美術館強盗事件簿  Philippe Durant  2026.4.3.

 2026.4.3. 美術館強盗事件簿 10ヵ国10事件の顛末

Cambriolages au musée: 10 vols 10 pays          2024

 

著者 Philippe Durant 1960年、北仏のリール生まれ。ジャーナリストおよびラジオ番組の司会者として活躍。映画史に造詣が深く、シモーヌ・シニョレ、アラン・ドロン、ジャン゠ポール・ベルモンドの伝記を執筆。小説家として第二次世界大戦を背景とするスリラーを二冊、シナリオライターとしてサン゠テグジュペリやハワード・ヒューズを主人公とする漫画を刊行している

 

訳者

神田順子 フランス語通訳、翻訳家。訳書にピエール・ラズロ『塩の博物誌』、ベルナール・ヴァンサン『ルイ16世』、ジャン=クリストフ・ビュイッソン他『王妃たちの最期の日々』、プティフィス『世界史を変えた40の謎』、ジャック・エリュール『プロパガンダ』など多数。

田辺希久子 出版翻訳者。元神戸女学院大学教授。訳書にケン・ブランチャード他『新1分間マネジャー』、アンヌ・フェルダ『世界史を変えた女性指導者』(共訳)など多数。著書に『英日日英 プロが教える基礎からの翻訳スキル』(共著)など。

 

発行日           2026.1.30. 第1刷発行

発行所           草思社

 

 

序章 名画盗難の歴史

最初の美術品大泥棒は歴史上の偉人たちであり、戦略品として掠奪され、美術品には権力の象徴としての価値および商品価値があることを証明した

1876年、ロンドンのサザビーズで、ゲインズバラの《デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナの肖像》が1万ポンドで落札。新オーナーはウィリアム・アグニュー、ロンドンの画商

帰属を詐称していたアダム・ワースがこの絵を切り取る。売り捌くことはできず、自ら持ち歩いて愛でる楽しみを満喫。美術館強盗という新たな犯罪の扉を開く

20世紀初頭には夜間に忍び込んで盗むのは危険過ぎるとして、白昼堂々と盗み出されるようになったり、19世紀のイタリアでは、美術品の国外流出に神経を尖らせたイタリア政府の規制をかいくぐるため、資金繰りの逼迫した美術品蒐集家が自らの絵を盗難に見せかけようとして捕まっている

 

²  モナ・リザの奇妙な旅――パリ、1911

ルーヴルの常連で自らもそれなりの名声を享受する画家の青年ルイ・ベルー

ルーヴルでは、画家が一般入場者よりも先に入館できる特権がある

ルイが目指したのは、サロン・カレ(正方形の広間)にあるダ・ヴィンチが謎めいた微笑みをたたえた女性を描いた作品であり、かつてはフランス王家のコレクションに含まれ、ルイ16世が斬首されて王制が廃止となったのち、この絵はルーヴル入りした。ラ・ジョコンダ(ジョコンドの妻の意)もしくはモナ・リザと呼ばれている絵。4年前の他の絵画の損傷事件をきっかけに保護措置が取られ、純粋主義者の反対を押し切って、ガラスで覆われた

部屋には何人もの職人が改修工事のために出入りしていたがモナ・リザだけが消えていた

l  大騒ぎの始まり

ルイはモナ・リザがないので、警備班長に会いに行く。いくつか可能性を探った後監督官庁に報告をあげる。報告は警視総監から、内務大臣へと上がる

ルーヴルの見学者を退去させるのに3時間ほどかかる。そのあと全館の捜索

前日が休館日だったが、300人ほどが出入りしており、全員を取り調べ

l  犯行の跡をたどる

主任学芸員は、手薄な警備体制のせいだとし、監督官庁の失態だと責任を転嫁

l  広がる波紋

午後にはマスコミに発表

美術担当の政務次官名で告発状が提出され、予備判事が任命され、捜査の指揮を執る

l  犯人捜し

有力な手掛かりもないまま、まずは犯行時間を特定することとなり、休館日当日館内にいた人間の尋問から同日の午前7時半から8時半の間であることが判明

政治問題に発展し、責任追及が行われる

絵を壁から外すのに特殊な技術と知識が必要、「スペシャリスト」の犯行以外あり得ない

l  証言

証言が相次いだが、どれも決め手を欠く。国境が封鎖され、あの絵のサイズのオブジェを隠すことが可能な荷物はすべて検査

ルーヴル友の会のメンバーだった政治家で演劇人のロシュフォールは、100万フランの懸賞金を提供し、権限がないにも拘らず、一切罪は問わないと太鼓判を押す

l  大山鳴動して鼠一匹

捜査は難航。手口さえつかめず

国立美術館・博物館局長が解任、数名の警備員も怠慢を問われ懲戒処分に

l  日常を取り戻す

5日後ルーヴルは再オープン。大入り満員となり、全員がサロン・カレのラ・ジョコンダの「不在」を鑑賞。予審判事もルーヴルの執務室をたたんで司法宮に戻る

l  無実の被疑者

時間がたち、ラ・ジョコンダ事件は影が薄くなり、やがて新聞・雑誌から消え去った

l  古都フィレンツェ

フィレンツェの骨董屋の主人宛に手紙が届き、ラ・ジョコンダの売却が持ちかけられた。絵を返却する意図はあるが、手元不如意なので「見返り」が欲しいという。ウフィッツィ美術館の主任学芸員に相談、警察に届ける代わりに、自分たちで解決しようと、手紙に返事を出し、フィレンツェで本人と面談。本人は、もともと絵のあったイタリアの美術館に50万リラで売却したいという。条件を吞んで現物をウフィッツィ美術館に持ち込んで鑑定した結果は、本物に間違いないことが判明。すぐに警察に連絡し男は逮捕

l  ルーヴルへの帰還

191312月、新聞は大ニュースを報道。現物の保存状態は完璧。犯人の氏名は明かされず、パリ在住のイタリア人とだけ書かれた

その後、犯人の名はヴィンチェンツォ・ペルッジャで、1881年イタリアのコモ州生まれ、ルーヴルで働いていたペンキ職人で、犯行当時尋問されたが指紋登録の呼び出しには応じておらず、警察も見逃し。以前にも複数回逮捕歴があった。今回絵を保護していたガラスの上で発見された指紋とも一致、完全に警察の失態であり、指紋検査の専門家の面目も丸潰れ。ペルッジャは、ナポレオンがイタリアで犯した「掠奪」に憤りを感じ、ダ・ヴィンチがこの絵をフランソワ1世に献上したことは知らないまま、イタリアにつれ戻せばお国のためになると考えたという。犯行の手口は単純で、たまたま無人だったサロン・カレの壁から外し、上っ張りを脱いで絵を覆い隠し持ち出す。扉を開けてくれた職人などが当時尋問で犯人の逃走を裏付ける証言をしていたが、警察は1つのストーリーとしてつなげることはできなかった。ペルッジャは、絵を木箱に収めたまま自宅の小さなアパートで一緒に寝起きしていた。イタリアでの裁判は、絵が無事に戻ったことと、動機が愛国心にあったことが好印象を与え、1年と15日の禁固刑で済み、それもすぐに7か月に減刑

絵はミラノとローマで展示され、ローマでは国王がモナを表敬訪問。仏伊両国の友好を強調して、厳かにフランス大使に引き渡され、19141月からルーヴルに復帰。フランス政府はウフィッツィの学芸員と骨董屋に勲章を授与。その6か月後第1次大戦に突入

1年半後、仏紙にペルッジャの供述内容が掲載されたが、すべて当時の尋問で警察が聞き出していたことが裏付けられた

 

²  ワーテルローの英雄――ロンドン、1961

初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーはイギリスが誇る伝説的人物

ワーテルローでナポレオン帝国の幕を引いた後、解放に感謝したスペイン政府がゴヤをウェリントンのもとに送って3枚の肖像画を描かせる。1枚はその後手が加えられ公爵が授与された最新の勲章2つが描き足された。この絵を贈られたウェリントンは、兄嫁のウェルズリー公爵夫人にプレゼント。公爵夫人は妹のルイーザ(7代リーズ公爵の妻)に譲り、1961年に第11代リーズ公がサザビーズの競売に掛ける

l  石油の重み

国民的英雄の肖像画の競売に対するイギリス国民の怒りをよそに、競落はすぐに決まり、アート界隈の有名人でメトロポリタン美術館の顧問も務めていた米スタンダード・オイル・オブ・カンサスの社長チャールズ・ライツマンが14万ドルという高額を提示して、すぐに落札と決まったが、英雄の肖像画の国外流出に怒った大衆の反発を懸念したライツマンは、絵がイギリスに留まることを受け入れ、返金を要求するも、リーズ公爵は絵は自分の所有物ではないと主張し返金を拒絶。数か月後、ウルフソン財団が10万ポンドを出し、残りをイギリス大蔵省が出すことでようやく決着、絵はナショナルギャラリーの眼玉の1つに

l  懸念の重み

売り立てでの高額競落が尾を引き、美術品の盗難が増え、各地の美術館は対策に腐心

ナショナルギャラリーでも未解決の盗難事件を抱えていた

l  驚愕の事態

8月の朝、突然肖像画が消え、皆が驚愕。絵は63x51cmと小振りだが、誰にも気づかれずに館外に持ち出すことは考えられない。公開からわずか19日後のこと

ちょうど50年前のモナ・リザ事件と酷似

l  錯綜する手がかり

多くの情報提供があったが大半が徒労に終わる中、事件直後から継続的に同一人から大文字だけの手紙が来ていて、14万ドルの慈善団体への寄付と免責とを引き換えに返還するとの申し出があったが、警察は無視し続けた。'65年の手紙では、有料で1か月間展示され、入場料収入を慈善事業に寄付するという条件と引き換えに返還するとあり、捜査の終結を求めるともに、リスクが大きく金銭的な見返りが皆無なので今後模倣犯は現れないだろうと書かれていた。持て余した警察が手紙の公表を決断。デイリー・ミラー紙は単なる公表に留まらず、自ら展示して入場料を寄付するとして犯人に絵の提供を呼びかけたところ、バーミンガムの駅の荷物預かり証同封の手紙が来る。警察とともに駅に向かうと、2週間前から預かっていたという木箱で、遅延追徴金を払って開封すると丁寧に丸められた1枚の絵が出てきた。ナショナルギャラリーのエキスパートが本物であることを確認

l  公爵の帰還

荷物預かり係の記憶から似顔絵が作成され配布された

ミラー紙は、ミラーだからこそできることもあるが、それは自分たちの使命の1部に過ぎない、と自慢たらたらの記事を載せると、同じ大文字の手紙が来て、約束の不履行をなじり、手柄のように語る「厚かましさ」を非難する手紙が来る

l  後悔の重み

2か月後、1人の北イングランド訛りの強い男ケンプトン・バントンが警察に自首してきて、警察が絵画返還に約束した5000ポンド受領手続きについて知りたいと付け加えた

本人の供述によると、困窮した人々を助けるための身代金要求が目的で、絵は自室に隠していたと言い、自首したのは後悔の念に苛まれたからだとし、犯意がないので無罪と主張

l  町のロビン・フッド

'65年、バントンの裁判が始まる。バントンは年金受給者のテレビ受信料支払い免除拒絶の政府決定に反発して、不払いで何回か禁固刑になっていた。陪審は絵画が返還されたところから絵画窃盗についてはバントンを免責にしたが、額縁はテムズ川に捨てたというので3か月の禁固刑となる。受信料不払いによる禁固刑のたった6

l  死後に明かされたバントンの回想

裁判官は終始、被告の供述を疑問視していることを隠そうともしなかった

11年後バントン死去。翌年地方紙がバントンの書き残した文書を公表

バントンはウェリントンの肖像画に高値がつくのを見て、ウェリントンの人となりに関心を抱き、自分の名誉のためには何千人もの兵士を犠牲にすることを躊躇わない冷酷な人と結論付け、犯行計画を思い立ったという。周到な下見を経て赤外線システムがオフになっているのを知り犯行に及んだ

l  もう1人のバントン

'69年、車両窃盗犯として警察は若い男を逮捕、ジョン・バントンと名乗り、肖像画の窃盗犯だと告白。なんとケンプトンの息子だった。犯行に必要な身体能力などを考えると、ケンプトンの供述の矛盾を息子の供述が十分カバーしてくれ、警察も息子の供述が真実だと信じたが、すでに判決が出てケンプトンは禁固刑に服していた。一方で息子は自分の供述を裏付ける証拠を1つも提出していない。検察は息子の自供を受理不能と判断

以上の展開が明らかになったのは、国のアーカイブの一部が公開された2021

バントン親子は相矛盾する供述によって、警察を煙に巻いた

 

²  「ストーリーテラー」――セントルイスパーク、1978

セントルイスパークは、ミネアポリス郊外のカナダ国境に接する歴史地区

エレイン・ラッセルのリンドバーグ夫妻が膨大な絵画のコレクションを処分するために、’71画廊を開設。'78年、「ストーリーテラー」の異名を持つノーマン・ロックウェル展のヴェルニサージュ(オープン前の内覧パーティー)が画家の誕生を祝って極寒の中で開催

l  夜間警備

深夜画廊の扉がこじ開けられているのが発見され、防犯センサーが切断されていた

ロックウェル7点とルノワールの海景画が紛失、手掛かりはほとんどない。被害総額は50万ドル。エレイン画廊は重要施設とされてはいないが、FBIが出動

盗まれた作品は、《ビフォア・ザ・デイト・――カウガ-ルビフォア・ザ・デイト・――カウボーイ》《スピリット・オブ・76》《ノー・スウィミング》《ソー・マッチ・コンサーン》《冬》(別名《ア・リッキン・グッド・バス》)《シーズ・マイ・ベイビー》(別名《ヤング・アーティスト》)

l  捜査

ラッセルは、前日画廊に来た3人組が不審な動きをしていたとして警察に証言、容疑者として拘束したが、警察がまず疑ったのは画廊のオーナー。保険金目当てと思われたが、保険金額は相場よりはるかに低額だった。ルノワールのオーナーは莫大な借金の返済のためにエレインに売却を依頼してきた男だが、すぐに贋作と判明、さらに1か月後急逝

半年後、保険会社は補償に応じる。同年11月ロックウェル死去

l  新たな希望

手掛かりはガセネタばかり。10年経過で区切りをつけようとした。ロックウェルは高騰

l  家族の絆

リンドバーグ夫妻の娘ポニーは諦めずに追い続ける

‘94年、マサチューセッツ州ストックブリッジのロックウェル美術館にブラジルの画商から盗品2点の売却申し出が舞い込む。画商は「善意の第三者」を主張、ほかにも盗品3点を所有。盗品だと確認されたが、作品の所有権は保険会社。ポニーは2点を8万ドルで購入

l  専門捜査官たち

残る2点もブラジルの銀行が担保として差し押さえ、換金しようとしていたところをFBIの捜査網が発見し取り戻す。その間にもロックウェルの評価はうなぎのぼりで、100万ドル近い落札も出現

'01年、アメリカとブラジル警察の間に相互協定が結ばれ、FBIの捜査官による尋問が可能となる。その直後の9.11で、ロックウェルの捜査は後回しとなった

l  リオ万歳

ブラジルの画商は、同国政府から巨額の財産税を請求され、FBIとの間で10万ドルと完全な免責との引き換えにロックウェル3点の引き渡しに同意。7点すべてが総計70万ドル以内に収まる。紛失中の絵画の所在は皆目見当がつかないまま

l  保険はかかっていたのか

‘99年、ポニーがロックウェル展に2枚の絵を出展すると、FBIが押収。作品の所有権は保険会社にあると告げる。ポニーは、両親から保険の話は聞いておらず、もともと保険はかかっていなかったと主張。裁判で勝訴したポニーはオークションで18万ドルで売却

窃盗団の正体はブラジルの犯罪組織とみられているが、真相は不明のまま。ルノワールの偽物も、最新の情報ではポルトガルの蒐集家のもとにあるといわれるが見つかっていない

 

²  秘密警察が事件に絡むとき――ゴータ、1979

東独ゴータ市のユストゥス・ペルテスは、ヨーロッパの主要王族貴族の系譜を克明に作り上げ、《ゴータ年鑑》として上流階級の代名詞となり、町の名前を一躍有名にした

ゴータ公の居城フリーデンシュタイン城(一名フランケンシュタイン城)も、東独誕生とともに国立の博物館となる

l  暗い冬

'79.12.14.の朝、城から5点の絵画の盗難が発覚。総額は400万東独マルクと噂され、シュタージが捜査に乗り出す

l  大捜査網

ゴータ市民全員が容疑者に、侵入経路と手口はすぐに判明したが、それ以後はなかなか捜査は進まず、シュタージはもみ消した

l  深まる疑惑

シュタージの体面を傷つけないため、解決は至上命令だが、5年も無駄な時間を費やし捜査の行き詰まりは明らか

l  壁から壁へ

10年間、執拗に追い続けていた警部が行き着いたのがシュタージの大佐。貿易調査部の局長で密貿易で巨額の利益を得ていたが、ベルリンの壁崩壊で露見を恐れ、西独当局に出頭し収監、すぐに釈放されたが西独に留まる。警部は局長の違法行為を詳しく調べると、破廉恥にも国家の文化遺産からくすねた美術品もバイエルン州に売却、盗難絵画の1点の所在を突き止めたが、証拠までは手に入れられず、追及を断念

l  ゴータ市

ゴータ出身のクロイヒが統一後の市長に当選、過去の資料を調べるが目新しい事実は発見されないまま、’09年時効成立。テレビで時効成立を喧伝して犯人の出頭を呼びかける

'18年、弁護士経由で絵画の所有者から市長に連絡があり、購入代金と40年分の利子計500万ユーロ(絵画の時価の1/10)を要求し、合意成立

l  帰還

翌年、盗品がベルリンの真贋鑑定に持ち込まれる。保存状態は良好とは言えなかったが、本物であることが確認され、盗品はゴータ市の城に戻る

市は一文も払わず。契約はしたが、脅迫されて署名したと判断され契約は無効に

l  最後の手がかり

ベルリン警察は追及をやめず、盗品を運んできた車のナンバーから絵画の元の持ち主ルディ・ベルンハルトを探し当てる。男は社会主義を公然と嫌い、西側への亡命未遂で何度も訴追されていた。男はその後も絵を持ち続けたまま、’18年逝去。絵を預かっていた家の娘が親の遺産と思って換金すべく弁護士に相談してゴータ市と売却の折衝

l  捜査は大詰めへ

ルディの親しい友人が事件当時犯行に使われていたとされた不審な車の持ち主で尋問まで受けていたが、「要注意人物」とされただけで見逃されていたり、ゴータ在住の男性が絵を買わないかと持ち掛けてきた話があったが、その売り手の男こそルディだったが、何の追及もなかった。いずれも凡ミスだがシュタージの能力はそれほど高くなかったということ

動機は2つ考えられる。1つは金目当てだが、美術品取引の世界はそう簡単に接触できるものではなかった。もう一つは体制に一泡吹かせたいという野望。ルディが何度も東独当局と衝突してきたことを考えれば、より筋の通った動機ともいえる

 

²  危険な遊び――オスロ、1994

ヴォレレンガ・フォトバルは「オスロの誇り」と呼ばれるサッカーチーム

'85年、18歳の有望新人ポール・エンゲルが加入、その年チームはUEFA(欧州サッカー連盟)カップに出場、決勝トーナメントでベルギーチームに敗退

チームのメンバーは、チームの給料が低かったので、皆ほかに仕事を持っていたが、エンゲルだけはいつも派手な生活を送っていた

l  懸念を抱かせる行動

エンゲルは貧困家庭の出身だったのに疑問を持ったチームメイトの警察官2人がエンゲルを尾行したところ、子どもの頃から貧困地区の犯罪集団に属していたことが判明、何度も証拠不十分で法をすり抜けていた。彼の名前の組み合わせPengerは「金銭」の意

l  驚愕

警察はたれ込みを根拠にエンゲルの留守を狙って家宅捜査し、盗品のほかに壁の裏から1895年ムンク制作の《愛と痛み》を発見。’88年オスロのムンク美術館から盗まれたもの。さらにはノルウェー史上最大の押し込み強盗事件の1つだったオスロの宝飾店の盗難事件のジュエリーも発見。ムンクの絵に魅せられたエンゲルは、《叫び》の窃盗を思いついて実行したが、《叫び》だと思っていたのが《愛と痛み》だったと後日告白。間違って盗んだ絵の処分に困って自首。サッカー選手としての夢は絶たれ、収監されて刑務所仲間にサッカーの手ほどきをすることになる

l  《叫び》がどうしても欲しい

3年後の'91年、出所したエンゲルは、アマチュアのサッカーチームに入るが、すぐに《叫び》への執着心が再燃。ムンクは1883年に油彩画を制作したのち、1917年にかけて同じ構図の作品を4点制作。3点が油彩画、1点はパステル画、1点がリトグラフ。時代を経るにつれ《叫び》は最も多くのコピーが制作され、最も多くのパロディを派生させた絵画の1つとなる

'94年、リレハンメルの冬季五輪の騒乱に乗じて盗み出すことを計画。警察のマークが厳しい自らが動く代わりに手下を雇い、前回と同じ手口で実行させる

l  電光石火の犯行

五輪開会式当日の早朝、防犯カメラが捉えた映像では、2人が1分半の犯行で運び去るのがわかったが、太陽光不在のため画像が不鮮明で2人の素性を突き止めることは不可能

l  スコットランドヤードに協力を要請

オスロ国立美術館は、これまでにも1980年、’82年と盗難被害に遭っていて、いずれも換金するところで発覚していた

警察はすぐにエンゲルを疑ったが、手掛かりはなかった

美術館長はすぐに声明を出し、売却は困難だと明言したが、捜査の進展はない

ノルウェーの司直はスコットランドヤードのアート・スクワッドに助けを求める

l  叫びたくなるほどの値段

すぐにある弁護士から800万クローネと交換ならば返却するとの話が持ち込まれ、自分のクライアントは推定市場価格の2%に相当する謝金を要求していると説明

額縁の一部も見つかり、まだ国内にあるとの確信を強める

l  おとり捜査

美術品捜査の専門刑事が、偽名で加州のゲティ美術館の仲介役に成りすまし、《叫び》の情報を提供してきた画商とコンタクト

l  《叫び》の追跡

刑事は要求された50万ポンドの金を見せ、絵を見せて欲しいと要求し、現物を確認

l  一網打尽

刑事はノルウェー警察に連絡を取り、画商を逮捕。エンゲルの竹馬の友だったことが判明したが、エンゲルが陰で糸を引いていたことを裏付ける証拠はない

l  決着

一味はエンゲルも含め裁判にかけられ、実刑が確定。エンゲルはノルウェーでの窃盗の罪に対して宣告された最も長い刑期である63か月の宣告。ただ、ノルウェーではおとり捜査が禁止されていたため、控訴の結果エンゲルを除く共犯はみな解放

‘99年、エンゲルは外泊許可を得た機会に逃走するも発見され連れ戻される。出所後何回か違法行為に手を染めて刑務所の出入りを繰り返したが、最後は画商として人生をやり直す。後に彼は遂に窃盗事件への関与を認め、「窃盗は完璧。あの絵を独占したのは最高で、それだけで十分、少しも後悔していない」と振り返る

2012年、《叫び》のパステル画がサザビーズの競売で119百万ドルで落札

l  もう1つの《叫び》

2004年白昼、ムンク美術館に強盗が押し入り、ピストルで脅し、《叫び》と《マドンナ》を強奪。2年後発見され、犯人は8年の実刑

エンゲルは《叫び》の模写に自分の署名を入れて販売することで満足するようになり、この事件には無関係だったが、'15年には再び絵画窃盗容疑で逮捕されている

 

²  ゲーテの影で――フランクフルト、1994

'94年、フランクフルトのシルン美術館で、閉館後の深夜に潜んでいた強盗によって、ターナーの油彩画2点《影と闇》(別名《洪水の夕》)と《光と色彩(ゲーテの光学理論)》(別名《洪水の翌朝》)、フリードリヒの油彩画《漂う霧》の3点が盗まれる。市制1200年を記念し、ゲーテが絵画芸術に与えた影響をテーマとする展覧会「ゲーテと美術」展に出展されたもので、3点合計で62百万ドイツマルクの保険がかけられていた

l  国際的な波紋

迷いなくこの3点を選んだことは謎

ターナーの絵はテート・ギャラリーからの借り物で、国際的波紋を引き起こす

独英の捜査機関に加えて保険会社ロイズから保険損害査定人も派遣され捜査に加わる

l  窃盗団の逮捕

残された指紋から犯人の1人が判明、さらにその裏に素性の怪しい集団が浮かび上がる

保険会社員のおとりを使って集団と交渉し、交渉決裂ののち相手を逮捕、その他の共犯も含め逮捕者は6人。うち3人が犯人とされ、容疑否認のまま実刑判決を受ける

l  追跡ゲーム

テート・ギャラリーに、盗品を保管しているという男からの電話で、3万ポンドと引き換えに保管物を引き渡すとの連絡が入るが、逮捕してみると事件とは無関係

l  金と血

その数日後、フランクフルトの高級売春宿で5人の女性とオーナーが殺害、赤線地帯を仕切るセルビア・マフィアの存在が浮上。絵画窃盗事件との繋がりも噂される

‘99年、フランクフルトの裏社会を仕切る弁護士からテート・ギャラリーに絵画取引が持ち込まれ、総額310万ポンドで、1割の前金を要求。テートは弁護士が正当な仲介者であることの確認を条件に支払いに応じる。写真で本物だと確認したテートは前金を払うが、弁護士は絵の所有者からさらに1割の支払いを要求され窮地に立つ

l  交渉の障害

1年後、弁護士から連絡があり、1点の現物が手に入ったので検分できることになり、本物であることを確認して裁判所に保管

l  ターナーの帰還

‘02年に2枚目も弁護士からの通報で検分され、金と引き換えにテートに戻る

翌年には、《漂う霧》も回収。美術館は、身代金の要求を拒絶したが、仲介者の弁護士がバルカン・ギャングの一味から絵を100万ユーロで引き取っていて無償で美術館に返還した後、美術館が署名した発注書を盾に支払いを要求して提訴、手数料として25万ユーロの勝訴判決を勝ち取る

l  抗議の声

泥棒が報酬を得たことに対し、マスコミが加わって騒ぎが多きくなり、法廷に持ち込まれたが、判事は、すべての取引は合法的に行われたと判定。テートは保険金2400万ポンドを受け取り、2度と戻らないと判断した保険会社は絵の価格を800万ポンドで合意していたため、テートは買い戻しで1600万ポンド利益を出し、仲介した弁護士に支払った310万ポンドを考えても十分すぎる額となった

その後も、様々な意見や疑念の報道が続く。美術館が回収費を払うことで他の犯罪者に誤ったメッセージを送ったという事実の倫理性が厳しく問われた。泥棒が身元を知られないまま、半ば公的にその報酬を受け取った世にも稀なケースとなった

 

²  忘れがたいクリスマス――ストックホルム、2000

ストックホルムの国立美術館は半島の先端にあり、前面道路は狭く常に渋滞

1993年には、現代美術館で絵画盗難事件があり、ピカソ8枚、ブラック1枚、総額5億クローネの被害で、2年後スウェーデン人が逮捕されたが、ブラックは行方不明のまま

l  火の手があがる

200012月の夕刻、美術館近くの駐車場から火の手があがる。すぐに300m離れたところでも車が炎上。狭い道路の交通渋滞で消防車の到着が遅れる

l  襲撃

人ごみの中、退館中の美術館に機関銃を持った3人の男が闖入、ルノワールの《若いパリジェンヌ》と《会話》、レンブラントの《自画像》を奪ってスピードボートで逃走。犯行時間はわずか3分。火災は発火装置を使った意図的なものであり、付近にはタイヤをパンクさせるためのスパイクが撒かれていた。被害総額は4500万ドル

l  砂粒と歯ぎしり

武装強盗による初の美術館襲撃にスウェーデン国民は憤慨。安全神話に水を差した(現在では犯罪がはびこり、犯罪組織同士の抗争による死者はイタリアのそれを上回る)

防犯カメラもなく、警備も手薄で、その虚を衝かれ、管理責任が問われる

l  ヘマ続き

犯人は何の痕跡も残さなかったが、ボートはすぐに発見され、契約に書かれていた電話がまだ使われていたことから、自動車強盗を繰り返すギャング団の一員が買ったことがすぐに判明。さらに犯人の代理人を名乗る弁護士から身代金の話が持ち込まれたが、弁護士の顧客名簿にはギャング団の有力メンバーが載っていた。警察は彼らを尾行し、仲間とともに15人を一網打尽に検挙するが、いずれも容疑は否認、絵画の隠匿場所も不明

l  ドラッグルート

違法薬物取引の食い止めに腐心していた警察が家宅捜索に踏み込んだ家で偶然にも《会話》が発見される。自動車窃盗のギャング団とは無関係

l  裁きが下る

ギャング団が検挙され13人の被告は無罪を主張したが、6人が実刑。絵の在り処を白状しないため、3000万ドルの追徴金を命じる

犯行は綿密に計画され大胆に実行されるが、犯行後どうするのかについては驚くほど計画が杜撰だったため、簡単に1枚の絵は見つかったが、まだ2枚の行方は不明

l  ブルガリアコネクション

'05年、ロサンゼルスでの違法薬物取引の捜索をしていたFBIが、移住ブルガリア人組織を追っていくと、絵画盗難の実刑を受けた犯人の1人の父親が率いる組織が浮上、盗品2枚の話が会話に出てきて、供述通りに《若いパリジェンヌ》が発見、押収された

l  人魚姫の国

供述をもとにさらに3枚目の絵を奪還すべく、FBIが囮を使って無罪になっていたギャング団の犯人グループに接触。無事に絵画を取り戻し、犯人は3人とも検挙

l  メリークリスマス

最長6年の実刑の可能性があったが、主犯が2年で他は1年という軽い刑に終わる

2つのギャング団が関わっていたようだが、事件の詳細は不詳のまま。

盗難美術品の売り捌きが困難なことを改めて思い知らせた事件

 

²  サンバのリズムにのせて――リオデジャネイロ、2006

'06年、リオのカーニバルの直前にはローリング・ストーンズが無料コンサートを開き熱狂をさらに盛り上げた

l  密林の陰で

シャカラ・ド・セウ美術館は、元々レイモンド・オットーニ・デ・カストロ・マヤ(1894 – 1968、実業家、美術コレクター、文化財保護の功労者)が美術品展示のために建てた私邸で、’72年国有化。辺鄙な場所で訪れる人は少ない

l  侵入者たち

サンバシティ開会当日、閉館間際に4人の若い男が押し入り、ほぼ無防備の警備員たちを脅して犯行に及ぶ

l  ひしめく名画

盗品は4点。モネ《海景》、マティス《リュクサンブール公園》、ピカソ《ダンス》、ダリ《2つのバルコニー》。時価総額1000万ドル。ピカソの版画15点を収めた版画集も持ち去る

l  被害の全貌

すぐに国際手配。犯行の痕跡はほとんどなく、目撃者もなし。指紋が残されていたが、当時のブラジルには指紋のデータベースがなく、役に立たなかった

l  ブラジル発の激震走る

警察はタレコミ屋を動員。警察が美術館のすぐ隣にある貧民街のはずれで額縁と思われる焼け焦げた木片を複数発見するが、貧民街では「沈黙は金」であり、証言は得られず

l  奇妙な共通点

‘90年、ボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館襲撃事件も、聖パトリックの祝祭の騒ぎに紛れた犯行で盗品はいまだ発見されていない。犯人の冷静な判断と極めて懸命な作品選択など、さらにはほぼ無価値なものを同時に持ち去るという「不可解な付け足し」も含め、今回の事件との共通点があった

l  新たな展開

通報で容疑者が乗った車が特定されたが、所有者の貧民窟に住む男は、自分も被害者だと主張。強盗に車を止められ、乗せただけと主張。逮捕収監されたが、証拠不十分で無罪に

l  フレンチ・コネクション

外部からの「依頼」で地元の窃盗団が実行し、世界各地の買い手に売却されたとのタレコミも複数あったが、いずれも成果はゼロ。20年たった今もFBIのウェブサイトに掲載

 

²  スフィンクスの最後のなぞなぞ――ギーザ、2010

カイロ近郊の美術館で展示中だったモハメド・マフムード・ハリール美術館所蔵のゴッホの《ケシの花》が盗難。推定時価5000万ドル超。監視カメラも警報システムも稼働しておらず、検事総長も警備体制の不備を認めた。同じ絵は32年前にも盗難に遭っていた

l  過去の事件

1978年、同じ絵が同じ美術館から紛失。箝口令が敷かれ、2年後免責を条件に絵画は返還。文化大臣は鑑定費用の支出を拒否、絵は戻ったものの贋作説が絶えない

ハリール美術館には、「まるで笊」との悪評があり、1970年代を通して、もともとのリストに登録された304点の絵のうち123店が紛失していたことが判明。そのうちのいくつかは競売に出品されていた。そのためエジプト政府も鑑定家に依頼することになり、《ケシの花》も本物であることが確認された。さらに745点の泰西名画も発見され、美術館は一定の栄光を取り戻したかに見えたが、杜撰な警備体制は放置され、'09年には9枚の絵が盗難に遭うも10日後に発見

l  泥棒たちに大人気のゴッホ

ゴッホの絵は世界で最も盗難被害に遭っているが、例外なく発見されている

《ケシの花》は、ゴッホがフランス画壇の前衛トレンドを吸収しようとした転換期を体現した代表作と言われる。画布に油彩で描かれた絵のサイズは54x53cm

l  ファラオの土地

政界の大物だったハリールが私邸を国に遺贈して美術館にしたもの。フランス留学中に西欧名画に魅せられて蒐集に走ったが、ピラミッドには行ってもギーザ市を訪れる観光客は稀。さらに数日前にカイロ・イスラム美術館がオープン、一層閑古鳥が鳴くと予想された

l  さっぱり分からない

午前中に絵が切り取られたという事実以外の手がかりは全くなし

l  保護措置

防犯体制の不備が問題とされ、文化大臣の職務怠慢が追及される。美術館は無期限に休館。再開は、改装し最新の警備システムが導入された11年後。今や多勢の入場者で賑わう

l  降りそそぐ罰

職務怠慢により犯罪発生を助長したかどで、文化副大臣以下11人が3年の禁固刑になったが、事件はこれで終わりとなり、盗品は戻らなまま

l  捜査の成果は・・・・ゼロ

内部犯行説もあったが、黒幕の特定には至らず。2審の判決で景気が短縮され、7人は無罪

 

²  小ローマの強奪事件――ヴェローナ、2015

ヴェローナのカステロヴェッキオ(古い城の意)美術館は芸術品の宝庫であるユネスコ登録(2000)の市の誇り

l  悪夢の11

イスラム過激派がパリでテロを繰り広げたことが、ヨーロッパ各地で他の小犯罪を誘発

l  絵画強奪

閉館間際に入りこんだ3人の男が警備員たちを監禁、17枚もの絵を持ち去る。推定時価総額1500万ドル。監視カメラの映像から、計画的な犯行が見て取れた

l  ばらばらの手がかり

夜警の車に乗って逃走していることが判明、あらかじめ逃走手段を用意していなかったのはおかしく、夜警は内部協力者とみられた

l  様々な手がかり

イタリアの文化遺産保護を専門とする捜査ユニットのトゥテラ・パトリモニア・クルトゥラーレTPCが動き、夜警のルートからウクライナとモルドバのギャング団の存在が浮上、絵の在りか不明のまま、モルドバで13人が逮捕され、ウクライナでも窃盗団の巣窟から盗品が発見される。手掛かりとなったのは監視カメラの映像と電話の通信傍受。一部が司法取引に応じたことで解決に近づく

l  最終的に正義が勝つ

夜警と双子の兄弟2人がモルドバのギャング団から報酬を受け取っていたことが証明され、保険会社が付帯私訴当事者となる。強奪の発注者はチェチェンの富裕な蒐集家とされたが真相は不明。モルドバからウクライナに搬送された17枚の絵は、本物であることが確認され、保存状態もまずまずで盗難から1年余りののちヴェローナに帰還

l  最後の旅

本国帰還を前にキーウのハネンコ美術館でポロシェンコ大統領出席のもとにセレモニーが行われる

l  東から吹く風

いまだ複数の容疑者は未逮捕で、インターポールは容疑者を特別指名手配。'17年キーウで勾留、ヴェローナに移送され、6年余りの刑期をイタリアで過ごす

'23年、最後まで逃走していた「考案者」格の男の逮捕、有罪判決で漸く事件は全面決着

 

²  国際捜査

記録的な落札価格が犯罪者たちの関心を引いてしまうのは仕方ない。そうした絵画泥棒の増加に対処するため、多くの国の警察は専門捜査組織を整備している

絵画窃盗判の追跡は一国に留まらない国際的な課題となっている

l  FBI

美術品盗難捜査の体制が強化されたきっかけは、2003年のイラク戦争の際の文化施設を舞台にした掠奪。掠奪を目撃した米軍はFBI連絡事務所に目録の作成と奪還を要請。13,864点の盗難が判明、多くの美術品を回収できた。これを教訓に、まず米国内での美術品の盗難と闇取引を捜査する専門チームアート・クライム・チームACTを立ち上げ

彼らにとって欠かせないツールが美術品のデータベ-ス。現時点では5000点超の盗難品がリストされている。その他に民間が運営しているデータベースもあり、保険会社が利用するのがアート・ロス・レジスター

ACTのエージェントの一部は退職後に回想録を書いて国際的な名声を得ている(11-09 FBI 美術捜査官』参照)

l  国際捜査

インターポールは1923年に設立。当初は20か国の警察の連絡組織。美術品盗難を扱ったのは1925年ケルンのヴァルラフーリヒャルツ美術館の盗難事件

今は加盟国は196となり、IDアートと名付けた盗難文化財の同定を容易にするアプリを公表

l  フランスでは

文化財闇取引対策中央局OCBC1975年司法警察の中に誕生。データベースを整備し、人工知能を活用したソフトでネット上の販売サイトをチェックしている

 

 

 

 

 

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なぜ美術館が狙われるのか。ミステリー小説よりも面白いノンフィクション

美術館強盗事件簿

――10ヵ国10事件の顛末

フィリップ・デュラン 神田順子、田辺希久子

20251019日にフランス王室ゆかりの宝飾品8点がパリのルーヴル美術館から盗まれた事件はまだ記憶に新しいことでしょう。世界的に名高いあのルーヴルから美術品が盗まれてしまうとは!警備の不備が指摘されるこの事件ですが、フランスではルーヴル以外にも美術館を舞台とした盗難事件が相次いでいます。

なぜ美術館が狙われるのか――。今回の事件についてフランスのニュース番組でコメントを求められた一人が、本書の著者フィリップ・デュラン氏です。本書では次のように記しています。「傑作と言われている絵画を盗むことは時として『簡単』だが、これを売りさばくことはかなり難しい。2016年にロバート・ウィットマンも、NBCニュースのインタビューに答えて『美術品窃盗犯の芸術的腕前が発揮されるのは、窃盗そのものではなく、売りさばきにおいてだ』と述べている」

本書は、やはりこのルーヴル美術館から1911年に『モナ・リザ』が盗まれた事件を筆頭に、20世紀以降にヨーロッパ、アメリカ、ブラジル、エジプトの美術館で起きた10件の名画盗難事件の顚末を描いたノンフィクションです。『モナ・リザ』をはじめ、ムンク『叫び』、ターナー、ルノワール、レンブラント、モネ、マティス、ピカソ、ゴッホ、ピサネッロらの作品が盗まれ、そのうちのいくつかの消息は未だ不明のままです。

文化財をいかに管理するかを考察するヒントになるのはもちろん、事件の背景を克明に描写した筆致は、ミステリー小説よりも面白い読み物として読んでいただける一冊です。是非ご一読ください。

 

レオナルド『モナ・リザ』、ムンク『叫び』、ターナー、ルノワール、レンブラント、モネ、マティス、ピカソ、ゴッホ、ピサネッロ、ティントレット……

1911年パリのルーヴル美術館から『モナ・リザ』が盗まれた事件を筆頭に、20世紀以降にヨーロッパ、アメリカ、ブラジル、エジプトの美術館で起きた名画盗難事件を描いた胸躍るノンフィクション。

傑作と言われている絵画を盗むことは時として「簡単」だが、これを売りさばくことはかなり難しい。二〇一六年にロバート・ウィットマンも、NBCニュースのインタビューに答えて「美術品窃盗犯の芸術的腕前が発揮されるのは、窃盗そのものではなく、売りさばきにおいてだ」と述べている。 美術史専門家のノア・チャーニーも異口同音だ。「美術館からの窃盗や強奪を含め、美術品を盗むことはさほど難しくないが、盗んだ美術品を金銭に変えることはほぼ不可能だ。犯人らはこれを分かっていない。彼らの犯罪に関する知識はフィクションや映画にもとづいているからだ!」(本文より)

 

 

「美術館強盗事件簿」書評 絶えぬ犯罪、多い共通点に驚き

評者: 酒井正 新聞掲載:20260307

 昨年もルーブル美術館で強盗があったが、美術館に収められるような美術品は基本的に「一点もの」なので、盗んだところで正規の市場で売り捌(さば)くことはできない。それなのになぜ盗むのだろうと疑問に思っていた。お金が目当てなら、闇市場で取引するか、盗んだ美術品を人質に身代金をゆすり取るしかない。ただし、その場合はいずれにしても市場価値ほどの額は得られないが。それとも、換金が目的ではないのだろうか。
 さて、題名の通り10カ国の美術館で起きた強盗事件を紹介する本書。盗まれた品々は、モナ・リザからムンク、ゴッホまでと幅広いが、事件には驚くほど共通点があるように評者には感じられた。第一に、どのケースでも美術品はあっけないほど簡単に盗まれてしまうということ。推理小説のような込み入ったトリックなんてないのだ。第二に、盗品はしばらく時間が経つと表に出てくることが多いということ。それが発端となって当局に尻尾をつかまれ、最終的に美術品の返還につながることがある。結局、闇市場だけでは売買は完結しないのですね。このことからもわかるように、極めて個人的な所有欲に基づいた強盗もないわけではないが、大概はやはり換金目的なのだ。
 とはいえ、現代ではデータベースが発達しているので、盗品は昔より発覚しやすくなっている。それにもかかわらず、美術館への強盗はなくならない。背景には、美術品の市場価値が高まっているにもかかわらず、いまだ刑が軽い事実があるからだと本書は示唆する。 美術館の強盗事件には、もう一つ共通点がある。美術館に強盗が入ると、人々の注目を集め、見学者が増えることだ。不謹慎にも美術館と強盗は切っても切り離せない関係にあるように思えてしまったが、たしかに評者もそれらの美術館に魅せられて、訪ねてみたくなった。そうか、この本は、強盗事件から見た美術館案内だったのだ。

Philippe Durant 1960年生まれ。仏のジャーナリスト、ラジオ番組の司会者。漫画のシナリオや小説も手がける。

神田順子、田辺希久子訳

 

 

書評『美術館強盗事件簿』フィリップ・デュラン著

暴力とセット、組織的犯罪に

読書

 

2026228 2:00[会員限定記事]

タイトルの「強盗」に違和感があり、「盗難」の誤訳ではないかと思った人も多いのではないだろうか。だがそれは認識不足だ。

かつては誰にも気づかれずに密(ひそ)やかに盗まれていた名画が、今やピストルを握った複数の悪党が、宝石店を襲撃するのと同じように美術館へなだれ込み、鑑賞者を脅し、時に警備員に暴行してまで強奪する、荒っぽい手口に変貌しつつあるという。驚きだ。日本の美術館は大丈夫なのだろうかと心配にもなる。

本書は、フランスでの『モナ・リザ』盗難(1911年)に始まり、イタリアでのティントレットなど17点もの大規模で暴力的な強盗(2015年)まで、時系列に沿って10カ国の事件を扱っている。

『モナ・リザ』の時は、今にして思えばのんびりしていた。開館一番乗りの美術ファンが、定位置の壁が空白なのに気づき、すぐ警備員に知らせたものの、相手はさほど大ごととは思わず、修復家が直しているのだろうとか、誰かが飾る場所を変えたのだろうなどと、反応が今ひとつだったらしい。捨てられた額縁が見つかって、ようやく大騒ぎになった由。

それが今や、先述したような暴力とセットの組織的犯罪になっているのだから、護(まも)る側も神経を使う。そうかと思えば、真相は分からないものの、美術館側や美術商の関与が疑われるような事件も紹介されている。

絵を盗むのは簡単だが売るのは難しい、と強調されてはいるのだが、これだけ世界中で盗まれ続けているのだから、ちゃんと買い手は存在し、裏のルートも機能しているのは明らかだ。幸い、警察もそのあたりは百も承知で、巧妙に買い手を装って、盗品の売り手に接触し、一網打尽にした例なども紹介されており、犯罪小説のように面白い。

ちなみに世界一多く盗まれた画家はゴッホだという。愛好家が多いのと、どの作品も手ごろな大きさなのが狙われる理由だろう。いくらギャング組織でもダヴィッド作『ナポレオンの戴冠式』(約6×10メートル)のような巨大作品は手がつけられまい。「大きいことはすばらしい」というナポレオンの言葉は正しかった。

いや、何でもありのこの世なので、いつか狙われる日が来るのかも……

《評》ドイツ文学者 中野 京子

 

 

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