書物の破壊の世界史  Fernando Baez  2019.9.8.


2019.9.8.  書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで
Nueva Historia Universal de la Destruccion de Libros:
De las Tablillas Sumerias a la era Digital  2013

著者 Fernando Baez ベネズエラ出身の図書館学者・作家・反検閲活動家。図書館の歴史に関する世界的権威として知られ、過去にベネズエラ国立図書館の館長を務めた他、現在も複数の団体で顧問を担当。03年にはユネス使節団の一員としてイラクでの図書館や博物館、美術館の被害状況を調査。04年『書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からイラク戦争まで』でヴィンティラ・ホリア国際エッセイ賞受賞。その後大幅に加筆、新たに図版を加え、タイトルを『新・書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで』として13年に増補改訂。17カ国で翻訳されたほか、ウンベルト・エーコ、ノーム・チョムスキーからも絶賛

訳者 八重樫克彦₊由貴子 翻訳家

発行日             2019.3.22. 第1版発行
発行所             紀伊國屋書店

本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる――ハインリッヒ・ハイネ『アルマンゾル』(1821)
燃やされた本それぞれが世の中を照らし出し・・・・――ラルフ・ウォルド・エマーソン『随想』(1841)
ありとあらゆる図書館の書架をことごとく破壊せよ――フィリポ・トンマーゾ・マリネッティ『未来派宣言』(1909)
隣の家にある本は弾を込めたピストルだ。焼いてしまえ・ピストルの弾を抜くんだ。人間の精神を支配せよ――レイ・ブラッドベリ『華氏451度』(1953)

最新版を手にした読者へ
書物は魔力を失った。インターネットやケーブルテレビの発達したグローバル社会で、本はもはや重要柄ではないと考える人は、2010年超大国アメリカで9.11の追悼式に際し、コーランを燃やすと宣言した牧師テリー・ジョーンズを思いとどまらせるべく、政府と軍の高官が動いたことを思い起こすべき。一歩間違えば大惨事になるところだった。21世紀はたった1つの神聖なシンボルの破壊が戦争の引き金になる可能性が高い
異端審問の事例としては、2010年米国防総省がとった奇妙な措置を思い出す。国防情報局職員シェーファー大佐の著作『オペレーション・ダークハート』9500部を買い占め焚書すると決めた。国家の安全にかかわる情報が含まれているとの理由だが、後先を考えずに目障りな書物を悉く抹殺するという無謀な政策は、中国ですら取っていない
「書物と図書館は、無処罰特権や教条主義、情報の捜査や隠蔽に対抗する伏兵であり、その事実を決して忘れてはいけない」 ⇒ 抑圧者や全体主義者は書物や新聞を恐れるのは、それらが記憶の塹壕であり、記憶は公正さと民主主義を求める戦いの基本であるからだ
焚書が描かれた最初の事例は、ヨーロッパ近代文学の幕開け的作品ともいえる『ドン・キホーテ』であることが判明

イントロダクション
イラクは何世紀にもわたって文化の破壊と収奪の被害を受けてきた。03年バグダード入りした際、地元の学生が「どうして人間はこんなにも多くの本を破壊するのか」と言った言葉に啓発され、彼の質問に答えねばならないと考えた
現地の文化の破壊の新しい形は、見て見ぬふりをするという間接的な加担で行われた
1954年『ハーグ条約(武力紛争の際の文化財の保に関する条約)1議定書』
72年の「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」
99年の「ハーグ条約第2議定書」
の条項に反する怠慢さと浅薄さ、思慮のなさによる文化財の消失が始まり、米兵たちはイラクの文化施設を破壊こそしなかったが、守りもせず、この無関心さが犯罪グループによる収奪にお墨付きを与える。犯罪組織による蛮行のあと、フセイン政権の省庁への憎悪を煽る、一連のプロパガンダに触発された無知な群衆による略奪行為が続き、博物館や図書館がその国の権力機関と同一視された事実を忘れてはならない。それらの施設が壊滅したのは、沈黙が大惨事を正当化したからに他ならない
バグダードでもモスラでも国立博物館や大学図書館が盗難と破壊に遭い、遺跡の発掘現場も武装した盗掘グループによって荒らされ、国境を越えた不正取引が前代未聞の規模になった
創造と破壊は、宇宙発生と世界終末の神話に象徴されるばかりか、神々の本質にも反映
神々が創造主であると同時に破壊者でもあるのはそのため
4元素(火・風・水・土)による破壊の神話は、救済の神話にもなっている
宗教・神話の構成要素としてなくてはならない滅亡神話にこそ、書物の破壊を説明づける鍵がある ⇒ 滅亡神話の元型は、何にも増して人間の本質の目に見える堕落を反映
人類の歴史の99%が先史時代で、残りの1%が有史、つまり文字で書かれた文献が存在する時代。文字の出現によって、世界におよそ12ある最古の文明の集団的記憶は大きく様変わりした
文化・文明を様々な観点から区分けする際に、文字の使用が最も重要な指標の1つとされるのは、文字は社会集団にとって何かを確証する際になくてはならない道具だから
アルゼンチンの大文豪ボルヘスはこう語る。「人間が創り出した様々な道具の中でも、最も驚異的なのは紛れもなく書物。それ以外の道具は身体の延長にすぎない。書物は記憶と想像力の延長なのだ」
書物は人間の記憶に厚みを持たせると同時に、携帯可能な大きさにも拘らず客観性を与える。口承から文字への革新的な飛躍、特に書物が崇拝の対象となっていく過程で必要とされたのは、感性をコード化し、均質かつ真正な状態に変える、より確実で不変の方法だった。あらゆる物事を混沌としてではなく理性的に形作ろうとする動きに貢献していく
書物は記憶を神聖化・永続化させる手段であり、社会の重要な文化遺産の1部として捉え直す必要がある
記憶のないアイデンティティは存在しない。それ故、ある集団や国家が他の集団や国家を隷属させる際、最初にするのが相手のアイデンティティを形成してきた記憶の痕跡を消すことだという事実を見せつけられてきた ⇒ 中世カトリック教会の異端審問における書物の破壊はその典型
ビブリオコースト(書物の大量虐殺の意の新語)とは、何らかの理由で優越性を持つ一方の記憶にとって、直接間接の脅威となる記憶を抹殺すること
英国の詩人ミルトンは『アレオパジティカ』(1644)で、「良書を破壊するものは、理性そのものを殺している」と言う
ウンベルト・エーコも、ビブリオクラスタ(書物の破壊者)には3種類あるという。原理主義者による破壊は書かれた内容が読まれることを恐れて破壊する。不注意による破壊は管理不行き届きによるもの。営利目的の破壊は、利益を嵩上げするために価値ある古文書をバラバラにして売り捌く
書物の破壊は、自身の憎悪や無知に気付かぬ者たちの行為だと思われがちだが、見当違いで、個人や集団の共用部分が高くなればなるほど、終末論的な神話に影響され、書物の抹殺に向かう
20世紀初頭にイタリアを中心に起こった前衛芸術運動で、近代社会のスピードを称え、過去の芸術の徹底破壊を行った未来派は、1909年に未来派宣言を発表し、全ての図書館の破壊を呼び掛けた
終始一貫して書物の愛好家だったナチスのゲッペルスは、1933年非ドイツ的な書物の焚書を主導
1939年米国では、セントルイス公立図書館の司書らが、スタインベックの『怒りの葡萄』に反発して、公共の場で焼き、宣教師たちが猥雑な言葉にも共産主義にも寛容でないことを作家たちに知らしめた
スタンフォード大とハーバード大で教鞭をとったナボコフは、学生たちに『ドン・キホーテ』の焚書を求めた
1960年代コロンビアで学閥や教会、伝統主義に対抗する形で生まれた前衛芸術運動ナダイズモの詩人たちは、1967年頃、過去の文学と決別するためと称して、同国の詩人・作家イサークスの小説『マリア』(1867)を燃やした
ボルヘスも『自伝風エッセイ』で初期の自著を焼却したことを語っている
まとめ
書物の破壊の歴史を破壊の原因別にみると、全体の60%は故意によるもの。世の中の人間を「私たち」と「彼ら」に区別する傾向が行き過ぎると、「私たち」以外は全員敵となり、他者否定の基準に下で常に検閲は課され、知る権利は侵害されてきた
残る40%の内訳は1位が自然災害、次いで事故や天敵(虫など)による被害、文化の変化(言語の消滅など)、書写材の劣化と続く。さらには人知れず消滅している本も数知れない

第1部          旧世界
第1章          古代オリエント
人類最初の書物は何千年も前に近東・メソポタミアのシュメール地方(現イラク南部)、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた未踏の半乾燥地帯に登場したが、間もなく消滅。その原因は粘土という材質によるもの、洪水などの自然災害によるもの、あるいは人間の暴力によるものと推測。書物の破壊はシュメールで戦争を通じて始まったが、考古学者がその存在を発掘。前3200年頃の文書(粘土板)とされる
古代メソポタミアでシュメール、アッカド地方を含むメソポタミアの大部分を指すバビロニアを政治的混乱から統一させたのは、バビロン第1王朝第6代ハンムラビ(在位BC1792頃~1750) ⇒ 古アッカド語を話し、文字は楔形(くさびがた)文字を使い、征服戦争のたびに文書を略奪し、バビロンの宮殿の大図書館に運ばせた
新アッシリア王国のアッシュルバニパル(在位BC668627)は、即位後エジプト遠征を継続、文字の読み書きができた数少ない王の1人で文化・宗教的事業を推進したことでその名を不滅のものとした ⇒ 1853年宮殿内の図書館跡が発見され、古代オリエント世界で最初の偉大な文書蒐集家だったことが判明
BC1800BC1200小アジアでも最大の秘密とされる製鉄技術をもってアンカラの東で600年間栄えたヒッタイトも、図書館にヒッタイト語を楔形文字で記した粘土板を多数収めていたが、特に重要なのは『ヒッタイト法典』
アケメネス朝ペルシャの偉大な夢想家ダレイオス1世は、BC520年にペルセポリスの都の造営に着手するが、『アヴェスター』というゾロアスター教の聖典を収めるために建設されたという説もあるが、アレクサンドロス大王に征服・略奪され都が焼き討ちに遭う ⇒ 1931年以降発掘が進み多数の損傷された粘土板が見つかる

第2章          古代エジプト
古代エジプトで初期の書類や書物の媒体だったパピルスは、BC3000年頃から使われ始めたが、耐久性に乏しかったため一部地方を除きほとんど現存しない。パピルスの加工が王の専売だったことから古代エジプト語で王の花を意味するパピルスと呼ばれ、ナイル川源流を原産とする多年草が材料
エジプト新王国第19王朝ラムセス2(在位BC1279頃~1213)がテーベの都(現ルクソール付近)に葬祭殿を造ったのが最古の図書館の1
トート(古代エジプトではジェフティとも)は、ヒエログリフを発明してエジプト人にもたらした書物の守護神とされるが、『トートの書』は写本ともどもすべて消失

第3章          古代ギリシャ
古代ギリシャ人による著作で現存するのはほんの1部のみで、古典期(BC500頃~BC350年頃)以降の数名のみ。アテナイでは2000を超える演劇作品が上演されたと言われるが、現存するのは46作品に過ぎない
現存する古代ギリシャ最古の文書の断片は、BC340年成立のデルヴェニ・パピルスと名付けられたもので部分的に炭化しており、それ以前の少なくともBC9世紀には初期の文書が作られていたことを考えると500年間の作品が失われたことになる
書物は巻物上のパピルスでエジプトから輸入したが、中継地のフェニキアの港湾都市ビブロス(現レバノン)に因み、パピルスを別名ビブロスとも呼び、そこから書物がビブリオと名付けられた
古代ギリシャ世界において、法律上の取り決めを書面で行うようになったのは画期的な進歩であり、BC5世紀には文字文化が口承にとって代わり文化革命が始まる
書物の歴史で破壊と紛失を区別するのは至難の業 ⇒ 悲劇詩人ソフォクレスの作品目録120タイトルのうち、完全な形で現存するのは7作のみ
文書の喪失は、古代ギリシャの全時代を通じて文学・科学・哲学などあらゆる分野で発生
古代ギリシャにおける文学作品破壊の最初の事例は、アリストテレスの失われた著書『詩人たちについて』の中で、詩人エンペドクレスの作品が本人の意に反して全て焼かれたと記載されている。宗教的問題が絡んでいたと推測
プラトンはBC387年に新しい学園を創設したが、ライバルであるデモクリトスの書物を焼こうとしたり、真理に裏打ちされていないすべての著作を徹底的に否定したり、そもそも書物を価値ある財産とは認めず、著作でもたびたび書物を批判。口頭の教えが多く、彼の思想のより価値ある部分は失われたと考えられている
ヘレニズム期の建築物は、非凡な才能が発揮された驚異の時代だったにもかかわらず、僅か7つしか聖別されていない。そのうちの1つがアルテミス神殿。BC356年の放火で多くの貴重な書物が焼失
古代ギリシャのビブリオクラスタ:
1人は哲学者メトロクレスで、自分の思想が単なる幻想でしかないとして、自著のみならず師の著書まで焼いた
もう1人が哲学者で詩人のポリュステネスのビオン(BC325年頃~255年頃)で、他の哲学者に対する対抗意識と強い自己顕示欲が書物を破壊させた

第4章          アレクサンドリア図書館の栄枯盛衰
BC285年アレクサンドリア図書館の創設に貢献したデメトリオスが死去 ⇒ 王位に就いたプトレマイオス2世から目の敵にされていたが、死後栄華を極めた叡智の殿堂の運命は王族同士の勢力争いと国同士の征服戦争に翻弄される
デメトリオスは奴隷の子として生まれたが、リュケイオン学園でアリストテレスに学び、マケドニアのギリシャ総督からアテナイの統治を任され10年間その任に就く。アテナイが征服されたためアレクサンドリアに移り、プトレマイオス1世に仕えて重用され、学問・芸術の女神ムーサに捧げる建物の建設を進言、ムセイオンを設立し、ギリシャ文化に代わってエジプト文化を広め、学問の一大中心地とする
641年イスラム教徒によってエジプトが征服された際、カリフ(イスラム教国の首長)の命令によって図書館は半年かけて完全に放火・破壊されたとされるが、破壊したのはキリスト教徒だという異論や地震説、管理怠慢説もあり、論争は今なお続く

第5章          古代ギリシャ時代に破壊されたその他の図書館
BC2世紀小アジア(現トルコ)にあったベルガモン王国のエウメネス2世がアレクサンドリアに対抗して作った図書館
アリストテレスの作品で残っているのは、書物蒐集家あるいは弟子たちによって集められた学術的な論文や講義のためのノートだけで書簡や詩は失われた。アリストテレスは最初の書物蒐集家で、エジプトの王たちに図書館の配架の方法を教える。読む人”(読者)と呼ばれた最初の人物。リュケイオンに置いた図書館の運命は、アレクサンドロス大王の急死で暗転
古代ギリシャの文化の歴史は図書館消滅の歴史ともいえる ⇒ アテナイの公立図書館はBC5世紀アケメネス朝ペルシャのアテナイ信仰によって略奪され、同じくアテナイのハドリアヌス図書館も破壊、セレウコス朝のアンティオキアの図書館に至っては瓦礫すら残っていない

第6章          古代イスラエル
古代イスラエルの歴史は、ユダヤの民と極端な両義性を備えた神との関係の歴史であり、ユダヤ民族初代の族長が書物の破壊者だったのかという問いの答えがそこにある
聖書には、古代イスラエルで古くから焚書が行われていた記述がある
ユダヤ戦争(6673)で誇り高きユダヤ人はローマ人に屈服させられ、膨大な量の書物が破壊された
1947年死海の西岸、タムラン遺跡の洞窟で2000年前の書物が発掘 ⇒ 大半が羊皮紙にべブライ語で書かれた旧約聖書
旧約・新約聖書には書物摂取の事例が載っている ⇒ 所有権の移譲、知識の伝達を保証する行為

第7章          中国
BC246年戦国時代末期の秦では13歳の趙政が即位、周囲を平定して始皇帝を名乗る
その配下に居た李斯は漢字書体の統一の偉業を成し遂げたが、政策に反発する学者たちの弾圧でも有名。BC213年詩や歴史書、哲学書を危険視し、農業・医学・薬学・卜占(ぼくせん)を除くすべての書物の焚書を承諾。当時の書物は木簡・竹簡。個人の蔵書を禁じ没収
BC212年には始皇帝が信頼していた方術士たちの欺瞞と暴言に対し、約460人が生き埋めにされたのが思想弾圧・焚書坑儒。孔子の著作は目の敵にされ悉く焼却
中国の歴史は、無数の検閲と書物の破壊のエピソードで綴られる
1900年シルクロードの敦煌近郊の鳴沙山の洞窟群の1つ莫高窟(ばっこうくつ)で壁の中に閉じ込められた大量の仏教経典や写本、文献が発掘され、日欧米の探検隊に売却されたが、敦煌研究が盛んになるきっかけともなった

第8章          古代ローマ
書物の体裁はパピルスの巻物と羊皮紙で、執拗なまでの破壊行為が繰り返された
詩人ウェルギリウスの庇護者だったアウグストス帝は、正当な理由もなく大量の書物を破壊し、オウィディウスの『愛の技術』の流通を禁止したり、風刺作家セウェルスの全著作も燃やすよう命令
古代ローマの文学の始まりはBC3世紀。『オデュッセイア』が翻訳され演劇作品として上演されるようになった時期。ギリシャ人が中心となり、書物の段階的な流通拡大が大きく関わる
最初の公立図書館はカエサルによって計画されたが暗殺で立ち消え、カエサルの批判者だった歴史家ポッリオによって実現
コンスタンティヌス1(在位306337)当時ローマに28の公立図書館が確認されているが、いずれも現存していない

第9章          キリスト教の過激な黎明期
新約聖書には、パウロ(1065年頃)が小アジアのギリシャ人都市エフォソスを訪れ、キリスト教を広めた際、魔術師たちが恐れをなして自分たちの著作を焼いたという
キリスト教徒は、神格化されたキリストの教義を受け入れない者たちを悉く迫害 ⇒ その典型例がグノーシス文書の消滅。グノーシス主義とは1世紀キリスト以前に誕生し、34世紀に地中海世界で勢いのあった宗教思想で、古代エジプト、インド、バビロニアなどの影響を受けた2元論を前提とし、精神を善、物質を悪として禁欲を貫く

第10章       書物の脆さと忘却
今日、現存するBC4世紀以前のギリシャ語パピルス文書の例はない ⇒ パピルスは耐久性に乏しく、羊皮紙化されなかった文書は失われた
書物の広範囲にわたる消滅の原因の1つは、3世紀に大流行した現代の早わかり本やダイジェスト版の先駆けである概略書の登場
ローマ帝国領におけるラテン語の強要も緩やかながら決定的で、ギリシャ語文献の忘却にかなりの影響を及ぼす ⇒ ラテン語はもともとローマを中心とするイタリア中部ラティウム地方の言語で、ローマ帝国の公用語となるが、ラテン語圏は帝国の西半分と北アフリカに限定、東半分は従来通りギリシャ語が優勢。395年帝国が東西に分裂すると西はゲルマン民族に侵入され、西ローマ皇帝が廃位されるとそれぞれの部族の言語が生まれる。東は7世紀にギリシャ語が公用語となるも、文章語・学術語としてラテン語が末永く使用。キリスト教は当初地中海世界での布教のためヘブライ語など聖書の言語を切り捨ててギリシャ語に靡くが、ローマ帝国での勢力拡大のためラテン語に鞍替え、古代ギリシャに対する蔑みを顕著に表す。文書や記録がラテン語で書かれるようになったのは3世紀以降だが、最古の文献は250年付けの書類で、対立教皇がローマで持論を広めるべくラテン語を用いたのが始まり

第2部          東ローマ帝国の時代から19世紀まで
第1章          コンスタンティノープルで失われた書物
330年ローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、帝国の東方、ギリシャ文化圏の中心地ビザンティウムに遷都。当初はラテン語でコンスタンティノポリス、後にギリシャ語でコンスタンティノープルと呼ばれ、東西交易の要衝としてギリシャとローマの伝統を併せ持つことに成功、古代の叡智と直接繋がり、文化的にも繁栄し、存在意義は途轍もなく大きい
書物の存続には、当地の知識人が23世紀に取り入れた新たな形状であるコデックス(冊子状の写本)が貢献、羊皮紙が使われ、7,8世紀のイスラム勢力による攻撃や、1453年オスマン帝国による都市陥落に遭遇しアンガラ、生き延びたものが少なくない
コンスタンティヌス7世の統治下の10世紀には、古代ギリシャの文化の復興が進み、各種図書の写本の作成が急増
中国生まれの紙がコンスタンティノープルに伝播したのは910世紀
7800年にかけて図書館が火災で焼失したり、偶像破壊運動(イコノクラスム)が書物にも及んだり、民族的・宗教的多様さが引き起こす軋轢などによって神学論文なども破壊
1204年第4回十字軍の襲撃により城塞都市が陥落、何千冊もの写本が破壊されるなど暴掠の限りを尽くす
1453年メフメト2世率いるオスマン帝国軍によって陥落された都市は、略奪の限りに晒され、ムハンマド信仰にそぐわない写本は海に投げ込まれたという

第2章          修道士と蛮族
4世紀の西ローマ帝国は内紛と外敵(ゲルマンの蛮族)の攻撃に晒され、図書館どころではなくなっていた。5世紀も貴族や修道士の一部を除き読書や写本は縁がなかった
ラテンとケルトの古典作品の大部分は、アイルランドの修道士たちのお陰で救われた
5世紀後半に樹立されたフランク族の王国は、カロリング朝のカール大帝(742814年、シャルルマーニュとも)の時代に最盛期を迎え、西ローマ皇帝となって、古代ギリシャ・ローマ、キリスト教(ローマ・カトリック)、ゲルマン系の3つの文化を融合し、中世ヨーロッパの基礎を築き、ヨーロッパの父と称される。修道院に附属学校と図書館の設立を命じたが、その後の運命は無残で、宗教戦争中に破壊されたり、イスラム軍に襲撃されたりして破壊された

第3章          アラブ世界
イスラム教は、今なお健在な2つの言葉とともにアラブ世界を変えた ⇒ アッラーのほかに神なし。ムハンマドはアッラーの使徒なり
661750年に栄えたスンナ派ウマイヤ朝ではコーランの教えの普及が進み、多くの図書館が建設された
アッバース朝は、ウマイヤ朝のイスラム教の私物化を不満とし、反旗を翻した勢力の1つで、750年に建国を宣言。イベリア半島から中央アジアに至る大帝国を築き、首都バグダードは当時世界最大の都市。イスラム科学の黄金期を迎える
モンゴルのテムジン(1167頃~1227)1220年西アジアに進出、モスクを襲撃して本も破壊。その孫のフラグも1257年アッバース朝の首都で重要な学校の集中していたバグダードを破壊、全域の図書館の写本がティグリス河畔で投げ込まれ、川は滲み出たインクと血でどす黒く染まったという。イスラム文化を貶めるべく計算づくの蛮行だった

第4章          中世の誤った熱狂
中世フランスの哲学者・神学者アベラールは、1117年頃姪のエロイーズとの不適切な恋愛事件を起こし去勢されるが、後に修道院長となって、女子修道院長になっていたエロイーズと文通を始め、後に愛の書簡集『アベラールとエロイーズ』となる。たびたび物議を醸し、教皇から著作を焚書扱いにされる ⇒ 1920年米国の裁判所が同書の流通を禁じたのは、過剰に人間の情緒を擁護し、知識人らを官能や性行為に導くからという理由
5世紀前後に編纂されたタルムードは、ユダヤの律法の口伝と注解の集大成だが、中世から現代にいたるユダヤ人の精神文化を知る重要文献であると同時に、人類史上最も迫害された書物の1つ ⇒ 1190年のエジプトでは新約聖書の4福音書の正当性を主張するために排除が命じられ、1239年教皇によって焚書が命じられている。1244年以降フランスでも夥しい数が灰にされ、1490年にはスペインでヘブライ語書物がすべて焚書となった
ダンテ・アリギエリ(12651321)の生涯も悲しむべきもの ⇒ 神聖ローマ帝国で教皇が支配していたフィレンツェで内部抗争に敗れて永久追放となり、放浪中何度も殺されかけ、ラヴェンナの領主に庇護されその地で客死するが、1313年頃の著作『帝政論』は、世界は一つの帝国にならなければいけないがその権威は教皇ではなく直接神に由来すると説いたために1318年ロンバルディアで燃やされた。その後も各地で『神曲』も含め没収・破壊が続く
1452年生まれのサヴォナローラは、メディチ家支配のフィレンツェに蔓延る享楽や腐敗を糾弾、『ヨハネの黙示録』の終末論を持ち出し、神の処罰が下ると説教を繰り返し、大衆の恐怖を煽り、世俗的な芸術とともに多くの書物が焚書とされた
中世のカトリック教会では異端を宗教上の過ち。教会で主張する真理に自分の意志で反対し続けること"と定義し、神学的・実践的手順を経て組織が異端行為と闘う仕組みを助長
そのため教会権力に従わない、あるいは反抗的な姿勢を示す者たちに対し迫害を正当化できる状況を生み出す
キリスト教による異端の迫害に絡んだ書物の破壊は数知れないが、異端は宗教上のものとは限らず、政敵や反対派駆逐の口実の場合もある

第5章          中世スペインのイスラム王朝とレコンキスタ
711年ウマイヤ朝配下のイスラム軍がジブラルタルを超えてイベリア半島に侵入、西ゴート王国を滅ぼすと、数年のうちに半島の大半を占領するが、11世紀にはイスラム教の諸王国が分立、13世紀には生き残ったキリスト教諸国が勢いを盛り返し半島を奪回、1479年カスティーリャとカタルーニャ両王国の結婚でスペイン王国が誕生し、1492年にはキリストキュ諸国によるレコンキスタと総称される国土回復運動が完了
統一後シスネロスというグラナダ在の厳格な聖職者が中心となって、イスラム教徒を迫害、国王公認の下に古い聖典やコーランを燃やす ⇒ シスネロスはイザベル女王に強い影響を与えた神学者で、エレーナス大学を開校し、ヒエロニムスが翻訳したラテン語訳聖書の改訂版となった『多言語対訳聖書』は高い評価を得る

第6章          メキシコで焼かれた写本
16世紀アステカ文化の象徴だった建物を徹底的に破壊した上にヨーロッパの建造物が建てられ、帝国の文化の強制なしに新大陸の住民を従属させるのは不可能だとして、先住民の遺産を消し去るかのように羊皮紙には重ね書きがなされる
焚書の嵐を生き延びた先コロンブス期のマヤの絵文書は3つのみで、ドイツ・ザクセン州立図書館にあるドレスデン絵文書、フランス国立図書館蔵のペレシアヌス絵文書、マドリード・アメリカ博物館保管のマドリード絵文書。1971年メキシコの蒐集家が入手・公表しメキシコ政府に寄贈されたグロリア絵文書が4つ目
アステカ族も過去を消し去るために多くの文書を燃やしている

第7章          ルネサンス最盛期
活版印刷術の発明者グーテンベルクについては謎の部分が多いが、1455年ごろに完成した42行聖書は『グーテンベルク聖書』と呼ばれ、180部印刷され、現在では不完全なものも含めて48部が現存、うち36部が紙、残りが羊皮紙を使用。印刷の美しさを重視するあまり、自身が刷り上がった本を破壊したとも伝えられる
中世ハンガリーの最盛期を築いたマチャーシュ1(144390)1476年に建設した図書館、通称コルヴィナ文庫は、世界でも重要な図書館の1つで、ヴァチカン図書館に次いで2番目の規模を誇っていたが、スレイマン1世の征服により没収され運び去られたが、今日原本とそれを基に造られたとされる写本は216冊確認され、53冊はハンガリー国内の図書館にあり、39冊はオーストリア国立図書館が所有、残りは仏米独トルコに点在
アナバプティストとも呼ばれる再洗礼派は、ルターによって始められた宗教改革の時代にあって、極端な教義による救いの道を選んだ急進的プロテスタントの1派。各地で迫害・弾圧されたが、1533年唯一ミュンスターで受け入れられ、市を占拠した日に総仕上げとして図書館の蔵書、特に神学書を焼いた

第8章          異端審問
異端審問(宗教裁判所)は、13世紀にカトリック世界で、主に異端の告発と処罰を目的として設けられた機関で、ヨーロッパ大陸各地で検閲・迫害・拷問・破壊が猛威を振るい、暗黒の時代を過ごす
教条主義は、自らの教義を庇護し、それに同意しないものを威嚇する機関を必要とするので、異端審問所は、カトリック教会の政策を強固に推し進める上で多大な貢献を果たす
1521年ルターがカトリック教会の腐敗を攻撃したのが発端となって宗教改革が始まり、教皇側は回勅によってルターを破門し、その著書や肖像が燃やされた
1542年教皇パウロ3世が教皇庁内に正式にローマ及び全世界の異端審問所である検邪聖省を設置、1559年には教皇庁自ら『禁書目録』を作成。特に隠れユダヤ教徒に厳格
新大陸の発見後、植民地支配のため歴代のスペイン王は、先住民のキリスト教化のための権限を教会に与え、異端審問所を公認するが、なかでもメキシコとペルー、ベネズエラが有名

第9章          占星術師たちの処罰
錬金術師・占星術師で詩人のエンリケ・ピリェナ(1384頃~1434)は、中世スペインにおいて最も興味深い著述家の1人で、カスティーリャ王の血を引く貴族だったが、異端視される本の翻訳や『眩惑あるいは目による呪術について』などの奇書を著述したため、教会からの迫害が止むことはなく、騎士団の在籍権も剥奪。死後は異教思想を広めたとの理由で蔵書がすべて没収・破壊された
ノストラダムスの名で知られる仏人医師ミシェル・ド・ノートルダム(150366)は、西洋史上最も有名な予言者で、その人生の詳細は不明だが、その『予言集』は出版されて以来定期的に破壊されたため、初版本は稀覯本となり、現存するのは仏墺の2冊のみ

第10章       英国における焚書
1515年オックスフォード大を終えた英国人ウィリアム・ティンダルは、ケンブリッジ大でギリシャ語の『校訂版 新約聖書』(1516)の編集を終えたばかりのエラスムスから影響を受け聖書研究に傾倒、初めて庶民向けにヘブライ語・ギリシャ語原典から英語に翻訳したが、当時カトリック教会に忠実だったイングランドでは聖書の翻訳は禁止のため、ヨーロッパ各地を逃亡しながら翻訳を続けるも1536年処刑。彼の英訳した聖書6000冊はイングランドに密輸されて出回ったが瞬く間に聖職者によって焚書され消滅、現存は僅かに2冊のみ。皮肉なことに同年ヘンリー8世の離婚問題からイングランドはカトリック教会から離脱、英国国教会を成立させると同時に、修道院を破壊し財産を没収、書物の粛清も行い、1550年には息子のエドワード6世がオックスフォード大図書館から本を奪って焼却
チャールズ1世治世下でイングランドはピューリタニズムの色が濃くなり、カルヴァン派の影響を受け、聖書主義の立場を取って、禁欲や勤勉を重んじ、宗教改革の徹底による国教会の浄化を目指す
1642年王党派と議会派を巡る政治論争でも、クロムウェル率いる議会派が共和制を打ち立てると、反対派の弾圧のため焚書も行われた。その後の王政復古では、議会派を擁護した詩人ミルトンも投獄と財産没収の憂き目に遭い、1652年過労で失明した深い失意の中で書いたのが大叙事詩『失楽園』

第11章       厄災の最中で
1666年ロンドン大火は、原因不明で都市の1/4が失われ、多くの貴重な書物も消滅したが、なかでもスコットランドの知識人ジョージ・ダルガーノの『記号術――普遍文字と哲学的言語の普及』(1661)、『シェイクスピアの喜劇・悲劇・史劇』(1664)、英国詩人スティーヴンソン著『ポエム』(1665)、アイルランド人作家キャロンの作品でカール1(プファルツ選帝侯)に献呈された『アイルランド人のルーヴェン市民に対する抗議書』は重要
慎重王と綽名されたスペイン王フェリペ2世の後半生を襲った悲劇のうち、熱心なカトリック教徒だった王が16世紀に築いたヨーロッパ史上最大のモニュメントの1つ、世界の7不思議に続く8番目の不思議とされた建築物は王立エスコリアル修道院で、イタリアを巡るフランスとの争いに勝利して建てられたもの、施設内の3つの世界最高を目指した図書館の運営はヒエロニムス会の修道士に委ねられた。なかには焚書の間も。1671年の火災で甚大な損害を蒙る
ニュートンと王室天文官(初代グリニッジ天文台長)フラムスティードとの確執は、1680年彗星を巡る論争でニュートンが自説の誤りを認めて以降相手に恨みを抱き、王立協会会長に就任すると相手の出版物を横取りして出版、怒った相手が提訴して勝訴し、ニュートンが出版した本を押収して焼いた。ニュートンも愛犬が手稿の上にろうそくを倒したために自著の論考を灰にしている
アイスランドの国民的英雄アウルトニ・マグヌッソンは、世界の書物蒐集家の中でも最も重要な1人で、生涯かけてアイスランド文化に関する貴重な本を多数蒐集したが、1728年コペンハーゲンの火災で多くが失われた。救出された本は同市の大学図書館に遺贈され、その後徐々に追加・拡張され、1944年デンマークからの分離・独立後20世紀後半に段階的に返還が進み、マグヌッソン写本コレクションは両国共同でユネスコの世界記憶遺産に登録
1119世紀火災によって幾千もの公共及び個人の図書館が破壊
1174年カンタベリー大聖堂火災による修道院図書館での焼失
16794つの彗星の発見者でポーランドの天文学者ヘヴェリウス(161187)の自宅の火事では、天文観測装置と著作『天体機械』(167379)が焼失
1764年ハーバード大での壊滅的な火災では、図書館の5000冊が灰燼に帰す
海賊の襲撃、海難事故、戦争、暴動など、書物の破壊の原因はまだまだある

第12章       革命と苦悩
1610年ロンドンで法律家コーウェルの著作『解説者』(1607)が焚書に ⇒ 種々雑多な単語の意味の解説辞典に過ぎないが、英議会が“王””議会””特権””回復””特別補助金などの見出し語を攻撃的あるいは侮辱的なものと判断
植民地時代の米国でも、1634年マサチューセッツ湾植民地に入植した英国人ストートンの著作が、特許植民地の憲法を愚弄したかどで破壊
フランスはヨーロッパの自由発祥の地と言われるが、反面検閲の中心地でもあった ⇒ ヴォルテールは若い頃から国や政府を中傷する詩を書いたり、貴族と揉め事を起こしたりと、何かと物議を醸し投獄もされていて、『哲学書簡』(1733)では教会を狂信的・独断的と批判して見せしめに公の場で焼かれた
同じ頃出版された法哲学の金字塔、モンテスキューの『法の精神』(1748)も焚書
ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』(1762)も告訴され焚書に、本人も逮捕状が出て亡命を余儀なくされ、ヨーロッパを転々とする
フランス革命時の書物の破壊 ⇒ ジャコバン党による粛清、恐怖政治の断行に伴い、図書館も攻撃され、パリ市内だけでも8000冊以上の本が破壊され、パリ以外でも400万冊が失われたと言われる。かなりの数の本が銃の紙製薬莢の素材に使われた

第13章       過剰な潔癖さの果てに
猥褻罪による焚書の事例
     英国人作家ジョン・クレランドの『ファニー・ヒル』(174849)は、英国初のポルノで人々を絶版運動へと駆り立て、出版直後に発禁・焚書処分に、著者と出版元は逮捕
     フランスの操り人形師で作家ルメルシェ・ヌヴィユの『南京虫の一大交響曲』(1864)も裁判所によって焚書の判決
     ローマの文筆家ペトロニウスの小説『サテュリコン』の英語版に対し、英国議会が性描写を理由に回収を決議
ダーウィンの『種の起源』(1859)は史上最も論争となった本。ロンドンで1250部出版即日完売。キリスト教の教義である天地創造説に反するとして信者の反発を買い燃やされた
1915年死去の米国郵便検査官コムストックは、40年に亘り米国史上最も多くの書物を破壊 ⇒ ニューヨーク悪徳弾圧協会を創設、さらに議会でコムストック法案を可決成立させ、不道徳な内容の書籍や手紙の郵送を禁止。郵政省が検閲機関となり、郵便の内容をチェックし、押収された150トンともいわれる印刷物は公衆の面前で焼却。特にバーナード・ショーの作品に多大な嫌悪感を抱いていたという

第14章       書物の破壊に関する若干の文献
古代ギリシャ・ローマの図書目録を見直すと、古代や中世に蔵書の選定や分類への関心が如何に高かったかが分かる
書物の破壊行為に対し、初めて本の擁護を提起したのは、英国のベネディクト会士ダラム司教リチャード・ド・ベリー(12871345)の『フィロビブロン(書物への愛)』で、当時最大級の個人図書館を所有。彼の書物に対する考えは後にダラム大学図書館の規範となる。書物を知恵の保管場所と見做し、神に仕えるような態度で大切に扱うよう促し、書物の破壊の主な要因は戦争だと指摘
図書館及び書物の破壊に関する文献が増加したのは19世紀に入ってから ⇒ この分野の偉大な先駆者は英国のウィリアム・ブレイズ(182490)で、『書物の敵』(1880)は初の体系的研究書。破壊の原因毎に分類

第15章       フィクションにおける書物の破壊
ヨーロッパ文学は始まりの時点から、書物の火刑に対する恐怖や不快感を示してきた
『ドン・キホーテ』前編(1605)では、主人公が遍歴の旅から叩きのめされて家に連れ戻され眠っている間に、愛読書が焚書にされる
シェイクスピアでも、単独作品の最後となった『テンペスト』で、主人公に「自らの本を深淵の底に沈める」と語らせる
アラン・ポーも『早すぎた埋葬』で、ハイネも『アルマンゾル』でグラナダでのコーランの焚書に言及、スコットランドの小説家スティーヴンソンも短編集『寓話』(1896)で焚書をテーマにしている

第3部          20世紀と21世紀初頭
第1章          スペイン内戦時の書物の破壊
内戦以前の共和制の時代にも、1931年左派が選挙で勝利した後、反教権主義者によって各地で修道院が襲撃され、図書館と文書保管所が焼かれた
1936年内戦勃発を機に、バスクを除く全域の教会で信仰の対象が破壊され、収奪された

第2章          ナチスのビブリオコースト
ナチは人間に先立って政権に就いた1933年以降に本を破壊するビブリオコーストを行っていたことは、ハイネの予言が的中
それ以前からも作家たちを迫害、レマルクの著作が書店から排除され、トーマス・マンの講演をナチスが急襲する事件も起こっている。とりわけユダヤ系の作家が標的
嚆矢となったのが政権奪取5日後の「ドイツ民族保護のための大統領令」で、集会と言論の自由が規制され、危険と判断されたものは何でも没収できる図式を構築
国会議事堂も放火され、資料室の記録文書もろとも炎上
徹底した言論弾圧・文化統制で指導的役割をしたのがゲッペルスだが、フライブルク大総長だったハイデッガーのようにナチ党に入党し支持する著名人もいた
焚書は全国に拡大。510日は各地で同時に焚書が行われた
一連の焚書に対し、ニューヨークでは様々な知識人グループが反対声明を出し、『ニューズウィーク』は本のホロコーストだと報じ、ヘレン・ケラーも『ドイツ人学生への公開状』を執筆、「本を燃やしてもそこに込められた思想は生き続ける」と批判。ブレヒトも『焚書』というタイトルの詩で非難
唯一政権内で批判したのはゲッペルスのライバルで宣伝大臣争いに敗れたローゼンベルク。ショーペンハウアーの熱心な読者で、34年には独自の事務所を立ち上げ宣伝省に対抗する形で独自にナチス理論の宣伝と国内の言論活動の監視を行う。40年には特捜隊を創設しバイエルンに設立予定のエリート養成機関ナチス高等学院附属図書館用の本を調達すべく、パリにまで出向いてロスチャイルド家が所有する世界有数の蔵書を始め膨大な書物を押収
2次大戦開戦後は宣伝省と特捜隊が競うように周辺国の文化施設を略奪・破壊
終戦に際し、ゲッペルスは自殺、ローゼンベルクは逮捕・絞首刑
ドイツ敗戦直後の45年春、ヒトラーの山荘近くの塩鉱山の坑道からヒトラーの個人蔵書が発見。16千冊以上あったとされるが大半は敗戦後の混乱に乗じた米ソ兵士による略奪・破壊で散逸、残った3000冊が米国に送られたがさらに紛失し、最終的に1300冊前後が1952年以来米国議会図書館に保管される。後年歴史家によって明らかにされたのは、ヒトラーが無類の読書家と同時に書物蒐集家で、『ロビンソン・クルーソー』『ガリバー旅行記』『ドン・キホーテ』を高く評価し、『アンクル・トムの小屋』を愛読、聖書に精通、ゲーテやシラーよりシェイクスピアを好み、ショーペンハウアーやニーチェのみならず、ヘンリー・フォードの『国際ユダヤ人』やマディソン・グラントの『偉大な人種の消滅』からも影響を受けていた。オカルトに入れ込み、エンスト・シェルテルの『魔術――その歴史及び理論と実践」に傾倒、その本に自ら下線を引いた個所に「自分の中に悪魔的な種を宿さぬものは、決して新たな世界を生み出すことはない」とあるのは、ビブリオコーストに対する恐怖の根幹をなす言葉かもしれない

第3章          2次世界大戦中に空爆された図書館
1次大戦でも大量の書物が失われていたが、なかでもベルギーのルーヴェンではドイツ軍によってカトリック大学の図書館が焼き払われ、その賠償にドイツは自らの蔵書や等価の美術品など現物を代償とした。ドイツ軍は40年の侵攻の際ナチス軍は、市街地に手を付けずに図書館だけを狙い撃ちにして、再度破壊したという
2次大戦はヨーロッパの文化遺産の大部分をも破壊 ⇒ ドイツ出身小説家ゼ―バルトの自伝『破壊の博物学』(1999)に痛々しい記録が残る

第4章          現代文学の検閲と自主検閲
アイルランドの小説家ジェームズ・ジョイス(18821941)は、言語の前衛的な実験や人間の内面の追求で20世紀文学に多大な影響を与えたが、生涯検閲に晒された。『ダブリン市民』(1914)は出版を断られ続け、印刷後にも業者が焼却し活版も破壊され、以後二度と祖国に戻らなかった。20世紀モダニズム文学の最高峰と言われる『ユリシーズ』(1922)にしても、米国の雑誌『リトル・レビュー』で連載が始まった時、あまりの卑猥さに彼の妻も拒絶、コムストック法によって掲載誌が焼却処分となる
1903年科学者ミハイル・フィリポフがニコライ2世の命で殺害され、著作と手稿が検閲後に焼却されたのは、『科学を通じての革命、または戦争の終焉』を著し、爆発力を利用した破壊力の危険性を詳述した内容に軍人たちが危機感を覚えたため
1915年英国でD. H. ロレンスの『虹』が破壊されたのは、猥褻性が問題視されたためで、彼の別の作品『チャタレイ夫人の恋人』(1928)も国内外で物議を醸し裁判沙汰に
ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』(1939)も、社会主義の色濃く出版当時は全米で大きな論争となり、撤去したり焚書したりする図書館が続出
多様な民族と文化を受け入れた米国では、1936年にコムストック法が無効となったが、40年と41年の2年間に郵政省が西海岸で主に敵国ドイツ色のある本を600トンの外国語書籍を押収し破壊したり、国務省も何度となく書物とその著者に対して制裁を加えてきた
作家の迫害は決して珍しい出来事ではない
     英国人作家ジェイムズ・ハンリーは、少年船員に対する通過儀礼を生々しく綴った小説『少年』(1931)の出版元が罰金と作品回収を命じられ、3年後の再販時にも同じ処分
     ペルー人作家マリオ・バルガス・リョサの『都会と犬ども』(1963)はリマの士官学校での自らの体験を詳述したものだが、軍人が没収・焼却処分とし、大学でも焼却
     共産主義者のブラジル人作家ジョルジュ・アマードの『フロル婦人とふたりの夫』(1966)が、独裁者ヴァルガス直々の命令で焼却
     バングラデッシュ人作家タスリマ・ナスリンのベンガル語の処女作『ラッジャ()(1993)は、ヒンドゥー強硬派によるイスラム教モスク襲撃事件の後、ヒンドゥー教徒の一家を襲った悲劇を描いた作品だが、イスラム教を冒涜したとして全国規模の暴動に発展、著作は破壊され、殺害予告を受け、現在も亡命生活を送る
サルマン・ラシュディ対イスラム原理主義 ⇒ 19812作目の『真夜中の子供たち』で英国ブッカー賞を受賞したインド系英国人作家ラシュディ(1947年生)は、作品中でインド独立初期の政権を非難したため故郷インドを離れざるを得なかった過去があるが、4作目の『悪魔の詩』(1988)もブッカー賞の最終候補に残り、ウィットブレッド賞を受賞しているが、作品中で預言者ムハンマドやイスラム教を挑発し愚弄する記述があり、すぐにインドで発禁となり、世界中に撒かれた冒涜部分のコピーがイスラム教徒の憤怒を駆り立て、イランの最高指導者ホメイニ師も処刑実行を促し、各地で翻訳者も含め殺傷が続き、91年には日本人翻訳者が殺害。98年英国との協議の結果、イラン政府が処刑支持を撤回し、ようやく著者は英国警察の保護下から解放。いまだに著者の抹殺を求める者もいる
作家が自著を悔やむとき ⇒ 不安や恐れ、落胆や失望が原因で自著を破壊したり、処分を遺言するケースも多い。ローマの詩人ウェルギリウスは、自らの文章が不完全なままだと思ったからか、遺言で長編叙事詩『アエネーイス』の焼却を命じたが、誰もその命令を果たさずに遺った。『国富論』(1776)のアダム・スミスも、不出来な草稿を死後に読まれるのを嫌がってか、かなりの数の手稿を処分したとされる。英国の著名な文筆家アイザック・ディズレーリは刊行した小冊子『詩の弁護』(1790)の内容を恥じほとんどを燃やしたが、数人が事前に購入し本を救出
フランスの小説家ギュスターヴ・フローベールの場合は、友人が著作の破壊に加担 ⇒ 1849年『聖アントワーヌの誘惑』の第1稿を友人に読み聞かせたところ否定的な意見が還ってきて没にされた

第5章          大災害の世紀
1900年義和団事件による清国軍と外国人部隊との衝突の中で、火の粉が中国の最も重要な知の殿堂翰林院に降りかかり、図書館にあった中国随一の大事典『永楽大典』が延焼、中国学者ジャイルズの息子ランセロットが火の中に飛び込んで13,345巻目を救出したが、全部で22,877巻、目録のみでも60巻、見出し語は370百万以上あり、それぞれの項目には必ず他の項目の言及があって、その項目を読まないと機能しないことが多い。オリジナルは印刷されることなく、常に手書きの写本の形で保たれ、1449年の火事で初めて失われた後、記憶を頼りに復元された膨大な唯一の写しがこの時の戦火で焼失
1931年からの日中戦争でも夥しい数の図書館が破壊 ⇒ 1909年清朝が発布した中国全土の省都に公立図書館を設置する法令に基づき、さらには1910年代後半の文学革命(形式主義の打破、口語・白話(はくわ)による表現の自由などを提唱)19年の五・四運動(19年のヴェルサイユ条約への抗議から始まる抗日・反帝国主義運動)、教育の大衆化によって後押しされ、北京の上級国家図書館である京師(けいし)図書館と共に急激に各地に開設された
侵略した日本軍が敵国の記憶を消し去る政策を優先していた事実が分かる。36年に4,041あった図書館のうち、2,500は破壊、92の高等教育施設が全壊し、戦争中に失われた本の総数は300万冊に上ると言われる
自然災害の11つが文化の破壊も引き起こす ⇒ 1904年トリノ大学図書館の火災では希少価値の高い写本の多くが焼失。1906年サンフランシスコの地震では1865年創設のサンフランシスコ・ロー図書館の唯一無二の手稿や資料が46,000冊の蔵書とともに消滅。1923年の関東大震災では東京帝国大学の図書館が全焼、76万冊中70万冊が消滅。1998年ミネソタの竜巻ではセントポール公共図書館が破壊
米国最大規模の図書館の火災は1986年のロサンザルス公共図書館で、原因不明の失火により40万冊が焼失、40万冊が破損、建物は廃墟に
1988年レニングラードのロシア科学アカデミーの図書館の火災は、1747年以来4度目の出火で40万冊が焼失、360万冊が損傷
ドイツでの最大悲劇の1つは2004年ワイマールのアンナ・アマリア図書館の火事。1691年ザクセン・ワイマール公爵夫人アンナ・アマリアによって創設されたもので、ゲーテが頻繁に使用していたように世界に名だたる図書館の1つで、『ファウスト』の最大規模のコレクション13,000冊を筆頭にシェイクスピアの初版本の数々、傑出した聖書のコレクションなどが、漏電による出火で世界文化遺産に登録された建物とともに、多くが損傷

第6章          恐怖の政権
20世紀初頭にロシアで起こった一連の革命の端緒は1905年サンクトペテルブルクの血の日曜日事件で、1917年にはロマノフ朝の帝政が崩壊、臨時政府は、18031916年に2万以上の著作や新聞が発禁・破棄された過去を踏まえ、出版・報道の自由の回復を掲げる
レーニンのプロレタリア独裁の確立により、ツァーリズムと資本主義を擁護する書籍粛清が始まり、文学出版総局の創設によりすべての政府機関に対し検閲の権限行使を容認
1989年のペレストロイカで判明した過去の禁書はロシア語書籍が27,000、外国語書籍が25万、雑誌が57万冊に上る
焚書や投獄に遭った作家には、イサーク・バーベリ、1958年にノーベル賞を辞退させられたパステルナーク、ソルジェニーツィンは懲役8年、詩人ブロツキーも逮捕・流刑・国外追放の後87年にノーベル賞、キエフ生まれのクズネツォフは亡命
2次大戦終結後に、ソ連軍が各地で没収した芸術作品や記録文書の返還を求めて、いまだに多くの国家と団体が訴え続けているが、解決された様子はない
1966年中国の文化大革命では、マルクス主義的な社会分析を導入し、知識人層を粛正、四旧(旧い思想、文化、風俗、習慣)を打破、新たな国家を築くとして、焚書を始め有害図書が大量に破壊された
1974年ペロン大統領死去後のアルゼンチン
1970年当選のアジェンデ大統領をクーデターで倒したピノチェット軍事政権
1988年のアルジェでのイスラム過激派による暴動
アフリカの図書館は、不安定な政治情勢と経済危機に翻弄され、文化面では絶えず退廃状態
2002年イスラエル軍によるパレスチナ自治区襲撃による文化施設の破壊

第7章          民族間の憎悪
1949年ボスニア・ヘルツェゴビナ国立図書館が開館、サラエボのシンボルだったが、92年に始まったセルビア共和国のムラディッチ参謀総長の命令一下の集中砲火で破壊され、150万冊が全滅
1991年ソ連崩壊の直前に一方的に独立を宣言したチェチェンに対し、エリツィンは94年首都グロズヌイに非人道的な攻撃を繰り広げ、一旦停戦するが、プーチンの下で第2次侵攻開始。その間首都のチェホーワ図書館を始め1000以上の図書館が1100万冊以上を所蔵していたが、ロシアの蹂躙で壊滅、大半が行方不明のまま、今でも闇市場にはチェチェンから流れてきた本や芸術作品が多く出回っている

第8章          性、イデオロギー、宗教
1895年オスカー・ワイルドは若きアルフレッド・ダグラス卿との同性愛のかどで騒動を起こす。表向きは道徳的に厳格で性に抑圧的だったとされるヴィクトリア朝時代の英国で、男性に対する強制猥褻罪で有罪となり、著作は破壊され、その後も毛嫌いされたと言われる。同性愛に対する粛清は20世紀になっても続く
1841年創設のタミル人が多く暮らすスリランカの図書館はタミル文化の手稿を擁する立派な建物に変貌したが、1981年統一国民党の指示を受けた狂信者グループによって焼かれ、その後国内多数派のシンハラ人との民族対立から長き内戦に巻き込まれ、文化遺産が焼失
キリスト教徒が多いアルメニアと、ムスリムが多いアゼルバイジャンは、1991年ソ連崩壊に伴って独立したが、アルメニア人が多くを占めるアゼルバイジャン国内のナゴルノ・カラバフ自治州の独立に伴い両民族の対立が激化、ロシア軍に支援されたアルメニア系住民軍がアゼルバイジャン人を虐殺、各地で激しい市街戦の後、アゼルバイジャン全土で図書館と博物館が破壊され、460万冊の蔵書が消失
1998年カトリックとの宗教間対話を促す神学書数十冊の焚書を命じたロシア正教会では、内部の宗教観の相違に起因する抗争の結果、反対派の神学者の著作がエカテリンブルクの公の場で破壊
アラブ人も文化の粛清の対象に ⇒ フランスのある書店主が、パリ市内の図書館でイスラム教、アラビア語関連の本を破壊したとして営業停止処分になったが、反人種差別の団体や民族間の友愛を支持する団体は、犯罪の重大さと制裁の軽さを非難
1998年には米国バージニア州で、女性団体を名乗るグループが、近代史において女性の社会的地位を損ねてきた本・新聞・雑誌をすべて巨大な焚き火に放っていた
学生が卒業時に教科書を燃やす行為は、昔から続く伝統の1つで、ハーバード大他多くの名門校でもこの習慣が残り、無数の学術書が毎年失われていく
2001年米ニューメキシコのアラモゴードで宗教団体が『ハリー・ポッター』シリーズ数百冊を、悪魔の産物で人々を退廃に導くとして、公衆の面前で燃やす
2010年グランド・ゼロの近くに建設を計画するイスラム・コミュニティ・センターに反対する福音派教会の牧師がコーランを燃やすよう呼び掛けるとともに、9.11を「国際コーラン焚書デー」に指定すべきとしたため、イスラム関係者からの抗議が殺到、オバマまで出てきて、米国の建国精神に反すると批判。歴史上最も迫害を受けた書物の1つがコーラン

第9章          書物の破壊者
書物の天敵は虫 ⇒ セルロースや膠に含まれるゼラチンは害虫の格好の標的
シミ目(衣魚/紙魚と書く) ⇒ 表面を嘗めるように削る
シバンムシ(死番虫) ⇒ 甲虫目。体長数ミリ。トンネル状の穴をあける
オウシュウイエカミキリムシ ⇒ 甲虫目。木材に深刻な被害をもたらす
ヒョウホンムシ ⇒ 甲虫目。紙に穴をあけ、その奥に幼虫を隠す
カツオブシムシ ⇒ 甲虫目。動物性繊維が好物で、書物では羊皮紙や革装の本を好む
ゴキブリ目
シロアリ
ネズミ
紙が亜麻や木綿から作られている間は耐久性は悪くなかったが、木材と新たな精製・糊付け過程が導入されたことで劣化が早まった。パルプで作られた紙は、インクが滲まないよう天然のロジン(松脂)を原料とした薬品を紙に塗布する方法が用いられ、その定着に硫酸アルミニウムを使用。強い酸性薬品のため酸性紙になるばかりでなく、木材からセルロースを抽出さる際に発生する物質や膠付けに使用するミョウバンの塩分も紙の劣化を速め、さらには硫酸イオンが空気中の水分と反応して紙の中で硫酸を生じさせ、硫酸がセルロースを加水分解する作用を持つところから、紙の劣化が進み、製造後50100年で紙が崩れてしまう ⇒ 1798年フランスの製紙・印刷業者が機械製紙法を開発して人手から転換した時に始まる
製紙にパルプが使われるようになったのは1838年。フランスの化学者がセルロースを発見、植物の細胞壁からの分離を成功させたのがきっかけ
酸性紙問題は、世界中の司書にとって大きな脅威となっている
図書館の慢性的な予算不足による書物の危機も無視できない ⇒ 現状の保存状態では損傷が激しいが、一般的な本の破損率4.66%を前提にしても膨大な修復費が掛かる
書物にとっての不適切な環境として考えられるのは、高温多湿、風通しの悪さ、乾燥のし過ぎ、空気の汚染、過剰な照明などが代表的。光は波長の長さに拘わらず、書物の有機的素材を酸化によって化学分解する、特に紫外線による影響でセルロースは日々劣化
ノンフィクションの『ダブルフォールド』(2001)では、紙の酸化による破壊を食い止めるため、マイクロフィルム化が進められているが、その裏でオリジナルを廃棄しているという驚くべき事実を暴露。図書館ですら本などを破壊することがある

第10章       イラクで破壊された書物たち
2003年米英連合軍によるバグダード侵攻で陥落、フセイン像が引き倒されたが、国立図書館や国立文書館も暴徒の群れに襲われ略奪に遭う。無類の読書好きだったフセインが集めた10百万冊の6割が焼失
今なおイラク各地で盗まれた遺物が世界各地で押収されるが、盗品がイラクの反体制派の活動資金のために売られているとも聞く
米軍は2003年から1年余り、バビロン遺跡のネブカドネザル宮殿跡に駐屯施設を建設、遺跡からわずか300mの距離にヘリポートがあり、振動で神殿などの遺跡が破壊され、米兵が砕けたかけらを戦利品として持ち去っており、米軍が遺跡の破壊者として非難
連合軍と反米強硬派との戦闘では、他にも多くの文化破壊が進み、知識人たちの殺害が輪をかける

第11章       デジタル時代の書物の破壊
図書館に対するテロ攻撃の脅威は、今や避けられぬ要素の1つとなる
1978年サンディエゴ航空宇宙博物館の放火、94年ブエノスアイレスでの爆破事件での図書館崩壊、96年スウェーデンの移民局襲撃事件で市立図書館が類焼、同年米国でのカジンスキーによる小型爆弾郵送事件(全米の大学と航空業界が標的にされたことからユナボマー”University & Airline Bomberと呼ばれる)93年のマンハッタンのワールドトレードセンター爆破事件、2001年の9.11
書籍爆弾も悪質
本の存在が過渡期を迎える ⇒ 情報伝達手段の大転換の始まり
電子書籍とは、本や雑誌の内容をデジタルデータ化したもので、ソフトウェアであるコンテンツ(=情報の中身)の事。Eリーダーが登場した2010年が電子書籍元年
インターネット検閲により情報をフィルターにかけている国がインド、イラン、中国、サウジを筆頭に40カ国(2008年現在)
破壊の歴史は不変。すべては扱う我々、人間次第ということ




書物の破壊の世界史 フェルナンド・バエス著 本燃やす人への警戒訴える
2019/5/4付 日本経済新聞
「本や図書館に関する専門書は数あれど、それらの破壊の歴史を綴った書物は存在しない」と著者はいう。その欠落を埋めるべく書かれたまことにコンプリートな書物の破壊の世界史である。
https://www.nikkei.com/content/pic/20190504/96959999889DE6E6E3E0EBE1E0E2E0E6E2E6E0E2E3EB9F8BE5E2E2E2-DSKKZO4412922024042019MY7000-PN1-1.jpg
著者は図書館学者、作家で、べネズエラ国立図書館の元館長。2003年の連合軍のイラク侵攻直後に図書館破壊の調査にバグダッド入りした。そこは古代メソポタミア文明発祥の地。シュメール楔形(くさびがた)文字を刻んだ粘土板は人類初の書物で、幾つもの図書館や文書庫が過去に存在した。しかし洪水や王朝の交代、戦争や征服で、書物の文明は書物の破壊の歴史とともに始まったことを考古学調査は教えている。
古代アッシリアからエジプト、ギリシャへ、中国、ローマ帝国、アラブ世界、ビザンチンへ、書物、文書庫、図書館の破壊の年代記が、古代、中世から今日のデジタル時代まで、これでもかと延々と網羅的に書き連ねられていく。現存するプラトンやアリストテレスの著作は一部にすぎず、ギリシャ悲劇の多くは残っていない。中国でも始皇帝が書物を焼き払った「焚書坑儒」はよく知られている。
古代アレクサンドリア図書館は、プトレマイオス朝が財を注ぎ込み、アルキメデスやユークリッドなど名だたる学者たちを集めて学芸の中心となり、蔵書はパピルス70万巻に及び、ヘレニズム文化の栄華を誇ったが、戦乱と忘却の歴史のなかに消えていった。
書物の殺戮は、ホロコーストならぬ「ビブリオコースト」と、著者は名づけ、民族や文化の抹殺行為としての「記憶の殺害」と結びつけられる。宗教とりわけキリスト教による異端糾問、異教の排斥は猖獗(しょうけつ)をきわめ、新大陸征服による宣教師たちのアステカ・インカ文明の抹消の記述には胸が痛む。
ナチスのホロコーストが「焚書」の儀式化というビブリオコーストから始まったように、原理主義やヘイトやフェイクが何をもたらすのかに私たちは注意深くあらねばなるまい。それが、著者が繰り返し引くハイネの警句、「本を燃やす人間は、やがて人間も燃やすようになる」の意味であろう。
一気に通読するにはあまりに重い著作だが、文明とは何か、野蛮とは何かを肝銘すべく座右にとどめたい一冊である。
《評》記号学者
石田 英敬
(八重樫克彦、八重樫由貴子訳、紀伊国屋書店・3500円)
著者はベネズエラ出身の図書館学者、作家。本書は04年にスペインで刊行、17カ国で翻訳された。

(書評)『書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで』 フェルナンド・バエス〈著〉
20194200500分 朝日
 繰り返される記憶と価値の抹殺
 本書の著者は図書館学者で、イラク戦争後の2003年に、ユネスコ使節団の一員として、イラクでの図書館や博物館の破壊に関する調査を行った。そのときバクダード大学の一人の学生がつぶやいた言葉、「どうして人間はこんなにも多くの本を破壊するのか」という問いかけ。本書は、それに対する答えである。
 文字の記録は、現在のイラクにあたるシュメール地方で、何千年も前に始まった。そのころの書物は粘土板だが、それらを集めた図書館も創設された。しかし、書物の破壊はすでにそのシュメールで始まる。古代ギリシャでも、古代ローマでも、アラブ世界でも、権力者と彼らに賢者と呼ばれた学者たちの中には、何万冊もの書物を集め、壮大な図書館を作る人たちがいた。しかし、為政者が代われば都市が破壊され、そのたびに、図書館は標的となって蔵書が消滅した。
 スペイン人が南米を征服すれば、アステカの文書は破壊された。中世ヨーロッパの異端審問の時代には、人間も書物も何万と燃やされた。ナチスも、大虐殺を行っただけではなく、大量の書物を焚書にした。中国でも、古代から毛沢東時代まで、人間と書物の犠牲には事欠かない。
 なぜ、書物は破壊されるのか? 一つには、書物がある種の記憶の記録であるので、そのような記憶を抹殺したいと考える集団がつねに存在するから。二つ目は、書物が、思想、考え、価値判断の表明であるので、気に入らない考えを抹殺したいと考える集団がつねに存在するから。三つ目は、自然災害と近代戦争時の空爆。世界史は、なんと蛮行の歴史であるか。
 では、現在のデジタル化で、この状況はどうなるだろう? 一度ネット上に上がればなかなか消せないという強靱さもあるが、ちょっとしたことで読めなくなる脆弱さもある。それより、人々が書物を読まなくなることが最大の「破壊」かもしれない。
 評・長谷川眞理子(総合研究大学院大学学長・人類学
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 『書物の破壊の世界史 シュメールの粘土板からデジタル時代まで』 フェルナンド・バエス〈著〉 八重樫克彦、八重樫由貴子訳 紀伊國屋書店 3780円
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 Fernando Baez ベネズエラ出身の図書館学者、作家、反検閲活動家。元ベネズエラ国立図書館長。


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