニコラ・ザペッティと知り合った後、89年に心臓発作で苦しんでいた本人が余命幾許もないことを悟って、取材に協力を申し出たことが契機で始まり、裏を取ることも含めて取材・執筆に10年を費やした戦後日本の秀逸なドキュメンタリーであり、著者独特の日米比較文化論の総括でもある。現在鎌倉在住

訳者 松井みどり 翻訳家。東京教育大文学部英文科卒

発行日           2002.4.25. 初版発行
発行所           角川書店(角川文庫)
2000.6. 新潮社刊の文庫化

13-05 「本当のこと」を伝えない日本の新聞』で紹介
13-07 東京アウトサイダーズ』の前編

東京のマフィア・ボスと呼ばれ、夜の六本木を支配した男ニコラ・ザ・ペッティ。東京のヤミ社会、日本の暗部と深くかかわったこの男は、マフィア牛耳るイースト・ハーレムに生まれ、ボロ儲けを目論みGIとして東京に上陸した。次々と闇のベンチャーで成功するニコラのもとには、ありとあらゆる人種が集まった・・・・・政治家、ヤクザ、プロレスラー、高級娼婦、諜報部員・・・・・謎めいた力道山の死、ロッキード事件の裏舞台、そして経済ヤクザの暗躍――奇想天外、波瀾万丈のニコラの生涯が明らかにする、日本のアンダーワールド

プロローグ
戦争が終わるや否や、アメリカから50万以上の兵士や一般人がどっと押し寄せ、日本人は否応なしに受け入れざるを得なかった ⇒ 歴史家はこの2文化の出遭いを「ローマ人のカルタゴ侵攻以来の大事件」と呼ぶ
ニューディール政策に意欲を燃やした対日エキスパートたちは、実に様々な改革を行った
日米友好の陰には、人知れぬ側面がある。表社会とは遊離した層をなし、それ自体が複雑に絡み合う、怪しげな集団の世界 ⇒ 暴力団、インチキ実業家、高級売春婦、いかがわしいスポーツ興行主、街のごろつき、秘密諜報員、政治フィクサー、相場師・・・・・
暗黒街での両者の相互利用の奮戦記は殆ど歴史に記されていないが、活発な日米交流が実に様々な副産物を生み出した ⇒ 「戦後ヤミ市」。アメリカ政府の対日政策を覆したウォール街の陰謀集団。盲目的愛国主義に根差した過激なプロレスブームを政界のドンと結託して奨励したヤミ社会の親分。隠された過去を持つプロレス界の国民的アイドル。アメリカ政府やCIAと極秘に通じ東京の乗っ取りを図った朝鮮マフィア。ゴージャス・マックの異名を持つ宝石泥棒兼プロレスラー。国際産業スパイ並みの技術を身に着けたナイトクラブのホステス。あらゆる航空機スキャンダルの先駆けとも言うべきロッキード事件。経済ヤクザ。ホワイトハウス侵入寸前までこぎつけた暗黒街の相場師。各種ペテン師。金塊の密売グループ…・
極めつけが、ニューヨーク出身の「東京のマフィア・ボス」
本書は、そうした怪しげな連中の足かけ50年に渡る強欲、傲慢、イカサマ、報復の寓話
戦後の日本を新たに築き上げていく過程で、アメリカ人と日本人とを結び付けていた共通の感情と、いまだに両者を常習的に隔てている大きな文化の壁が、まざまざと浮き彫りになる

第1章        焼け跡ヤミ市第1
45.8.18. 関東尾津組により、角筈にヤミ市第1号が開店 ⇒ 「光は新宿より」
商品の大半は軍部からの盗品
テキヤ集団 ⇒ 寺や神社の祭礼の時に境内に店をはる露天商たちを取り仕切る
博徒 ⇒ ギャンブラー集団で、やがて港湾労働者、人力車夫、タコ部屋のボスとその配下で働く日雇い人夫に変貌していく
1946年中頃には、進駐軍からの祖国への送金額が1か月に8百万ドルを超え、軍全体の1か月分の給料を上回る ⇒ 47年には、アメリカの政府高官が職権を乱用して私腹を肥やしているとニューヨークの各紙が記事に
青空マーケットのお蔭で、日本経済はある程度まで持ち直し、飢えた人々の一部が救われた面もある
47年末 GHQ民政局長チャールズ・ケーディス大佐が日本の地下帝国に対し宣戦を布告、4年がかりで無法者の一掃を図ったが、厳重な取締りが意外な副産物を生み出す ⇒ 昭電疑獄もその1つ。キャンペーによって却って犯罪の発生件数もギャングの数も増えた
ヤミ市で儲けた中の筆頭は、ニューヨークのイースト・ハーレム出身の元海軍軍曹ニコラ・ザペッティ。警官は敵、泥棒こそが人生の師という環境下で育ち、第2次大戦で従軍した海軍師団が終戦直後長崎大村空軍基地徴用のため派遣された際日本に来る。46.2.除隊後アメリカ政府が6千人の提供したGHQ関連の仕事を引き受ける
アメリカからライターの石を密輸してヤミ市で売り捌き大儲けをした後、日本人女性と結婚、さらに裏の社会で荒稼ぎをする ⇒ 一旦ヤミ取引がばれて強制送還されるが、裏社会の伝手で新しいパスポートを取って日本に舞い戻り、ヤミドルで儲ける
SCAP(連合軍最高司令部)にトマス・ブレークモアという若い法律専門家 ⇒ オクラホマ出身。戦前の帝国大学に学び、日本語で司法試験に合格。第2次大戦中は戦略事務局(OSS:41年設立、CIAの前身)に勤務。終戦後国務省の命により東京で米軍基地相手の不法売春宿の調査をして賄賂と性病の実態を暴く報告を書いたが、マッカーサーのイメージを損なうとして没にされたため、抗議の意味を込めてSCAPを辞任、そのまま日本に残り弁護士として活躍
「日本占領は、時間と金の厖大なる無駄使いだった」と断言。「アメリカ人の高飛車で偽善的なやり方は、日本人にやみくもに敵意ばかりを植え付けた。その敵意は、敗戦への苦い想いだけが原因ではない」と分析し、その元凶はマッカーサーだとする
47年末 SCAPが政策を180度転換したのは、日本を反共の砦とするため ⇒ ウォール街の立役者が糸を操って、戦前の経済構造を復活させるために大規模なロビー活動を展開。国防長官でディロン・リード社長のジェイムズ・フォレスタル、ウィリアム・ドレイパー陸軍省次官(後にディロン・リード副社長)、ロックフェラーの筆頭弁護士だったジョン・マクロイ大統領顧問
52年までにアメリカ企業は、戦前の日本に投資した分をしっかりと改修、4145年に損失したり損害を被った財産は全て賠償された

第2章        占領の後遺症
日本とアメリカの裏取引はヤミ市の頃から始まる
1952.4.28. 日米安保条約の発効とともに、アメリカが軍事的安全を保障してくれることとなるが、その後数年間に発生した一連の米兵による不快な出来事が日本人にその意味を痛感させる
赤坂の「ラテンクオーター」の創業者テッド・ルーインも、戦後暗躍した怪しげなガイジンの1人で、銀座にクラブを開店するに際して政治家に日本で初めての賄賂25千ドルを送る ⇒ 「ラテンクオーター」開店の時には、陸軍の元諜報部員児玉誉士夫が共同経営者として名を連ねる
プロレスブーム ⇒ 1954.2.19. タッグの世界選手権保持者でアメリカのシャープ兄弟と日本の力道山・木村政彦(日本柔道選手権10連覇)の試合で日本が勝ったことがプロレス人気の決定的な転機に
プロレスの「ゴージャス・マック」又の名を「ネブラスカの野牛」ことマックファーランドは大柄な負け役として大人気だったが、現金が欲しくなってザペッティに相談、帝国ホテルの宝石商から宝石を騙し取る企みを計画するが、あまりの計画の杜撰さから、簡単に捕まり、しばらく東京拘置所に留置 ⇒ マックファーランドは何度も自殺を試み、ザペッティも罰金と執行猶予で釈放
東京とその近郊に住む外国人3万のうち約10%が不良ガイジン

第3章        サクセス・ストーリー
1956年 留置場から出所したザペッティが目を付けたのは、当時ほとんどなかったイタリアン・レストラン ⇒ 飯倉に「ニコラス」という名の店で、アメリカンピザを提供。話題を呼んで極東の梁山泊にのし上がる。明仁皇太子も将来の伴侶とよく訪れた
常連客の大物の1人が力道山と、東京を住吉会と2分する暴力団東声会の親分・町井久之
アングラ経済で特筆すべきは児玉誉士夫 ⇒ 日本プロレスリング協会会長。アメリカ人がアングラ帝国に足を踏み入れる時の窓口的存在。30年代に中国での資材の現地調達を請け負って荒稼ぎし、終戦時A級戦犯として巣鴨で3年の刑に服するが、岸と同様あっさりと釈放されると、GHQG IIに潜り込み、反共政策推進の先兵となって暗躍、政党再編と自由民主党誕生の陰の後ろ盾ともなった
力道山 ⇒ 北朝鮮生まれ。本名・金信洛(キム・シンラク)。祖国で長崎出身の興行師にスカウトされ39年来日、日本の国技である二所の関部屋入門に際し興行師の子として「百田光浩」の名前で日本人として入門を許可されたが、出自を知る先輩、同僚からの嫌がらせや、野球に押され気味の相撲界の先行きに見切りをつけ、建設業界に転職。雇用主が住吉会系のヤクザ。米軍キャンプの仕事に従事している間に銀座のキャバレーで来日中の日系アメリカ人で元オリンピック重量挙げのメダリスト・ハロルド坂田と喧嘩して負けたが、その際、坂田から日本の進駐軍向けのチャリティ興行のために来日していたアメリカ人プロレスラーたちに紹介されたのが契機となって、52年日本人に帰化したうえでアメリカにプロレスのトレーニングに行き、空手チョップを編み出して年間2955敗という驚異的な成績を上げ、日本で大成功を収める
63年 力道山は児玉と自民党の要請で、日韓国交正常化のための韓国への親善ツアーに出掛け、密かに母や内緒にしていた娘に面会 ⇒ 韓国人は、同名の山の名から、力道山を同郷人と見做していたが、日本では誰もが驚くほどしっかりと口を閉ざしていた。唯一東京中日新聞だけがAP通信の金浦空港での力道山の「20年振りに祖国の土を踏むことができて幸せだ」というコメントを翻訳して掲載、日本プロレスリング協会は直ぐに同紙をブラックリストに入れたが、どのマスコミも出自の秘密を大衆に知らせようとはしなかった
娘が北朝鮮のバスケットボールの選手であることを知って、力道山は64年東京オリンピックの北朝鮮選手団の派遣費用をすべて持つと申し出
63.12.8. 赤坂のナイトクラブで、住吉系の組員によって傷害致死に至ったのも、夜の荒れた生活が原因

第4章        オリンピック後のアングラ経済
オリンピックを機に東京は著しい変化を遂げる
ミカドとコパカバーナが諜報活動の温床に ⇒ 根本七保子が児玉の指揮する東日貿易の秘書に仕立てられ、スカルノに接近したのもコパカバーナ
スパイ活動の大半を生み出したのは、芽生えたばかりの軍用機、民間機産業 ⇒ 1957年のロッキードとグラマンの間で展開された熾烈な販売合戦で、防衛庁がグラマンのF11に決まっていたジェット戦闘機をロッキードのF104に変更させたのは賄賂で、献金の仕掛け人は児玉。ロッキードからU2偵察機の供給を受けていたCIAも黙認の取引だった
ロッキードは児玉の手際の見事さに感嘆して、数年後にも同じ手を使うが、2度目はいささか違う結果を招く
ブレークモアでさえ、外国人が日本で商売することに、基本的には賛成しない。障碍があまりにも多過ぎる ⇒ 自らの出資と発案で始まったフライフィッシング場(現在のトーマス・ブレークモア記念社団養沢毛鉤専用釣場、あきる野市)開設の話で、文化の違いを克服して開設に漕ぎつけるまでの苦労話を例に挙げる。55年オープンに漕ぎつけた後は、GIがどっと押し寄せたばかりか、基地周辺での米兵を巻き込んだ犯罪やトラブルが激減したとされ、60年代の終りにはブレークモアは「青少年の非行防止に貢献した」として総理大臣から特別賞が贈られた

第5章        ミス北海道
68年 ザペッティは、4人目の妻としてミス北海道と結婚したが、この頃から事業が傾き始め、ヤミ金から資金調達して資金繰りが火の車に。日本交通が間に入って肩代わりするがその狙いはニコラスのチェーン展開にあり。73年法廷闘争開始するも、日本の裁判制度は恐ろしく時間がかかり、最終判決が下るまでには15年を要し、ザペッティはすっかり年を取ってしまった

第6章        障子の陰で
CIAが合衆国政府に代わって自民党政権に月々1百万ドルの資金援助していたことは公然の秘密だったが、自民党及びCIAや大企業内部の自民党シンパたちを暴力団が支援していること、とりわけ政府の公共事業や建設工事に依存している大企業に暴力団の意気がかかっていることが多いのも常識 ⇒ 浜田幸一がその象徴。元稲川会系の組員。児玉と師弟関係。ラスヴェガスで1.6百万ドルをすった時は児玉の仕事仲間だった小佐野が肩代わりしたという
83年 日本国籍を取れば訴訟に勝てるかもしれないという弁護士の勧めに乗って、日本国籍を申請 ⇒ 読み書きもろくに出来ず、警察にも分厚いファイルのあるガイジンがまんまと国籍を取得できたことに驚きと戸惑いがあったが、蛇の道は蛇で特別な語学テストが受けられ、弁護士の勧めで「小泉ニコラ」と名乗る

第7章        富の大移動
80年代初め「怪物日本」 ⇒ 世界の車やオートバイ、家電市場を日本製品が席巻、日本経済がピークに達する。「人類史上最大の富の移動」
茨城カントリークラブを舞台にした52千人の会員権を乱発して10億ドル以上も荒稼ぎした水野健を始め、ゴルフ場開発と金融破綻者救済事業は、動乱の80年代に犯罪組織の格好の儲け口となった
Wikipedia
茨城カントリークラブ事件とは日本の詐欺事件。
茨城県高萩市のゴルフ場「茨城カントリークラブ」の開発会社、常陸観光開発がゴルフ会員権を2830名限定と偽って募集し、実際には52000人以上もの会員から金を集めて、約1000億円の資金を関連会社に横流しした事件。
19917月に東京国税局が会員権販売代理店を脱税容疑で捜査し、そこで押収した書類から会員権乱売の事実が発覚。ゴルフ場「茨城カントリークラブ」は完成することなく、開発会社は倒産した。
事件の中心人物は144億円の所得を隠匿して575000万円を脱税したとして、法人税法違反で逮捕され、懲役11年罰金7億円の有罪判決が言い渡された。

この事件がきっかけとなって、ゴルフ会員権の乱売を抑制するゴルフ会員契約等適正化法が成立した。

稲川会の会長の座を射止めた石井進は経済ヤクザの典型 ⇒ 太平洋戦争では人間魚雷グループに所属、児玉に師事し、85年に出所後稲川会のトップに就くや土地と株に投資、東京佐川を舞台に不法な政治献金を流し、竹下の首相就任を画策、金丸信の金ずるとなる。さらに岩間カントリーの開発で350億を騙し取ったり、東急の株の買い占め・転売で巨利を手にする。ニューヨーク州でのゴルフ場開発に絡んでブッシュ大統領の兄プレスコット・ブッシュが危うく利用されそうになって、危うく難を逃れたが脅された話がある

第8章        黒い騎士
ザペッティは、いくつもの訴訟に同時に巻き込まれ、ままならないままに心臓発作で倒れ、糖尿病性網膜症を併発。奇跡的に一命は取り留める
相次ぐ裁判の敗訴と、バブル崩壊により、日本からの撤退を考え、92.1.ニコラを1百万ドルでインド料理の「モティ」に売却
92.6. 3度目の発作で死去。享年71

エピローグ
その後の日本社会におけるヤクザを中心とした後日談

解説/ニックとジム               宮崎学
日本の政治とアウトローとの関係の特殊性の典型的なケースとして平沼騏一郎の例
検事総長や司法大臣を歴任した司法畑のエリートであり、厳格なる「法の番人」だったが、24年に国体護持のために国家主義団体・国本社を組織 ⇒ アウトローの先駆け
日本に限らず、アメリカでもアウトローが戦後政治の過程において、憲法で示した民主主義的機能を抑制する形でアウトローを存在せしめている
都合のいい時だけ使い、不要になれば切り捨てるのは権力とアウトローの関係そのもの
ニックの時代の日本では、児玉がまさにアウトロー
タイのシルク王のジムことジェイムス・トンプソンも、デラウエアの名門の生まれで、プリンストン卒業後OSS(米国戦略作戦局)に配属、世界各地を回った後タイに留まり、除隊後民芸品に過ぎなかったタイシルクを世界の一流ブランドに育て上げたが、ニックとの共通点が多い ⇒ 商売を上からの理論で考えずに、アウトロー的に下から見ていたこと
ジムは、6761歳で休暇中に失踪、政治権力がアウトローに与えた規を超えたために消された可能性が高い
日本社会は、いまも戦後の混乱期と本質では何も変わっていない
しかし、ニックのような存在を許容するようなゆとりは最早ない








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