旧町名さがしてみました in 東京  102so  2024.11.22.

 2024.11.22. 旧町名さがしてみました in 東京

 

著者 102so(じゅうにそう) 1983年福島県会津若松生まれ。06年引っ越し先の向い側に新宿区柏木という旧町名が表札に残っているのを目の当たりにしたことをきっかけに、都内で旧町名の探索を開始。以降16年間「東京時層地図」アプリと古地図と運と勘を頼りに全国の旧町名を探し続けている。23区内約700の旧町名を確認済み。旧町名を探す会という名のブログで旧町名を取りまとめるなどの活動を精力的に行う中で徐々に話題が広まり『散歩の達人』などの雑誌、ラジオ「能町みね子のTOO MUCH LOVER」など各種メディアに紹介されている。名前は新宿区の旧町名、十二社より

ブログ: https://9cm.hateblo.jp  旧町名をさがす会(かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです)

 

発行日           2023.4.10. 初版発行

発行所           二見書房

 

 

はじめに

本書は、ただひたすら旧町名を探している本

1章では、基礎知識を体系的に学ぶ。東京23区には消滅した旧町名がおよそ1069あり、それらを現地で見つけて喜ぶ。探すうえで必要な知識を習得する

2章では、実際の旧町名を楽しむ。町の見所や逸話と共に紹介

3章では、「住居表示」について詳述

4章では、能町みね子との対談企画

 

Wikipedia

大字とは、明治期の合併によって消滅した江戸時代からの村々の名称および区域を、そのままあらたな普通地方公共団体が引き継いだもので、小字とはその村々の中の細かい集落や耕地を指す地名である

 

第1章      旧町名とはなにか、そしてさがすとは?

1.    旧町名とは

この時代に取り残された遺物こそが旧町名で、町名表示板、家の表札、町内会名などに残る

 

2.    旧町名を「さがす」とはなにか

旧町名が現役町名だった当時からそこにあり、かつその場所が当該町名であることを示すものを現地でさがし、見つけて、喜ぶ一連の作業で、著者は旧町名さがしに16年費やした

 

3.    どの時代のものをさがすか~さがす対象の定義

「どの時代のものをさがすか」――住居表示の実施により概ね昭和40年前後に消滅した町名がさがす対象で、目視で1069

1878年 東京15区成立――神田、麹町、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川

1889年 東京市誕生

1932年 東京35区成立――周辺582町村を20区に統合(淀橋、渋谷など)

1943年 東京都誕生――府と市を統合

1947年 東京23区誕生――当初22区、5か月後板橋から練馬が独立

1962年 住居表示法施行――順次旧町名誕生

2015年 旧町名復活――新宿区四谷坂町が104年ぶり復活。以後四谷本塩町が町名変更、神田三崎町・神田猿楽町が復活、四谷三栄町が町名変更

 

4.    どこにいるか~旧町名の生息場所

旧町名が残るのは90%が表札、行政が設置した町名の案内板、ビルの表札、タバコ屋の琺瑯製の赤い看板、デンリョク(電力会社が各戸に設置)

 

5.    「どうさがすか」

結局は運と勘に頼る: 「東京時層地図」のアプリなど古地図から旧町名の所在地の検討をつける→現地に行く→旧町名かどうかの判定→家に持ち帰って整理

 

6.    それは旧町名か~旧町名を認定する3要素

   旧町名認定の原則――旧町名であり、当時からそこにあって、その場所を示すこと

   旧町名認定の判断基準――旧町名が公衆の見やすい場所に表示されている、表示されている町名が古くからそこにあると推測できる対象物であること(経年の同一性)、表示されている町名と対象物の存在する場所が同一であること(場所の同一性)を確認したうえで、その地域における旧町名に対する姿勢など総合勘案し認定する

   旧町名の評価基準――れっきとした旧町名のみに限定し、「概念や思想、潜在意識下の旧町名」は除外

 

第2章      23区旧町名探訪

【千代田区】 1947年、神田区と麴町区が合併して誕生

l  三年町――永田町・霞が関に隣接し、唯一77年に消えた町名。転んだら3年以内に死ぬという俗信を持つ三年坂(財務省の南側)に因んで命名

l  神田松富町――64年末広町駅のリノベーションで消滅。松下町+永富町が由来

l  神田五軒町――5つの大名屋敷があった。64年松富町と共に消滅。旧町域内のアーツ千代田3331は文化芸術の発信拠点、05年廃校の錬成中をリノベして10年に誕生、3331は江戸1本締めの手拍子

l  三崎町――区制施行の時の町名は「神田三崎町」。62年の住居表示法により三崎町会では住民のアンケート結果は「三崎町」が圧倒的だったが、町会役員会や区議会では「西神田」となり、住民の存続運動が激化、67年存続が決まったが、本来の要望は「神田三崎町」の存続だったところ、当時の千代田区から「新町名に神田の冠はつけない」との指示があり、やむなく「三崎町」となったもので、18年漸く本来の「神田三崎町」に戻る

l  猿楽町――67年に三崎町同様「猿楽町」となるが、04年三崎町と共に神田冠称復活の要望が出され、区議会決議を経て18年「神田猿楽町」に戻る

l  須田町――1897年創業の山本歯科医院は2005年登録有形文化財となる。その表札に47年消滅した旧町名が残る

l  神田旭町――61年建設現場から秋田藩佐竹氏の家紋入りの遺物発掘。家紋に因んだ町名だが、家紋は扇に満月なのになぜか町名は旭。66年消滅

l  神田田代町――神田青果市場の遺構があったが16年撤去。町名は64年消滅

l  神田一ツ橋――69年消滅

 

【中央区】 1947年、日本橋区と京橋区が合併して誕生

l  本町――1590年江戸入りした家康が最初に行ったのが架橋工事で、同年常盤橋が竣工。町割りに着手し、その第1号が本町。幕府が薬種業者集団の地に指定。47年消滅

l  新佃島西町――佃島の隣に埋め立てで出来た町。67年消滅

l  日本橋兜町――銀行発祥の地。東証横の兜橋には、源義家が投げ入れた暴風雨を治めた(ママ)伝説の兜が眠る。82年「丁目」が消滅したため、「丁目つきの兜町」は旧町名とする

l  月島通――12丁目まであったが、65年消滅。月島通りを中心に、東西に東・西仲通、東・西河岸通と、「通」のつく旧町名がある

l  宝町――78年消滅

l  霊岸島――71年消滅。霊巌が寺を創業した島。震災後の町名整理で誕生

l  越前堀――霊岸島に隣接。越前福井藩主松平越前守の屋敷を囲む巨大な堀が名の由来

l  木挽町――江戸城修築の木挽職人の住む町。51年消滅

l  小田原町――石切に因んで付けられた江戸の小田原。66年消滅。現在の銀座67丁目

l  銀座西――高速道路の高架下は、もともと千代田区と中央区の境を流れる川があったところで、住所はない。68年に消滅し、銀座東と共に銀座18丁目に編入

 

(コラム1) 旧町名と職業と古町名と

江戸由来の町名には、幕府の要職や、商人・職人の職業名が採用され、当時の人々にとっては分かりやすかった――材木町、畳町、瀬戸物町、鍋町、竪(たて)大工町、蠟燭町、塗師(ぬし)

箪笥は、武器や具足の総称で、それらを司る役人の屋敷が置かれたのが箪笥町

納戸は、将軍家の衣服や調度などの出納を担う部署、その役職者の屋敷があったのが納戸町

今も残るのは神田駅東側の北乗物町・鍛冶町・紺屋町、旧牛込区の箪笥町・二十騎町・払方町

 

【港区】 1947年、赤坂区と麻布区・芝区が合併して誕生。麻布狸穴町と麻布永坂町のみ残る

l  我善坊町――74年消滅。89年地権者300人説得のための協議会設立、19年に再開発着工

l  西久保広町――77年消滅。神谷町周辺地域で、町名は広小路に由来

l  谷町――67年消滅。首都高に名が残る

l  芝白金今里町――明治学院のお膝元。今半の「今」はこの地に牛肉を求めて業者が殺到した時代の名残。69年消滅

l  芝下高輪町――初代英国公使館の東禅寺を中心に坂だらけ。67年消滅

l  伊皿子町――67年消滅。町名の由来は、人名、訛りなどあるが不明

l  三田豊岡町――67年消滅。昔は三田村の野原だったが武家屋敷に

l  芝琴平町――関東大震災で多くの町名が消滅、数少ない遺物が讃岐丸亀藩主が勧進した金刀比羅宮のある琴平町。新橋の前は源助町や露月町、烏森町などに細分化。77年消滅

l  赤坂檜町――乃木坂のある町。毛利家屋敷跡で東京ミッドタウンのお膝元。66年消滅

l  芝二本榎西町――地番が14しかない。一里塚だった2本の榎が町名の由来。68年消滅。隣町の二本榎1丁目にある高輪消防署は33年築

l  芝三田小山(みたこやま)町――67年消滅。20年讃岐会館閉館、再開発組合設立。麻布十番から国道を隔てた東側で、完成は28年予定

l  赤坂氷川町――根津や富岡八幡と並ぶ東京十社の1つで江戸7氷川の筆頭、赤坂氷川神社が由来。中野区、渋谷区にも氷川町がある

l  麻布霞町――六本木通りの霞坂と笄坂の合流するのが霞町、現西麻布。霞山稲荷が由来。67年消滅

l  麻布笄町――笄川が由来。67年消滅

 

【新宿区】 1947年、牛込区と四谷区・淀橋区が合併して誕生

l  十二社――70年消滅。由来は熊野十二所権現。江戸中期には景勝地、明治には行楽地、大正期は花柳町、昭和初期には料亭と待合が100軒、芸者300

l  淀橋――中野区との境の神田川に架かる淀橋が町名の由来。柏木村と角筈村の1小字(こあざ)だったが、東京市35区の1つにまで採用。70年消滅。同年淀橋写真商会設立

l  柏木――71年消滅。6代目圓生の代名詞、居住14年。真のパワースポットは成子天神社

l  角筈――78年消滅。新宿駅も旧町名は角筈。新宿自体由来は内藤新宿で四谷区。この地の開拓者の渡辺氏の髪が角や矢筈っぽい束ね方だったのが町名の由来。筈とは矢の上端で弓の弦をかける所

l  三光町――78年消滅。花園神社(三光院稲荷)が町名の由来。三光は、日・月・星の3つの光源からなる三光石に由来

l  花園町――72年消滅。現新宿1丁目。三光町も花園町も元々は同じ内藤新宿町・内藤新宿北裏町で、20年の四谷区編入の際町名が分かれた

l  諏訪町――75年消滅。高田馬場駅の西側が戸塚町で東側が諏訪町なので駅名で揉める

l  坂町・本塩町・三栄町――新しいがいく方式による住居表示は道路を境界として町域を形成するため、小さく細かい町は町域を崩されてしまうことになり、神田や牛込では住居表示が進まなかった。そのため新宿では13年に町域を変更せずに住居表示の実施認められることになり、これら3つの町に四谷の冠称を付けて町名変更を行った(1518)

l  戸塚町――東京富士大から早稲田大まで一時は区内の8%を占め、4丁目まであったが、今や1丁目だけ、それも極一部に残る

l  霞丘町――03年消滅。64年五輪前に建てられ、20年五輪後に解体された都営霞ヶ丘アパートがあった。現在は霞ヶ丘町。「ヶ」の有無の違いは大きい

 

(コラム2) 駅名を旧町名準拠にしてみた→駅の住所表示による

旧町名準拠: 丸の内・有楽町・芝新橋・芝海岸通・芝田町・芝高浜町・芝高輪南町・東大崎・五反田・上大崎・向山町・大和田町・穏田・千駄ヶ谷・角筈・百人町・戸塚町・目白町・池袋・西巣鴨・巣鴨・駒込・田端町・日暮里町9丁目・日暮里町・上根岸町・上野山下町・仲御徒町・神田花岡町・鍛冶町

現町名準拠: 丸の内・有楽町・新橋・海岸・芝・港南・高輪・大崎・東五反田・上大崎・恵比寿南・道玄坂・神宮前・代々木・新宿・百人町・高田馬場・目白・南池袋・南大塚・巣鴨、駒込・東田端・西日暮里・西日暮里2丁目・根岸・上野・上野5丁目・外神田・鍛冶町

 

【文京区】 1947年、本郷区と小石川区が合併して誕生。起伏地獄

l  音羽町――66年消滅。将軍綱吉の母で護国寺創建の桂昌院の大奥女中「音羽」がこの地を拝領したことに由来。護国寺から江戸川橋を繋ぐ音羽通りは旧御成道。9丁目まで存在

l  東青柳町・西青柳町――66年消滅。護国寺を背に左が東青柳町で右が西青柳町。青柳も桂昌院の大奥女中

l  久堅町――66年消滅。啄木終焉の地、歌碑が立つ

l  真砂町――65年消滅。67年竣工の都営文京真砂アパートがシンボル。真砂の数と対比して天皇の世の安寧を謳う古歌が由来

l  大塚窪町――同潤会女子アパートがあり(跡地に碑が残る)1階のパン屋が三角サンドイッチ発祥の地。66年消滅。他に大塚と付く旧町名は仲町・辻町・上町・坂下町・大塚町

l  第六天町――慶喜終焉の地。66年消滅。第六天神社が由来。徳川邸の隣が松平容保邸

l  駒込追分町――中山道と岩槻街道の分岐点。中山道最初の1里塚。65年消滅

l  根津須賀町――根津神社のお膝元。65年消滅

l  竹早町――幕府憎しの新政府が御箪笥町の「箪」を「竹」「早」に分離したという説あり。竹早高校と学大付属竹早中の校舎問題は、元は同じ府立で校長も校舎も共用していたが、都制により都立と国立という別の学校になり、敷地も校舎も国有化され、以後20年都立が国立に校舎を間借り、67年分離独立協定締結により、竹早高校は校舎独立を果たす。現在両校は校門が隣り合う。66年消滅

 

(コラム3) 文豪と引っ越しと旧町名と

現東京23区内で、地番の変更以上を伴う引っ越し回数で5位は樋口一葉の15回で出生も含めカウント対象エリア内のみ。4位が島崎藤村で同じ15回だが、海外も含めエリア外との行き来が多い。3位が中原中也の15回でエリア外からきて大半は市外。2位が川端の19回でエリア外から来てエリア外に転出。1位は江戸川乱歩で生涯46回のうちエリア内だけで26

 

【台東区】 1947年、浅草区と下谷区が合併して誕生。寺社仏閣大国。姉妹都市は墨田区

l  浅草象潟(さきかた)町――出羽本庄藩六郷家屋敷跡だが、町名には景勝地。66年消滅

l  南松山町――江戸時代初期に池沼を埋め立て寺地として発展。現地名の元浅草は、下谷区と浅草区の境界、つまり浅草の起点的な意味で「元」とした。64年消滅

l  浅草公園六区――明治期に東京府が浅草寺境内とその周辺を公園地として指定・整備した際の6区画のうちの興行地区を指す。日本の娯楽の中心。65年消滅

l  浅草聖天横町――大根で有名な待乳山聖天(しょうでん)の左横の町名。66年消滅

l  池之端七軒町(しちけんちょう)――「七」はこの土地を買い求めた町人の数。66年消滅

l  上野花園町――上野御花畑が由来。鷗外『舞姫』執筆の地。66年消滅

l  谷中上三崎南町――66年消滅

l  谷中天王寺町――幸田露伴がこの地の五重塔(空襲まで生き延びたが57年放火で全焼)を小説に。都内随一の寺町の谷中で唯一寺名が旧町名に採用された。66年消滅

l  松葉町――ラジオ体操の聖地。47年中断したラジオ中継が52年に再開された地。65年消滅。現松が谷は「松」葉町+浅草北「松」山町+入「谷」が由来

l  谷中初音町――旧4丁目は文京区と荒川区を突き刺すような町域で、先端の100m先は北区田端。初音は鶯の初鳴きの事で、鶯谷駅名の由来。66年消滅

l  万年町――地下鉄の地上車庫・検車区があり、唯一地下鉄の踏切がある。65年消滅。

l  南稲荷町――13年最後の同潤会上野下アパート解体。64年消滅

 

【墨田区】 1947年、本所区と向島区が合併して誕生。塔と本社と博物館が結集する東武王国

隅田川ファーストの裏で横に流れる「タテ」川と縦に流れる「ヨコ」川がある。姉妹都市・台東区

l  業平橋――在原業平を祀る業平神社が由来。震災後の町名地番整理で多くの橋の名の町名が出来たが、住居表示の結果、残ったり消えたり不統一。67年消滅

l  竪川――6467年に8度にわたり住居表示を実施、優秀な成果は自治大臣から表彰。江戸城から見て縦に流れる人工河川が由来の「竪川」は住民の希望だったが非当用漢字のため「立川」に変更され川と橋の名に残るのみ。67年消滅

l  東両国――両国とは下総と武蔵の両国に架かる橋が由来で、中央区日本橋両国(現東日本橋)を指し、今の両国の場所は「東両国」。吉良邸のある忠臣蔵の街。67年消滅

l  錦糸町――「釣った魚を置いてけ」で有名な「置行堀(おいてけぼり)」の錦糸堀が由来。震災後神田から菓子屋が移り、最盛期には500軒にも。67年消滅し現在は「錦糸」

l  寺島(じま)町――江戸期に生産された幻の寺島なすの復活プロジェクト進行中。元は南葛飾郡の自治体名で、丁数が町名だった。65年消滅

l  吾嬬町西―30年字(あざ)名地番整理事業の結果、自治体としての吾嬬町が「東西+丁数」を大字(後に町名)にした当時の名残。この旧町名の形式は23区では吾嬬町と大田区馬込町東・西の2例のみ。65年消滅

l  吾妻橋――吾妻神社に由来する町名。墨田区の旧町名の橋シリーズのなかで「江東橋」と「吾妻橋」だけは町名として維持。江東区や吾嬬町との重複への配慮か。47年消滅

l  厩橋――江戸初期幕府の御厩の渡しのあった場所。元の本所に戻る。66年消滅

l  小梅――水戸藩下屋敷跡、明治大正期の水戸徳川小梅邸は震災後の復興公園を経て現隅田公園。当時「新小梅町」で震災後「小梅」に集約、現向島。64年消滅

 

(ミニ・コラム1) 東京23区の区名案 ~千代田区・中央区・港区編~

東京都主催の有識者座談会と、東京新聞の懸賞付き募集の2通りあった

千代田区――有識者は満場一致で千代田区

中央区――有識者は中央区・朝日区、公募は中央区

港区――有識者は飯倉区・青山区、公募は愛宕区

「青山区」が異常な人気。公募1位の愛宕区は非当用漢字

 

【江東区】 1947年、深川区と城東区が合併して誕生。3/4は埋立地。大田区との領土争い

l  深川白河町――白河藩松平定信(寛政改革の老中)の墓がある霊巌寺に由来。中央区の霊巌寺の移転先。深川門前町が霊巌町となり、32年白河町に。70年消滅

l  深川牡丹町――23区で牡丹の付く町はここだけ。牡丹農家が多かった。69年消滅

l  深川平野町――この地の開発に尽力した名主の名が由来。間宮林蔵の墓。70年消滅

l  深川洲崎弁天町――遊郭の移転先として埋め立て、58年まで存在し、大正期には277軒の遊郭が存在。現東陽1丁目。洲崎神社が由来。67年消滅

l  佐賀町――戦災で8万戸が5千戸に、戦争被災率94%は都内最大、隣の福住町と共に奇跡的に免れたのが佐賀町。町域が肥前・佐賀港に似ているのが由来。69年消滅

l  深川新大橋――桂昌院などの勧めで大橋(現両国橋)の川上に新しい橋を架け新大橋としたのが由来。芭蕉も「有難やいただいて踏むはしの霜」と詠む。71年消滅

l  深川住吉町――震災後猿江裏町が3分割され、同潤会共同住宅は住吉町と毛利町の名をとって住利(すみとし)共同住宅と名変、跡地のツインタワーも住吉町と毛利町に分れる。68年消滅

l  深川木場――材木商に対し材木置き場として払い下げられ、貯木場が設けられ木材問屋街として発展。「名所江戸百景」にも雪の降る材木場が描かれた。31年消滅

l  深川門前仲町――住居表示の実施基準では、丁目が付く町名には「町」が付かないが、区内唯一の例外が門前仲町で、ルール廃止後の69年に住居表示が行われたため。過去の名前は深川富岡門前仲町。69年消滅

 

【品川区】 1947年、品川区と荏原区が合併して誕生。「〇〇銀座」発祥の地

l  品川町大字南品川宿――東海道53次第1宿場の名残。「宿」の表記が品川町時代の32年まで存在。「品川県」という地名も、甲州街道の一里塚として1869年から2年間だけ世田谷区給田に存在していた

l  大井伊藤町――多いシリーズは人名由来が多い。伊藤博文の墓に因む。64年消滅

l  大井鎧町――上杉と北条の合戦場跡。立会川の語源も「太刀合」だし、鎧町の隣は「関ケ原」町(ただし、由来は立会川にあった水車の「堰」)64年消滅

l  大井滝王子町――江戸期瀧氏の私有地で王子権現を祀ったのが由来。64年消滅

l  中延町――空襲罹災率96%の荏原区で、41年消滅した町名の痕跡が見つかる。中延の語源は「中の部」なので「べ」ではなく「ぶ」が正しい。芳根弥三郎著『荏原中延史』必読

l  上大崎長者丸――旧町名の語尾が「町」ではない珍しい例。白金()長者柳下上総之介の屋敷跡。今も高級住宅街。67年消滅

l  上大崎中丸――語尾が「町」ではない2つの例の1つ。福井松平家が現借地人に限り廉価で売却したという。67年消滅

 

【目黒区】 1932年、荏原郡目黒町と碑衾(ひぶすま)町が合併して誕生。東急王国

l  月光町――平和通り商店街は旧町境。7代将軍家継の生母・月光院由来の説や、田畑が月の光に照らされていた「月光原」由来という説も。突然広大なシェア畑出現。66年消滅

l  駒場町――吉宗の御鷹場だった駒場野に由来。1867年鷹場の拡張計画に反対して農民一揆勃発、中止に。駒場とは馬の牧場のこと。1.6万坪の原野だった。68年消滅

l  唐ヶ崎町――台地の端が突き出ている地形が由来とも。66年「中央町」に改変されたのは区役所があったからか。なぜか原則を破って「町」が付く。今は移転

l  向原町――東光寺の向いの原が由来だが、現東光寺は八雲。他区にはない目黒区の特徴が町内の単位「住区」で町内会と併設。向原住区は現目黒本町6丁目。66年消滅

l  清水町――清水池公園は都内唯一釣り堀の池がある。村の共同水田灌漑用のため池で、当時の小字から別名「池の上の池」。66年消滅

l  (ふすま)町――碑文谷と衾町を併せて碑衾町。難読漢字なので八雲に改変。64年消滅

 

【大田区】 1947年、大森区と蒲田区が合併して誕生。面積は23区中最大

l  大森區+蒲田區――新区名誕生には両者譲らず激論が続いたという。窮余の一策の名

l  池上徳持町――徳持の由来不詳。付馬牛(つきもうし:遠野市の地名)のアイヌ語読みの転訛とも。明治時代日本初の馬券制の池上競馬場が出来たが、不正や経済破綻など公序良俗が乱れ3年で閉鎖。68年消滅

l  入新井町新井宿――不入斗(いりやまず)村と新井宿村が合併して誕生した入新井。そこにあった蘇峰公園は旧徳富蘇峰邸。32年消滅

l  女塚(おなづか)――戦後の区再編で各統合区の中心地として示された町名。蒲田の北西方面に広がる。女塚神社が由来。67年消滅

l  道塚(みちづか)町――目蒲線駅と発電所への石炭運搬線が通り10年で廃止。67年消滅

l  森ケ崎町――1899年豪農が発掘した都内最古の温泉があり、戦前は50軒の旅館が連なる保養地。大森の崎という地形からくる呼び名。64年消滅

l  市野倉町――太田区に間違われるのも町の鎮守で那須与一ゆかりの太田神社が「太」だからか。物を売り買いする市の座が由来とする説。67年消滅

 

【世田谷区】 1932年、荏原郡世田谷町など4町村が合併して誕生。縦移動の鉄道不毛地帯。36年砧村・千歳村を編入して現在の区域完成。23区で人口1位、和歌山県を抜く

l  玉川等々力町――玉川村のみ合併に反対、以後も独立の動き。妥協として等々力に区役所の派出所(玉川総合支所)が出来る。町名には「玉川」の冠。70年消滅

l  玉川上野毛町――野毛とは崖の意。隣町は「野毛」、「下野毛」は川崎市にある。71年消滅

l  玉川瀬田町――山間の狭い谷地を「瀬戸」といい、「瀬田」とはその訛ったもの。瀬田の谷地で世田谷。府県境界変更で東京と神奈川に分れた世田。川崎市はそのまま「世田」が残る。70年消滅

l  大原町――大きな原が由来。和田堀給水所1号配水池が残る。杉並に建設予定されたが標高50mあって丸ビルまで水が引けることが判明、名前そのままで大原に設置。大原に水道が引けたのは75年で、恩恵無し。64年消滅

l  廻沢(めぐりさわ)町――区内現町名は旧町名の面影を残す改変が多いが、廻沢は70年完全に消滅。村の四方に川や沢が廻っていたことに由来するが難読。小田急の北・環八の西側で、現千歳台・粕谷。27年小田急開通までは戸数が江戸末期と変らない未開の農村

l  烏山町――震災による寺院集団移転先。カラスが群棲した大森林が由来。三鷹市との境界が複雑で飛び地がある。70年消滅

l  粕谷町――鎌倉末期の武士・糟谷三郎兼時に由来。徳富蘆花が「美的百姓」と称する半農半筆生活を送り「日本で粕谷ほど好い処はない」といわしめた。70年消滅

 

(コラム4) 超絶レア! 東京から消えた自治体としての旧「町」名

統合などの結果消滅した、現存しない自治体としての旧「町」名

東京府南足立郡江北村大字鹿濱――東京府(18681943年存在)、江北村(18891932)

東京府荏原郡世田谷村経堂在家――世田谷村(18891923)

大井町濱川――荏原郡大井町(190832、現品川区)

東京府荏原郡目黒町上目黒――目黒町(192232、碑衾町と合併、現目黒区)

豊多摩郡高井戸町字大宮前――高井戸町(192632、杉並町・和田堀町・井荻町と合併)

駒澤町上馬――荏原郡駒澤町(192532、現世田谷区)

東京府荏原郡矢口町上根岸――矢口町(192832、蒲田区から現大田区)

 

【渋谷区】 1932年、豊多摩郡渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町が合併して誕生。住居表示に先行して町名整理

l  常磐松町――義経の母・常盤御前の植えた古松に由来。もともとの町名は「盤」だが、25年の小学校創設に際し、「皿」は縁起が悪いから「磐」にしたことから、町名も28年から「常磐」に変更。66年消滅したが、ビル名には縁起のよさから残るが、「盤」も散見

l  金王町――義朝に仕えた渋谷金王丸を祀る金王八幡宮に由来。黒川紀章設計のWINS渋谷がある。66年消滅

l  北谷(きたや)町――現神南1丁目。渋谷駅北の谷地の一角。69年消滅

l  原宿――鎌倉街道の宿駅で江戸時代は青山原宿町という町屋。住居表示に際し隣の穏田か原宿かで揉めたが、明治神宮由来の神宮前で決着。65年消滅

l  穏田(おんでん)――海の東郷は東郷神社で原宿、陸の大山の旧邸は穏田。駅の住所は穏田。上杉家家臣・恩田氏の隠棲地か。69年消滅

l  伊達町――宇和島藩伊達家下屋敷の跡地。今は恵比寿ガーデンプレイス66年消滅

l  羽澤町――15年建築の中村是公東京市長の邸宅跡。羽澤ガーデンという料亭が05年まで営業。渋谷駅東側は源氏由来が多く、羽澤町も頼朝の飼い鶴が巣を作り雛が羽化したのが由来。66年消滅

l  大和田町――渋谷駅西側の町名は住居表示実施後もそのまま、唯一消滅したのが大和田町。北条氏に滅ぼされた和田氏の一族・大和田太郎道玄に由来。道玄坂も。70年消滅

l  代々幡町代々木富ヶ谷――1889年代々木と幡ヶ谷が合併して代々幡。幡代と揉めたが、合併より前に出来た小学校は幡代小学校。63年消滅

l  通シリーズ――住居表示の方式は「街区方式」と「道路方式」の2通りで、多くの自治体は「街区方式」を選択したが、住居表示実施前に道路方式的な運用が渋谷区と中野区で行われ、「〇〇通」の旧町名が出来た。渋谷では北から神宮通(69年消滅)・大向通・栄町通・上(かみ)通・八幡(はちまん)通・中通・公会堂通・下(しも)通・恵比寿通(65年消滅)9つで、大通り沿いに細長く分布していた。22年時点で現存は2

l  上智(あげち)町――幕府が領地を取り上げることを上がり知(上げ知)といい、上げ知の結果御料地となったので上智。32年震災復興事業で広尾小学校が立つ(登録有形文化財)66年消滅

l  桜丘町――町名はそのまま残っているが、町域一帯は再開発で街は消えた

 

(コラム5) デンリョクの世界

東京電力が作成、旧町名がカタカナで書かれ、東電の管理番号と管轄する11の支社名が付されている。旧町名は5文字までなので、上手に省略されている

 

【中野区】 1932年、豊多摩郡中野町と野方町が合併して誕生。福島県田村市が姉妹都市

l  囲町(かこいちょう)――生類憐みの令で野犬を保護する犬小屋「御囲」が現在の中野駅の南北に5カ所設置。廃止後も名残として地域や町名に残る。66年消滅

l  桃園町――御囲廃止後中野村は農村に戻るが、吉宗の時代鷹狩りが再開され、鷹場に指定され、気に入った場所に桃を植樹し、桃園として花見の名所となったのが由来。桃園町自体が御囲で、最大の面積を誇る5の囲の一部だったのが、今の囲桃園公園の名に残る。公園は世界初の犬のいない御囲。66年消滅

l  文園(ふみぞの)町――中野駅南側の町名(桃園)が北側の小学校名に採用されており、桃園が中野の代名詞であったことが窺える。一方、文園町は町内に桃園第二小学校があることから地図記号との合成で町名が決まる。桃園小学校は廃校済み。66年消滅

l  中野町字道玄――中野区誕生以前は豊多摩郡だが、あえて「東京市外」という門柱の記載が残る背景は不明。町名は31年消滅

l  塔ノ山町――中野坂上駅北側には江戸初期から終戦まで3階建ての塔が存在。空襲で焼失した三重塔の復元が宝仙寺にあり、記念碑も立つ。67年消滅

l  仲町(なかちょう)――「武蔵野の中央」で中野。67年消滅、現町名・中央。青梅街道沿いの宿場町「上宿・中宿・下宿」が転じて「上町・仲町」に。下町はなぜか朝日ヶ丘に

l  宮前町――宝仙寺の旧町名。宮は氷川神社。宮の付く町は他に宮里町・宮園町。67年消滅

l  通シリーズ――渋谷区同様、昭和通(66年消滅)・宮園通(67年消滅)・本町通・本郷通・栄町通(67年消滅)・新山通の6

 

【杉並区】 1932年、豊多摩郡杉並町・和田堀町など4町が合併して誕生

l  高円寺――鷹狩の休憩で家光が立ち寄った寺の和尚の法話を気に入ったことから寺名が村名に。68年消滅。現在は「高円寺北・南」に

l  神戸(ごうど)町――公園名や町内会名に残る。65年消滅、現上・下井草

l  関根町――善福寺川の用水路をせき止める「堰」が由来。橋・公園に名が残る。64年消滅

l  東荻町――「街区方式」では丁目をつける場合は町名から「町」を外すのが原則だが、荻窪では「窪」まで取られた。69年消滅

l  馬橋(まばし)――高円寺と阿佐ヶ谷の境界線の旧町名。桃園川を馬の背を橋代わりにして渡ったことが由来。65年消滅を機に、稲荷神社が地名消滅を惜しんで馬橋稲荷と改称。

l  宿(しゅく)町――宿関連の町名には様々な修飾語がつくが、ここはシンプル。64年消滅

l  成宗――戦国時代に当地を開拓した成宗氏が由来。68年消滅し、現在は「成田東・西」

l  東田町・西田町――田端神社に由来する田端村は、成宗村を挟み東西に存在したが、32年の杉並区誕生の際別の村になり、さらに69年成宗と一緒になって「成田東・西」に

 

【豊島区】 1932年、北豊島郡巣鴨町・西巣鴨町・長崎町・高田町の4町が合併して誕生。西武王国。秩父市が姉妹都市

l  椎名町――町名は66年消滅、駅名に残るが住所は南長崎。漫画家の聖地・トキワ荘は52年建築、築30年で解体、20年再現、表札に「椎名町」。帝銀事件の場所の町名は長崎

l  池袋東――56年から10年のみ存続。現池袋東

l  長崎東町――3239年存在。戦前はアートの街。芸術家用のアトリエ付き貸家群が点在。近年池袋モンパルナスの総称で有名だが、池袋は西巣鴨町で、モンパルナスは旧長崎町

l  高田本町(ほんちょう)――文京区との境は急傾斜の坂。住居表示実施の時代、23区で町名変更取り消し訴訟が5件発生、うち3件は豊島区。そのうちの1つがここ。66年消滅

l  西巣鴨町大字巣鴨――元々1つの巣鴨が町と村に分かれて併存、町の方が大きかったが、村には池袋が含まれ、人口が急増して18年には西巣鴨町に昇格、さらに25年の国勢調査では東京府で東京市・渋谷町に次いで3位にまで発展。32年の東京市大拡張に伴う区の新設では巣鴨町は隣の滝野川町と合併する予定だったが、西巣鴨町とともに豊島区に編入。32年消滅

 

【北区】 1947年、王子区と滝野川区が合併して誕生

l  王子町――王子権現由来。渋沢栄一縁の街。65年消滅

l  岩渕町――日光街道の宿場町。正式には「岩淵」だったが「渕」も戸籍などに存在したため、07年文字を統一して消滅

l  稲付町(いなつけちょう)――北区は旧村名がそのまま町名として継続する傾向が強いが、唯一完全消滅したのが稲付町。赤羽の半分を占めていたし、冠としても使用。71年消滅

l  袋町――駅名は北赤羽なのに現町名は赤羽北で、旧町名はなぜか袋町。袋は低湿地の意。元は農家の小集落。埼玉から浮間が編入されるまでは東京の北の果て。66年消滅

l  稲付島下(しましも)町――太田道灌が稲付城を築いた地。71年消滅

l  滝野川區+王子區――23区の最北端は足立区。滝野川・西ヶ原・田端などが旧滝野川区で、赤羽・王子などが旧王子区

 

(コラム6) デンリョクタクサン

東電表示板の省略傑作集――ヒガシタカ(文京区駒込東片町)、コバヤシ(大田区小林町)、サンナミ(台東区谷中上三崎南町)、ネリミナ(練馬区南町)、カミ(文京区大塚上町)

元は、集金業務効率化のため、2030軒を1区画として画標を設置したもの。住居表示法も東電の「画標制度」がベースとなっている

 

 

【荒川区】 1932北豊島郡南千住町三河島町尾久町日暮里町4町が合併して誕生1945ごろまで東京市内で最も人口の多い区。旧町名も4つ、現町名も7(荒川、東・西尾久、東・西日暮里、町屋、南千住)と少ない

l  日暮里町――台東区の谷中ぎんざの最寄り駅は日暮里で、荒川区誕生の際も下谷区編入を希望したが将来の付帯条件とされたまま放置。66年消滅

l  三河島町――22年日本初の近代下水処理場運用開始。地租改正当時の土地整理番号が都市化後も地番として使われ、60年塩釜・川越とともに地番制度に代わる新たな制度検討の実証実験が行われた地。その町名変更の結果が今日の住居表示制度。66年消滅

l  日暮里渡辺町――荒川区の特筆すべき施策は自治体の大字を新区の町名(町名にスライドさせる方が普通だった)にせず一律に廃止したこと。その結果統合された自治体としての旧4町の名がそのまま新区の町名に置き換わり4つの町名が誕生。正確には三河島町大字町屋のみ独立し5つ、もう1つ日暮里渡辺町を加えて6つだったが、渡辺町は2年で消滅。東京渡辺銀行の渡辺氏由来で、秋田藩佐竹氏屋敷跡を宅地造成したものだが、銀行倒産で渡辺氏撤退の5年後に町名成立。開成中高のある道灌山辺り。34年消滅

l  日暮里町大字旭町――32年荒川区誕生とともに各町の大字はすべて消滅(町屋のみ例外)。震災では焼失を免れたが、25年大火で焼失、2カ月後に区画整理事業組合認可、5か月後着工というスピードで区画整理実施、大字旭町と名付けられたが、荒川区誕生により例外なく日暮里2丁目に改変

 

【板橋区】 1932年、北豊島郡板橋町・上板橋町・練馬町など9町村が合併して誕生

l  小山町――小山・茂呂(元は毛呂)・根ノ上3町が統合して小茂根(こもね)65年消滅

l  茂呂町――旧石器時代の遺跡の町。49年発掘の群馬県の岩宿(いわじゅく)遺跡に次ぎ全国2番目に発見。区境にまたがる城北中央公園の練馬区側には栗原遺跡の竪穴式住居もある。65年消滅

l  根ノ上町――84年根ノ上遺跡発見。65年消滅

l  志村町――元々志という村名。太田道灌の志村城の空堀が熊野神社に残る。66年消滅

l  長後(ちょうご)――47年までは志村長後町、その前は志村町大字本蓮沼。66年消滅

l  板橋町下板橋――中山道の最初の宿場町の石神井川に今でも架かる橋が由来、当時橋は珍しい。上宿が現・本町、仲宿は現在もそのまま。32年消滅

l  仲宿――2㎞に広がる板橋宿は3宿の総称。最も栄えたのが仲宿。現町名として残る

l  徳丸本町――荒川沿いの低地は幕府直轄の徳丸田んぼと呼ばれる水田地帯が存在したが、55年の台風や地下水枯渇で減収、宅地開発となり団地が広がる。72年消滅

 

(ミニコラム2) 東京23区の区名案 ~新宿区・文京区・台東区編~

新宿区――有識者は戸山区・山手区・新宿区、公募は戸山区

文京区――有識者は湯島区・文京区・文教区、公募は春日区

台東区――有識者は大平区・下町区、公募は上野区

 

【練馬区】 1947年、板橋区から1/2以上を奪って誕生。埼玉に飛び地あり

l  板橋區練馬南町――板橋区役所が区の東端にあったことから練馬区を分割させたもの。練馬南町は、練馬区誕生から2年だけ存在し南町に改変し今は消滅

l  田柄(たがら)町――町名と地番はセット。4桁の地番を誇る。荒川水系石神井川支流の田柄川が70年代暗渠化され田柄川緑道が完成、水位状況表示が立つ。69年消滅

l  江古田(えこだ)町――中野は「えごた」で現町名。紛らわしいので練馬区が気を遣って旭町に改変したが、中野区は3年後一部を江原町に変更

l  仲町――現町名の錦・早宮・平和台などは町内会での投票の結果。65年消滅

 

(ミニコラム3)  東京23区の区名案 ~墨田区・江東区・品川区編~

墨田区――有識者は墨田区・本所区、公募は隅田区

江東区――有識者は永大区・江東区・辰巳区、公募は江栄区

品川区――有識者は大井区、公募は大井区

 

 

【足立区】 1932年、南足立郡千住町など10町村が合併して誕生。元飛び地天国

l  四ツ家町――当時の開墾者の家が4軒だったのが由来。66年消滅

l  小右衛門(こえもん)町――新田開墾者渡辺小右衛門に由来。75年消滅

l  荒川の先の千住たち――千住町を縦断して荒川放水路が開削(30年完成)されたため、北千住から千住新橋を渡った北側にも千住の冠が付く町名が多い。八千代町(89年消滅)・若松町、栄町、末広町・弥生町など

l  伊興(いこう)町シリーズ――32年東京市編入の際大字がなく小字のみ、かつ通し地番だったため東京市で唯一小字の付く町名が誕生、01年まで存続。小字名も谷下・聖堂・狭間・番田(ばんでん)・槐戸(さいかちど、68年消滅)など他で見かけない異質な字面。さらに早房・北根・西嶋(にししま)等小字でもない「厨子」という集落内の共同体もあった

l  舎人公園に残る旧町名の亡霊たち――住居表示実施後も舎人公園のなかに人口0で残った町名が入谷(いりや)(歩道)・古千谷(こぢや)(舎人公園)・西伊興町(バーベキュー)・舎人町(非常用発電設備設置場所)

 

【葛飾区】 1932年、南葛飾郡新宿町、金町、奥戸町、南綾瀬町、本田町・水元村亀青村のの52村が東京市に編入後合併して誕生。京成王国。漫画の街

l  本田(ほんでん)中原町――広い野原が由来。67年消滅」

l  本田渋江町――鉄工場とセルロイド工場街が共存した街。今は商店街とキャプテン翼が共存。65年消滅

l  水元小合(みずもとこあい)上町――区の北側に5つの「水元」冠の町名。住居表示に取り残されたように他に遅れて81年消滅。小合とは小合溜井という地域の水源の用水池

l  本田木根川町――65年消滅。翌月から2年この地に下宿したさだまさしが《木根川橋》を作曲。橋の竣工は69年なので本来なら《四つ木橋》

 

(ミニコラム四騎士)  東京23区の区名案 ~大田区・北区・番外編~

大田区――有識者は東海区・飛鳥区、公募も東海区

北区――有識者公募とも圧倒的に飛鳥区だが非当用漢字

番外編――35区の統合の際、46区への分割案もあり。葛飾区(新宿区を分割)・足立区(城北区)・板橋区(練馬区・石神井区)・世田谷区(千歳区・玉川区)・大森区(田園調布区)など

 

 

 

【江戸川区】 1932年、南葛飾郡小松川町、葛西村、松江町、瑞江村、鹿本村、篠崎村、小岩町の7町村が東京市に編入後合併して誕生。今も住居表示実施中。小松菜発祥の地。

l  堀江町――旧江戸川右岸河川敷のみを町域とする無居住区域。住居表示未実施

l  逆井(さかさい)――江東区と江戸川区を結ぶ最初に架かった橋の名由来。1879年竣工。両端の村が工事費を負担したが、有料にして1年で工事費回収。72年消滅。

l  葛西――東京メトロの駅名に採用(69)されたため周辺地域の町名を「東西南北+中」葛西に変えたが、「葛西」そのものは旧町名へ。81年消滅

l  桑川町――中川と江戸川を繋ぐ人工河川・新川沿いの街。80年消滅

l  下鎌田町――38年の町名変更・町域縮小後も存続、04年直近最後の住居表示で消滅

 

第3章      住居表示の実施ってなんだ?

1962年住居表示法施行――読みやすく簡明な町名を目指し、原則5年以内に完了

1967年改正――出来るだけ従来の名称に準拠すべきとなり、丁目を付ける場合でも「町」を取る運用(「有楽町→有楽」での反対が契機)が削除

住居表示法の本質は、「地番問題の解消」――「地番」は租税徴収を目的に土地に付されていたが、1898年戸籍法改正により住所表示の方法として便宜的に利用することになったため、土地の細分化や地番の重複、飛び地などの問題から矛盾が発生し、住居表示法に至る

住居表示の90%を占める「街区方式」の基本ルール:

「町名」+「街区符号」+「住居番号」の形式で住所を表示する

「街区」とは道路や鉄道・水路などの恒久的な施設で囲まれた区画のこと。東京都の一般的基準ではおおむね1000坪・20戸程度

「街区符号」は、当該自治体が中心地とする場所(東京の場合は皇居)を起点に1番から蛇行して付番

「住居番号」は、街区を囲む1015m間隔の時計回りの基礎番号のうち、各住居の出入り口に近い番号を付番

現地には、街区符号を表示する「街区表示板」と、建物の住居番号を表示する「住居番号表示板」が掲示されている

 

 

第4章      旧町名をたっぷり語る 能町みね子 102so

能町みね子――北海道出身。エッセイスト・イラストレーター。好角家・鉄道好き・旧町名好き。卒論は東京の明治以降の地名の変遷

102so――大学の卒論は旧町名

一番地名を変えているのは港区っで、9割以上が消滅

町名が残るか否かは、地域の人の思い入れ次第

地図アプリ――「東京時層地図」「地図マピオン」「今昔マップ」「古地図散歩」「スーパー地図(地形)

旧町名にリスペクトがあるのは旧牛込区

 

 

東京23区別・認定旧町名一覧

 

 

 

 

 

 

二見書房 ホームページ

かつて存在し、そして消滅した地名=旧町名の名残りをさがす異色の街歩きエッセイ!

地名は、その地を知る最大の手掛かりであり、その地の歴史、文化を反映するものです。

旧町名とは「現在では使われなくなった地名」のことですが、将軍にまつわる地名(桃園町、駒場町)、職業や商売の名が用いられた地名(弓町、御台所町)など、その土地の歴史を色濃く反映したものでもありました。

しかし、歴史の中で全国的に昔ながらの町名が歴史を留めない殺風景なものへと変更され、東京23区でも伝統ある町名が失われていきました。

これらの旧町名は、行政上は消滅したものの、よくよく目を凝らすと古い家屋の表札、ビル、デンリョクと呼ばれる東電設置のプレート、町内会の名前、バス停、小学校、寺、銭湯や文豪の小説など様々なものの中に発見することができます。これら旧町名にまつわる歴史的・文化的エピソードを、旧町名の遺物を16年間探し求めてきた著者が撮りためてきた写真と共に紹介します。

 

能町みね子さんとの対談を収録!

大学の卒論は旧町名、『散歩の達人』に「能町みね子の東京リアルストリートビュー」を連載中の能町みね子さんと共に、ただただ旧町名への愛を語る対談をたっぷり12p収録!

 

 

二見書房 公式サイト “note”

『旧町名さがしてみましたin東京』おすすめポイント

二見書房 編集部

2023420 22:28

こんにちは!二見書房編集部です。

本日は先月に発売した『旧町名さがしてみましたin東京』(102so)の、おすすめのポイントをじっくり解説していこうと思います。

 

書店さんではこのド派手なカバーを目印にさがしてみてください!

そのまえに……

本書の製作のきっかけになった102soさんのブログをご紹介。

さかのぼること約2年半ほど前……

102soさんの旧町名ブログ「旧町名をさがす会」の存在に気付く

 

102soさんが2006年に新宿区「柏木」を発見して以来、旧町名の捜索活動の記録をされているブログ、「旧町名をさがす会」。

なんと2010年から今日まで更新が続いています。

年数分の蓄積で、びっくりするぐらい沢山の旧町名が紹介されています。

本も読んでいただきたいですが、旧町名愛に目覚めた方はぜひブログも見ていただきたいです。私ものぞくたびに知らない旧町名を発見しています。

 

【目黒区】自由ヶ丘 - 旧町名をさがす会【消滅した年】1965(昭和40)年 【現在の町名】自由が丘 【町名の由来】この地に開校した「自由ヶ丘学園」 【感想・雑記9cm.hateblo.jp

本日の収穫です。ええ~!自由ヶ丘って旧町名なの!という驚き。

 

ここからあらためておすすめポイントに移ります。

おすすめ唯一無二で圧倒的。こんなに集めてるのがヤバい。

 

本書の企画のために102soさんのブログをすべてさらって思ったことが……

ここまで旧町名を蒐集しているのは、ちょっとスゴイを通り越してヤバイ。

 

2016-01-01から1年間の記事一覧 - 旧町名をさがす会かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認するこ9cm.hateblo.jp

旧町名豊作の年、2016年の記事は見ても見ても見終わりません。

本書の著者紹介文では

「東京23区の約700の旧町名を発見済み」としていますが、ここに多摩地域も入れ東京全体になると「東京都約800の旧町名を発見済み」とアップデートされるようです。ハンパない……

じつは102soさんは旧町名界隈ではエキスパートとして知られる存在で、本書に「東京時層地図」アプリの画像をご提供いただいた「一般財団法人日本地図センター」職員の方が「ブログ楽しく読んでいました」とお話されていたり、弊社で親しくさせて頂いているカメラマンさんが「ブログ、前からずっと追っかけていました」と熱く語っておられ、同じように全国に旧町名ファン・102soファンがたくさんいることと思います。

たくさんの旧町名たちを1冊の形にまとめることができて、より多くの方に102soさんの活動と、旧町名の魅力を布教できてよかったなと思います。

 

3/24に下北沢にある「本屋BB」さんで行われた刊行記念トークイベントでも、ゲストの今尾恵介さんが「こんなに集めているのが見事ですよね」と仰っていて、ほんとにほんとに!と首がもげるほど頷きました。

今尾さんは「特に写真を真正面から撮っているのがすごい」とお話されていて、なるほどたしかに!と。

本書のこちらのカバー、そして本編に出てくるほぼすべてのお写真が、102soさんが長年撮りためてきた旧町名とその町並みたちです。当然数年~十数年前のお写真も多いわけで、そういったものはすでに町並みが再開発によって消え去っていたり、建物自体が消滅していたりと、この本自体が東京の町の記録になっているのです。

 

おすすめ文章が面白い

旧町名?地名の本?なんか難しそう……というイメージを根底からひっくり返す、思わず笑ってしまう文章と、ウィットに富んだ表現の数々。数ページ、数十ページと読み進めると、どっぷり102soワールドにはまってしまう、中毒性のある文章です。ぜひ、皆さまも読んでワールドにハマる体験をしていただきたいです!

 

 

おすすめ旧町名が儚く美しい

月光町に真砂町、第六天町に深川洲崎弁天町……

小梅、桃園町なんていう可愛らしい旧町名も。

ほとんどが江戸時代やそれ以前からの古い古い歴史を持つ地名。そしてこれらすべてがいまはなき地名。しかし、密かに町に残る旧町名の痕跡を102soさんがひたすらにさがしつづけ、1冊にまとめたのが本書です。

目黒区の旧町名「月光町」その名を冠した月光町アパートメントは、建物もうっとりする造形です……

 

真砂町は文京区。現在の本郷に該当する旧町名。

「君が代は 限りもありじ 長浜の 真砂の数は よみつくすとも」(天皇の命は限りなく続くでしょう、長浜の砂の数は、数えつくすことがあろうとも)

古今和歌集の古歌が由来とな。

 

おすすめやっぱり内容が濃い

文章の面白さもさることながら……やはり本書の魅力はその内容の濃さ!なんと東京23区、約200の旧町名を紹介しています。せっかくなので、取り上げている旧町名をすべてご紹介……

【千代田区】
三年町/神田松富町/神田五軒町/三崎町/猿楽町/須田町/神田旭町/神田田代町/神田一ツ橋

【中央区】
京橋區+日本橋區/本町/新佃島西町/日本橋兜町/月島通/宝町/霊岸島/越前堀/木挽町/小田原町/銀座西

【港区】
我善坊町/西久保広町/谷町/芝白金今里町/芝下高輪町/伊皿子町/三田豊岡町/芝琴平町/赤坂檜町/芝二本榎西町/芝三田小山町/赤坂氷川町/麻布霞町/麻布笄町

【新宿区】
十二社/淀橋/柏木/角筈/三光町/花園町/諏訪町/坂町/本塩町/三栄町/戸塚町/霞丘町

【文京区】
音羽町/東青柳町/西青柳町/久堅町/真砂町/大塚窪町/第六天町/駒込追分町/根津須賀町/竹早町

【台東区】
浅草象潟町/南松山町/浅草公園六区/浅草聖天横町/池之端七軒町/上野花園町/谷中上三崎南町/谷中天王寺町/松葉町/谷中初音町/万年町/南稲荷町

【墨田区】
業平橋/竪川/東両国/錦糸町/寺島町/吾嬬町西/吾妻橋/厩橋/小梅

【江東区】
深川白河町/深川牡丹町/深川平野町/深川洲崎弁天町/佐賀町/深川新大橋/深川住吉町/深川木場/深川門前仲町

【品川区】
南品川宿/大井伊藤町/大井鎧町/大井滝王子町/中延町/上大崎長者丸/上大崎中丸

【目黒区】
月光町/駒場町/唐ヶ崎町/向原町/清水町/衾町

【大田区】
大森區+蒲田區/池上徳持町/入新井町新井宿/女塚/道塚町/森ケ崎町/市野倉町

【世田谷区】
玉川等々力町/玉川上野毛町/玉川瀬田町/大原町/廻沢町/烏山町/粕谷町

【渋谷区】
常磐松町/金王町/北谷町/原宿/穏田/伊達町/羽澤町/大和田町/代々幡町代々木富ヶ谷/通シリーズ/上智町/桜丘町

【中野区】
囲町/桃園町/文園町/中野町字道玄/塔ノ山町/仲町/宮前町/通シリーズ

【杉並区】
高円寺/神戸町/関根町/東荻町/馬橋/宿町/成宗/東田町/西田町

【豊島区】
椎名町/池袋東/長崎東町/高田本町/西巣鴨町大字巣鴨

【北区】
王子町/岩渕町/稲付町/袋町/稲付島下町/滝野川區+王子區

【荒川区】
日暮里町/三河島町/日暮里渡辺町/日暮里町大字旭町

【板橋区】
小山町/茂呂町/根ノ上町/志村町/長後/板橋町下板橋/仲宿/徳丸本町

【練馬区】
板橋區練馬南町/田柄町/江古田町/仲町

【足立区】
四ツ家町/小右衛門町/荒川の先の千住/伊興町シリーズ/舎人公園の亡霊

【葛飾区】
本田中原町/本田渋江町/水元小合上町/本田木根川町

【江戸川区】
堀江町/逆井/葛西/桑川町/下鎌田町

 

ズラーーッと並べてみましたが……この数の迫力よ!

 

さらに、『旧町名さがしてみましたin東京』では、第3章になんともマニアックな章、

住居表示の実施、てなんだ?

を収録。

 

「住居表示に関する法律」条文を載せているのがこだわりポイントです

 

そして密かにこの第3章、個人的推しの章です!

本書を作るまで名前くらいしか知らなかった法律ですが、実はこんなことを定めていて、目的はこうだったとは……!驚嘆しきりです。

旧町名界隈では町名変更を強硬させ、根こそぎ古い町名をダメにした「天下の悪法」として忌み嫌われていますが、その住居表示法に別の角度から光を当て、102soさんならではの見解が述べられています。

住居表示法の「街区方式」にのっとって定めた住所は「地球上で唯一ここだけ」を示すことができるため、その性質を利用したミニ企画「住居表示だけを頼りに二見書房へ行ってみた」もぜひ。

「街区方式」のルールを知っていればスマホやグーグルマップを見ずとも目的地にたどり着ける!

第4章には旧町名ラバーの文筆家・能町みね子さんとの「旧町名愛をたっぷり語る」を収録(ほんとにたっぷり語ってます。対談時間2時間、計12ページに及ぶひたすらな旧町名トークをお楽しみください)。

さらにまだまだ、コラム6つにミニコラム4つと、よくここまで詰め込んだな……というぎっしり重たい(計240p、本の厚みは1.6cm。物理的にも重いです)本なのですが、これ以上紹介すると長くなりすぎるため、このあたりで止めておきます。

 

中身が重たければ重たいほど、マニアックであればあるほどイイというマニア気質な方にはぴったりの1冊。

 

ここまでつらつらと本書の魅力、おすすめポイントを語ってきましたが、なにはともあれ……まずは本を読んでみてください!

そして旧町名・地名愛好家にぜひ仲間入りを!!

SNSでの感想もお待ちしております📱

 

最後に……二見書房のある「神田三崎町」は平成30年に三崎町から旧町名が復活した町名です。旧町名が復活する例もあり、本書でもいくつかの例をご紹介。

 

 

 

婦人公論.jp 2023.7.15.

かつては存在し、消えてしまった町名の痕跡を、看板や表札で拾い集めて~『旧町名さがしてみました in東京』【サンキュータツオが読む】

【書評】『旧町名さがしてみました in東京』著102so

今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『旧町名さがしてみました in東京』(102so 著/二見書房)。評者は学者芸人のサンキュータツオさんです。

令和に残る看板や表札から古き名に思いを馳せて

かつては存在し、消えてしまった町名。筆者はその痕跡、つまり現存する看板や表札を探し回り、ひたすら記録していく。決して歴史の話をダラダラするわけでもなく、ポケモンを探すようにただ旧町名の痕跡を収集していく。

本書はその成果、まさに足で稼いだ証拠の数々を、惜しげもなく画像にして披露している。資料的価値からも間違いなく一級品の記録。旧町名を探し歩く散歩という視点。今回は東京に限定したものだが、一度知ると、読者の皆さんも日本全国でやりたくなるにちがいない。

旧町名と言ったって、そんなの数に限りがあるじゃないかと思う方もいるかもしれない。しかしこの本を読むと、行政上新しい区分けをするたびに、「旧町名」が生まれている事実に気付かされる。そう、「旧町名」は増えていく一方なのだ。ただ、建物が建て替えられると、その痕跡たちは消えていく。

筆者はその消えてなくなる寸前の痕跡を、いまにも蒸発しそうな水滴を拾うように、撮影していく。そこにはたしかに、その住所に暮らし、働く人々がいて、生活があった。それを地形や地層から追うのではなく、実際に残る看板や表札という「現在」と並列させながら拾い集めるのだ。

たとえば、「品川町大字南品川宿」。東海道五十三次の第一の宿場であった「品川宿」が住所に入っている表札。そして、もっと衝撃的なことに、明治2年から2年間だけあった「品川県」の痕跡を、明治3年に設置された一里塚に見出す。しかもこれを現在の世田谷区給田で見つけているのだ。こんなことが半ページにひとつ収められ、この濃度で本書は200ページ強ある。飽きない。

古地図が何層にも重なって見えているような感覚を、令和の時代に味わえる。この興奮は、ほかでは経験したことがない。

 

サンキュータツオ芸人、日本語学者

お笑いコンビ「米粒写経」として活動しながら、一橋大学、早稲田大学などで日本語学の非常勤講師を務める。『広辞苑』の第七版では、サブカルチャー分野の執筆を担当。著書に『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』『ヘンな論文』など

 

 

 

 

 

 

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