〈序文〉の戦略 松尾大 2024.11.17.
2024.11.17. 〈序文〉の戦略 文学作品をめぐる攻防
著者 松尾大(ひろし) 1949年三重県生まれ。美学研究者、翻訳家。東京藝術大学名誉教授。文学修士(東京大学)。専門は美学・西洋古典学。芸術学、特に美学の分野において論文発表や翻訳を行っており、美学が成立する根拠を多角的に問い直している。県立四日市高、78年東大文卒。同大学院人文科学研究科博士課程(美学芸術学専攻)単位取得退学。成城大学文芸学部芸術学科助教授。東北大学文学部美学・西洋美術史教授。東京藝術大学美術学部教授。現名誉教授
発行日 2024.2.13. 第1刷発行
発行所 講談社 (講談社選書メチエ)
裏表紙
書物の冒頭に置かれた〈序文〉は、ただの添えものではありません。
文学作品であれ、学術的な書類であれ、
著者が非難や攻撃や異議申し立てを受けることは今もあります。
それに対して沈黙を貫く人もいますが、
次の著作で反論したり、あるいは言い訳したりする著者もいます。
その戦いの場として使われる〈序文〉には、
読者に気づかれないように武器が仕込まれているものです。
修辞学の第一人者が文学を中心にした古今の作品を渉猟し、
〈序文〉に仕掛けられた多様な作戦を紹介する、
これまでなかったユニークなレトリック案内
序 論
文学作品の公表が様々な告発、非難、攻撃、異議を招く(と想定される)ことはしばしばある。その場合、著者は沈黙をまもることも出来る
弁明、正当化、謝罪、説明を表明する著者も少なくない。そういう言語行為をする場合は、攻撃の的であるテクストの周辺に配備されたテクスト(=パラテクスト)であり、要人の周辺に配置されるボディーガードのようなもの
パラテクストには2種――もともとの作品に密着した「ペリテクスト」(タイトル・序文など)と、「エピテクスト」(インタビュー記事や独立に出される声明文など)
本書は、文学作品のペリテクスト(特に序文)において、著者やその代理人、代弁者、関係者が読者に対して遂行する説得行為を、様々な理論装置を使って分析することを目的としている
そこに描き出されるのは、攻撃に対して防御するために、文学者らが戦略と戦術の限りを尽くして対処する様である
文学書に対する攻撃は様々――作品の出来についての酷評もあれば、剽窃・盗用だという告発もある。検閲によって断罪され発禁になることもある。攻撃の内容が深刻なほど、防御の動機も切実になり、使用可能なレトリックを総動員して必死の説得を試みる
本書の対象と構成について――イギリスを中心とした近代のヨーロッパ文学を主な対象としたのは、序文というジャンルはそこにおいて最も輝きを放っているから。全体を2部に分け、第I部では序文テクストを記述する性能のよい様々な理論を具体例と共に提示し、序文の戦略を立体的に浮かび上がらせる。第II部では文学が攻撃される訴因別に実例を分析する。前半の7~11章は文学以外の領域にも現れる問題(涜神・猥褻・剽窃・背徳・反体制等)を扱い、12~16章は文学固有の問題を扱う
第I部 序文の防御戦略を記述するさまざまな理論
第1章
伝統レトリック
伝統レトリックは弁論の技術として古代ギリシア誕生
当初は、法廷・議会・儀式での弁論だったが、書き言葉や言語芸術にまでその領域を拡大
l 法廷モデル
広大な領域を擁する伝統レトリックのうち、文学作品の序文と特別な関係にあるのは法廷レトリックで、本文が低価値・無価値・反価値であるという論告を受けないために予め本文を弁護する役割を序文に与えている
「序文なしで出版される本は、法廷助言者なしで出廷する人のようなもの」と譬えられている
l 問題状況
伝統レトリックは、発想・配置・修辞・記憶・発表という5つの部分から成り、法廷レトリックの中核ともいえる論法は特に「発想」において現われる
大別して「問題状況」の分類と、「論証のフィギュール」の分類があり、「問題状況」には「定義の問題状況」と「性質の問題状況」「転移の問題状況」などがある
l 定義の問題状況
「定義の問題状況」とは、対象が何と定義されるかが問題となる状況で、名称レベルと内包レベルがある。前者はあるものが別の名前を付けられるべきとする場合で、後者は名はそれでよいが、その名に別の内包が与えられるべきとする場合
ジャンル表示として通常の「小説」ではなく「口語による物語」としたのは前者の例で、その命名の理由が献辞で説明されている
後者の例としては、ワーズワースが「詩」という名称に依存はないが、通念的な詩とは異なるところから、内包を変えるように要請している
l 性質の問題状況: 比較論法、転送論法、譲歩論法、哀訴、量の問題状況
「性質の問題状況」とは、行為の是非善悪が問題となる場合で、いくつかの論法が使われる
「比較論法」は、行為により引き起こされた不正を、それによって生じた利益と比較するもの
「転送論法」は、誤まり等の責任を他の人やものに押し付ける論法。翻訳者が原作者に責任を転嫁することもある。内容的な矛盾や誤記は原作からくるものと明示
「譲歩論法」は、よくない行為であることは認めるが、無知・過失・アクシデントなど、そうせざるを得なかったという弁解が使われる
「哀訴」は、二度としないので許してほしいとひたすら寛恕を願うもの
「量の問題状況」は、弁護人が行為を小さく見せようとする論法で、歴史小説で年代を少しずらすような脚色は多少しても許されると自己弁護するもの
l 転移の問題状況: 被告の転移、裁判官の忌避、適用される法令の変更
被告や裁判官、適用法令が間違っていると論ずる場合
l 論証のフィギュール: 両刀論法、対比暗示推論法、予防論法、一任論法、対抗非難、論議拒絶
「両刀論法」は、2つの選択肢いずれを選んでも同じ結論になるとするもの――出版の理由(言い訳)を書くのが序文の定型だが、それを書かない理由は、「この種の作品が注目に値しないなら、人々に注目を無理強いする著者の愚かさと厚かましさに適した謝罪はないだろうし、もし作品が内在的価値によって注目に値するなら、そもそも謝罪は必要ない」と述べる
「対比暗示推論法」は、「・・・・ですら・・・・まして」という型――「あの本ですら受容されているのだから、いわんや本書は・・・・」という論法
「予防論法」は、予想される攻撃を先取りして防御陣をはっておくもの
「一任論法」は、相手に判断を委ねるもの
「対抗非難」は、ある非難に非難をもってこたえる論法――同じ論法で投げ返す
「論議拒絶」は、提起された話題について議論するのを拒む論法
l 比較問題
議会用レトリックとして多用されるもので、2つの政策の優劣を比較する方法
l 聴き手の好意を得ること
伝統的レトリックに共通の工夫として、弁論の導入部で「聴き手の好意を得ること」がある
l 使用と説明
以上の伝統的レトリックの方法は序文で武器として「使用」されるものだが、ときに序文でそれらが「説明」されることがある
第2章
メタ談話
「メタ談話」とは、命題内容を表示するのではなく、命題内容に対する読者の読解行為を著者が制御・調整・操縦しようとする言葉のことで、序文は、本文読解の仕方を制御しようとする限りで、本質的にメタ談話的といえる
l 発語内行為標識
l ヘッジ
l 確実性標識
l 言説帰属者
l 態度標識
l コメンタリー
第3章
ポリフォニー
l 否定
l 譲歩
l 比較
l 条件文
l 確認
l ことわざ
l 暗示引用
l アイロニー
l パロディー
第4章
読 者
間接的に特徴づけられた読者/直接的に特徴づけられた読者/読者層の表示/読者のふるまい方自体の表示/記述的用法
第5章
言語行為
謝 罪/弁 明/正当化/説 明
第6章
ポライトネス
尊 敬/謙 譲/敬 遠/気後れ/複合的使用
第II部 攻撃側のさまざまな訴因
第7章
涜 神
マヌティウス/ランバン/ヒッフェン/イーヴリン/ハッチンソン/デュファイ
第8章
猥 褻
出版自体の可否/浄化しない/選択による浄化/置換による浄化/削除による浄化
第9章
剽窃
剽窃(盗作)という非難はずいぶん昔から文学には浴びせられてきたので、それへの対策も色々出されている
l 過失
かつて読んだものの無意識的記憶が自分の発想として浮かんできたという趣旨のもの
悪びれずに目的で手段を正当化する人もいる
l 偶然の一致
類似していること、相手の出版の方が先であることは認めつつ、自分は相手の著作を読んでいないと主張
偶然の一致であることのお墨付きとして、「剽窃」された相手からの許諾を使う猛者もいる
l 非類似
似ていないという答弁で、伝統レトリックの「量の問題状況」と考えることが出来る。類似が大きいという告発に対して、小さいと反論する
l 単なる類似
類似していることは認めるが、剽窃ではないと主張する立場
l 先行
自分の方が先だと主張。原稿を出版社に渡したのはずっと前だとする
l 古典の翻訳
古典テクストの翻訳を使用する場合で、他人の翻訳を引用する場合は引用であることとその典拠の明示は不可欠
l 複数の説明
上記のうちいくつかの説明をあわせ用いる場合もある
l より強烈な《対抗非難》
剽窃を告発された側が強気に出る場合もある。その際の主要な武器が伝統レトリックでいう《対抗非難
第10章 背徳と反体制
背徳的であるという攻撃に対抗する議論には、①作品自体の性質に基づくもの、②作品と作者・読者の関係に基づくもの、③著者と語り手の距離付けに基づくものがある
l 作品自体の性質に基づく議論
不倫相手への相の手紙のやりとりを綴った本の序分で、こんな不義の手紙を出版するのは怪しからんという読者の反感を先取りしている
l 作品と作者・読者の関係に基づく議論
作品と読者の距離に注目するものと、作品と作者の距離に注目するものとがある
l 著者と語り手の距離づけによる議論
反体制的だという攻撃に対する防御の例
l 逆の弁明
十分に反体制的ではないという逆の非難に応える場合もある
第11章 性別や人種に関する規範に違反
性差別・人種差別に言及する序文の戦略を見る――女性の執筆・公刊に対する攻撃への反応
l 主題に関する条件
政治に関する女性の発言禁止に対しての抗弁
l 読者層に関する条件
本書を提供するのは女性に対してだけと断ったり、自分の書く何かが男性の注目に値するなどと思っていないという低姿勢で行く
l 分量に関する条件
口数が少ないことが女性の美徳だから、この書の分量も少なくすると序文で宣言
l 抑圧
l 人種差別
第12章 有害無益
教育的意義(1)/教育的意義(2)/予備教育/娯楽/読者の態度
第13章 虚偽と実在指示
事実性の主張/「発見された手稿」/ありそうもない出来事/虚偽性の主張/事実と虚偽の混合
第14章 ジャンルの規則に違反
ジャンル誤認/ジャンル誤認なしの規則違反
第15章 悪 文
サミュエル・ジョンソン/ドーヴァー・ウィルソン
第16章 不出来
執筆時の悪条件/《適合》/課題の困難さ/執筆能力、執筆態度、執筆目的
結 論
講談社 ホームページ
内容紹介
文学作品が刊行されたあと非難や攻撃や異議を受けるというのは今日でも目にする光景です。学術的な論文や書籍でも、文学作品でも、盗用の疑惑をもたれたり、実際に告発されたりすることは決して稀ではありません。そういうとき、後ろめたさゆえに無言を貫く著者もいるでしょう。告発はあたらないと思いつつ、言い訳をしないのが美徳だと考えて、あえて反論しないケースもあるでしょう。その一方で、批判は間違っていると確信して反論する著者ももちろんいます。
こうした光景はめずらしくないだけに、あらかじめ弁明や正当化、謝罪や説明を表明する著者がいることにも不思議はありません。本書は「序文」に注目して、作家たちが序文でいかなる戦略を展開しているのかを紹介しつつ、個々の戦略を分類しつつ説明していきます。すでに起きているものであれ、まだ起きていないものであれ、攻撃に対する防御のために利用される戦場が序文であり、そこには文学者たちが編み出した戦略と戦術があるのです。
目次を見ていただければお分かりのように、想定されている「攻撃」は実に多種多様であり、それに応じて「防御」の戦術も多種多様です。西洋古典から近代文学に至るヨーロッパ文学に造詣が深いだけでなく、修辞理論にも通じた著者が、渉猟した膨大な作品から実例を選りすぐりました。そこで繰り広げられている作家たちの戦いの場に、本書で立ち会ってください。文学作品を読んでいる時には見過ごしてしまう巧妙なテクニックの数々を目撃し、驚愕すること、請け合いです。
「〈序文〉の戦略」書評 著者の説得・対抗 理論的に分析
評者: 保阪正康
/ 朝⽇新聞掲載:2024年04月13日
〈序文〉の戦略 文学作品をめぐる攻防 (講談社選書メチエ)著者:松尾 大出版社:講談社ジャンル:評論・文学研究
「〈序文〉の戦略」 [著]松尾大
著述家を震撼(しんかん)せしめ、読者には読書の醍醐(だいご)味を教える書である。古今東西の文学作品の「序文」で、著者やその代理人らが読者にいかなる説得を行っているか、理論的根拠をもとに分析する。第Ⅰ部でその根拠の内容を説き、第Ⅱ部では文学が攻撃される訴因別に実例を紹介している。
古代ギリシャで生まれ、法廷を模した伝統レトリックは、発想、配置、修辞、記憶、発表の五つから成る。本書は、その特徴が色濃い「発想」の技法を用いての分析という。これはいくつかに細分化されるが、例えば転送論法。著述の欠点を他に転嫁する技法だ。英国の小説家ホレス・ウォルポールの『オトラント城奇譚(きたん)』の序文にある「英語で語るのは難しい」という文は、イタリア語の原文の素晴らしさが伝えられないもどかしさを英語のせいにしている。
批評家に注文をつける序文もある。スコットランドの医師ヘレナス・スコットの小説『一ルピーの冒険』は、批評という美名のもとにナンセンスを公表する批評家より、「節度ある心を持つ」人を読者にしたいという。
このほか、序文には謝罪、弁明、正当化、礼儀、気配りなどの機能があるそうだ。米国の作家トマス・ネルソン・ページの『暇つぶし小話集』の序文がその例で、多くの気遣いがある。
第Ⅱ部は、序文が他者の攻撃に反論の構えを見せたり、攻撃的だったりというケースの紹介である。第9章「剽窃(ひょうせつ)」が面白い。文学作品の名作でも盗作という批判がつきまとう。作家も序文で対抗する。偶然の一致(先行作品は読んでいない)、単なる類似(類似と剽窃は違う)といった具合だ。
文学は噓を書いているのではない、という序文からは、それが従来も歴史小説ではつきまとう問題だったことがわかる。
著者の博識と文学上の緻密な枠組みを理解すると、本書は稀な分析書として貴重な意味を持つ。ゆったりと読者の体内に知性が発酵してくる。
◇
まつお・ひろし 1949年生まれ。東京芸術大名誉教授(美学)。共著に『レトリック事典』など。
修辞学の視点で探求 『<序文>の戦略』松尾大著
<書評>評・富岡幸一郎(文芸評論家)
2024/4/28 07:40 産経新聞
本を開いて最初に目にするのは「序文」である。人によっては「あとがき」をまず読むという搦手から攻めるやり方もあるが、通常はそうである。その本に何が書かれているのか全体を俯瞰できるからである。
しかし「序文」には実は作者によって様々な仕掛けが施されている。読者が気づかないような武器が仕込まれている。本文の理解を左右する鍵が隠されていることもある。
本書はこの「序文」という不思議な魅力がひそんでいる文章ジャンルの秘密を、古今の文学作品を俎上にのせて徹底して解明している。サブタイトルに「文学作品をめぐる攻防」とあるように、「序文」とは自作をめぐる言葉の闘いの生々しい戦場なのである。
そこで用いられるのはレトリック、修辞学である。古代ギリシアで誕生した弁論の技術としての伝統的なレトリックは、法廷や議会、儀式での口頭のやり取りだけでなく、書き言葉にも広がり、やがて文学作品の「序文」にまで影響を与える。つまり元来が法廷をモデルにしていることから、本文に対する(予想される)多様な読み手からの批判や異議、非難や攻撃への防御の役割、弁明の機能を持つに至るのである。「序文なしで出版される本は、法廷助言者なしで出廷する人のようなものである」という言葉が引かれているが、こうなると「序文」というものが文字通り歴史的なジャンルとして俄然、探求の対象としての存在感を増す。
しかも修辞学者である著者の探求は執拗をきわめる。第Ⅰ部では、防御戦略として記述される「序文」の様々な理論が西洋文学、とくにイギリスの詩人や作家たちの具体例(太宰治の小説の「序」などもある)から明らかにされる。第Ⅱ部では、攻撃する読者の側の訴因が挙げられ(猥褻や剽窃など)、「序文」がそれといかに闘ってきたかが詳細に説かれている。我が子を庇うように、本文を守ろうとするその力業はいとしい。
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