バリ山行  松永K三蔵  2024.8.15.

2024.8.15. バリ山行

 

著者 松永K三蔵 1980年茨城県水戸市生まれ。関西学院大学卒。2021年「カメオ」で第64回群像新人文学賞優秀作を受賞しデビュー

 

発行日           群像3月号

発行所           講談社

 

 

171回芥川賞受賞作

選評

l  平野啓一郎――私が推した。抜群にリーダブルで、物語の足場となる文体が安定しており、人物造形も風景描写も精彩を放っている。非日常の「リアル」な舞台が、遠い彼方ではなく、六甲山という日常に隣接する場所に設定されている点は、登場人物の妻鹿(めが)と共に作者の手柄である。自然との一体感を崇高化する英雄的冒険がパロディ化され、『バリ山行』という、到達点のない、誰からも尊敬されない愚行が、却て魅力的に描かれている点に好感を持った。建設業界の内情も今日的だったが、ただ、ゼネコンか小さな取引先か、という会社の方針を巡る混乱と、正規ルートかバリかという登山のあり方との重ね方はやや直接的で、そこに面白さがあるものの、「言わずもがな」の観はあった。文学的な実験性という点では、物足りなさもあるが、この完成度は立派であり、多くの読者に愛される作品であろう

l  島田雅彦――修繕工事会社で働く波多は同僚に誘われて始めた登山にハマっているが、ある日、リストラ対象と噂される先輩社員妻鹿が正規登山道を辿らない「バリ山行」の達人と聞き、同行を頼む。会社と山の対比は、日常と非日常、組織と自然の対比であり、重ね合わせになっているのだが、登山の細部を丹念になぞったオーソドックスな「自然主義文学」をベタに書いて来たところが評価された

l  吉田修一――何よりこの小説は攻撃的でない。自分の言葉で誰かを言い負かそうとしない。例えば、単純なことだが、相手に何か言おうとした時、今度会った時に言ってみよう、と思うことが多い。このタイムラグが恐らく小説の「間」である。そして優れた小説というのは必ずこの「間」を持っている。この「間」によって、登場人物たちは勿論、読者もまた、今一度考える時間が与えられる。要するに、自分の言葉ではなく、相手の言葉を聞こうとする時間が持てるのだと思う。文章のリズムも素晴らしかった。妻鹿さんという人生の先輩について、1歩ずつ、時に心を躍らせながら、時に苛立ちを露にしながら、それでも1歩ずつ歩いて行く主人公の足音が読後も続くようだった

l  小川洋子――妻鹿さんが忘れがたい。会社ではルールを無視して自分の信念を貫き、皆から避けられている。しかし怪我をした主人公には「ナイス、波多くん、がんばった!」と思いやりに満ちた声をかける。今も六甲山のバリエーションルートを黙々と歩いている妻鹿さんの後ろ姿が目に浮かんでくる

l  山田詠美――登場人物2人の六甲山バリエーション登山に、必死に付いて行くような気持で一気読みした。岩の苔を覆う水からあおい匂いが漂ってくるような描写。奇をてらったりしない正攻法の書き方にしびれた。いけすかない服部課長が落ちぶれてくれたようで、快哉。『サンショウウオ』とともに、2つの全く違うアプローチによる傑作を世に知らしめるお手伝いが出来て、大変光栄です

l  川上弘美――『サンショウウオ』参照

l  松浦寿耀――『サンショウウオ』参照。『バリ山行』は、組織のなかで居心地の悪い不安定な立場に置かれた会社員の「私」と、独立独歩を貫く変わり者の同僚の「妻鹿さん」との淡い交流を描く。「妻鹿さん」への「私」の感情は、憧れと疎ましさが混じった複雑なものだ。「妻鹿さん」に連れられて「私」が行なった「バリ山行」が本作のクライマックスをなす。「バリ」を辿ることの爽快さに感激した「私」は、組織の同調圧力に屈しない強さを獲得し、新たな生き方に目が開かれる――といった予定調和的な美談に収斂するのかと思いきや、物語はさらに思いがけない方角へと展開する。とりたてて文学的な実験だの形式的な冒険だのを試みているわけでもない平易な作品で、私は本来、この種述のべたな小説には点が辛いほうだが、「私」と「妻鹿さん」との間に友情の絆がいったん結ばれかけ、しかしそれが直ちにぷっつり切れてしまうこの哀切な物語には、ほろりとせずにはいられなかった。後ろ姿ばかり見せているような「妻鹿さん」の孤独な人物像にも、登山の情景の的確でなまなましい細部にも心を打たれた

l  奥泉光――『サンショウウオ』参照。『バリ山行』は、かたりを含め小説的な企みには乏しく、しかしかたり手の男の心情と山の情景描写を、それこそバリ山行のごとく、愚直なまでに真っ直ぐ丹念に重ねて物語を進めていく姿勢には好感を抱いた

l  川上未映子――ある環境専門委員会と状況を粘り強く書き、読ませる筆致は頼もしく、業界の詳細は冴えて物語を支えている。しかし山と日常の対比、異質さを感じさせる人物との関わりを契機に揺らぐ意識など、構成も展開も順接に過ぎる。人生も登山も感情も、ついぞ一般ルートの常識から離れることなく/離れられず、バリエーションルートへの嫌悪と憧れを含んだ距離を常に推しはかろうとする試みとして読めば、この作品固有の批評性も見こめるか。

 

 

 

六甲山のバリエーションルートを題材にした物語

 

 

 

 

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