この部屋から東京タワーは永遠に見えない  麻布競馬場  2024.4.17.

 2024.4.17.  この部屋から東京タワーは永遠に見えない 

 

著者 麻布競馬場 1991年生まれ。地方のそこそこ名の知れた進学校を卒業して、慶應(義塾大学)に入り、ある程度有名な企業に入社

 

発行日           2022.9.10. 第1刷発行

発行所           集英社

 

本書は、著者がTwitterおよびnoteに投稿した小説を収録したもの。単行本化に当たり、加筆・修正した。「すべてをお話しします」のみ書下ろし。なお、本作品はフィクションであり、人物、事象、団体等を事実として描写・表現したものではない

 

²  3年4組のみんなへ

高校を卒業する教え子たちに、田舎を捨てて憧れの東京に行ったのに馴染めずに転落した自分の人生を語り、人を思うことを忘れず、死なずにみんなで生きていこうと呼びかける

 

²  30まで独身だったら結婚しよ

流山おおたかの森では、二子玉マダムのジェネリック品みたいな何人ものお母さんがベビーカーを押して歩いている

『モテキ』を見てテンガを買ったら3秒で射精した

 

²  2802号室

ベランダから東京タワーの見える28階のタワマンを賃貸、ようやく東京にグリーン席を確保

東カレデートで日々いろんな女の子と会っている

孤独の本質的価値は、誰からも何も期待されないこと。東京の本質が孤独であるように、タワマンの本質も孤独であるのかもしれない

 

²  青山のアクアパッツァ

彼がTinderをやっているが、私も合コンで持ち帰られたりしてるからお互い様

DM(direct message)で送られてきた彼氏のハメ撮り

 

²  真面目な真也くんの話

²  森から飛び出たウサギ

²  僕の才能

²  ウユニ塩湖で人生変わった(笑)

²  高円寺の若者たち

²  大阪へ

²  大阪から

²  お母さん誕生日おめでとう

²  Wakatteをクローズします

他責思考

 

²  吾輩はココちゃんである

²  うつくしい家

²  希望

²  この部屋から東京タワーは永遠に見えない

1人暮らしをするなら港区と決めていた。憧れの港区アドレス

Tinderではモテない。ペアーズは芋い女のみ。東カレアプリで年収を少し盛るのが正解

ネットによくある外見改善コンサルに通う

リゴレット(六本木ヒルズ・ウェストウォーク5階)のスタンディングカウンター

上位互換とは、機能や性能で上位に位置づけられるソフトウエアなどの製品が、下位の製品と互換性をもつこと

キラキラした港区。東京カレンダー(20年以上東京のラグジュアリーを取材してきた雑誌。最新のグルメ情報、洗練された大人のリアルな恋愛・結婚事情からデートに役立つ)みたいな暮らし。僕にないものばかり。南麻布の陸の孤島の、家賃9万のボロアパート、ペラペラのカーテンの向こうには首都高が見えるだけで、東京タワーは永遠に見えません

 

²  カッパを見たことがあるんです

情報商材(主にインターネットの通信販売などを通して、投資やギャンブルなどで高額収入を得るためのノウハウと称して販売される情報のこと。「情報」の内容自体が商品となるものである。情報商材を販売することを情報販売と呼び、情報商材の販売を職業として始めることを情報起業と呼ぶ)

 

²  東京クソ街図鑑

麻布十番なんて()合コンで麻布十番に住んでますって言いたいだけの軽薄な連中が住む街()独身貴族を気取ってるけど、若者に嫌われてるって気づかずに若者の飲み会に無理やり交ぜてもらってさ、明日接待ゴルフで早いから()とかドヤって1万円札おいて行くけど、これじゃ全然足りないだろってまた若者たちに笑われるんだよ()

広尾なんて()同じ港区でも麻布十番とは違って本物の上質を知ってますみたいな顔した虫唾が走る連中が住む街()でも本物の上質は高いから、最初のうちは明治屋やらナショナルやら高級スーパーに通ってさ、どうせすぐ港区のレンタサイクルで南麻布のハナマサまでエッチラオッチラ買い出しに遠征に行くことになるんだよ()南部坂やガーデンヒルズに住めない人が背伸びして住んでもさ、すぐにつま先が痺れて立っていられなくなるだけだよ()お金がないうちは港区になんて憧れないほうがいいよ()

中目黒なんて()銭湯とサウナとクラフトビールとナチュールワインとスパイスカレーが好きみたいなさ、量産型のくせに自分のこと個性派だと思ってる自分が見えてない人がマッチングアプリで女の子を持ち帰るために住む街()黒髪ロン毛にゆるいパーマかけてさ、丸いメタルフレームのメガネかけてさ、ヒゲなんかも生やしちゃってさ、派手な柄のシャツなんかも着ちゃってさ、それでいて下半身はモノトーンで手堅くまとめちゃうわけよ()夜の下半身はだらしないのにさ()商店街の立ち飲み屋さんに行ってごらんよ、その手の同じような格好の人たちが同じような格好の女の子を連れて同じようなお酒を飲みながら同じような音楽の話題で盛り上がってるよ。それなのにさ、み~んな自分はオンリーワンでナンバーワンな存在でございますみたいな顔してるんだよ()

代々木上原なんて()麻布十番に対する広尾と同じでさ、中目黒とは違って本物の上質を知ってますみたいな顔した虫唾が走る連中が住む街()あんなに電車で行きづらい街もないのにさ、飲み会のたびに平気で人を代々木上原のオレンジワインにクミンの利いた焼売を合わせるような小洒落たお店に呼びつけようとしてさ、でも当然多数決でみんな行きやすい渋谷とか恵比寿とかのお店になってさ、当日「これなら代々木上原の店の方がうまくて安いよ」とかグチグチ文句言って嫌われるんだよ()引っ越したばかりの頃はさ、パンとラテでも買って毎週末公園に行ってチ(英語のスラング”Chill out”が語源、ゆっくりする・くつろぐ・まったりするなどの意)とか洒落込むんだけどさ、どうせ徒歩15分の長く険しい道のりに挫折してすぐに行かなくなるよ()そうして誰も来なくなった代々木上原の家を持て余してさ、出かける先も無くてさ、でも今更代々木上原を捨てると自分のセンスが間違ってると認めることになるからさ、そうして死ぬまで代々木上原にしがみついて出られなくなるんだよ()

三軒茶屋なんて()、金のなさをエモさと言い換えて心の平安を保ってる連中がさ、大衆居酒屋で安酒飲みながら無料の写真加工アプリでフィルム風の写真を撮り合ってキャッキャと遊んでさ、その末に「それもまたエモだよね()」とか言っちゃってさ、それまでただの友達だったのに手を繋いで何となく家に行ったりしてさ、安いプロジェクターでYouTubeのチルラップ(ゆったりと落ち着いたラップ音楽。心地よい日本語ラップとも呼ばれる)でも流しながらシーシャなんかも焚いて吸っちゃってさ、コンビニで買った安酒をまた飲んで酔ってさ、しまいには乳繰り合っちゃって翌朝めちゃめちゃ決まづくなってもう会わなくなってさ、「でもそれもエモだよね()」とか思っちゃってさ、なんかそういう感傷的な歌詞の曲を聴いてまた会いたくなっちゃうような連中が住む街()。まだ20代やそこらの分別のない若者ならまだしもさ、君みたいな限界アラサーがそれをやっちゃおしまいだよ()

学芸大学なんて()「あえての学大」とか言っちゃってさ、代官山や自由が丘の逆張りをやるような連中が住む街()「どこ住んでるの?」って聞かれたらさ、「俺? 鷹番」()鷹番て()町名じゃなくて最寄駅聞いてんだよこっちは()人生逆張りばっかりだからさ、勢いで大企業辞めてベンチャー転職するしさ、勢いで足首に小さなタトゥー入れるしさ、そういうしょうもないことをやって一生後悔し続けるんだよ()オシャレって言われると怒るくせにさ、オシャレでいることがやめられなくてさ、音楽は絶対にレコードで聴くって言ってるくせにプレイヤー全然使わなくてホコリ被ってるしさ、家に置いてる白金台辺りで買って来た観葉植物は手入れが悪くてすぐ虫が湧くんだよ()逆張りに次ぐ逆張りでさ、ついには自分が明日のお昼何食べたいかも分からなくなってさ、身動きが取れなくなってしまうかわいそうな人たちだよ()

高円寺なんて()何者にもなれず、そして何者にもなれなかったその惨めな人生を癒すだけの金もない中年が最後の博打で住む街()高円寺は鏡みたいなもんでさ、そんな自分と似たような人たちがウジャウジャいる街に住むとさ、いつでも鏡を見ているようで惨めな気分になるんだよ()それだけじゃなくてさ、そんな自分みたいな人たちがそのまま10年も惨めなままでいるのを安い立ち飲み屋で見せられるとさ、ふと居ても立っても居られなくなってさ、自意識をそのまま高円寺に晒しておくのがつらくなってさ、50を超える頃には野方や沼袋に引っ越しちゃうんだよ()悪いけど高円寺に救いはないどころかその逆だよ()

根津なんて()合コンやらクラブやら、爛(ただ)れた場所で知り合って結婚した連中が歴史修正主義をやるために分かりやすく丁寧な暮らしを送る街()春は上の公演で桜を見てさ、秋は東大でイチョウを見てさ、その合間に聞いたこともない作家のお皿をなんとなく買ったりしてさ、夫は実山椒を散らしたカルパッチョみたいな小癪な料理にハマってさ、妻はワインエキスパートの勉強にハマってさ、ついには犬も食わないキラキラ夫婦生活インスタを始めて目がチカチカするほどハッシュタグを付けるんだよ()ホームパーティを開いて後輩たちを無理やり呼んで、例のインスタを無理やりフォローさせたりしてさ、ひどい笑い話だよ()

清澄白河なんて()ただの地の果ての埋立地をイースト東京なんてよく恥じらいもなく言えるよ()オシャレな場所に住むことでしか自分を表現する手段を知らないし、かといって港区や渋谷区に住むお金もない人たちがさ、カフェや美術館の換気口から無料で流れてくるいい匂いを肺いっぱいに吸い込んで精神的空腹を満たしてさ、そうしてセコセコと貯めた小銭で清澄白河といいつつ森下や菊川あたりの川っぺりの安アパートに住むんだよ()引っ越すとき不動産屋から「銀座や丸の内からもタクシー圏内ですよ」とか言われてフンフンと意味ありげに頷いていたんだけどさ、絶対に終電で帰ろうとするしさ、終電を逃したら一緒に飲んでた奴らのせいだとでも言わんばかりに不満な顔をするしさ、そういうところも清澄白河に住むさもしい連中の特徴だよ()

ならどこに住めって言うんだよ。君みたいな人は東京に住まないほうがいいんだよ(笑)君にはセンスがない、新丸子のアパートでも住むのがいい()羨望の川崎市だよ()

 

²  すべてをお話しします

 

 

 

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著者:麻布競馬場

東京に来なかったほうが幸せだった?
Twitter
で凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。

34組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。」(「34組のみんなへ」より)

 

「『30までお互い独身だったら結婚しよw』。三田のさくら水産での何てことのない飲み会で彼が言ったその言葉は、勢いで入れたタトゥーみたいに、恥ずかしいことに今でも私の心にへばりついています。今日は、彼と、彼の奥さんと、二人の3歳の娘の新居である流山おおたかの森に向かっています。」(「30まで独身だったら結婚しよ」より)

 

「私、カッパ見たことあるんですよ。それも二回。本当ですよ。桃を持って橋を渡ると出るんです。地元で一回、あと麻布十番で。本当ですよ。川面から、顔をニュッと目のところまで突き出して、その目で、東京にしがみつくために嘘をつき、人を騙す私を、何も言わず、でも責めるようにじっと見るんですよ。」(「カッパを見たことがあるんです」より)

 

14万イイネに達したツイートの改題「34組のみんなへ」をはじめ、書き下ろしを含む20の「Twitter文学」を収録。

 

【推薦コメント】

面白すぎて嫉妬した。俺には絶対に書けない。

――新庄耕さん(小説家・『狭小邸宅』『地面師たち』)

 

【著者略歴】

麻布競馬場(あざぶけいばじょう)

1991年生まれ。

 

 

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内容説明

東京に来なかったほうが幸せだった?

Twitterで凄まじい反響を呼んだ、虚無と諦念のショートストーリー集。

 

 

(売れてる本)『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』 麻布競馬場〈著〉

20221224 500分 朝日

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』

 ■他人の転落が最大の娯楽に

 タワマン、港区女子、東カレデートアプリ、オンラインサロンなどの新しいキーワードが使われたショートストーリーズ。

 「30まで独身だったら結婚しよ」という短編は、かつて曖昧な関係だった男性とその奥さんが住むマンションに向かう女性の話。彼は、大学の文化祭実行委員時代の仲間だった。服装はダサい。「首元に変な切り込みと紐が付いた黒いTシャツ」。互いに馬は合ったし、愛せるダサさだったが、彼女が見下していたことがバレて関係は切れた。彼のダサいTシャツの写真を裏アカウントのつもりで表アカに誤爆した。

 その後、30歳になった主人公が、結婚した彼の新居を訪ねる。場所は、千葉県の流山おおたかの森のマンションだ。主人公は、住人を「二子玉マダム」の「ジェネリック品」だなと感じている。ネットで調べると、価格は彼女が都内の清澄白河に買った2LDKの半値くらい。見下す材料は複数見つかる。

 住む場所、出身大学をブランドに重ね、優越感を見いだしていく手法は、80年代文化的だ。渡辺和博らの84年のベストセラー『金魂巻(きんこんかん)』がその代表。平等社会という建前の裏を暴いて、金持ちと貧乏の間の決定的溝をパロディ風に示した。

 本書はその現代版的な側面がある。ただ本書の主人公たちは、優越感を競うゲームの勝者ではない。逆に敗北感を突きつけられる。「30まで独身だったら結婚しよ」の主人公も、彼の今の生活を見下せば見下すほどむなしさが募ってくることに気がついた。

 ツイッターのつぶやきが話題になり、書籍化に至ったもの。現代にいそうな人々、新しいツールがもたらす教訓。現代の都市的フォークロア。他人との比較も自分の価値も数値化、可視化される時代ゆえのつらさだ。

 ヒットした理由は? どの話も優越感から転げ落ちるオチが描かれる。他人の転落は、SNS時代の最大のエンターテインメントである。

 速水健朗(ライター)

     *

 集英社・1540円=5刷3万部。9月刊。「拡散されたツイートのリンクから電子書籍を購入する読者が非常に多い。普段ほとんど書籍を読まない層も手に取っている」と担当者。

 

 

 

 

 

現代の優れたプロレタリア・リアリズム文学『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』麻布競馬場

ベストセラーで読む日本の近現代史 第125

 佐藤  作家・元外務省主任分析官

2024/01/09 文藝春秋

 評者の若者観は分裂している。周囲に全く別の生態系があるからだ。

 まず同志社大学の神学部や同大学学長が塾長をつとめる「新島塾」や生命医科学部の野口範子教授が主宰する「サイエンスコミュニケーター養成副専攻」に集う学生たちだ。

「新島塾」と「サイエンスコミュニケーター養成副専攻」には文科系、理科系の学生が集う。そこで知り合う学生たちには、1回生のうちに高校までの知識の欠損を埋める指導をする。文科系の学生は数学が弱く、理科系の学生は英語が弱い。倫理(哲学、心理学が含まれる)、政治経済については理科系の学生の方が強い。国立大学理科系を目標に勉強した学生は、大学入学共通テストの社会で倫理と政治経済を選択する人が多いからだ。理由は歴史・地理系と較べて覚えることが少ないからだ。

 最近、評者の授業を受けることを目的で神学部や「新島塾」に入ってくる学生は、入試科目にないにもかかわらず数学はきちんと勉強している。社会に出てから数学が役に立つと評者があちこちで書いていることの影響を受けたようだ。

 こういった学生とは、哲学書、神学書、人類学書、古典小説などを輪読し、解説しながら読み進める。読了まで200時間以上かかることもあるが、みんなついてくる。京都の授業だけでは時間が足りないので、東京からZoomでの追加講義も行っている。取り上げたのはカント『純粋理性批判』、バルト『ローマ書講解』、ペールマン『現代教義学総説』、トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』、ゲルナー『民族とナショナリズム』、宇野弘蔵『経済原論』などだ。学生たちは日本ならば夏目漱石、森鷗外、外国ならばダンテ、モーパッサン、トルストイ、ドストエフスキー、ゾラなどの古典小説をよく読んでいる。議論も「人間の生きる意味は何か」「社会と人間の関係をどう考えるか」「資本主義を超克するシステムの構築は可能か」「永遠の命とは何か」といったテーマで、夕食をとりながら議論し、さらにホテルのバーで続けることも多い。

教養主義とシニシズム

 学生たちは例外なく書くことに興味を示すようになり、質量共に卒業論文相当の論考を45本書く。就職は、証券会社や通信会社の総合職、国家公務員総合職、地方公務員上級職、全国紙や公共放送の記者が多い。同志社の他学生と較べて公務員指向が若干強いのは、外務官僚だった評者が公務員は若い時期の教育が充実していて一生役に立つ知識と技能を身につけることができると強調している影響かもしれない。評者には小さなカリスマ性があるので、30人くらいまでの少数精鋭集団を作るのは得意だ。同志社では大正教養主義のような時代錯誤の集団を作ってしまう傾向があるようだが、卒業生達から恨まれているわけではなく、今もよく連絡が来る。こういう若者達と一緒にいるのは居心地が良い。

 他方、20代、30代の編集者や新聞記者と接すると、「いったい何をしたく、何を考えているのか」とわからなくなることがある。いずれも入学難易度では同志社大学よりも高い大学を卒業した人が大部分だ。

 半年ほど前、偶然、アマゾンプライムでドラマ「東京男子図鑑」(竹財輝之助主演)を見たときにこの謎を解く鍵があるように思えた。続いて、ドラマ「東京女子図鑑」(水川あさみ主演)を見て、素晴らしいと思った。それから雑誌「東京カレンダー」のバックナンバーを取り寄せて研究し、本書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』に辿り着いた。

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』麻布競馬場

 評者は本書を現代のプロレタリア・リアリズム文学と理解している。ただし、日本共産党系で革命への理想を描いた小林多喜二氏の『党生活者』『蟹工船』のような系譜ではない。共産党とは一線を画した労農派に属し、やりたいことも人生の展望もない人々の閉塞状況を描いた葉山嘉樹氏の『セメント樽の中の手紙』『淫売婦』『海に生くる人々』の系譜だ。

 本書には、表題となった「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」をはじめ、「34組のみんなへ」「30まで独身だったら結婚しよ」など全部で20の短篇が収録されている。1篇を除き、いずれも旧ツイッター(現X)、noteに掲載された小説に加除修正を加えたものだ。麻布競馬場氏は優れた観察力と表現力を併せ持つ作家だ。

 評者には「高円寺の若者たち」が最も興味深かった。早稲田大学の文化構想学部で出会ったカップルの物語だ。

思考する若者が俗物になる物語

〈なぁ、今でもお前と食べたラーメンの味を思い出すよ。夜中の高円寺でラーメン食べて終電なくしたよな。あの日お前はうちに泊まったよな。金はなかったけど幸せだったよな。お前はなんで変わっちまったんだ? なんで港区女子みたいな金のかかる女に、あんな金持ってるだけのクソ野郎の嫁になっちゃったんだ?/おれたち早稲田の文構で出会ったな。おれたち文構のことを「二文」って呼んでたな。中上と柄谷の話をしたな。在学中にデビューした朝井リョウのことは「商業的だ」とか言いつつ内心嫉妬してたな。バイト代が入るとゴールデン街に飲みに行ったな。高円寺のおれの家にもよく来てくれたな〉

 哲学者の柄谷行人氏の著作を読んでいた「思考する若者」がいかにして俗物になっていくかという「成長物語」だ。

〈でもお前は田舎者じゃなくて、それどころか桜蔭出身のお嬢様だったな。桜蔭ではずっと居場所がなかったと言ってたな。東大は落ちて、浪人はつらいし、でも偏差値だけ見て慶應に行くのは東大に進んだ連中の下位互換みたいでもっとつらいからって、「敢えての早稲田二文」でバンカラ気取ることに救いを見出したんだよな。最初のうちは別に文化に興味なんてなかったよな。/でもお前はあっという間に二文のサブカル女になったな。変わった人間でいることは麻薬だったよな。やっと人と違う自分だけの自分になれた気がしたよな。それも頭がいいお前は、ただサブカルぶってるだけの無思考な連中を、そいつらより頭がいいことを理由に下に見れたんだから最高だったよな。あの頃のお前は輝いてたよ〉

 主人公も彼女も受験競争における中途半端な勝利者だ。評者が教えている同志社の学生も受験競争の中途半端な勝利者だ。ただし、大学以降の学知は、受験勉強とは異なり、本気で勉強すると一生役に立つことを頭だけでなく身体でも理解させることが評者の同志社での仕事だ。そのためには受験で問われる高校レベルの知識は、社会に出てから意外と役に立つことを伝え、高校の全科目で教科書レベルの知識を大学12回生のうちにつけさせなければならない。そのことによってほとんどの学生が受験のトラウマから脱却する。

 まずは学生に無償で書籍を与え、食事に誘うことだ。評者から声をかけたときは学生から絶対にカネをとらない。評者もそのようにして神学部の教授達に面倒を見てもらった。外交官試験の通信添削(1984年当時で月に34000円だったが、予測率が5割を超えていた)を受けるようにと藤代泰三先生(歴史神学担当教授)が、あえて講義ノートの下準備のアルバイトを評者のために準備してくれた。神学部の恩師達から受けた贈与を現役の同志社大生達に返している。評者の教え子も、経済力がつけば、次の世代に贈与をすると評者は信じている。こうして同志社大学という場で贈与の系譜を作りたいのだ。話を小説に戻す。

〈お前は財閥系の会社で役員をやっていたお父さんのコネで同じ財閥のディベロッパーの内定を取ったな。/おれの就活はダメだったよ。(略)/お前は内定者と飲むようになってすっかり変わっちまったよな。なんだか居心地が良いと言っていたな。財閥の不動産屋なんて貴族の子息みたいなのばかりだからな。早稲田は早稲田でもそこにいるのはキレイな早稲田だからな〉

 主人公は彼女に求婚するが拒絶される。それから主人公は半ばストーカーのような心理状態になる。

〈お前のインスタを見つけたよ。あんな港区女子みたいな見た目になったお前なら、絶対インスタくらいやってると思ったよ。学部の連中のアカウントを辿ればすぐ見つかったよ。不用心にも鍵をかけてなかったな。知ってるよ。今日の11時からパレスホテルで結婚式やるんだよな。/相手もすぐに調べがついたよ。お前の会社の元同期だよな。慶應卒だよな。天下の財閥系ディベロッパー様をやめて不動産テックみたいなのを立ち上げたな。勢いがあるらしいな〉

 そして主人公は結婚式に乗り込むことにする。

〈まあいっか。いまパレスホテルに向かってるよ。すぐに会えるよ。久々に中上と柄谷の話をしよう。(略)/お前のウエディングドレス姿、楽しみだな。どんな顔するかな。もうつくから、もう少しだけ待ってろ〉

 同志社の学生にもこの主人公の予備軍はいる。こういう若者は明治時代にもいた。同志社の創立者・新島襄はいじけた若者の価値観を転換する感化の力を持っていた。それをキリスト教主義と名づけた。時代錯誤な教養主義とキリスト教主義教育にこそ現下日本の閉塞状況を突破する鍵があると評者は本気で信じている。

 

 

Z世代を描いた小説 目指すべき道、幅広くとらえ

活字の海で

2024413 2:00 [会員限定記事] 日本経済新聞

1990年代半ばから2010年代序盤に生まれたZ世代。生まれたときからインターネットが身近にあり、デジタルネーティブ世代とも呼ばれる。Z世代を描いた小説を通じて、その特徴を探ってみる。

22年刊行のデビュー短編集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』が「タワマン文学」として注目された覆面作家、麻布競馬場は2月下旬、第2作となる連作短編『令和元年の人生ゲーム』(文芸春秋)を出した。本の帯には「〈何を考えているのかわからない〉Z世代の取扱説明書」とある。

「時代を書いていけば何者かが現れると考えました」。視点人物の異なる全4話で構成し、「意識高い系」サークルを描く「平成28年」で始まり、人材系最大手企業が舞台の「平成31年」、学生向けシェアハウスの人間模様をつづる「令和4年」、銭湯リニューアルをめぐる「令和5年」と続く。

「平成は『正しさ』に向かい、ゴールのない競走をしていた。(4話全てに登場する)沼田は頑張らないことで、そこから抜け出した存在。ただ、最近は平成的な価値観の揺り戻しがみられるのが気になります」

1991年生まれの麻布はZ世代より少し上。「僕らの失敗を生かし、自分なりのゴールを見つけてほしい」。多様性を重視するZ世代だからこそ、自分の目指すべき道も幅広くとらえることを期待する。

3月下旬に出版された中編『海を覗(のぞ)く』(新潮社)は2005年生まれの伊良刹那のデビュー作。同作で新潮新人賞を最年少の17歳で受賞している。文芸誌「新潮」2311月号に載った「あんな綺麗(きれい)な文章を書いてみたい――Z世代の『美』の物語」と題する受賞者インタビューでは、高校1年で出合った三島由紀夫作品へのあこがれを語っている。

美術部に所属する高校2年の速水圭一は同級生の北条司の美しさにひかれ、モデルになってもらい、肖像画を描き始める。しかし、同じく美術部員である山中春美が2人の関係に影を落とす。「まず美しい文章を書きたいという思いがあり、それが『美』というテーマにつながった」。その耽美(たんび)的な味わいはむしろ懐かしさを感じさせる。「自分がZ世代という意識はない」と本人も言う。

「同性愛」というモチーフも三島へのオマージュかと思いきや、そうではなく「性別を超えた美を表現したかった」。このジェンダーにとらわれない美意識こそがZ世代なのかもしれない。

(中野稔)

 

 

よみタイ yomitai

2022/9/5

この部屋から東京タワーは永遠に見えない

麻布競馬場

202295日発売即重版!各界から絶賛の声!!

【推薦コメント】
これだけ軽やかに情けない話を書けるのは、すごい才能だ。
──堀江貴文

港区に渦巻く「野心」と「諦念」。我々は前者を強調するが、麻布競馬場は、その両者をバランス良く描く。これは、一本取られた!
──
日紫喜康一郎(月刊誌・東京カレンダー編集長)

いい人と思われたいから、言うのも頭に浮かべることすらはばかるような思いを全部代わりに吐き出してくれていた。この世の創作物はわりと最後には励まして背中を押してくれるのに、全然励ましてこないこの本に逆に励まされたりして。そんな私は意地が悪いなぁと思いました。
──峯岸みなみ

めちゃめちゃ面白い。現代の東京生活で見かける乾いた感情を生々しく感じられる。
──金井良太
(株式会社アラヤCEO

時代の気分を過剰な密度のハイコンテクストと記号でミックスした140字の寓話集。
その空虚さ、軽薄さは、読む者の笑いを誘い、また時にその心を鋭くえぐるが、底流をなすのは中島敦、太宰治、谷崎潤一郎にも通じる人間の本質的な苦悩であり、本書をTwitter「文学」たらしめる所以でもある。
自意識に取り憑かれた現代人の生活を描く筆致はシニカルではあるが、愚かしくも儚く生きる人々に向けられる麻布競馬場の眼差しは、たぶん優しい。知らんけど。
後世の皆さん、これが令和東京の風景です。
──朝倉祐介
(シニフィアン株式会社共同代表)

捻くれた仕方でしか表すことのできない人生の愉楽を、麻布競馬場は私たちに教えてくれる。
──佐川恭一
(作家)

面白すぎて嫉妬した。俺には絶対に書けない。
──新庄耕
(小説家)

救いようのないこじらせ方をした人たちに熱烈に支持されると思う。私もそうです。きっとあなたも。
──祖父江里奈
(テレビプロデューサー)

地方から東京に出てきて挫折した、アラサーの男女のこじれた心象風景を描く。面白かった。
──橘玲
(作家)

近年に読んだフィクションの中ではいちばん没入感のあるヒリヒリする読書だった。自己を肯定することを許さない街で生きるということ。
──中井治郎
(社会学者)

世に放たれている凄まじい才能を察知する能力には自信がある。麻布競馬場がTLに流れてきた衝撃。洞察力と文章力、どのような言い回しが人の心を動かすか、人間の全てを見透かしている。
──ピエール中野
(凛として時雨)

憐れみや憧れ狂おしい妬みが粒子のように人の身体の中に流れて漉された文章がとにかく美しい。自身ではどうしようもない手垢にまみれた感情が、著者の物語にかかるとこんなにも甘く切なく棄てきれない大事なものになるとは知らなかった。傑作必読。
──山本亮
(大盛堂書店)

 

『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』麻布競馬場著(集英社) 1540円

2022/10/07 05:20  讀賣新聞オンライン

空虚な成功求める悲哀  評・小川哲(作家)

 「東京」というゲームが存在する。ルールはシンプルだ。有名大学を出て、一流企業に就職すること。ブランド物の服を着て、東京タワーを望む港区のタワマンに住むこと。見た目の良い異性と交際すること。それらを積み重ねた者がこのゲームに勝利し、勝者は他の参加者たちの羨望を得ることができる。

 本書は、いろいろな形で「東京」というゲームに参加することになった者たちを描いた物語である。「私は他人と違う」という感覚がもたらす悲劇や、何者かになろうと思ったが、何者にもなれなかった者たちの哀愁が、さまざまな固有名詞、地名、ブランド名を使って丁寧に、かつ実感をともなって描きだされている。

 言うまでもなく、こんなゲームに参加をするべきではない。たしかに、自分の人生を他人の目を気にすることなく生きることや、凡庸さの中に愛と幸福を見出すことは、ある種のみっともなさを伴うが、しかし何よりも美しいことだろう。文学はこれまで、その「美しさ」を何度も描いてきた。しかし本書の登場人物たちは、その「みっともなさ」と「美しさ」に顔を背け、「東京」というゲームで勝利することに命を賭けるのだ。

 現実世界でも、この空虚なゲームに勝つために、保険金目当てで他人を手にかけてしまう者も出てきた。SNSによって誰もが自分の情報を発信する時代において、「いかにして幸福を掴むか」という問いは、「いかにして幸福だと思われるか」という問いに簡単にすり替わる。

 この世界には、他人を見下すことでしか「生きている」という実感を得ることのできない人々が確実に存在する。本書を読めば、虚しさや悲哀と、そしていくらかの共感とともに、現代における「貧しさ」を直視することになる。

 本書は、孤独と空白を抱えたブルジョワたちによる、まったく新しい労働者文学として読むこともできるかもしれない。

読書委員プロフィル

小川 哲( おがわ・さとし 

 1986年生まれ。作家。2015年に『ユートロニカのこちら側』でデビュー。18年に『ゲームの王国』で山本周五郎賞、23年に『地図と拳』で直木賞を受賞。

 

 

講談社 ホームページ

2022.09.05  『現代ビジネス』

「麻布競馬場」とは何者か?「中流の悲しみ小説」で大バズりの作家が「中流、東京、地方都市」への思いを語った

「麻布競馬場」というツイッターアカウントを知っていますか? Twitterにツリー形式(複数のツイートをつなげて読める投稿形式)で小説を投稿する匿名アカウントで、毎週のようにバズを巻き起こし、爆発的に拡散されています。

そんな麻布さんのツイートから傑作を集めたショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』がついに発売されました。収録されている話の多くに、地方出身者の東京での「挫折」が描かれています。どうして執拗に「地方と東京」のギャップに苦しむ人間を描き続けるのか、麻布さんに聞きました。

(取材・構成/長瀬海)

 

l  「流山おおたかの森」イジリから始まった

——麻布競馬場さんがTwitterに小説を投稿することになったきっかけをお聞かせください。初めての投稿はいつだったのでしょうか?

麻布競馬場(以下、麻布) 2021年の10月頃が初めてのツリー形式での小説の投稿でした。あの頃のツイートは全部消しちゃったんですが、いま書いている物語よりももっと俗っぽいものでしたね。最初は完全にお遊びのつもりで書いてたんです。たくさんの人に読んでもらおうという意識もありませんでした。

ちょうどその頃、窓際三等兵さんというアルファツイッタラーの方Twitterに小説を書いてバズり始めたんです。彼はタワマンに住んでる人の悲哀を物語に仕立ててたんですけど、それに影響を受け、現在のスタイルの原型ができました。

l  麻布さん

——じゃあ、最初は反響も特に期待せず、気軽に書いて投稿していた?

麻布 ええ。単行本にも収録されている、流山おおたかの森に住む元カレに会いにいく女性の話を書いたらそれがバズって驚きました。

〈『30までお互い独身だったら結婚しよw』。三田のさくら水産での何てことのない飲み会で彼が言ったその言葉は、勢いで入れたタトゥーみたいに、恥ずかしいことに今でも私の心にへばりついています。今日は、彼と、彼の奥さんと、二人の3歳の娘の新居である流山おおたかの森に向かっています。〉(「30まで独身だったら結婚しよ」より)

当時SNSで、千葉の人気新興住宅地である「流山おおたかの森」をいじるのが流行っていて。

ざっくり言えば、「上昇志向の強かったビジネスパーソンが、自分は東京では圧倒的成功を収められないことを悟り、そのことに悲しみを抱きつつも、意地でも東京にしがみつき、流山おおたかの森に住む人たちことを『都落ち』だと見下すことで半ば無理やり自分のプライドを守ろうとするが、実際にはタワマンの狭苦しい部屋とは大違いの広い戸建てや緑豊かな環境、そして何より、競争を降りてパートナーや子供と暮らす人たちの幸せそうな表情を目の当たりにして、人生に関する価値観が揺らぐ場所」みたいないじりですね。

麻布 あの作品はそれに乗っかるかたちで書いたものなんです。だから、あんなに読まれるとは思ってもいませんでした。

そのうちまとめサイトに転載されて、そこで「あれは文学だ」って呼ばれるようになって。え……、僕が書いてるのって文学なの?って(笑)。まさかそんな風に受け取られるなんて思ってもなかったから、不思議な気持ちでした。

l  「中流」という火種

——麻布さんが書く小説は、さまざまな属性の人が思わず反応してしまうような巧みな書き方、そして、読後に苦い味を覚えるような、一種、露悪的な内容が特徴です。こうした書き方やテーマには、どのような想いを持っていらっしゃるのでしょうか?

麻布 「特定の人を傷つけたい」という気持ちはまったくありません。

僕の書く小説に登場する人物は中流階級出身のキャラクターが多いんですが、それは僕がまさにそんな人間だからなんです。地方のそこそこ名の知れた進学校を卒業して、慶應(義塾大学)に入り、ある程度有名な企業に入社して、まぁまぁの年収で細々と生きている。たまにちょっと高めのお寿司屋さんに行けばずいぶんと贅沢した気分になるような、まさに中流階級的な生き方をしてきた。

だから、自分がそこに所属しているという「属性意識」が非常に高いことは自覚していますし、それゆえ登場人物にもそうした人物が多くなる。

僕が中流階級について書くときに意識してるのは、読み方の「切り口」を多くすることです。同じ境遇の人には共感してもらえるし、もっとお金持ちの人には「大して金持ってないのに偉そうだ」って笑ってもらえる。あるいは「恵まれた立場のくせに悩んでんじゃねーよ」ってイライラしながら見てる人もいるかもしれない。

とにかくあらゆる人に、心地よさだったり、悪感情だったり、何かしらの反応を起こさせる絶妙な立ち位置にいるのが中流階級だと思うので、その属性を活かすことを意識すれば自然とたくさんの人に読んでもらえるんじゃないかなって考えながら書いています。

——麻布さんの小説では、人生の勝ち負けがはっきりしていますよね。そういった勝ち組と負け組の格差についてはどう思いますか?

麻布 僕が好きなノンフィクションに野地秩嘉さんの『キャンティ物語』という作品があります。昭和の六本木を舞台に、三島由紀夫、黒澤明、小澤征爾、加賀まりこ、ビートたけし、坂本龍一、松任谷由実といった文化人たちが集まった伝説のレストラン「キャンティ」を描いた本です。六本木の不思議な引力を感じさせる物語になっているんです。

この時代から、六本木で遊ぶ華やかな人は二種類に分かれています。一つは、そもそも裕福な家庭で育った、いわゆる「親ガチャ」で当たりを引いた人たち。もう一つは、家庭環境は恵まれなくとも自らの才能と努力で成り上がった人たちです。

僕は、特に後者のような人たちが華々しく活躍しているのを見ると、自分がいかに駄目な人間か痛感し、つらい気持ちになるんです。彼らに勝てないのは、誰のせいでもない、才能がない上に努力できなかった自分の問題だ……と強く感じてしまう。ルサンチマンを抱えながら社会の「上」を見上げると、天井がどんどん遠くなってるような感覚に襲われるんですね。普通に会社員をやっているだけではたどり着けない場所で彼らは生活している。圧倒的な敗北感に打ちのめされるんですよ。

でも、非正規雇用が増えている現在、僕がいる場所よりも経済的に厳しい層に蔓延する苦しさも、以前よりキツくなっているのかもしれない。上も下もキリがなく広がって見えるなかで、どこにも行けない自分の至らなさだけが手のなかに残る。現代の中流的な息苦しさって、そういう格差の拡大と、嫌でも感じてしまう自分の無力感で作られているんじゃないかなって思います。

l  東京への愛と憎しみ

——格差のお話がありましたけど、麻布さんの小説は東京と地方の差異を隠れた主題にしているものが多いですね。単行本の冒頭に収録された短編「34組のみんなへ」も地方で育った語り手と、東京で生まれた人間との、そもそもの人生における格差が描かれています。麻布さんにとって、東京という空間はどのような場所なのでしょうか?

〈「34組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。〉(「34組のみんなへ」より)

麻布 僕のなかの東京に対する感情のフェーズは3つに分かれています。1つ目は、地元で暮らしてた18歳までの日々で感じていた、憧れに似たような想い。あの頃、東京で流行ってるものはカッコいいとみんなが思っていて、自然と東京それ自体が何か価値あるものだと考えていました。東京に行った父親がお土産で買ってきたGAPのパーカを着ただけで、自分は田舎の他の学生よりもオシャレでイケてると思えたんです(笑)。素直に東京を羨むことができました。

その後、慶應に合格して東京に出てくるわけですが、そこで現実をぐさりと突きつけられる経験をするのがフェーズ2です。18歳で上京し一人暮らしを始めてすぐ、自分が着ている服が東京の流行りと全然違うことに気づきました。急に恥ずかしくなって、持っていた服を全部捨てて、買い直したのを覚えています。

加えて、慶應の同級生には、数学オリンピックに出たやつや、有名ミュージシャンや、学生起業して成功したやつがごろごろいました。あぁ、自分はこの18年間でこの人たちに置いていかれてたんだな……と思い知らされるわけです。地元にいたときは、自分が最上位層のイケてる人間であると疑ったことがなかったので、本当にショックでしたよ。

麻布 焦りに駆られて、彼らに追いつくために色々やってみました。友達とビジネスコンテストに出たり、大手広告代理店でインターンをやってみたり。でも、そのいずれでも、自分が一流にはなれないことがすぐにわかりました。僕は東京で何に関しても一番にはなれないんだなって、惨めな気持ちになりました。

そういう絶望を経て、それでもせめて平均以上の生活を営もうと、東京で就職をして日々なんとか生きている……というのが3つ目のフェーズです。

——なるほど、そういう原体験があるから、挫折した人間を物語のなかで描くとき、東京と地方の格差の問題が切実なものとして現れてくるわけですね。

麻布 そうですね。もちろん東京のなかにも格差はあるはずですし、世のなかの不幸を東京か地方か、という対立軸だけで語られるわけではないんです。ただ、僕にとってリアルな問題とは何かを突き詰めて考えると、自然と、東京と地方の格差の問題に収斂していくっていうことですね。

l  東京で感じる「オレ、“バリュー”ない…」

——麻布さんの小説で使われる象徴的な言葉に、「(自分は)東京で通用しなかった」というフレーズがあります。例えば、単行本に収められている「ウユニ塩湖で人生変わった(笑)」の美咲ちゃんも、「大阪から」に出てくる東京本社に異動して「落ちこぼれ」になった「俺」も、東京に出ていったけれど通用せず、地元に戻ってしまう。あの「通用しない」ことに漂う哀愁って何なんでしょう?

麻布 先ほどの話にもつながりますが、彼女たちは地元では神童だと言われてもてはやされてたはずなんですよね。好成績で高校時代を過ごし、東京の有名な大学に合格する頃には自尊心が極限まで高まっていた。でも、それが東京に進学、あるいは東京で働き始めたときポキッと折れる。

自分はできる人間だと思ってるから、自分に対して過剰に期待しちゃうし、そうやって期待を抱くに値するだけの努力を一応してきたはずなんです。でも、上には上がいると知って自分が通用しないことに気づくと、急に自分の人生が無価値なものに思えてしまうんですよね。

僕も、大学時代の友達が起業したり、転職で成功したりして、生活がどんどんリッチになっていくのをFacebookを通じて見せつけられたことがあって。全部が虚しくなって、一度Facebookのアプリを消してしまいました。

——確かにどんな世界にも上には上がいるものだと思います。ただ、だからと言って自分の「バリュー」がゼロになるわけじゃないですよね。面白いのは、にもかかわらず、そこで自分という存在が無価値になったように感じられてしまうところです。それが現代の地方出身者のリアルというか。

麻布 「梯子(はしご)レース」ってありますよね。ひたすら上だけを目指して梯子を登る競走。僕のような人間は生まれてからずっと、上を目指して競うことで幸せを感じるように訓練されてきたと思うんです。模試でいい点数を取れば褒められるし、塾のクラス替えで下に落ちると叱られる。自分自身の価値基準がろくに定まらないまま競わされ、上にいる人間に勝つことでバリューを確かめるような人生を送ってきたわけです。

だから、大人になっても「梯子レース」に参加することでしか自分の幸せを見つけられない人が割と多いんじゃないかなって思います。特に僕のような中流の層の人たちは。

——すべてが相対評価で価値づけられる世の中はキツいものがありますね。

麻布 ええ。現代の人間って、負けに対する意識がすごく強いんですよね。僕は就活生のTwitterをよく見るんですが、彼らは挫折経験をあまり持っていないんです。だって負けないことだけを考えて生きてきたんだから。それなのに就活では「あなたの挫折経験を教えてください」って頻繁に聞かれて、自己PRになる「挫折」をひねりだしている(笑)。

——だからこそ本物の挫折を味わうと、一気にどん底に落ちるわけですね。麻布さんの書く小説にはそのことが如実に表れています。

麻布 はい。東京で通用せず地元に戻るというのが、僕のようなメンタルの地方出身者にとって転落そのものなんです。

——こうした地方と東京の物語を書くにあたって、麻布さんが影響を受けた小説って何かありますか?

麻布 山内マリコさんの『ここは退屈迎えに来て』ですね。あの作品では、地方都市に漂う閉塞感のぼんやりとした感触が、凄まじい解像度で描かれています。収録されている短編それぞれにいろんなバリエーションの地方都市の苦しみが書かれていて、一読して衝撃を受けたのを覚えています。なかでも巻頭の「私たちがすごかった栄光の話」はまさに「地方の街」そのものが主人公の話だと思うんです。地方の空間のリアルな息苦しさが、ありありと立ち上がる作品で、凄みを感じました。

——ただ、この小説は書かれたのが2012年、10年も前のことです。あれから地方に暮らす人たちが見ている情景も大きく変わったのではないでしょうか。

麻布 最近読み返してみて、そのことは強く感じました。例えば、収録されている「東京、二十歳。」という短編では、東京に憧れる高校生の女の子が地元のTSUTAYACDを探しにいくけど入荷されてなかったというくだりが書かれています。あれはサブスクがこれだけ普及してる現在では成立しないエピソードですよね。

あるいは、「君がどこにも行けないのは車持ってないから」という作品には、音楽の趣味が合う人間が周りにいないから、少しだけ音楽に詳しいというだけで主人公の女性に運命を感じているめんどくさそうな男のことが書かれています。これもSNSが発達している現在では、状況は変わってきているはずです。

だからこそ、10年後のいま、この物語をアップデートするとしたらどうなるのかな、というのは気になるところです。

——あれから10年が経って、いま、麻布競馬場なりの地方都市の物語が書かれたら面白くなりそうですね。

麻布 それは良いなぁ。いつか書いてみたいですね。

 

 

 

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