「もののあはれ」の訳し方  大野ロベルト  2026.4.23.

 2026.4.23. 「もののあはれ」の訳し方 翻訳からたどる古典文学

How to Translate “MONO NO AWARE”

 

著者 大野ロベルト 法政大学国際文化学部教授。国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『紀貫之--文学と文化の底流を求めて』(東京堂出版、2019)、共編著に『Butoh入門』(文学通信、2021)がある。翻訳では、スティール『明治維新と近代日本の新しい見方』(東京堂出版、2019)など複数の学術書にくわえ、コルヴォー男爵『教皇ハドリアヌス七世』(国書刊行会、2023)、チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』(彩流社、2022)、サックス『魔宴』(彩流社、2020)など、複数の原語で書かれた文芸作品を「大野露井」名義で和訳している。

 

発行日           2025.12.20. 第1版第1刷発行

発行所           文学通信

 

予鈴 英語で「もののあはれ」

l  英語で日本語を学ぶ

『常用国語便覧』の定義: 本居宣長が『源氏物語」の本質を、しみじみと心に沁みとおる情念、哀歓である「もののあはれ」にあるとしてから、日本文学の代表的な理念を表す語となった

日本語に対する理解を日本語で突き詰めようとするから壁にぶつかる。日本語に対する理解を英語で深めようというのが本書の試み

日本の言葉と心とを海外の人々に理解してもらおうとした工夫と努力の果実である翻訳、特に身近な英語に翻訳されたものを繙けば、より日本語と日本文化への理解が深まるのではないか

歴代の翻訳者たちの言葉: 『土佐日記』の1227日のくだりより

フローラ・ハリス(18501909)は、sorrowsを選ぶ

ウィリアム・ポーター(18491929)は、「もののあはれ」の感覚の欠落者をremorseless

ジェフリー・サージェント(192376)は、「もののあはれ」を察知するのはsennsibility

アール・マイナー(19272004)は、warmthを提案

ヘレン・マッカラ(191898)は、「もののあはれ」の対極にinsensitiveを置く

いずれも直訳ではなく、文学作品の一部を英訳するなかで用いられた表現

英訳の対象となっているのは、日本で初めて「もののあはれ」が取りざたされた文章

任期を終えて京に帰る日に、別れを惜しんで集まった人々と酒を酌み交わす中、船頭も酒の勢いもあって早く出航しようとがなりたてる。その船頭が「もののあはれ」も知らずに、と評される状態だった

過去の訳語の例では、pity of things, pathos of things, sadness of things, profundity of thingsなどがあるが、いずれもこの場面での訳語としては不適切

また、日本国内の「もののあはれ」の来歴では、圧倒的なのが本居宣長の語釈だが、それは『土佐日記』の800年もあとの解釈

 

l  英訳は日本語を豊かにする

原文が「もののあはれ」を否定形で使用したのは、平安貴族の価値観においては知っていて然るべきものであることを示唆。さらに、かかる非常識な船頭に、これからの不安な旅を任せることへの恐怖などの気持ちも込めて訳さなければならない

上記5つの役はいずれも「もののあはれ」の一側面を捉えているとすれば、すべての訳語を総合してみれば、解釈の精度が上がることにならないか

「もののあはれ」を知るとは、悲しみを解するだけの温かみと感受性を持つことである。したがって、「もののあはれ」を知らない者は無慈悲であり、無神経である

「もののあはれ」を初めて使った紀貫之自身が、なんとなく「あはれ」としか言いようのないものといっているように、ほかに言いようもないものだが、日本文化の特徴を包括するとまで評価される概念をあえて言い換えてみることは、言葉とその基盤である文化への理解を深めるうえで、極めて有意義な挑戦

 

l  身近な言葉の「はたらき」

言語学の発展に寄与したロマーン・ヤーコブソン(18961982)は、人間の精神活動の2大原理として、「メタファー」と「メトニミー」を挙げる

メタファー(隠喩/暗喩)とは、ある語を別の語の代わりに、本来の意味とは別の意味で使用する方法。あえて異なる言い方を選ぶことで、意味を強めたり詩的な響きを与えたりする

: 「電池が切れた(=空腹)」ので食事をする

メトニミー(換喩)は、隣接・相似する事物や概念を指す語によって表現する方法

: 暖簾をくぐる(=店に入る)、漱石を読む(=漱石の小説を読む)

メタファーは、ある程度まで意識的にその表現を浸透させる必要があるという意味で、その構造が権威的なのに対し、メトニミーの方は自由で変化に富み、つかみどころがない分、言葉そのものの本質に寄り添った「はたらき」であるともいえる

 

l  翻訳というコミュニケーション

言語をまたぐ翻訳においても、言葉の「はたらき」を度外視することはできない

何かを翻訳しようと思えば、所詮は「似て非なるもの」でしかない候補から1つを選ばなければならない

関係の近しさとは、ニュアンスの限定。言葉によってしかコミュニケーションを図ることができないのに、その言葉は、常にディスコミュニケーションの種を内包している

翻訳を行うためには、まず原文をあらゆる角度から検討し、解釈し、可能な限り理解した上で、これを元の言語から引き剝がし、解体し、組み替え、新たな言語の中で再構築する

絶えず揺れ続ける言葉の本質を身をもって知るのに、翻訳に触れる以上の方法はない

 

l  いざ翻訳の網目へ

本書の目的は、日本の古典文学を愛し、その魅力を海外に伝えるべく努力を重ねた先人たちの苦悩の跡を辿りつつ、日本語や日本文学の特徴について考えること

1課では俳句を取り上げる。俳句の要は、短さ、音、リズムだが、それらは翻訳を困難にしている。にもかかわらず、世界中で愛されている

2課は和歌。独自の文字を工夫し、大陸の漢詩とは一線を画すものとしての権威付けが必要だった

3課は『伊勢物語』。和歌から出発した日本文学が物語という普遍的な形へと発展していくためには歌物語が不可欠。英訳には、内包される文化までも移植されなければならない

4課は『土佐日記』。仮名の日記という最大の特徴とそこから示唆される日本語の性質は、翻訳によってある程度まで失われざるを得ない

5課は『枕の草子』。随筆に綴られる心の文(あや)は、翻訳によってその個性を明らかにする。一方で、特定の章段に見られるユニークな仕掛けを翻訳することは不可能

6課は『徒然草』。中世になると、日本語は再び漢文への揺り戻しを孕みつつ、効率的な書記のための言語へと洗練されていく。「読みやすさ」は「翻訳のしやすさ」に表れる

7課は『方丈記』。読みやすさが印象的。ルポともいうべき先駆的な性質が明らかに

8課は『無名草子』。平安と中世の結節点の作品。「読む」ことが何かを知る手掛かりに

イタリア語の諺に、「翻訳者は裏切り者」という洒落を兼ねた警句があるが、完璧な翻訳など存在しないこと、翻訳によって原文の意図が歪められることの多いことが指摘される

 

第一課 前衛としての俳句

l  文字と音と

日本語における音と文字の特性や両者の関係について考える

 

l  世界のhaiku

20世紀のアメリカに黒人文学という新しい地平を切り拓いた小説家、リチャード・ライト(190860)が政治活動と並行して書いた『アンクル・トムの子供たち』などは古典だが、晩年4000もの俳句を詠んだことは知られていない

I am nobody:                          おれは誰でもない

A red sinking autumn sun          沈んでく真っ赤な秋の日が

Took my name away.                おれの名前を奪っちまった

血をも連想させる落日によって匿名性を押し付けられた詠者が、それでも自由を固守して踏み止まる姿とも解釈できるその内容は、生涯にわたり人種差別と格闘したライトの作家性と見事に一致する。和訳に際し五・七・五に拘らなかったのは、日本語で感じる身体的ともいえるほどの安定感や快さが生じるわけではないから

 

l  連歌から俳句へ

室町時代に興隆した連歌は、五・七・五と七・七を交互に折り重なり、音節のパターンだけでなく、意味の点でもそれぞれの句に繋がりがある

ついで登場したのが俳句。『おくのほそ道』の題名の英訳も複数ある

The Narrow Road to the Deep North         深北への細道        湯浅信之訳   1966

The Narrow Road Through the Province    地方を巡る細道     マイナー訳   1969

The Narrow Road to the Interior              内奥への細道        マッカラ訳   1990

元々「おくのほそ道」とは、本文の「宮城野」の章に登場する仙台-多賀城址を結ぶ街道の名

芭蕉は、在原業平に自らの旅姿を重ね、『伊勢物語』に登場する「蔦の細道」を意識して全体の題にしたが、「おくのほそ道」という句から意識される旅の厳しさや孤独の感覚は、当然ながら「おく」をただの地名以上のものにしている。3つの英訳の題名も、その「おく」をどう再現するかという点に工夫を凝らしている

湯浅の「深北」という言葉は、日本語ではぎごちないが、米国の読者であれば深南部を連想するだろう。したがってこの語には、峻厳な自然と、排他的とも映る厳しい暮らしの中にこそ透けて見える国民性があるということを、本文に触れる前から読者に意識させる効果がある。この小説が和訳された時には、無論『奥のほそ道』という題名に里帰りしている

マイナー訳は、「おく」という言葉の多様な意味を削ぎ落し、表面的かつ抽象的な「地方」の意味を採る。改めて「おく」に意味を付加するのは読者の役目ということになる

マッカラ訳は、「内なる」という印象の強い語を選んでいる以上、「ほそ道」が自らの内奥へと向かう道でもあることは疑いを容れない

 

l  俳句という「日本酒」を味わう

俳句を初めて英訳したのは、日本研究者の先駆けバジル・ホール・チェンバレン(18501935)といわれ、「古池や蛙とびこむ水の音」の訳は;

The old pond, aye! and the sound of a frog leaping into the water.

古池や! 水にとびこむ蛙の音。

Ayeの口を大きく開ける母音の連続も、感嘆符のかまびすしさも、原句の提示する静謐を無残に打ち破り、さらに第2句と3句を読むと音を発しているのは蛙になるので、「水の音」という主題そのものが誤訳、となるが、チェンバレンの目的はあくまで句の解説

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の訳は;

ヘレン・マッカラ訳――音節は五・八・五。感嘆符と静けさは日本語の感覚からは矛盾するが、英語の記号は幅広く使われる。岩は単数でセミも1

Ah, tranquility!                          ああ、静けさよ!

Penetrating the very rock,           その岩を貫く

a cicada’s voice                         蝉の声

ドナルド・キーン訳――音節は五・六・四。感嘆符ではなくタージ(――)を引いているのも、記号をアルファベットと並んで使用される例。石は複数で石庭のようなものが想起され、セミではなく蝗としたのは虫の西欧での知名度を勘案したもの

How still it is here—                   なんと静かなのだろう――

Singing into the stones,              石にさしこまれてゆく、

The locusts’ trill.                        (いなご)の顫音(せんおん)

実際の場面は、芭蕉が出羽の立石寺の古色蒼然たる岩山の上で扉を閉ざす御堂の静けさと美しい風景に感銘を受けて詠んだ句。場面設定が正しければ、キーン訳が近いということになるが、原句も後に語句に若干の変更があり、芭蕉が目にしたのが急峻な絶壁であればまた違ってくる。斎藤茂吉がアブラゼミだと言って大論争を引き起こしたこともある

空間的な隔たりだけでなく、時間的な側面についても隔たりは存在する。古典の翻訳については、フランス人の飲むワインと日本人の飲むワインの差異だけでなく、芭蕉の飲んだ日本酒と私たちの飲む日本酒との差異も問うてみなければならない

 

l  新時代の文学

明治になって「写生」を概念の中心に据え、目の前の光景とそこから惹起される実感とを、血の通った言葉で繋ぎ止めようとした「俳句」が確立

「初冬の竹緑なり詩仙堂」(内藤鳴雪);

ジェフリー・ボウナスとアンソニー・スウェイトの共作

Early winter:                            初冬や

Bamboos green                         竹は緑

At Shisendo                              詩仙堂にて

原句は緑深い竹を見て詩仙堂に至るのに対し、英訳ではコロンを置いて区切ったこともあり、詩仙堂の竹が緑だったという説明としての響きが強くなる

鳴雪は、詩仙堂を訪れ、造営した石川丈山という文人武将の先達を通して、三十六詩仙という数千年の詩情の蓄積に触れ、その感動を通して眼前の竹の緑に見入っている

詩仙堂の来歴を知らなくても、「詩」「仙」「堂」の3文字からおおよその意味合いを看取することは難しくないが、アルファベットのShisendoでは初冬の竹の緑に対する感動とは結び付かない

 

l  言葉のまえに立ち止まる

子規が提唱した概念のなかでも著名なのが「写生」。新時代の文学を象徴する「写生」の概念が美術用語に端を発していることは興味深い。美術も文学も、それぞれ一から理論化する要請が強まった近代化の渦中において、「写生」は美術と文学の結節点となった

 

第二課 はじめに歌ありき

l  「約束事」に支えられる和歌

たぎつ瀬のなかにも淀はありてふをなどわが恋の淵瀬ともなき (よみ人しらず)

日本の最初にして最重要の勅撰和歌集には「よみ人しらず」の歌が多い。1111首のうち458首に上る。歌に顔を与えず、読者に自身の体験としてそれを再生産してもらうための演出だろう。ある歌集では名が明記されているのに、別の歌集では「よみ人しらず」となっている歌は少なくない

『古今集』の歌を読んでも、「何となく」しか分からないのは、私たちの生活が自然からかけ離れてしまっており、自然を分類・整理する語彙を失いかけているから

表現は用例を積み重ねることによって市民権を得る。このようなプロセスを経て初めて歌は十分詩的効果を発揮できる。これこそが和歌の仕組みであり、約束事の正体

「恋」を「水の流れ」に喩えるという条件で詩を作る際に、「淵」や「瀬」の意味(相手への思いの丈の深さに重ねられることが多い)が特定の時代や文化において積み重ねられた試作行為によって決定される。さらに、そのような歌が何首も詠まれていれば、意味は易々と理解されるし、特定の歌に依拠している事実が、表現の新たな襞として加わりもする。長年の詩的営為の積み重ねが、様々な規則や技法を約束事として定着させた

ドナルド・キーン訳

They say there is                                人は言う

A still pool even in the middle of            渦巻く激流のなかにも

Th rushing whirlpool—                         静かな淀みがあると――

Why is there none in the whirlpool of my love?   なぜ私の愛の渦にはそれがないのだろう?

古文の知識が皆無でも、水の流れが愛の喩であることに気づけば、この詩を解釈するには何の差支えもない。また、英訳と原歌を並記されていれば、「淵」と「瀬」の対比が表現しようとしているものも、自ずと演繹できる。英訳によって類歌のようなものが生まれ、双方を突き合わせることで理解が助けられる

 

l  誤解された「日本らしさ」

和歌の主題の王道は、人の心と、しばしばそこに重ね合わされる自然の景物であって、名歌とされるものには、ひたすら雅な言葉で、雄大な自然や深い感動を表現したものが多いが、世俗的な感情が、諧謔を伴って表現されたものが下記。英訳にもその点が強調される

おいらくのこむとしりせば門さしてなしとこたへて逢はざらましを よみ人しらず・古今集

If only, when one heard                 老いがやってくると

That Old Age was coming               聞きつけたときは

One could bolt the door                 扉に閂をして

Answer “not at home”                   「留守です」と応え

And refuse to meet him!                面会を断れたらよいのに!

キーンが5行に訳す。Old Ageが大文字になっているのは「老い」が擬人化。日本の文芸ではあからさまな擬人化は少ないとされる

日本人には個性がない、自己主張をしないと言われ、特に文化論の一環でよく引き合いに出される特徴だが、以下のキーン訳は何とも自意識過剰

世の中は昔よりやはうかりけむ我が身ひとつのためになれるか よみ人しらず 古今集

Can this world                              この世界は

From of old                                  昔からいつも

Always have been so sad,              かくも悲しいものだったのか、

Or did it become so for the sake      それとも私ひとりのために 

Of me alone?                               そうなってしまったというのだろうか?

 

l  翻訳からこぼれ落ちるもの

縁語や掛詞などの和歌に特徴的な表現は、翻訳されると半ば以上消滅

わびぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ 小野小町 古今集

So lonely am I                             私はあまりに寂しくて

My body is a floating weed             私の身体は根っこを切られた

Severed at the roots.                    浮き草のよう。

Were there water to entice me,       もし誘う水があれば

I would follow it, I think.                ついてゆくでしょう、きっと。

表面的には意を尽くしているが、第3句の「ね」で、「根」だが、涙にくれる詠者の「音()」であり、すでに絶えた恋人との「音」信、さらには一人寂しく「寝」ている姿さえ想起される

翻訳の限界であり、古典日本語が汲めども尽きぬ可能性を秘めていることの証左でもある

 

l  和歌と日本語の誕生

日本語の豊かな表現力はどのような経緯を辿って実現したのか

まずは漢詩からの影響。漢詩は模範と同時に刺激だった。その好例がひらがな

1段階は純粋な漢詩。日本人による中国語の詩だが、「書き言葉」として漢字が用いられた以上、本場の漢詩の要ともいえる平仄も日本では形骸化せざるを得ない。漢文訓読や素読が始まり、訓み下し文は声に出して読むことができるが、英訳の方が意味が分かり易い

2段階は、日本人による詩歌が文字によって記録され始めた7世紀前半。万葉仮名が用いられたが、読むのは難しい。雄壮な自然を大らかに歌う初期の万葉歌は翻訳し易い

3段階は8世紀半ばの仮名の発展期。万葉仮名で一字一音の関係が実現したが、中には「物申」や「夏痩」など漢語としてそのまま使われるものもあり、それぞれ「ものもうす」「なつやせ」のように滑らかに読むことができた。特に諧謔を志向する歌は、滑らかに読み下せなければ面白くないし、目で見てすぐに意味内容が共有され、笑いが起きるには、漢文に親しんだ万葉歌人にとっても、それが「日本語」であるに越したことはない

4段階になると、和歌は日本語の牙城となる

年のうちに春はきにけり一(ひと)とせをこぞとやいはむことしとやいはむ 在原元方 古今集

一字一音の万葉仮名を楷書ではなく連綿体(続け字)で、仮名として書かれているのが第4段階の必須の条件。各字の意味を度外視するどころか、その形状さえも巧みに効率化しながら綴られ、それまでの「日本語」では不可能だった高速の筆記を可能にし、ひいては高速の思考をも招来。ただ、同じ音に同じ字が用いられるとは限らなった(変体仮名)

高野切(こうやぎれ)は、11世紀中頃(平安時代中期)に書写された『古今和歌集』の現存最古の写本です。かな書道の最高峰として「古筆の王者」と称され、流麗で端正な書風が特徴です。元は20巻の巻子本(巻物)でしたが、後に切断され(断簡)、高野山に伝わったことからこの名がつきました

高野切の第一種と第三種は、筆跡(書き手)の違いです。第一種は力強くおおらかで「格調の高さ」があり、第三種は端整で清純・高雅な「女性的な美しさ」を持つ、かな書道の最高峰として手本にされる

 

l  序文に見る和歌の重要性

中国の伝統を淵源とする序文には2つの役割がある。テクストの来歴を正当化することと、時の指導者に敬意を払うこと

『古今集』以前の4つの勅撰/私撰漢詩集にもみな序文があり、淡々と日本の漢詩を「中国に端を発するもの」と定義し、「日本人もここまで漢詩を作るようになった」と書いている

初の勅撰和歌集である『古今集』の序文には、真名序と仮名序の2つがあり、漢文の真名序は従来の伝統をなぞるが、仮名序はそれを日本語に翻訳したかのような内容

序文を仮名で書くこと自体が異常事態で、私的な文芸に過ぎないはずの和歌を、勅撰という公的な制度の枠内で取りまとめ、あまつさえ仮名による序文を付したことは、いわば日本の文芸の、大陸からの独立宣言と見ることができる。2つの序を対置することで、漢詩と和歌の違いを浮き彫りにし、ひいては大陸と日本の文学観を対照させた

仮名序冒頭: やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。

真名序冒頭(読み下し文): ()れ和歌は、其の根を心地に託()け、其の花を詞林に発(ひら)くものなり。

仮名序は真名序を「和文化」したものとされるが、意味内容は完全には一致しない。真名序では、主語こそ「和歌」だが、「心地」や「詞林」といった表現は漢詩的な概念。それに対し仮名序では「やまとうた」や「言の葉」など当時としては新しい言葉を用いて、漢文的な文脈からの脱却を図っている。植物的な比喩の構造も厳密には異なり、真名序では心を起点に歌という花が言葉の世界に開かれるイメージだが、仮名序では心から直接に言の葉が生い茂る。この対比は、英訳を並べてみるとより明らかになる

仮名序: Japanese poetry has the human heart as seed and myriads of words as leaves. 日本の詩歌は人の心を種とし数多の言葉を葉とする

真名序: Japanese poetry plants its roots in the earth of the heart and produces its flowers in the groves of words. 日本の詩歌はその根を心の大地につけ言葉の森にその花を咲かせる

2つの序文には、全体を通じて微妙かつ重要な差異が散見される。それは、漢詩の伝統に沿いながら、その延長線上に日本独自の言語芸術としての和歌を確実に定着させるための、巧みに計算された差異なのである

長らく漢文独占されていた核という行為は、万葉仮名を経由し、ひらがなの成立に伴って、終に日本語の領域に取り込まれ、書くことと考えることの密接な関係を思えば、日本人が日本語でいよいよ複雑な思考を始める契機ともなったはず。ちょうどデカルトが『方法序説』をフランス語で書いたことが、近代哲学の創始と無関係ではなかったように

漢字と平仮名の関係を、ラテン語とヨーロッパ諸言語の関係になぞらえる言説は間違いで、

ラテン語と各国語は同じ文字を使用しており、文字を作るところから始まった日本語の書記行為は漢字文化圏に属していたからこそ追求され得たものであると同時に、そこから半ば独立することを可能とするほどに確固たる輪郭を持つ自国の文化(=詩歌の伝統)を抜きにしては到底完成されようがなかった

 

第三課 伊勢物語 塔のなかのプリンセス

l  歌から物語へ

時期、作者とも不詳。多くの書き手に書き継がれた125章段からなる「昔男」をめぐる物語

「昔男」の共通のモデルとされるのは在原業平だが、すべて同一人物という証拠はない

物語の中心は和歌。『古今集』から採られたものも多く、そこで添えられた長い詞書をさらに詳細な状況を補うような物語になっている

歌物語とは、歌と、歌人をして歌を詠ましめた状況とが、日本における散文の祖であることを声高に告げる形態なのだ。あくまで本質は「歌」と「その他のテクスト」でしかない

 

l  昔男と「受難」の花

リチャード・レイン訳では、冒頭「昔、男、初冠(うひかうぶり)して、春日の里に」の「男」を身も蓋もなく「業平」と明かしている。英語では主語を明確にすることが求められる

古典を英訳する際の課題は3つ、①本文の解釈にかかる課題、②意味の範囲にかかる課題、③コノテーション(共示、二次的意味)にかかる課題

本文の解釈にかかる課題では、「春日の里に、しるよしして、狩りにいにけり」の「しる」は、領有するという意味だが「知人、仲間」ともとれるし、「女はらから」も「姉妹」でも「親戚の女性」との解釈も成り立つが、英訳ではいずれかに決めざるを得ず、解釈の範囲も限定される

意味の範囲については、複合的な意味を持つ単語が文化的な重要性を帯びている場合が少なくない。「垣間見る」も、他人のプライバシーを侵害する行為ではなく、男女の恋を加速させる動作として、数知れぬ歌や物語を発生させる原動力となっている

コノテーションについてはもっと複雑。「信夫摺の狩衣」には古典の多くの意味が込められている。忍草を摺りつけて染める技法で衣はねじれた模様に染め上がるところから、『古今集』の源融の歌(陸奥の・・・・・)や、「文知摺石(もじずりいし)」の伝説なども含まれるが、英訳ではカバーしきれず、少しでもそこに言及しようとすれば英訳は長くなりがち。一方で、そんな局面こそ翻訳家にとっては創意工夫の見せどころ

コノテーション(Connotation)とは、言葉が持つ辞書的な意味(デノテーション)の背後にある、文化、感情、暗示的な「ニュアンス」や「含蓄」のことです。同じ意味の言葉でも、コノテーションによって肯定的(例: childlike)か否定的(例: childish)な印象を与えます。 

 

l  藤原高子とラプンツェル

「在原なりける男」の65段は、『伊勢物語』の全体を象徴するようなもの

大意は、「業平が身分の高い女に懸想して流罪となるが、忘れられずに幽閉された女のもとに通っては顔も合わせることのないまま逢瀬を重ね、一層切なさを募らせた」

英訳によって、原文はある程度まで文化的な限定から自由になり、古典的な物語の類型に近づき、英語圏で使われる言葉への置き換えにより、読者の理解を深める

閉じ込められた「蔵」の直訳より、「窓のない塔」と訳したほうが身近に感じられる

 

l  翻訳者の立場から考える

日本の現代語訳は、受験対策もあって、翻訳は品詞分解による文法の厳密な解釈に則って行われなければならず、訳文がちぐはぐとなってかえって分かりにくい

古典といっても、現代と地続きであって、ただの「過去」に過ぎない。英訳はそのことを分かり易く伝えてくれる。翻訳に際して重視される「原文を生かす」という価値観も、かなり限界があり、推奨しすぎれば、言葉にがんじがらめになり身動きが取れなくなる。翻訳をした瞬間に原文は消えてしまうという厳然たる事実を忘れずにいるべき

 

第四課 土佐日記 あらゆる「海」を越えて

l  日記文学の幕開

『土佐日記』は日記文学の第1号とされ、日本語における「漢字」と「仮名」の問題を考えるうえで最も重要なテクスト。「日記文学」という言葉自体撞着語法の見本。日記は個人の体験や心象を記録するものであるが、『土佐日記』は創作の紀行文で、目的はあくまで和歌を論ずることであり、その意味で『古今集』の仮名序の延長線上に位置づけることも可能

55日間の連続する記録だが、地名・人名は意図的に曖昧のままにされたと思われる

 

l  主人公は文字と歌

30代に入ったばかりで『古今集』の編纂にあたり、歌の世界の第一人者になったが、並の身分の貴族で働き続け、還暦を過ぎて土佐守となり4年の任期ののちに京に戻るときの記録を、同道する女房の立場から、匿名性をもって残したもの

問題は、作者が男性ということで、それは世間に知られていたと思われ、「男性が女性の立場で書いた日記」として世に問われたもの。その前例のない性質を喧伝することで伝えようとしたこととは、おおよそ文字の問題に集約できる。男手と呼ばれた真名ではなく、女手と呼ばれた仮名で書くということを宣言し、漢文の日記と仮名の日記との対立を強調

冒頭; 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」

ハリス訳(1882); Notwithstanding the fact that I am a woman, I mean to try writing a journal in masculine style. 女にもかかわらず、男性的な形式の日記を書く

同訳(1910再版); Notwithstanding the fact that I am a woman, I mean to try to write a journal just as men do. 男性がするのと同じように、日記を書くつもりだ

ジェンダー概念を、旧版では日記に関わるものだったが、再版では書き手に関わるものとなっている。原文でも書き手のジェンダーの方が前面に出ている

ポーター訳(1912); It is generally a man who write what is called a Diary, but now a woman will see what she can do. 女性にも何ができるものかと試してみる

サージェント訳(1955); Diaries are things written by men, I am told. Nevertheless I am writing one, to see what a woman can do. 女性の決意表明のようで力強い

マッカラ訳(1990); I intend to see whether a woman can produce one of those diaries men are said to write. 原文の意図を見事に再現している

複数の訳文を比較することで、『土佐日記』の書き出しが、「書くこと」および「書かれるもの」とジェンダーとの相関を問うものであることが、尚更明らかになるように思われる

 

l  書くことについて書く

『土佐日記』では書くという行為そのものに対する意識が随所で表現されている

新任の土佐守を迎えた宴では漢詩も詠まれたが、日記には「え書かず」とだけあるのを英訳では、漢文の素養を持つべからざる女性の書く日記である以上、女性に日記に漢詩の記録はできないと明記することで読者の理解を助けている

 

l  翻訳がつなぐ心

翻訳の問題にも触れているのは、日本文学で最初の例と思われる

安部仲麻呂が帰国の途につく時別れを惜しんで歌ったのが、「青海原(あおうなはら)ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」。その後鑑真とともに船に乗るが、難破して沖縄に漂着、また唐土に戻り生涯帰国が叶わなかった(鑑真のみ到着)。この句は、『古今集』の旅の主題を集めた羇旅歌の巻の幕開けを飾る

『土佐日記』の冒頭に近い場面で仲麻呂の体験が包摂されていることは、日記全体が仲麻呂という存在を明確に意識していたことの現れ。危険を冒しても故郷に帰ろうとする日記の一行にとって仲麻呂の宿命は恐ろしいものだが、それでも仲麻呂がしたように旅立ちを前にして歌を詠み、心を通わせる行為は、歌人にとって1つの理想

和歌に続く文章; かの国人、聞き知るまじく、思ほえたれども、言(こと)の心を、男文字にさまを書き出だして、ここのことば伝へたる人にいひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ賞()でける。唐土とこの国とは、言(こと)異なるものなれど、月のかげは同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。

マッカラ訳(1990); Nakamaro had feared that poem would be unintelligible to the Chinese, he wrote down the gist in characters and explained it to someone who understood our language, and then it received unexpectedly warm praise. They may have been able to appreciate his emotion, after all. Although China and this country use different languages, moonlight must look the same in both places, evoking the same human feelings. 歌の意味が伝わらないと仲麻呂が判断して、自分たちの言葉がわかる人に要点を説明したところ、賞賛を受けた

訳文は、必ずしも原文に忠実であることを旨とせず、「男文字」をあえてcharactorsと一般化して、和歌がunintelligible(理解不能)であり、それゆえに文字で要点を伝えたのだ、という文の組み立てにしている。理解不能な詩文を部分的に理解可能な文字に置き換えたのだということがすぐにわかるようになっている

漢字を吸収し、仮名を作り、男文字、女文字と呼んでそこに社会規範の境界線のような役割をさえ担わせていた当時の日本の様子を知らなければ、この場面は単に中国へ旅した仲麻呂の美談というような受け取られ方をしかねない

 

l  再び翻訳者の立場から考える

『土佐日記』の翻訳の難しさの1つに、諧謔の多さがある。笑いを誘う場面設定が多い

原文で読者が笑ったであろう個所で訳文の読者を笑わせるには、相当の工夫が必要

日本と大陸の文字や詩歌が対比されることろに、異文化の衝突という、本質的な主題が横たわっているが、英訳にした途端に異文化の差異が目に付きにくくなる

原文でテクストを読めることは一種の特権だが、英訳を対比することで原文への理解が一層深まり、本文を完璧に読みこなす一助となることも間違いない

 

第五課 枕草子 「名」の祝祭

l  和歌から随筆へ

『源氏物語』は「あはれ」、『枕草子』は「をかし」という日本文化を代表する感覚に溢れたテクストとして評価されるが、テクストの構造という点においては『枕草子』の方が興味深いし、特に英訳となるとほとんど不可能と思われるので、あえて『枕草子』を取り上げる

作者清少納言の名前は、「清原」という姓と、縁者の男性が「小納言」だったところから定着したとされるが詳細は不詳、生没年も不明。父は「梨壺の5人」の清原元輔(908990)

元輔の代表作は、「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」(拾遺集)

本歌は、「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」(よみ人しらず、古今集)

本歌の妙味が共有されていたからこそ、元輔の歌はそこに袖や涙といった表現の「約束事」を盛り込んでさらに意味を深化させたが、翻訳ではすべてを言い表すことは難しい

『枕草子』で象徴的なのが95段。藤原伊周の屋敷での歌会で、女房達が歌詠みに腐心しているなか、清少納言だけは中宮定子のそばで歌詠みに加わらない。伊周が詠めというと、清少納言は「お許しを得ています」と答える。中宮は「元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる」といい、清少納言は「その人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし」と詠み、「さもなければ真っ先に歌を詠んだでしょう」と応える

普通の文章を七五調で区切っているだけのようなこの歌は佳作とは言えないが、歌を放棄した清少納言に相応しい作品となっている

平安時代の宮廷にあって和歌を詠まないことは野暮の骨頂と見做されても仕方ないが、清少納言は和歌と引き換えに、後に随筆と呼ばれる表現形態の前線を開拓することになる

重要なのは、清少納言が和歌への反抗として随筆を「発明」したわけではないこと。むしろ和歌の仕組みを散文に応用することによって成り立っている。そのことはそのまま、清少納言が和歌を知悉していたことを証明するだけでなく、まるで和歌とは別物のように言われる日本の散文が、紛れもなく和歌を母体とするものであることをも証言する

 

l  山の物語

『枕草子』の約300の章段は4種に大別

「は段」――「山は」「川は」のように、「名詞+は」で始まるもの

「もの段」――「すさまじきもの」「にくきもの」のように、「形容詞+もの」で始まるもの

「日記段」――多く中宮定子に関わる、宮仕えの情景を描いたもの

「随想段」――以上のどれにも当てはまらない、随想的なもの

『枕草子』の本質と関わるのは「は段」で、その典型的な例は11段で、列挙された11つの山の名が、和歌を中心とする膨大な言葉のネットワークの結び目であることが英訳では全く無視、現代語訳にしても同様

清少納言は、和歌を解体し、再構築したが、和歌を知悉し、さらには柔軟な想像力にも恵まれていたからこそ可能な事業だったし、歌ことば11つに複雑に絡みつく膨大なコノテーションを、実に多くの人々が共有し得ていた時代だったからこその出来事

 

l  平安人にとっての和歌

同時代人にとって和歌が何を意味したのかは、『枕草子』のなかでもたびたび披歴される

特に21段は、『古今集』の歌の上の句だけを開き、下の句を答えるという遊びで、一番成績のよかった者ですら10首程度とある

一方で、左大臣が姫君に、字と琴と『古今集』の歌の暗記という3つの教訓を与え、姫君が長じて女御となった時、帝がそれを試そうとしたが、20巻すべて覚えていたという

こうした歴史的記述は翻訳でも支障ないが、肩書や役職、建物の名前などの訳にあたっては、英語圏で一般的に使われるものに置き換えることで相似性のある文化の物語に工夫

 

l  「をかし」を擁護する

本居宣長は、「おかしきもあはれの中にこもれる。人の情のさまざまに感(うご)く中に、おかしき事うれしき事などには感く事浅し、かなしき事こひしきことなどには感くこと深し。故にその深く感ずるかたを、とりわきてあはれといふ事ある也」といい、人を愛し、あるいは愛を失って人生の意味を求めて煩悶するような行為の方が高尚とする。それに従えば、「をかし」を訳せばfunnyのような軽薄な面白みを指す言葉になろうが、「をかし」をそのような単純な感情に括ることはできない

11段は山の名前を羅列したもの。いくつかの山に対して「をかし」と論評する

「かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ」→”I wonder how it stands aside!”

「かたさる」は身を引く意で、英訳の後半に説明が加えられているが、それでも山の名前との関連性が見出せるとは思えないから、文意を汲むことは難しい

「あさくら山、よそに見るぞをかしき」→”I like the line ‘now looks askance at me’.

訳文は「私を訝しげに見る、というくだりが好きだ」という意だが、主語を取り違えている。原文の「よそに見る」の主語は私だが、訳文は山を擬人化した文章と捉え、背景にある和歌などは考慮に入れていない

「をかし」の語源は、「痴(をこ)」の形容詞化したもの。「可咲(をかし)」とあり、笑うべき様をいうのが原義だが、「招(をく)」の形容詞化したもので、手元に引き寄せて賞玩する意とも

後者については、和歌の「手折(たを)る」という概念とも無視できない親和性がある。「手折る」とは文字通り「手で折る」ことだが、物理的に折ることではなく、折ったものを手元に置いてじっくりと観察したうえで、詠歌の対象とする。和歌を詠むための不可欠の感覚

感興をもたらすゆかしき山の名前の羅列も、必然的に読者(=歌人)の霊感を刺激し、その言葉に残る詩的な痕跡を読み解かせる。その脱構築と再表象の過程こそ「をかし」なのだ

 

l  「開かれた構造」の見本市

『枕草子』は後世において頻々とパロディ化されており、現代に入っても語り直しが絶えないが、いずれも「若い女性による、鋭い観察眼を活かした日常生活への批評」という構図は一致。「開かれた構造」という普遍性故に、現代でも多くの小説がその手法を踏襲

300ほどの章段には一貫性がなく、どのような順序で読んでも構わない

自由度の高い章段を、それぞれの読者の判断で並び替え、解釈を加えた時に、どれほどの可能性が発揮されるか、考えただけでも翻訳不可能性を突きつけずにはいない

『紫式部日記』の人物評が並ぶ個所に、両者の「ライバル関係」の証左とされる文章がある。

「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」とかいて、清少納言が女性でありながら賢しらに漢文を書いて得意になっているが、漢文の誤りがあることを指摘するというのは矛盾した論法だが、論理が疎かになるほど気にかかったということなのだろう

『枕草子』は、宮廷の女房である書き手が個人の美意識を肯定しつつ、時に事象の「名」を巧みに組み合わせて詩的言語の仕組みに切り込むというテクストであり、当時の教養ある人々がどのように世界を眺め、和歌を中心とする文芸によってその世界をいかに表現したかを如実に示してくれる

 

第六課 徒然草 かぎりなき欲望

l  数寄者の文学

『徒然草』は全体として『枕草子』と重なり合う部分が多く、そこにこそテクストの本質が現れているように思われるので、続けて論じるべき

俗名の卜部兼好(うらべかねよし)や通称吉田兼好は近世以後に定着したもの、根拠も不明

兼好は、官吏、30歳前後で隠者、歌人、随筆家。吉田社を預かる家門の庶流の生まれ

詠歌を活動の中心とし、師は二条為世。門下の「和歌四天王」の1

代表作; ()枕の野べの草葉の霜枯に身は習はしの風の寒けさ (新続古今集)

『徒然草』を成立せしめているのも、和歌によって培われた思想や表現力に他ならない

「数奇者」ぶりが透けて見えるのは、乱世へと傾斜してゆく武力の時代に、個人の美意識を貫き、ひたすら静謐の中に理想を追求するには、風流を通り越した奇矯な精神が要請されたからなのだろう

 

l  儚き理想

本文のどこを見ても、「よけれ」や「あらまほしき」など、願望を内包する言葉が目につく

7段本文; あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟(けぶり)立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ

ジョージ・サムソン訳; Were we to live on for ever—were the dews of Adashino never to vanish, the smoke on Toribeyama never to fade away—then indeed would men not feel the pity of thing. Truly the beauty of life is its uncertainty.

「かげろふ」の訳語に科学的にも正しい昆虫の名前ephemeraを当てているが、ephemera1日で成虫としての使命を終るカゲロウはもちろん、1日で花を落とす植物などを指して使われてきた語。「もののあはれ」やその源の1つとも言えそうな「かげろふ」に人間らしい心を託すのは、一見どこまでも東洋的、日本的な発想ではありながら、実際には洋の東西を問わぬ、人類に普遍のものといっても差し支えなさそうである

エフェメラ(ephemera)は、本来は「1日だけの」「短命な」という意味のギリシャ語に由来し、ポスター、チラシ、チケット、手紙など、本来は長期保存されずに使い捨てられる印刷物や紙資料

 

l  文人兼好

序段; つれづれなるままに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ

サムソン訳; To while away the idle hours, seated the livelong day before the inkslab, by jotting down without order or purpose whatever trifling thoughts pass through my mind, verily this is a queer and crazy thing to do!

何とはなしに言葉を書きつけるという、一見珍しくもない行為を、狂気の沙汰と定義しているのはなぜか。『枕草子』の後裔としての『徒然草』の性質に注目

『枕草子』には、せっかく積もった雪が雨で消えてしまうといって、夜も寝ないで嘆いているのを見て、周囲の者たちから「ものぐるほし」と笑われている描写や、猛暑をやり過ごす方法を考えている時に、過行く牛車を眺めながら牛の糞の匂いに惹かれている自分に気づき、そのことに対し「物ぐるほし」と述べた場面があり、いずれも対象に熱中するあまり飛躍してしまう心理を「異常」と断じている。兼好が清少納言に強く惹かれ、『枕草子』を規範と仰いだのも、少なからずその「異常でありたい」という欲求ゆえであろう。だからこそ兼好は、「物を書く」という本質的な行為を、「物ぐるほし」と評価して憚らない

「もののあはれ」があらゆる事象に感情の源泉を見出すなら、「ものぐるほし」はあらゆる事象に狂気のきっかけを見出すのである。世界にのめり込み、徹底的に解剖しようとするその恐ろしいまでの貪欲こそ、『徒然草』に横溢する願望の正体ではないか

 

l  生身の欲望

願望は人間臭さを伴うが、それは当人には深刻でも、第三者から見れば滑稽。その例は;

11; 神無月の比(ころ)・・・・遥かなる苔の細道ふみわけて、心ぼそく住みなしたる庵あり。・・・・かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に大きなる柑子(かうじ)の木の、枝もたわわになりたるがまはりをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。

マッキニー訳; “Ah!” thought I, “In such a place a man can spend his days.” But as I stood and gazed in wonder, I perceived in the garden beyond a great orange tree, its branches weighted down with fruit. It was strongly closed in on all sides by a fence. This broke the spell, and I thought to myself, “If only that tree had not been there!” 「これで魔法が解け私は考えた。あの木さえあそこになければ!」

 

l  速記に至る文学史

『徒然草』では、今日とさほど変わらない「書き言葉」が使用されている

和歌という形式を揺籃として出発した仮名は、和歌の約束事や美意識から隔絶した場所ではその機能を十分発揮できなかったが、時代を経るに従い、日本人がその思うところを日本語で書き記す速記性を帯びた文字だったところから、人の心や自然を主題とする詩歌の範疇に縛られることなく、漢文の領域だった「事実」についても書くことができるようになった。それに伴い三十一文字という限定も外れ、和漢混交文や漢字かな交じり文に発展し、「歴史物語」の出発点にもなった

 

第七課 方丈記 迫り来る現実

l  防災文学論

冒頭; ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

キーン訳; The flow of the river is ceaseless and its water is never the same. The bubbles that float in the pools, now vanishing, now forming, are not of long  duration: 原文の理解の助けとなるような訳文が多い

家や人間に寿命があることを実感させる災害という極めて現実的な事象こそ『方丈記』が描くものであり、世の儚さを憂う『方丈記』の哲学の軸となっているのが一連の災害

今日の賀茂御祖(みおや)神社の神官の子として生まれた長明は源俊頼の子俊恵に和歌を学び、『千載和歌集』にも入集。定家とも交流があった。神官にならずに出家、方丈に隠棲

長明には、歌論書や仏教説話集などもあり、『方丈記』を読み応えあるものにしているのは、巧みな描写やメリハリの効いた起承転結など、説話に通ずる語りの手法でもあるだろう

 

l  ルポとしての『方丈記』

次々と襲いかかる厄災を語りの原動力としている『方丈記』には、野心や欲望を胸に秘めながらも日々の小さな生活を守ることに追われる、健気な人間たちの姿が絵巻物のように描かれる。まずは火災、辻風、遷都

「安元3年」を「1177年」とし、「死者数十人」は他の流布本などから「数千人」と大げさに

辻風の記述では、吹き飛ばされた距離をヤードに置き換え

福原遷都では、庶民に寄り添った記述で、俄かに通りの家々が解体され、大急ぎで造成された新しい都へと運ばれたものの、治安も悪く、生活基盤を失った人々はさらに追い込まれていく。その結果として人々の間から立ち上ってくるのは政権への不満

 

l  冷静な「科学的」思考

1185年の大地震についても細かい描写があり、余震についても言及

キーン訳では、他の写本に見られる情報をも訳文に取り込んでいるのは、残酷とも思えるエピソードを取り込むことで、ルポとしての『方丈記』の特徴を際立たせようとした

 

l  新世代からの関心

災害の恐ろしさなどについては、市井の人々に寄り添った率直な感想を述べている

そこには言語面の特徴として、和漢混交文が論理的な表現を盛り込むことを容易にしている側面もある

夏目漱石の英訳もある。冒頭部分は; Incessant is the change of water where the stream glides on calmly: the spray appears over a cataract, yet vanishes without a moment’s delay.

漱石と熊楠といった新時代を代表する知性が、古典作品を英語で再創造するという試みに際して、共に『方丈記』を選んでいることは興味深い

 

第八課 無名草子(むみょうぞうし) 女のしわざ

l  名前のないテクスト

『無名草子』は1200年頃に俊成卿女(むすめ)によって著されたとされるが、確証はない

いつ、どこで、誰によって書かれたかもわからず、題名さえ不明

過去の書物を批評する書物。当時の人々がどのようなテクストと向き合い、そこに何を見出したのかを伝えてくれる。書籍の形で刊行された英訳はなく、わずかにミケーレ・マッラが論文誌への分載という形で全訳を残している

 

l  つながりあうテクスト

幕開けは83歳の老尼。仏道に入りながら、悟ることも安楽を得ることも出来ずに、悲観的な思考を続け、老いへの悲嘆を呟くが、文章には和歌を連想させるフレーズが随所に見られ、より普遍的な、限りある人生に対する情念を織り込むことを可能にしている

同時に、いくつかの表現を引用することで、老尼の置かれた文化的状況と精神状態とを、明確に規定することに成功している。他のテクストとの相互関係によって埋め合わせようとするかのよう

 

l  異界への出発

原文; うれしくて歩み入るままに、御堂の飾り、仏の御さまなど、いとめでたくて、浄土もかくこそと、いよいよそなたにすすむ心も催さるる心地して

孤独な老尼は景勝光院に足を踏み入れ、にわかに心を和ませる。寺院を後にして見渡すと、古びた檜皮屋(ひわだや)を見つける。次々と現れる外部からの刺激に心を奪われた老尼は、今や異界に足を踏み入れている。異界への侵犯は、人類の根源的な願望

 

l  語り部の消失

檜皮屋で老尼を迎えたのは美しい3,4人の女房は、老尼に若い頃のことを訪ね、老尼は宮中にいたことを話すと、あとは老尼そっちのけで女房たちは会話に夢中になる

『無名草子』の顔をもたない語り手は、老尼になったり女房になったり、場面毎に変わる

 

l  女房たちの「百科辞典」

原文; 花、紅葉をもてあそび、月、雪に戯(たはぶ)るにつけても、この世は捨てがたきものなり。(「捨てがたきふし」の冒頭、以下8つの項目について詳述)

「花/紅葉」:月や雪とともに見る花。風情がある者もない者も、風流を理解する者もしない者も、等しく美しく思うだろう

「月」:その美しさはなおさら。秋や冬の、月の明るい晩は、だれしも心が澄み渡る・・・・

「文」:手紙は素晴らしい。遥かに離れ、何年も会わなくても、手紙を見ればまるで今面と向かって話しているような心地がする・・・・

「夢」:捉えどころのない、儚いものだが、夢の道では昔の逢瀬の相手にも会える・・・・

「涙」:無骨な武士にも優しい心を目覚めさせるのは涙、心の内を明かすもの・・・・

「阿弥陀仏」:極楽浄土の主で、これほどありがたいものはない・・・・

「法華経」:読むたびに驚くばかりに新鮮な心地がする・・・・

当時の女房たちは、どの時代のどの文化と比較しても遜色のないほどに「百科辞典」の共有に成功していた。それは理性の結晶であろうとする百科全書とは異なり、より有機的な、開かれた辞典であった。それゆえ前記8つの項目は、価値観の中枢をなすにふさわしい事柄として、多くの読者に親しく呼びかけたと考えられる

名詞から連想を引き出すプロセスこそ、『枕草子』の表現の骨子(第五課「山の物語」参照)であり、その手法は後の太宰に引き継がれ、彼の十八番だった

 

l  「モデル読者」の群れ

「百科辞典」によって世界観を緩やかに定義したのち、女房たちは愛してやまない物語についての議論を始める。全体の7割を占めるこの部分が『無名草子』の中心であり、このテクストが「日本初の物語批評」と呼ばれる所以

まずやり玉に挙がったのは『源氏』。以下20の物語について語り合う

書き手が想定する「モデル読者」としての女房たちの姿が明らかになる

『無名草子』では、性差も大きな主題となっている。「女の、女による、女のためのテクスト」という側面があり、男性を締め出そうとするかのような節さえある

 

l  女の園

女房の1人が「俊成のように歌集を撰んでみたい」といったのを契機に、「女の身でいるほど口惜しいことはない」と女房の不満が爆発する

古来、女性を抜きにした文学はあり得ないし、作者が性を装った作品も少なくない

その後、尊敬すべき女性の名を挙げて評価

 

l  翻弄する老尼

物語の後半、女房たちの議論が始まる頃には寝入ってしまった老尼が、突然目が覚めて聞き耳を立てるが、そのまま寝たふりをしているとの記述が飛び出す

最後のテクストは、1人が「女性のことばかり話して、男性について触れていないのは、人聞きが悪いでしょうね」と言ったのに対し、もう1人が「男性についてなら昔の帝から始めるのが順当だが、『世継』『大鏡』以上に付け加えることがあるだろうか」と言い、最後は終止符の「。」もなく宙ぶらりんで物語が終わっている

『無名草子』が「女の論」であることを見事に証明する幕切れだが、それ以外にも語り手による読者への働きかけが隠されているともいえる。これも『無名草子』の特徴の1

 

l  テクストの断絶

このテクストの強引な断絶が生み出すものは、強大な遠心力

 

l  世界に先駆けた「ジェンダー」への意識

ジェンダーに対する意識が如実に表れているのが、女房の不満が爆発した以下の個所

原文; 「いでや、いみじけれども、女ばかり口惜しきものなし。昔より色を好み、道を習う輩(ともがら)多かれども、女の、いまだ集など撰ぶことなきこそ、いと口惜しけれ」・・・・

マッラ訳; ‘There is nothing more deplorable than the fate of being a woman. From olden times there have been many of us who have loved emotions and studied the arts, but no woman has ever been chosen to compile a collection of poetry. This is really a great shame.’

伝統の担い手であったはずの女性たちの不遇を疑問視する鋭い批判が横溢する『無名草子』は、来るべき時代への希望の書であり、その社会的な意識は、明らかに女性たちの近代的自我の目覚めを記念してもいるだろう

1000年前の日本に、すでにジェンダーの不平等に対して声をあげていた女性たちがいたことは、もっと知られてよいはず

時代・文化を易々と超える普遍的な価値観を探求するためには、当然ながら積極的に異なる時代・文化のテクストに触れなければならない、それこそ翻訳の大きな役割であり、母語である言語で書かれているはずのテクストでも、翻訳という過程を経由することで、初めてその普遍性に気づくことができる場合は決して少なくない

 

課外授業 フローラ・ベスト・ハリスと三つの『土佐日記』

l  ハリスという先駆者

日本の古典文学が本格的に海外に翻訳・紹介されるようになるのは19世紀後半だが、いつ、どこで、誰によって、どのように翻訳されたのかは、分からないことが多い

ハリスは、忘れ去られた翻訳者の1人。最も早い時期に『土佐日記』を完訳したのみならず、1882年、1891年、死の翌年の1910年と3度も英訳しているが、履歴は不詳

 

l  日本への船路

ハリスは1850年ペンシルバニア生まれ。宣教師の夫メリマン・ハリスとともに’73年来日、函館に赴任。札幌農学校のクラークの依頼で、生徒の信仰を導き、内村も新渡戸もメリマンに洗礼を受ける。妻ハリスも女子教育に尽力、基礎を確立した遺愛学園は現存

病弱のハリスは帰国して出産、日本に戻る船中で嬰児が急死。それだけに、「亡児哀悼」を大きな主題の1つとする『土佐日記』に触れた時の感慨は大きいものがあったろう。土佐守の娘も帰郷の機会が訪れる前に亡くなる

本文挿歌; みやこへと思ふをもののかなしきはかへらぬ人のあればなりけり

ハリス訳;

Toward far Miyako turning                   遠い京へ向かういま

Thought moves with eager yearning     心は望郷に動かされる。

Yet grief blends with our lot,                しかし私たちには悲しみもある、

For One returneth not.                       帰らない者が1人いるのだから。

ハリス訳の特徴として、日本文化を海外に伝えるために工夫を凝らすというより、むしろ西洋の文学の伝統に則りながら翻訳を行っていることが挙げられる。歌言葉のコノテーションの側面を度外視して、あえて脚韻を重んじる西洋詩の方法に乗せて、意味内容の伝達を第一義としている

 

l  第一の英訳と日本との別離

日本に戻った後、東京に居を移し、青山女学院の前身である海岸女学校の教師となる。日本語の能力は高く、最初の『土佐日記』の英訳を親日派の英字新聞に投稿したが、署名はイニシャルのみ。直後に療養のため帰米。オークランドで日系人女性の支援活動に従事。1903年に再来日

 

l  第二の英訳と日本への思い

最初に書籍の形で上梓されたのが『Log of a Japanese Journey from the Province of Tosa to the Capital』。刊行は1891年、米社からで、翻訳の出来に対してあくまで謙虚

 

l  第三の英訳と日本での永住

1909年の死後、寡夫のメリマンが妻への供養として、未完に終わった第3の『土佐日記』を銀座の教文館から出版

1899年、ウィリアム・ジョージ・アストンが『日本文学史』を出版。『土佐日記』も取り上げ、解説に抄訳を散りばめた要約の形で収録。ハリスはそれを参考にし、さらに青山学院の別所梅之助の助けも借りて、訳文を遂行したうえで再刊を目指していた

 

l  ジャパノロジストとしてのハリス

社会的には、ハリスはあくまで「著名な宣教師の妻」であり、教育や慈善にも活発に活動しており、文学者としてのハリスは評価の俎上にも上らないが、日本を愛し、自らの生涯を『土佐日記』の登場人物たちに重ね、いわば究極の自己表現として、歴史上初めて『土佐日記』を英訳。その意味でハリスは個人的なジャパノロジストだった

 

後記

言語という横軸に対する、時代という縦軸にも意識を向けてみれば、言葉という海の深さをなおさら味わることができるはず、ということを期待していた

 

 

 

 

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千年前のことばをもっと自由に読み、操るための、新しい古典文学入門。

「もののあはれ」のいわば「言い出しっぺ」である貫之にとっても、「あはれ」とは何となく「あはれ」としか言いようのないものであった!?

言葉について突き詰めようとすると、私たちはしばしば行き止まりにぶつかってしまう。抽象度の高い言葉はなおさら難しい。その時に補助線として、日本語に対する理解を、英語で深めようとしてみたらどうだろう。

歴代の翻訳者たちによる「もののあはれ」の解釈を導入に、俳句、和歌、『伊勢物語』、『土佐日記』、『枕草子』、『徒然草』、『方丈記』、『無名草子』を取り上げ、日本語や日本文学の特徴について考える。

まず自分ならどう翻訳するか考えてみるところからはじめよう!

 

【本書は、必ずしも翻訳実践のための訓練を念頭に置いたものではない。本書の目的はあくまで、日本の古典文学を愛し、その魅力を海外に伝えるべく努力を重ねた先人たちの苦悩の跡をたどりつつ、日本語や日本文学の特徴について考えることである。だが翻訳を経由する以上、英語への理解が深まることは言うまでもないし、翻訳を実践するうえでのヒントが得られることもむろんである。日本語や日本文学のみならず、英語学習や、東西の文学の比較などに関心のある読者にも、本書が有益であると自負する所以はそこにある。】...「予鈴 英語で「もののあはれ」」より

 

 

 

書評『「もののあはれ」の訳し方』大野ロベルト著

英訳で深まる古典の味わい

202637 日本経済新聞

比較文学者デイヴィッド・ダムロッシュは、文学は翻訳を通して豊かになりうると述べた。ニュースやビジネスメールのような情報伝達の翻訳では、表面の内容を過不足なく伝えることが重視される。それに対して、文学はニュアンスや比喩、音、文化的背景なども重要であり、訳すにはそうした多層性を最大限表現できる言葉を選び取る必要がある。するとその過程で、異文化を通した作品の解釈や両言語間の比較が求められ、作品には新しい読みが見出(みいだ)されうる。つまり翻訳とは、異文化という鏡を通して作品の未開拓地に光を当てる、創造的な行為なのだ。

(文学通信・2530円) おおの・ろべると 法政大教授。日本文学が専門。著書に『紀貫之』。大野露井名義で文芸作品の翻訳も手がける。

本書はこうした翻訳観に立脚しながら、英訳を通じて日本古典を味わう。著者の大野ロベルトは古代から近代まで幅広く日本文学を研究しながら、多数の言語の翻訳も手掛ける文学者であり、本書の題材も幅広い。

例えば松尾芭蕉の「閑(しづか)さや岩にしみ入る蟬(せみ)の声」という俳句がある。本書に掲載された二つの英訳を見ると「岩」にはrockstonesという別の訳語が当てられている。一方は単数形、もう一方は複数形だ。

大野はこの差に着目して、前者の場合ひらけた空間に巨岩が鎮座し、後者は石庭のようにいくつかの岩が散在している様子が浮かぶと指摘し、その上でそれにしみ入る虫の声も一極集中かサラウンドか、響き方が変わってくると述べる。元の文章を読むと複数形の方が近しいかもしれないが、単数形も誤りとは言い切れない。どちらの解釈を選ぶにしても、もう一方の解釈を検討してからのほうが格段に味わいは深くなる。こうした新たな読みの提示が英訳の一つの効用だ。

とは言え日本文学なら日本語だけで読めば十分と考える方もいるだろう。本書でも強調される通り、言葉は常に変化している。表題にもある「もののあはれ」は古来多くの研究者によって論じられてきた。彼らは自分たちの言葉を用いて、その意味を手繰り寄せていた。すると当然そこには、平安時代にはなかった言葉や概念が入り込まざるを得ないし、多数の外国語の影響もあっただろう。言葉の解釈とはそういうものだ。ならば我々は翻訳という新技術を活用しない手はない。先人には出会えなかった未知の読みが待っている。

《評》作家・書評家 渡辺 祐真

 

 

 

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