メディアの未来  

 

2022.1.26. メディアの未来

Histoires des Médias 2021

 

著者 アタリ,ジャック Jacques Attali 1943年アルジェリア生まれ。フランス国立行政学院(ENA)卒業、81年フランソワ・ミッテラン大統領顧問、91年欧州復興開発銀行の初代総裁などの要職を歴任。政治・経済・文化に精通することから、ソ連の崩壊、金融危機の勃発やテロの脅威などを予測し、2016年の米大統領選挙におけるトランプの勝利など的中させた

 

訳者 林昌宏 1965年名古屋市生まれ。翻訳家。立命館大学経済学部卒

 

発行日           2021.9.16. 第1刷発行

発行所           プレジデント社

 

 

はじめに

いつの時代も人間は、自身を脅かすこと、他者を害すること、他者を利することを知る必要があった

つい最近になって、大衆は自分たちの暮らす村が属する帝国の文民、軍人、宗教家から情報を得るようになった。帝国は大衆に法を課し、共同体の物語を信じ込ませようとした

10世紀前の中国、5世紀前のヨーロッパにおいて、印刷術のお陰で文書は拡散しやすくなった

18世紀末、情報を追って検証することを仕事とする者たちが現れ、ジャーナリストが誕生

将来、メディアと民主主義はどうなるのか。未来の基軸を把握するためには、歴史を振り返る必要がある

自由を守り、未来のメディアに意義を付すには、徹底した改革が急務。批判的思考を養い、真偽を見分ける手段を獲得し、優秀なジャーナリストを育成し、SNSを解体し、新たなメディアを作り出す必要がある。それをデジタル・アッヴィージ(手書きのニュースレター)と名付ける

歴史から見出せる法則――今後数十年は有効だろう

   私的な連絡手段は、マスコミュニケーションの手段になる――郵便物は新聞に、電話はラジオに、写真はテレビに、電子メッセージはインターネットになった

   情報を配信する手段が発明されると、すぐに教育、文化、娯楽、創作活動のために利用される

   情報の生成や配信の様々な手段は商業活動になり、自動化される

   コミュニケーションの道具は、政治には権力、所有者には利益、利用者には娯楽をもたらす

   国の思想、文化、経済、政治の形態は、国民に対する情報配信のあり方に多大な影響を及ぼす

   逆もまたしかり。国民11人に対する情報配信のあり方(配信しないことも含む)は、国の政治、文化、経済、社会の未来に影響を及ぼす

   地政学上の超大国の座を得る国は、コミュニケーション及び情報に関する最先端の手段を支配し、これを用いて外国に影響力を行使する

   権力者は、極めて重要な情報を誰よりも先に受け取り、どの情報を他者に伝達するかを選びたがる――検閲、隠蔽、誹謗中傷

   権力者が国民の嗜好を把握しようとするように、メディアも利用者の好みを知ろうとする。両者とも、監視し、魅惑し、不安を醸し出し、憂さ晴らしをさせ、歓心を買おうと画策し、監視、政治、金儲けのために、国民や利用者に関するデータを最大限に活用しようと目論む

   検証および論証できる情報を得ることのできる人口は増え続けている。こうした情報を提供できる人口も増加

   国民の行動に必要な性格で有益な情報が、自由かつ公平にアクセスできるようにすることは、独裁者の跋扈を阻止するためには十分でないとしても、民主主義を存続させるための条件

   我々は、意思疎通、情報伝達、世論操作、圧制、行動、解放のために五感を利用して来たし、これは今後も変わらない。視覚、聴覚の次は、触覚、嗅覚、味覚など、あらゆる感覚が用いられる

以上の傾向が今後の続くのであれば、人類は次の3つの集団に振り分けられる

   上級ノマド――少数派だが、主要な知識と富を支配

   貧困ノマド――多数派で、有益な情報にほとんどアクセスできない

   両者の中間――危機的な状態にあり、上昇志向と同時に下位への転落を恐れる

情報を収集及び生成する巨大グループが台頭し、国家は次第に権力を失う

情報の大衆化は民主化を押し進めると見做されているが、くだらない情報に対する中産階級の依存を強めることによって彼らを無産階級に貶めるための策術だということがいずれ判明する

 

第1章     君主のニュース、大衆のニュース――三万年前から近代の夜明けまで

文字による最初の伝達記号は、インドネシアのジャワ島にあるトリニール遺跡から発見された約50万年前の貝殻の化石に刻まれたジグザグ模様

BC17000BC13000年の後期旧石器時代末期、フランスのラスコー洞窟の絵も、危険な動物に矢印が付けられ、何等かのメッセージを伝えるものだったのだろう

BC8500年頃の新石器時代、手の込んだ斧と貝殻の交換ネットワークがアジアからフランスのアルザス地方にまで拡大し、情報交換に役立つ

BC4800年頃(銅器時代)BC2700年頃(青銅器時代)には集落が形成され始め、岩盤には戦いや宗教の象徴が刻まれた

その後何千年以上にわたり、最も情報を得ていたのは、司祭、将軍、君主、商人であり、彼等は臣民を監視し、情報を独占・操作した

すべては、BC3300年頃、ほぼ同時に起きた3つの革命によって一変――馬の家畜化、車輪の登場、文字の発明

 

l  メソポタミアにて:世の中を一変させた馬、車輪、文字

馬の家畜化に関する考古学的な最初の証拠は、BC3500年のカザフスタン北部草原地帯を支配していたボタイ文化の狩猟採集民

最古の車輪は、スロベニアの首都リュブリャナ近くで発見。BC3340年と推定

文字が登場したのは、メソポタミアのシュメール(楔形文字)

BC500年頃、ペルセポリスを作ったダレイオス1世は、アラム文字を利用し、先人から受け継いだ王の郵便システムを強化

l  エジプトではパピルス

BC3000年頃、ナイル川岸辺では論理的な図画システムに基づく象形文字が出現

BC2500BC2300年頃、エジプト第5王朝では、パピルスや陶器に宗教文書や王令が記され始めた

BC1600年頃、東方の侵略者ヒクソスが、エジプトに馬と車輪をもたらす

シナイ半島では奴隷状態のヘブライ人たちが最初のアルファベットを発明 ⇒ 原シナイ文字

エジプトでは、郵便馬車システムが1000年ほど存続

l  インドではアショーカ王の石碑

インド初の統一王朝マウリヤ朝(BC321BC185年頃)では、地方の司令官に命令を出すために馬に乗った使者を利用。第3代のアショーカ王(BC273年即位)は、アジア大陸初の文字ブラーフミー文字を利用

l  中国では紙

文字が登場したのはBC1600年頃

BC221年、始皇帝の統治下で、郵便中継システムが15㎞おきに設置

紀元後すぐに紙が誕生したが、文字を記す媒体は数世紀にわたって竹

l  ヘブライ人たちの間では

ヘブライ人がバビロン捕囚から戻り、第二神殿が建設された後のBC1570年にかけて、地中海沿岸全域に離散していたヘブライ人の家族や共同体にとって、シナゴーグは情報交換の場であり続けた

BC3世紀には羊皮紙を利用し始めた

l  ギリシアでは伝える

ギリシアの都市国家では、アゴラが噂と交流の場

BC7世紀、フェニキア文字から着想を得た文字がギリシアに登場すると、アテナイの指導者層は、決定事項をまずは草案として木の板に記させ、市民の集まりで承認されると石に刻ませた

l  ローマでは知らせる

BC150年以降、ローマは地中海沿岸部全域に、塔に松明を設置した洗練された通信システムを設置

BC59年、カエサルは元老院と民会の議事録を公示。最初の官報

BC40年、ローマ帝国の道路網整備。ローマ初の郵便事業を設立

ローマ帝国において、伝達されるニュースはしばしば噓であり、改竄されていた

 

第2章     使者の時代――1世紀から14世紀まで

15世紀半ばまで、情報拡散の手段と速度は3000年前から進歩がなく、権力者たちが主要な情報を独占し続けた

 

l  ローマ帝国の東にあって西にない郵便制度

438年、東ローマ帝国ではテオドシウス2世が『テオドシウス法典』の中でローマ人の残した郵便ネットワークの規則を定めた――8世紀まで利用された

西ローマ帝国の指導層には、郵便物を送るための決まったルートはなかった――12世紀になってイングランドのヘンリー1世が政府のメッセージだけを扱う郵便事業を設立

フランスやヴェネツィアでも同じ頃、馬や船を使う支配者のための郵便システムが始まる

l  教皇の親書

修道院間の交信は、修道士の旅行時に行われた

12世紀、紙がアラブ人によって中国から西洋にもたらされ、教皇たちが郵便サービスの前身を設立し、教皇の手紙がヨーロッパ内で流通し始める

l  大学

12世紀には大学の郵便ネットワークが誕生――最古のネットワークは1150年設立のパリ大学のもので、大学間の独立したコミュニケーション手段となる

l  私信が商品になる:アッヴィージ

商人たちは、情報の配信を専門にする最初の定期便を誕生させる――「アッヴィージ」

11世紀以降、定期市が誕生すると、商人たちのための連絡係が往来

1260年、ブルージュの定期市のイタリア商人たちは独自の郵便ネットワークを設立

14世紀末、イタリア商人たちはネットワークを使って伝達される手紙のことをアッヴィーゾ(単数形)と呼び、世の中一般の情報を含む手紙は市販され、後の新聞の前身となる

l  大衆と公示役人のために

大衆への伝達手段は公示役人が市中を大声で触れ回る方法

l  噂、情報操作、フェイクニュース

大衆に伝えられたのは公的なニュースだけでなく、大衆を扇動するためにも利用

l  中国のあらゆるものはイスラームを通じて西洋へ

7世紀、イスラム国家初のカリフ(最高指導者の称号)世襲制度による王朝であるウマイヤ朝は、ササン朝ペルシアや東ローマ帝国からの着想を得て独自の郵便システムを作る

中継地点を整備し、カリフの命令とメッセージを伝えた

751年、アッバース朝と唐の戦いでアッバース朝が勝利した際、製紙法などの中国の技術がアラブ人によってヨーロッパに伝えられた

l  ユダヤ商人

メロヴィング朝の統治下で西洋と東洋を結ぶ交易を行ったシリアのキリスト教商人「シリ」は、イスラム教徒による中東支配とともに姿を消し、代わって活躍したのがユダヤ商人

l  中国初の定期刊行物『邸報』

220年に幕を閉じた漢の時代には国内主要都市間の道路が整備され、その中央部分は皇帝の郵便配達人専用レーンだった

唐の時代(618907)、郵便ネットワークは32千㎞、中継地点1643か所

9世紀には木製印刷が登場。1041年には書物作成のため木製の活字を並べた組版による印刷が始まるとともに、『邸報』という宮廷報告書が定期刊行物としてまとめられた

1215年、モンゴル帝国のチンギス・カンの後継者たちは中国で権力を握り、中国の郵便システムを、中央アジア、ロシア、イラン、イラクにまで拡大

l  アフリカでは

7世紀以降の現在のセネガル、マリ、ギニアには世襲制の公示役人がいた

 

第3章     印刷革命――1400年から1599年まで

中国初の大型技術革新によってドイツに登場した活版印刷は、情報伝達の方法を数千年ぶりに変えた――印刷物は購買力のあるごく一部の人々のもので、国によってアッヴィージ、フルークシュリフテン、パンフレット、ニューズ、リベルと呼ばれた

l  中国の情報ネットワーク崩壊

16世紀初頭、明の中国は道路の老朽化から郵便サービスが崩壊し、世界の地政学的中心は西側ヨーロッパへと移る

l  ヨーロッパのせっかちな商人たち

15世紀に入ると情報の重要性が増し、信頼度の高い郵便サービスの構築が始まる

l  知らせるために印刷する:聖書や暦

1452年、グーテンベルクが新たに開発した素材で作った活字を用いた活版印刷で聖書を印刷。瞬く間にヨーロッパ中に印刷所が設立される

ラテン語は印刷技術の発展に伴い優勢になると思われていたが、徐々に姿を消し、ナショナリズムの波も、神聖ローマ帝国を蝕み、ローマ教会を脅かすようになった

l  皇帝と最初の定期刊行物『最新報告Neue Zeitungen

1509年、ローマ皇帝マクシミリアン1世が大衆の怒りを感じて自身のプロパガンダを印刷し帝国内に流通させた――帝国の動静を伝える『最新報告』で、史上初の定期刊行物

皇帝やローマ教会に異議を唱える数々の小冊子が発行される

l  ルターと小冊子:Flugschriften

1517年、聖アウグスチノ修道会の修道士、神学者、ドイツ語版の聖書の翻訳者のルター(33)が教会の扉に「95か条の議題」を提示し、ローマ教会の堕落を糾弾

ルターは、印刷を「福音の影響力を普及させるために神の恩寵を最大限に利用する行為」と捉え、この文書を印刷し、ヨーロッパ中に周知させる――フルークシュリフテンと名付けられ、宗教改革の原動力となる。ルターは印刷物に報酬を要求、史上初の著者印税

1536年、宗教改革者ジャン・カルヴァンの扇動によってジュネーヴで勝利を収め、改革活動の中心はジュネーヴへと移行

l  ヴェネツィアではジャーナリスト「ノヴェランティNovellanti」が登場

ヴェネツィアでは、商人間のアッヴィージとは別に、最新ニュース専門の書き手であるノヴェランティが登場。さまざまなソースから情報を仕入れて記事にして印刷、遠方の購読者にも郵送。新たな職業として確立、ローマ教会批判や教皇選出にも影響を及ぼす

l  定期刊行される新聞『Messrelationen

1588年、印刷業者や書籍商が集まるフランクフルトの定期市にメッセリラツィオーネンが登場――年1,2回発行され、既存の世界の政治と軍事の最新情報を掲載

月刊誌も登場

l  ロンドンのニュース

1407年、大主教区会議は聖書の英訳を禁止し、イングランドの印刷業と出版業の発展は抑制され、その後も印刷技術は厳格な管理下に置かれる

1525年、新約聖書の英訳が出版され、翻訳者は火刑に処せられ、その後も検閲が続く

16世紀末ごろから、厳しい検閲をすり抜けて、手書きで複写されたチラシが急増、ニューズという名でこっそり販売された

l  フランスでは「カナール()canards」と小冊子

フランスではアッヴィージや小冊子は存在せず、1529年に漸くカナール()が登場

新聞ではなく、印刷チラシのようなもので、路上で販売。作り話が多く放置された

1537年、フランソワ1世は、検閲制度を強化すするとともに、国内で印刷された出版物の王立図書館への納入を義務付け――納本制度の始まり

1563年、シャルル9世は出版に王の許可を義務付け――アッヴィージに相当する小冊子『リベル(ラテン語で「小さな本」の意)』が登場。検閲下でも王に対する匿名批判を掲載

 

第4章     近代における活字ニュースの始まり――17世紀

30年戦争の間も、君主や大学などは情報収集のために手紙のやりとりを継続

中でも、商人が情報共有の環境を整備するために、まずはオランダで情報の自由を確保しようとして発行したのが新聞

 

l  イタリアの『ガゼット』

17世紀初頭、ヴェネツィアで顧客に販売されるアッヴィージを、販売価格に相当する硬貨に描かれていたカササギに因んで「ガゼット」と呼ぶようになる

教皇は、宗教改革に繋がるとして「ガゼット」の流通を禁じたが、様々な形での発行が続き、本格的な新聞の登場となる

l  ドイツの『リレーション』:初の週刊誌、初の日刊紙

1605年、宗教改革の地ストラスブールで印刷業者が『日常の助言』を発刊――週刊で世界の最新ニュースを伝え、タイトルも『リレーション(「目撃者の報告」の意)』に改名

30年戦争終結後、ザクセン公国で公認のヨーロッパ初の日刊紙『新着情報』創刊

l  ネーデルラント:『出来事』『ガゼット』『メルキュール』『広告』

17世紀に入るとアムステルダムが世界経済の中心となり、ヨーロッパ最大の情報市場に

大胆な政教分離により寛容な精神が育まれ、文書の検閲のない唯一の都市であり、ヨーロッパで最も表現の自由が保障されていた

1624年、出版物に広告が登場――最初は書籍に関する広告、次いで個人的な通知や道路の開通などの広報

1656年創刊の『週刊ヨーロッパ』は、現在も発行されている世界最古の新聞

1686年にはメルキュールと呼ばれる月刊専門誌が登場――最初は『ヨーロッパ史概要』

執筆者はおもにオランダに亡命したフランス人で、数十年後の啓蒙主義に至る意識改革において大きな役割を果たす

l  フランスでは、プロパガンダ紙『ルノードのガゼット』

厳格な統制下のフランスでは、公認の年刊誌『メルキュール・・フランソワ』が登場

近代ジャーナリズムの祖とされるテオフラスト・ルノードが登場するが、実際は宮廷の意向に従って活動した広報係――闇で出回るオランダのガゼットの影響に対抗する広報手段として1631年には、宮廷の週刊プロパガンダ誌『ラ・ガゼット』を創刊

l  ロンドンでは検閲と方針転換

1619年、『NEWS』というタイトルで外国のニュースを適宜刊行、その名称が定着

1641年、議会が国王の議会解散権を禁じ、「報道の自由」を宣言。定期刊行物が氾濫

スチュアート朝の王政復古で報道統制が復活したが、1695年検閲システム廃止

l  植民地にて

米大陸の英領でも検閲と紙の使用権が厳格管理

1647年、アメリカ初の定期刊行物『生活暦』が出版

l  日本では瓦版

ニュースを伝える1615年の最古の瓦版が確認されている

 

第5章     表現の自由、ジャーナリズムと民主主義――18世紀初頭から産業革命前まで

ヨーロッパとアメリカでジャーナリストが本格的な職業になったのはこの時代。最初にネーデルラント、次にイギリスで登場

検閲とプロパガンダの横行するなか、危険を冒して事実を述べ、自身の意見を表明。彼等の勇気ある行動により、表現の自由は急速に広まり、それが民主主義の誕生を促す

 

l  オランダの商人たちの間で誕生したジャーナリスト

表現の自由に関する制限が比較的緩かったネーデルラントでは、何種類かの新聞が発行され、自由に執筆して生計を立てる萌芽期のジャーナリストの姿が垣間見られる

行政官が、記事や書物の匿名を禁止しようとしたが、商人と書籍商が反対し、表現の自由を巡る史上初の勝利を勝ち取る

l  ロンドンでは、オピニオン・ジャーナリズムの誕生

1701年、いくつかの新聞創刊、翌年にはイギリス初の日刊紙創刊

l  ドイツでは創刊ラッシュ

18世紀初頭から定期刊行物が急増。国内政治はあまり扱わず、国際情勢や一般社会の雑多なニュース、広告や求人情報を掲載

1703年、ウィーンでドイツ語最古の新聞『ウィーン新聞』創刊

l  イタリアは出遅れる

18世紀初頭、イタリア半島のほとんどの地域は外国の勢力に支配されるか、臣民に表現の自由を与える考えのない王制の統治下にあり、アッヴィージに依存

外国のニュースを提供する刊行物はジョルナーレと呼ばれ、世紀末には時事問題を扱う日刊紙を意味するようになる

l  フランスの新聞:検閲は続く

18世紀初頭、ルイ14世統治下のフランスでは、事前許可の書籍と新聞しか刊行できない状態は続く

1709年、ネーデルラントとの戦争費用を賄うための王から国民宛の手紙が全国の教会で朗読され大成功を収めたが、王が国民全員と直接コミュニケーションをとった珍しい例

l  イギリスが支配するアメリカの新聞の決意

厳しい本国の管理下にあって、1704年ボストンで米大陸初の『ボストン・ニューズレター』創刊――ヨーロッパ情勢について書いた手紙を印刷した週刊誌

1765年には、英領13州のほとんどで少なくとも1冊の週刊印刷物が創刊

 

第6章     出版、「大衆の自由の大きな盾」――1788年から1830年まで

検閲システムがヨーロッパ中で崩壊したが、世界の多くの地域では存続

この40年間、表現の自由と伝える自由を主張する偉大な文書が綴られる

 

l  ボストンでは「出版の自由は大衆の自由の大きな盾」

1765年、米国の英領13州に対しすべての印刷物への課税を宣言。マサチューセッツの若い弁護士ジョン・アダムズ(後の第2代大統領)がボイコットを呼びかけ、全州の印刷業者が立ち上がったため、翌年印紙税法の適用を断念

1768年、植民地政府の立法部門である王室評議会が『ボストン・ガゼット』の廃刊を要求したが、ボストンの裁判所は、「出版の自由は大衆の自由の大きな盾」とのイギリス人の文句を引き合いに出して拒否

1773年、ボストン茶会事件で検閲が復活

1776年、トマス・ペインが匿名で発行した小冊子『コモン・センス』で、イギリスからの離脱と共和国の樹立を主張

同年、ヴァージニア州が権利章典を採択し、報道の自由を宣言した最初の州となる

1791年、ヴァージニア州下院議員ジャームズ・マディソン(後の第4代大統領)は、言論の自由と報道の自由を組み合わせた憲法修正第1条を提出・可決させる

1792年、国が郵便サービスを管理するとの憲法の規定に基づき、「郵便事業法」が成立し、郵便物の秘密保持を保証し、新聞に減免措置を適用――新聞の流通を加速させ、アメリカ国民の識字率を向上させた

1798年、「治安維持法」が可決され、大統領に対する「虚偽、スキャンダル、悪意」ある報道が処罰の対象となったが、1801年には政権が代わって同法は廃止。アメリカはこの3年間を除き、報道の自由を正式に撤回したことはない

l パリでは「思想と意見の自由な伝達は人間の最も貴重な権利の1つ」(仏人権宣言)

1788年末、ルイ16世は平民の陳情書を自由に公表することを認め、実質的な表現の自由と出版の自由を意味し、新聞の数が急増

1789年、三部会で3つの身分が合流して国民会議となり憲法制定の準備が始まる

議会が憲法制定に先立って「人間と市民の権利の宣言」を発し、その11条で「思想の伝達は市民の権利であり、市民の権利を侵害する場合を除き、制限されてはならない」とした

l  つかの間の自由

ジャーナリストの暮らしぶりは悪くなかったが、多くは間もなく弾圧にあう

l  恐怖政治:「世論を毒する者は逮捕する」

1792年、恐怖政治の始まり――報道の自由は3年しか続かず 『権利宣言』を起草したロッシュフコーも殺害、検閲が復活して、新聞の数も半減

l  機械式の通信機:「共和国の形成に、フランスが広すぎるということはない」

誕生したばかりの共和国では、フランス全土を統治するのには、政府の命令を最短時間で直接伝達するための通信機が必要となり、1794年には最初の通信ネットワークが完成

報道の自由によって独裁者の出現を阻止することはできない。この構図はその後何度も繰り返される

l  ナポレオン帝国:「出版する権利は自然権(永遠普遍の権利)ではない」

ナポレオンの最大の懸念事項の1つは報道で、新聞の創刊を禁じ、検閲が復活

l  王政復古の時代:「報道の本質は無秩序と反乱でしかない」

ナポレオン失脚後も検閲は続く

報道の自由擁護の戦いは続き、1819年「王族に対する侮辱や扇動」などを除き建前上自由化され、新たな新聞が相次いで登場、革命へと発展し、報道の自由を巡って体制が崩壊

l  金持ちに仕えるイギリスの報道の自由

イギリスでは、建前上報道の自由は約束されたが、大衆向けの報道の発達を恐れ、新聞の価格や教育費を安価にしないことによって金持ちだけが新聞を購読できようにした

一方で、蒸気機関と連動の円圧式印刷機の発明などにより報道は着実に進歩

l  アメリカでトクヴィルが感嘆したとき

アメリカでは報道の自由が根付き、郵便局は繫栄、国の統一、西部開拓を後押し

アメリカの刑務所システム視察のため訪米していたトクヴィルは、手紙や新聞が遠隔地に迅速に届くことに感銘を受け、アメリカ人の多くがニュースや思想動向に関心を持つことに驚き、「安価で新聞を配達する手段がなければ、フランスは発展で遅れを取る。イギリスでさえ、大衆層に報道を浸透させない政策が原因で高い代償を払うだろう」と警告

l  世界の他の地域では

南アフリカでは1800年に奴隷商人が新聞を創刊したが、植民地政府は情報管理のために新聞を買収し、政府の機関紙にした

インドでも、1826年ヒンディー語で同国初の週刊誌が創刊され、その日は現在でも「ヒンディー・ジャーナリズムの記念日」になっている。新聞も発刊

 

第7章     他人よりも先にすべてを把握する――1830年から1871年まで

技術的な進歩がニュースの伝え方を大きく変化させた

市場経済における工業化の初期段階では、経済情報を最初に得た人が莫大な富を得られることが明らかになり、アメリカやイギリスでは情報の先取りに腐心

アメリカでは、白人が知識と情報を伝達・共有して国を統一しようとした

イギリスほかのヨーロッパでは、商人と中産階級の形成を阻止できなかった

 

l  迅速に伝える

情報伝達と新聞配布は、電信機と蒸気機関車によって著しく加速

1838年、アメリカの鉄道は正式な郵便路線になり、翌年にはイギリスでも郵便専用車両が登場

1838年、ニューヨーク大教授のサミュエル・モールスが、モールス信号の特許を取得。6年後にはアメリカ全土に電信網が広がる

1856年、ウェスタンユニオン誕生。61年には米大陸横断ケーブルが、66年にはニューヨーク・ロンドン間の海底ケーブルが敷設される

l  印刷速度のさらなる向上:輪転機

1846年、アメリカで輪転機の原理に基づく円筒式印刷機が発明、印刷速度に革命

1850年頃には科学的な写真製版技術開発により、発行部数の多い印刷物の多様化が可能になり、翌年には電気メッキによりページ全体の複製や、印刷文字を鋳造するための鋳型の製作も可能に。60年には輪転機開発

l  見る情報の登場!

19世紀初め、報道に絵画が用いられ、1824年にはフランスで写真が始まる

1853年のクリミア戦争では、イギリスが史上初めて戦場カメラマンを派遣

l  伝える人に伝える:通信社

新聞社は世界中に通信員を配置して迅速な情報収集に努めたが、自社体制の構築には費用がかかるため、収集した情報を新聞社に売る通信社がまずフランスに登場

l  アメリカではペニー・ペーパー(廉価大衆紙)

読者数の増加により新聞社の利益は急増、1833年には日刊紙の販売価格を1/61ペニーに引き下げ。この廉価大衆紙がアメリカのジャーナリズムを変化させる

南北戦争の最初の兆候も、1831年ニューヨークにおいて奴隷制度廃止と女性の権利を訴える週刊誌『解放者』の創刊に現れる

1851年、『ニューヨーク・トリビューン』のジャーナリストだったヘンリー・ジャーヴィス・レイモンドはペニー・ペーパーとの差別化を図るために、文芸批判を中心とする『ニューヨーク・タイムズ』を創刊

1860年の大統領選では、肖像写真が報道に使われ威力を発揮

南北戦争中、北部では新聞の発行部数が急増、戦争の実態を示す恐ろしい証拠が続々と伝えられた

1867年には『ニューヨーク・ヘラルド』に新聞初のインタビュー記事が掲載され、69年には「インタビュー」という言葉がオックスフォード英語辞典に登場

l  イギリスでは、報道は金持のためのもの、庶民にとっては単なる娯楽

1830年、イギリスの富裕層は情報を独占するためあらゆる手段を講じる

1833年、広告に対する課税、印紙税、紙に対する課税が半減され、新聞社の経営が好転し、これを機に多くの週刊誌が日刊紙に衣替え

1855年、印紙税法は撤廃されたが、労働者階級はゴシップを扱う政治色のない新聞を読むようになったが、金持階級を脅かすことはなく、有名大学に入学することさえできなかった

l  イギリスの植民地では、ほとんどの新聞は英語で刊行され続けた

1859年、ナイジェリアで一部現地語に翻訳されたアフリカ初の新聞が発刊されたが、ヨーロッパ人がいなくなると消滅

インドでは英字新聞が急増。ヒンディー語初の日刊紙も創刊

l  フランスの新聞:腐敗と品質向上

1830年以降、検閲が少し緩和され、新聞の発行も増える。大きな収入源は広告

4の権力と言われたが、腐敗にまみれ、軽蔑されていた

l  フェイクニュースが戦争を引き起こす:エムス電報事件

1871年の普仏戦争は、スペインの王位継承権を巡って、ビスマルクが配下の新聞に国王が仏大使を侮辱した場面だけを強調して書かせたことがフランスの世論を煽って宣戦布告を決断させた者で、フランス軍はすぐに敗走、フランス共和国樹立が宣言され、検閲は廃止、すべての新聞が郵便サービスを利用できるようになって、漸くフランスに報道の自由が訪れた

l  日本は2年間で一変

日本の新聞は1861年長崎の貿易商の英字新聞が嚆矢

日本語の新聞は1868年創刊の『中外新聞』だが、外国のニュースのみしか掲載されず

 

第8章     進歩を活かす――1871年から1918年まで

この期間、フランスでは、新聞が政治や宗教に密接に存するようになり、紙面の汚染が進行。権力者が自分たちだけの秘密にしておこうと腐心することを、新聞は国民に伝えず、新聞は資本力の代理人である銀行の支配下にあり、新聞の所有者たちにとって、新聞は広告とフェイクニュースと恐喝によって巨額の富を得る手段だった

西洋はじめとする国々では、都市化、郵便ネットワークの拡充、交通機関や輸送手段の発展、既存の技術(写真・電気・電信)と新たな技術(電話・映画・電動機・内燃機関・自動車・航空)の著しい進歩、教育の急速な普及などによって、大衆の生活レベルと知的探求心が向上。多くの人々は醜聞だけでは物足りなくなって、日刊紙を読むようになった

 

l  より良い情報を提供する手段

新聞発行の効率化と低価格化――1873年レミントンによるタイプライターの大量生産開始で編集作業が一変。1806年カーボン紙の普及でタイピストという新たな職種が登場

187678年に3つのイノベーション――電話、蝋管型蓄音機、電球

1895年、フランスで史上初のニュース映画と実写映画公開

1897年、イギリスで無線通信の特許確立

l  通信社の縄張り協定

多くの新聞社は電信による通信社のサービスに依存――アヴァス通信()、ロイター()、ヴォルフ=大陸通信()AP()

各国とも通信社を厳しく監視したが、通信社は政府よりも先に新聞社へ情報を提供

世界中のジャーナリストは、通信社に頼らずに活動しようとして、特派員制度が拡充

1875年、通信社4社は活動地域を分割、情報を共有化して対抗したが、競争激化で同盟は長続きせず

l  イギリスでは、タブロイド、ジンゴ(好戦的愛国者)、新聞卿

ジンゴと呼ばれる自国優先主義の新聞が登場――露土戦争でディズレーリ政府の好戦的な政策を支持

国内の大手数紙を所有して財を成した新聞卿が出現、新聞の持つ政治的影響力は甚大で、後に貴族となる――ジェームズ・シェリダンの『フィナンシャル・タイムズ』(1888年創刊)、『デイリー・テレグラフ』(1890)

1894年、『デイリー・メール』が一般の新聞の半分のサイズで創刊し、「タブロイド」と呼ばれて蔑まれた――ゴシップなどに注力した大衆紙だったために、圧縮型錠剤に因んで名付けられた

l  アメリカでは、広告が紙面を決める

1873年、コムストック法制定――無政府主義など公序良俗に反する新聞の発行、購読を禁止したが、検閲には至らず

1877年、広告代理店登場――新聞の広告欄の販売管理を行う

ドイツからの移民のピュリッツァーは、ドイツ語の日刊紙の校正作業員から身を起こし、各地の新聞を買収して財を成す――新聞に初めて漫画を掲載したため、そのタイトルをもじって「イエロー・ジャーナリズム」と言って蔑まれた

ハーストは、父親の新聞を足掛かりに、買収などを通して手を拡げ、ピュリッツァーに対抗。1903年創刊の『ニューヨーク・デイリー・ミラー』は米初のタブロイド紙

1896年、編集者のアドルフ・オックスは廃刊寸前の『ニューヨーク・タイムズ』をモルガンなどニューヨークの裕福な資本家の支援を得て買収、当時のアメリカにはなかった確かな情報を提供する高級紙にし、広告も拒否して大成功へと導く

l  フランスの新聞とモラル

フランスにおける新聞の役割は、娯楽や情報の提供、広告を通じてではなく、嘘をついて儲けることだったが、一部の新聞は誠実さを維持し、政治闘争において中心的役割を担う

l  ヴィルヘルム2(ドイツ皇帝)のドイツの新聞

1874年、大手紙の時代が始まる。政治的な傾向に合わせて複数の新聞が存在。報道の自由が定められたが、確実に遵守されるのは1919年以降

l  他の地域では、ほとんど何も起きず

インドでは19世紀末に新聞が急増し、懸念を抱いたイギリス当局は1910年報道法によって新聞発行を抑圧

中国では、外国人や西洋化した中国人を対象とする新聞がわずかに存在するのみ

日本では、各地で新聞発行が始まるが、1875年『東京日日新聞』が始めた戸別配達が、後の日本の新聞の息の長い成功を確約

l  新聞と第1次世界大戦

1次大戦開戦と共に、世界中で新聞の発行部数は増加

1918年の「スペイン風邪」もフェイクニュースの温床になる――米大統領が不安を呼び起こす情報の発信を禁止し、各紙はそれに従って看過するか過少にしか報道せず

 

第9章     読む、聞く、そして見る――1919年から1945

文字以外の情報を伝える手段としてラジオが登場、両社は協働して読者/視聴者と広告を増やしたが、表現の自由のための新たな道具を用いても、数多くの民主主義が独裁者の手に渡るのを防ぐことは出来なかった

l  アメリカの新聞が新しくなる:ニュース雑誌

大手紙の紙面には広告が溢れ、ページ数は増え、扱う情報の領域が広がり、紙面を多様化できた。週刊誌をはじめとする新たな定期刊行物も増加

1923年、最初のニュース雑誌『タイム』創刊

192933年の大恐慌時代には、新聞の広告収入が激減、多くの新聞社が淘汰され、吸収合併が相次いだ

『タイム』のヘンリー・ルースは、30年には『フォーチュン』を創刊、36年『ライフ』を買収しフォトジャーナリズムの週刊誌として再創刊、『スポーツ・イラストレイテッド』や『ニューズウィーク』などを加えてハーストに次ぐ第2の新聞帝国を築く

l  貴族たちが所有する新聞

イギリスの新聞も好調。日刊紙・地方紙とも発行部数は20年で倍増。特にタブロイド紙が人気で、その所有者はみな金持ちになって貴族となり大きな影響力を持つ

l  復活するフランスの新聞:アルベール・ロンドル、アレクサンドラ・ダヴィッド=ネール、『カナール・アンシェネ』

大戦後もフランスの新聞は、政府のプロパガンダの道具に堕し、1918年の感染症による深刻な状況を否定してきたため国民の信用を失う

1916年創刊の『カナール』も一時期自由に発行できて『カナール・リーブル(自由な鴨)』だったが、検閲を受けて『カナール・アンシェネ(鎖に繋がれた鴨)』に成り下がる

ジャーナリストによる偉業――アルベール・ロンドルによるモスクワなどの外国取材とアレクサンドラ・ダヴィッド=ネールによる禁断の地ラサへの潜入取材

l  ナチス台頭を手助けしたドイツの新聞

1次大戦後のハイパーインフレで全てが崩壊したが、論説中心の新聞は何とか生き残る

ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党NSDAPは、多くの新聞を発禁及び没収し、国家公務員によって新聞や書籍の編集が行われた

l  軍国主義に加担した日本の新聞

1931年、満州事変を支持した新聞は発行部数を急増させ、批判した雑誌は休刊に

1937年の日中戦争では、中国最大の新聞『中央日報』が日本人の手にわたる

l  イタリアのファシストの新聞

1920年代初頭、新聞はムッソリーニに近い人物に譲渡され、ジャーナリストはファシストの組合への加入を義務付けられる

l  近代における全体主義メディア・システムの先駆け:ソ連の新聞

帝政ロシア崩壊時、ロシア国民の90%は読み書きができなかった

刊行していた一握りの新聞はボルシェヴィキの管理下に置かれ、反体制派の新聞は廃刊に

1925年、ロシアの通信社APTは、「タス通信」と改名。国内のメディアにとっては外国に関する、外国のメディアにとってはソ連に関する唯一の情報源

1936年、ニュースとは名ばかりの新聞が45紙、総発行部数970

l  アメリカでラジオが登場

情報発信手段としてラジオが登場――アメリカでは民間に委ねられたため、1920年のサンフランシスコの「カリフォルニア・シアター」を皮切りにラジオ局が急増

1926年、NBC開設。RCAとともに2大ネットワークを構成し、地方のラジオ局はいずれかに加入していなければ、視聴者はほとんどいなかった

1929年、ラジオの放送するニュース時間は、1日たったの数分で、情報源は新聞と通信社の記事で、24時間以上前のもの。新聞によってラジオの台頭が押さえられていた

l  ヨーロッパにおけるラジオ:権力の手先

ヨーロッパ各国はラジオを、新聞との競争より、選挙民とのコミュニケーションの新たな手段として、魅力と恐怖を感じ、ラジオを民営化ではなく公共放送を選択

1920年、イギリスで初のラジオ放送が行われ、22年に政府が郵便局の参加の民営企業として英国放送協会BBCを設立、唯一放送を許可された

ドイツでは、同年コンサートの中継放送が行われ、23年から公共放送に移行

フランスでも1921年初のラジオ局が放送を開始、国の所有で郵政電信省が管理

ソ連も1922年、ヨーロッパ大陸で最も強力な電波を発信するラジオ局「コミンテルン」を開設したが、ラジオの受信機はほとんど市中に出回らず、タス通信のニュースを流す拡声器の方に注力

l  大恐慌後、アメリカのラジオは情報伝達の権利を得る

恐慌にあって多くの世帯が電話を手放し、新聞の購読もやめたが、ラジオは聞き続けた

1932年フランクリン・D・ルーズヴェルトが大統領になると、「炉辺談話」としてラジオを通じて国民に直接語りかける

1934年、連邦通信委員会FCC設立、国民の情報に対する需要の高まりに対し新聞が譲歩。1938年にはラジオに対する規制が取り除かれ、ニュース番組が拡大

1940年、26百万世帯がラジオを保有――人口1000人当たりラジオ343台に相当

l  ヨーロッパでは、ラジオは国の管理下に置かれ続ける

イギリスでは1930年当時ラジオ局はBBCのみ。ジャーナリスト、音楽家、俳優はラジオを嫌い、放送を拒否、ニュースも流さなかった

フランスでは、密かにラジオ局が開設され徐々に活動の幅を拡大。地方にも拡大。やがて当局も認可に動くが、他国に比べてラジオ受信機の数は遥かに少ない

ドイツでは、すべてのラジオ局と新聞はナチスの管理下に置かれ、国民の精神を鍛え上げるために活用された。国民の受信機保有は全世帯の70%に及び世界一だった

l  テレビの誕生

ニュース映画は映画が登場したときからあり、映画産業を支配していた5(ワーナー・ブラザーズ、フォックス、MGMRKO、パラマウント)は、映画館で本編開始前に短いニュース映画を流し、ニュース映画は人気があった

1928年、GEのニューヨーク工場から世界初のテレビ映像が放送され、初のテレビ局が開設されたが、受信機は1000台のみ

l  2次世界大戦中のメディア、枢軸国

1941年、日本では国家総動員法により、各都道府県の新聞が1つに統合、記事には掲載許可が必要

ドイツでは、開戦と共に新聞はナチスの管理下に置かれ、国防軍が週刊誌『シグナル』を創刊し、占領地域において各国語に翻訳されて配布

フランスでは検閲が再導入、新聞の発行には事前認可が必要、記事の内容に関する具体的な規則制定。ドイツの占領下で非合法新聞が登場

1944年、アヴァス通信社が担ってきた地位をフランス通信社AFPが引き継ぐ

l  連合軍側の戦時中の報道

イギリスでは、1940年チャーチル内閣が「自主検閲」システムを導入。新聞の発行部数は伸び、ラジオは政府の広報の役割を担う

アメリカでは、ヘンリー・ルースが『ライフ』誌上で参戦を促すが、ルーズヴェルトは動かず、42年初には検閲局を設立。ニュース映画が人気を集め、ニールセンのような視聴率の測定が会社が出来た

偉大な戦争特派員には、『トロント・スター』の特派員アーネスト・ヘミングウェイや、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』のジョン・スタインベックらがいる

 

第10章        三大メディアの黄金時代――1945年から2000年まで

1954年、トロント大のマーシャル・マクルーハンは、「テレビの登場により、世界中の人々が共通の「感覚的知覚」を持つようになり、グローバル・ヴィレッジ(地球村)が形成されると予言。さらに7年後には、情報配信のための3つの手段(新聞・ラジオ・テレビ)を総称する「メディア」という言葉を一般に普及させ、「メディアは玩具ではない。メディアは芸術なので、新たな芸術家が担うべき」と説く

 

l  アメリカのメディア:1945年から1972年まで、新聞の絶頂期

終戦後、ラジオとテレビは熾烈な持久戦に入る

新聞は当初善戦、グラビア印刷やオフセット印刷など新たな技術進歩の恩恵を受け、ニュースには事欠かず、ニュースと娯楽を提供する従来からの編集方針を維持

82%のアメリカ人がラジオを聞き、番組の2/3にはスポンサーがついた

1950年、新聞の発行部数の伸びが初めて人口増加率を下回り、新聞衰退の兆しが見える

ネットワークの所有者が変化(ABCがディズニー傘下に)が現れ、ケーブルネットワークが発達。1960年には国民の90%がテレビ受信機を持つ

l  1972年、大転換:ビデオレコーダー、リアリティショー、公平主義の終焉

1972年、アメリカではテレビ受信機の数が日刊紙の発行部数を上回る

1973年に始まったPBSの《アメリカの家族》という安全なのぞき見趣味ともいえる初のリアリティ番組において、アメリカ人は自己を語るようになった

1960年代のイノベーションで登場したビデオレコーダーが普及したのもこの時代

ニュース番組が増えるとともに、従来のアメリカの主婦でなく世界中の人々を対象に情報とアメリカ文化を世界中に拡散させる狙いが功を奏して、人気番組が多く作られた

1984年、アメリカの日刊紙の発行部数がピークの6330万部から下降し始める

1987年、FCCが公平原則を廃止し、党派型のテレビとラジオの端緒を開く――マードックがCNNに対抗して設立した『フォックス・ニューズ』は民主党と戦うための道具に仕立てられたが、テレビに対する評判を落とす

l  絶頂期を迎えたイギリスのメディア

戦後のイギリスのメディアの推移はアメリカと酷似――戦後の絶頂期から1980年代半ばには新聞発行部数が急減し、ラジオ・テレビも不振に陥る

1954年のテレビ法によりBBCの独占は崩れ、民間放送局が誕生

l  フランスのメディア:強まる権力との癒着

フランスも戦後数多くの新聞が登場し、配達能力に支障を来す

パリのメディアは、政治と金融の権力に大きく依存する一方、地方紙はパリの集まりから距離を置き、順調な経営を維持

新聞が活発に拡大を続ける一方、テレビやラジオは政府の厳格な管理下に置かれ、自由を求める戦いは1970年代末になってようやく始まるが、ラジオやテレビのニュースが政治権力と距離を置くようになるのはもう少し後

l  消費者を監視する

監視は権力であり、商人が登場してからは商売の源泉

メディアの広告収入に対する依存は強まり、広告は民間メディアの生存条件になる――メディア間で広告の奪い合いが生じる一方、広告主も各メディアの潜在的な受け手を正確に把握しようとして、アメリカで広告代理店とその顧客のためにメディアの受け手を計測する技術が発展

1947年、シカゴのマーケティング・リサーチ会社ニールセンが初めてラジオの詳細な聴取報告書を作成――聴取者の総数、平均的な数、累積数、各世帯の収入という4つの指標を分析し、最も人気のある20の番組の聴取者像を分析。同じ手法が世界中に拡散

広告の制作が専門化し、フランスを発祥とする広告マーケティング会社も登場、メディアの紙面と時間の卸売りが始まる

l  ドイツのメディア

戦後連合軍により新聞が創刊、ラジオ局も開設され、ドイツ人に引き渡される

l  サミズダート(地下出版物)とグラスノスチ(情報公開)

ソ連のメディアは共産党の厳格な支配下に置かれ、政府はラジオを広報に利用

厳しい検閲をかいくぐってサミズダートと呼ばれた地下出版物が発行されたが、17世紀のイタリアのアッヴィージと似ている

1981年、西側のラジオ放送の受信妨害をやめ、アメリカのラジオ局の駐在員を許可

1985年、ゴルバチョウフ政権誕生に伴い検閲が緩和され言論が自由になって、社会問題の掲載や政権批判が始まる。スターリンの粛清を公然と糾弾。民間のラジオ局も誕生

l  絶大な権力を持つ日本のメディア

1946年、日本新聞協会が設立され、「新聞は社会秩序の番人」であることを確約する新聞倫理綱領を承認することが義務付けられ、1970年代からはようやく論説や世論調査を掲載するようになる

1970年の日刊紙の発行部数は5100万部(総人口の1/2)で、メディアの背後には巨大な産業及び金融グループがあった

テレビ・ラジオの勢いが増しても紙媒体は衰えず、2000年でも6000万部を発行、世界最大を誇る

l  植民地から脱した国のメディア

ラジオ・テレビが急成長する一方、紙媒体は識字率が低かったため限定的

l  新聞、ラジオ、テレビの繫栄、そして第4のメディの台頭:インターネット

郵便が新聞と雑誌、電話はラジオ、写真は映画とテレビの誕生に繋がったように、個人のメッセージ伝達のために開発された技術を利用することによって、インターネットという新たなメディアが発展し始める――SNSの登場

1971年、アメリカ軍が開発した通信ネットワーク上で、異なるコンピュータ間でのメッセージのやり取りに成功。73年にはインターネット・プロトコルやパケット通信が開発

1990年、wwwが開発されインターネットが誕生

 

第11章        徹底的に、読む、観る、聴く、触る――2000年から2020年まで

21世紀初頭、大半の新聞、ラジオ、テレビは、投資採算性を気にする一握りの企業や個人の所有物で、競合他社との競争に明け暮れ、デジタル・プラットフォームによって自分たちが駆逐されそうになっていることに気づいていなかった

 

l  SNSの快進撃

2000年、初のオンラインのメディア登場――人間が関心を維持できるのは12秒だという強迫観念が流布、誰もが12秒ごとに人々の関心をひかなければならないと思い込む

最初は韓国のインターネット新聞『オーマイニュース』という市民参加型のサイト

2001年、ウィキペディア立ち上げ

2002年、アマゾンが世界最大のクラウド・コンピューティング・サービスを展開

2004年、フェイスブック立ち上げ

2006年、ツイッターがスタート――誰もがジャーナリストになれる、最初のデジタル・アッヴィージ

2007年、iPhone登場――インターネットの利用を携帯電話に持ち込んでインターネットの利用法を激変させた

l  紙の新聞の凋落

1980年代に始まった紙の新聞の凋落が加速――目まぐるしく変化する生活様式に適合しなくなっている

日刊紙は発行部数順に、日本2紙、インド2紙、中国

定期刊行物では、アメリカの4誌がトップ――『リーダーズ・ダイジェスト』『ナショナル・ジオグラフィック』『スポーツ・イラストレイテッド』『タイム』

l  オンライン化する新聞

全ての紙の新聞はオンライン化の機会を窺うが、広告を十分に集めることが出来ず、収益性の高いビジネスにはなっていない

『ニューヨーク・タイムズ』は570万のデジタル購読者を抱える世界最大のオンライン新聞と自負。20208月、デジタル版の購読料収入が紙版を上回る

l  ラジオの制御された凋落

2004年、ポッドキャストの登場で、好きな時間にラジオ番組を聴取できるようになる

今日の生活様式に適したものではあるが、着実に聴取の時間は減っている

l  何とか抗うテレビ

スポーツ中継やリアリティ番組、選挙演説などを例外として、テレビも生活様式にそぐわなくなり、視聴時間は減少。アメリカではテレビが情報を得る主な手段ではなくなった

ヨーロッパでは、成人の82%が様々なチャンネルでテレビを毎日視聴

2020年末時点で、世界では人々がメディアを利用する時間の1/3以上はまだテレビに費やされているが、テレビの成長は停滞。従来型メディアは顧客のニーズを把握できなくなり、代わってケーブルネットワークや電話、SNSの事業者が顧客ニーズを把握

l  情報の発信と受診の手段になったSNS

個人のメッセージを伝達するために構築されたデジタル・プラットフォームがマスコミュニケーションの手段になる

個人向けメッセージ・サービスを提供する最大のSNSは、フェイスブックと2つの子会社、ワッツアップとメッセンジャー、インスタグラムや中国のウィーチャットなど

ツイッターは、世界最大の通信社になった

l  以前にもまして重要になった情報を得る手段

識字率は世界中で向上。教育レベルも高水準

高品質な情報を提供する新しいメディも登場――紙媒体では雑誌、ラジオではポッドキャスト、テレビでは専門チャンネルや調査番組

あらゆる分野で内部告発者が増加――自らの自由が犠牲になることを恐れず情報を発信

人々のメディアに対する信頼度はこれまでになく低い――軒並み50%以下、多くは30%以下で、情報発信の自由度は多くの国で低下

SNS上でもデマや常軌を逸した言論が横行しており、民主国でもSNSに関する数々の逸脱は大きな脅威

l  広告を独り占めして従来型メディアを弱体化させるSNS

全てのメディアには広告収入が必要だが、広告はインターネットへと移行。2000年以前と違って新たなメディアが出現しても広告市場の規模が拡大することはなく、大きさの変わらないパイを巡って各メディアの奪い合いが起こる

メディアごとの広告効果の違いがはっきりと表れ、デジタル企業が広告を仕切る

世界の広告費の半分近くはグーグルが仕切り、次いでフェイスブック、アマゾンが追う

企業は、従来型広告を使わなくなり、インフルエンサーを使って自社の製品を消費者に知ってもらう

l  今日、主要な民間メディアの大半を所有するのは、富豪あるいは投資ファンド会社

各種メディアの所有者は富豪や投資ファンドで、編集コンテンツに介入する。本当の情報の所在を熟知しており、情報を操って一儲けする

情報の大衆化は、民主主義の証と考えられているが、中産階級を無産階級に陥れるための策略に過ぎず、少なくとも中産階級が彼等の発信する情報に従うよう仕向けるための手段

2020年のアメリカでは6つの巨大企業が国内の様々な種類の主要メディアを所有――サムナー・レッドストンのナショナル・アミューズメント、ボブ・アイガーのディズニー、ジェイソン・カイラーのタイム・ワーナー、ブライアン・ロバーツのコムキャスト、マードックのニューズ・コープ、吉田憲一郎のソニー

l  SNSが生み出す中毒症状

SNSは、従来型メディアと同じ目的を持つが、より強力な手段を保有

SNSの情報サイトは、利用者のSNS上での閲覧履歴からニーズや関心を的確に把握し、利用者に適した情報だけを選んで発信する

SNSでは、誰もが他者の承認を待ち望み、他者の承認が満足感をもたらし、この満足感がSNSに対して強まる中毒の癒しになる

l  フェイクニュースを拡散させるSNS:アリス・ドノヴァンの場合

2016年、アリス・ドノヴァンと名乗るジャーナリストから投稿を受けた極左のオンライン・メディアがヒラリーの私用メール事件などの記事を掲載したところ、FBIから、ドノヴァンがロシアの軍事諜報機関が作った架空の人物だと通告され、調査すると、他の人物の書いた記事の盗用だと判明、さらにその下を辿ると正体不明の人物だと判明

同時期、ロシアの情報機関が米大統領選中に、ツイートやフェイスブック用のフェイクニュースを流し、信用度の高い新聞にも掲載された事件も発生

太古から、人々はお金と引き換えに嘘をつくことを容認してきたが、新しメディアではこうした傾向が顕著――オンラインでの推薦コメントは意味を失い、誰を信じてよいのかわからない状態

l  SNSが流すデマが人命を奪う:新型コロナウィルス感染症の場合

今回の新型コロナウィルス感染症への対応で分かったのは、一部のメディアの情報発信が極めて危険だったということ。数多く出回った虚偽により多勢の命が失われた

ツイッターでは、フェイクニュースは真実よりも6倍の速さで伝わる

l  SNSによる犠牲者:サミュエル・パティの場合

フェイクニュースを流す匿名アカウントの数は増殖、しかもその多くはロボット

フェイスブックはツイッターのアカウントの少なくとも15%はロボット

たった1件の匿名のメッセージにより、語ってもいないことをその人の発言として仕立てられ、世間に拡散されて、その人物の評判を世界中で貶める。そのような行為は処罰どころか規制の対象でもないため、際限なく繰り返される。イスラム原理主義のテロの犠牲になったパリの教師サミュエル・パティはその典型例

l  凶悪なカルト集団を作り出すSNS:「Qアノン」

1978年のイランでホメイニのメッセージを吹き込んだカセットによって、1993,4年のルワンダでは、民族の対立感情を煽るラジオ局によって、多くの人命が失われたが、同様にSNSは狂信的な信仰やカルト集団を作り出す

2003年、日本の「2チャンネル」を真似て作った「4チャンネル」という電子掲示板に数多くの密告が載る。その中に「Qクリアランス」と呼ばれる国家機密情報へのアクセス権を持つと主張する匿名の人物が署名したとされるメッセージが載ったのを機に、「Qアノン」を師と仰ぐ信者はカルト集団が形成され、瞬く間に世界中に拡散

l  民主主義を脅かすSNS202011月のアメリカ大統領選

アメリカの選挙制度では、社会的少数派が流動的な多数派を形成することがある。そうした社会的少数派にとって、今回の大統領選は民主主義が劣化する前兆

SNSにより、誰もが自分と同じ信仰、文化、言語、社会層の人たちだけと固まって暮らすようになる。こうした傾向は、金儲け主義者の排他的で自己中心的な力学を強め、まとまりのある社会が分断化され、確実性の小さな塊が並列して構成される社会を作り出す。民主主義を遂行する際の基盤は妥協だが、そのような社会では人々が妥協する余地は残されていない

l  情報を得る方法であなたの人となりがわかる

いつの時代においても、各人の情報を得る方法は、その人の社会的地位、教育、習慣、好奇心、批判的な精神によって決まる

あらゆる事象に対し、一度選んだメディアだけから情報を得続ける人たちは、自己の思い込みを強固にするだけ。強い確信を抱き、批判的な精神を失い、自分の信じることが真実だと自己に言い聞かせるために、どんな陰謀論があってもいとも簡単に信じる

SNSは、利用者の好みや関心を分析し、利用者に気づかれることなく利用者の抱く偏見に近いコンテンツを提示する

 

第12章        情報を得て自由に行動する――2021年から2100

今日の多くの人々にとって、オーウェルが『1984年』で描いた社会は、ある意味現実といえる

数多くの人々が苦労して寄せ集め、次世代に継承した素晴らしい手段を、大勢の人々がこれほど悲惨な形で利用するのを座視しなければならないのか。特に、IT技術の大いなる約束が少なくとも20年ほど前から捻じ曲げられたことを、我々は甘受しなければならないのか

 

l  過去から導き出せる教訓とは?

未来を見通す、そして読む、聞く、見る、知るために作られた道具が、ある日突然、我々の社会を破壊するかもしれない。この惨事を防ぐには、情報とコミュニケーション手段の歴史を彩る膨大な出来事、テクノロジー、試行錯誤から教訓を導き出す必要がある

過去には、パターン、不変性、恒常性、傾向があり、これらがメディア史の法則として機能している

   個人のメッセージを配信する手段は、マスコミュニケーションになる――手紙は新聞に、電話はラジオに、写真はテレビに、電子メールはインターネットになった。情報を伝達する他の手段にも同じことがいえる

   情報を伝える手段は、教育、文化、娯楽、芸術にも利用される。これらの手段により、彫刻、版画、印刷、写真、レコード、映画、ラジオ、テレビ、ビデオゲーム、オンラインゲームが可能になった

   情報を作り出して配信する様々な方法は全て商業活動になる。次々と自動化され、機会が担うようになる

   コミュニケーションの道具は、第1に政治権力、富裕層の利益、そして富裕層の顧客である大衆の娯楽の源泉

   社会のイデオロギー、文化、経済の形態は、そこで暮らす人々が情報を得る、あるいは選択する方法に多大な影響を及ぼす

   逆もしかり。社会の構成員の11人がどのように情報を得るのか、あるいは得ないかは、社会の政治、文化、経済の未来に多大な影響を及ぼす

   地政学上の主要勢力になるのは、その時代のコミュニケーションと情報の手段を最もうまく使いこなし、国外向けの情報発信にこれらの手段を利用する国

   権力者は、本当に重要な出来事を真っ先に知るための手段を持ちたがる。そして、どの情報を他者に伝えるのかを選択し、それ以外の情報を検閲し、隠蔽し、こき下ろす

   権力者が臣民の嗜好を知ろうとするように、メディアは常に顧客の関心を探る。両者とも、監視し、魅惑し、楽しませ、注意を引こうとする。メディアは顧客から得たデータを、監視、政治、金融の面で最大限に活用しようとする

   検証可能な正しい情報を得ることができる人口は増えている。自分が目撃した情報を発信したり、情報の影響を分析したりできる人口も増加

   誰もが的確かつ利用価値のある情報に平等かつ自由にアクセスできる環境を確保することは、民主主義を存続させるための条件。だが、そのような環境を整備しても、独裁政権の跋扈を阻止できるとは限らない

   コミュニケーション、情報発信、意見操作、隷属、行動、解放のために、人類は全ての感覚を利用してきた。これは今後も変わらない。視覚、聴覚の次は、触覚、嗅覚、味覚などが用いられる

これらの傾向が変わらないのなら、紙の新聞の購読、ラジオとテレビの視聴、SNSの利用はあと数年は続くだろう。ますます多くの人がジャーナリストを自称し、メディアを立ち上げるはず

全人類が情報を得る、教育を受ける、批判する、探求する、思考する、自由を得る手段を確保するための闘いに、我々の多くが参加し、勝利しなければならない

l  明日はどんな世界になるのか?

社会のイデオロギー、文化、経済の形態が、人々の情報を得る方法に多大な影響を及ぼすことは実証されているので、情報を得る方法の変化を見抜くにはできる限り正確に社会の変化を把握するとともに、情報を得る方法の変化が社会に及ぼす影響も精査する必要

今後の数十年間を見通すと、世界人口は増加から減少へと転じ、気候変動の及ぼす影響は悪化。世界中で教育と文化のレベルは上がり、都市部の人口が増加。市場とその支配者は有用な情報を独占し、大衆は娯楽に興じる

主な投資先となる産業は人命を守る産業。人類の活動はさらに自動化され、ムーアとメトカーフの法則は今後も長期的に作用する

主要国は存続しつづけるが、軍事面で秀でた新たな勢力が登場――インド、ナイジェリア、インドネシア、ブラジルで、巨大で過激な勢力が世界を揺るがし続ける

人類は徐々に3つの集団へと分類される――①権力・知識・富の大部分を支配する上級ノマドで構成されるごく一握りの集団、②飢餓で命を落とすことさえある極貧に喘ぐノマドからなる集団、③中間のヴァーチャル・ノマド集団

対策を早急に打ち出さなければ①が、収集したデータを活用して国家権力を徐々に奪っていく。誰もが自身の透明な箱の中に閉じこもり、自分の考えに反する情報を受け入れようとしなくなり、自己の確信に固執するため互いに妥協することが困難になる。結果として、個人の自由よりも安全が求められるようになり、環境問題の解決に伴う制約は厳しくなる。自身に関する情報を、サービスを提供してくれる相手に自ら進んで差し出すようになり、超監視社会が到来し、死の恐怖から逃れるために信仰や儀式よりも娯楽にうつつを抜かす

こうした世界がもたらす深刻な矛盾に疑問を抱き、これらの矛盾が極端な結果をもたらす前に、この悪夢に終止符を打ち、世界に意義を付し、未来の世界から過剰な利益を収奪する輩を追放することを要求する複数のグループが登場するだろう――すでにいくつかのグループが存在。不遇の少数派を支援すると称して特定の思想やイデオロギーを擁護したり、恐怖を煽ることによっていくつかの国で勝利し、独裁体制を敷くに違いない

一方で、個人の自由の尊重のために闘うグループ、主要な共通の課題に対して地球規模のガバナンスを組織するというポジティブな民主主義の構築を目指すグループもある

どのグループが勝利するかは全く予断を許さないが、これらの闘いにおいて、メディアは今後も主要な武器になるはず

l  一部の紙の新聞はもうしばらくの間、生き延びる

日本を例外とすれば、紙の新聞の将来が約束されている民主国は稀で、スポーツ紙と地方紙以外は姿を消すが、ジャーナリストを目指す若者は増えるだろう

雑誌は、出来事の理解や娯楽のために紙の新聞よりもわずかに耐久力を発揮するだろう

紙の新聞は、知的好奇心の高い読者を対象に独自の有用なコンテンツを提供できるのなら、オンライン化しなくても利益を確保できるだろう

複数の新聞を一括してオンライン定期購読できるようになる――映画ならネトフリやアップル、音楽ならスポティファイのように

紙媒体の経済モデルはいずれ廃れる――他のメディアが既に伝えた情報しか提供できず、広告も取れなくなるし流通コストも障害になるし、スマホの普及がそれを加速

l  紙版とオンライン版の混合メディア:『ニューヨーク・タイムズ』の危うい戦略

財政的な独立を維持しようとして多くの新聞社がオンライン版を立ち上げ、一部は紙版を維持して共通コストを削減しようとする

成功例が『ニューヨーク・タイムズ』で、「世界で唯一信頼できる独立した情報源」としての地位を確立すると息巻いているが、優秀なジャーナリストからなる巨大なチームを維持するのは至難の業だし、収益化に至っては前途多難

16世紀のアッヴィージの手法が発展し続けるはず――大手金融機関が顧客に無料で提供する極めて価値の高い情報が記された親書の類

l  未来のノマド向けメディアとなるラジオ

ラジオにはまだ明るい未来が考えられる

世界中のラジオ局の番組を高音質で聴くことができるアプリが開発されている

地方で暮らす人々にとって、一般的な情報を得るための主要な社会との接点

l  健在ながらも過去のメディアになるテレビ

テレビは今後も、娯楽、情報、スポーツや選挙の生中継などで活躍するだろう

絞り込んだ視聴者を対象にする短めの動画配信の専門チャンネルが入る余地がある

メディアの細分化に伴い、ジャーナリストの自営業化も進行

l  SNS:情報を得るために情報を発信する

SNS情報で自身に関する情報を発信し、自分の生活に影響を及ぼす情報、出来事、人々を検索し続け、自身の見解に一致する情報だけを探し求める

SNS側は、アルゴリズムを駆使して、利用者の取り込みを図る

いたるところにセンサーが設置され、本人の健康、冷蔵庫の中身、銀行口座の残高、一緒に暮らす人の情報を絶えずSNSに提供する

l  自動化されるジャーナリズム

大勢の人々が出版の喜びや自己顕示欲を満たすための教養と動機を持つようになり、わずかな報酬、さらには無償で記事を書くようになる――デジタル・アッヴィージの登場

メディアにおいても、人間の労働は次第に人工物が担うようになる

メディア活動の自動化は、人間活動全般の自動化に向けた長い歴史的傾向の一部で、情報操作の自動化に向けた歴史的傾向の現われでもある

ジャーナリストの消滅は、ジャーナリストのプロレタリア化と女性ジャーナリストの増加によって始まる

ジャーナリズムの自動化のプロセスは、情報の生成自体を自動化する

文書や画像だけにとどまらず、匂いや触感もデータとして送信できるようになる

l  情報を超え、他者の人生を生きる

現実とヴァーチャルの融合

スマホで撮った写真を3D で送信する技術も開発された

究極の進化は、思考の伝達

l  脳を移し替える

ネット接続された人工物が、ある人物から別の人物へとメッセージを伝達するようになる

思考の伝達は、メッセージを伝達する他の手段と同様、個人のメッセージを拡散するためだけでなく、情報を無意識のうちに認知させるためにも利用されるだろう――サブリミナル効果を生み出す道具として使われる

究極的には思考の伝達により、記憶、感情、さらには自分の意識までも、他人の脳、ホログラムなどの人工物、クロ-ンに移し替えることが可能になるかもしれない――自分の意識を持つ不死の人口物の創造に成功するだろう

l  本当の権力とは

究極のファンタジーが実現するまで、権力者たちは情報開示がきちんと行われていると大衆に信じ込ませながら、大衆に娯楽を与え続け、最も価値ある情報は小さな集まりの中だけで流通し続ける

このままでは、絶望的な大参事が訪れるのは必至。別な道を歩む必要がある

 

第13章        何をなすべきか

マルクスは、『ゴータ綱領批判』の最後に、「自らの魂を救済するためにしか、私はそれを語らない」と言っている

市場の力が最悪の事態を引き起こす可能性が高い中、それを避けるためには、世界規模で物事の流れを根本的に変え、多くの権力者を打倒し、国民、ジャーナリスト、メディア、国内外の当局という4つの段階で、数多くの変革を起す必要がある

 

l  情報を得るための学習

人間は人生のかなりの時間を学習に費やし、生涯を通じて情報を得るが、情報の多くは虚偽であり、真実と虚偽の区別の仕方を学ぶ機会はほとんどない

l  「反証可能性」を持つ真実

多くの人々にとって、自分が信じたいことが真実になる――事実、意見、信念を混同

明確に特定された状況において論理的妥当性を立証する事実、理論、統計、経験などによって証明できるのが真実

社会的な現実における真実は、最も抽象的な科学と同じ規範に従う

どの分野においても、研究は真実を進化させ、理論の妥当性を証明する

真実とは、いかなる権力からも独立し、社会的に広く認められた誠実な専門家たちの暫定的なコンセンサスに過ぎない。この概念が「反証可能性」

今日のSNSはフォロワー数で決まるため、真実を語る道具としては機能していない

l  情報を得る技術を教える

真実と虚偽を見分けられるようになり、批判的精神を養った後、最良の情報を見つけることを学ぶ

自身の思い込みや家庭で学んだことに反して思考することが前提であり、すべてを疑うことから始まる

世界中の学校で、時事問題の分析の仕方、副次的なこと、重要なこと、本質的なことを見極める方法を教えるべき

l  フェイクニュース、侮辱、脅迫を見抜く手段を習得する

日増しに巧妙になるフェイクニュースや嘘を見破るのは難しく、検証すべきニュースはほぼ無限にある

情報の妥当性の尺度を提示するアプリなら開発できるかもしれない

その間にも民主主義は劣化していく。だからこそジャーナリストの出番

l  ジャーナリズムの価値を見直す

情報発信が極めて特殊な能力を必要とする職業であることを周知することから始める

情報の質を確保するためには、よく訓練されたジャーナリストの存在が不可欠

ジャーナリズムの10の原則

   真実と虚偽の区別――情報、意見、信条を切り分け、事実を注視する

   情報源は必ず記す――現場に足を運ぶ

   贈収賄や過剰な接待に応じない――沈黙と引き換えに利益を得てはいけない

   一部の人だけに情報提供してはならない

   時事問題は、常に社会的、思想的、文化的、歴史的な背景に照らし合わせて検証する

   世間の注目を引くために感情に訴える内容だけで満足してはいけない

   悲惨な出来事だけでなく、ポジティブな明るいニュースも報道する

   個人的に興味のある話題があれば、すぐに記事を書いて発表する――ソリューション・ジャーナリズムやインパクト・ジャーナリズムといった手法を学ぶ

   デザイナー、意味解析の専門家などと協働することを学ぶ――アルゴリズムの利用と書き方を習得

   自身のメディア立ち上げを準備する――対象を絞ったニッチなメディアの有用性

ジャーナリストとメディア保護のため、世界規模のジャーナリズム憲章の制定が急務

人工知能に関する憲章と連動させるべき

l  新聞、ラジオ、テレビの生き残りの支援、そして新たなメディアの誕生:デジタル・アッヴィージ

文字、音、イメージの3つの次元で統合する従来型メディアが存続するには、オーダーメイドなサービスを提供し、瞬時に物事の意味を解き明かし、情報の受け手と世界を結びつけるライブ興行を企画しなければならない。編集機能に口出しする金融グループ、先細る広告収入、自分たちの破壊を目論む巨大なSNSやプラットフォームから独立することが望ましい

情報の価値とは何か、メディアは財源をどう確保すればよいのかは大きな問題

既存メディアが存亡の危機にある現在、ジャーナリスト各人がメディアを立ち上げることを支援すべき

デジタル・アッヴィージは、文字、音声、画像、SNSという4つの形態を同時に利用して契約者向けの「親書」を作成。契約者のソーシャルグラフの管理をSNSから奪い返すことが出来れば、契約者はSNSから抜け出すことができ、各種プラットフォームに依存しないコミュニティを構築できるようになり成功する

l  プラットフォームとSNSの管理と解体

悲惨な未来を回避するためには、既存の巨大なプラットフォームを制御する必要がある

まずは税制、次いでデジタル・サービス法によってオンライン上のサービスに関する規制の刷新、利用者のデータの取得や取得情報の他への転送を禁止、さらにはアルゴリズムの監査や、情報独占の禁止などの制約、企業の解体まで考えられる

l  情報を遮断する時間を持つ

日常生活を破壊する中毒性のある巨大メディアの毒牙からの逃れるためには、日常生活を顧みて、以下のことを検討すべき

   情報や個人のメッセージの流通速度を下げる

   メディアとの接触を定期的に遮断する

   自分のメッセージを承認してくれる人の数という表面的な評価に踊らされない

   読書する

   熟考する時間を持つ

   他者とオンラインでなく実際に会って交流する

   想像をめぐらす

   夢想する

   瞑想する

   SNSに帰属することによって得られる儚い満足感や、SNSから得られるヴァーチャルな承認ではなく、他者や自己への関心を取り戻す

   本物の芸術や文化によって英気を養う

   孤独を恐れず、生身の他者と積極的に会い、日々の暮らしに最大の価値を見出しながら、「自己になる」ための時間を持つ

   情報を得ること以上に、己の心の声に耳を傾け、自身の特性を生かして自己を開花させる

   正しい判断を下すには情報を得る心構えが必要だが、その最良の手段は、時として情報を得ないこと

現代の巨大メディアが危険なのは、彼等の普段の行動だけでなく、彼等の暴走が惨事を引き起こすからで、市場での情報と娯楽の融合は、一部の富裕層が不死身の存在になろうとしている間に、人間が死すべき存在であることを忘れさせる手段に過ぎないことを人々は気付くべき

巨大化するデジタル・テクノロジー機器に対する我々の依存はますます強まり、ほとんどの社会インフラは機能不全に陥り、コミュニケーションなどの社会的機能に関するあらゆる手段はこれらの機器が担っているだろうから、人類は石器時代に舞い戻る恐れがある

座視するのではなく、これらのテクノロジーをうまく制御し、さまざまな差異こそが共同体の富の源泉だと誰もが認める真に民主的な社会で暮らせるようにしなければならない

そうなれば、すべてのメディアがこれまで達成できなかった使命を果たすことができる。すなわち、人類があらゆる知識を共有し、これを次世代に伝えることだ

これが実現できるのなら、いつの日か人類は意識と呼ばれるものの存在意義を見出すに違いない

 

 

 

メディアの未来 ジャック・アタリ著

健全な発展に向けた提言

2021116 2:00 日本経済新聞

インターネットを軸に様々なツールを通じて膨大な情報が流布し、それらの真偽が一段と曖昧になる未来を見越した「警鐘」の本だ。メディアとジャーナリストを民主主義に欠かせない存在だと位置づけ、健全な発展には何が必要かと論じている。

フランス語の原題は「メディアの物語」。1章から11章までは欧米を中心に「メディアはどう発達してきたか」という歴史を検証する。読み物として面白く、資料価値も高い。だが、本書の真価は残る2章にある。

12章はこれから2100年までに予測される変化を描く。人工知能(AI)をはじめとする最新技術を基盤に、情報ツールの「これから」を見通す。虚実ない交ぜが進む世界で、優位に立ちそうな巨大IT(情報技術)企業には厳しい目を向ける。

13章では、情報を吟味し、的確に判断できる優秀なジャーナリストを育てるにはどうすべきか、具体的な提言を並べる。実現できるかどうか微妙だが、著名な経済学者で思想家でもある著者の危機感は伝わってくる。

企業としてのメディア、職業としてのジャーナリストを巡る環境は厳しい。その認識が世界で共有されていると示したのが今年のノーベル平和賞だ。強権の政治指導者と闘う2人のジャーナリストの受賞が決まった。タイムリーな出版だ。林昌宏訳。(プレジデント社・3630円)

 

 

『メディアの未来』ジャック・アタリ著、林昌宏訳 GAFA独裁 避けるには

2021/10/31 10:15桑原   産経

《メディアはメッセージである》というカナダの文明批評家、マーシャル・マクルーハンの箴言(しんげん)を思い起こしている。人々はメディアが媒介するコンテンツ(内容)にばかり注意を向け、メディア(媒体)そのものが持つ特性(メッセージ)に対して無頓着だった。これに対してマクルーハンはこんな言葉で警告を発していたのである。1964年のことだ。メディアは、その存在自体がメッセージを発し、それは個人や社会を大きく変えてしまう。その影響力はコンテンツよりもはるかに大きいといえる。

新聞、ラジオ、テレビといったオールド・メディアは、マクルーハンの箴言の真意に気付かぬまま、コンテンツに拘泥し、新たに登場したメディア、つまりインターネットの普及によって生まれたさまざまな情報サービスその筆頭はGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)であるが持つ破壊的な影響力をあまりにも軽く見ていた。自分たちは充実したコンテンツをつくっていれば安泰だと。それが失敗の始まりだった。国境を持たぬGAFAは、いまや国家をも凌駕する巨大な権力に成長した。

2021年、民主主義国家のオールド・メディアはかつてのような影響力を失い、企業として存亡の機にひんしているところも多い。近い将来、オールド・メディアが担ってきたジャーナリズムはどうなってしまうのか。言うまでもなくジャーナリズムの衰退は民主主義の衰退に直結する。ジョージ・オーウェルがディストピア小説『1984』で描いた世界がわれわれを待ち受けているのかもしれない。そこではGAFAが「ビッグ・ブラザー」(独裁者)として君臨しているだろう。その危険にいち早く気づいたのは皮肉にも独裁国家である中国だ。共産党は中国版GAFAであるBATX(バイドゥ、アリババ、テンセント、シャオミ)の統制を始めた。

1984』的世界を回避するために、世界の民主主義国家が手を取り合って今すぐに取りかかるべき課題とは何か。アタリはメディアの歴史を丁寧にひもとき、われわれが議論し考えるためのプラットホームを本書で提供してくれる。(プレジデント社・3630円)

 

 

 

 

 

「敗因」から探る新聞の未来、縮小か大胆なDXか 外岡秀俊さん寄稿

2022118 1600分 朝日

 20211223日に急逝したジャーナリスト外岡秀俊さんはメディアの未来を案じ続け、1本の論考を残した。亡くなる1週間前まで推敲を重ねたそのタイトルは「『敗因』から探る新聞の未来/縮小か、大胆なDXで再生か」(月刊Journalism1月号掲載)。GAFAが情報空間の支配を広げる中、ジャーナリズムはどう活路を開くべきか……。過去の成功体験や、将来への悲観に引きずられぬ大胆な改革を求め、それでこそ「分断の時代に民主主義のインフラであり続けるだろう」とつづっている。2110月、「メディアの未来を論じてほしい」という編集者(宮崎陽介)の執筆依頼に対し、「あまりに大きなテーマで、何を書けるか自信はありません」としていた。だが、論考は視座や切り込みに遠慮はなく、自省から説き起こす謙虚な筆致による問題提起だ。進行形の「今」を捉え続けた氏のメッセージをどう受けとめるか。

 

外岡秀俊(そとおか・ひでとし)

1953年生まれ。東京大学在学中に石川啄木の足跡をたどった『北帰行』で文芸賞。朝日新聞ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。退職後、主に震災や沖縄について取材・執筆。著書に『アジアへ』(みすず書房)、『311 複合被災』(岩波新書)、『価値変容する世界』(朝日新聞出版)など。

寄稿 外岡秀俊さん(Journalism1月号掲載)

 日本の新聞の総発行部数は、いつがピークだったのか。覚えている人は少ないだろう。

 日本新聞協会の統計によると、正解は1997年の5376万部だ。2020年に総部数は3509万部になったので、この23年間に1867万部が減ったことになる。

 だがもう少し詳しくみると、2010年ごろまでは5千万部前後に踏みとどまっていた。急落したのは11年から18年にかけてで、わずか7年間に850万部を失った。その間に何が起きたのだろう。

 総務省の情報通信白書は2017年版の本文冒頭に「データ主導経済と社会変革」を掲げ、スマートフォンの個人保有率が2011年の146%から16年の568%まで、5年間に4倍になったことを指摘した。スマホの「爆発的普及」である。

 新聞の部数の長期低落を、インターネットの台頭と結びつける人は多い。実際、阪神・淡路大震災でその威力が知られ、利用者が急増したために「インターネット元年」と呼ばれたのが1995年。翌年にはイクロソフト社のウィンドウズ95が「インターネット・エクスプローラー」を標準装備したから、97年をピークに部数減が続いたことと辻褄が合う。だがそれだけでは、急激な部数落ち込みは説明できない。ネットがスマホに移行し、「いつでも・どこでも・誰とでも」つながる情報環境が出現し、SNSが普及したことで生活スタイル、コミュニケーションの在り方が決定的に変わったのである。

 羊頭狗肉の感があるが、これから私が書こうと思うのは「メディアの未来」予測ではない。『5000日後の世界』(PHP新書)でケヴィン・ケリーがいうように、それは「すべてがAIに接続されたミラーワールド」になるのか。それとも『メディアの未来』(プレジデント社)でジャック・アタリが予言するような「現実とヴァーチャルの融合」、さらには脳と脳を直接結びつける思考伝達回路なのか。激しい批判を受けてこのほどフェイスブックが社名を「メタ」に改めたのは、スマホのSNSに代わって仮想空間を共有する新たなメディア「メタバース」に向けた第一歩なのだろう。

 だが、その登場以前にネットやスマホ、SNSの台頭を予感すらできなかった私が、将来のテクノロジーを予見できるはずもない。

 私が書こうと思うのは、なぜ既成メディア、とりわけ新聞が激変する情報環境に適応できなかったのか、その失敗についてだ。勝因には好機や偶発的な要素が絡み、成功体験はむしろ、過度な自信や錯覚となって将来に過誤をもたらす。敗因にこそ、不確実な未来への指針が隠されていると思うからだ。

 

l  世界十傑に日本6紙 「軟着陸できる」甘かった見極め

新聞の生命線であるコンテンツをバラまいてアクセスを稼ぐ手法。プラットフォーム企業の確立。スマートフォンの爆発的な普及――。さまざまな敗因を指摘しながらも、外岡さんは、新聞は「生き残りをかけて必死に活路を見いだそうとする異業種の挑戦に目を向け、学ぶべきだろう」と指摘します。縮小均衡を続けるか、大胆なDXでメディア産業として再生するか。記事後半で論じます。

 英国に滞在していた2002年から06年にかけ、私は英紙ガーディアンの抜き刷り「メディア」を楽しみにしていた。英国の各紙の部数だけでなく、メディアの舞台裏や業界の変化を事細かに報じるからだ。ある日、世界の新聞発行部数十傑の特集を見て、目を疑った。トップの読売、続く朝日だけでなく、毎日、日経、産経、中日まで、日本の新聞6紙がランク入りしていたからだ。

 冷戦期まで、世界トップはプラウダで、人民日報がそれに続いた。冷戦が終わって、強制的に購読させていた両紙が消えたのは当然だった。それよりも私の驚きは、ネットが席巻して、世界の主要紙が低迷を余儀なくされていた当時、なぜ日本の各紙だけが巨大部数を維持しているのか、という点にあった。

 だが考えてみれば、理由は簡単だった。欧米ではスタンド売りが多く、そもそも部数が少ない。広告収入が売り上げの78割という新聞も少なくない。求人・求職などの広告がネットに流れれば、経営への打撃は深刻だ。

 それに対し、日本では購読と広告の収入が拮抗し、販売店による宅配制度と勧誘が部数減を防いでいた。しかも近代以降に閲読習慣が根づき、日本語という参入障壁に守られている。米国や韓国では新聞の危機が叫ばれていたが、日本はまだ余裕があった。部数が急落するまで時間を稼ぎ、その間に「紙からネットへ」の業態移行を急げば、軟着陸はできる。私は漠然とそう楽観し、日本の新聞には、まだ利がある。そう思い込んでいた。甘かった。そうした日本の利点は、ことごとくデジタル化に乗り遅れる敗因になったのである。

 在社当時、私はデジタル戦略はおろか、経営の末端にも携わったことはない。それでもあえて「敗因」に言及するのは、新聞の取材・編集一筋で三十余年を過ごした私が、「デジタル化」に誤解と偏見を抱いてきたことを記しておきたいと思うからだ。以下に書くことは、デジタル化の初歩や基礎知識に通じた人なら、「そんなことも知らなかったのか」と呆れる事柄に違いない。だが、私が抱いていたような誤った理解を、いまだに「常識」のように信じている人は、既成メディアには少なくないように思う。端的に言えば、それは既成メディアが確立した20世紀の「成功体験」を、「常識」として引きずる体質が残っているからだ。

 

l  「ニュースは無料」 ニューヨーク・タイムズ最大級の過ち

 最初に、スコット・ギャロウェイの『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』(2018年、東洋経済新報社)を例にとろう。グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの巨大IT企業が、いかに寡占にまで成長し、旧来ビジネスのルールを変えたのかを展望した本だ。この本が興味深いのは、経営学を教える著者が、08年にニューヨーク・タイムズ(以下タイムズ)社に役員として乗り込み、タイムズのデジタル戦略がいかに間違っているかを経営陣に説得しようとして、失敗した体験を盛り込んだ点だ。

 タイムズ社はグーグルやフェイスブックにコンテンツへのアクセスを許し、自サイトのクリック数を増やす方針をとっていた。著者は、そのタイムズに「グーグルを遮断せよ」と進言する。理由はこうだ。たとえばパリのホテルを探す人に、グーグルがリンクしたタイムズの旅行記事を提供する。そのページにはグーグルが獲得した特定ホテルのバナー広告が表示される。

 一見すると「ウィン・ウィン」の関係に映るが、グーグルはタイムズの読者層に狙いを定め、読者が望む広告を売ることで、巨額の収入を得ている。グーグルはタイムズのコンテンツへのアクセスで社会的信用を得るばかりか、その読者層のデータを広告に活用する。

 新聞の生命線はコンテンツだ。だがタイムズは貴重なコンテンツをあらゆるところにバラまいてアクセスを稼ぐという「最大級の過ち」をおかした。それは「エルメスが同社のホームページへのアクセスを増やすため、バーキンをウォルマートの通販サイトを通して売ろうとするようなものだ」と著者はいう。彼はもっと皮肉に、「ぜいたく品のブランドを下水道に流すことで広めて、下水道の所有者には自分の店よりも安い値をつけることを許容したのだ」ともいう。ここでいう「下水道」とは、もちろんプラットフォーマーを指す。つまり、アクセスを増やすという間違ったアプローチで、「ニュースは無料だ」という自滅への道をたどったというのである。

 だが著者の提言は聞き入れられなかった。タイムズ社は05年、植物の剪定から病気治療まで、数百のコンテンツを提供する「About.com」を買収していた。そのコンテンツへのアクセス数はグーグルに頼っているので、グーグルを怒らせるわけにはいかない、というのだ。だがその結果、タイムズ社は「About.com」を買値よりも低い値で手放すことになった。著者はこういう。

 「グーグルはインターネットの重要な土地を領主のように支配している。タイムズ社はその土地の小作人だった。タイムズ社の運命ははじめから決められていたのだ」

デジタル化が進んで社説の「対面」という概念がなくなり、論評面「Op-Ed(オプエド)」の表現を取りやめることを伝えるニューヨーク・タイムズの記事=20214

 

l  GAFA台頭 敗者はメディアだけでない

 ここには重要な教訓が示されているように思う。まず彼らが、コンテンツについては通常の意味での責任を負わないと明言する通り、「プラットフォーマーは情報産業ではない」という事実だ。では何者か。「ニューヨーカー」の記者ケン・オーレッタの『グーグル秘録』(2013年、文春文庫)によれば、検索会社として出発したグーグルは、クリック数と連動させたネット広告「アドワーズ」と、ブログや企業に広告を斡旋する「アドセンス」によって飛躍的に業績を伸ばした。同社の幹部はその画期となった02年を「自らが広告業であると気づいた年」と呼んだという。だがその後、グーグルは天文、地理、書籍、報道などすべての情報を収集して管理し、あらゆる個人の嗜好や欲求、性向に最適な情報を無料で提示し、それに見合った広告を得るようになった。その意味でプラットフォーマーはすでに「広告業」の枠を超え、情報を支配する「データ産業」になったといえる。個人に便利なデータを提供する代わりに、個人データをもとに最適な広告を売る新産業だ。

 膨大なデータを集積するのは、それがディープラーニングによるAIの進化に欠かせないからだ。最近はプライバシー保護の観点からGAFAへの規制の動きが強まった。中国もBATXと呼ばれるバイドゥ、アリババ、テンセント、シャオミーなどの勝ち組への統制を強めている。だが次世代テクノロジーの中核がAIであり、その「燃料」が絶え間のないデータの供給である限り、これら巨大「データ産業」は技術覇権を競う「国家」と融合・一体化しつつ歩み続けるだろう。

 この節の最後に、私がギャロウェイの著書で気づいたもう一つの「誤解」について述べたい。それは「メディアだけがデジタル化の敗者ではない」という事実だ。スマホに対し、あらゆる情報端末が敗者だったように、GAFAに対して、広告会社、流通、小売りまで、既存産業の多くが敗者なのだ。かつての私のように、メディアに携わる多くの人は、自分の基盤を没落、凋落産業と決めつけすぎている。自嘲を気取るのはいいが、それでは後進世代の意欲を削ぐばかりだ。まずメディアだけが敗者ではなく、小売り、流通などの敗者の中から、生き残りをかけて必死に活路を見いだそうとする異業種の挑戦に目を向け、学ぶべきだろう。

 ついでにもう一つ、GAFAの台頭に関して、ギャロウェイは別の要因を指摘している。彼は米国の小売業の変遷を6段階にたどる。町角(まちかど)店舗、デパート、ショッピングモール、大規模小売店、専門店、eコマースだ。デジタル化による秩序破壊で、実店舗は苦境に立たされた。そこまでは一般の理解だろう。だが経営学が専門の彼はさらにいう。「しかしネット販売は、いまだ小売り全体の1012%を占めるに過ぎない。消滅しかかっているのは店舗ではなく中産階級であり、彼らに商品を売っていた店舗である」

 ネットへの移行は、日本など先進国で中産階層が先細り、格差が増大した時期に重なる。これが並行現象なのか、因果関係なのかは、まだわからない。だがネット要因とは別に、既成メディアが依拠していた中産階層が細り、同時に家族34人の戦後モデルが崩れ、独居世帯が「標準モデル」になる時期だった点も押さえる必要がありそうだ。

 

l  「あらたにす」の失敗 勝敗分けたもう一つの要因

 20世紀のメディアの歴史について書かれた名著は数多い。雑誌・新聞・テレビの変遷をたどったD・ハルバースタムの『メディアの権力』、「日経」を軸に新聞へのコンピューター導入を描く杉山隆男の『メディアの興亡』、新興ブルームバーグの日本上陸の衝撃を描く下山進の『勝負の分かれ目』などだ。

 ここでは、下山氏による続編『2050年のメディア』(2019年、文藝春秋)に触れておきたい。この本で著者が、ネット席巻後のメディアの地殻変動を、新聞各社の対応を中心に活写しているからだ。ここでの主役は、グーグルではなく、日本で特異なプラットフォームを確立したヤフー・ジャパンだ。

 詳細は同書に譲るが、著者は2000年代前半が、地殻変動の分水嶺だとみている。その時期に朝日、読売など全国紙は、ほぼ無料で自社やヤフーのサイトに記事を出していた。日経だけは本紙掲載の3割しか無料で読ませないという「3割ルール」を決めていた。のちに実現するデジタル有料版への布石だ。

 05年には新聞広告が急激に下がり、ネット広告が急増する兆しが見えた。電通の新聞局は地方紙を回り、ヤフーに記事を出さないよう説得する一方、ヤフーはやはり地方紙に、記事を出すよう勧誘した。

 最初に動いたのは共同通信だ。地方紙の部数が下がり続け、そのウェブサイトへのアクセスも頭打ちだ。一方で東京のIT企業の業績はぐんぐん上がる。06年末、共同通信は地方紙と「47NEWS」という対抗サイトを立ち上げ、ヤフーから離脱する。さらに読売、朝日、日経の3社連合は08年に「あらたにす」という共通サイトを立ち上げた。

 だがヤフーも対抗策を打ち出す。ユーザーが見出しをクリックすれば、記事提供社のサイトに戻り、広告も飛ばして料金を折半するという「トラフィック・バック」という仕組みを導入した。ヤフーは読売への情報提供料も倍に引き上げ、離脱を防いだ。

 だが勝敗を分けたのは別の要因だった。「あらたにす」が始まった08年、ヤフー・ジャパンを創設したソフトバンクは、日本初のスマートフォンを売り出した。その爆発的な普及が、地殻変動の正体だった。「あらたにす」は4年強で幕を下ろした。

 著者は、新聞社の「デジタル化の敗因」は「イノベーターのジレンマ」だったという。ディスクドライブやコンピューターの世界では、イノベーションで市場を制覇した企業が、市場を変えるような破壊的なイノベーションが出現した時、かつての成功体験が足かせになり、新市場に出ていけなくなる。

 強固な専売店の販売・集金網を確立した日本の新聞は、部数を減らすことも、ネットに完全移行することもできず、「新聞+デジタル」というビジネスモデルに頼るしかなかった。それが「イノベーターのジレンマ」だと、著者は指摘する。

 だが「ニュースは無料」が常識になった新たな世代に、そのモデルはどれほどアピールするだろう。その疑問への回答を、私たちは日々目にしている。これまで部数を底支えしてくれた高齢者がいなくなる時、日本の「メディアの未来」は一変するだろう。

 

l  縮小均衡か、大胆なDXで再生か

 では、既成メディアに展望はないのか。ここでも参考になるのは、その後のタイムズの躍進だ。20年まで8年間デジタル化を進めたマーク・トンプソン前CEOのもとで同紙は電子版の購読者数500万部を達成し、報道スタッフを強化した。2046月期には初めて、広告を含むデジタル収入が紙媒体関連を上回った。ワシントン・ポストウォールストリート・ジャーナルも有料電子版を200万~300万部まで増やし、日本では日経が、有料電子版を76万部にまで伸ばしている。

 こうした例は、デジタルトランスフォーメーションDX)による変革で、新聞が購読(サブスクリプション)本位に転換することが不可能ではないことを立証した。

 もちろん、こうした成功例には条件がある。これらの新聞は、英語圏すべてが市場であるか、経済情報を扱うという優位性があり、一般化することはできないだろう。とりわけ日本の新聞は、日本語という参入障壁が逆に足かせになり、宅配制度の維持というかつての強みがデジタル化時代には重荷になっている。

 もちろん、新聞社は紙面の広告や販売網と一体になった「ファミリー」であり、そこに手を付ければ今の部数を維持するのは困難だ。

 だが、10年単位でみれば、部数減の傾向は避けられない。各紙が横並びで「フルスペック」の取材・編集・販売網を維持することは、いずれ困難になる。まだ、かろうじて間に合う。縮小均衡を続けるか、大胆なDXでメディア産業として再生するか、決断の遅速と在りようは、それぞれの将来を容赦なく決することになるだろう。

 SNSの時代が、この先どう変容するか、予見することはできない。だが、埋もれた事実を果断・公正に報道し、誤りがあればお詫びと訂正を出して品質を担保し、分断の時代に広い言論のフォーラムを提供するというこれまでのメディアの機能と役割は、どのような時代でも、欠かせない民主主義のインフラであり続けるだろう。

 私はかつて岩波新書『本は、これから』(池澤夏樹編)に「三度目の情報革命と本」という小文を寄せたことがある。多くの人はデジタル化を「グーテンベルク以来の革命」と呼ぶが、それは正しくない。徳田雄洋氏は、19世紀末から20世紀初頭の「奇跡の20年」に写真、映画、無線電信、写真電送、ラジオが続々と登場し、「アナログ情報革命」が起きたという。19世紀に成熟した出版、新聞は、すでにその「革命」を経て生き延びた。書籍や新聞だけでなく、テレビもラジオもデジタル時代に生き残っている。その形態がいかに変わっても、旧来メディアの機能と役割は必要とされるに違いない。

 だが、メディアに携わる人々がいかに「必要性」を説いても、聞き流されるだけだ。

 多くの人々から「やはり必要だ」と思ってもらえるような報道、魅力ある媒体への変革が、月並みだが究極の指針になるだろう。

(月刊Journalism1月号(7日発売)特集『メディアの未来』に掲載)

 

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