奪還 日本人難民6万人を救った男 城内康伸 2025.3.3.
2025.3.3. 奪還 日本人難民6万人を救った男 著者 城内康伸 1962 年京都市生。中日新聞社入社後、ソウル支局長、北京特派員などを歴任し、海外勤務は 14 年に及ぶ。論説委員を最後に 2023 年末に退社し、フリーに。著書に『シルミド「実尾島事件」の真実』『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 「東声会」町井久之の戦後史』『昭和二十五年 最後の戦死者』(第 20 回小学館ノンフィクション大賞優秀賞)『金正恩の機密ファイル』など 発行日 2024.6.15. 発行 発行所 新潮社 はじめに 1945 年、敗戦によって日本の植民地支配が終わり、拠り所を失った朝鮮半島に住んでいた在留邦人は事実上の「難民」と化した。終戦当時、朝鮮半島には約 70 万の一般邦人が居住。うち 38 度線以北には約 25 万。そこに満洲から約 7 万の避難民が加わる 38 度線以南では、米軍が在留邦人の早期送還方針を徹底させ、 46 年春までには約 45 万の引き揚げを完了したが、北部ではソ連軍が 38 度線を封鎖して、南北の交流を遮断 北朝鮮北部国境の咸鏡 ( かんきょう ) 北道にいた在留邦人 7.4 万のうち 6 万は避難のため南下。彼らは避難民と呼ばれ、ほぼ無一文の逃避行で疲労困憊、深刻な住居・食料不足に見舞われ、集団生活では感染症が猖獗を極め、多数が死亡 北朝鮮にいて、彼等を日本本土に引き揚げさせたのが松村義士男 ( ぎしお ) 松村は、戦前には労働運動に加担するなど治安維持法違反で 2 度検挙された元左翼活動家で、かつて辛酸を嘗めた共産主義者の知己が多く、その人脈を生かして日本人救済に尽力 1946 年春から、疎開などの名目でソ連や北朝鮮から了解を取り、鉄道で 38 度線近くまで移動させ、越境させる計画。海路も漁船を雇い入れて活用。「引き揚げの神様」と知れ渡る 1971 年、 ( 社 ) 中央日韓協会 ( 日韓親善目的で ...