スヌーピーがいたアメリカ  Blake Scott Ball  2023.12.6.

 2023.12.6. スヌーピーがいたアメリカ――『ピーナッツ』で読みとく現代史

Charlie Brown’s America: The Popular Politics of Peanuts  2021

 

著者 Blake Scott Ball 中西部生まれ。ハンティンドン大歴史学科助教。本書の元となった”Charlie Brown’s America: Peanuts and the Politics of Wishy-Washy, 1950-1980”にてアラバマ大より博士号(歴史学)

 

訳者 今井亮一 立正大文学部特任講師。博士(文学、東大)。共著に『スヌーピーのひみつ A to Z』。著書に『路地と世界――世界文学論から読む中上健次』

 

発行日           2023.8.10. 初版第1刷発行

発行所           慶應義塾大学出版会

 

 

カバー表紙折り返し

20世紀を代表するキャラクターの1つ、「スヌーピー」を生み出した漫画『ピーナッツ』。無邪気でかわいらしい登場人物たちとは対照的に、そこに込められていたのは冷戦期のアメリカ社会が直面する現実に対する極めて政治的なメッセージだった――

半世紀にわたって連載されたコミックはもちろん、各種世論調査や新聞・雑誌記事、キャラクターが利用された広告・パンフレット、さらには作者シュルツに寄せられたファンレターに至るまで精緻に分析。ピーナッツ・ギャングの目を通して見るもう1つの戦後アメリカ史

 

謝辞

シュルツの作品は他とは違った。スヌーピーはいつも楽しませてくれたが、何かが違った

常に笑えるわけではなかった。腹が立つほど決断力がないことがあり、子供を混乱させる

 

序章

チャーリー・ブラウンは立場を決めるときひどく悩む。これぞこのキャラクターのいつものユーモア。1965年大晦日にこの性格との決別を決意するが、ルーシーに粉砕され、優柔不断はそれからもずっと続く

優柔不断こそシュルツのイデオロギー。冷戦期アメリカの政治文化における幅広い中間層の間で、右へ左へ変身を遂げた。読者にロールシャッハテストのように機能する場面を描くのが巧み

ロールシャッハテストとは、被験者にインクのしみを見せて何を想像するかを述べてもらい、その言語表現を分析することによって被験者の思考過程やその障害を推定するものである。スイス精神科ヘルマン・ロールシャッハによって1921に考案された

全米で50年続いた配信が終わりを迎え、シュルツの引退宣言をアメリカ国民が嘆き、彼の遺産を解釈しようという段になっても、ジャーナリストたちは相変わらず、『ピーナッツ』はほとんど非政治的だという見解を披露し続けた。彼個人としては保守派で、自分のことを何にもましてビジネスマンだといつも考えていて、論争含みの政治的話題について態度を表明することは、漫画が多くの人々への訴求力を失うことになると考えていた

しかし、シュルツは、議論を呼ぶ問題を、漫画・テレビアニメ・映画で繰り返し取り上げていた。シュルツの元に届いた膨大な数のファンレターを読むと、『ピーナッツ』をその読者たちがどう捉え、冷戦下の世界といかに関連付けていたかが明らかになる。新聞紙上やテレビ画面を遥かに超えて、『ピーナッツ』が文化の中で命を宿すありようが見える。多くの場合『ピーナッツ』のキャラクターたちは、アメリカの夢、希望、恐怖、不安を内に蓄え、それらを表現する存在となっていった

示唆に富むのは、正反対の意見を持つ人々が全く逆の理由から同じコミックを愛するという現象が何度も起きていることで、シュルツは、様々な考えを持つ人々が集まって議論できる場所を設けた

『ピーナッツ』は、コミックストリップ(短い漫画形式)という表現形式で最高に成功した例。この形式は1890年代の広告という雑然とした絵の世界から発展、急速な都市化と工業化が進んだ19世紀のアメリカで、コミックストリップと絵入りの広告は、多文化・多言語の坩堝たる都市での生活に欠かすことの出来ない視覚的ガイドだった。コミックのキャラクターたちが、新聞の漫画欄と大衆広告の両方で踊り、見覚えのある文化的シンボルを認めると、慎重な消費者が新製品を試すきっかけとなることも多かった

アメリカでコミックストリップが成功するには、「多様性」と呼ぶ特徴が不可欠で、同じキャラクターや場面が多様な人々に読まれ、どれも理に適った様々な読みが生まれる

シュルツが作り出した漫画の世界は見事に多義的で、コミックストリップ史上最多の読者の関心を惹き、人気絶頂期にはアメリカ人の2人に1人が日々読んでいたし、類を見ないほど新聞の販売数に貢献。70年代には『ピーナッツ』の使用許可権が数百万ドルに達し、ディズニーの次にどこでも目にする存在となった。2019年『フォーブス』誌による、物故著名人の収入ランキングでシュルツは、マイケル・ジャクソン、プレスリーに次ぐ第3

一切をアシスタントに外部委託しなかったのも異色

成功の核にあったのは、様々な解釈の余地を生み出す、両義性とアレゴリー(間接的に示唆するやり方)の巧みな使用にあり、作者が意図して作った曖昧さは、シュルツが宗教的・哲学的問題を扱うときに多く用いた手法(詳細は第3)

本書の章立ては時系列順になっている。それぞれの章は、各年代の『ピーナッツ』の特徴を方向づけた重要なテーマを1つ選び、スポットライトを当てる

1章は、シュルツその人について紹介。評伝仕立て

2章は、『ピーナッツ』の起源としての冷戦。実存主義のカルト的なヒーローのようになる。大ヒットとなったのがライナスの安心毛布。ホワイトハウスでも一目置かれる存在に

3章は、『ピーナッツ』の宗教的コメントについて検討。20世紀半ばの信仰復興は、50年代を覆った核の不安に端を発し、中流階級の人々の抱く社会不安により燃え上がり、『ピーナッツ』がアメリカ大衆文化の中で福音派キリスト教を守る唯一の砦と見做された

4章は、人種統合の展開を物語る。1968年コミックストリップとしては初の黒人キャラクターを登場させ、シュルツも消極的ながら改革者となり、試行錯誤が何年も続く

5章は、ベトナム戦争に対するシュルツのコメント。多くのアメリカ人が感じていた深刻な不安を代弁し、兵士へのサポートは続けたいと思う一方、戦争を忌み嫌った

6章は、連邦政府の役割への幻滅。環境保護や妊娠中絶権といった問題への政府権力の拡大に対し隠微に非難、自由市場資本主義があからさまに強調された。1980年の大統領選でもレーガンに利用され、アメリカ政治の右傾化と、隠微だが確実に繋がっている

7章は、フェミニズム、セクシャリティ、ジェンダーアイデンティティに注目。『ピーナッツ』は男女の戦いの場であり続けた

エピローグでは、今日に残る『ピーナッツ』の遺産も検討。2001ABCがテレビスペシャルの放映権を買い取り、2010年代には60年代70年代以来の最高視聴率を記録。2015年には20世紀フォックスが『ピーナッツ』の長編映画を公開し、商業的にも批評的にも大成功、アメリカのメディアの注目を集める。前代未聞の下品な大統領選キャンペーンの最中、もっと心優しい「優柔不断」な中間を求める一部のアメリカ人たちの声を代弁していた

シュルツが生み出したのは、元々は冷戦期アメリカの不安を表現していたアートの一大帝国だったが、過去の時代と分かち難く結びついた作品群を現在に伝えている

 

第1章        きみはいいひと、チャールズ・シュルツ――アメリカンオリジナルの形成

アメリカの漫画は、作者の引退後や没後、別の作者に変えて連載が続けられる場合も多いが、『ピーナッツ』はシュルツ以外の誰かに引き継ぐことはないと明言された

引退の6週間後、結腸癌の合併症で死去すると、その喪失は永遠のものとなった

1922年生まれのシュルツは、大恐慌下で成長。ミネソタの野球少年。ゴルフにも熱中したが、絵を描くことには及ばない。漫画の通信教育を受講し自信をつける

1942年召集、母死去。出征は45年で、解放されたノルマンディに派兵

戦後は、カトリックの漫画雑誌の仕事に就く。アートスクールの講師をしながら、子ども主人公の漫画に特化し、47年地方紙に連載の機会を得る

1950年から全米への配信に向けて売り込みを開始、ニューヨークの配信会社が興味を示し、1コマもの(パネル)ではなく続きマンガ(コミックストリップ)に切り替え、5年契約獲得に成功。著作権を持つ配信会社の指示で、題名は『ピーナッツ』とされたことに屈辱を感じ、生涯許すことが出来なかったという。配信会社による売込みの一番のセールスポイントは、紙面上のあらゆる隙間や余白に合わせ、いかに様々な方法で4コマの配置をいじったりサイズを変えたりできるかを示そうとしていたように、『ピーナッツ』の目的の1丁目1番地とは、編集者を喜ばせ、新聞を売るということにあった

 

第2章        未来が怖い――『ピーナッツ』の起源としての冷戦

チャーリー・ブラウンの新作コミックストリップがデンヴァー・ポスト紙の1面に初めて登場したのは195010月、国連軍が朝鮮半島で38度線を越えたニュースと同じ日

アメリカ国民が気付いた冷戦期の恐怖と不安を、恐れることなく表明したシュルツの『ピーナッツ』は、他の追随を許さぬ早さで人気を獲得していく。アクションマンガの男権主義(マチスモ)を避けつつ、『ブロンディ』のような現実逃避の単純さに陥ることなく、現実の生活の問題を前にして感じる無力さにこそ則っていた

『ピーナッツ』を掲載した7紙は、複数のコミックストリップが満載で、アクションや冒険、ドラマなどが主、特にアクションマンガは描写が密で黒が濃かった中にあって『ピーナッツ』だけは似ても似つかず、最低限で現代的な線と開けた空間が目立った。題材が子供で、郊外に住む中流階級の生まれ、学校でもしっかり活動している点もユニーク

1954年、シュルツはライナス・ヴァン・ベルトの安心毛布(セキュリティ・ブランケット)を登場させたが、元々は第2次大戦中、軍によるヨーロッパでの部隊移動の秘匿を指していたが、戦後は核研究に関する政府と軍の秘匿を指すようになり、アメリカの内外で確実に冷戦を仄めかすようになった

1950年代初めの新聞・雑誌は、アメリカ国内で原爆が爆発する可能性を検討した特集で溢れていた。そんな中でシュルツの作品も、恐怖と楽観の繊細なバランスで描かれている

全米に配信されるコミックストリップ作家になって10年も経たないうちに、全米漫画家協会の「今年の漫画家」を受賞。1955年には最初の大きな広告契約をイーストマン・コダックと締結。次いでフォード社初のコンパクトカーのマスコットに採用され、『ピーナッツ』が漫画を飛び出てアニメへと発展していく中で欠かせない存在となる

 

第3章        チャーリー・ブラウンに祝福あれ――『ピーナッツ』と福音派カウンターカルチャー

1965年、コカ・コーラ社が初めて『ピーナッツ』を使い、キリスト教を明確に核に据えたテレビ番組として、福音派(プロテスタント、宗教右派)の熱い支持を得る

5060年代初頭にかけてのシュルツは、自らの深いキリスト教信仰を描き出すと同時に、非宗教的な読者・編集者の気持ちは害さないというバランスをとろうと奮闘。教会に所属している人口が69%という高みにあったこの時代、全米で一番人気の新コミックストリップでさえ、キリスト教を大っぴらにテーマにすると打ち切りの危険があったとは驚き

1960年代のシュルツは、両義性、著作権、宗教的キャラクターを武器としたことで、自身のメッセージをコントロールし、宗教という危険水域を航海できた

2次大戦からの帰還後、シュルツにとって宗教が人生における新たな重要性を帯び、「宗教の根本信条をキャリアに取り込んだ」作家になった。大衆作家としての自身の道徳的役割を真剣に捉え、「聖なる生活」を信じ、自らの信念が作品に映し出されることを望んでいた

1957年、マディソン・スクエア・ガーデンの大観衆の前に立つビリー・グラハムを見て心奪われ、神を愛する自らの暮らしについて考えを深め、『ピーナッツ』で宗教を扱うことにも大胆になっていった。多くはルーシーの弟ライナスを通してメッセージを伝える

1962,3年に連邦最高裁は、公立学校での祈りの強制を禁じる判決を出し、全米に衝撃が走るが、シュルツは「周囲に聞こえないように、学校でお祈りしたことを告白する」11コマの漫画を掲載、賛否両論を引き起こすが、圧倒的多数が学校での祈りを支持していた

シュルツは漫画の意図を語っていないが、その信念は、「人々を救いうる福音の力に私達の信仰はある」とし、「祈りとは個人的で私的な行為」だとする

1965年、シュルツに2つの転機――1つは『タイム』誌の表紙となり『ピーナッツ』が特集され、「漫画によるコメント」の隆盛を強調、漫画の「新しいスタイル」を体現する、アメリカのアイコンへと変身。もう1つは、シカゴ大の神学博士による『『ピーナッツ』による福音書』の発刊で、ノンフィクション部門の1位となる。聖なるものへの帰依が目に見えて衰退している時代における、ひっそり巧みにキリスト教的な作品として注目に値する

この2つが導線となって大手広告会社から、CBSの《チャーリー・ブラウンのクリスマス》という番組に発展、クリスマスの本当の意味を伝えた番組はその晩の視聴率2位を獲得

この番組の大きなメッセージが、宗教ではなく反物質主義だったのは非常に重要で、ベトナム戦争やワッツ暴動(ロス)等懸念すべき多くの出来事に対する待望の気晴らしとなった

テレビを通じてメッセージの届く範囲を広げようとしたシュルツは、より一般的で大きな話題である、戦後の物質主義や低俗な大衆文化への批判の中にメッセージを包み込む。キリスト教のメッセージや聖書絡みのテクストを積極的に文化空間に組み入れたことで、シュルツは、本人が賛同していたかどうかとは無関係に、文化空間の世俗化にひどく心乱されていたアメリカの福音派の人々にとって、文化におけるヒーローとなった

 

第4章        クロスハッチ・イズ・ビューティフル――フランクリンに見る肌の色は無関係(カラー・ブラインドネス)と、人種統合の限界

全米に配信される新聞漫画の人種の壁を破った初のアフリカ系アメリカ人キャラクター・フランクリンの物語は、1960,70年代のメインストリームにおいて、黒人の権利のための闘争に賛意を示しつつ、大衆文化を牛耳る白人のコントロールをいかに維持するかという苦闘の物語――シュルツは生涯人種平等への支持を表明し続けたが、自らのプラットフォームをどう使って公民権運動を支援するのが最善か苦闘、限界も明らかに

1954年のブラウン対教育委員会訴訟判決後は、人種統合という問題がアメリカ人の意識に真っ先に浮かぶようになる

シュルツが最初に人種的多様性を加えたのは1967年だが、半分メキシコ人のピーターソンが登場するのは3回だけ、当時の他の漫画と同様、あくまで郊外に住む中流階級の白人の子供の物語の原則は崩さず

1968年のキング牧師暗殺を機に高まった人種統合への動きにしても、時間とともにそのスピードに懸念を示す声が拡散、漫画家たちもまだニグロをカリカチュアにはできない、メインストリームのユーモアの一部にするのは、黒人が「十分アメリカの一員になって笑い者に出来る」ようになってからの話と考えていた

1968年、ロシア系ユダヤ人でカリフォルニア「郊外に住む母親で憂慮する市民」からの後押しもあって、『ピーナッツ』に新キャラクターのフランクリンが登場。チャーリー・ブラウンは完璧にカラーブラインド(肌の色は無関係)に振舞い、見事な成功を勝ち取る。1960年代より以後のアメリカ政治の右傾化においても、カラーブラインドネスが中核にある

黒人で初の全国紙の漫画家になったオークランド出身で『ウィー・パルズ』の作者モリー・ターナーとシュルツとは親友

初めて登場したフランクリンは、ハッチングというペンで影を付ける技術で色を塗られて、いつも通り百合のように白いチャーリー・ブラウンとビーチに並んで立って一緒に遊び始める――子を持つ少なからぬ白人は私立学校を創立、海岸沿いの裕福なコミュニティの多くが公共のビーチを私有化したり、制限を設けることで自分たちのコントロールを強化しようと動いていた。さらにはこの時期公民権に関する懸念が新聞・雑誌の見出しを席巻していたし、キング牧師が組織化に取り組んでいた「貧者の行進」が実施されていた

まだ地域によっては学校の人種統合がセンシティヴな話題だった69年、早くもフランクリンが人種統合されたクラスメートとして登場、普段の日常のように描かれている

シュルツは、積極的にフランクリンをポジティヴなキャラクターとして創造、従来のステレオタイプのネガティヴな黒人像を一掃し、白人読者が抱く「理想」の黒人の子供という期待から決して逸脱しなかった。74年には、NHLを目指して励むフランクリンに対し、白人の女の子が、「NHLには何人の黒人選手がいるの」と尋ね、フランクリンは赤面して絶句

「女の子が人種差別主義者」との批判もあり、その後はフランクリンの登場が漸減

 

第5章        スヌーピーはベトナムのヒーロー ――ベトナム戦争への心理的葛藤と共感

1968年、南ベトナムの米陸軍の慰問の舞台に「スヌーピーはベトナムのヒーロー」の横断幕が掲げられ、米軍の中にはスヌーピーが至る所に出没していた

ニクソンは、「心掻き乱されしアメリカ人たち」をぼんやり戦争を支持する「サイレント・マジョリティ」とし、多くのアメリカ人が戦争に対して感じていた様々な葛藤を一枚岩にして覆い隠したが、シュルツは人々の疑念と葛藤を迎え入れ、そして読者に愛された

漫画も、主要メディアと同様、戦争が醜さを増していったにも拘らず、冷戦下のベトナムにおけるアメリカの意図の正しさを問うようなことはしなかったが、75年のサイゴン陥落以降、スヌーピーは兵士たちの窮状に共感を深め、戦争の目的を問うようになった

シュルツはコミックストリップで、比喩とあえて曖昧にする技術を用いて、戦争、徴兵、反戦抗議さえ取上げたが、激しい反論はほとんど起こらなかった

 

第6章        エネルギーの節約はいいことだ――『ピーナッツ』における自然と環境倫理

1951年には早くも、チャーリー・ブラウンがごみ箱を買ったが、包装紙の処理に困るストリップを掲載。シュルツは、持ち前の隠微なユーモアを使って、資本主義社会下の物質主義に対する不満をぶちまけ、豊かさがもたらす帰結を指摘。シュルツのユーモアは、戦後のアメリカ社会で消費者が手にする商品は使い捨てであることを強調し、その背後にある理屈を疑問視する。このストリップが暴露するのは、ゴミ防止運動のリーダーたちが認めたくなかった真実で、運動の矛盾を鋭く突いている

シュルツとそのキャラクターたちは、70年代末と80年代においては、脱中央集権と規制撤廃を掲げる文化のための舞台設営に力を貸す

50年代末に核兵器の開発・使用への社会の批判が高まり、環境危機への不安が高まると、シュルツは環境保護運動を主導する声を支持、レイチェル・カーソンをルーシーのヒロインとして取り上げ、彼女の仕事に大きな敬意を払う

人口問題に就いても、59年にチャーリー・ブラウンに妹が出来て手放しで喜ぶのを見たルーシーに「人口過剰が深刻な問題だって思いつきもしないのね」と言わせているが、人口過剰とその地球資源への影響は多くのアメリカ国民を心配させた

 

第7章        「私にはヴィジョンがあるの、チャーリー・ブラウン」――女性運動の時代における『ピーナッツ』(性役割、妊娠中絶権、性教育)

ルーシーが意地悪なのは、弱い女の子が強い男の子に意地悪になれたら面白いというコミックストリップのよくあるパターンを踏襲したものだが、伝統的な性役割を破壊しつつ、架空の子供たちに過ぎない以上、脅威とはならなかった

シュルツの心の内は伝統主義者だが、生み出した女性キャラクターは、女性の役割をめぐる20世紀半ばの期待を押し広げていった。中絶権や性教育といった女性運動の問題にも足を踏み入れ、ジェンダーロールを支持したり、ジェンダー平等を支持したりと揺れる

『ピーナッツ』で女性が自分たちによる支配を宣言したのは、作品開始とほぼ同時

シュルツは何度も男性中心主義の不条理を指摘する一方で、少女に関する慣習的なステレオタイプも利用。勃興しつつあったフェミニズムも積極的に取り上げ、72年にはルーシーに「女性解放運動の勝利」を宣言させ、スポーツ万能の新しい女性キャラクターが登場

70年代初めには、中絶や出産制限に対するコメントとして読まれるようになり、シュルツは間違いなく中絶反対派

『ピーナッツ』で最も有名なフェミニズム関係のエピソードは、ビリー・ジーン・キングとシュルツとの友情から生まれた。1973年、賞金の男女格差を問題視したことをきっかけにキングが元チャンピオンのボビー・リッグズとの5セットマッチをストレートで勝利するが、シュルツは79年にそれを題材にして大学スポーツにおける構造的性差別問題を取り上げ、併せてタイトルナイン(公的高等教育機関での男女機会均等を定めた連邦法の修正法)PR。シュルツの漫画にしては珍しく、2週にわたって1つの問題を取り扱う

1986年、『タイム』誌の表紙に絵を寄稿するが、その見出しは「性教育」。「鳥と蜂(子供向けの性教育を指す熟語)のおはなし」の掲示を見るチャーリー・ブラウンたち。エイズの流行を受けて激化した公立学校での性教育をめぐる長年の論争に関する特集だった

シュルツの漫画の世界には、主要キャラクターとしてマイノリティの女性が登場しないが、それは象徴的にも、第2次大戦後の文化と一致。公民権運動でも、人種の平等がジェンダーの平等より重視。とはいえ『ピーナッツ』は、7080年代のアメリカでのジェンダーやセックスの問題を可視化させるという貢献を間違いなく果たした。不完全な代弁者ではあるが、彼女たちの夢が少しでも叶いやすい世界となるよう働きかけていた

 

エピローグ 帰っておいで、スヌーピー

シュルツは、以前からの友人レーガンに対し、第3党の候補者としてスヌーピーがホワイトハウスを目指しているとおちょくっていた。レーガンも1980年夏、「スヌーピーの政治的野心を知っていたら、私を副大統領候補にしてくれと説得していただろう」とシュルツに宛てた手紙に名言を残す。「閣僚として政権入りしてもらうのはどうか」と提案もしている。スヌーピー・ファンの方が共和党員の数より多いことを考えれば当然

1969年、アポロ10号は、月着陸船と司令船のコードネームに、スヌーピーとチャーリー・ブラウンを採用

高い認知度が、数々の使用権(ライセンス)へ形を変えていく。1983年、全米第3のテーマパーク「ナッツベリーファーム」と提携。85年に世界最大の保険会社メットライフと広告ライセンスを締結、30年にわたって2機の飛行船の脇腹に描かれたスヌーピーが全米の主要スポーツイベントを見下ろしていた。90年にはルーブル美術館が『ピーナッツ』40周年記念のスヌーピーを特集したポップアートの展示を行う

80年代にアメリカの政治文化の中心が、あけすけに論争を挑みかかる党派的な「文化戦争」へ舵を切り始めると、シュルツはアメリカ中間層という自らの立場を緩め始めた。ほんの数年前は進歩的・実存主義・中道左派と考えられていたのに、保守派、伝統主義、右傾化していると捉えることが増えてきた

そんな中、シュルツは『ピーナッツ』を、目に見えて政治色の濃い歴史の世界に投げ込む

1988年、教育色の濃い『ピーナッツ』番組の制作が始まり、歴史番組で初のテレビアニメシリーズ《これがアメリカだ、チャーリー・ブラウン》が生まれる。あからさまにキリスト教的な作品。正確な歴史の追求は、正史を巡る文化戦争の渦中に巻き込まれる

シュルツは、最晩年のインタビューに答えて、自らをリベラルといい、普通のリベラルなら辞退するはずのレーガンからの食事の招待に応じたのも彼が知事だったからという。「リベラル」という言葉を、親切とか寛大といった意味で使い、共和党支持を認め、アイゼンハワーやウェルデン・ウィルキー(地元インディアナ出身の元共和党大統領候補)、レーガンを尊敬。晩年保守化したことは間違いないが、かつてシュルツが大衆への訴求力を持っていたのと同じ理由、即ち「ちょっと優柔不断」なるが故に大衆への訴求力を失っていた

2016年、メットライフは時代が変わったと判断し、『ピーナッツ』との広告契約を打ち切るが、一方でテレビスペシャルの権利をCBSから買ったABCなどによってスヌーピー人気の復活の兆しもみられる。アメリカの政治文化に根強く残るのは、『ピーナッツ』の古典的テーマであり、21世紀においてもなお社会批評の頼みの綱となっている。『ピーナッツ』は、現代生活の政治学を表現するのに不可欠なメタファーとしてこれからも生き続けていくだろう

 

 

 

(書評)「スヌーピーがいたアメリカ 『ピーナッツ』で読みとく現代史」ブレイク・スコット・ボール〈著〉

202392 500分 朝日

「スヌーピーがいたアメリカ 『ピーナッツ』で読みとく現代史」

 黒人・女性解放、多様な議論招く

 スヌーピーやチャーリー・ブラウンは有名でも、彼らの登場する漫画『ピーナッツ』や作者のチャールズ・シュルツは、意外に深く研究されていない。しかし、1950年から半世紀にわたり新聞連載されたこの漫画には、冷戦期アメリカの中流社会を考えるヒントが詰まっている。本書はその意義をわかりやすく説いた秀逸な著作である。

 大人の出てこない『ピーナッツ』は非政治的な漫画に思える。しかし、シュルツは実際には「さまざまな考えを持つ人々が集まって議論できる場所を設けた」。彼は大衆文化で黒人が排除されていた60年代に、黒人の少年フランクリンをビーチに登場させ、第2波フェミニズムの拡大した70年代に、強気なルーシーを女性解放の支持者として描いた。その際、ステレオタイプにひねりを加え、多様な読み方を誘発したのだ。

 戦争との関わりも想像以上に深い。ライナスがもち歩くセキュリティ・ブランケット(安心毛布)は軍事用語でもあった。ベトナム戦争時に撃墜王に扮したスヌーピーには、戦場のアメリカ兵の苦境が重ねられた。フランクリンが「父はベトナムにいる」と言ったときには、黒人兵が最も死に近いことも暗示されていた。

 共和党のレーガンとも親しかったシュルツは、進歩派にも保守派にも染まるカメレオン的作家であり、そのため『ピーナッツ』は次第に時代遅れと見なされた。だが、この「優柔不断さ」こそが、党派を超えた多様な問いと議論を招き寄せたのだ。彼はこの態度を「リベラル」と呼んでいた。

 それにしても、すぐにうろたえ大騒ぎする今の大人と比べて、悩み内省しながら、問いかけを続ける『ピーナッツ』の子どもたちは、何と大人びていることか。そこには、柔らかな成熟のスタイルがある。「『ピーナッツ』は日ごとの安心毛布であり、アメリカの至宝だった」というバラク・オバマの言葉が心に沁みるのは、私だけではあるまい。

 評・福嶋亮大(批評家・立教大学准教授)

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 「スヌーピーがいたアメリカ 『ピーナッツ』で読みとく現代史」 ブレイク・スコット・ボール〈著〉 今井亮一訳 慶応義塾大学出版会 3960円 電子版あり

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 Blake Scott Ball 米ハンティンドン大歴史学科の教員。アラバマ大で博士号を取得。原著は2021年の出版。

 

 

Wikipedia

スヌーピー(: Snoopy)はアメリカ漫画家チャールズ・モンロー・シュルツ1950年から書き始めた漫画『ピーナッツ』に登場するオスビーグルであり、作品の主人公チャーリー・ブラウン少年の飼い犬。モデルとなったのは原作者のシュルツ氏が13歳のときに飼っていたビーグルとの雑種の犬であり、趣味は変装、スポーツ、小説の執筆など多岐にわたる。

生まれた場所はデイジーヒル子犬園で、8匹兄弟の1匹。誕生秘話を語るアニメ作品もある。漫画への初登場は、連載開始から2日後の1950104のことである。現在でこそ「かわいいキャラクター」として定着しているが、初期は完全な犬の姿をしていた。その後時代が進むに従って姿を変えていき、現在に至る。

世界的に知られるキャラクターであり、その愛らしい風貌から日本国内でも人気が高く、日本においては、スヌーピーという名前自体が漫画『ピーナッツ』を指す代名詞となっている。漫画の名前自体が「スヌーピー」であると勘違いするケースや、スヌーピーが主人公だと誤解されているケースも多々見受けられる。本当の主人公はチャーリー・ブラウンである。

キャラクター[編集]

概要[編集]

チャーリー・ブラウンの飼い犬である。お互いの絆は強いのだが、いつまでたってもチャーリーの名前を覚えず「丸頭の男の子(round-headed kid)」と呼んでいる。また、チャーリーに飼われ始めてからしばらくは自分がチャーリーの主人だと思っていた。

チャーリーがスヌーピーの飼い主となる前には、ライラという少女によって飼われていた。しかし、引っ越し先のマンションがペット禁止のため[注釈 1]飼えなくなってしまい、いったん生まれ故郷のデイジーヒル子犬園へと戻されていた。チャーリーがスヌーピーを飼うことになった経緯は漫画『ピーナッツ』によると以下の通りである。あるとき幼いチャーリーが砂場で遊んでいると、隣にいた見知らぬ子供に頭からバケツいっぱいの砂を浴びせかけられた。彼は泣き出し、母親が慌てて家へと連れ帰った。翌日チャーリーの両親は彼を車でデイジーヒル子犬園へと連れてゆき1匹の仔犬を買い与えた、というものである。

アニメ版では、両親が仕事で忙しく、学校から家に帰っても妹のサリーしかいないという状況にとても寂しくなってしまったチャーリーは「家に帰ったら必ず自分を出迎えてくれる犬が欲しい」と思っていた。同時期にライラがスヌーピーを子犬園へ戻し、園長が再び子犬を特売するという新聞記事を掲載した。その新聞記事をチャーリーが発見し、ライナスと一緒に5ドルで引きとったことになっている。

原作漫画ではスヌーピーが8108282回の誕生日を迎えているため[注釈 2]、どちらが公式の誕生日なのかはっきりしなかった。後に201161付のソニー・クリエイティブプロダクツ発行のプレスリリース及び同年74付の日本のスヌーピー公式サイト(下記リンクを参照のこと)発行のメールマガジン111号にて、誕生日は810日とする公式見解を発表した。これに伴い、同サイトでは、スヌーピーのバースデー特設サイトをオープンさせた。また、2015年に日本記念日協会に「スヌーピーの日」と認定された。

性格・特徴[編集]

ナルシストでもあり、「水皿の水にぼくのかおがうつっている。ぼくはのどが渇いているけど、この水をのみほせばぼくのかおは見られなくなる。ならぼくを見ているほうがいいや」といった発言もある。束縛を嫌い、自由と孤独を愛する。

食べ物の好みについては、ドッグフードはもちろんのこと、チョコチップクッキーやピザ、アイスクリーム、ルートビアなども好物として挙げられる。コーラも飲んでいるらしく、段ボール2箱以上ビンがたまっている。しかし、大好物である筈のチョコチップクッキーや、アーモンドクッキーのような「食べ物が中に入っている食べ物」は嫌いだと言っていたこともあった。彼は犬歯をはじめとした犬の歯並びをしておらず、人間と同じ歯並びをしているのが、「いたずらスヌーピー」の作中でにんまり笑った際に確認できる(かなりキレイな歯並びをしている)。

ウッドストックが大親友であり、彼の言葉を理解できるキャラクターである。他にウッドストックの言葉を理解できるキャラクターは兄弟のスパイクなどいるが、ウッドストックの仲間たちとコミュニケーションや区別ができるのはスヌーピーだけである。スヌーピーのお腹の上で寝たり、アイスホッケーで遊ぶなど仲良しコンビである。母の日にはいっしょに空を眺めそれぞれの母親を想ったりする。 猟犬であるにもかかわらずウサギが大好きであり、弁護士の変装をしてピーターラビットと思われるウサギの弁護を行ったり、ウサギ達もスヌーピーが病院に入院すると見舞いに行くほどである。

苦手なものは隣に住む(名前はWW2、すなわち「第二次世界大戦」。シュルツは第二次世界大戦に従軍している)やココナッツ(作者自身が苦手だった。スヌーピーに限らず、『ピーナッツ』の登場人物の多くがココナッツを嫌う描写がある)、ビーツなど。フリーダの飼い猫・ファーロンとも仲が悪い。閉所恐怖症なので犬小屋の屋根の上で眠る。作者いわく、眠っていても屋根から落ちないのは「渡り鳥の足と同じで、耳の筋肉が収縮して屋根につかまって落ちないようにしているから」らしい。

視力が悪く普段はコンタクトレンズを着けている。後悔していることは髭を生やさなかったことなど。恋多き性格で、何度か結婚寸前まで話が進んだこともあるがいずれも破局。結婚式の直前に媒酌人を頼んだ兄のスパイクに婚約者を奪われたこともあり、そのこともあってかガールハントの対象は人間の女の子になってしまった。お腹回りが突き出していてメタボ体型のように見えるが、運動神経抜群で漫画の中ではさまざまなスポーツに挑戦している。チャーリー・ブラウンの野球チームでも不動のショート(野球チームにおいて、日本では「エースで4番」という言葉があるように、チームで一番上手な者がピッチャーを務めることが多いが、アメリカではチームで一番上手な者がショートを務める場合が多い)。冬の時期はアイスホッケーにいそしみ、1980年頃からスケートリンクの製氷車、ザンボーニの運転を始め、1991には「世界一のザンボーニ・ドライバー」としてザンボニー社から表彰されている。さらに耳を回転させることにより、ヘリコプターのように飛行することが可能。背が描かれることが比較的少ないため分かりにくいが、成犬になってからは背中に大きな黒斑がある(よく見ると横向きの場合にも、背中の中心が黒く塗られていることがわかる)。

ルーシー、ペパーミント・パティ、マーシーと言った女の子に対して、挨拶代わりや落ち込んでいるとき等の慰めとして、キスをすることがしばしばある。ただし、稀にチャーリーにもキスをすることがある。

作品内での扱い[編集]

初登場は1950104。シュルツはこのキャラクターに当初、Sniffyという名前を考えていたが、他の漫画作品ですでに使用されていた。そこで、自身の母親が亡くなる少し前に「次に犬を飼うときはスヌーピーという名にしよう」と発言していたことをヒントに、snoop(こそこそ嗅ぎ回る・こそこそ覗き回る・詮索する)に因んでSnoopy(スヌーピー)と名付けた経緯がある。

連載当初は普通のビーグル犬だったが、回が進むごとに知的になっていった。1952527には、頭の中で考えていることが吹き出しのセリフとして描かれるようになる(吠える描写はあるものの、人間の言葉は喋れないため)。1957628にはチャーリー・ブラウンから直立二足歩行を教わり、その後二足歩行で歩き回るようになったと同時にお腹周りがぽっこりと出るようになった。そして前脚は人間と同じように両手となって物を持つようになった。バスの運転も熟せる。また、足を伸ばして地面に座り、耳を上に上げて回転させてヘリコプターとして空を飛ぶこともできるようになり、そのときは足がウッドストックの座席になり、ウッドストックはそこにヘルメットを被って乗る。そしてついには著作活動を始め、弁護士医者、果ては戦闘機操縦士といった変装と妄想をするようにもなった。

スヌーピーの吹き出しによるセリフは、実際に喋っているものではないが、飼い主のチャーリー・ブラウン、そして、まれにライナスにはスヌーピーの考えていることが通じていると思われる描写もある(なお作者は「実際の言葉」と「頭の中で考えていること」を吹き出しの下部の形で区別する手法を取っている)。また、空想の中ではフランス語を巧みに操り、フランス語の素養のあるマーシーをルートビア片手に誘う描写も多い。

犬小屋[編集]

彼の住んでいる犬小屋は、外見では想像できないほど広い。スヌーピーやチャーリー・ブラウンの話では地下室に繋がる階段があり、地下室の玄関ホールにはカーペットが敷いてあり、観葉植物が置かれていたりテレビやエアコン、さらには卓球台やビリヤード台までもが設置してあるという。しかもいくつかの部屋に区切られており、図書室などもある。ライナスが逃げ込んだりテレビを見ていたりすることもある。かつてはゴッホの絵が飾られており(1966919の火事で焼失)、現在はワイエスの絵が飾られている。時々チャーリー・ブラウンやライナス、シュローダーが彼の家の大掃除を手伝う。

犬小屋は、スヌーピーが隣の猫をからかうたびに頻繁に破壊され、飛行機や、また後述のレッド・バロンのエピソードでは戦闘機となり、撃たれて穴が空いたり煙を吹き上げたりする。

初期は斜めから見たアングルでも描かれていたが(焼失した際にも周囲を巡る話がある)、次第に横から見た図しか描かれなくなった。作者によれば、犬小屋も横からしか描かなければ、読者もスヌーピーの「なりきり」(例えば、飛行士に扮したスヌーピーにとっては、単なる犬小屋も戦闘機である)により感情移入できるのではないかと考えたからだという。地下室のネタもこの頃から始まっている。

犬小屋を作ったのはチャーリー・ブラウンだが、彼の不器用さにスヌーピーが蹴りを入れて直したエピソードがある。

裏には枯れ木があり、ウッドストックが断り状を枝に刺してファイルしている。

ごはん皿・水皿[編集]

スヌーピーはさまざまな色の皿を持っているが、通常は赤い皿をごはん皿、黄色い皿を水皿として使用している。しかし、皿の種類を区別できていない(これはかつて犬が色盲と思われていたことが原因と思われる)。皿の直径は10.25cm(皿を5280回廻ると1マイルということから)。皿は虫達の競技大会のスタジアムとして使用されることもある。冬には皿に乗って、ソリ遊びのようにして楽しむ。

ごはん皿はスヌーピーにとって重要なアイテムである。旅に出かける際にも、ごはん皿を帽子のように被りどこにでも持ち歩く。しかし、食いしん坊のスヌーピーはドッグフードを食べる際に皿を嘗め回すので、すぐに皿の底に穴を開けてしまう。その消費量はすさまじく、これ以上皿を買い換えるならばチャーリー・ブラウンの父親の理髪店を畳まなければならなくなると言われたほどである。

水皿は犬小屋並みにミステリアスである。この水皿では釣りをすることもできるし、さらにはホエールウォッチングをすることもできる。また、水皿に頭を突っ込むことがスヌーピーにとって最高のリラックス法である。

今まで使用していたごはん皿、水皿は全て写真に撮りアルバムに収め、ときどき眺めては昔を思い出している。

スヌーピーの変装[編集]

スヌーピーは知的なキャラクターとなるに従って、多くの仮装をするようになった。その数は140を超えるといわれる。なお、変装の多くは「世界的に有名な」(The world famous...)という肩書きで始まるものが多い。

ジョー・クール(Joe Cool

サングラスがトレードマークの大学生。キャンパスをぶらぶらしてガールハントをしている。

第一次世界大戦の撃墜王(The World War 1 Flying Ace

愛機「ソッピース キャメル」を操縦し、颯爽と大空を駆け巡る操縦士ゴーグル付き飛行帽を被り[注釈 3]マフラーを締めた姿で、「フォッカー三葉機(フォッカー Dr.I)」に乗るライバルのレッド・バロンとの空中戦を繰り広げる。夜になると小さなカフェ(マーシーの家。給仕はもちろん彼女)へ行き、ルートビアを楽しむ。ウッドストックが担当整備兵やレッド・バロンの助手ピンク・バロンとして、また、マーシーがフランス娘役で登場することもある。

1111復員軍人の日には、作者の友人で漫画家のビル・モールディンの家に行ってルートビアを酌み交わす。

ベトナム戦争の時期、作者は悩んだ挙句このキャラクターによる漫画を一時封印した。その後も、空中戦のシーンを書くよりも、その背景を描写することが多くなり、それがこのシチュエーションに深みをもたらした。

小説家

毎回「それは暗い(真っ暗な)嵐の夜だった」(en:It was a dark and stormy night...[注釈 4]で始まる小説を愛用のタイプライターで書き続けているが、毎回出版社からは送り返されている。ポストに投函しようとしたら、ポストにも逃げられる程である。唯一出版された本もたった1部で絶版。ルーシーからアドバイスは受けているがあまり参考になっていないようだ。

弁護士

山高帽(驚くと飛ぶ)と黒い蝶ネクタイを着用し、常に鞄を引きずっている。名刺には「破産処理、財産管理、事故処理、医療問題、遺言検認、遺言書作成、そして、犬にかまれたときに」と書かれている。ピーターラビット赤ずきんが顧客になったこともある。公判の日に法廷の場所が分からなくなることもしばしば。

ビーグル・スカウト(Beagle scout

ボーイスカウト。隊員達はウッドストックをはじめとする小鳥達。ところが小鳥達は変わり者ばかりで思わぬ行動を取ってスヌーピーが困惑することも少なくない。このときは「ボーイスカウト」と呼称せず、必ず「ビーグル・スカウト」と呼称するが、これはアメリカのボーイスカウトにおいて規定されている最高位の称号が「Eagle Scout」であることのもじりに由来する。

イースター・ビーグル

毎年イースターに、色の付いた卵を配る。初めて会ったのはライナスで、毎回大声を出して喜んでいる。チャーリー・ブラウンは、「成り行き」でもらえなかったり、助手のウッドストックにもらうなどのシーンもある。

スヌーピーの兄弟・姉妹・家族[編集]

スパイク(Spike

帽子と髭がトレードマークのスヌーピーの兄。スヌーピーは兄弟の中で彼と一番親しい。他の兄弟と比べるとひょろひょろでかなり痩せているが、本人いわく、痩せているのではなく「スッキリしているんだ」とのこと。ニードルス近辺の荒野に独りで暮らしている。話し相手はサボテンのジョーと岩。サボテンの集会、サボテン・クラブでは会長を務める。不動産事務所を営んでいる。かつては猟犬として人間に飼われていたこともあったが、追いかけていたウサギが道路に飛び出し車にはねられてしまったことにショックを受け、誰も傷つけず、誰にも傷つけられない荒野へ引っ込んだという。スヌーピーの婚約者と駆け落ちしたことがある(その後、当の婚約者はコヨーテと駆け落ちしてしまった)。ミッキーマウスと知り合いで、靴をもらったことがある。お気に入りのテレビドラマは『OK捕虜収容所(Hogan's Heros[5]』。実はスヌーピー以外でウッドストックの言葉を理解できるキャラでもある(ウッドストックが月と間違ってニードルスに着いた際、ちゃんと彼と話ができていることから)。スヌーピーの第一次世界大戦の空想世界では一歩兵を務める。ちなみに、彼の名前はスヌーピーのモデルとなった作者少年時代の飼い犬の名前をそのまま使用している。

オラフ(Olaf

スヌーピーの弟。醜犬コンテストで優勝した経験があるほどの太っちょ。しかし本人いわく、太っているのではなく「ふっくらしているんだ」とのこと。兄弟の中で最も大食いであるが、スヌーピー同様ココナッツは苦手。つぼを口に当て、音を鳴らすことができる。

アンディ(Andy

スヌーピーの兄弟(兄か弟かは不明)。毛がふさふさしているという点を除けばスヌーピーにそっくり。オラフと一緒にスパイクの住む砂漠を捜し続けている。

マーブルス(Marbles

スヌーピーの弟。名前の通り耳や体の模様がぶち(アニメではぶちは茶色)。スヌーピーの変装癖が理解できずに放浪の旅に出てしまう。

ベル(Belle

スヌーピーの女きょうだい。パッチリとした目が特徴。現在はティーンエイジャーの息子とカンザスシティに住んでいる。スヌーピーの台詞「最後に聞いた話では、10代の息子がいて、役立たずな夫のハウンドは逃げちゃったそうだ」とあることから、以前は夫がいたと推測される。スヌーピーの第一次世界大戦の空想世界では看護師を務めている。

ローバー(Rover

スヌーピーの兄弟(アンディと同様、兄か弟かは不明)。1992年のテレビスペシャル「スヌーピーズ・リユニオン(邦題:スヌーピー誕生)」のオリジナルキャラクターで、原作には登場していない。

モーリー(Molly

スヌーピーの女兄弟(アンディと同様、姉か妹かは不明)。ローバーと同様、「スヌーピーズ・リユニオン」のオリジナルキャラクターで、原作には登場していない。

レイモンド(Raymond

白髭をたくわえたスヌーピーの父親。フロリダで隠居生活をしている。

ミッシー(Missy

スヌーピーの母親。家族への手紙を断った。ファックスを持っているらしい。スヌーピーの第一次世界大戦の空想世界では、負傷したスパイクの見舞いのために船に乗ってやってきた。原作では名前は不明である。

ハリー(Harry

ベルの息子。ピンクパンサーに似たひょろりとした体格のティーンエイジャー。母であるベルと共にカンザスシティに住んでいる。

スヌーピーミュージアム[編集]

スヌーピーミュージアム (SNOOPY MUSEUM TOKYO) は、アメリカ・カリフォルニア州にある「チャールズ M. シュルツ美術館」の世界で唯一となるサテライトミュージアム。ソニー・クリエイティブプロダクツが運営。東京都港区六本木において20164232018924まで期間限定開館した後、20191214には東京都町田市鶴間南町田グランベリーパーク駅前の再開発エリア「南町田グランベリーパーク」内に移転し、リニューアル開館している。

スヌーピーと宇宙開発[編集]

アポロ10 - 月着陸船コールサイン(愛称)が「スヌーピー」だった。司令船の名前はチャーリー・ブラウン。またNASAでは宇宙飛行士が使う通信用ヘッドセットを、その形状と色から「スヌーピーキャップ」と呼んでいる。

シルバー・スヌーピー賞 - アメリカ航空宇宙局(NASA)が有人宇宙飛行計画の達成に貢献したNASA従業員や請負業者に与える賞。宇宙へ運ばれたスヌーピーのピンバッジが贈られる。

国際科学技術博覧会(つくば万博) - イメージキャラクターに『ピーナッツ』が起用されており、会場では宇宙服を着たキャラクター商品が販売されていた。

2022に打ち上げが予定されている月周回ロケット アルテミス1に搭乗する予定。

その他[編集]

乳幼児・子供向けアパレル企業 ファミリアは、19644月、日本で初めて「スヌーピー」の商品化権を取得し、Tシャツ、ジーンズ、トレーナー、ズボン、スカート等の衣料品と、ぬいぐるみを製造してキャラクターマーチャンダイジングにおける先鞭を付けた[15]

1972、アメリカ海軍の航空母艦フォレスタル」艦上で空母適性試験中のF-14トムキャット量産原型10号機の垂直尾翼に、撃墜王に扮したスヌーピーが描かれたことがある。

バンド「ロイヤル・ガーズメン(初期の日本盤での表記はロイヤル・ガードメン)(Royal Guardsmen)」が1967に「第一次世界大戦の撃墜王」をモチーフとした「暁の空中戦 (Snoopy vs. Red Baron)」という歌を歌い、ビルボードの「Hot 100」で2位を記録した。同バンドはその後も「帰ってきた撃墜王 (The Return of the Red Baron)」「ゆかいなクリスマス・マーチ (Snoopy's Christmas)」「スヌーピー大統領? (Snoopy for President)」、近年では2006年に発表された「Snoopy vs. Osama」といった『ピーナッツ』を題材とした曲を発表している。「帰ってきた撃墜王」はビルボードのHot 100で最高15位、「ゆかいなクリスマス・マーチ」はビルボードのクリスマス・チャートで1位(キャッシュボックスTop 100では最高10位、レコード・ワールドでは最高17位)を獲得した。また「ゆかいなクリスマス・マーチ」はニュージーランドでは20世紀に最も売れた外国人アーティストのシングルと推定されるほどのヒットになり、21世紀の現在でもクリスマスソングの定番曲になっている[17]。「暁の空中戦」は日本では嵯峨たかよしがカバー(作詞:伊藤アキラ)した。

スヌーピー好きの著名人にはB'z稲葉浩志前田敦子、スポーツ界では安藤美姫が挙げられる。タレントのSHEILAはスヌーピーが大好きで、翻訳の谷川俊太郎が認めるほど詳しく、それが縁でスヌーピーとコラボレーションブランドを立ち上げた。

スヌープ・ドッグ - 彼が子供の頃に、親から「目がスヌーピーに似ている」という理由で「スヌープ」というあだ名で呼ばれていたのが芸名の由来である。

SNOOPY×USPP長谷川ミキプロデュース)QVCがファッションブランドUSPP&キャラクターのコラボを実現した。

1977に発表された、さだまさしの楽曲「雨やどり」の歌詞に「スヌーピーのハンカチ」というのがある。

脚注[編集]

1.    ^ アニメ版では住んでいたマンションのルール改変により犬の飼育が禁止になってしまう。

2.    ^ 原作漫画では、1951828日に掲載された話と1968810日に掲載された話においてスヌーピーの誕生日を祝っている。

3.    ^ この時代はヘルメットはまだ登場していない。

4.    ^ 英国ヴィクトリア朝エドワード・ブルワー=リットンという作家の『ポール・クリフォード英語版)』という小説の書き出しで、最も陳腐な小説の書き出しと考えられている。サンノゼ州立大学にはen:Bulwer-Lytton Fiction Contestというコンテストが設けられ、この書き出しで始まる最も陳腐で最悪な小説を選んでいる。

 

 

チャールズ・モンロー・シュルツ(Charles Monroe Schulz19221126 - 2000212)は、アメリカ合衆国漫画家。代表作である『ピーナッツ』でよく知られている。

生涯[編集]

シュルツは貧しいドイツ系移民理髪師だった父・カールと、ノルウェー系の移民だった母・ディナの一人息子としてミネソタ州ミネアポリスに生まれ、セントポールで育った。生後2日後に叔父から、当時の人気漫画『バーニーグーグル』に登場する馬の「スパークプラグ」にちなんで「スパーキー」という渾名をつけられる。これは後にシュルツの初期のペンネームとして使われている。自分の理髪店を開店したカールは新聞の漫画に夢中で、これがシュルツに大きな影響を与えた。

小さい頃からの才能に恵まれ、幼稚園の最初の日にシュルツの絵を見た先生から「あなたは画家になるかもしれないわ」と言われたことがシュルツの心に大きく響いたという。

内気な性格だったが勉強は良くできて、小学校時代に2学年飛び級している。シュルツのインタビューによれば、この頃に年上で体格も大きいクラスメイトに仲間はずれにされた経験が、将来のチャーリー・ブラウンの誕生に繋がったという。またシュルツはスポーツも大好きで、漫画家という夢の他に世界的に有名なアマチュアゴルファーになりたいという夢も持っていた。

シュルツが13歳の時に飼った雑種の「スパイク」はある程度人間の言葉を理解しているとしか思えないような行動をとったり、かみそりを食べてしまうという変な犬で、後にスヌーピーの原型になった(「スパイク」という名はスヌーピーの兄弟の名として使われている)。この犬を描いた絵が新聞に掲載され、これが初めて印刷されたシュルツの漫画となった。

高校三年生の時に「アート・インストラクション・スクール」という通信制の学校に入学する。父のカールは理髪店の経営に苦しみながらもシュルツのために学費を払い続けていた。

高校卒業後に雑誌へ漫画を投稿し続けるが上手くいかず、さらに19432に母のディナがで亡くなり、シュルツは失意のままアメリカ軍に入隊した。その頃から内気だったシュルツに負けず嫌いな性格が芽生え始め、その2年後に第二次世界大戦で戦うためヨーロッパへ出兵し、二等軍曹として重機関銃分隊を指揮し大戦末期にドイツ軍と戦った。そこでの経験は後の作品に影響を与えている。1945に軍を去った後はアート・インストラクション・スクールに就職。そこでの同僚だったチャーリー・ブラウンの名は後に『ピーナッツ』の主人公の名として使われることになった。

シュルツは学校で働きながら積極的に投稿を続けた結果、1947に作者の地元の新聞に『ピーナッツ』の原型となった『リル・フォークス(英語)が掲載された。そして漫画配給大手のユナイテッド・フィーチャー・シンジケーツ(現:Andrews McMeel Syndication)への投稿がきっかけで、1950102から『ピーナッツ』(Peanutsは「困った人たち」という意味)の連載が全米8紙で始まることとなった。

『ピーナッツ』は子どものダメ、できない、困ったという心の悩み、葛藤をどう乗り越えるかを一貫したテーマとし、それは登場人物が頻繁に発する「Good grief」(やれやれ、困った、お手上げだよ)という台詞にも現れている。シュルツははじめこのタイトルが不満だったという。というのも、当初シュルツはタイトルを『Good Ol' Charlie Brown』もしくは『Charlie Brown』というものにしたかったようだが、エージェントであるユナイテッド・フィーチャー社によって勝手にタイトルを『ピーナッツ』にされたからである。

そのころシュルツは同僚のドナ・メイ・ジョンソンに生まれて初めて恋心というものを抱くが、お互いの家の宗教の違いから周囲の反対を受け、最終的には失恋と言う形になった。彼女の面影は『ピーナッツ』の中で主人公のチャーリー・ブラウンが恋心を抱く「赤毛の女の子」の原型となった。失恋の痛みの中、シュルツは同僚の妹だったジョイス・ハルバーソンと親しくなり、19514に結婚した。このころ父親のカールも再婚している。

『ピーナッツ』の人気は次第に高まり、コダック社フォード社がこのキャラクターを使用するまでになった。『ピーナッツ』はテレビアニメ化されエミー賞ピーボディ賞を受賞した。シュルツはアニメ化作品の多くで脚本を担当した。更にシュルツは、アメリカの漫画家にとって最高の栄誉であるリューベン賞英語版)を受賞した。

そんな中で、シュルツを支え続けてきた父のカールが1966に死去した。シュルツは悲しみに暮れるも、1967にはミュージカル『きみはいい人 チャーリー・ブラウン』が上演され、タイム誌ライフ誌の表紙を『ピーナッツ』のキャラクターが飾り、さらには1968にスヌーピーがアメリカ航空宇宙局の有人飛行計画のマスコットとなり、1969スヌーピー(のぬいぐるみ)はアポロ10に乗って月に向かって飛び立ち(このとき指令船と月着陸船の名前に採用されたのは「チャーリー・ブラウン」と「スヌーピー」だった)、『ピーナッツ』の人気はますます高まっていった。

1972にジョイスと性格の不一致が原因となり離婚、翌1973、ジーニー・フォーサイスと再婚した。

1980、アーティストのトム・エバハート英語版)と意気投合し、トムは唯一の『ピーナッツ』のファインアーティストとして認められた。

1981心臓に異変を感じたシュルツは心臓のバイパス手術を受けることになった。手術は無事に成功し、看護師に頼まれて病院のにスヌーピーの絵を描いて退院した。

1984には『ピーナッツ』の掲載紙が2000誌に到達し、ギネスブックに認定された。1986には漫画家の殿堂入りを果たし、1990にはフランスの芸術勲章を受章、またイタリア文化大臣から功労賞が贈られた。ルーヴル美術館などでは『ピーナッツ』の展覧会が開かれ、1996にはハリウッドウォーク・オブ・フェイムにもシュルツの名が登録された。

199912結腸を宣告されていたシュルツは引退を宣言し、引退までの残り1ヶ月程度の原稿を描き上げた。そして2000212の夜21:30ごろ、77歳でこの世を去った。それは奇しくも『ピーナッツ』最終回が掲載される前日のことだった。翌朝の新聞にはその予め用意されたシュルツから読者への感謝とキャラクターたちへの愛情が語られた最終回とともに、シュルツの訃報が伝えられることになった。

30年以上に渡って在住したカリフォルニア州サンタローザには、シュルツの名前を冠した「チャールズ M. シュルツ・ソノマカウンティ空港」(Charles M. Schulz - Sonoma County Airport)がある。

シュルツの死去後の20006には、アメリカ合衆国議会から民間人に授与する最高位の勲章である議会金章が贈られた。

小惑星(3524) Schulzはシュルツの名前にちなんで命名された。

作品リスト[編集]

リル・フォークス

ピーナッツ

 

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