アメリカの政治  岡山裕他  2019.8.22.


2019.8.22. アメリカの政治 

編者 
岡山裕 1972年生まれ。東大法卒。博士(法学)。慶應大法教授
西山隆行 1975年生まれ。東大大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。成蹊大法教授

発行日             2019.5.30. 初版第1
発行所             弘文堂

はしがき
合衆国現代政治に関する入門書
本書の特徴  第2部で内政と外交の両方にまたがり、様々な争点を巡ってどんな主体がいかなる立場で政治過程に関与し、どのような政策が作られ、執行されてきたのかを説明することに力点が置かれている
アメリカ政治の2種類の多様性に着目して理解を深めて欲しい
1は、政治争点の多様性 ⇒ 銃規制や人工妊娠中絶など日本ではイデオロギー対立が生じるのは考えにくいが、アメリカでは何がどのような文脈で争点化し、議論されるのかを理解する必要がある
2は、政治過程の多様性 ⇒ 立法と行政が独立、政党内のまとまりも強くないし、それぞれの政策目的のために活発に活動する利益団体が多数存在。争点によってどんな政府機関や政治勢力がいかなる政治過程を形作るかが大きく違ってくることから、そのパターンを把握する必要がある


第I部               総論
第1章          歴史と思想     岡山裕
アメリカは、国としての歴史はともかく、政治体制の連続性が高く、今日の政治に直接影響する過去が、多くの国に比べてとても長い
歴史を通じて急激な社会経済的変化を経験し、国際的な地位も大きく変わっており、現代の政治を理解するにはその経緯も踏まえる必要がある
本章では、個々の政治制度や争点を巡る政治過程を検討する準備作業として、アメリカの建国以来の政治史を、その連続性と変化に着目しつつ、大まかに時系列に沿いながら、いくつかのテーマに即して概観する。それによって、様々な争点がアメリカ政治の時間的、構造的文脈にどう位置付けられるのかの見通しが得られるであろう

I 統治の枠組みと政党政治の成立 (2,3)
1763年イギリスは植民地の防衛費を、本国議会に代表を送れない植民地に対して同意なく課税して賄うなどし、植民地側はこれをイギリス古来の国制(憲法)に反する専制的な統治と捉えるようになり、独立論が強まるなか、75年の武力衝突から戦争に突入、13植民地は76年合同で独立を宣言。アメリカの人々は、本国に否定されたイギリス人としての権利を人類の普遍的な価値に置き換えたうえで、君主を持たない共和制を通じてそれを実現するという壮大な実験に乗り出した
1781年には連合規約が批准されて国家連合が組織されたが、独立した各邦が民主化の中で政治的に混乱し、連合会議も事態を収拾するだけの権能を持たない「危機の時代」だった。それを克服すべく、1787年フィラデルフィアの議会で起草され、翌年成立したのが合衆国憲法 ⇒ 国民の持つ主権を、連邦と州で役割を分担して分け合い、連邦政府に徴税、対外関係や州をまたぐ経済活動(州際通商)の規制といった、中央政府として必要な権限を与え、さらには二院制の議会を軸としつつ執行権を担う大統領にも立法への拒否権を与えるなどして、司法とあわせた3権が互いに抑制均衡しながら統治のための権力を共有する仕組みを作り上げた
連邦と諸州政府の間と、各政府内の諸機関の権力分立は、特定の利害が政府全体を支配して専制的に支配するのを難しくすることを狙ったもの
諸勢力の融和を重んじたが、連邦政府が積極的役割を果たすべきとするフェデラリスツと、州や地方自治が重要とする対抗勢力(のちのリパブリカンズ)の党派対立が生じる
19世紀に入るとフェデラリスツは弱体化、リパブリカンズの1党支配が実現
1820年代には党内派閥が割拠状態となり、全国に組織を広げた民主派が28年ジャクソンを大統領に当選させ安定した地位を築く。これが民主党の起源
それに対抗してホイッグ党が誕生。1840年代には全国ベースで2大政党制が登場
この変化の背景には、当時進んでいた民主化がある ⇒ 30年代白人男性限定ながら普通選挙がほぼ全国で実現
2大政党とも、地域コミュニティの支持者が集まる党大会を基礎に、州、全国レベルの党大会に順次代表を送るという組織構成を採用するという分権的構造のため、2大政党とも正式な党員制度は設けず、党全体の方針を定めた恒常的な綱領もなく、同じ党内でも地域によって政策方針が違うことはごく普通。2つの政党間でもその時々の最重要争点以外については明確な対立がないことの方が多く、これ以降有権者の大半が2大政党の一方に単なる支持を超えた強い愛着と一体感を抱くようになり、2大政党間の競争こそ政治の常道だという見方が定着
1850年代にホイッグ党が消滅した後、奴隷制の西方への拡大に反対する共和党が登場すると、以後今日まで民主党と共和党が政策的立場や支持層を変容させていく形で政党政治が展開してきた
民主化も進展、20世紀初頭には女性の参政権が実現、連邦上院議員が州議会選出から直接選挙となったり、各政党の公認候補を党大会ではなく選挙区の一般有権者が選ぶ予備選挙が導入されたり、政策の採用の是非を有権者による投票で行うような直接民主主義的な諸制度も導入

II 人々の多様性 (4,5)
人的多様性にも拘らず、長く白人、それも男性が支配的な地位を占める社会であり続けた
元々いた多くの先住民は、ヨーロッパからの入植者との武力抗争や彼らのもたらした病原菌によって人口が激減
入植者は、ヨーロッパの各地からやってきて、宗教的にも多様
1619年にはアフリカから黒人奴隷がつれてこられ、WASPを頂点、黒人を底辺とする階層的な人種秩序が作られた ⇒ 今日白人とされる人々の中にも格差が存在
19世紀前半からは、アイルランドやドイツから、母国の飢饉や政治的混乱といった理由で多くの人々が移動してきたため、言語や宗教の違いなどから社会への順応に時間を要し、世紀半ばにはこうした移民に対する権利制限を掲げるノウ・ナッシングスと呼ばれる秘密結社が一時期大きな影響力を持った
19世紀後半からは、南欧、中央、ロシアから「新移民」が流入、文化的隔たりが大きく、特にユダヤ系はヨーロッパに於けるのと同様、長く差別に苦しむ
先住民はさらに厳しい環境に置かれ、今日では独自の地位が保障されているものの、差別の残滓から貧困に苦しむ人々が少なくない
白人の移民も多大な困難を経験。1970年制定の帰化法からして、帰化の対象を白人の自由人に制限 ⇒ 1882年中国人排斥法。1924年の移民法ではアジア系移民が事実上禁止
アメリカ史を通じて最も大規模修繕に過酷な扱いを受けたのは、奴隷として連れてこられたアフリカ系黒人 ⇒ 当初は全13州に奴隷制が存在、憲法で奴隷貿易が禁止されても、奴隷は動産として取引の対象となっていた
19世紀前半には、新しい州が誕生する際、奴隷制の採用を認めるか否かが対立の火種となり、1854年には住民自身に奴隷制の採否を決めさせるカンザス・ネブラスカ法の成立で南北の関係が一気に悪化 ⇒ カンザス準州は内乱状態に発展、そこへ奴隷制の拡大反対を唱えて共和党が登場
1860年の大統領選で共和党のリンカンが当選すると南部11州は連邦を離脱しアメリカ連合国を組織。南北戦争の結果65年には憲法修正で奴隷制が禁止されたが、北部が根負けする形で終息、南部ではジム・クロウと総称される法的な人種隔離政策がとられ、黒人の政治参加も妨害され、1960年代まで民主党の1党支配が続く
黒人解放運動を経験した女性たちから、女性の権利向上運動が登場。1848年に大会を開催して声を上げ、南北戦後に、女性人口が少なく、開拓運動を通じて男女の平等意識が強まった西部を中心に参政権を含む女性の権利を広く認める州が登場 ⇒ 1920年の憲法第19修正条項の成立により参政権は認められたが、現在でも賃金格差など完全な平等は達成されていない

III 社会経済的変化と政府の役割 (2, 8,1012)
アメリカ在住者は19世紀を通じて多様化したばかりでなく、数の上でも30年毎に倍増
農業中心社会から、商業化が拡大、さらに19世紀半ばには産業革命が本格化、南北戦争後は重工業化と金融の発達が進み、20世紀には世界最大の工業国となる
市民生活に直接関わることは、基本的に州や地方政府に一任
19世紀後半以降連邦政府の存在感が間に見えて増嵩 ⇒ 憲法上の権限の増加に加え、州際通商が拡大。1869年大陸横断鉄道開通。1913年連邦準備制度導入
連邦の管轄領域の拡大に対し、既存の連邦機関は専門知識が欠如、そのために大きな裁量を持ち、必要に応じて法律の許す範囲で規則を作ったり違法行為に処分を下したりすることで三権に代わって政策を執行する各種の行政機関が新たに設置されていき、特に20世紀初頭の革新主義時代には、行政機関が政策過程の主導権を握る行政国家化が進んだ
連邦政府の役割について最大の転機となったのが大恐慌の最中1933年大統領になった民主党のフランクリン・ローズヴェルトが進めたニューディール政策 ⇒ 州政府による恐慌対策の限界を受けて、連邦政府の福祉国家としての役割の拡大であり、司法も連邦政府に、内政外交にまたがるほぼあらゆる政策領域に介入する憲法上の権限を認める
同時に、大統領が政治の主導権を握ることがはっきりした ⇒ ローズヴェルトが矢継ぎ早に対策を打ち出したことで、以後すべての大統領に重要な政策課題とそれへの解決策の提示という役割が当然に期待されるようになる。大統領府が設置されたのもこの頃
ニューディール期から1960年代まで、経済格差や差別といった社会経済的問題の解決に政府が積極的に役割を果たすべきと考えるリベラリズムが優勢となり、民主党が労働者や農民といった「持たざる者」の支持を集めて多数派を占める
ケネディ、ジョンソンの時代にはニューディールを超えた「偉大な社会」の実現と「貧困との戦争」を掲げて、政府による市場への関与を強めるが、その一環で1950年代から盛り上がりを見せた黒人の権利保障を求める公民権運動もあって、64年には公民権法が、65年には投票権法が成立
期待とは裏腹に紛争の拡大と、1970年代には高度経済成長が終焉を迎え、行政国家への信頼が失墜、カネがかかり非効率的な「大きな政府」が批判の対象へと変わる

IV 世界の中のアメリカ (13)
20世紀に連邦政府の役割が拡大したのは、この時期に対外関係が増したからでもある
1823年のモンロー宣言で、アメリカをヨーロッパ諸国から遠ざけるとともに、新世界の盟主と位置付けた
様々な地域から移民を受け入れつつ自国の民主制を成功させていくが、19世紀末に先進国による後進国の植民地化や権益の確保が本格化すると、市場の確保の必要性と帝国主義への反発の間で揺れ動いたアメリカも、キューバのスペインからの独立を巡る1898年の米西戦争での勝利をきっかけに対外的関与を積極化していく最中、第1次大戦勃発
1917年参戦に踏み切り、戦後講和での中心的役割を果たす一方、国内では大恐慌の前後を境に孤立主義が高まり、第2次大戦への参戦も41年の真珠湾で初めて実現
戦後は東西2超大国の主導権争いからアメリカも自由民主主義陣営の盟主として西側諸国の多くと軍事同盟を結び、率先して貿易自由化を進める1965年には出身国別の移民数割当制度自体を廃止
冷戦後は国際秩序の形も不明確となり、新たな脅威も登場

V イデオロギー的分極化の始まり (7,9)
内政に於いては、共和党が保守、民主党がリベラルという形でイデオロギー的分極化が進むが、保守派が多くの分野で主導権
多文化主義の進展
1994年の中間選挙で、共和党がほぼ半世紀ぶりに連邦議会の上下両院で多数派を確保したことは、2大政党が分極化しただけでなく、全国的に拮抗状態に入ったことを示す
21世紀に入ると、政策論争における保守派の明らかな優位はなくなったものの、ブッシュやオバマいずれの政権でも、政党間対立による政策過程の膠着状態がいよいよ目立つようになり、議会共和党は徹底して政権主導の立法への協力を拒む
今日の政党間対立は、それ以外にも大きく2つの特徴 ⇒ 第12大政党の分極と拮抗化が共に進んだため両党の関係が極めて険悪になるとともに有権者についても分極化が進み、社会的分断を惹起。第2は全国規模では2大政党が拮抗しているが、大多数の州ではどちらか一方が優位にあり、連邦の膠着状態とは裏腹に、民主党の強い州では銃規制が強化され、共和党の強い州では人工妊娠中絶への規制が強まるというように、政策の違いが明確になっている
更には、政党の活動を支える諸組織、様々な利益団体でも2大政党のイデオロギー対立が進んでいる。メディアの分極化も一般市民の分極化を後押し

VI 分断の中の現代アメリカ政治
1の課題は、人種やジェンダー、セクシュアリティに基づく差別の克服 ⇒ 黒人を始めとする人種的マイノリティや女性が差別を受け、社会経済的な地位の面で白人男性に追い付いていないという状況が続く。2015年連邦最高裁がオバーゲフェル判決で同性婚を認めたが、差別を巡る分断はむしろ深まっている。「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命は軽くない)」や「ミートゥー運動」の一方で白人至上主義者の活動も顕在化
2の課題は移民、特に不法移民を巡る分断 ⇒ 10百万と推計される不法移民は既にアメリカの社会と経済の不可欠な部分になっており、その扱いを巡り激しい対立が続く
3の課題が20世紀後半から拡大を続ける所得格差の拡大 ⇒ 2大政党の分極化により、リベラルが提示する再分配に保守派が異を唱えて成立させないようにすることでも格差が拡大してきたとみられる
2016年のトランプの誕生も、それまでの激しい政治対立の延長上に位置付けられると言えるが、政権発足当時共和党が連邦議会多数派であったにもかかわらず、選挙時の公約をほとんど実現できずにいるばかりか、唯一の大きな成果と言える大規模な減税政策はむしろ格差の拡大に資すると考えられる
2018年の中間選挙で、民主党が連邦議会下院の多数派を奪回したことは2大政党の分極化と拮抗状態が続くことを示唆

第2章          統治機構 待鳥聡史(1971年生。京大大学院法学研究科博士後期課程中途退学。博士(法学)。京大大学院法学研究科教授)
多くの権力が与えられるがその担い手を多くの部門に分散させるという「権力分立制(=大統領制)」を採用した連邦政府と、異なる権限を与えられた州政府が並立するという「連邦制」の2制度がアメリカ統治機構の礎石
両制度を採用することが、アメリカ政治にどのような特徴をもたらすのかを解明するのが本章の狙い

I 統治機構の骨格
憲法上連邦議会がアメリカ統治機構の根幹 ⇒ 身分制議会に起源をもつヨーロッパの議会とは異なり、有権者資格が相対的に広く認められており民主主義の拠点としての性格が強く、特に連邦下院は人口比例による州ごとの定数配分とされていること。議員は選出地域や支持層の利益を表出することが期待されているにも拘らず、全国的な課題を扱う連邦政府の政策決定において主導的役割を担うという難問に直面
大統領はアメリカ政治の「顔」だが、国際比較では「弱い」権限しか持たない ⇒ 立法勧告権、拒否権のみ。所属政党の指導者としても影響力は乏しい。執行権を持ち、政策の立案と実施に当たる。外交・安全保障面では相対的に大きい権限を持つ。下院の過半数で弾劾の訴追を受け、上院の2/3で解職となるが、過去2件の弾劾があったが解職はない
官僚制 ⇒ 一部上院の同意を要するものの大統領の意向を反映した人事が可能。他の先進国に見られない特徴として、資格任用(メリットシステム=公務員試験合格者に限定任用)が貫徹していないため半数が政治任用となっていることと、大統領府がNSCや通商代表部のように重要政策を担当する組織を内部に抱えるなどしてその果たす役割が大きいこと
裁判所 ⇒ 9人の定年のない判事で構成される連邦最高裁を頂点に、13の連邦控訴裁判所(巡回裁判所とも)94の連邦地方裁判所から構成。各州にも司法部門が存在。憲法上裁判所による「司法審査」の規定はないが、1803年マーベリ対マディソン判決における憲法解釈により権限が確立され、連邦最高裁による司法審査はアメリカ政治の重大局面において大きな役割を果たしてきた。奴隷の所有権、人種別学、人工妊娠中絶などへの判断等司法積極主義に基づき、他の政府部門の行動を審査することは統治機構の一部をなす裁判所としての任務として当然とされている
州政府 ⇒ 州内の事項については自律的な決定を行う一方、州が連邦政府の政策に対抗する場面も存在し、連邦政府の政策が違憲であるとして州司法長官が提訴するのはその例州は、アメリカ政治における「政策の実験場」かつ「政治家の育成場」としての機能も担い、禁酒法や女性参政権の拡大などは州政治を足掛かりとして広がったし、州知事や司法長官として実績を上げた政治家が連邦政界へと進出することにもつながる
地方政府の設置は州政府の権限だとする法理は、19世紀の提唱者の名前から「ディロンのルール」と呼ばれ、ホームルールと呼ばれる広範な自治権を確保しており、その中核をなすのは地方政府の統治機構を定める憲章(チャーター)の制定権限

II 権力分立制の動態
憲法制定時点で想定した政策過程のあり方には2つの特徴 ⇒ 1つは連邦政府と州政府との間には明確な分業関係があって両者が競合することは想定されていないことで、もう1つは連邦政府内にも明確な分業関係があり、議会が政策決定において中心的な役割を果たすこと
連邦議会と大統領の分業については、地域代表による議会が全国規模の政策過程で主導的役割を果たすことには限界があり、大統領の実質的な役割拡大に繋がり、大統領選挙でも実質的に有権者の直接選挙となったことから、大統領に全国民の代表として国益の追求が期待されるようになり、「現代大統領制」へとつながる ⇒ リベラル・コンセンサス(暗黙の合意)

III 連邦制の動態
憲法は、アメリカ市民が直接に連邦政府と州政府を創設するという論理を採用
連邦政府と州政府の所轄事項が画然と区別されており、両者が異なった仕事を担うという連邦制のあり方を「レイヤーケーキモデル」と呼ぶ
19世紀末から20世紀初頭、大陸横断鉄道や移民の大量流入、産業革命と相まって、活動範囲の広がりから、州政府の自律性が低下、連邦政府の関与が強まるとともに役割も拡大し、州政府と連邦との間に新たな分業体制が始まる ⇒ マーブルケーキモデル
連邦政府から州政府への補助金交付が契機
1970年代以降、リベラル・コンセンサスが失われるとともに、連邦制にも更なる変化への対応が課題となる
     レイヤーモデルへの回帰の動き ⇒ 行き過ぎた連邦政府の関与を規制する動きで「厚意主義」とも呼ばれる
     州の自律性を尊重、「政策の実験場」としての州の存在意義を強調しようとする動き
     州政府が連邦政府に対して政治的な挑戦を試みる傾向が出てきた ⇒ トランプ時代に入って顕著

第3章          選挙と政策過程 西川賢(1975年生。慶應大大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。津田塾大学芸学部国際関係学科教授)
I 選挙
人々が人生の中で政治的価値観やイデオロギーを形成していくプロセスを政治的社会化と呼ぶが、様々な争点に関する多様な意見の集合体である民意は、所属集団の立場の物差しによっても形成される
民主党がリベラルで、政府の介入を最大限認め、社会的経済的問題の解決に当たらせる
共和党は保守で、政府の介入を最小限に抑える一方、同性婚や人工妊娠中絶を否定
事前の有権者登録制度があり、若年層やラティーノは登録率が低いのが問題
州選挙制度は多様、州議員がフルタイムで働くのはカリフォルニアなど10州のみ。15の州では任期に上限がある
連邦レベルでは小選挙区制
1840年まで多くの州では裕福な白人男性しか選挙権がなく、女性の参政権が認められたのは1920年。黒人の投票権は1870年に憲法修正で保障されたが、妨害の工夫が凝らされた
有権者が支持政党の選挙候補者を投票で決定する予備選挙制度が様々なレベルで採用

II 政策決定過程
連邦議会が立法権を持ち、大統領には起案権がない
個人・集団が既存の政策に対して起こした訴訟に裁判所が違憲判決を下すことで政策革新を促す側面を持ので、司法も政策決定過程の重要な一部となっている
票の貸し借りをログ・ローリング、地元への利益誘導をポーク・バレルといい、法案を巡る激しい駆け引きが水面下で行われる
上院ではすべての議事につき議論を尽くすという伝統があり、フィリバスターといって時間無制限に発言することで審議をストップさせることができ、それを阻止するためにクローチャーと呼ばれる討論終結動議が60名以上の賛成で可能となっている
国会で成立した法案に対し、大統領には拒否権があるが、両院の2/3の賛成で覆せる
利益団体による政府への働きかけであるロビイングも憲法上正式な行為として認められるので、競合する無数の利益団体や社会運動が政党・政治家に影響を与え、選挙と政策決定過程を左右する
利益団体や社会運動は人々の多様な利益を組織化し、それを表出する多元主義的役割を担っており、民主主義を活性化しているとする見方が根強い ⇒ 現在登録されたロビイストは11千人以上いて、年間26億ドルがロビイングのために支出
政策決定過程において最も重要な資源であるアイディアを提供する役割を果たしているのが、政策研究機関のシンクタンク ⇒ 経済自由主義的観点に依拠した政策アイディアを提供する保守系のイデオロギー的シンクタンクが1970年代以降急成長し、共和党に食い込んだが、その代表的存在がヘリテージ財団。リベラル系ではアメリカ進歩センターなど
官僚制は「回転ドア」と呼ばれるように、顔触れが頻繁に変わる ⇒ 4000以上のポストが政治任用で、シンクタンクは重要な人材供給源

III 政党
政党規律は弱く、党議拘束はない。党首もいないし、党費を払う党員も存在しない
アメリカ史においては、政党支持のパターンが大幅に変化する決定的選挙がいくつか発生したと考えられ、それぞれを1つの時代の節目と見做して、次の決定的選挙による再編が起きるまでの時期を独自の特徴を持つ政党制と見做すというのがアメリカ政治史に言う政党制
民主党の系譜は、憲法制定に際しての反対派であったアンチ・フェデラリスツまで遡り、西部小農民層、南部大農園主、負債者などで構成される層で、1828年ジャクソンを当選させて2大政党制(182860)を主導。1932年ローズヴェルトが政権を奪取し、第5次政党制(68)も民主党が中心
共和党は、南北戦争前に奴隷制拡大反対を唱える勢力が集まって1854年結党、第3次政党制(186096)、第4(18961932)を主導
2大政党の性格が歴史的に何度も変容していることが重要
民主党は、ニューディール以降連邦政府による社会経済領域への積極介入により問題解決にリーダーシップを発揮することをモットーとし、ニューディール・リベラリズムに共鳴する労働者、南部の白人貧困層、ユダヤ人、黒人などの人種的マイノリティなど幅広く取り込むことで新たな支持層を掘り起こし多数派連合を形成
共和党は、アイゼンハワーが民主党の政策を部分的に取り込んだ中道路線を打ち出して対抗しようとしたが、中道路線に不満な保守派が60年代半ば以降、より保守的な方向へと傾け、民主党の伝統的支持基盤だった南部保守派を奪い去ることに成功。さらに70年代以降急速に宗教右派の影響力が浸透、人工妊娠中絶や同性婚など伝統的争点を重視し、南部を中心に共和党の地方組織を飲み込んでいく。80年のレーガン大統領は宗教右派の大きな支持で当選、共和党の地盤はかつての北東部から南部へと大きく比重が移り、「経済右派₊宗教右派」をそのイデオロギー的特徴とし、郊外や農村に居住する保守的白人を支持層に据えた保守的政党へと完全な再編を遂げた。民主党員でありながらレーガンに投票するレーガン・デモクラットが多く出た
80年代の3回の大統領選挙では、変貌した共和党が一般得票の54%、選挙人の89%を獲得して圧勝、危機感を抱いた民主党は、共和党の主張を部分的に取り込んで中道化させることで多数派の地位を取り戻そうと考える。「忘れられたミドルクラス」を唱道したニュー・デモクラットの旗手がクリントン
1950年代アイゼンハワー政権以降の共和党は右傾化、90年代クリントン以降の民主党は左傾化に向かい、2大政党はイデオロギー的分極化を遂げたが、イデオロギー的分極化はアメリカ政治に停滞をもたらす元凶の1つといわれ、アメリカ政治が抱える宿痾となっている。トランプの誕生も、イデオロギー的分極化がもたらすアメリカ政治の閉塞感にうんざりした有権者の反発と見ることも可能

第II部             争点
第4章          人種とエスニシティ 平松彩子(1982年生。Johns Hopkins Univ. (Ph.D., Political Science)。南山大外国語学部英米学科講師)
オバマからトランプへの交代はアメリカ政治が人種問題を巡って両極端に揺れ動いた象徴的事例であり、アメリカ政治の特徴は以下の3
     人種やエスニック集団間の格差を是正し平等を実現しようとする政治運動と、その是正の動きを止めようとする反動という、相反する2つの勢力が幾度か揺れ動いてきた
     合衆国が建国当初より黒人奴隷制を擁していたために、人種問題の中でも特に黒人の地位が長らく争われ、公民権法や判決によって解決されるようになったが、黒人以外のマイノリティ集団も連邦政府を通じて不平等是正を求める際には、黒人問題の解決策の文脈に沿って活動を行う場合が多かった
     人種及びエスニック・マイノリティの地位を巡る政治においては、権力分立制をとる連邦政府の政治制度のうち、司法部門が大きな役割を担っている
I 人種及びエスニシティ分類の起源と差別体制の形成
13植民地はイギリスを中心とする西欧から来た白人によって建設され、白人、黒人、先住民、それ以外という4つの人種カテゴリーを設け、その間に明らかな序列を設ける政策を行う
1857年ドレッド・スコット判決では、黒人奴隷が自由州に移住しても、合衆国市民としての権利を得ることはないとした
南北戦争後の憲法修正 ⇒ 第13修正条項で奴隷制を廃止したほか、第14修正条項で合衆国生まれの黒人に対しアメリカ市民であることを保障、第15修正条項ではアメリカ市民に投票権を付与するとした
戦後の北軍による軍政下で認められた黒人の選挙参加は、軍政の終了とともに、白人至上主義者によって覆され、南部各地で黒人及び貧困層の白人を政治過程から排除するジム・クロウと呼ばれる一連の立法がなされる
ニューディール政策においても、南部の人種関係及び労使関係にもたらす影響を最小限にとどめ、黒人がその恩恵を受けられないようにするべく政策実施方法が設計され、労働者の団結権の対象から除外したり福祉手当の申請を出来ない仕組みを作ったりするなど、人種の側面では不平等な性質を持っていた
2次大戦での総動員体制の導入で、ようやく連邦政府機関と軍需産業での人種差別禁止の大統領令が出るとともに、テキサス州の民主党白人予備選挙を違憲とした連邦最高裁の判決などにより黒人差別体制に綻びが見え始める
黒人差別体制の最終解決は、1954年のブラウン判決による公教育での不平等の違憲判決と64年の公民権法、65年の投票権法成立によって制度的には完了。黒人の政党支持はリンカンの共和党から民主党へと移行
20世紀後半には保守派の反動が起きる ⇒ ニクソンが南部白人保守派の共和党への取り込みを狙って、福祉予算削減などを掲げる
他のエスニック集団であるアイルランド系、イタリア系、東欧からのユダヤ系は、総じて白人と認識され、容易くアメリカに帰化できたが、先住民部族に対しては当初主権国家としての地位を認めながら、西部開拓が始まると一転して強制移住政策を取り、1924年のインディアン市民権法までは市民権を認めず、65年の投票権法で漸く全ての州で投票権を行使できるようになった

II 政治的特徴――政党支持と代表
白人は、メキシコと国境を接する5州とハワイを除く44州で州人口の50%以上を占める
多くの白人家族は、ブラウン判決以降都市部の公立学校における人種統合から逃れるために都市の郊外へと移住(ホワイト・フライト)、都市の内部においては、不動産契約に人種差別的条項が公民権法まで存在したこともあって、豊かな白人の住む区域と貧しいマイノリティの住む区域がいまだに分かれる傾向がある
各集団の投票率では、白人が6070%に対し、黒人は60%前後、ヒスパニックは40%代
政党支持では、黒人一般有権者の傾向としては民主党支持が強固で、連邦議会選挙での共和党候補に黒人は数えるほどしかいない
ヒスパニックの政党支持では民主対共和が32、アジア系でも民主党支持が多い
居住地の偏りは、選挙区の区画の決定にも影響する場合がある ⇒ 州政府が連邦下院議員の選挙区を決める際に、ある特定の人種やエスニック・マイノリティ住民を多数にし、同じ出自の候補が当選しやすいように線引きするゲリマンダリングが行われ、マイノリティ多数選挙区を作ることもあり、党派政治によって左右される

III 所得及び教育程度の特徴と格差是正への取り組み
世帯当たり実質所得の中央値は61,372ドルに対し、アジア系81,331、白人68,145、ヒスパニック50,486、黒人40,258 ⇒ 公立小中高等学校の予算はその学区の地元不動産税を主たる財源としているため、所得格差が教育程度の差に直接反映。4年制大学卒業は全体で35%に対し、アジア系63%、白人42%、ヒスパニック19%、黒人23%、ネイティブ・アメリカン16
公民権法により高等教育でのアファーマティブ・アクションが導入され、在学生の出自の多様性が教育的効果をもたらすことを認めた大学が出自に配慮した入学者選抜を始める
黒人学生のための大学が南部地域に多く存在 ⇒ 南北戦争後に創設された解放奴隷のための高等教育機関に起源を持ち、黒人エリートの育成を担ってきた(ハワード大)
公民権法は、職場での雇用関係においても差別を禁止

IV 警察及び刑事法の改革を求める運動
法執行機関とマイノリティの関係 ⇒ 警察機構は主に州政府に属し、刑事法は州政府が独自に定めるため、連邦政府において争点となることは稀
囚人数は他国比突出して多い ⇒ 黒人男性が白人男性の6.5倍、ヒスパニックは2.5
ブラック・ライヴズ・マターと呼ばれる社会運動で、警察の取り締まりが黒人に対して厳しいとの批判が展開されてる

V 今後の展望
オバマ大統領の誕生が、人種を巡る政治過程が3度目の揺り戻しの時期に入ったことを意味する
黒人以外の人種及びエスニック集団の格差是正も、黒人公民権運動によって達成された政策実施枠組みの中で実現されてきた
裁判所が、選挙や政党を通じた多数派形成が難しいマイノリティ集団にとって、自らの権利を政府に認めさせる可能性が残されている機関として機能

第5章          移民 西山隆行
移民は象徴的な言葉であるため、現実政治では厳密な定義を行わずに、その時々の文脈において異なった意味で用いられる
本章で扱うのは、移民、難民なども含む外国から移動してきた人とその子孫を扱う
アメリカでは、法により永住を認められた移民が存在する

I 移民の概略
現在外国人居住者は42百万(全人口の13) ⇒ 合法移民、不法移民、難民を含む
1965年移民法に基づき、毎年70100万人の合法移民を受け入れ ⇒ 出身国別の割り当てから、職能・技能に基づく移民選抜重視に転換。就労ビザの約15%がこのカテゴリー
最大の合法移民は家族優遇制度利用者で、合法移民全体の2/3を占める ⇒ 成人したアメリカ市民の近親者はほぼ無制限に移住が認められる
移民多様化ビザは、歴史的に移民が少なかった国からの申請を認めるもので、毎年5万人を抽選で選ぶが、15年には申請者が15百万近かった
不法移民への対応が問題 ⇒ 主にメキシコからの移民。低賃金労働力として必要とされた面もあり、1986年の移民改革統制法により300万人の不法移民に合法的な滞在許可を与える一方で、以後の不法移民の入国を厳格に管理することとしたが、今日では密入国者より合法的に入国した後のオーバーステイが多く、約11百万の不法移民が国内に潜伏している
アメリカは最大の難民受け入れ国 ⇒ 年78万程度だったが、トランプは45千に制限

II 争点としての移民政策
相矛盾する理念や利益関心が対立する争点であり、ナショナル・アイデンティティ、文化、雇用や経済成長、人口動態、社会福祉、外交・安全保障など多様な政策領域に影響が及ぶ
多様な移民を受け入れてきたアメリカは、そのアイデンティティの基礎を自由や民主主義、平等などのアメリカ的信条と呼ばれる理念の共有に求めてきた
移民を巡る政治過程にはいくつかの段階がある ⇒ 第1は入国管理政策で、合法移民をどれだけどこから受け入れるか、不法移民をどのように処理するか。第2段階は社会統合政策で、入国した移民をどのように社会に統合するか
前者は連邦政府の管轄であり、後者は各州の問題

III 出入国管理政策
連邦政府の管轄事項であり、根幹は1965年移民法

IV 移民への対応
教育 ⇒ 不法滞在中の子どもにも初等・中等教育を受ける権利が認められている
移民の増大が犯罪率の上昇をもたらすという指摘もある
連邦政府が定める不法移民取り締まり政策を厳格に実施しない都市や州を聖域都市・聖域州という
社会福祉でも、年金のような拠出型と公的扶助などの非拠出型では局面が異なる

V 移民の国アメリカの課題
不法移民問題が一大争点化されているが、移民に対する誤ったイメージの結果として、様々な政策の基礎が掘り崩される可能性が存在
社会的多様性をその強さの源泉としてきただけに、その移民政策の行方に注目

第6章          ジェンダーとセクシュアリティ 西山隆行
ジェンダーとは、男女の性差を社会的、文化的に構築されたものと考える視点を表現する概念
I 女性と政治
女性の権利拡大を促す活動を考える上で興味深いのは、奴隷解放、公民権など平等な権利実現を目指す他の社会運動に関与する中で性差別の問題の根の深さを痛感した人々が女性運動を活性化させてきたこと
1848年のセネカ・フォールズの大会以降、女性は一部の州で財産権を認められるなど経済上の権利を拡大
1869年ワイオミング準州で女性参政権が認められた
1919年女性参政権を定めた合衆国憲法第19修正条項が連邦議会を通過、翌年発効に必要な36州の批准を得る ⇒ 90年代に女性議員比率が急上昇、最高裁判事も9人中3
1966年全米女性機構NOW設立。性別に関係なく法の下に平等な権利を保障する男女平等条項ERAを修正条項として憲法に加えることを目指す
NOWは、人工妊娠中絶の権利を認めることも要求 ⇒ 州政府が管轄

II LGBTと政治
性的指向とは、恋愛感情や性的欲望がどこに向かうかを指す概念。生物学的な性別と性的指向が一致するとは限らず、異性愛とその他の性愛の形に優劣をつけるべきかというのが性的指向を巡る論争。LGBTLGBが性的指向の問題
性自認とは、自分の性別をどのように認識しているかという問題で、性自認と身体的性別のどちらに合わせるべきかという問題。LGBTTが性自認の問題
宗教との関係を念頭に置く必要がある ⇒ 異性間以外の性交をソドミーというのは旧約聖書で異性間以外の性交が行われたとして神の怒りを買って焼き滅ぼされたソドムという街に因んでいるが、宗教右派はそれを根拠にLGBTを許容しない
1969年のストーンウォールの反乱(ニューヨークのゲイバーに取り締まりが入ったことに反発した暴動事件)以降、性的逸脱者という否定的なアイデンティティを強制された人々が異議申し立てを行うようになった
伝統的に軍では同性愛者への嫌悪が強く、同性愛者の雇用を禁じる規定があったが、クリントンの時規定撤廃を公約として強行しようとするも周囲の反対に遭って「聞くな、語るなDADT」との方針に転換。オバマは性的指向を根拠とした雇用や昇進上の差別を禁止したが、トランプはトランスジェンダーの入隊を認めないとツイート
異人種間の結婚は認められるようになったが、同性婚は州ごとに扱いが異なるが、1996年結婚防衛法という連邦法が成立、連邦法上で夫婦に与えられる権利を同性婚には認めないとしたため、州レベルでの訴訟に発展し、連邦法を違憲とする州判決も出た
同性婚容認派が多数を占めるようになって、13年連邦最高裁が結婚防衛法を違憲とし(ウィンザー判決)15年には同性婚を禁じる州法に違憲判決(オバーゲフェル判決)を出し、同性婚が認められた
オバーゲフェル判決自体画期的内容ではあるが、リベラル派4名と中間派判事1名による判決であり、判事の構成によっては今後も変わる可能性があり、同性婚を巡る議論は今後ともアメリカ政治の主要論点であり続ける

第7章          イデオロギーと社会争点 梅川健(1980年生。東大大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程修了。博士(法学)。首都大東京法教授)
アメリカ政治に現れる争点は、その特徴によって2種類に分けられる
     経済的な利益対立を巡る経済争点 ⇒ 人々が利益を最大化しようとして相争う
     新しい権利や価値を求める者と反対する者が争う社会争点 ⇒ 劣位に置かれた人々が優位の人々と同等の権利を求めるとともに、新しい権利や価値の承認を求める
後者は1960年代以降の現象で、公民権運動の成功が惹起
I 社会争点を巡るイデオロギーと政治過程
現代アメリカ政治では「イデオロギー」という言葉は政策的立場のセットを意味
1つのセットが「リベラル」であり、経済争点については政府による再配分を重視し、社会争点については新しい権利や価値を擁護
もう1つのセットが「保守」で、経済争点については政府による市場介入を限定すべきとし、社会争点については新しい権利や価値の認定は社会の安定を脅かすものとして反対
経済争点は妥協可能だが、社会争点は認めるか否かの2者択一で妥協点が見出しにくい
同一の争点でも、どのような角度から争われるかによって、州と連邦のどちらが舞台となるかは異なる
連邦・州ともに3権の公職者の任用は直接・間接の選挙を通じ民意を反映するため、社会争点を争う諸団体は選挙に注力。選挙の候補者は予備選により民意を反映するので、有権者を動員する力を持った利益団体の影響力が相対的に強まる
2大政党のイデオロギー的分極化の高まりで、社会争点についての合意形成はますます難しくなっている
裁判所は、社会争点を掲げる団体にとって重要な闘争の場

II 人工妊娠中絶
長らく州政府によって規制され、19世紀末には多くの州で医師会の後押しで反堕胎法制定
1966年全米女性機構NOWの設立を機に、職場での女性の権利と同様、自身の生殖をコントロールする権利を主張
1973年には31州で中絶が違法 ⇒ NOWが連邦裁判所での法廷闘争へ
1973年連邦最高裁でのロウ対ウェイド判決 ⇒ 憲法第14修正条項の下で保護されるべき基本的人権としてプライバシーの権利が存在し、女性が妊娠を終了させる権利もそれに含まれるとした。妊娠初期は中絶規制不可だが一定期間後は条件付きで州の規制を認める
この判決が、カトリック教会など中絶反対派による大規模なキャンペーン展開を惹起、州レベルで多くの間接的な規制が立法化されるとともに、トランプ政権下の連邦最高裁も保守化の傾向にあり、判決が見直される可能性もある

III 同性婚
同性愛者の権利獲得運動が活発化したのは1970年代。HIV/AIDSや子どもを持つ同性カップルの増加という現象が、結婚に伴い保障される権利の重要性への認識を高めたことが背景
1993年ハワイ州最高裁で、同性婚を認めないことに「やむを得ない州の事情」があるかを明確にせよとの判決が出て、同性婚実現まであと1歩に迫る
この判決が賛否両派を活気づける ⇒ 反対派の中心は宗教右派で、98年にはハワイ州憲法で同性婚を禁止する修正を実現させ、連邦レベルでも96年には結婚防衛法も実現
賛成派は州レベルで訴訟を起こし、03年マサチューセッツ州で初めて同性婚が合法化
13年のウィンザー判決と、15年のオバーゲフェル判決(いずれも第6章参照)によって、全域で同性婚認可
現在では、教会が同性婚に対するサービス提供を、宗教的信念により拒否できるかといった新しい争点が浮上

IV 公立学校での祈祷
公立学校での宗教の扱いは、アメリカにおいて重大な社会争点
1950年代憲法第1修正条項の政教分離、国教樹立禁止条項、宗教活動の自由条項が争点化
1962年連邦最高裁がニューヨーク州法の定める公教育での特定宗教行為に違憲判決(エンゲル対ビターレ判決) ⇒ 以後もリベラル派による違憲判決獲得が続く
1970年代に登場した宗教右派は、最高裁判決に不満を持つ人々の声を拾い上げ、1984年連邦政府により平等アクセス法が制定され、課外活動に宗教が取り入れられ、さらに公立学校において祈祷の代わりに「沈黙の時間」を設けることを州法レベルで実現させ(34州に拡大)、宗教を学校に取り戻そうとする目的を達成しつつある

V 銃規制
18年現在、アメリカには役3億丁の銃があり、47%の家庭で銃を持つ
最も強力な反銃規制団体は1871年設立の全米ライフル協会 ⇒ 当初は銃規制賛成で、危険な銃器の規制を目的とした1934年全米火器法を成立させ、銃所持の権利は主要なテーマではなかった。キング牧師やケネディ暗殺を受けた68年連邦レベルの銃規制法が協会に変化をもたらし、銃規制法撤廃へと動き、86年の銃所持者保護法として結実
憲法第2修正条項は、州による民兵組織化の権利を認めており、州に銃規制の権限があるとする州権説が通説で最高裁もその解釈が採用されていたが、ライフル協会は銃所持を第2修正条項の認める権利だとして個人権説を主張、多大な研究助成を通じて憲法学者を味方につけ成果に結びつけた
1974年誕生の銃規制団体である拳銃統制全国会議は、81年レーガン大統領暗殺未遂事件で重傷を負った補佐官の名にちなんだブレイディ・キャンペーンなどを通じて銃規制を推進。支持者の数では圧倒的劣勢にありながら、90年代には連邦での銃規制が進む ⇒ 93年のブレイディ法(顧客の資格調査の義務付け)94年には包括的犯罪防止法(10年間の半自動小銃の製造・販売禁止)
規制反対派の巻き返しで、05年合法的武器取引保護法(銃犯罪の被害者が銃の製造・販売業者に責任を問えない)08年連邦最高裁判決で個人権説を支持(ヘラー判決)10年連邦最高裁判決で銃所持は州政府も保障する権利と認める(マクドナルド判決)と続き、個人の銃所持は連邦政府にも州政府にも侵害されない権利として確立させた
オバマは、大統領権限による銃規制に乗り出し、身辺調査システムの強化、銃販売業者のライセンス登録の義務付け、購入者の身辺調査の義務付け等を実施

VI 形を変えて続く社会争点
リベラル派は中絶と同性婚の権利を獲得、保守派は公立学校における平等アクセス権や銃所持の権利を獲得 ⇒ いずれも獲得した権利は、憲法の修正条項の解釈変更によるもの
一定の範囲で政府による制限が可能とされ、現在はその程度を巡る争いになっている

第8章          社会福祉政策 山岸敬和(1972年生。Johns Hopkins Univ. (Ph.D., Political Science)。南山大国際教養学部教授)
社会福祉政策の中でも主要政策である公的年金、公的医療保険、公的扶助に焦点
I 社会福祉政策の分類
政府が関与するプログラムの中で、どの類型のものが成立し易いかというのは難しい問題
自由主義的な政治文化の中では、政府の関与が間接的になればなるほど合意が得られやすく、直接支給は政府権力の拡大を警戒する政治文化の中で成立しにくい

II 合衆国建国期と社会福祉政策
社会福祉政策の発展には植民地時代に形成された貧困に対する考え方が大きく影響
植民地時代 ⇒ 1601年イギリスで成立した救貧法が基盤にあり、勤労を美徳としたピューリタニズムに裏付けられたもの。州政府の管轄
20世紀初頭までは、労働可能な人間が貧困にあるのは個人の怠慢の結果という考えが支配していたのに加え、都市の政治マシーンという非政府組織が政治動員の代わりとして移民の生活の面倒を見たことや、フロンティアの存在で新しい生活の可能性が広がったことから、社会福祉政策の発展が抑制。唯一存在したのは退役軍人に対するプログラム

III 大恐慌とアメリカ的リベラリズムの登場
大恐慌を気にアメリカ的リベラリズムの考えが広まり、35年には社会保障法が成立し、労働者向けの失業保険が導入、老齢年金や被扶養児童への扶助が拡充された
導入に失敗したのが公的医療保険 ⇒ アメリカ医師会がリベラリズムを社会主義へと至る線上に位置づけたためで、代わりに拡大したのが民間保険
65年成立の高齢者向けのメディケア、貧困者向けのメディケイドは、民間保険の拡大を支持する政治勢力との妥協で、民間のカバーしない部分のみを公的プログラムでカバーするものであり、皆保険の挫折を意味した

IV 新自由主義と政策変化
70年代以降、連邦政府の権限の拡大基調に疑問を提示した政権が続き、社会福祉政策についての考え方も修正されて縮小されるが、アメリカでは新自由主義の考え方に加え、社会福祉政策に対する伝統的な考え方や人種に関わる問題も関係
80年代から本格化したアメリカ政治全体の保守化の流れで、社会福祉政策の縮小は続く

V 社会福祉政策の将来
2010年オバマケアが成立 ⇒ 民間保険を活用し個人の医療保険加入を義務付けるとともに保険商品購入のための財政補助を提供するとともに、メディケイドの適用範囲を拡大
世論全体としては80年代から続く「小さな政府」への志向は変わらず、トランプになると公的扶助の縮小を働きかけ

VI アメリカ的社会福祉政策を見るための視点
     底辺への競争 ⇒ 20世紀初頭までに使用され、1996年の福祉改革以降に再注目された用語で、各都市が税率を下げ、規制緩和をして企業にとって魅力的な場所になるための競争をすることで、連邦制下では起きやすい現象だが、各都市がこのような競争を続けていくと、財政的に逼迫し、社会福祉政策の執行が困難になる
     福祉磁石 ⇒ 州政府の大きな自由裁量権のため、地方政府によってセーフティネットの充実度が異なり、福祉を充実すると他地域からの人々の移住を誘発するという考え方
     隠れた福祉国家 ⇒ 他の先進国家比政府による福祉関連支出が少なく見えるが、税制優遇措置などの規模が大きく、本来は社会福祉関連支出という「見える福祉国家」と合わせて考えるべきいう議論

第9章          教育と格差 梅川葉菜(1984年生。東大大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程修了。博士(法学)。駒澤大法学部政治学科専任講師)
機会の平等と立身出世は、アメリカ社会に深く根付いた理念
I 教育
1次責任は連邦政府にはなく、初等中等教育を担う公立学校の予算のうち、連邦政府負担は10%に満たない
州政府が教育を担うため、50州でそれぞれあり方が異なる
K-12 ⇒ キンダーガーデンから12年間の小中高等学校までの13年間の教育期間のこと
就学年齢の90%は公立学校に通う ⇒ 運営主体は州政府だが、実際の運営は教育行政を担う学校区に一任
学校区は全米で13千以上あり、課税権や土地収用権を持つので、主に固定資産税を財源として区内の公立学校(たいてい10校未満)を運営。区内では住民の選挙で選ばれた教育委員会が担当
高等教育機関への連邦政府の財政支援規模は、約48%と州政府に匹敵
1954年の連邦最高裁ブラウンI判決で人種別学が違憲とされ、55年のブラウンII判決で公立学校における人種統合進展が要請され、80年代末までにはかなりの統合が進んだものの、90年代に入ると学校区の裁量に委ねられるようになったため、人種別学が顕著に
私立学校の多くは宗教学校(全体の76%、うち半分はカトリック系)

II 近年の教育改革
1983年レーガン政権が発表した「危機に立つ国家」と題する報告書が全米での教育改革の機運を高める ⇒ 国家の危機救済を目指した学力向上のための教育改革
競争原理の導入(保守派) ⇒ 教育の民営化や公立学校間の競争喚起。学校選択制の導入。チャータースクール(民間団体が特色ある教育実施の認可を得て設置した公立学校で、全米7000校で就学年齢の約5%が通う)も一定の支持を得ている
人種や所得間の学力格差解消のための連邦政府による介入(リベラル派) ⇒ 「頂点への競争」事業や、全生徒成功法(落ちこぼれ防止法を修正)

III 格差
アメリカ社会では富の偏在が顕著 ⇒ 富裕層が莫大な資金を使ってロビイストを雇ったり政治献金をしたりして、政治的影響力を強め、最高税率の引き下げや金融規制緩和など、さらに格差を進める政策を実現させる
機会格差の一因が教育 ⇒ 学校区が原因となる機会格差は初等教育から始まっている
あらゆる所得階層、地域、人種で、次世代での所得の上方への移動が見られる ⇒ 絶対的上方移動性
人種の影響による格差は深刻
連邦政府による貧困支援の実態 ⇒ 憲法上生存権の規定がないので貧困支援は限定的だが、20世紀を通じて連邦政府の役割は漸増、15年度には社会福祉支出のうち連邦政府が64.6%を担うまでに拡大。メディケイド、補足低栄養補助プログラム、勤労税額控除など

第10章       諸産業と政府の関わり 岡山裕
政治と経済の関わりを巡る政治の関し、規制政策と通商政策について、政府と諸産業がどう政策的影響を及ぼし合っているのかを考察
I 連邦による規制政策
連邦政府は、「市場の失敗」に対処するための活動を行う ⇒ 広くは金融政策や社会福祉政策も含まれるが、ここでは企業などの諸主体の活動に対する規制政策を検討
規制を巡る利害対立の構造から、政策の実現に関し利益団体が大きな役割を果たすことが多く、行政機関に大きな裁量権を与えて執行させるのが普通となるため、執行機関の能力次第で成果が大きく異なる。裁判所も規制政策の執行において重要な役割を果たす
経済規制の停滞の一方で、1960年代以降拡大したのが「社会規制」と呼ばれる企業活動に伴って生じる危険やリスクから人々を保護する類の政策で、1906年の食品薬品法によって農務省が食品薬品の安全性を規制するようになったのが連邦での規制の先駆け
21世紀にかけて、2大政党のイデオロギー的分極化が激化しただけでなく、1994年の中間選挙で共和党が連邦議会で優位に立ってきたことは、立法による規制政策の変更をいよいよ難しくしている
大統領令の形で、行政機関に対して特定の法解釈を取るよう指示することによって、ある程度実質的な政策の修正も可能
07年の金融危機では、10年に制定のドッド・フランク法によりFRBSECなど多くの機関に新たな規制権限が与えられたり、消費者金融保護庁が設置されたりした

II 州による政策
多くの州で2大政党のどちらか一方の政党が優位に立つことから、州による政策の違いが際立つようになってきたのと同時に、州による人口・経済規模の違いから、州によって存在感が大きく違う。また、州の規模が小さくても特定の産業が集中する場合、その州による規制が大きな影響を与える
03年ヴァージニア州が導入した迷惑メール規制は、当時のインターネットサービス業者アメリカ・オンラインの本社があったため世界中に大きな影響を与えた
州における独自の政策形成過程には以下の2つがある
     イニシアティヴ(住民提案)とレファレンダム(住民投票)を活用した規制立法
     州司法長官の活動 ⇒ 「訴訟による規制」を通じて功績を上げ、より上位の公職を得ようと狙っている
ミュニシパリティと呼ばれる市などの地方政府も、州からの授権範囲で独自の規制を行う
州レベル独自の規制分野として重要なのが、ガス、水道、電気、電話など公共事業の管理だが、その方式は様々
連邦と州のタテの関係では、連邦法が州法に優先するが、連邦法の中では自由裁量が認められる
州の間のヨコの関係では、州の間に競争関係や協力関係があるという点

III 通商政策
経済全体から見れば自由貿易がベストだというのは経済学ではほぼ確立した知見だが、個々の局面では見解が異なる
アメリカでは政府の市場への関与に対する反発もあって、自由貿易への支持が存在感を持ち続けてきたが、それでもなお保護主義的な見方が登場し、アメリカの政治制度はこうした個別的な保護主義志向が反映され易い性格を持つ
実際には、以下の理由で、アメリカの通商政策は自由貿易への強いコミットメントに支えられてきた
     歴史的な保護貿易に対する反省 ⇒ 大恐慌に際し、その原因と見たヨーロッパの影響を遮断するため関税を引き上げたことが報復関税や通貨切り下げといった対抗措置を招き、経済の停滞に拍車をかけ、第2次大戦の遠因ともなった
     通商政策を決定する際の考慮事項 ⇒ 貿易の自由化が国家間関係全体の向上にも貢献するという安全保障上の考慮にも基づいて展開
     通商政策の運用方法 ⇒ 通商政策の決定権を持つ連邦議会は、1934年の互恵通商法以降、権限の多くを大統領や行政機関に委任。貿易交渉上の実務上の必要性に加えて、全国の代表者である大統領や政策的な専門知識に基づいて決定を行う行政機関の方が、議員たちのように個別の利害に縛られることなく判断を下せるという期待にも基づいている
1962年大統領府に合衆国通商代表部設置。貿易交渉に当たるだけでなくルール違反を監視し制裁を発動できる。トップは大使の職位で閣僚級のポスト
他国との貿易交渉に際して、連邦議会から大統領に貿易促進権限が付与されることが多く、大統領がまとめた通商上の取り決めについて、議会は一括して承認か否かを議決
1947年貿易における自由・無差別・多角主義を掲げた関税及び貿易に関する一般協定GATTを舞台に8次のラウンドに渡ってアメリカの犠牲のもとに自由貿易体制が拡大
1970年代にはアメリカの貿易収支が赤字に転じ、オイルショックもあってアメリカの経済的優位の終焉が明らかになると、多くの分野で非関税障壁が出現、事実上の保護主義的な政策も展開
1992年北米自由貿易協定NAFTAを契機に、貿易自由化の力点が、多国間交渉から少数国間の自由貿易協定FTAに移っていく
1994年世界貿易機関WTO発足

IV イデオロギーと利害の狭間の政策形成
規制政策と通商政策は、企業を始めとして大きな影響力を持つ主体の死活的な利益に関わるうえ、近年はイデオロギー対立の度合いをさらに強めている ⇒ 当初党派を超えて重要とされた環境保護についてイデオロギー対立が生じていったのはその例
反面、貿易の自由化は政府の介入を排するという意味で典型的な保守派の立場であり共和党のイデオロギーに馴染むはずだが、共和党やその支持者が近年保護主義を受け入れつつあるのは、より自分たちの利害に基づいて行動することになったことを示す
ある主体の利害とイデオロギー的立場とが常に合致するわけではないという点が、この分野の政治を複雑かつ興味深いものとしている

第11章       財政と金融 吉田健三(1975年生。京大大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。博士(経済学)。青学大経済学部教授)
マクロ経済政策の2本柱
     財政政策とは、本章では連邦政府財政の収入と支出についての決定を指し、アメリカ社会秩序の根幹を左右する政策
     金融政策とは、ドルの流通を調整する中央銀行の決定を指し、貨幣の価値を左右するこの政策は現代社会の根幹にかかわる決定
I アメリカ財政の構造
連邦政府の収入は32,499億ドル(15年度)、対GDP13.8%。内訳:個人所得税47.4%、法人所得税10.6%、社会保険料等32.8
支出は36,884億ドル、内訳:裁量的支出(年度ごとに予算額が決定)-国防15.8%、国防以外15.9%、義務的支出(議会審議不要)-公的年金23.9%、高齢者医療・福祉など41.5
単純な収支を統合予算といい、公的年金保険及び郵便事業を除いた収支をオンバジェットといって、統合予算より若干赤字が拡大
オンバジェットでは、1930年代以降ほぼ赤字が続き、累積債務額は181,201億ドルで、対GDP100.8

II 財政政策の仕組みと争点
意思決定に関わるプレイヤー ⇒ 連邦議会が徴税権も政府支出の権限も立法で規定。次いで大統領と諸行政機関があり、予算案の作成や調査のための機関として行政予算局OMBがある
予算編成過程 ⇒ 会計年度は10月開始で、9月末までに議会で予算案を成立させる。2月の大統領予算教書が出発点。①4月の予算決議。②6月リコンシリエーション(予算編成過程外にあった義務的支出や税制変更を予算編成過程に組み込み、予算管理の下に置く仕組み)。③歳出予算法及び関連税法や授権法の可決。④法定債務上限引き上げ(赤字予算が常態化しているための措置で、予算編成の前提として必要)
連邦財政の政策過程の特徴:
     予算編成における連邦議会の権限の大きさ ⇒ 政府予算案の扱いが軽い
     不正常の常態化 ⇒ 予算決議が不成立のまま、暫定予算の見做し決議で代用。予算案が期限内に成立したのは7499年で4回のみ。1年以上遅れる事態が頻発。政府閉鎖(シャットダウン)の事態も80年以降で7回、近年では13,17,19年に発生
財政政策を巡る議論の紛糾を生む政治的争点とは、財政の役割を巡る対立:
     財政支出を巡るケインズ主義と均衡予算主義の対立 ⇒ 前者は政府の財政赤字を通じて総需要を管理し、景気を調整する政策思想であり、後者は均衡予算の原則を掲げる
     「大きな政府」と「小さな政府」を巡る争い ⇒ 前者はリベラルが志向、後者は保守の共和党の伝統的主張。財政赤字の是非ではなく、その創出や解消の方法を巡る争い

III 金融政策の仕組みと論点
FRSの説明によれば、金融政策は、「連邦議会が指示した3つの経済的目標である、雇用の最大化、物価の安定化、長期金利の適正化を促すためにFRSが展開する一連の行動とコミュニケーション」であり、通貨の量を調整することで経済に影響を与える政策といえる
金融政策の意思決定プロセスの特徴はその独立性 ⇒ 政権や議会からの短期的な政治的圧力に従属しない。1951年財務省とFRSとの間の合意(アコード)が独立性の起点
FRSを統括する機関がFRBで、12の地区連邦銀行を規制監督し、連邦・州政府と連携して金融システム全般の規制監督についての意思決定を行う。7名の理事により構成され、大統領の指名と上院の承認により選出、任期14年、2年毎に1人を選出、再任はない。議長と副議長も大統領の指名と上院の承認により選出され、任期4年で再任可
金融政策に関するより重要な意思決定機関は連邦公開市場委員会FOMC。年8回の定例会合でFF金利の誘導目標水準や量的緩和政策に関する決定を行う。委員はFRBの理事7名、公開市場操作の実施主体のNY連銀総裁、地区連銀総裁から輪番で4名の計12
金融政策における争点 ⇒ 運用に関する裁量とルールを巡る議論。党派性や一貫した思想や経済理論の対立として捉えるよりは、その時々での金融緩和と引き締めの選択、その論拠や実現手段を巡る議論を逐次丁寧に理解していくことが有用
近年の中心的論点は、量的緩和政策からの出口政策 ⇒ リーマンショックに対する非常事態体制をいつどのように解除するか、異例の低金利をどう引き上げていくか

第12章       経済と科学技術・環境・エネルギー 細野豊樹(1961年生。東大大学院法学政治学研究科専修コース修了。共立女子大国際学部教授)
近年の経済成長や国際競争力を巡る議論において、教育とともに重視されるのが科学技術
I 経済成長における研究・開発の役割
技術革新が経済成長の牽引力となる
経営革新も同様、経済成長に寄与
先進各国が研究・開発の支援に注力する背景として、経済における知識、技術集約型産業の比重の増大が挙げられる

II 科学技術政策の変遷
連邦政府が多額の資金を研究・開発に投じるのは第2次大戦以降だが、建国以来一定の取り組みが存在 ⇒ 1790年成立のパテント法。1862年のモリル法は土地の売却益で州立大学の起源となる大学が創設され技術指導を担った。1863年には科学分野における連邦政府の諮問機関として米国科学アカデミー創設。1930年国立衛生研究所創設
1941年発足の科学研究開発局の足跡:
     MITにマイクロ波レーダーの開発を委嘱。戦後これらの技術者が歴代大統領顧問として戦後の科学技術政策をリード
     研究・開発を軍や省庁の直轄とせず、科学者の代表が予算配分を決めて、研究者が自由に研究できる仕組みを定着させた
     軍部が基礎研究を含めて多額の研究・開発費を大学に提供する流れを作った
1950年国立科学財団創設
政治家の人気取りと科学者の対立が繰り返される

III 研究・開発予算の長期的趨勢及び政治
連邦予算の中で、研究費の比率が70年代半ば以降0.4%で安定的に推移
開発費は、その8割を占める国防費の増減に対応して1988年辺りから減少し、現在では研究費とほぼ同水準を維持
政府支援を削減するのは容易ではない ⇒ 世論の支持が得やすく、議員による利益誘導が絡むため
連邦政府の比重の低下 ⇒ 冷戦終結による国防関係の支出の減少が大きい

IV 環境政策を巡る科学技術と政治
連邦政府による大気汚染や水質汚染の取り締まりが本格化したのは1960年代以降
1962年『沈黙の春』刊行が農薬規制の機運を高め、環境汚染に対する世論の関心が増して、全米的な政策課題として浮上する契機となる
1970年環境保護庁EPA創設
近年の環境政策を巡る政治の特色は党派性 ⇒ 民主党は環境保護を志向、共和党は環境保護のための規制に抵抗

V エネルギー政策を巡る科学技術と政治
科学技術のイノベーションが新たなビジネスを生み、これに対応した政府の規制が20世紀末まで続く寡占的な産業構造をもたらしたというのがエネルギー産業の特色
電力事業はその典型
オバマは、地球温暖化対策に強い関心を持ち、リーマンショックに対応する大型財政支出の一環として「緑の雇用」を打ち出し、900億ドル以上のクリーン・エネルギー関連の研究・開発投資を行うが、温室効果ガスの削減を議会が立法化するのは困難で、大気浄化法の規制権限に基づきCO2排出量を32%削減するクリーン電力計画を策定

VI右派ポピュリズムの新たな局面
トランプの当選で、アメリカ右派ポピュリズムの政治は新たな局面に入り、その影響は科学技術政策にも及ぶ ⇒ 科学技術政策局の職員数を大幅削減、H-1Bビザの厳格運用が外国人高技能労働者に依存する情報技術産業を脅かしている。パリ協定からも離脱

第13章       外交・安全保障政策 泉川泰博(1967年生。Georgetown Univ. (Ph.D., Government)。中央大総合政策学部教授)
I アメリカの対外政策をどう捉えるか――マクロ的分析枠組み
孤立主義から国際主義へ ⇒ 建国以来の孤立主義的傾向が、冷戦という事態に直面して国際主義的な姿勢に転換したというが、第2次大戦前まで163回も海外における武力行使を行っている
伝統主義 ⇒ 古くからのアメリカ外交に関する解釈に通ずる見方で、第2次大戦を経て国際主義に転換
修正主義 ⇒ アメリカ外交の通史を大陸内の拡張から中南米、アジアに向けての「非公式的帝国」拡大の歴史として捉え、第2次大戦後はそれがヨーロッパおよび全世界に向けたものとなった。冷戦勃発の責任はアメリカにある
ポスト修正主義 ⇒ 冷戦勃発の責任を国際政治の構造自体に求め、国際政治が国家同士の紛争を上から抑制する仕組みの存在しない構造(アナーキー)であることを重視し、このアナーキーな状態が国家間の相互不信を助長し、紛争を誘発しがちと説く
冷戦終了後、ソ連他旧共産主義陣営の公文書が公開されると、伝統主義的な解釈の正当性が改めて注目されたが、03年のイラク戦争や08年のアメリカを発端とする世界金融危機が再び修正主義的見解を勢いづけたように、3つ巴の見解が説得力を持ち続ける
アメリカ例外主義 ⇒ アメリカの思想史を学ぶ上で避けて通れない基本概念の1つで、人類史上初の大規模な民主国家となったアメリカは、他国とは異なる自由や民主主義などの崇高な普遍的価値観を体現している唯一無二の国だという考え方で、様々な形で外交政策にも反映される
1次大戦後のウィルソンが、「戦争を終わらせるための戦争」を掲げて参戦、戦後はアメリカの連邦制をモデルとして国際連盟を提唱したことなどは、アメリカの例外的役割を基に世界を改革しようとしたと見做すことができる
他国をよりアメリカ的に改革しようという衝動が過度に強くなると、ブッシュ政権下でのイラク戦争のように、民主主義拡大のためには他国への軍事介入も辞さないという政策にもつながり得るし、対照的に70年代後半カーターが掲げた「人権外交」のように、アメリカ自身が「他国の模範例」となることで世界をより良い方向に導こうという形で例外主義が発現する場合もある。その傾向が極端になると、他国との関与によって自らの崇高な価値観が汚されることを避けようとして孤立主義的志向が強まる
オバマが就任演説の中でアメリカ例外主義を否定するような発言をした際に批判されたことは、この思想が21世紀においてもアメリカ政治に影響力を持っていることの証
各政権の政策を分析・対比する枠組みとして用いられる分析的類型としては、「現実主義vs理想主義」や「パワーvsイデオロギー」といった構図に加えて、「軍事力重視vs外交手段重視」を1つの軸に「単独主義vs多国間主義(国際協調主義)」を他方の軸にとって4つの類型を構築する方法がある ⇒ モンロー主義は孤立主義の典型とされるが、他国との協調によって行動の自由を制約されることを嫌った結果とられた政策という意味でむしろ単独主義の例と捉える方がより正確。トルーマンやアイゼンハワーが冷戦初期にとったソ連封じ込め政策は多国間主義・軍事力重視のカテゴリーに入るし、70年代中ソとのデタントを模索しつつ同盟国との政策調整を疎かにしたニクソンは単独主義・外交重視であり、80年代同盟国の躊躇を省みずデタントから冷戦へと舵を切ったレーガンや、国連の意思に反してイラク侵攻に踏み切ったブッシュなどは単独主義・軍事力重視、カーターやオバマは多国間主義・外交重視などと特徴づけできる

II アメリカ対外政策のミクロ的分析――政府内アクターと制度
対外政策を分析するもう1つの方法が、その形成過程をミクロな視点から見るアプローチで、形成過程で重要な役割を果たすアクターに焦点を絞り、その制度上の権限や組織文化が政策に与える影響を分析する
l 大統領 ⇒ 対外政策分野においては相対的に大きな権限と影響力を持つ。力の源泉は憲法上の制度的なもので、軍の最高司令官、条約締結権限(上院の助言と同意)、大使の任免のほか、行政権を大統領個人に付与しており、外交関係の運営はその範疇に入る
大統領の影響力は時代とともに変遷しているが、冷戦期にアメリカが西側社会のリーダーとしての行動を求められ大統領がリーダーシップを発揮し議会はそれを受動的に尊重するという超党派的な了解が定着(帝王的大統領制)し、対外政策形成過程における大統領優位の状況を生む
ベトナム戦争の泥沼化で大統領の対外政策への信頼が低下した時期もあるが、その権限を監視・抑制する動きは必ずしも成功していない
大統領の影響力は政治状況や個人的手腕によっても変化 ⇒ 国家安全保障上の危機的状況においては大統領への支持が高まる「旗下集結」の現象が起こり、大統領は政策イニシアティヴを発揮しやすくなる ⇒ 9.11でのブッシュへの支持の高まりが好例
l 国務省 ⇒ 1789年設立。連邦政府の最も古い行政機関。冷戦初期までは対外関係の形成において中核的役割を果たす。国務長官は大統領継承順位で副大統領、下院議長に次ぐ3位。第2次大戦後国防総省の設立や、近年様々な分野のグローバル化の進展で担当各省の役割が増すにつれ国務省の役割は低落傾向にあるが、外交政策の広報担当として国務長官の役割は高まる
l 国防総省(ペンタゴン) ⇒ 1947年の国家安全保障法に基づき設立。陸海空軍省及び統合参謀本部JCSを統括。130万人の現役兵士を含む200万人のスタッフを擁する連邦政府最大の行政組織
l 諜報部門(インテリジェンス) ⇒ 中央情報局CIAほか、政府内に15の異なる諜報機関が存在。全てを統括するのが国家情報統括官DNIで、9.11の後CIA長官から移行
l 国土安全保障省 ⇒ 9.11を踏まえ03年に本土保全、テロ対策、入国管理の厳格化などを目的に設立
l 国家安全保障会議NSC ⇒ 1947年国家安全保障法に基づき大統領の直属機関として設立。官僚組織間の政策調整を担い、大統領の政策決定を円滑化し、決定された政策の各省庁による履行を管理。対外政策に関する最も重要な大統領側近。政治任用で予算も議会の干渉を受けない
l 連邦議会 ⇒ 権限は限定的だが、宣戦布告や軍の創設と維持の権限を持つのは、大統領の責任を共有させる意味。1973年の戦争権限法はベトナム戦争への反省から誕生、軍投入後の撤退を勧告するもの

III イデオロギー・政党とアメリカの対外政策
アメリカの場合、政権党とその対外政策との関連は、他国に比べると弱いと見られていたのは、イデオロギー的に重なる部分が少なくなかったためで、イデオロギーの分極化によって変容してきた ⇒ 公民権運動を機に、南部保守派が共和党支持に徐々にシフトすることで、共和党はより保守的に、逆に民主党はさらにリベラルになり、その状況は21世紀に入ってもますます強まっている
共和党は軍事力重視かつ単独主義的に、民主党は外交重視かつ多国間主義という傾向が強まるとともに、政権交代による対外政策の振れ幅が大きくなってきた
それぞれの党内に異なるイデオロギーに基づいて異なる政策選好を持つグループが存在するので、どの党のどのグループが政権を担っているのかは重要な問い
党派を超えて異なるイデオロギー派閥が連携することもある ⇒ トランプの保護主義的な貿易政策には、労働組合の支持を得る民主党議員の多くが賛成したり、対中政策では人権問題に関心を持つリベラルな民主党グループと宗教の弾圧に反対する共和党の宗教右派が連携して支持している




アメリカの政治 岡山裕、西山隆行編 理想的な教科書 争点を網羅 
2019/7/13付 日本経済新聞
四半世紀以上前に、アメリカの大学院に留学した時、アメリカ政治の教科書が体系的で浩瀚(こうかん)なのに驚いた。日本での日本政治の教科書とは大違いであった。近年では、日本でのアメリカ政治研究はきわめて実証的で精緻なものになってきた(もちろん、日本政治研究も)。そうした最先端を行く気鋭の研究者たちが、アメリカ政治の教科書を編んだのが、本書である。さらに、コンパクトで平易である。まさに理想的な教科書である。
(弘文堂・2600円)
おかやま・ひろし、にしやま・たかゆき 編者の岡山氏は慶応大教授、西山氏は成蹊大教授。編者を含む米国研究者11人が分担執筆。
※書籍の価格は税抜きで表記しています
おかやま・ひろし、にしやま・たかゆき 編者の岡山氏は慶応大教授、西山氏は成蹊大教授。編者を含む米国研究者11人が分担執筆。
しかも、大統領と議会、選挙、政党といった従来の切り口だけではなく、今日のアメリカ政治をめぐる主要な争点が網羅されている。人種とエスニシティから、移民、ジェンダーとセクシュアリティー、さらには、教育と格差、財政と金融や経済、科学技術・環境・エネルギー等々である。アメリカ政治についてのアクターと制度、争点が有機的に結びついている。
先ほど、理想的な教科書と述べたが、本書が対象とするのは何も学生だけではない。アメリカとのビジネスに関わる人々なら、本書から学ぶところは大である。また、来年113日の大統領選挙に向けて、上述のような争点への理解は一層重要になる。その意味で、アメリカや日米関係に関心をもつ有識者層には、大いに有益である。評者はアメリカ研究を生業にする者の一人だが、これまで気づいていなかった数々の視点を本書に教えられた。
さらには、アメリカ理解にとどまらない。例えば、今の趨勢が続くと、2060年には日本の人口の1割は外国人になるという。人種とエスニシティ、宗教、ジェンダーとセクシュアリティーといった社会の多様化は、やがて日本にも訪れる。その意味で、今日のアメリカについて知り考えることは、明日の日本について知り考えることでもある。
19世紀初頭にアメリカを短期間訪れたフランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィルは、アメリカ研究の金字塔とも言える『アメリカのデモクラシー』を執筆した。一つの国(自国)についてしか知らない者は、実はその一国についても何も知っていないと、彼は喝破している。実に、本書は日本におけるアメリカ研究の結晶であり、トクヴィルの末裔(まつえい)なのである。
《評》同志社大学教授 村田 晃嗣


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