フランス組曲 Irene Nemirovsky 2013.6.23.
2013.6.23. フランス組曲
Suite Francaise,
Denoel, 2004
著者 Irene
Nemirovsky 1903年キエフ生まれ。ロシア革命後に一家でフランスに移住したユダヤ人。1929年長篇第1作『David Golder』で成功(31年映画化)、一躍人気作家に。第2次大戦勃発時、夫と娘2人と共にブルゴーニュ地方に避難、フランス憲兵に捕えられ、42年アウシュビッツで死去。娘が形見として保管していたトランクに小さな文字でびっしりと書き込まれた著者のノートが長い間眠っていた。これが60年後に奇跡的に世に出るや、たちまち話題を集め、本書は「20世紀フランス文学の最も優れた作品の1つ」と讃えられ、04年にルノードー賞受賞(フランス4大文学賞の1つ、死後受賞は創設以来初めて)、世界で3.5百万部を記録、現在40か国で翻訳刊行、映画化も進行中。他にも同著者の作品の復刊、未発表作品の出版が相次ぐ
訳者
野崎歓(第1部、解説) 59年生まれ。フランス文学者。東大教授
平岡敦(第2部) 55年生まれ。翻訳家。中央大講師
渋谷豊(資料) 68年生まれ。信州大人文学部准教授。専門はフランス現代文学、比較文学
発行日 2012.10.15. 印刷 11.15. 発行
発行所 白水社
〈六月の嵐〉
ペリカン一家 ⇒ 裕福なブルジョワ一家。国立美術館の学芸員。両親と子供5人、老父。
ガブリエル・コルト ⇒ 有名作家。愛人と逃避行
ミショー夫妻 ⇒ コルバン銀行の会計係と臨時雇い
シャルル・ランジュレ ⇒ ケチな陶磁器の蒐集家
40.6.初めて爆弾が落とされた日の翌日のパリ、警戒警報の鳴る中での市民の生活の描写から始まる
ペリカン氏は美術品の疎開に大童。ドイツ軍のパリ入城の直前、主以外は一家をあげて南へ避難。長男はカトリックの神父で孤児たちの矯正施設を預かっているが、子供たちとともに避難
銀行員のミショー夫妻も、銀行がトゥールの支店に移動するのに伴い避難しようとしたが、車の手配が出来ず、歩いて移動
パリからの街道を、車やトラック、荷馬車、自転車が河のようにのろのろと絶え間なく流れ続け、農地を捨てて南仏を目指し旅立つ農民たちの牛馬がそこに加わっていた
家財道具をはちきれんばかりに積んだ車があらゆる出口を塞いで、町から出ることができない
ペリカン一家は、各地で知り合いを訪ねながら、少しずつ南下。通過する南部の町は積極的に避難民を助ける
ミショー夫妻は、銀行の車が満杯だったため、歩いてトゥールを目指す ⇒ 潰走する軍隊に出会い、敵機の機銃掃射にも晒される。途中で軍用トラックに拾われ、まだ動いている鉄道に乗ってトゥールへと向かう
ペリカン家の次男は17歳で徴兵年齢前だったが、逃避行にいたたまれず、家族から離れて軍隊に合流するが、子供は相手にされず、1人で逃げる道を探す
ペリカン夫人は残った家族共々、ニームの夫人の実家へと避難したが、列車に乗る段になって義父を置き去りにしたことに気付く ⇒ 義父は、そこから施設(修道院)に送られて死去。長男も施設の子を纏めて避難させる途中で、孤児たちが民家に侵入して物を盗んだのを咎めたところ、逆に孤児たちの暴虐を受けて死去。相前後して次男の戦士の報ももたらされ、ニームで慰霊のミサが行われたが、そのミサの中にユベールがいる
ミショー夫妻は、爆撃で行く手を阻まれ、ドイツ軍によってパリに戻るよう指示され、2週間ぶりに自宅に戻る。家は元のままで、行きつけの美容院も以前どおり店をやっていた。銀行の再開で退職金を要求したが、指示通りトゥールに現れなかったため職場放棄として退職金を減額されたが、オーナーの伯爵に泣きついて全額を勝ち取る
そこへ、休戦協定締結の知らせが届く
ケチな陶磁器の収集家は、秋になってパリに戻ってきた直後に車に轢かれて即死
ミショー夫妻の徴兵された1人息子は、爆撃された列車に乗り合わせて負傷、近くの女子供だけが残る農家に寝かせられたまま終戦を迎え、その家の養女と相思相愛となるが終戦後郵便の復活で実家と連絡が取れ戻る
40年の冬は長く厳しかった。パリは11月の終りから寒くなり雪が降り出す。雪は降り続き、クリスマスの頃寒さは一層ひどくなった。厳寒に吹く嵐で一掃された暗い空から、春の最初の雨が落ちてきた。まだ冷たくはあるが、豊かな雨が勢いよく地面を流れていって、樹木の仄暗い根まで届き、闇のように黒く深い大地の内奥にまで達しようとしていた
〈ドルチェ〉
アンジェリエ一家 ⇒ 田舎町で最も立派な屋敷に住むブルジョワ一家。夫が1年前から捕虜、美人の妻は大地主の父親の勧めで結婚したが今は実家は没落、夫は金と土地と政治にしか関心がなく夫を愛していると思ったことはない。結婚後も夫は昔の女と再会して、半分は家にいなかった
ラバリ家 ⇒ 同じ田舎町の農家でミショーの1人息子が匿われていた家。
41年春 中部田舎町がドイツ軍に占領され、アンジェリエ家にも若いドイツ人将校(中尉、叔父がパリ駐在の司令官)が1人逗留 ⇒ 礼儀正しく、家族に迷惑を掛けなかったが、密かに嫁を思い、嫁も憎からず思う。義母がそれを見てますます嫁に辛く当たる
アンジェリエの義母は、嫁が子を産まないのと、実家が没落したのとで嫁に不満、何かと辛く当たり、どんな話題も茨の茂みさながらでお互いにおしゃべりもしない
ドイツ時間が義務付けられていたが、フランス人は誰も時計を60分遅らせて抵抗
村中にドイツ軍の示達が張り出され、「禁止」の言葉で始まり「違反者は死刑に処す」で終わる ⇒ 夜間外出禁止、火器所持の禁止、ドイツ的国民や英兵の隠匿・幇助禁止等々
ラバリ家の養女は、脱走して戻ってきた息子と結婚、子供を産む。逗留することになったドイツ人将校にミショーの面影を感じて魅かれる
ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』に「男は戦士になるため、女は戦士を慰めるため」との一節がある
滞在しているドイツ人のことを村の人たちが噂し合い、徐々に交流も始まる。特に若い娘たちはドイツ兵をじっと見つめずにはおられなかった
ドイツ軍侵攻時に屋敷を捨てて逃げたブルジョア屋敷の主が、ドイツ将校と親しくしているという嫁に、思い出の品を奪還してくれるよう頼み込み、略奪後ドイツ兵が入り込んでいた屋敷から依頼された品物を取り戻してくる
ラバリ家では、逗留していた将校が嫁に色目を使うのを、脱走して戻ってきていた主が嫉妬、ドイツ軍の禁止令に関わらず隠し持っていた銃を、日頃から主の反抗的な態度にお灸を据えてやろうとした地主の貴族で町長がドイツ軍に密告、銃を摘発したドイツ軍の目の前で、その銃で逗留していた将校を射殺して逃げる ⇒ アンジェリエ一家が匿う
ドイツ軍がパリ入城1周年を祝ったところで、ロシア転戦のため出発していく
アンジェリエの嫁は逗留していた将校に最後のお願いとして、匿っていた男をパリまで連れて行くための通行証とガソリン切符を頼む
著者のノートから~フランスの現状と『フランス組曲』執筆計画に関する手書きメモ
41年6月と思われる ⇒ 何てことだ! いったいこの国は私をどうするつもりなのだろう。国が私を拒絶するなら、こちらは国を平然と観察し、その名誉と生命が失われていくのを眺めていよう。それに他の国々が私にとって何だろう。すべての帝国は滅びる。ただそれだけの話だ。それを神秘的な観点から眺めようが、個人的な観点から眺めようが、結局は同じこと。冷静さを保とう。心を強く持とう。じっと待とう。
フランスはドイツと手を携えてやっていく。ここにもじきに動員令が出るだろう。日本が恐るべき艦隊でアメリカを打ち負かす。イギリスは降参する。
42年 フランス人は自分たちの共和国にうんざりしている。ちょうど亭主が古女房にうんざりするように。ここ数年、フランスのある社会階層において生じる種々の出来事は、たった1つの動因しかない。それは恐怖だ。戦争も、敗北も、現在の平和も、全て恐怖に起因している
フランスで最も忌み嫌われている者 ⇒ フィリップ・アンリオ(親独義勇軍兵士、プロパガンダ要員)とピエール・ラヴァル
〈六月の嵐〉のために必要なもの ⇒ 詳細なフランスの地図、磁気の説明書等々
後世に伝えるべき場面とは ⇒ 明け方の行列、ドイツ兵の到着、テロよりはるかに重要なのは人々の徹底的な無関心
登場人物は作品に現れる順に、ペリカン一家、コルト家、ミショー家、地主たち、その嫁等々 ⇒ 〈嵐〉のすべての人物を、〈ドルチェ〉にも再登場させ、あとの登場人物に決定的な影響を与えるように按配すること
実際の仕上がりについては、〈嵐〉が80ページなら、〈ドルチェ〉は短く60ページ程度でそれ以上はダメ、〈捕囚〉は100ページまで行かなければ嘘だ。他の2つの章(〈戦闘?〉と〈平和?〉)は50ページ。全部で390~400ページ(作者の計算ミス)
要注意。登場人物の性格を変化させるのを忘れないこと。最初の3章で扱うのはせいぜい3年程度、ちなみに残りの2章についてはまだ神のみぞ知る
この小説が1本の映画のように展開すればいいと思っている
〈捕囚〉について ⇒ コルト(ガブリエル、作家)の度重なる方向転換。国民革命、指導者の出現への期待。犠牲(ただし、犠牲になるのは自らではなく隣人という前提)。気取りはなしだ。人々がどうなるかを語ること、それがすべて
〈嵐〉は一つの傑作に違いない、という確信。気を緩めずに仕事を続けること
アンジェリエの嫁・リュシルを〈嵐〉に関連付ける手段を見つけること
現時点(43.5.)で出来上がっているのは11章まで(〈ドルチェ〉の話)
〈捕囚〉 ⇒ 強制収容所のくだり。洗礼を受けたユダヤ人が口にする冒涜の言葉。「神よ、我らがあなたを許すごとく、我らの罪を許したまえ」 もちろん本当の殉教者はこんなことは言わなかっただろう
万全を期すなら5つの章が必要。作品全体のタイトルは〈嵐〉か〈数々の嵐〉。とすれば第1章は〈難破〉としてもいい。いずれにしてもすべての登場人物を相互に結び付けるのは時代だ。時代だけだ。それで十分と言えるだろうか。つまり、この結びつきははっきり感じ取れるだろうか
〈捕囚〉では、全てを貫いて、ミショー家の息子に対するリュシルの愛。ここで最も重要かつ興味深いのは、歴史的、革命的等々と形容されるような大事件は簡単に言及するに留めるべきで、深く掘り下げるのは日々の感情生活、特にその日々の感情生活から立ち現れる喜劇の方だ、ということ
解説
1942年ブルゴーニュ地方の田舎町に避難していたネミロフスキー一家の家にフランス人憲兵2人が来訪、イレーネが連行される。残された夫は八方手を尽くして妻の救出に尽力したが果たせず、さらに翌年は夫も憲兵に連行され13歳と6歳の娘だけが遺され、両親ともアウシュヴィッツで絶命したことを娘たちが知るのは終戦後しばらくたってから
父親から、母のノートが入っていると聞かされて託されたトランクを大切に持って懸命に生き延びた。時々開けて見はしたが、そのたびに新たな悲しみに打ちひしがれ、母が最期に残した言葉を読む勇気はないまま何年もの歳月が経った。娘たちはそれがプライベートの日記のようなものだと考えていたが、実際は長篇小説だった。2004年出版されると一大反響を巻き起こす
1903年キエフ生まれ。父親は裕福な銀行家。その1人娘だが両親の愛情が欠けていた。早くから読書に耽り、10代で物語を書き始める。両親とも宗教的伝統とは切れたいわゆる同化したユダヤ人だったが、帝政ロシアは民衆の政治への不満のはけ口をユダヤ人に向けさせたことからロシア各地でポグロムが頻発、ロシア革命の勃発で父はボルシェヴィキのお尋ね者となり、国外逃亡を余儀なくされ、フィンランド経由フランスへと移住
イレーヌはソルボンヌに入学、ロシア文学を専攻。26年に同じ亡命ユダヤ人銀行家の息子と知り合い結婚
29年 長編小説『David
Golder』を版元に持ち込んだところ、一読して出来栄えに驚愕、刊行後は大評判となり、31年には映画化、世界各国で封切り。その後も相次いで新作を発表。富裕階級の一見華やかな暮らしの裏側に潜む空虚、精神的貧困の摘出が共通のテーマ
出版社と20年の専属契約を結び書き続ける
40年パリ陥落後、ユダヤ人は公職から追放、出版活動も禁止されたため、彼女は別名で出版するなどひたすら書き続ける。フランス人の大脱出(エクソダス)の模様を『フランス組曲』という長篇にすることを思いつき、5部作の内の2部までを何とか出版にこぎつける
フランス組曲 [著]イレーヌ・ネミロフスキー
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■戦時下の人間描く一大絵巻
1940年6月、ナチスドイツはフランスに侵攻する。フランス軍は敗走を重ね、パリをはじめとする北部はドイツ軍に占領される。道から溢れ出すほどの避難民の波。パリの裕福なペリカン一家もその運命を免れえない。
誰もが戦争に翻弄される。独善的な芸術家とその愛人、衝撃的な死を遂げる神父、母の制止を振り切って志願兵となる若者、出征した息子の安否を気遣う心優しい銀行員の夫婦、重傷の兵士を献身的に看護する農民女性、地方の町を占領するドイツ軍の将校に淡い恋心を覚える美しい人妻、その陰険な姑……。
あらゆる社会階層の登場人物たちの運命が、ときに思いも寄らぬ形で交錯し、しかし喜びよりもはるかに悲痛の結び目を作りながら、そこに彼らから目を離せぬ読者の共感を織り込んでいく。個々の人物の心理の襞を緻密になぞり、同時にきわめて視覚的で美しい文章は、戦時下のフランス社会そのものを描く〈一大絵巻〉と呼ぶにふさわしい。だが、2部からなる本書は未完の絵巻でもある。
著者のネミロフスキーは、ロシア革命後フランスに移住した裕福なユダヤ人家庭に育った。占領下のフランスはナチスに協力して、外国籍のユダヤ人を検挙し、絶滅収容所に移送した。流行作家であった彼女もまたその例外ではなかった……。もし作家が生きていたら、本作は当初の構想通り、5部構成のさらなる大作になっていたはずだ。
しかし、いまこの残された2部を我々が読めることだけでも奇蹟に等しい。生き延びた娘が、母のトランクの底に眠っていた原稿ノートを発見し刊行したのは、作家の死から60年余りを経た2004年のことなのだから!
本書は小説にして、希有な時代の証言でもある。作家は混乱と絶望のただ中で、自分が生きた社会のすべてを記録しようとしたのだ。ただ自身とその民族の運命を除いて。
◇
野崎歓・平岡敦訳、白水社・3780円/Irene Nemirovsky 1903年キエフ生まれ、42年アウシュビッツで死去。
1940年6月、ナチスドイツはフランスに侵攻する。フランス軍は敗走を重ね、パリをはじめとする北部はドイツ軍に占領される。道から溢れ出すほどの避難民の波。パリの裕福なペリカン一家もその運命を免れえない。
誰もが戦争に翻弄される。独善的な芸術家とその愛人、衝撃的な死を遂げる神父、母の制止を振り切って志願兵となる若者、出征した息子の安否を気遣う心優しい銀行員の夫婦、重傷の兵士を献身的に看護する農民女性、地方の町を占領するドイツ軍の将校に淡い恋心を覚える美しい人妻、その陰険な姑……。
あらゆる社会階層の登場人物たちの運命が、ときに思いも寄らぬ形で交錯し、しかし喜びよりもはるかに悲痛の結び目を作りながら、そこに彼らから目を離せぬ読者の共感を織り込んでいく。個々の人物の心理の襞を緻密になぞり、同時にきわめて視覚的で美しい文章は、戦時下のフランス社会そのものを描く〈一大絵巻〉と呼ぶにふさわしい。だが、2部からなる本書は未完の絵巻でもある。
著者のネミロフスキーは、ロシア革命後フランスに移住した裕福なユダヤ人家庭に育った。占領下のフランスはナチスに協力して、外国籍のユダヤ人を検挙し、絶滅収容所に移送した。流行作家であった彼女もまたその例外ではなかった……。もし作家が生きていたら、本作は当初の構想通り、5部構成のさらなる大作になっていたはずだ。
しかし、いまこの残された2部を我々が読めることだけでも奇蹟に等しい。生き延びた娘が、母のトランクの底に眠っていた原稿ノートを発見し刊行したのは、作家の死から60年余りを経た2004年のことなのだから!
本書は小説にして、希有な時代の証言でもある。作家は混乱と絶望のただ中で、自分が生きた社会のすべてを記録しようとしたのだ。ただ自身とその民族の運命を除いて。
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野崎歓・平岡敦訳、白水社・3780円/Irene Nemirovsky 1903年キエフ生まれ、42年アウシュビッツで死去。
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