あるコンテナ船の物語 Ian Kumekawa 2026.9.21.
2026.9.21. あるコンテナ船の物語 資本はいかに世界をめぐるか
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VESSEL The Story of the Global Economy in One Barge 2025
著者 Ian
Kumekawa 久米川。歴史学者。現在はハーバード大学歴史経済センターの研究員。MITでも教鞭。ハーバード大とケンブリッジ大で学位取得(2013年に修士号取得)。2017年刊行の著書「The First Serious Optimist:A.C.Pigou and the
Birth of Welfare Economics』(未邦訳)で、ジョセフ・J・スペングラー賞を受賞。これまでにハーバード大学およびマサチューセッツ工科大学(MIT)で教鞭を執る
訳者 峯村利哉 1965年生まれ。翻訳家。青山学院大学国際政治経済学部卒
発行日 2026.5.20. 初版印刷 5.25. 発行
発行所 早川書房
1978年、スウェーデンの造船会社フィンボダ・バルブが2隻の荷船建造に着手
1979年、バルダー・スカパー号は、パーリー・アウグストソン率いるノルウェーのバルダー・グループに納入され、スコットランドのスカパフロー湾に曳航(主人公船)。もう一隻(姉妹船)は納入に至らず
はじめに
2020年初頭、ニューヨーク市政府が刑務所船を運営していることを知る。船は”ザ・ボート”の俗称で知られ、サウスブロンクスの外れに係留
ザ・ボートの生い立ちは、波乱万丈。グローバル化と民営化の経済的側面を驚くべき筆致で叙述する物語
序章
1989年、1隻のコンテナ船がニューヨークに到着。ビビー・レゾリューション号で、リバプールの海運会社に所属。その創業者は、奴隷貿易に投資した人物。エンジンを装着せず、運搬するコンテナは宿泊施設仕様で、歴代の船主たちは”ホテル船/フローテル”と呼ぶ。全長94mの平底の船体と、甲板上に据え付けられた5階建てのモジュラー式宿泊区画という簡単な構築物。ニューヨーク市矯正局が水上刑務所として借り受けた
本船は過去40年に渡り、何度も所有者を変え、世界各地に曳航されてきた
改造が容易なようにモジュール式で組み立てられ、改造の容易さが船の価値を高めていた
国際エネルギー産業向けに建造された主人公船は、南大西洋に配置されたが、これはサッチャー政権による失業増大からそらすための努力の一翼を担っていた。後にニューヨークの囚人収容のため急派されたが、それはレーガン時代の失業率上昇と社会保障支出削減が原因。この間主人公船は一貫して民間の所有で、租税回避地での登記を継続
主人公船は財務上、抽象的な物体であり続けた。所有権は分割され、借入資本による投機的売買の対象とされ、社債の海外発行の担保となった
本書が全篇を通じて描き出すのは、抽象性に満ちた諸プロセスにおいて、本船が発揮する究極の具象性。1隻の船を追跡することで、主要な世界的変容がどう起こるかについての手引きを提供する。目まぐるしく変わる世界で、物質的な物の重要性を際立たせてくれる
第一章
バルト海
スカンジナビア半島でも屈指の有力船主であるノルウェーのアウグストソンは、経営不振でスウェーデン政府の支配下に置かれたばかりの造船所フィンボダ・バルブから、2隻の貨物船を購入。70隻の船団を率いるアウグストソンは貨物船を、海底油田で賑わうスコットランドに移動させればたやすく利益を上げられると見込んでいたが、賃貸見込み先のサルベージ会社が倒産したため、1隻をフィンボダに返還
当時スウェーデンの重工業界は下降局面を迎え、経済は不安定化。特に造船業が不振
1973年秋、第4次中東戦争勃発によりOPECが原油禁輸措置を宣言。原油の国際価格が1週間で1バレル当たり3ドルから12ドルの急騰。世界中のビジネスに、とりわけ海運業者に破滅的な影響を与える
フィンボダも巨額の政府支援を受け貨物船2隻を建造。名目上の発注者はノルウェーのペーパーカンパニー”バルダー・バージズI”で、金額1120万スウェーデン・クローナ(240万米ドル)。アウグストソンは、有限責任組合という金融イノベーションを活用、節税目的の個人投資家の資金を集め、急激に業容を拡大させていた
好況に沸く海底油田セクターと、原油価格の急上昇により、ノルウェーには金が押し寄せ、世界でも有数の富裕国になっていて、投資資金が溢れていた。海運業界への出資額は全額税額控除に充当できた
第1次大戦でイギリス海軍に降伏したドイツ艦隊は、戦時賠償としてイギリス軍に艦隊を引き渡すよりは自沈を選択し、数十隻の新鋭艦隊はスコットランドのスカパフロー湾に沈没したが、大多数は引き揚げられ、1970年には7隻が残留、難破船ハンターをおびき寄せていた
バルダーはノルウェー船籍として登記後サルベージ作業従事者の宿泊設備を整え、スカパフロー湾に向け曳航。'79年のイラン革命による第2次オイルショックの後、'80年代に入ると原油価格は安定し始め、海底油田の活動は減退、'85年になるとバルダー・グループの子会社が次々に破綻、翌年には持株会社がノルウェー史上最大の破産を宣言。’83年にロンドンに逃避していたアウグストソンは複数の罪で起訴され、上訴を続ける
バルダー・バージズはフィンボダへの貨物船代金支払いを、引き渡し時も含め分割払いをすべて不履行。アウグストソンは、バルダーを存続させるためにサルベージ以外の賃貸先を物色したが不調に終わり、1年半後フィンボダは主人公船を回収。併せて、バルダーに納入予定だった姉妹船も一緒にスウェーデンで正式に登記され、当初の契約価格から3割以上も大幅に値下げされて国内の民間新興企業コンセーフに売却。分割払いで8割までが政府保証付き。苦闘する国内海運業界を下支えするスウェーデン政府がほぼ丸ごと支援した救済スキームだった
第二章
北海
1978年、コンセーフはイェーテボリの造船所イェータベルケンで”セーフ・アストリア”と名付けた宿泊用プラットフォームの台船を進水させる。すでにシェブロンへのチャーターが決まっていた。'80年代初頭にはコンテナ海運と海底油田の両分野で主要プレイヤーとなり、さらなる業務拡大を期してフィンボダからも主人公船と姉妹船を購入
海運のコンテナ化は'50年代、1代でのし上がった米国のトラック輸送王マルコム・マクリーンの頭脳から生み出された。ベトナムでの補給作戦に採用させ、世界の貿易に革命を起こす。関連するインフラの開発と相俟って、商品の輸送コストを従来の数分の一に圧縮
米英のネジの溝がわずかに異なったり、鉄道線路の幅がヨーロッパの西と東で異なるのと対照的に、海上コンテナ輸送は驚くほど規格化が進み、全世界的な規模を可能にしてきた
コンテナの積み下ろしに、危険なチェーンに代わってナイロン製ストラップを使い始めたのがコンテナ・セーフ・エリクソン社(後のコンセーフ)で、海運バブルの膨張と破裂に大きく貢献したコンテナ化とともに、目覚ましい成功を収めた
エリクソンは、元々はスウェーデン船の一等航海士。自ら輸送用コンテナの取引に参入
1964年、国連大陸棚条約の発効により、北海油田の権益が国ごとに明確化され一気に開発が加速化。イギリスはBPやシェル、さらには国外の大手多国籍企業に採掘権を供与
コンセーフは、小さな貨物船団を構築するとともに、海底油田採掘ビジネスに対し、施設建築や生活支援などのサービスを提供し急成長。石油リグを建設し運用するためには万単位の作業員が必要で、彼らが泊まれる安価な宿泊施設となる”浮きホテル・海岸ホテル”を提供することは大きなビジネスチャンス。コンセーフは浮体式プラットフォームに輸送コンテナを固定しただけの船を続々建造。凋落するスウェーデン造船業界にとっても起死回生を図る重大プロジェクトの象徴的存在となる
〈ロイド・レジスター〉などの船級協会の検査と認証をとって保険をかける
イギリスのばら積み船事業者連合のトップだったデレク・ビビー一族が経営する海運会社は、財務上の厄災に見舞われる瀬戸際で、コンセーフに大型の投資をし、同社を通じて北海の石油とガスに投資する。もともとびびーはリバプールの企業で、創業は1805年。叩き上げの船舶仲立人。自ら所有する帆船で奴隷貿易を仲立ちし巨額の利益を得ていた。その後も英軍兵士の海外赴任地への輸送など英最古の民間海運会社として繁栄。デレクの時代にもコンテナ化への対応としてコンテナ船と大型タンカーに投資したが、オイルショックの余波を受け、石油ガス産業に軸足を移すべく、コンセーフなどへ投資
世界中の富裕国では、スウェーデンの造船労働者を圧迫したのと同じ力が、アメリカでは鉄鋼労働者にイギリスでは炭鉱労働者に加えられ、工業セクターの雇用が消えつつあった
海底油田セクターの繁栄により、北海周辺地域にはおこぼれ型機の如く流れ出し、ビビー・ラインのような老舗企業も、コンセーフのような新興企業も、新たな商機の開拓を切実に求める
主人公船は、グローバルな海運業と国際的な石油産業の間の生産物で、海底油田の隆盛と、造船の衰退が生み出した渦に巻き込まれた。生産された狙いは、モジュール化と即応化と完全なオフショア化。生まれ変わった主人公船は、改装から間もなく、北海ではなく南太平洋に向かう
第三章
南大西洋
1982年、イギリス海兵隊員5000名の船団がフォークランド諸島奪還を目標とする地上作戦に参加。2か月半に渡る作戦の末、英軍は島の支配権を取り戻すが、支配権維持のため数千人の歩兵とパイロットを常駐させなければならず、厳冬期に恒久的な宿泊施設の建設は難しいところから、コンセーフのモジュール船に頼る
フォークランドは、イギリスが経費節減のため配備していた砕氷哨戒艦の撤収を企図し、それに付け込んで、国内の壊滅的な経済状況から国民の目を反らすために領有権を奪取しようとしたアルゼンチンの動きが地政学的危機を爆発させたもの。失業率が10%を超え、支持率が25%にまで落ち込んで余命いくばくもない状態だったサッチャー政権は、一夜にして政界に敵なしの存在となる。サッチャーは、「本当の自分の再発見」だと喧伝し、南太平洋の帝国主義と、国内の財政保守主義を強引に結びつけた
フォークランド諸島の兵舎の民営化も、コンセーフの宿泊船のチャーターも、サッチャー政権による国有企業民営化の一環で、サッチャーは南太平洋で得た政治的資源を元に、政府に北海油田から手を引かせ、石油資源管理のためのブリトイルを売却、BP株やブリティッシュ・ガスの譲渡などで巨額の資金調達を行う。サッチャーは小さな政府を目指しながら、軍事費の増大は不回避の皮肉
主人公船と姉妹船はビビー・ラインが間に入ってイギリス船籍に再登記され、英国商戦旗である”レッド・ダスター”を掲揚。形式上は英国国防省が英国企業と契約を結んだ体裁
宿泊船は、快適とは言えないまでもそこそこの居住環境を駐留兵士に提供し、1987年までフォークランド諸島に留まり、コンセーフとビビー・ラインに数百万ポンドの収益を供給し続けた
‘80年代半ばになると、原油価格がようやく下落基調となり、石油産業が生産能力の拡大を止めると、海底油田向け宿舎プラットフォームの分野で55%のシェアを持つコンセーフはたちまち流動性の危機に陥り、選挙を目前に控えた労働党政権に見捨てられ、精算を迫られる。ビビー・ラインがコンセーフから持ち分を買い取り、100%所有権を持ったことで、完全な英国の所有物となる
世界規模のインフレと成長鈍化に直面した時、英米やアルゼンチンの首脳はこぞって、戦争で不満の矛先をそらし、規制緩和と民営化に助力を仰ぎ、グローバル経済下の競争に活路を求めた。外国が所有する海上兵舎は、戦争のアウトソース化、オフショア化とともに、民間企業が帝国主義的な庇護を受けていることを実証
第四章
カリブ海
1984年、ビビー・ラインが所有するLNG船4隻が英国籍から香港籍に変更。船員の人件費高騰が背景にあり、オフショア化は事業上の合理的な意志決定。'70年代、'80年代は便宜置籍船の使用が大流行、船乗りの賃金は世界規模で下落
パナマはスタンダード・オイルによって、リベリアは鉄鉱石採掘の元米国務長官ステティニアスによって、ホンデュラスは同国にバナナ帝国を築いたユナイテッド・フルーツによって、それぞれオープン・レジストリー制度を導入して船籍登記制度がつくられた
1987/88年、フォークランド島に兵舎が建設され、主人公船と姉妹船の契約は終了。ビビー・ラインはバハマに船籍を変更し、次のチャーター先のために改装・曳航されていく
第五章
エムス川
1988年、主人公船は、西独エムデン市に新設されたVWの組み立て工場の従業員宿舎となる。主人公船をエムス川まで運ばせたのは、世界の輸出市場の変化という事象の重大性によるもので、輸出用に開発されたパサートの生産を完全自動化するべく、工場の改装に取り組み、そのために多くの労働者を必要とした。フォークランドで半潜水式重要物運搬船の甲板上に乗せられた主人公船は、大西洋を縦断してエムデンに運ばれ、2年間即席の労働者の研修期間中の宿舎として重要な役割を果たす(社内誌にも「浮きホテル」と紹介)
VWが生産ラインの自動化を決断したのは、世界の製造業で起こった生態系の変化に対応するためで、西独のビルトシャフツブンダー(経済の奇跡)のシンボルとなる
当時、西側先進工業諸国は製造業の黄金期を目の当たりにした。日本では高度経済成長、フランスではトラント・グロリューズ(栄光の30年)、イタリアではボーム・エコノミコ
即席で宿舎を提供するアイディアは、1989年ハンブルク市で急増する東独や東欧諸国、さらにはアフリカやトルコからの難民収容のために活用され、伝統として長く続くことになる。ただ、利用する人によって宿泊船の住環境は劣化の一途を辿る
第六章
イースト川
1990年、ニューヨークのイースト川のロウアー・マンハッタン第36番埠頭に係留された水上刑務所内で、麻薬撲滅の一環として薬物中毒の治療提供のためのリハビリ施設を提供する新規プログラムの公聴会開催。この刑務所こそ主人公船で、ニューヨーク市が囚人をオフショアに収容することを可能にした
‘65年、市が巨額の投資をしてベルギーとの航路開設のために新設した埠頭は、コンテナ化の波に煽られ、無残な残骸として放置され、新たなコンテナ船の到着を待っていた
ニューヨーク州では、’73年からネルソン・ロックフェラー州知事が先頭に立って麻薬犯罪の撲滅に取り組み、割れ窓理論が叫ばれ、特に有色人種男性を狙った攻撃的な摘発で、収監者が急増。刑務所の収容定員を上回り始める
'88年、1900万ドルで、379床の姉妹船を5年間チャーター(パーチェスオプション付き)
水上刑務所のアイディアは、独立戦争当時からあり、'80年代にはブルックリンの元海軍刑務所の転用も検討。ただ、監獄としての使用には安全上のかなりの改造が必要
‘89年、市矯正局は主人公船も1700万ドルでチャーター、さらに新造船も発注
当初、主人公船は、刑務所ではなく、大多数が黒人であるクラック・コカイン中毒の受刑者の治療センターとする計画
係留地から2マイルの距離のウォール街では、米政府の意図的な金融緩和が進む。'80年ユーロ市場の拡大で機能しなくなった米国内の金利上限規制であるレギュレーションQの撤廃で金利は急上昇、ドル高と相俟ってアメリカの製造業は壊滅的な打撃を受けるが、金融セクターは実利益の面でも政治的資本の面でも、日の出の勢い
ハドソン川沿いの第40埠頭も、1962年にホランド・アメリカ・ライン用の大規模ターミナルとしてスタートしたが、コンテナ化に乗り遅れ空っぽになっていたところに主人公船が曳航される。コミュニティからは反対されたが、陸軍工兵隊と沿岸警備隊の許可だけで、都市計画や土地利用規制を迂回できる宿泊船は、市矯正局にとっては魅力
'90年、刑務所の膨張に反対して新たな方向性を探ると宣言したディンキンズ市長が誕生しても刑務所人口は膨張を続け、水上刑務所は存続するどころか、新たな船の建造が進み、2年後に竣工し、ライカーズ島の対岸ブロンクスに係留
'92年、主人公船と姉妹船は、陸軍工兵隊から期限切れを理由に移動命令が発出され閉鎖に追い込まれるが、実態はロウアーマンハッタンをグローバル都市として発展させるための町づくりのために排除されたもの。5年のチャーター期間が終了したところで、ニューヨーク市当局はオプションを行使して両船の所有権を取得し、転売先を物色。ようやく’94年に決まった転売先は身元非公開のヨーロッパ企業。価格は何と2隻で180万ドル。港を離れたのはさらに3年後
主人公船のニューヨーク時代は、単純な需要と供給の物語で、急増する犯罪逮捕者に対する市当局の対応として水上刑務所船が実現だが、特筆すべきは、市当局が問題解決のためにオフショアの世界を頼った点で、相互に関連する一連の世界的変革の産物であり、同じ一連の変革はニューヨークをオフショア金融の中心地、グローバル都市に仕立て上げた。同じ趨勢は世界中で繰り広げられた
第七章
イギリス海峡
1997年、主人公船はイギリスのポートランドに到着。ここでも歓待はされなかったが、刑務所として利用。'90年代のイギリスでは、安全と秩序の供給源を刑罰に頼った結果、収監率は跳ね上がり、刑務所不足が顕在化。内務省の購入価格は350万ポンド(580万ドル)
イギリスは「刑務所問題の解決策をオフショアに求める」という点で長くて複雑な歴史を持つ。1776年のアメリカ独立宣言が署名されるまでに、イギリス政府はアメリカの13植民地に数万人の囚人を送り込む。オーストラリアでも囚人が国を作ったように、囚人を管理するためにジョージア植民地を作ったのは公然の秘密
18~19世紀を通じて、イギリスは犯罪者に海軍での服務を命じ、退役した軍艦を監獄代わりにして収容されており、今般イギリス沿岸に係留された”牢獄船”に犯罪者が収容されるのは、19世紀以来。ポートランドの防波堤は、ビクトリア時代の受刑者が作ったものだし、街全体を見下ろす19世紀の要塞は、第2次大戦の刑務所に転用
ポートランドが違ったのは、新規に250人の雇用が始まったこともあり、主人公船がすぐに地元に受け入れられ地元の風景と一体化して、地元も主人公船の現状維持を切望
2004年労働党政権誕生となって、監獄船の船内環境が受刑者の更生に焦点を当てた改革のイメージに合致しなかったため、翌年主人公船は刑務所としての役目を終える
第八章
テムズ川
2006年、英国政府は主人公船を売却するためバブコック社に売買の仲介を委託。同社は香港法人のパシフィック・マリタイムに150万ポンド(280万ドル)で売却する契約を結び、手付け金10%を受け取る。取引完了直前に、パシフィックはホーリーストーンとの間で転売に合意し、有限責任会社ホーリーストーン・オーバーシーズを作って受け皿とする
ホーリーストーンは、ナイジェリアの海底油田産業の施設に対するサービス提供会社シー・トラックス・グループの子会社。シー・トラックスはポートランド港で2年かけて主人公船を海底油田の労働者向けに転用のため776万ドルかけて改装。ホーリーストーンへの売却価格は購入価格と同額の150万ポンドだったが、モジュラー式宿泊区画25個を無償でパシフィックに提供することになっていた。問題はその引き渡し場所。インドネシアのバタム島となっていて、ホーリーストーンがバタム島以外に主人公船を移動させる場合には、25個の宿泊施設相当の現金をパシフィックに払うことになっていた。ホーリーストーンは主人公船をそのまま使う予定で、現金を払うつもりでいたが、パシフィックの見積額は408万ドルで、ホーリーストーンの申し出100万ドルとは大差。売買契約の裁判管轄権はロンドン国際仲裁裁判所で、イギリスの公式な司法制度の枠外にあって秘匿性と効率性が高められているが、パシフィックは仲裁人の指定が進まないことに危機感を抱き、公的な解決を選択し、イギリスの裁判所に差し止めを求めて提訴。裁判所の差押命令が発出され、ポートランド港湾当局は足元を見て停泊料金を3倍に引き上げ
2007年、イングランド・ウェールズ高等法院女王座部商業裁判所で争われたのは主人公船の評価額。パシフィックは高い評価額と、それに紐付く形で、ホーリーストーンの支払いが終わるまでポートランド港に留め置くという差押命令を出させる。ホーリーストーンは低い評価額を主張し抵抗。ようやく国際仲裁裁判所が仲裁人を指定すると、仲裁人に委ねられるべきとして、差押命令の変更を求める
ホーリーストーンは、裁判所での争いに際し、判例法主義による法定戦略を活用。150年前の判例に従って、ホーリーストーン側が賠償すべきは宿泊区画が受け渡される時点で持つ市場価値であり、その価値はスクラップとしての物理的価値7万ポンドに留まると主張
パシフィック側は、ホーリーストーンには主人公船をバタム島まで移動させる義務があり、出来ない場合は新造した宿泊区画をバタム島に届ける義務があるとし、バタム島で使用することこそが宿泊区画の本質的な価値だと主張
両者の争いは、コンテナの価値の査定方法が複数存在することを浮き彫りにした
裁判は、当該契約を2者択一の供給契約と認定し、宿泊区画を届けるか、代替の新しい宿泊施設を届けるかにあり、前者を断念したホーリーストーンは代替物を届けなければならない。同種の船舶向け宿泊区画96例を調査し、見積もりを470~750万ドルと指摘
宿泊区画の真の価値は、利用される能力にある。具体的にはその賃貸料所得で決まるとし、裁判所は275万ドル+10%の利息+経費18万ドルをはじき出し、さらにパシフィックの主張する機会損失として年間500万ドルを認めたが、引き続いての交渉は、契約で明示された通り商業仲裁を通じて行われることになり、王立裁判所での訴訟は結審
パシフィック対ホーリーストーン判決は、仲裁機関の有効範囲を定めたものとして現在でも引用され続けている。仲裁機関には仲裁内容の執行を担保する力がないところから、資産保護に関して有効な措置をとる権限に欠けていると指摘、その様な状況が発生した時、イギリスの商業裁判所は介入を行う可能性が高い
商業仲裁の詳細は不明だが、主人公船は閉鎖から5年の間ポートランド港に留め置かれ、係争の中心を占めた宿泊区画は撤去され、スクラップとして売却。所有権はシー・トラックスにあり、両者の紛争は現金の支払いで解決されたようだが、具体的な金額は不詳。主人公船はバタム島へは行かず、ナイジェリアに向かって曳航されていった
第九章 ギニア湾
主人公船の新しい任務は、30年前の建造時に戻って、海底油田の労働者向けの宿泊船として、ナイジェリアに向かう。ナイジェリアの海底油田からの産出量は、北海油田の最盛期にギリスが記録した量を超えるところまで増大。1982年の国連海洋法条約では、従来の条約では水深200m未満とされたが、今回は水深に関係なく海岸線から200海里の海底面と再定義され、ナイジェリアのように大陸棚のほとんどない国では、この変更によって大陸棚の面積が4倍となり、オフショアの地中に保有する石油資源も膨大な量となる
30年以上の間、ナイジェリアの輸出の80%以上を石油製品が占め、他の産業が全く振るわず、”資源の呪い”もしくは”豊かさの逆説”の好例。さらに汚職と不透明性から、西側大手多国籍企業の餌食になっていた
主人公船は、最初からトラブル続き。船自体の老朽化と、ナイジェリアの劣悪な自然環境に不適合で、オフショアでの仕事が出来ず、自由貿易地域とされた岸壁に係留されたままで、宿泊区の一部のみの使用となる
主人公船の所有者シー・トラックスは、'80年代以降の石油生産という大波に乗り、世紀末を超える頃にはグローバル企業へと変貌。本社を英領バージン諸島に移し、租税回避地に設立した子会社を通じて、国際石油資本との取引を拡大。巨額の資金調達を通じ、深深度の深海で作業が可能なDP3(自動船位保持装置)を装備した新鋭大型船を購入し、保有船団を拡充。2008年の世界金融危機でも石油業界は好景気に沸いていた
2010年代半ばになると、アメリカのシェールオイル・ガス生産の急増で、原油価格は1バレル124ドルから42ドルまで急落すると、シー・トラックスのビジネスに翳りが出始め、財務的な窮地に近づくと、経営陣への不満が爆発。多国籍企業から来た取締役たちによって創業者のローマンスは社長の座を追われるが、ローマンスは別会社を通じて保有船団の過半を所有する仕組みを作っており、両者は熾烈な法廷闘争を繰り広げることに
両者の争いは、物理的な船の所有を巡って時に暴力沙汰に発展したが、ローマンスの会社はナイジェリア国内の会社だったため、同国軍が介入して事態を解決することもあった
ナイジェリアの多くの人々にとって、経済のグローバル化は、強欲なヨーロッパ植民地主義の延長でしかなく、新しい法律の専門用語をまとい、別の名前で遂行される植民地主義と言い換えてもいい。だが、ロンドンから見た物語は全く違う様相を呈し、シー・トラックスは社債の債務不履行により取締役会は刷新され、さらに社債の期前償還に応じられなかったために社債の担保となっていた船団は全て社債権者のものというのが事実
2017年、シー・トラックスは英領バージン諸島の東カリブ海最高裁判所の命令の下、精算(ママ)手続きに入る。業務は継続したまま、資産と負債の再評価を行うが、船団の大半は主人公船も含めローマンスの会社が実効支配を続けていたため、ロンドン国際仲裁裁判所での仲裁の対象となる。翌年、ナイジェリア政府首脳の仲介の下、両者は合意に至り、船団を分け合った。ローマンスの会社はナイジェリアの国内企業と見做されており、談合と汚職で悪名を馳せる国において、法の支配と私有財産権の保護が健在である証拠となった
主人公船は、ローマンスの掌中に残り、図らずも、愛国的アイデンティティを身に帯びることになった。いつかの時点で、セントビンセント・グレナディーンに船籍が変更
奇しくも、姉妹船もロンドンの海運グループの所有の下、西アフリカの海底油田産業に派遣され、同じセントビンセント・グレナディーンの船籍になっていた
主人公船のオフショア化が進んだのは、世界のオフショア化が進んだからだった。世界のオフショア空間を植民地化して移住を始める中、必要とされたのはオフショアの技術だった。帝国主義後の新世界のフロンティアで、国家主権の境界を越えて利益を稼ぐため、大手多国籍企業が探し求める道具。主人公船はまさにその必要を満たしてきた
終章 ウォルビス湾
ナミビアのウォルビス湾は、18世紀末にオランダ東インド会社が本国とケープタウンの間で運行する船の寄港地として創建。同国唯一の深水港。1880年代のアフリカ分割により周辺一帯はドイツ領南西アフリカという植民地になったが、この飛び地だけはイギリスの統治下に収まる。'90年のナミビア独立後も南アは飛び地の支配権を手放さず、’94年漸くナミビア領土となる
ムンバイの海底油田ガス田産業へのサービス提供会社ハラニの所有下にあった姉妹船は、'18年他の船ともどもチャーター先もないままウォルビス湾沖に放置され、資金繰りの逼迫した船主に遺棄される。乗組員は国際運輸労連に連絡を取るが、なす術がなく、ナミビアの裁判所に訴えを起こすが、ナミビアに出来ることは船の拿捕まで。国際海事機構IMOが船籍登録のあったセントビンセント・グレナディーン政府に働きかけ、調査員が派遣されて、船主責任保険P&Iからの支払いに漕ぎ付ける。この段階で公的介入は終結となったが、遺棄された4隻は見る見る間に幽霊船と化す。乗組員8人が船の管理のために留め置かれたが、保険契約が更新されないため、船籍登記も末梢。これが便宜置籍船の欠点
ナミビアが国際条約に基づき、遺棄された船員に対して一定の義務を負っていたのが救いとなり、ナミビア政府が船員の送還を阻止することは禁じられていたが、責任がどこに帰属するのかという点はもちろん、そもそも責任に帰属先があるのかどうかという点でさえ、まったく明確になっていなかった
このような管轄権の曖昧さは、21世紀の海事世界の構造に組み込まれている。便宜置籍船制度や、オープン・レジストリー制度の急増は、責任回避という船主の願望が主な推進剤だった。船主集団と、それに協力的なオープン・レジストリー制度の管理当局は、国際法体制の隙間を、既存の法執行が及ばないグレーゾーンを探し求めてきた。グレーゾーンにおける船員の生活は、不安定になりかねず、管轄権の透間から零れ落ちるリスクに晒されている
‘19年、NGOの尽力で漸く姉妹船などの船員の帰国が実現。さらに4隻の管理費捻出のため、2隻が競売にかけられた。残りの無国籍船もスクラップとして買い取られた
主人公船も稼働不能になって数年たち、'16には保守管理の計画も立てないまま放置
結論 公海
その時々の需要に応じて、新たな役割や意味を担う能力こそが、両船の価値を驚くほど高めていた。オフショア世界の影に潜む被造物であり、認知不能な新種の存在へと変貌したが、両船とゆかりのある様々なオンショアの場所は、20世紀末、世界経済の新自由主義的な変革の影響に晒されてきた
本書の特長の一つは、メインキャラクターにカリスマがないこと。声も性格もない平底船で、”空っぽの器”という地位によって定義づけられている。しかし、”空っぽの器”である主人公船は、”意味で満たされた器”すなわち人間の隠喩(メタファー)でもある。主人公船はを世界中で引きずり回してきた力が、主人公船を意味と価値で満たしてきた力が、我々にも等しく作用しているということを、この物語は示唆している
訳者あとがき
ミクロストリアと呼ばれる比較的新しい歴史学の研究手法は、マクロな数量に重きを置き過ぎる従来の歴史学への批判として、1970年代のイタリアから広まった。特定の人や物や出来事、すなわちミクロに焦点を絞り、細部まで及ぶ詳密な調査・記述を通じて、時代の真実を解き明かすという大目標を達成しようとする
著者は、経済思想、19~20世紀の資本主義、帝国主義時代の治世術を専門とする歴史学者
日系4世で、2世の祖父は第2次大戦中強制収容の経験を持つ
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ハーバード大学の歴史学者がある船舶の生涯を通じて描く、グローバル資本主義の光と闇
70年代にスウェーデンで造られた一隻の船。それは、市場の要求に応じて、フォークランド戦争時の英国軍兵舎、ブロンクス沖の水上刑務所、自動車工場の労働者用仮設住宅……と様々に変貌してきた。その数奇な運命を追うことで世界経済全体を語る独創的な歴史書
紀伊国屋書店
一隻の船の波乱の軌跡が明かす、世界経済の裏側。1970年代にスウェーデンにおいて、石油掘削のために建造された一隻の居住用コンテナ船。1980年代にはフォークランド紛争における英国軍の兵舎となり、1990年代にはニューヨークの監獄、2000年代にはイギリス・ポートランドの刑務所、そして2010年代にはナイジェリアの海底油田労働者のための宿舎と、様々にその姿を変えてきた。この物語の中心にあるありふれた船は、帝国主義、投資、インフレ、好況と不況、そしてタックスヘイブン、移民問題、戦争など、あらゆるものに翻弄され続けてきた。その数奇な運命を追うことで世界経済全体を語る、「マイクロヒストリー」の傑作!
(書評)『あるコンテナ船の物語 資本はいかに世界をめぐるか』 イアン久米川〈著〉
2026年6月13日 朝日新聞
■一隻がたどったグローバル経済
今日ほど多くの人が、自らの生活に直結するものとして船の動向に気を揉(も)む日はなかったのではないだろうか。その背景は、いうまでもなく米国・イスラエルによるイラン攻撃に端を発したホルムズ海峡の封鎖である。一隻の船の軌跡を辿(たど)ることでグローバル経済の歴史を描く本書は、いわば、今日の集合的経験を先取りしたような著作だ。
数年前、著者はニューヨーク市政府が刑務所船を所有していることを知り、その先代ともいえる船の歴史を追いかけるようになった。それが本書の主人公船である。その船は、姉妹船とともに1970年代末という国民経済からグローバル経済への転換の閾(いき)のような時期に、スウェーデンの造船所で造られた。当時、オイルショックを契機とした不況の中、産業の衰退に喘(あえ)いでいた造船業に政府は支援を行った。その意味で主人公船は、国家の創造物であった。
同時に、主人公船の誕生は、資本主義のグローバルな展開の胎動期とも重なっていた。船を購入したのはノルウェーのペーパーカンパニーであり、経営者は節税対策の投資先となるべく有限会社を設立するという金融手法を用いた(主人公船の取引は経営難により失敗したのだが)。仲介企業は、パナマに法人格を有していた。つまりこの船は、最初からオフショア国際金融の賜物(たまもの)でもあった。
その後程なくして船は、便宜置籍船へと変更され、税や法的責任を逃れるために進められたオフショア化の波にさらに巻き込まれていった。
主人公船は、北海油田の開発に携わる作業員やフォークランド紛争に従事した英国軍の兵舎、ドイツ・フォルクスワーゲンで働く労働者の「ホテル」、ニューヨークやイギリスの水上刑務所、ナイジェリアの油田労働者の宿泊施設と、空っぽであるがゆえ何でも積み込める荷船として、名前と役割、所有者を変えながら、いくつもの海を行き来して数十年を過ごした。類似の軌跡を辿った姉妹船では、乗組員が海上で遺棄されるという出来事も起きている。
こうした船の来歴は、過去50年のグローバル経済の変化、とりわけオフショア化とその影響を浮き彫りにする。同時に、抽象性に満ちたその変化のプロセスが、不可視化されがちな物理的インフラストラクチャーに依拠することをも明るみに出す。
一隻の船の歴史に着眼し、その船がそこにそのようにあることを可能にする政治・経済・社会的文脈を深く広く描くミクロヒストリーの物語に触れると、海峡に留め置かれた船の来し方行く末がますます気になってしまう。
評・高谷幸(東京大学准教授・社会学)
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『あるコンテナ船の物語 資本はいかに世界をめぐるか』 イアン久米川〈著〉 峯村利哉訳 早川書房 4950円
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Ian
Kumekawa 歴史学者。経済思想、19~20世紀の資本主義、帝国主義時代の治世術を専門とする。米ハーバード大学の歴史経済センターとマサチューセッツ工科大学で教壇に立つ。日系アメリカ人。
書評『あるコンテナ船の物語』イアン久米川著
「資本主義とは何か」を語る
2026年7月11日 日本経済新聞
コンテナ船を主人公とする本書は、新自由主義下の資本の物語でもある。「空っぽ」であるからこそコンテナ船は変幻自在だ。北海では海底油田作業員の宿泊施設(ホテル船)になり、戦争が起きれば兵舎に転用される。NYで犯罪が増えると監獄船にもなる。コンテナ船は資本と驚くほど共通性がある。どちらも抽象化とモジュール化を兼ね備えて何にでもなる。もちろん違いもある。コンテナ船はリアルで「受動的」であるが、資本はシンボルで「主体的」だ。
イェーリングが『権利のための闘争』で「人肉裁判」を高く評価したように、本書は『資本論』(マルクス)に関する権威ある10冊の解説書を読むよりも資本とは、資本主義とは何であるかを教えてくれる。産業革命時の英国浮浪者取締法は20世紀末の英米に形を変えて蘇(よみがえ)り、資本の都合で人間の住環境を考慮することなく船主(資本家)は「人間よりも利益を優先」するなど昔と変わらない。1930年代から70年代半ばまでのニューリベラリズムの時代が例外だったのだと気づかせてくれる。
本書は新自由主義のヌエ的性格を白日のもとに曝(さら)けだしている。コンテナ船は素人目には実物資産としか見えないが、著者は抽象的資産に変換していく様を鋭く描いている。あらゆるものを金融化し抽象化する新自由主義は、船でさえもオフショアに登録することで国家の外にたち、自らの存在を消していく。
資本は安全規制や税制など利益を抑制する要因をすり抜けるため、巧みにオフショア化を進める。「主人公船はオフショア世界の産物だった。オフショア世界とは(中略)『資本主義的欲望』が創り出した幻想世界である」。抽象化された現実の世界が幻に思え、17世紀初めにシェイクスピアが『リア王』で描いた「さかさま世界」(狂気の世界)に生きていることになる。
著者がいうように「主人公船のたどった道は、まさに"酔ひどれ"」だ。21世紀の新自由主義の世界に生きる99%の人々は自ら望んだわけでもないのに、気がつけば「酔ひどれ船」に乗せられている。「静止した船を中心に、周りの世界が狂ったように動き回」る。そう考えれば、「主人公船は代替可能ではなく、モジュール化もされていない」。逆にわれわれ人間が「モジュール化された代替可能物」だという本書の結論に背筋が凍った。
《評》日本内部監査研究所上席研究員 水野 和夫
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