組織ジャーナリズムの敗北 川﨑泰資/柴田鉄治 2024.11.20.
2024.11.20. 組織ジャーナリズムの敗北―続・NHKと朝日新聞
著者
川﨑泰資 1934年生まれ。東京大学文学部卒業。NHK政治部、ボン支局長、放送文化研究所主任研究員、甲府放送局長、会長室審議委員等を経て、2005年3月まで椙山女学園大学教授。現在は、学校法人椙山女学園理事、参与
柴田鉄治 1935年生まれ。東京大学理学部卒業。朝日新聞社社会部、福島支局長、論説委員、科学部長、社会部長、出版局長、論説主幹代理、総研センター所長、朝日カルチャーセンター社長、国際基督教大学客員教授を歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
発行日 2008.2.26. 第1刷発行
発行所 岩波書店
『24-11 「安倍と朝日とNHK」14年に及ぶ「死闘」』参照
序章 「NHK
vs 朝日」問題の再検討がなぜ必要なのか
l なぜ組織ジャーナリズムを問うのか
高校で出会い、共にジャーナリズムを志して、それぞれNHKと朝日新聞、政治部と社会部、と歩んだ道こそ違え、志は同じくしてきた私たち2人が、共著の本として書き下ろした、3冊目の本
「戦後民主主義世代」として、戦前の日本の社会に言論の自由がなく、ジャーナリズムのチェック機能が全く働かなくなったことを学び、ジャーナリズムの仕事に憧れた
1冊目では、「ジャーナリズム精神は、記者1人1人の志に支えられるところが大きく、ジャーナリズムにおける「個」の大切さ、「志」の大事さを強調
2冊目では、平和主義と基本的人権の揺らぎを見て、ジャーナリズムのチェック機能の劣化、組織メディアのジャーナリズム精神の衰退を指摘して、組織ジャーナリズムを問うた
l なぜNHKと朝日新聞なのか
衰退の具体例として挙げたのが日本の組織ジャーナリズムの代表ともいうべきNHKと朝日で、NHKは海老沢独裁体制のなかで不祥事が続発し組織の腐敗は覆うべくもなく、朝日もまた箱島の強権的リーダーシップの下で「普通の会社」への変質を目論む
l 「NHK vs 朝日」問題の再検証がなぜ必要なのか
両者の「大喧嘩」は異常だが、その中に日本のメディア界に活気とジャーナリズム精神復活の可能性を期待させるものを感じたものの、結果的には両者とも組織ジャーナリズムのひ弱さを一層際立たせてしまう。このまま放置したのでは日本のジャーナリズムの健全な発展はありえないと考えた
l この本を読んでくださる方へ
以上の観点から「NHK
vs 朝日」問題を再検証したのが本書
ジャーナリズムに携わっている人ほど、日本のジャーナリズムに欠けているものは何か、どうしたら立ち直れるのか、この本から読み取ってほしい
個人より国家を優位に置こうとする、いわゆる右傾化の流れに待ったをかけるべきジャーナリズムのチェック機能の弱体化を、今こそ押し留めなければならない
第1章
政治介入と「番組改変」の真実―2001年1月、何が起こったのか
「女性国際戦犯法廷に関連した番組の改竄」問題は、この2年に「事実上の凄まじい政治介入」の実態が暴露され、再検証の必要が生じた――高裁での関係者の「証言」「陳述書」、制作現場の有志がまとめた事実検証の記録等の多くの論考・資料が出された
1. 女性国際戦犯法廷開催と番組の制作
l 企画から編集までのプロセス
NHKエンタープライズが戦時性暴力を取り上げた企画をNHKの教養番組部に持ち込むが、「戦争をどう裁くか」という4回シリーズの1つとして採択
l ドキュメンタリージャパンDJがロケ開始
2000年の公開法廷で「天皇有罪」の判決概要が言い渡される
l NHK内部で亀裂が表面化
吉岡教養番組部長が試写を見て、法廷との距離が近過ぎると、企画との違いを指摘
企画を承認しておきながら、法廷やその主催者団体を徒に誹謗する内容改変は不可解
l ついにDJが編集から離脱
NHKの過大な要求にDJはすべての素材をNHKに引き渡し手を引き、以後NHKが独自で編集。編集の現場は後に、無謀な修正に妥協したことを反省
2. 番組制作の修羅場
l 予算説明と番組制作
番組の全体構成の再検討を開始した日、NHKは予算案を総務相に提出、説明を行う
自民党の関係者から、「女性法廷を番組で取り上げるなら、きちんと説明できるように」との示唆があり、NHKの野島国会担当局長と松尾放送総局長以下で異例の試写会となったが、放送現場と無関係の国会担当局長の立ち合いは前代未聞で、公共放送にあるまじき政治介入を受け入れたプロセスの隠蔽に苦慮
l 26日、前代未聞の試写
試写の反応は穏当で微修正に終わるが、伊東律子番組制作局長が自民党議員からクギをさされたことがスクープされ、伊東も局内で中川昭一・安倍晋三(官房副長官)の名を漏らす
l 右翼の乱入、不吉な予感
月初から右翼の放送中止抗議行動は激化、NHK職員と揉み合うが、編集作業はほぼ終了
3. 暗転――放送前日、1月29日
l 一転、幹部が前言を翻す
最終試写では、安部との面談から戻った野島が豹変、大幅な変更を指示。現場は啞然
l 制作現場とNHK経営の決裂
吉岡は投げ出し、松尾・伊東・野島の3人で変更内容を決定
l 改変の具体的指示
「慰安婦の存在をなるべく消す・日本政府の責任や対応を消す」等、安部らの主張に沿った内容に変更。野島は高裁の証人尋問で、「感想を述べただけ」という
4. 「政治介入」の現場
l NHK幹部、安部氏ら政治家と面談
番組問題が自民党で取り上げられていることから、野島は予算説明の場に松尾を同行させ番組内容を説明、安部からは「公平公正な番組になるべき」との指摘
l 放送当日の惨劇――闇のなかの海老沢会長と伊東局長の密談
放送直前に会長から伊東に「慎重に」との指示が入り、さらに無謀な3分カットが出来
l 現場の最後の諫め
慰安婦の証言削除には現場が最後まで抵抗、最後は経営判断を楯に押し切られる
NHK上層部は、法廷証言でも政治介入はないと言い切っており、公共放送やジャーナリズムとは無縁の存在であるかのよう。組織を守るとの名目で我身を守っているに過ぎない
第2章
腰砕けになった朝日新聞―なぜひるんだのか
1. 衝突から朝日の「敗北」へ
l 何が起こり、どうなったのか
2005年1月、朝日が「NHK問題」に割って入り、「NHKと朝日新聞の大喧嘩」に発展
07年、女性法廷の主催者がNHKなどを訴えた裁判で、NHK全面敗訴の高裁判決が出て、朝日の報道内容の正しさがほぼ認定され、朝日敗北の印象は一気に薄まったが、朝日の腰砕けの謎は一層深まる
l 発端の記事とNHKの内部告発
発端の記事は、NHK番組制作の現場に政治介入があったとする内部告発を独自に裏を取ってスクープしたもので、それにNHKが猛反発、朝日の言い分も入れずに「朝日の虚偽報道」としてニュースで流し、両者の大喧嘩に発展
内部告発したのは番組担当の長井デスク、NHKのコンプライアンス委員会が動かなかったために独自で記者会見
l 両者譲らず、非難の応酬
NHKと政治家側の反撃に朝日はたじたじとなるが、互いに訂正と謝罪を求める
l トーンダウンから謝罪へ
NHKは内部告発を完全否定、朝日も法的措置を辞さずと闘う姿勢を見せたが、次第にトーンダウンして、最後は朝日だけの一方的な「幕引き会見」になだれ込、読者の信頼まで失う
2. ひるんだ理由①「左翼偏向」攻撃
l 政治家、メディアによる「朝日はアカ」の大合唱
中川・安倍は、相次ぐテレビ出演を通じ「朝日はアカ、左翼偏向」だと言いまくる。そこに右寄りのメディアが加わって凄まじい朝日叩きに発展
l 社会の「右傾化」と朝日の「孤立化」
従来の偏向攻撃以上に朝日が恐れたのは、社会全体の右傾化のなかでの孤立化深化とという「社外の状況」と、ジャーナリズム精神の衰退が一段と進んだ「社内の状況」
自民党内の右傾化が著しく進み、朝日に対する取材拒否宣言も日常の取材活動に支障をきたすほどになる一方、社内でも箱島社長の「普通の会社にしたい」との宣言が徹底していく
女性法廷の主催者が元朝日記者だったことも無関係ではない
l 「白虹事件」の影?
1918年、米騒動の折の朝日の報道に「白虹日を貫けり」との言葉があり、「朝憲紊乱」の罪に問われ、廃刊の危機に直面した事件の亡霊が社内にちらつくが、朝日は明らかに事件の歴史的教訓を読み間違えている。朝日の失ったものは余りにも大きい
l 少数意見尊重はジャーナリズムの原点
社会的な弱者や少数者の意見を社会に伝えることはジャーナリズムの原点であり、その点こそ朝日は紙面で説くべきで、取り上げたテーマが悪すぎるとすることこそ間違いであり、加害責任を自虐史観だと非難する方が、イデオロギー過多の「右翼偏向」といえる
3. ひるんだ理由②録音テープ
l 「録音の有無」を逆手に取ったNHK
朝日が裏を取るためにNHK役員を取材した際の録音テープの存在の有無を巡り、NHKは提出を迫り、無断録音という取材倫理内規違反を突こうとしたが、朝日は沈黙
l 「辰濃記者事件」のトラウマ
無断録音したテープを対立側に渡したために内容が公にされた事件で、社内の意見が2分されたが退社処分に。この時は取材の経緯は明らかにしないという原則を貫く
l 「沖縄密約事件」の影にも脅えた?
決定的な武器になるはずのテープが、自らの倫理規定違反ということで足枷のような作用をしたことで、中途半端な及び腰の対応になった
4. ひるんだ理由③取材資料流出事件
l 「月刊現代」の魚住論文
取材テープを文字に起こした「取材資料」が、魚住昭に渡り、『月刊現代』に内容が掲載され、朝日内部では一大不祥事として大騒ぎに。内容的には朝日の取材経過をより詳しく補強するもので、機密に類する内容ではなかったが、いち早く流出を知った朝日が発表
魚住の記事は、「松尾証言」の核心部分を衝き、中川・安部の嘘が暴かれる
真実が明確になったにもかかわらず、朝日は中川・安部・松尾に取材資料流出により迷惑をかけたといって謝罪、さらに朝日社内では流出の犯人捜しになったのは重ねて不可解
5. 不可解な第3者委員会への諮問
l なぜ、朝日新聞側だけが・・・・
朝日は早期幕引きを図ろうと第3者委員会に諮問するが、見当違い。自らの手で報じた内容の真偽を再検証すればいいだけの話。外部の判断に委ねるべきは内部告発のあったNHKの方だし、NHKと朝日が両社間の紛争解決のために第3者委員会というのなら分かる
l 結論の報じ方も不可解だった!
第3者委員会の結論は、「記事は正確で訂正・謝罪の必要はないが、取材に詰めの甘さがあった」という妥当なものだったが、朝日は記者会見で、詰めの甘さへの謝罪を際立たせ、社内処分まで行い、「朝日が負けて謝った」との印象を一層色濃くした
l どうすればよかったのか
最後まで徹底的に闘うべき。調査報道に詰めの甘さはつきもので、朝日の対応は悉くチグハグで、途中からは腰砕けになり、最後は謝罪という最悪の経緯をたどる
第3章
他メディアはどう報じたか
1. 政治家の主張に同調したテレビ、雑誌
l お寒い日本のメディア状況が浮き彫りに
「政治とメディアの距離」「公共放送のあり方」等重要なテーマが含まれた問題だったにも拘わらず、多くのメディアは朝日叩きか、両者の大喧嘩を囃し立てる調子のものが多く、朝日・NHK双方の対応といい、その他メディアの報じ方といい、日本のマスメディアのお寒い状況を赤裸々に浮かび上がらせた。特に右寄りの月刊誌の政治家主張への同調が顕著
l 安部氏の「フジテレビ介入事件」
特にテレビは中川・安部を繰り返し登場させ、政治家よりの姿勢が鮮明
さらに安部は、フジテレビの「NHK
vs 朝日」問題を取り上げる特集で安部・NHK・朝日の3者鼎談を引き受けておきながら直前に鼎談は北朝鮮問題にすり替え、そのあと1人でNHK問題をNHKの偏向プロデューサーと朝日の極左記者による自分を陥れようとする陰謀で、背後に北朝鮮のスパイがいると一方的にまくしたてた。フジ側は、安部による番組介入だと言ったが後の祭り
2. 新聞は例によって「二極分化」
l 読売・産経は「戦犯法廷を取り上げたこと自体が誤り」と
週刊誌に比べて新聞は比較的冷静だったが、新聞各社の論調は歴史認識を巡る「二極分化」の時代を反映。特に産経は政治家の介入を棚上げして戦犯法廷そのものを激しく攻撃
l 読売新聞主筆の驚くべき論評
ナベツネが『諸君!』に、「問題の根本は、極度の偏向思想による番組のある部分をカットしたことの正当性にあり、政治家の介入は派生的問題」と寄稿。この人は、「少数意見の尊重」というジャーナリズムの最重要の使命をどう考えているのか、驚愕する
報道するかしないかの判断を自社の論調だけでするなら、報道の使命は果たせない。まして、政治家の介入まで「当然のこと」としてしまったら、ジャーナリズムの自殺行為
l 不可解な毎日新聞の社説
最も正確に問題を追って来た毎日新聞の報道が途中から変化し、最終は読売・産経に同調
朝日を糾弾するまでは良かったが、取材記者の真の目的を安部の歴史認識の糾弾だと言ったり、流出元を突き止められないのは取材のプロとして失格だと言ったり見当違い
l 「世界の注目、日本の沈黙」
戦犯法廷への海外の関心は極めて高かったが、日本のメディアの関心は薄く、韓国はそんな状況を厳しく批判。法廷とは直接関係ないが、「従軍慰安婦」問題を否定しようとする日本の動きが、米下院などでの対日批判決議採択となって反発を招いたのは否定できない
3. 核心を衝いた高裁判決
l 内部告発で審理をやり直す
07年の高裁判決は、番組改変問題の核心を衝いたもの――戦犯法廷の主催者がNHKなど番組制作会社を訴えた損害賠償請求訴訟で、原告側に「番組への期待」を抱かせたのは企画したDJだったという特異な論理で、DJだけの賠償を命じた1審判決に対し、控訴審結審間近にNHKの内部告発が出て審理がやり直される
l 「政治家の意図を過剰に忖度して」
高裁判決の内容は、「NHK幹部が政治家の意図を過剰に忖度して番組改変したのは、原告の期待と信頼を裏切る不法行為に該当」として、NHKなど3社に賠償を命じた
l 高裁判決に対する報道にも様々な「歪み」
政治家の介入について判決が触れていないことをもって、安部は「介入がないことが明確になった」と談話を発表、各テレビがそのまま報じたのはいただけないし、公正ではない
l 報道の自由と取材される側の「期待権」
判決の問題点として「期待権」を取り上げたメディアが多かった。判決では、「特段の事情ある場合には、取材される側のメディアに対する期待と信頼は法的保護に値する」としたが、取材する側の期待権を認めるとメディアが萎縮し兼ねないという問題だが、判決も期待権によって報道が制限されてはならないということを大前提としてことわった上でのもの
朝日も、「NHKのやったことは報道の自由とは正反対の、編集権を自ら放棄したに等しい」という判決の核心部分を強調すべきなのに自粛ムードだったし、NHKも政治の圧力で番組が改変されたことを最後まで認めようとしなかった
第4章
ここまで来ていた組織の劣化
1. 朝日新聞の場合
l 新聞社にあるまじき「武富士事件」
05年、『週刊文春』が武富士から朝日が「口封じのカネ」をもらっていたことをスクープ
武富士の強引な取り立てに絡む報道の自粛の見返りで、武富士会長の逮捕で発覚することを恐れて返金しようとしたが、受け取りを拒否され隠蔽し続けた上、スクープにより社内では、返金の際の不手際に対する軽い処分だけに留め、未だに総括されていない
l 箱島社長の「普通の会社」宣言と社内言論の封殺
朝日の組織の劣化が急速に進んだのは、箱島が99年社長に就任して「普通の会社にする」と宣言してから。箱島の独裁的体質と強硬姿勢が相俟って社内はピリピリし、ジャーナリズム精神が次第に衰退。箱島は徹底した経営合理化、コスト削減とリストラに加え、全社員に意識改革を求め、締め付けを強化したため、自由な言論が封殺され萎縮
読者や、記事の対象になった企業などからの苦情に、社長自ら過敏となって「社長のお詫びの手紙」が経済界に出回っていると、社内で密かに苦々しく語られていたという
l 「厳罰主義」と不祥事続発の悪循環
「厳罰主義」の最たるものが辰濃記者退社処分。些細なミスにも重い処分が下り萎縮を加速
経営優先の思想の行き過ぎの典型が、伝統ある『朝日年鑑』を僅かな赤字で廃刊に
l 遡れば「サンゴ事件」「花田事件」
ジャーナリズム劣化の発端を1989年のサンゴ事件と、その直前に社内に掲げられた「総合情報産業を目指す」という旗印だとする人は多い。新聞業は産業というより、社会に対する影響力でこそ測られるべきもの。経営優先の思想とジャーナリズム精神とは本来的に異質なものであり、しばしばぶつかり合うもの。不祥事はやむを得ないが、その対処法が問題
花田事件は、朝日が創刊する女性誌の編集長に、「ガス室はなかった」との記事で文藝春秋を謹慎中の花田紀凱をスカウト。批判を浴びながら強行、女性誌は大失敗に終わるが、誰1人責任を問われず、総括すらない
l 「秋山体制」への期待と懸念
不祥事で引責辞任した箱島に代わる秋山体制もNHK問題への対応を間違えたうえ、広告収入の激減もあって、「貧すれば鈍する」にならないよう見守っていきたい
2. NHKの場合
l 組織劣化の原点と拡大化路線
NHKは戦後放送の民主化を果たすが、予算の国会承認と会長人事権を政府に握られた結果、政治に翻弄され、政治に屈服して報道機関としての誇りを捨て公共放送のあるべき姿を逸脱させている。組織劣化の象徴が、会長の相次ぐ任期途中での辞任。4人とも政治の力で強引に会長になった人で、NHKの組織の劣化の原点が政治との癒着にあることは明らか
1985年のNHKエンタープライズ設立という商業化路線も、公共放送という組織の劣化に拍車をかける。事業収入の道が開けたNHKは一気に関連会社を拡大、民業を圧迫するのみならず、もうけ主義の商業化路線がNHKという組織に大きな歪みと荒廃をもたらす
l 労働組合の劣化
現場のジャーナリズムを支えるはずの労組も劣化。今回の事件でも現場からのSOSを見殺しにしているし、不当な人事にも動かず
l 組織に問われる忠誠とは何か
組織を守ったNHKの松尾・伊東・野島は、論功行賞としてそれぞれに栄転。一方で最後まで闘った制作現場は軒並み左遷の報復人事。参院総務委員会では自民党議員がNHK会長に対し然るべきけじめを迫るという新たな政治介入に、会長は唯々諾々と従う見識のなさ
l 海老沢会長なき後の海老沢体制
高裁判決後もNHK幹部が「政治介入なし」の発表を繰り返すのは、海老沢路線の継承であり、度重なる不祥事の結果、海老沢以下全理事が退任したが、路線に変更はない
第5章
迷走する放送改革・進まない新聞改革
1. 迷走するNHK改革――公共放送論議の欠如
l 沖縄の「NHK新生プラン」と「新経営計画」
海老沢体制は、不祥事に対する視聴者の受信料不払いにあって、政府・自民党も見切る
受信料支払者3239万件に対し、不払い者は1357万件に上り、NHKの経営を脅かす
橋本新体制は、「新生プラン」を公表、公共放送の原点に立ち返り再出発を目指すが、政治権力からの自立は明言せず、戦後間もない政府の報道機関=実質的に国営放送のまま不変
向こう3年の「新経営計画」でも、もともと予算の国会承認が必要という政治の影響を受けやすい仕組みのなかでの公共放送という本質的な問題に立ち入った施策は全く見られない
l NHK改革案の乱立
自民党や総務省などから改革案が出るが、「公共放送とは何か」についての見解には乖離
l 放送法改正と言論・表現の自由
07年政府は放送法改正案を国会に提出。総務省による権限・監視を強化する内容だったが、参院選大敗で、表現の自由を尊重するよう要求する民主党に歩み寄り、NHKの経営委員会が個別番組に介入することを禁ずる規定を盛り込む。ただ、放送法はすでに放送番組の自由を保障しており、今回の改正はこの放送法の精神を根本から覆し、表現の自由の保障と国家による検閲の禁止を決めた憲法21条に反する恐れがあり、日本の戦後民主主義が育てた「言論・表現の自由」に挑戦するものといえる。安部の負の遺産の1つ
l 受信料支払義務化、値下げと次期経営5年計画
受信料義務化は国営化への道として避けてきたが、受信料不払い増大による財政危機拡大で初めて民事手続きによる支払督促を行い、抗議が殺到
l 地デジ強行と格差問題――貧乏人はテレビを見るな?
2011年7月の地デジへの移行は、「貧乏人はテレビを見るな」という政策と紙一重ということに批判の目は向けられていないが、その日が来るのを知っている人は意外に少ない
2. 深刻な危機のなか進まない新聞改革
l 朝日・読売・日経の「3社連合」って何?
07年、朝日・読売・日経の3社が「インターネット分野での業務提携」を発表
ネットニュースにおいて、新聞社が果たす役割を考え直すとし、新聞事業の直面する危機に対し、経営者たちが「何か」をしなくてはならないという焦りが見える
l 販売拡張競争の闇
「無読者層」の拡大、新聞広告の急速な低落、再販制度と特殊指定(独禁法の対象から除外し、指定価格で地域による差なしに販売することを認める制度で、戸別配達制度を支えてきた)が外される恐れなどが相俟って、新聞のなかでも勝ち組といわれる3者がとりあえず危機を共有しようということだが、新聞収入の半分近くを占める販売経費は、熾烈な販売拡張競争の結果であり、販売店への押し付けなどその中身は闇に包まれている
l 新聞は、「破綻したビジネスモデル」か?
過疎地での販売提携は進むが、首都圏のような拡張競争の現場では提携の可能性は未知数
販売店への押し付けで、発行総部数も定かではない
l 記者クラブからの離脱はできるか
記事の質の低下はさらに深刻。どの新聞も似たような紙面になる原因は記者クラブ制度
報道陣が結集して取材先に情報の公開を迫る目的で生れた制度だったが、今や排他的な「情報独占装置」と化し「談合機関」となってしまっただけでなく、クラブ内での報道協定により、いつも「テレビは前夜から、新聞は翌朝」と半日遅れの報道になっている
l テレビ局の系列化はやめるべき
民間テレビ放送は、読売の正力の肝いりで生まれたが、テレビ放送を全国紙の系列にまとめ、系列を強化する方向に進んだのは、両者にとって不幸。系列化を推進したのは、1957年の「第1次大量免許」の時の郵政相田中角栄で、新聞をコントロールするために電波を利用しようとした。系列化によって、新聞の国家権力からの独立に陰りがさす
第6章
政治権力と組織ジャーナリズム
1. 政府の歴史認識の変遷をたどる
l 「河野談話」「村山談話」と政権
政治権力と組織ジャーナリズムの関係を考察するとき、一番分かりやすいのが、戦争とメディアの関係。日本では戦争が新聞を大きく育て、放送の発達を促してきたという、両者持ちつ持たれつの関係にあった
世界2位の経済大国になるに至って、内外から国のあり方をめぐり、過去の戦争への責任を含む歴史認識が問われるようになるなか、日本の右傾化現象をジャーナリズムは正面から受け止めることを避けてきたきらいがある
歴代政権の歴史認識に関わる評価は、慰安婦の存在と国の関与を認めた「河野談話」(93年)と、戦争加害を謝罪した「村山談話」(95年)をどう見るかにかかっているが、その後の小泉・安部両首相の行動と2つの政府談話との矛盾を正面から質すことはなかった
l 政府の歴史認識に抵抗する動き
2つの政府談話で歴史認識を改めた結果、中学の歴史教科書には「慰安婦」の記述が復活したが、それに反対する自民議員らによって「議員連盟」が結成され、民間右翼組織と連携し歴史教科書の書き換えに動き出す。その流れが小泉・安部という右寄り政権で加速
2. 安倍政権とメディア
l 闘う安倍首相に怯えたメディア
安部は首相になって、実質的に戦前への回帰を意図しているとしか思えない言動を重ねるが、政策やイデオロギーの問題というより、「メディア」と闘ってきたように見える
安部のメディアとの闘いは、NHK番組への介入を始めとして、以後権力の階段を上るにつれ、メディアへの強権的対応を強める。アメとムチの使い分けにメディアは萎縮
l 危険な体質を見逃したメディア
安部の「危険な体質」に対し、父方の叔父の興銀頭取・西村正雄が自制を諭す遺言のような文章を残す。偏狭なナショアンリズムを抑えるのが政治家なのに、晋三は逆に煽っているとし、「裸の王様」なっていると断じ、その一方で迎合するメディアを批判
l タブーの増大と臆病なメディア
組織ジャーナリズムを覆う無力感の背景には、タブーの拡大と権力への迎合があり、メディアを臆病にしている。権力の監視機能を果たしているのはフリーランスのジャーナリスト
政治の世界では記者たちの閉鎖性は一層強い。政治とメディアの癒着構造は不変
「天皇・皇室」「自衛隊」「同和問題」などの古典的なタブーに加え、「広告会社」「告策」「各種権力」などが主要なタブーとして浮上
3. メディアが報じないこと
l 小泉・安部に迎合したメディア
安部政権の投げ出しに近い退陣にあたって、メディアはその責任や理由を厳しく質すことなく後継総裁の選挙に焦点を移し、有権者の関心を逸らす。政権への批判が極めて弱い
小泉政権の5年間は特にその感が強い。劇場政治に同調し、選挙報道にあたっても世論調査として自民優勢を報道し続けたのは、識者から「世論操作」と批判されてもやむを得ない
l ポスト小泉・安倍政権とジャーナリズム
07年、読売・渡辺主筆の仲介で、福田(自民)と小沢(民主)の「大連立」が話し合われた事件は、完全なジャーナリズムの逸脱だが、東京の報道界には「7社会」という渡辺主筆を中心とする非公式な会合組織があり、大手新聞と共同通信・NHKが顔を揃えており、みな同じ穴の狢といわれてもやむを得ない
終章 メディアは、なぜここまで蝕まれたのか
l 社会の劣化
小泉・安倍政権の6年間が、外交ではアジア諸国との軋轢を生み、内政では格差社会の拡大を招いたが、メディアは政権に迎合するだけで、蝕まれる社会を正面から見据えてこなかった。権力批判と権力監視の精神を失ったメディアに、国民の怒りは頂点に達した
「報道の自由度ランキング」で世界169か国中日本は37位
l 歴史は繰り返す――NHK会長人事の波乱
時の政権がNHKを支配下に置くため、合法的に政権に都合のよい会長を選出する手法として、先ず経営委員長を確保し、次に会長人事の主導権を握るやり方がある
政権のごり押しは、1982年経営委員の国会不同意を武器として始まり、政権に従順なNHKに転換。就任した委員長や会長のジャーナリズムへの関心・知識の欠如も懸念される
l どうなる最高裁の判決
戦犯法廷主催者がNHKなどを訴えた裁判の最高裁での口頭弁論の開催が通知され、高裁判決見直しの可能性が高まる――「期待権」が法的保護に値するかどうかの認定の問題か。「期待権」と報道の自由について最高裁が正しく理解してくれることを期待
l 「個の志」を「組織」がつぶすな
「NHK vs 朝日」問題によって露呈した日本の組織ジャーナリズムのひ弱さを克服し、本来の機能を取り戻すためには、ジャーナリズムの原点に戻るしかない――「ジャーナリズムは個が支える」ものであり、ジャーナリスト1人1人の「個の志」こそジャーナリズムの原点
大手新聞を率いるリーダーに真のジャーナリストがいなかったということだろう
岩波書店 ホームページ
組織ジャーナリズムの敗北―続・NHKと朝日新聞
朝日の報道に端を発した二大組織の「大喧嘩」.その教訓とは何なのか.膨大な資料や取材から徹底検証する.
2005年1月,朝日新聞がNHKの番組の改変には政治家が関与していたという記事を掲載,そこから二大組織の「大喧嘩」に発展した.そこで問われたことは何だったのか.膨大な資料や取材に基づき徹底検証し直し,日本の組織ジャーナリズムの抱えている問題に迫る.権力に対して物言える,健全なジャーナリズム再生のための道筋とは?
■著者からのメッセージ
NHKは橋本前会長が任期の最終日,わずか数時間の差で辞表を受理され引責辞任の引導を渡された.同僚の特ダネをニュース原稿処理の端末で放送前に知り,株の売買をして利益を得たというインサイダー取引をした職員が三人も出るという組織の劣化の果てだ.
本書のメインテーマ,「番組改変」に関する経緯と,「政治家の意図を過剰に忖度」したという高裁判決も無視し,政治介入を否定し続けるNHK当局.裁判の証人尋問で番組改変と介入の実態を訴えた二人の番組制作者の勇気ある告発に弁護団の飯田正剛弁護士が「よくあそこまで言ってくれたと尋問しながら感動した.二人はジャーナリズムとしてのNHKを変えなければという本当の良心に従って行動した」と激賞した言葉の差は大きい.NHK再生の鍵はこの言葉の中にある.
■著者からのメッセージ
基本的には正しかったスクープ記事を,僅かな「詰めの甘さ」を理由に全面的に謝ってしまう――日本を代表する新聞がそんなことでいいのか.そんな姿勢で権力と闘えるのか.「朝日新聞よ,しっかりせよ!」と叫ばずにはいられない.
日本はいま,自衛隊の海外派遣だ,有事法制だとキナ臭くなるなか,再び個人より国家を優位に置く戦前のような社会を目指す動きがとうとうと進んでいる.そんな時期だけに,ジャーナリズムにはひときわがんばってもらわねばならないのだ.
NHKも朝日新聞も目を覚ませ! 戦前のように,組織を守るために権力に擦り寄ることは絶対にするな.筆を曲げるくらいなら筆を折るくらいの気概を持て! (柴田鉄治)
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内容説明(表紙カバー袖裏)
2005年1月、朝日新聞がNHKの番組の改変に政治家が関与していたという記事を掲載、そこから二大組織の「大喧嘩」に発展した。そこで問われたことは何だったのか。膨大な資料や取材に基づき徹底検証し直す。さらに、朝日・武富士事件、テレビ局の新聞系列化の弊害、新聞販売制度の闇、地上デジタル放送開始への懸念、待ったなしのNHKの経営改革など、組織メディアをめぐる諸問題を取り上げ、その権力監視機能がいかに衰えてしまっているかを追及。志あるジャーナリズム再生の道筋を探る。
Wikipedia
NHK番組改変問題とは、NHKが2001年1月30日に放送したETV特集シリーズ「戦争をどう裁くか」、とくにその第2回「問われる戦時性暴力」に関する一連の報道と訴訟を指す。
概要
この問題では、VAWW-NETジャパンが主催した模擬法廷イベント「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を主な題材としてNHKが番組を放送したが、出演者らは事前にきいていた説明と大きく異なる内容が放送されたと主張。のちに朝日新聞が「この番組ではNHKが政治家からの圧力に抗しきれず番組内容をねじまげた」などと報じた一方で、名指しされた政治家側・NHK側が報道内容を全面否定したことから政治問題化した。
また「法廷」を主催したVAWW-NETジャパンのNHK提訴にも発展。この裁判は控訴審ではNHK側に損害賠償が命令されたが、最高裁ではそれが破棄され原告側の敗訴が確定するなど、判断が分かれた。一方で放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送倫理検証委員会」はこの問題を審議して「NHKの自主自律」を危うくする放送倫理上の問題があったなどと結論づけ、NHKと政治の関係に改めて注目を集めるきっかけとなった。
経緯
「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」は、2000年12月にVAWW-NETジャパンが開催した模擬法廷(民衆法廷)イベントである。当時、戦時中の性被害に対する告発が世界的に広がっており、これに「民衆の立場を反映させる」として、旧ユーゴ国際刑事法廷の前所長などを「判事」役として開かれた。そして従軍慰安婦など日本軍の戦時犯罪の責任は昭和天皇および日本国家にあると提訴され、12月12日、「天皇裕仁及び日本国を、強姦及び性奴隷制度について、人道に対する罪で有罪」との判決を言い渡した。
この「法廷」開催に先立つ8月、NHK関連団体のプロデューサーは、外部製作会社に所属する女性ディレクターに、この「法廷」をめぐって番組製作を依頼。NHK本体の教養番組部と連携して取材をすすめていた。
番組放送前後(2000-2001)
放送直前の動き
同2000年12月上旬、「おはよう日本」などNHKのニュースでこの「女性法廷」が報道されると、内容が公平さを欠くとする保守派から強硬な抗議を受けるようになった。さらにこのテーマについてドキュメンタリーを放送する予定であることが広まると、放送中止要求も含めた様々な声がNHKに寄せられるようになった。
年が明けた2001年1月中旬、完成した番組の部内試写が行われ、通常は立ち会うことのない吉岡民夫教養番組部長がこれに同席、番組に対してさまざまな不満を述べ、内容の削除や変更・追加取材などを強硬に要求したとされる。変更が重なるなか、当初製作を担当した外部のディレクターは業務継続を断念、以後はNHK教養番組部内で作業が行われる。
2001年1月27日、西村修平(当時「維新政党・新風」代表)、日本世論の会、大日本愛国党がNHKに押しかけ、女性国際戦犯法廷は「反日・偏向」の政治集会だとして、放送中止を求める抗議行動を行った(街宣車による抗議あり)。
2001年1月28日、吉岡教養番組部長らが命じた追加取材の一部として、秦郁彦が取材を受ける(秦は番組内で「法廷」の様々な問題を指摘して批判を行う)。
放送
1月下旬、ETV2001『戦争をどう裁くか』と題する4回シリーズで放送される。
放送日 |
副題 |
放送時間 |
||
1月29日 |
第1回 |
人道に対する罪 |
22時~22時44分 |
ナチス時代の強制労働、アルジェリアの独立運動弾圧など |
1月30日 |
第2回 |
問われる戦時性暴力 |
22時~22時40分 |
日本軍による性暴力の実状/女性国際戦犯法廷など |
1月31日 |
第3回 |
いまも続く戦時性暴力 |
22時~22時44分 |
戦時性暴力追及のこころみなど |
2月1日 |
第4回 |
和解は可能か |
22時~22時44分 |
南アフリカ真実和解委員会など |
放送直後の動き
2月2日、中川昭一が伊藤律子・番組制作局長に会い、この番組について「実は内部で色々と番組を今検討している最中です」との報告を受ける。
2月6日、VAWW-NETジャパンが番組内容について、「主催団体名や肝心の判決内容が一切紹介されなかったばかりか、法廷に対する不正確な誹謗や批判が一方的に放送された」とする公開質問状をNHKに渡す。
2月26日号の週刊新潮が「NHKが困惑する特番『戦争をどう裁くか』騒動」なる記事を掲載。記事中では、放送時間が第2回だけ40分に短縮されたことや、放送直前の右翼の抗議行動、秦への急な取材、伊藤律子・番組制作局長が自民の大物議員に呼び出され釘を刺されたという噂などを取り上げ、「もしNHKが “外圧”に屈して番組内容を差し替えたとしたら、公共放送として大変な汚点だ」と批判。
VAWW-NETジャパンは、NHKが当初の企画通りに放送しなかったとして、NHKを訴えた。NHKは外注先(孫請けサイド)の制作に問題があるとも主張し、外注先会社はNHK制作者から提示された企画だとしてここでも争いがあった。
朝日新聞による報道(2005)
2005年1月12日、朝日新聞は、「NHK『慰安婦』番組改変 中川昭・安倍氏『内容偏り』前日、幹部呼び指摘」との見出しで、この番組の編集・内容について、放送内容を事前に知った経済産業相・中川昭一と内閣官房副長官・安倍晋三からNHK上層部に圧力があったとする報道を行った。
2005年1月13日、この番組作りにかかわったNHK番組制作局の長井暁チーフプロデューサーが単身で会見を開き「政治介入を受けた」と告発。
それによれば、安倍・中川が番組内容を知り、「公正中立な立場でするべきだ」と求め、やりとりの中で「それが出来ないならやめてしまえ」という発言もあったという。これに対しNHKは調査を行い、「NHKの幹部が中川氏に面会したのは放送前ではなく放送の3日後であることが確認され、さらに安倍氏についても放送の前日ごろに面会していたが、それによって番組の内容が変更されたことはなかった。この番組については内容を公平で公正なものにするために、安倍氏に面会する数日前からすでに追加のインタビュー取材をするなど自主的な判断で編集を行なった」と主張。長井はNHKトップの海老沢会長がすべてを承知であり、その責任が重大だと指摘した。
数日後、任期切れの近い海老沢は退任の意向を示し、技術系出身の新会長の下で従来の拡大路線を継続することを発表。
なお、NHKの永田浩三プロデューサーは、安倍がNHKの放送総局長を呼び出し、「ただではすまないぞ。勘ぐれ」と言ったとする伝聞を紹介。永田は「『作り直せ』と言えば圧力になるから『勘ぐれ』と言ったのだ」と明言している。
安倍晋三の対応
安倍晋三は、2005年1月中旬に各社の報道番組に出演し、NHKの番組に政治的な圧力をかけたとする朝日新聞の報道を否定し、放送法に基づいていればいいという話であったと述べた。また、女性国際戦犯法廷の検事として北朝鮮の代表者が4人入っていることと(鄭南用、洪善玉、黄虎男、金恩英)、そのうち2人(黄虎男、鄭南用)が北朝鮮の工作員(=スパイ)と認定されて日本政府がペルソナ・ノン・グラータとして以降査証の発行を止められているとして、北朝鮮の工作活動が女性国際戦犯法廷に対してされていたとする見方を示した。
中川昭一の対応
中川昭一は、2005年1月27日の衆議院予算委員会にて、朝日新聞の報道内容にいくつかの事実誤認が見られるとして、同紙に対して訂正と謝罪を求めていると述べた。
NHKによる朝日新聞報道批判
NHKは主要なニュース番組などで朝日新聞の報道を誤報とする放送を行い、ここでは「朝日新聞虚偽報道問題」との字幕を表示した。内容は、朝日新聞の記事の全面否定と、NHKから朝日新聞社への公開質問状の紹介、安倍と中川の記者会見などをあわせて編集したものであった。一方で、朝日新聞社も系列局テレビ朝日の番組で自社役員も出演する「報道ステーション」などで反論し、さらに紙面でもNHKによる誤報との断定に対して法的措置を検討するという記事が掲載された。
この時のNHK側の報道を指揮をしたのは、海老沢と関係が深いといわれた元報道局長・諸星衛理事であった。なお、朝日新聞の抗議ののち、NHKは後日「虚偽」の文字を外している。
また、朝日新聞紙上で「NHK幹部」と目された松尾武・元放送総局長が「自分が取材を受けた幹部」と名乗り出て、朝日の記事を全面否定する記者会見を行った。
これに対して、かりに朝日新聞社側が、「録音テープ」を公表すれば、NHK側の主張が虚偽であることが明らかとなって、NHKにとっては致命傷となる可能性もあったが、「録音テープ」が出されることは無かった。出されなかったのは、もともと録音の承諾を取っていなかったためである、とされている。
朝日新聞による検証
2005年7月に、朝日新聞は上記報道の検証記事を掲載したが、主張の裏づけとなる新事実を欠くものであった。これに対し、NHKや産経新聞は、この番組の編集について政治家からの圧力がNHK上層部にあったとする今までの報道には根拠がないので、朝日新聞は明白な根拠を示すべきである、とした。また、読売新聞も「説得力に乏しい朝日の『検証』」と題した社説で朝日を批判、毎日新聞、日本経済新聞の社説も、検証が不十分と批判した。週刊新潮などの週刊誌も、朝日新聞を批判する記事を掲載した。
録音テープと魚住昭記事
朝日新聞社が番組改変の証拠とされる「録音テープ」を未だ出さない状況で、社内関係者がその内容を魚住昭にリークし、魚住は「NHK vs. 朝日新聞『番組改変』論争-『政治介入』の決定的証拠」(『月刊現代』2005年9月号)で圧力はあったと結論づけ、安倍を批判した。
これに対して安倍は「重要な発言がカットされ、都合のいい部分だけを抜き出している」と反論。同時に「資料の信憑性も含めて決定的証拠とはいえない。ただ、私の承諾を得ずに取材が録音された可能性は高まった」と述べた。
自民党は、無断記録や取材資料の流出について「あたかも取材のやりとりを記録した取材資料があるということを世間に強調したかっただけの『やらせ』ではないか」と指摘し、抗議として、8月1日、公式以外の取材を「すべて自粛していただく」として、事実上の取材拒否を表明した。ただし、自民党は魚住は無視した。さらに、第44回総選挙では「朝日読者には自民党支持者が少ない」という理由で、党としては史上初めて朝日への選挙広告を取り止めた。
録音テープについては、当初は状況的に存在する可能性があるとされたが、朝日は現在に至るまで出していない。このため、テープの存在自体を怪しむ主張もある。しかし、これには以下の経緯があり、テープの存在を肯定する主張もある。
「NHK報道」委員会の見解と朝日新聞会見
2005年9月30日、朝日新聞がNHK番組改変疑惑の信憑性の検証を委託した第三者機関「『NHK報道』委員会」が「(記者が疑惑を)真実と信じた相当の理由はあるにせよ、取材が十分であったとは言えない」という見解を出す。これを受けて朝日新聞は社長の記者会見を開き、取材の不十分さを認めた。一方で記事の訂正や、謝罪はなかった。
「NHK報道」委員会のメンバーは後に伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎、元共同通信編集主幹原寿雄、前日弁連会長本林徹、東大大学院教授長谷部恭男らであった。
番組改編と報道問題に関する見解
これらの件に対しては、以下のような見解が見られる。
北朝鮮(朝鮮総連)の関与について
法廷主催者が番組改変疑惑を報じた朝日新聞の元記者であること、番組改変疑惑を報じた本田雅和記者と主催者は交流がたいへんに深かったこと、VAWW-NETジャパンの発起人であり、「女性国際戦犯法廷」運営委員の一人であった池田恵理子が番組の製作下請けであるNHKエンタープライズ21のプロデューサーであること(ドキュメンタリージャパン(DJ)が製作の孫請けとなっていた)、「女性国際戦犯法廷」の検事として関わった北朝鮮代表者が安倍晋三によって工作員であると指摘されたこと、NHK側が面会した国会議員が与野党議員に渡る中、番組改編疑惑として取り上げた対象が対北朝鮮強硬派である安倍、中川の二人だけであることなどから、朝日新聞、VAWW-NETジャパン、北朝鮮の連携による北朝鮮強硬派議員の失脚を狙ったものではないかとする見解(西村幸祐ら)。
2005年10月14日、朝鮮総連関連の施設である財団法人在日本朝鮮人科学技術協会、西新井病院(東京足立区)などが家宅捜索をうける。この在日本朝鮮人科学技術協会と同じく総連系の株式会社メディア・コマース・リボリューションなどと、VAWW-NETジャパンの所在地が同一であることから、朝鮮総連とVAWW-NETジャパンの密接な関係が指摘されている。
「従軍慰安婦」問題に当事者である北朝鮮の人間が検事としてかかわるのは当然であり、そのことをもって北朝鮮主導の工作とするのは不当であるという見解。
魚住昭へのリーク
魚住昭への情報流出については「取材協力者を裏切った」(大島信一・『正論』編集長)などと批判がある一方で、「真実を追求するためにやむを得ず隠し撮りせざるを得ない場合がある」と擁護する論も出た(原や魚住など)。
その後
2006年5月16日の朝日ニュースター『ニュースの深層』に出演した中川昭一は、「朝日新聞は裏づけをしっかりしてから、記事にして欲しい。圧力はかけていないという事実関係を私は証明しているのに、訂正も反論もないまま記者は一切出て来ず、逃げ回っている。そして朝日新聞社は社を挙げてそれを守っている」と批判した。
2007年1月29日のNHK制作の報道番組「ニュースウオッチ9」での高裁判決の放送内容について、原告(VAWW-NETジャパン)側は、放送倫理・番組向上機構(BPO)に対して、公平・公正な取扱いを欠いたことによる放送倫理違反だと申し立てた。これに対してBPOは2008年、「本件放送が公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」とし、申し立て人が「公平・公正を欠いた放送によって、著しい不利益を被ったものと判断する」が、「謝罪まで認める必要もない」、という見解を示した。
一方で、BPOの放送倫理検証委員会は、2009年1月9日の定例会で、「改変経過がNHKの自立性に疑問を持たせ、放送倫理上問題があるという認識で一致した」(川端和治・委員会委員長)として「審議」に入る旨決定した。2009年4月28日、BPOの放送倫理検証委員会は、この番組について意見書を発表し、「NHKの予算等について日常的に政治家と接している部門の職員が、とりわけそれら政治家が関心を抱いているテーマの番組の制作に関与すべきではない」ことを指摘している。
影響・その他の争点
NHKへの影響
2005年6月、NHK番組制作局やスペシャル番組センターなどの職員有志が、改革・新生委員会(委員長・橋本元一会長)に文書を出し、「番組変更の最大の原因は政治への過剰反応だった」として、NHK倫理・行動憲章の改定を提言した。これに対して、NHK経営広報部は「局内で出ているさまざまな提言の一つとして検討中」とした。
番組改変の記事を執筆した本田雅和記者は、NHK不払い運動を行っている本多勝一記者の弟子にあたる。
放送法
一連の騒動において問題にされる「中立」「編集の自由」の語に該当することは、放送法第一条(目的)と三条(番組編集の通則)にある。
原則。法律の目的(一章の一条)として、『放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。』
通則。具体的な編集(三条)について、「法的権限のない者に従う必要がない」、と保護する一方でまた義務(または必要)として、「政治的に公平」、「事実を曲げない」、「対立問題については、論点をできるだけ多角的にとらえて見せる」、と明記している。
女性国際戦犯法廷の報道をめぐるNHK裁判
NHKが放送した番組内容に関し、女性国際戦犯法廷の主催者であるVAWW-NETジャパンが、取材時に製作会社であるドキュメンタリージャパン(以下DJ)と同意していた企画と異なったことから、「政治的圧力に屈して内容を改竄した」としてNHK・NHKエンタープライズ21(NEP21)・DJの三者を訴えた裁判。最高裁まで争われ、VAWW側の訴えはすべて退けられた。
原告側主張
VAWW-NET側(主催者側)の主張では、制作会社との合意に反して審理の解説や判決言い渡しシーンを削除したり、日大教授であった秦郁彦のコメントを挿入するなど批判的な立場の意見も取り入れて編集され、放送時間も短縮された。この編集により構成が取材を受けたVAWW-NET側の期待にそぐわないものになったとし、期待権を損ねたと訴えた。
被告側主張
NHK側は、上記編集は全体的に番組のバランスを取るために行われたことであり、特に問題ないと主張している。
判決
女性国際戦犯法廷の報道をめぐるNHK裁判(東京地裁2004年3月24日)
一審では、「番組内容は当初の企画と相当乖離しており取材される側の信頼を侵害した」として、DJの責任を認容し、100万円の支払いを命じたが、「放送事業者には、取材素材を自由に編集して番組製作することが保障される」として、NHK・NEP21への請求は退けたことから、判決を不服としたVAWW-NETジャパンが控訴。
控訴審判決(東京高裁2007年1月29日)
二審では「憲法で保障された編集の権限を濫用し、又は逸脱したもの」「放送番組編集の自由の範囲内のものであると主張することは到底できない」と認定。VAWW-NETの「期待権」に対する侵害・「説明義務」違反を認め、NHK、NEP21、DJの共同不法行為として3者に200万円の賠償を命じた。NHKは、判決を不服として上告した。
上告審では、最高裁判所第1小法廷(横尾和子裁判長)において高裁判決を破棄し、原告の請求を退ける逆転判決を言い渡した。最高裁は本判決においてVAWW-NETの当番組に対する「期待権」は保護されないとの見解を示し、原告敗訴が確定した。
裁判後の反応
原告の反応
原告のVAWW-NETは「政治家の圧力・介入を正面から取り上げない不当判決だ」「司法の公平、公正性に大変失望した。一部政治家の意向に沿うようにゆがめて放送していいのか」(西野瑠美子共同代表)、「判決は具体的な事実を離れて一般論に終始している。NHKを勝たせようという結論が先にあったのではないか」(飯田正剛弁護団長)と最高裁判決を批判した。
被告NHKの反応
NHK広報部は「どのような内容の放送をするかは放送事業者の自律的判断にゆだねられており、正当な判断と受けとめている。最高裁は『編集の自由』は軽々に制限されてはならないという認識を示したものと考える」とコメント。
政治家の反応
自民党の中川昭一は「私と安倍晋三前首相が『事前に番組に圧力をかけた』と朝日新聞で報じられたことが捏造だと確認されたが、(朝日新聞からは)私たちに謝罪はなく名誉は毀損されたままだ。問題はまだ決着していない」と述べた。また、安倍晋三は「最高裁判決は政治的圧力を加えたことを明確に否定した東京高裁判決を踏襲しており、(政治家介入があったとする)朝日新聞の報道が捏造であったことを再度確認できた」とコメントした。
報道関係の反応
朝日新聞は広報部を通じて「訴訟の当事者ではなく、判決も番組改変と政治家との関わりについて具体的に判断していないので、コメントする立場にない」との見解を示している。
読売新聞は、最高裁が期待権の法的保護の要件を厳格に評価したことについて、妥当な判決だと評価している。
産経新聞は、この判決について『「政治の介入」判断せず』として、高裁判決が「NHK幹部が政治家の意図を忖度した」と指摘した点について、「最高裁がこの問題をどう判断するかも焦点だったが、争点の判断に必要なかったために判決ではまったく触れられなかった」と伝えた。
参考文献
放送を語る会『NHK番組改変事件 ―制作者9年目の証言―』かもがわ出版、2010年。
永田浩三『NHK、鉄の沈黙はだれのために ―番組改変事件10年目の告白―』柏書房、東京、2010年。
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク『暴かれた真実 NHK番組改ざん事件 ―女性国際戦犯法廷と政治介入―』現代書館、東京、2010年。
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク、NHK番組改変裁判弁護団『NHK番組改変裁判記録集』日本評論社、2010年。
西村幸祐『反日の正体』文芸社、文芸社文庫、2012年8月(2006年に『反日の超克』としてPHP研究所から刊行された単行本の増補版)
2008年8月 最高裁判決
出典: 2008年8月 NHK記者、放送文化研究所『放送研究と調査』
放送内容への期待は保護の対象外 NHKの番組改編で最高裁判断
~『ETV2001 問われる戦時性暴力』~
NHKの『ETV2001 問われる戦時性暴力』(2001年1月放送)が放送直前に改編されたとして,取材に協力した市民団体がNHK等に損害賠償を求めていた訴訟で,最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は2008年6月12日,NHK等に損害賠償を命じた2審の東京高裁判決を破棄し,市民団体の請求を退けた。
この訴訟は,「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが,取材に応じた際の説明と異なる内容の番組が放送されたとして,NHKと下請けの制作会社2社に損害賠償を求めていたもの。1審の東京地裁は2004年3月,実際に取材・制作にあたった孫受け会社に100万円の賠償を命じた。2審の東京高裁は 2007年1月,政治家の意向を推量してNHKは番組内容を修正しており,編集権を放棄したに等しいとして,NHKに200万円の賠償を命じ,このうち 100万円は制作を担当した2社に連帯責任があるとの判決を出した。
最高裁はこの日の判決のなかで,
(1) 放送局が番組を制作するにあたり,どのように編集するかは局の自律的判断にゆだねられていると一般的に認められている,
(2) 最終的な放送内容が当初企画されたものと異なったり,番組自体が放送されなかったりする可能性があることも認められている,
とし,取材を担当した者の言動によって,取材された側が,素材が一定の内容,方法で放送に使用されると期待,信頼したとしても,原則として法的保護の対象にならないとの判断を示した。
そして,取材された側の期待や信頼が法的保護の対象となるのは,
(1) 取材に応じた側に格段の負担が生じた場合,
(2) 制作側が,必ず一定の内容,方法で取り上げると説明し,その説明が取材に応じる意思決定の原因となった場合,
に限定されるとした。
今回の場合は,NHK側の取材活動は,大半が市民団体が当初から予定していた事柄で,取材に応じた市民団体に格段の負担が生じてはいない。また,市民団体が開催した旧日本軍の性暴力を裁く「女性国際戦犯法廷」についても,取材担当者が必ず一定の内容,方法で取り上げると説明したとはうかがわれない。さらに,番組内容改編について,内容の変更を取材を受けた側に説明すべき法的な義務は放送局側にはないと判断した。
2審の東京高裁は,番組編集の自由は憲法上尊重されるべきであるとしたうえで,ドキュメンタリー番組については,取材を受けた側が放送内容に関して,取材した側の言動により期待を抱くやむをえない特段の事情があった場合には,取材された側の期待と信頼が法的保護の対象になると判断したが,最高裁はこの判断を覆し,すべての番組について放送局に不法行為責任が生じる場合の限定条件を初めて示し,憲法21条に規定される表現の自由をより重視する判断をした。
当該番組に関する放送直前の内容の改編について,NHK幹部が政治家の発言意図を推量してできるだけ当たり障りのない番組にするために修正を繰り返した,と東京高裁が編集権とのかかわりで指摘した点には最高裁は触れなかった。
奥田良胤
1962年京都大学文学部卒業、NHK記者、放送文化研究所主任研究員
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