「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー 髙橋秀美 2013.5.29.
2013.5.29. 「弱くても勝てます」
開成高校野球部のセオリー
著者 髙橋秀美 1961年横浜市生まれ。東外大モンゴル語学科卒。テレビ番組製作会社を経て、ノンフィクション作家。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞
発行日 2012.9.30. 発行 2012.10.20. 2刷
発行所 新潮社
初出 『小説新潮』(2011年7月~2012年1月、4月に連載された『僕たちのセオリー』に加筆修正
平成19年4月の『Number』 の取材で初めて開成高校の野球部に出会い、それ以来興味を持って追いかけた
超進学校の開成高校硬式野球部が甲子園大会に出場するまでの道のりを記録しようとしたもの。途中経過として出版
1回
エラーの伝統
創立は明治4年。文明開化の担い手を育成すべく開校した「共立(きょうりゅう)学校」がその前身。創立の諸規則には、「本校ハ専ラ他日東京大学予備門ニ入ラント欲スル者ノ為ニ必用ナル学科ヲ教授スル所トス」とし、東大進学のための学校という伝統が受け継がれている
平成17年の東東京予選でベスト16まで勝ち進み、最後に破れた国士舘が優勝したので、ややもすると夏の甲子園に出場できたのだ ⇒ 1回戦から3回戦まではコールド勝ち、4回戦で9対5と勝つが5回戦ではコールド負け(5回で10点差、7回で7点差の試合)であり、開成の場合にはほとんどがコールド、「野球は9回の裏まで何が起こるかわからない」という決まり文句が当て嵌まらない
苦手と下手は違う ⇒ 苦手は自分でそう思っているというだけ、下手は客観的に見てそうだということ
青木秀憲監督は、東大野球部出身、群馬県立太田高校から東大教育学部を経て東大大学院で修士号取得(修士論文は「ボールを投げるグレーディング」投球動作と上半身の筋肉の活動について研究)後、開成高校の保健体育教諭となる
開成の野球部はごく普通、甲子園常連校の方がよほど異常 ⇒ 差があり過ぎて、精神面ではとてもカバーできないし、普通のセオリーでは勝てない
例えば打順、1番に出塁させて確実に点を取るというセオリーは通用しない。1点取っても打ち負けるし、相手の攻撃を抑えられる守備力が前提となるが、それを期待しても無理。10点取られる前提で、15点取る打順を考えた結果、打てそうな選手を並べて勢いをつけるしかない。打順を輪として考えれば、下位も上位もない
守備には案外差が出ない ⇒ 1試合で各ポジションの選手が処理する打球は大体3~8個、そのうち猛烈な練習の成果が生かされるような難しい打球は1つあるかないか。一方すごく練習してうまくなってもエラーはある。監督が選手に要求するのは、「試合が壊れない程度に運営できる守備力」
練習のほとんどがバッティング ⇒ 思い切り振ればいつかは当たるかもしれないが、合せようとするとスウィングが小さく弱くなってしまう
ピッチャーならできる ⇒ 他のポジションは全て受け身でボールに合わせなければならないが、ピッチャーだけは自分から発信できる
投げ方が安定しているのはピッチャー向き、そこそこ安定しているのは内野手、それ以外は外野手
2回
理屈で守る
基本動作に合った球だけを捕る
平成19年の夏の大会は4回戦で準優勝した修徳に0-1で惜敗。圧倒的な打撃を封じた
勉強はやることが決まっていて、それを完了させればある程度の結果は必ず出るが、野球の場合は状況に応じてどのパターンで行けばいいのか臨機応変に考えなくてはいけない
在日中国人の大柄の選手が一人プロ、出来ればメジャーリーガーを目指し、ホームランの世界記録を塗り替えようとしている ⇒ 早稲田に行きたかったが、たまたま開成に入ってしまったので、野球に集中することを決意
3回
みんな何かを待っている
「ドサクサで一気に大量得点」というのが開成の野球なので、結果勝っても内容が伴わないと監督から「準備不足」との叱咤が飛ぶ ⇒ 相手がどう出て来るか予測して対応する準備
練習しすぎると、集中力が欠けてよくないし、逆に調子の悪い時に練習すると悪い癖がつく。練習試合もあまり多くやると、勝ちへの拘りが薄れていく気がする
4回
結果としての甲子園
「甲子園に行きたいか?」と選手に聞くと、「行けるものなら行きたい」という
甲子園そのものが具体的なイメージを結ばない
目標は、「強豪校を撃破する」ことで、そうすれば結果として甲子園に行ける
平成23年の大会は、春の大会に200校以上参加できなかったので、「シード制」が中止され、平等なくじ引きで対戦が決まる ⇒ 東東京大会の参加校は150校
出場校選手名簿に各校が「大会への抱負」を記載するが、開成の「抱負」は明快で、「プロ注目の投手と対戦し、力を入れている打撃をぶつけて打ち崩したいです」
監督曰く、「野球に教育的意義はない、ゲームに過ぎない、やってもやらなくてもいい偉大なるムダ」「ムダだからこそ思い切り勝ち負けに拘れる、じゃんけんと同じ」
開成の野球にはサインがない ⇒ 選手が器用ではないので、サインによる指示自体が無理であり、練習すらしない。大量得点にサインはいらない
5回
仮説の検証のフィードバック
開成の野球は、あくまで強制ではなく自分に必要なことは自分でやる
6回
必要十分なプライド
中間・期末試験中は部活動が禁止 ⇒ 週1回しかグラウンドが使えないので、試験開始日によっては1か月近くもグラウンドでの練習ができないこともある
バッティングの飛距離と方向を数値化してテストを行うと、1軍に合格する選手がいない
等値のプライド ⇒ 監督は、プライドがないから勝てないと断言。開成には開成野球部独自のプライドを持つ必要がある。どういう野球をするのか、とういうスタイルでやるのかという考え方に対する自信こそがプライドであり、自分たちの野球への確信が欠けている。強豪校はしっかりした練習量をこなしているから負けないという自信が持てるが、開成の場合は、元々練習量が圧倒的に少ないので、必要十分な練習を徹底的に追及することがプライドになる
7回
ドサクサコミュニケーション
エラー乱発も相手の油断を誘うため、隙あらば一気に攻め込む ⇒ 「ドサクサに紛れて大量得点」という本来の開成野球の味が今は欠けている
ガツガツしていれば、心理的に追い込まれてもミスをするかもしれないが目一杯やるが、ガツガツするフリだけだと追い込まれた時にプレイが出来なくなる
勉強は人に迷惑がかからないからいいが、野球は失敗するとみんなに迷惑がかかるので負担が大きい ⇔ 開成の生徒にとってガツガツとは人の迷惑を顧みないということ
開成の生徒のコミュニケーションはどこか妙 ⇒ 練習せずに下校する部員に「今日練習は?」と聞くと、「今日の練習は自由です」と答える。どうして自由練習に参加しないのかという質問の真意が理解されないまま、合意事項を確認するような返事が返ってきて、いくら話しても彼自身の気持ちには容易に踏み込めない
自分が間違っていたらどうしようという不安があるので、人のことは言えない。お互いが間違えないように会話をするので、論理的な正当性をなぞるような問答になる
8回
「は」ではなく「が」の勝負
野球に集中するために塾をやめていたが、今度は野球をするために東大を受験することに
「が」を使った文章は、「現象文」と呼ばれる ⇒ 現象を客観的に描写した文だが、我が事に当てはめると強い意志に転じる。野球は、「俺が、俺が」でいい
9回
ややもすると甲子園
平成24年の夏の東東京大会も参加148校のベスト32入り、4回戦で日大一高と当たり、5回で10-0のコールド負け、これから開成打線に火がつこうという所での敗戦は無念
2013.1.19. 朝日デジタル インタビュー
エリートの育て方 開成中学・高校校長 柳沢幸雄さん
「懸命に勉強し、世の人のために尽くす。恵まれた環境の者はその役目を果たさねばならない」
今年も大学入試センター試験が始まる。大学全入時代と長引く不況で、卒業後の「出口」が見えない若者は少なくない。低迷する日本から世界へ。リーダーシップを発揮できるエリートの育成には、どんな教育が必要なのか。環境問題のスペシャリストであり、東京大名誉教授で開成中学・高校(東京)の校長、柳沢幸雄さんに聞いた。
――昨年の開成高校の卒業式で「首都圏の進学校出身の学生は東大で伸びない」と話されたそうですね。東大合格者数31年連続トップ校の校長としては刺激的な発言です。
「パワーポイントを使って式辞を述べた中で、その話をしました。私の目から見ると、東大の学生は三つのグループに分かれます。燃え尽きたグループ、冷めたグループ、燃えているグループです」
「燃え尽きたグループは、中高時代に受験に向けて効率のいい勉強をしてきた子。ある意味、洗練された勉強方法に乗って成績を上げて入学する。ところが入学すると、効率のいい勉強法は教えてくれない。受験の目標も、もう達成できた。それで燃え尽きてしまう」
「冷めたグループは、首都圏の伝統ある進学校です。開成もここ。なぜ冷めているか。これまで通りの自宅通学で、キャンパスにも高校の友達がたくさんいる。高校と変わらぬ環境で、受験という重しがとれる。自分に合った勉強法は身につけているので、大学の成績も真ん中グループへすっと入り余裕がある。だから勉学もそこそこにこなして終わってしまう」
「燃えているグループは、地方の公立高校からきた学生です。まず親元から離れて自活することで大きなカルチャーショックを受ける。知る顔もいない大学で、自分の居場所をどう作るか。18歳でこれまでの生活と切れ目をつけ、ものを考え始めるわけです。だから燃える」
――最終的に伸びるのは「燃えているグループ」ということですか。
「そうです。学部時代から燃えているから、修士に行くと本当に伸びます。開成の卒業生にも『まず親元から離れなさい』と言います。ハーバード大にしても学部は寮生活です。東大も秋入学をするなら、いっそ高校卒業後の春から秋まで家を離れてボランティアなり農場や工場で働くなり、自活の経験をさせたら素晴らしいと思いますね」
――学生たちが燃えていても、教える教員側が応えられないなら仕方ありません。
「学生が必死にならなくてもそこそこの成績が取れることがよくない。東大で教えるようになった時、学生の目が死んでいるのにびっくりしました。それで、まず発言への抵抗感をなくすために、最初の授業で『水俣病とは何ですか』という問いを延々繰り返しました。前の人と同じ回答を言ってはいけない約束で。すると10人目ぐらいで音をあげる。やおら『発言は最初にする方が楽でしょ』と言うんです。日本人は一番初めに発言しない。そこが国際化の中で非常に厳しい状況になる。発言を初めにすることで議論の場は自分が作った土俵になります」
「学生全員の名前を書いた名刺大のカードを切りながら授業をし、出たカードの学生に答えさせることもしました。東大では『プレゼンテーション・ディスカッション・アンド・リポーティング』という授業も10年以上やりましたね。環境学では、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書を使って、学生自身に講義をさせました。ほかの学生に講義をし、みんなで議論し、私が内容を補足する。こっちが学生の講義以上の知識を持っていないと補足できないから、負担は大きかったけれど。いい『原石』は日本にもたくさんいます」
*
――大学教員も変わらなければならないのでしょうが、みんなが柳沢さんのようにやれるでしょうか。
「大学に市場メカニズムを導入すればいい。どの教員が知識欲のわく授業をし、公正な評価をしているのか。将来性のある、どんな研究をしているのか。すべて公表して、学生が自分の判断で自分の将来に望ましいところを選択できる情報を与える。教員側には、これだけの授業・研究をするんだからこれだけの給与・報酬が欲しいと申請させる。学生や研究費の集まらない教員は淘汰(とうた)されるシステムが必要です」
「これは大学に限らずですが、自分をエリートと認識している人たちは、身分保障と給与保障がないことが『エリートの証し』という認識を持つべきでしょう。何か物事を決断する権限を持った以上、決断の結果を間違えば、その場から退場する。それが私はエリートの条件だと思うし、そういう人が尊敬される社会にしなければいけない。だから上に行けば行くほど、大学なら講師より先に教授を契約制にすることです」
「エリートというのは、結果なんです。身分社会では最初から『選ばれし人』だけれども、われわれ一般人の現代社会では、どれだけ社会貢献したかの結果で決まる。だから私は、教育の場でエリート育成を考えることには違和感がある。一番意識するのは、各分野で強いリーダーシップを発揮し、社会貢献できる人間をどう育てるかです」
――しかし近年は、社会貢献というより、海外へ出て高収入が得られる外資系などへの就職を望む学生が多い気がします。
「進路選択の基本はその生徒の個性の問題です。海外がいいと一概には言えない。日本の方が向く子もいる。まずは、自分で個性を確立することが第一です。好きなこと、したいことは何なのか。自分も満足し、なおかつ生活も支えられることを見つけ、そこから人生を作っていく。強いリーダーシップを発揮するためには、自分自身を強くリードするモチベーションがなければならない。自分の人生をかけること、自分自身をリードすることが固まり、それが外に出た時リーダーシップになる」
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――ご自身は環境問題に取り組んでいらっしゃいましたね。
「東大工学部で環境技術の勉強をし、水俣病を引き起こしたチッソに対する一株運動にも関わった後、日本ユニバック(現・日本ユニシス)のシステムエンジニアになりました。会社員時代、ユージン・スミスが撮影した一枚の写真にショックを受けたんです。胎児性の水俣病の十代ぐらいの子を、母親が日常の顔で入浴させている。私から見れば非常に悲惨な状況なのに、母親にとってはそれが日常。これは、許してはいけない。これで私の人生は決まりました」
「学習塾を自分で起こして稼ぎながら、大学院に入り直し、博士課程まで大気汚染の研究をした。ところが、1970年代後半の日本で公害研究する者は『経済成長にブレーキをかける、けしからんやから』だった。どこも雇ってくれない。それでも研究がしたくて、論文を国際学会で配って就活をして、結果、ハーバード大から誘われた」
「私は英語が大の苦手。それでも必死に勉強し、研究員からハーバード大准教授、併任教授になった。90年代後半になると、日本は『今の時代、環境が重要だ』と変わり、東大にそういう学科ができたから来ないかと誘われて戻ったんです。私自身、好きな研究をしていること自体が心地いいから続けられたんです」
*
――では、いまの日本は少し進んだ感じですか。
「いや、まだ70年代ですね。生徒たちには『海外の大学、特に学部を出た場合には現地で就活をしなさい』と言います。エール大でも北京大でも、日本に戻って就職すると、入社後、ミスマッチが起きる。文化というか価値観が違う。もし日本企業にどうしても入りたいなら、国際的な感性の人を戦力にしたいと考えて海外進出している企業を選びなさいと言っています」
「ケネディの米大統領就任演説に『あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい』という言葉があるでしょ。同じように言えば、『あなたの周りの若い世代があなたのために何をできるかを問わないでほしい。あなたが若い世代のために何ができるかを問うてほしい』。つまり、あなたの組織の中で国際化した人間を受け入れるために、あなた自身何ができるのかを考えてほしい。日本の大学や企業に多様な人間を受け入れる文化が根付けば、日本社会はがらりと変わりますよ」
――有能な人が海外に進むことで日本の知的空洞化は進みませんか。
「いずれは帰って来たくなりますよ。重要なのは、日本に土壌ができるかどうか。私がハーバード大で目の当たりにしたのは、台湾の留学生の例です。80年代の台湾の留学生は、修士課程が終わると優秀な順にアメリカ企業に就職し、出来が良くないと台湾に帰って行った。ところが李登輝さんが総統になり、民主化されたら逆転した。優秀な順に台湾に戻っていく。優秀な若者が活躍できる土壌ができあがったから。つまり放流し、育ったたくさんの稚魚に戻ってほしいのなら、国も企業も変わることです」
(聞き手・宮坂麻子、磯村健太郎)
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やなぎさわゆきお 47年生まれ。開成中学・高校出身。東大、会社員を経てハーバード大併任教授、東大教授に。シックハウス症候群の第一人者。2011年度から現職。
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