サッカー報道とナショナリズム  笹生心太  2026.9.19.

 2026.9.19. サッカー報道とナショナリズム 「日本人らしい」プレーとは何か

 

著者 笹生心太 1981年生まれ。明治大学商学部専任准教授、東京女子体育大学・一橋大学非常勤講師。専攻はスポーツ社会学。著書に『「復興五輪」とはなんだったのか――被災地から問い直す』(大修館書店)、『ボウリングの社会学――〈スポーツ〉と〈レジャー〉の狭間で』、共編著に『ホストタウン・アーカイブ――スポーツまちづくりとメガイベントの記録』(ともに青弓社)、共著に『スポーツ社会学事典』(丸善出版)、『スポーツまちづくりの教科書』(青弓社)など。

 

発行日            2026.6.4. 第1

発行所            青弓社

 

カバー袖裏

1980年代以降の新聞と専門誌のサッカー報道を丁寧に渉猟して、身体能力や組織力、俊敏性、パスワークなど、「日本人らしさ」を巡る言説の変容を明らかにする。サッカー報道の分析を通じてナショナリズムが私たちの日常に織り込まれるようになったプロセスをも究明する

 

目次

序 章 スポーツとナショナリズムの不思議

 1 スポーツとナショナリズム

ナショナリズムという現象は、一種奇妙なものだが、その奇妙さは「なぜか人々は、赤の他人にも拘らず、同じネイションの成員に強い愛着を抱いてしまう」という点に集約される

ネイションとは、確固とした基準はなく、主観的なもの

一見理解しがたい行動様式は特にスポーツの場面では顕著に表れるし、愛着の必然性は低いはずにも拘らず、ネイションというものに強く拘り、スポーツの領域では一般的に考えられているよりもさらにネイションの範囲が柔軟に捉えられている。本書では、こうした不思議さを念頭に置きながら、スポーツとナショナリズムの関係について考える

 2 ナショナリズムの多様な側面

ナショナリズムという概念を正確に捉えることは難しい

本書が焦点を当てるナショナリズムとは、より日常的な、平凡な場面でも人々に刷り込まれる「平凡なナショナリズム」

 3 ネイションを単位とした世界の認識

本書の関心は、目に見える形で顕在化するナショナリズムではなく、そうしたナショナリズムを下支えする、より日常的な実践に潜みながら人々の意識を規定するようなナショナリズム、すなわち「認識的ナショナリズム」のレベルにある

本書の中心的関心は、そうした「認識的ナショナリズム」をスポーツ報道が生み出してしまうこと、つまりスポーツを観戦するなかで、自らが所属すネイションとは何なのかを認識・確認するという意味でのナショナリズムにある。より正確には、人々が自らが住む世界を認識する際にネイションという単位を無意識にその枠組みにし、自ネイションに愛着を持ってしまうこと、そしてそうした認識をスポーツ報道が生み出すことこそが、本書が取り扱いたい問題

日常的なスポーツ報道の特徴は、あたかも日本人全員が同じ特質を持つかのように断じている。このようなネイションを全体論的な存在として見做す言説は、スポーツ報道で安定的・継続的に生産される。スポーツという領域の重要性は人々のアイデンティティのラインを焦点化する力にあり、多くの国際試合ではそのラインはネイションの境界線に設定される。スポーツ報道ではナショナルな境界線で区切られた単位での競争が前提とされるがゆえに、ナショナルなステレオタイプに基づいて言説が多く生産され、それらがあまりに自明なものとして人々の日常生活に溶け込んでいる。そのため、人々はこうしたスポーツ報道に頻繁に触れることで自らを日本人であると自然に自覚し、同じネイションの成員たる日本人に対する愛着を自然と刷り込まれているのではないか。それが本書の基本的な見立て。「これぞ「日本人らしさ」である」と規範的に意味づける全体論的言説を「「日本人らしさ」言説」と呼び、日本のスポーツ報道がその言説をどのように構築しているのかについて論究していく

 

第1部 本書が目指すもの

第1章     「ナショナリズムの言説」への着目

 1 ナショナリズムに関する基本的理解

「ネイション」の定義付けは難しい。ネイションは人間の集団を意味する

本書では、「ネイション」を、文化・言語・歴史などを共有するという想像を通じて結びついている集団としての側面と、ある空間的広がりを持った場所に共に居住し、その場所を統治する組織体によって正統・正当な住民と認められている集団としての側面を併せ持つ人間集団と理解する。「ナショナリズム」という言葉は、ごく簡単にネイションに対する肯定的な感情や運動と理解しておく

 2 ナショナリズム研究の展望

 3 スポーツ報道にみられる「ナショナリズムの言説」

本書の基本的な問題関心は、「何故人々は、赤の他人にも拘らず、同じネイションの成員に強い愛着を抱いてしまうのか」という疑問であり、本書の目的はスポーツ報道がそうした愛着が(を?)生み出しているのではないかという見通しを検証すること

日本のスポーツ報道を事例として、その中でどのように「ナショナリズムの言説」が生産されているかについて明らかにする。特に、「ネイションを単位として「これぞ「日本人らしさ」である」と規範的に意味づける全体論的言説」である「日本人らしさ」言説を取り扱う

 

第2章     プレースタイル言説にみられる「日本人らしさ」

 1 スポーツ報道にみられる「ナショナリズムの言説」

日本語圏のスポーツ報道に見られる「ナショナリズムの言説」では、プレースタイルをステレオタイプ化する表現に着目。「日本人は組織力に優れる」というステレオタイプが出来上がったが、それを「身体能力が劣る」という言説の裏返しとして捉えてきた

 2 先行研究の成果と限界

先行研究では、サッカー報道に事例が偏ってきたという嫌いがある

同時に、実証性の不足も指摘できる

 

第3章     分析課題と視角

 1 本書の課題

本書は、日本のスポーツ報道の中に、「ナショナリズムの言説」、すなわち「ネイションを単位として世界を区切り、その世界がいかに形作られるべきかについての見方を構築する言説」がどのように構築されているのかを実証的に明らかにしようとする

プレースタイルに関する報道の中にこそ「ナショナリズムの言説」が最もよく表れるという見立てのもと、その実態を探る

 2 分析の視角

 3 本書が明らかにすること

競技横断的な視角から「日本人らしさ」の内容を明らかにする

 4 先行研究の視角との差異

 

第2部 スポーツ報道と「日本人らしさ」

第4章     新聞にみられる「日本人らしさ」言説

 1 第2部の課題

 2 分析の方法――全国紙3紙のみを対象とする

 3 「日本人らしさ」言説の全体像

競技別では、サッカーが全体の4割以上と突出、次いでラグビー、野球が10%強

時系列的には、サッカーW杯とオリンピックが開催される偶数年に多く現れる。特に2006年以降顕著。2014年がピークで、近年は減少

 4 「日本人らしさ」のカテゴリ化

63のカテゴリーが生成され、第5章に記載の通り、大きく3つのカテゴリに分類

 

第5章     「日本人らしさ」の内容

 1 個人の性格・内面――礼儀、粘り強さ、勤勉さ、協調性など

 2 個人の動き・技術――スピード、機動力、技能など

 3 チームの動き・技術――守備力、速い展開、組織力など

 4 「日本人らしい」プレースタイルとは何なのか

以上を総括すれば、「日本人らしい」プレースタイルとは、「礼儀や勤勉さといった人間性を大事にして、何事も一所懸命に取り組む姿勢によって手に入れた優れた技術を武器に戦うこと、特にチーム競技ではそうした特徴に加えて、守備を固めたうえで、速く、俊敏に、長く走り、チーム一丸となって相手に立ち向かっていくこと」とまとめることが出来る

 

第2部の小括

「日本人らしさ」を論評する記事は、2000年代半ばから増加。直接のきっかけは、サッカーの日本代表監督になったオシムが「日本サッカーの日本化」を掲げたことだが、オシム退任後も「日本人らしさ」は高い頻度で論じられ続け、さらには競技横断的に拡散

同時に、「組織力」優位言説と「身体能力」劣位言説が競技横断的に見られた

 

第3部 サッカー報道と「日本人らしさ」

第6章     サッカー専門誌にみられる「日本人らしさ」言説

 1 第3部の課題

 2 分析の方法

 3 カテゴリ化の方法

 4 プレースタイル言説の全体像

 

第7章     「日本人らしさ」の内容とその変化

 1 論評のフレームワーク

 2 時期区分

 3 各時期の言説内容

 4 「日本人らしさ」の変化

サッカー専門誌に見られる「日本人らしさ」言説の変化

第1期     「個人戦術」が特徴

1980年代には、プレースタイルを論評するフレームワークが定まらず

1992年~ オフト監督期での国際大会での好成績から「個人戦術」が重視される

第2期     「集団戦術」が特徴

1996年、加茂監督でアジアカップを制し、「組織力」「集団戦術」が注目

第3期     焦点がぼけて混乱

1998W杯での不振から、選手の個人的資質や身体的特質の不足が指摘される

第4期     「集団戦術」が特徴

2000年のアジアカップ優勝でトルシェの下での集団的特質が重視され、特に集団戦術での守備力が注目

第5期     「闘争心」や「粘り強さ」、「チームワーク」が特徴

2004年、ジーコの下でのアジアカップ優勝以降、「チームワーク」を重視、それを可能にしているのが日本人選手の強みである「闘争心」や「粘り強さ」と見做されるようになる

第6期     「俊敏性」や「運動量」、「パスワーク」が特徴

20062014年の間は、「日本人の個人的特質と「俊敏性」や「運動量」をベースとし、「チームワーク」によってそれらを組み合わせた結果可能となる「パスワーク」こそが特徴」という論評が支配的となり、8年もの長期に渡って一貫していた

 

第8章     日本人は「組織力」に優れ、「身体能力」に劣るのか

 1 「組織力」優位言説の妥当性

 2 「組織力」言説で肯定される特質の変化

 3 「組織力」の意味内容の変化

 4 「身体能力」劣位言説の妥当性

 5 「身体能力」言説で否定される特質の変化

 

第3部の小括

7章では、プレースタイル言説全体の推移を検討。6期に分類される

8章では、こうしたプレースタイル言説と、先行研究が指摘してきた「組織力」優位言説と「身体能力」劣位言説の妥当性を吟味

「組織力」言説については、14期は「集団戦術」を土台にした「集団での守備」が重視されたが、5期になると「チームワーク」が台頭、6期には「チームワーク」に支えられた「パスワーク」が重視され、「組織力」という言葉も、当初は「攻守の方法としての組織」の語法が多かったが、5期以降は「団結力としての組織」のように、「組織力」をチームではなく選手個々人なり、ひいては日本人全般の中に見出すような語法に変化

「身体能力」言説については、「身体の強さ」に関しては一貫して否定的評価が高いが、「俊敏性」「運動量」に関しては、特に6期で強く肯定され、ナショナルなプライドにさえなった

以上より、第5期にパラダイムシフトが起こり、選手の個人的特質の肯定的評価が台頭したことが分かる

 

第4部 サッカー報道と「他者」のナショナルなステレオタイプ

第9章     サッカー専門誌にみられる他ネイションのステレオタイプ言説

 1 第4部の課題

 2 分析の方法――『サッカーマガジン』(19802014)を対象とする

 3 他ネイションのステレオタイプの全体像

強豪国や日本との対戦が多い国程出現数が多く、ステレオタイプ化している

 

第10章「他者」のステレオタイプ

 1 ステレオタイプの四つのパターン

   堅守速攻パターン――イタリア、ウルグアイ、UAE

   高い技術力を基盤にした「攻撃力」に特徴づけられるパターン――ブラジル、アルゼンチン、メキシコ、オランダ

   「精神力」を土台にした「身体能力」が強みとされるパターン――イングランド、ドイツ、韓国

   「身体能力」パターン――アフリカ諸国

 2 「文明=知性」対「野蛮=身体」の二項対立

 

第11章「我々」と「他者」の関係性

 1 ステレオタイプの四つのパターンと「我々」

 2 「文明=知性/野蛮=身体」の二項対立と「我々」

 

第4部の小括

二項対立は正確には、「ヨーロッパ=文明=知性」vs「周縁国=野蛮=身体」であり、基本的に自らを「文明=知性」の側に位置づけようとしてきたが、具体的な意味内容はパラダイムシフトの前後で異なり、前期では「文明=知性」の側が目指すべき「理想像」と定位され、正のイメージのオクシデンタリズムの傾向を有していたが、後期ではかつての「理想像」だった諸国に負けない「組織力」を発揮することが出来るという理解がなされていた

 

第5部 本書のまとめ

終 章 変容する「日本人らしい」プレースタイル像

 1 「日本人らしさ」の内容とその変容

本書では、「日本人は勤勉である」のような「ネイションを単位として世界を区切り、その世界がいかに形作られるべきかについての見方」という意味での「ナショナリズムの言説」について考察するために、日本のスポーツ報道を分析。その中でも特に、日本人のプレースタイル言説に見られる「日本人らしさ」に着目

特にサッカーに関して「日本人らしさ」に言及する記事の割合が高かった

それを時系列で吟味すると、「日本人らしさ」を論じる記事に変化が見られる

さらに、「他者」のステレオタイプを踏まえながら、日本人のプレースタイル言説を見ると、前向きで強固なステレオタイプが形成され、「日本人らしさ」を論じる際に、「スポーツ国民性言説」の形式をとるケースが多く見られた

 

2 言説空間の変容はなぜ起こったのか

前期パラダイムでのプレースタイル言説では、戦後日本社会で広く信じられてきた集団主義的「日本人論」が投影されたもので、日本人が持つとされる否定的な特質を集団によって埋め合わせるといった認識での論評が多かったが、2006年以降の後期パラダイムでは、特にオシムの「日本サッカーの日本化」提唱以降、日本人が全体論的に持つとされる特質を肯定的に評価するという志向性が見られるようになった

3 先行研究の妥当性の検証

 4 結論

「日本人らしさ」言説は、かなりの分量で存在

具体的に「日本人らしさ」として論じられてきたのは、2000年代半ばまでは、「身体的特質には劣るが、集団戦術によって補う」という内容だったが、半ば以降は、「身体的に劣る分を「俊敏性」と「運動量」で補い、向上した個人的特質を「チームワーク」で組み合わせて、「パスワーク」を持って戦うことが得意」という内容に変化

近年の「身体能力」も「組織力」も日本人固有の優れた特質であると評価するプレースタイル像は、競技横断的なものであり、さらにはスポーツの文脈を超え、日本人というネイションを全体論的に意味づけるものでもある

5 本書の意義

    学術的な意義――既存のスポーツ社会学領域でのナショナリズム研究への貢献

    実践的な意義――ステレオタイプ化された言説に晒された選手やファンなどを救い出せる可能性

 

あとがき

筆者は、本書を世に出すためにスポーツ社会学の研究者になった

 

 

 

青弓社 ホームページ

同じ国や地域に住む人々に対する強い共感や感情移入を指すナショナリズムは、政治・経済・文化の様々な領域で展開していて、国際情勢にも影響力が大きい。特にスポーツはナショナリズムと結び付きやすいが、具体的にサッカー報道でナショナリズムはどのように語られ、それは何を引き起こしているのか。

ナショナリズム研究の視座を踏まえたうえで、本書ではプレースタイルとしての「日本人らしさ」言説に着目する。1980年代以降の新聞と専門誌のサッカー報道を丁寧に渉猟して、身体能力や組織力、俊敏性、パスワークなど、サッカー報道での「日本人らしさ」をめぐる言説の変容を明らかにする。

それまでネガティブに意味づけられていたサッカーにおける「日本人らしさ」をめぐる言説が、2000年代半ばにポジティブな方向に転換して、それがほかの競技報道にも多大な影響を及ぼしたことを析出する。同時に、諸外国のナショナル・チームのプレースタイルに対するステレオタイプを分類し、日本代表チームが目指すべき「理想像」が変化していったことも明らかにする。

サッカー報道の分析を通じて、ナショナリズムが私たちの日常に織り込まれるようになったプロセスをも究明するスポーツ社会学の新たな地平。

 

 

 

「日本人らしい」プレーとは サッカー報道とナショナリズムを考える

2026620 1200分 朝日新聞 『W杯を語ろう』

構成・藤野隆晃 スポーツ部

W杯を語ろう 明治大専任准教授の笹生心太さん

 サッカーワールドカップ(W杯)は世界中で熱狂を生み出すが、そこにナショナリズムの影響を指摘する見方もある。

 どのような「語り」が、その国らしさを形づくるのか。サッカー専門誌などを読み込んで研究した、明治大の笹生心太専任准教授(スポーツ社会学)に聞いた。

家への帰り方、忘れるほど

 W杯で、私たちはなぜ直接の知り合いというわけではなく、同じ国民というだけで共感し、熱心に応援するのか。私自身、1998年のフランス大会前ごろから、熱狂的に日本代表を応援し始めました。アジア最終予選のアラブ首長国連邦(UAE)戦で引き分けた後は、どうやって家に帰ったか記憶が残っていないほどで(笑)。

 その後、東大の吉野耕作先生の講義に出会いました。「日本人論」などのナショナリズムがどのように消費されているのか、といった研究をされていました。授業の一環で、日常生活でナショナリズムを感じる場所はどこだろう、とグループで調査しました。

 私はサッカーが好きだったので、パブリックビューイングの会場に行ったり、サポーターグループの人に話を聞いたり。それ以来、探求するものとしてナショナリズムと接するようになりました。

 今回、ナショナリズムが日々の中で無意識にすり込まれていく過程を、スポーツ報道を通じて分析しようと考えました。

 具体的には「日本人らしい」とされるプレーについて、どのように語られてきたのかを分析しました。専門誌サッカーマガジンを81年から2014年のものまで読み込みました。

「組織力」の意味、時代で変化

 先行研究では、日本のスポーツ報道は「日本人は組織力に優れる」というステレオタイプを生んでいるとの指摘があります。一方、専門誌では「組織力」という表現が使われ続けているのですが、それが意味するものは時代によって変わっていました。

ここから続き

 02年の日韓大会くらいまでは、自分たちの技術や体の強さが足りていないという点を組織で守る。短所を隠すための戦術を指すものとして使われていました。

 それが、06年にイビチャ・オシム監督が就任した頃から変わります。日本人は俊敏で運動量があるとした上で、チームのために団結して行動できるという面が強調されました。

 「組織力」は消極的な意味での肯定から、日本人固有の優れた特質という語りへと変化していった。ナショナルプライド(国としての誇り)が色濃くあらわれるようになったわけです。

 ナショナリズムを分析の対象としている私ですが、こうした「日本人らしさ」にあわせて感動することもあります。

 10年の南アフリカ大会のカメルーン戦がそうでした。1―0で勝ったのですが、FW大久保嘉人とMF松井大輔がサイドを走り続けたことが大きかった。その献身的な姿に感動した自分も、「日本人らしさ」に乗せられているところがあるなぁ、と思うんですけどね。

 我々人間は、都合良く物事を見てしまう。ナショナリズムの色眼鏡をかけていると、「らしさ」を欠くような選手の良さを見落としてしまうという課題があると思います。

 「日本人らしくないと日本代表じゃない」といった観点は、排外的な見方につながりかねません。最近、日本社会で排外的な風潮がみられます。スポーツ報道の「日本人らしさ」の言説が全ての元凶というわけではないですが、一翼を担っている側面もあります。

 ナショナリズムとスポーツの関係性について知ると、異なる角度からサッカーの熱狂を楽しめるようになると思います。

     

 ささお・しんた 1981年生まれ。一橋大大学院社会学研究科などを経て、明治大専任准教授。スポーツ社会学が専門で、著書に「『復興五輪』とはなんだったのか 被災地から問い直す」など。新著は「サッカー報道とナショナリズム 『日本人らしい』プレーとは何か」。

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