明朝体の教室  鳥海修  2024.4.21.

 2024.4.21. 明朝体の教室 

~ 日本で150年の歴史を持つ明朝体はどのようにデザインされているのか

 

著者 鳥海修 書体設計士。1955年山形県生まれ。多摩美術大学卒業。79年写研入社。89年字游工房の設立に参加する。ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシック、游書体ライブラリーの游明朝体・游ゴシック体など、ベーシックな書体を中心に100以上の書体開発に携わる。2002年佐藤敬之輔賞、05年グッドデザイン賞、08年東京TDCタイプデザイン賞を受賞。12年から「文字塾」を主宰し、現在は「松本文字塾」(長野県松本市)で明朝体の仮名の作り方を指導している。22年には個展「もじのうみ 水のような、空気のような活字」(京都dddギャラリー)を開催した。著書に『文字を作る仕事』(晶文社、日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『本をつくる 書体設計、活版印刷、手製本――職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』(河出書房新社、共著)

小宮山博史(こみやまひろし)
書体設計士、書体史研究家。1943年東京生まれ。國學院大学卒業。1971年佐藤タイポグラフィ研究所に入所し、書体研究家・佐藤敬之輔に師事する。書体デザインの成果は、平成明朝体、中華民国国立自然科学博物館中国科学庁表示用特太明朝体、韓国サムスン電子フォントプロジェクトなどがある。書体史研究の成果は、『日本語活字物語──草創期の人と書体』(誠文堂新光社)、『明朝体活字字形一覧─1829年~1946年─』(文化庁)などに見られる。2010年竹尾賞デザイン評論部門優秀賞、2011年佐藤敬之輔賞受賞

日下潤一(くさかじゅんいち)
グラフィックデザイナー。1949年香川県生まれ。1974年~1976年渡米。帰国後、大阪にビーグラフィックスを設立し、1984年東京に移転。装丁を手がけた書籍に『海峡を越えたホームラン』(関川夏生、双葉社)、『五体不満足』(乙武洋匡、講談社)、『孤独のグルメ』(久住昌之+谷口ジロー、扶桑社)などがある。雑誌では「芸術新潮」(1989年~2014年)、「小説現代」(2005年~20018年)などのアートディレクションを担当。 「印刷史研究会」を小宮山博史らと結成・運営、その成果は雑誌「印刷史研究」(全8冊)、書籍『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社)などにまとめられている。

 

発行日           2024.1.10. 初版第1刷発行 

発行所           Book Design

 

 

まえがき

ルーツの異なる4種類の文字(漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット)を組み合わせることで表記され、縦にも横にも組めるという言葉は、世界でも日本語だけ

世界中のほとんどすべての書体がデザインの統一感を意識しているのに対し、日本の明朝体は統一感とは無縁の書体。ところが、日本語の長文は明朝体で組むのが最も読みやすいとされ、本や新聞などの本文に利用され続けている。統一感がないからこその読みやすさ

明朝体で組まれた文章は、幾何学的なデザイン(漢字)の言葉が出てきたら漢語、有機的なデザイン(ひらがな)の言葉が出てきたら和語、楷書ふう(カタカナ)は外来語、カリグラフィふう(アルファベット)は略語というように、文字のデザインと言葉の種類が密接に関連している。そのため、言葉の意味が取りやすく、可読性が高められている

本書で書いたのは、以下の2

1.  本文用明朝体の作り方を、字游工房が作った游明朝体を基準にして、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、約物の順に解説

2.  様々な明朝体に対する批評。錯視と黒みムラの調整は、書体デザインにおける最重要ポイントと位置付け

書体デザイナーがその手法を言語化して解説するのは、日本の書体設計史上初の快挙

 

 

第1章     漢字の作り方

漢字には3500年の歴史があり、様々な書体で書かれ印刷されて来た

明治以降、明朝体のデザイン化が一気に進み、現在に至る

 

l  書体デザインの基礎知識1 大きさ、骨格、エレメント、太さ 四つのポイントを概説する

書体作りは、コンセプトを定めることから始まる――本文用か見出し用か、縦組み用か横組み用か、誰が読むのか、個性的な書体に挑戦するのか、などを明確にする

次いで、コンセプトに合った文字デザインのイメージを言葉で膨らませる

書体セットに必要な漢字の文字数は14,000字を超え、画数に応じて、デザイン的なイメージを揃えるため、4つのポイントが重要――大きさ、骨格(字体と字形、フトコロ、重心)、エレメント、太さ。12文字(東・国・三・愛・霊・今・鷹・永・力・袋・酬・鬱)の書体見本を作り、そこから字種(じしゅ)を増やしていく

その1     大きさ

最初に3つの大きさを設定――仮想ボディ、標準字面、最大字面

ü 仮想ボディ――文字が格納されている正方形の枠。縦横1000ユニット(分割)で構成

ü 標準字面――文字の部分が収まる四角形が「字面枠」で、文字と文字がくっつかないよう仮想ボディの一回り小さい枠に文字を収めるが、その基準枠が「標準字面」。漢字は、字面の大きさの数値的な基準の「標準字面A」と、字面の大きさの見た目の基準の「標準字面B」を設定

2つを目安として使いながら、字形や画数などにより生じる大きさの違いを均一化する

游明朝体Mの場合、仮想ボディに対し「標準字面A」は93%、「B」は82

仮名の標準字面にはA,Bの区別はなく、漢字よりひらがなが小さく、カタカナはさらに小さい

平仮名の標準字面は83%、カタカナは82%。同じ大きさの字面でデザインすると、画数が少ない文字ほど大きく見えるので、字面の大きさに差をつける

ü 最大字面――見栄えなどを考慮した特例的な枠。游明朝体Mの場合、漢字は96%、仮名は厳密に決まっていない。その数値は12文字の書体見本を作る過程で最終的に決定

標準字面Aを小さく作ると、文章を組んだ時に字間が広くなり、大きく作ると狭くなる。字間の広狭は読みやすさに影響するので、大きさの設定は重要。太さによっても標準字面の多きさは異なり、細ければ狭く、太ければ広く設定し、見出しは大きな文字で短文を読むのに最適

 

その2     骨格

ü 字体と字形――「字体」はその漢字は何かを示す文字の骨組み、「字形」はそれを表す文字の形。「読」と「讀」は字体の違いであり、「字」の1画目を棒にするか点にするかは字形の違い。書体デザインとは、字体に相応しい字形を書体のコンセプトに沿って考える作業

ü フトコロ――画と画に囲まれた空間がフトコロ。広ければおおらかな印象、狭い書体は引き締まった印象を与える

ü 重心――文字の見た目の中心。重心の高低により「若々しさ」「落ち着き」「軽快さ」「重厚さ」を表現。高くすると緊張感やスピード感が生まれ、低くすると安定感が生まれる

 

その3     エレメント

文字の骨格に肉付けした部品のこと。縦線のトメが丸みを帯びるほど「クール」から「ホット」へ、「機械的」から「人間的」へと印象が変わる

ü 横線――筆文字の「三」は、1画目を右上がり、2画目をやや緩い右上がり、3画目はほぼ水平にするが、明朝体ではすべて水平にしてウロコで止める

ü 縦線――筆文字では起筆を打ち込み、やや細く送筆し、終筆は払ったり止めたりとなるが、明朝体は全て止める

ü ハネ――タテハネ()、マゲハネ()、カタハネ/角ウロコ()、ソリハネ()、カギハネ()

ü ハライ――左ハライ()、右ハライ()、ハネアゲ()

ü 点――点(点の右3)、逆点(点の左点)、点とハネの複合(海の3画目)

 

その4     太さ

游明朝体Mの場合、縦線の一番太いところで、漢字が70/1000ユニット、ひらがなが77/1000、カタカナが79/1000。同じ太さにすると画数の少ない字は弱く見える

 

デジタルフォントは写真植字より標準字面が大きくなっている――写植の文字は、ネガの文字盤で作った文字の形をした光を印画紙に露光させて作るが、光が放射状に広がるので、外側ほど光量が弱くなり、仮想ボディ一杯に文字をデザインすると、外側がぼけてしまうため、標準字面を小さめに設定する。デジタルはその制約がなく、仮想ボディぎりぎりまで使える

 

l  書体デザインの基礎知識2 錯視と黒みムラを調整する

秀英明朝――大日本印刷が前身の秀英舎の時代から受け継いできた金属活字に由来

イワタ明朝体オールド――岩田母型製造所(現イワタ)が1951年発売してベストセラーになった岩田明朝を2000年にデジタル化したもの

游明朝体――字游工房が製作した自社書体。「ふつうであること」がコンセプト。2002年発売

平成明朝体――通産省工業技術院肝煎りで設立されたフォント開発・普及センターの主導で開発され1990年完成。低解像度のOA機器でも高品質を保てるようデータ量を抑えている

 

文字のデザインは、錯視と黒みとの戦い

ü 錯視――形・大きさ・長さ・方向・色などが客観的に測定される状態とは違った見え方をする現象。「付」の人偏は左ハライによって左に傾いて見えるのを補正するために垂直の縦線の上方左側を削って細くしている。旁も4画目の縦線が下のハネに引かれて右に傾いて見えるのを補正するため、縦線の下方右側を太くしている

ü 黒み――黒い部分が偏在する現象。「付」の人偏の左ハライと縦線が鋭角に接する部分の黒みを弱めるために縦線の上方左側を削ったが、さらに左ハライの下側も削る(「墨取り」)

 

l  書体見本の作り方

書体セットを作るとき、ほとんどの場合、漢字の「東」と「国」から始める

ü 「十」の作り方――大きさ、骨格、エレメント、太さとも最初に作る「東」が基準。1画目の起筆部分に印圧のニュアンスの差が出る。ウロコの形にも工夫。天地中央よりやや上方に置いたり、縦線を中央より左目に置き、終筆に向かうにしたがい太くするのは錯視調整

ü 「田」の作り方――「国」が基準。3本の縦線を同じ太さにすると、錯視により右の縦線が細く見えるので、太さの順を「右>左≧中央」にすると落ち着きが出る。2画目の転折部の角ウロコも傾きや角ばったり丸めたり種々ある。外側2本の縦線についても、右が短いのは、元となる『康煕辞典』に倣ったからで、筆で書くときは右が長いので、楷書体とは異なる

右上角のウロコも右の縦線が短いのも、字全体の右上がりをデザインとして表現しているためで、元々中国における漢字の歴史を見ても水平垂直の篆(てん)書や隷書が、右上がりの草書や楷書に変化しているが、徐々に右上がりが弱まりつつある

 

書体作成の基本は、書体見本12文字(東・国・三・愛・霊・今・鷹・永・力・袋・酬・鬱)にあり、14千字を超える漢字作りに必要なデザインの要素が凝縮されている

書体見本によって、標準字面A,Bや、フトコロの大きさ、縦線の太さなどの基準が決まる

次いで、「字種拡張」のための第1段階が415の「種字(たねじ)」作成。種字の部首やエレメントを最大限使って、JIS1水準の2,965字を作成。通常の文章はこの水準だけで書ける

次いで、第2水準の3,390字。JIS4水準までの漢字をカバーし、さらに人名、学術漢字などを加え、23,058(うち漢字は14,663)の書体セットが出来上がる

ü  「東」と「国」は漢字デザインの基準。標準字面A,Bを決める

「東」の役割――①中央縦線の起筆から終筆までの天地幅が標準字面A1辺の長さとなり、全ての漢字のエレメントの細い部分が字面の最も外側に位置している時には、それらのエレメントがAに届くように配置する。また、②最大字面も決まる。7,8画目の左右のハライの先端が最大字面(96)になるので、「来」などの左右のハライに準用される

「国」の役割――左右縦線の外側の左右幅が標準字面B1辺の長さとなるので、全ての漢字のエレメントの長い部分が字面の外側にある文字は、Bを目安に配置する

「三」の役割――3本の横線の長短と切り分ける空間の広狭が、その書体のフトコロのイメージを定める。天地幅が狭く長短の差が大きいほどクラシックなイメージに、天地幅が広く長短の差が小さいほどモダンなイメージ

「愛」の役割――左右幅に変化がある文字、多数の小さなエレメントで構成されるので、太さや黒さ、フトコロの取り方の基準になる

「霊」の役割――横線が多い文字の例。横線の長さと間隔のバランスのとり方の基準

「今」の役割――菱形文字(分、合、令など)の代表例。小さく見えがちなので、どこまで大きくしたら他の文字と遜色なく見えるかの基準

「鷹」の役割――横線10本をどう収めるか。麻垂れ・雁垂れの垂(たれ)の内側の広さの基準

「永」の役割――漢字を書くために必要な8つのエレメント(永字八法:点、横画、縦画、ハネ、右上がりの横画、左ハライ、短い左ハライ、右ハライ)が含まれる

「力」の役割――画数の少ない文字の大きさや太さの基準。大きくなり過ぎないように留意

「袋」の役割――標準的な画数の文字、空間のバランスや「弋」の形が字種拡張の際に役立つ

「酬」の役割――点も含め縦線6本と多い文字の例で、どこまで細くできるかの判断材料に

「鬱」の役割――極端に画数の多い文字の黒みの基準。標準字面からはみ出しても黒みを散らすのが優先

 

ü 「東」の作り方――書体の基準となる文字で、書体のコンセプトが具現化される

明朝体の原則:

縦線は、右を太く、左を細く。外を太く、内を細く

 

l  単体漢字の作り方

偏や旁を持たない比較的画数の少ない漢字を「単体漢字」と呼ぶ。字形、大きさ、太さなどの考え方は、多くの漢字に応用できる

ü  「木」の作り方――3,4画のハライには書体の性格がよく現れる

ü  「文」の作り方――左右のハライが交差することで、「木」よりも難易度が高い

ü  「心」の作り方――「愛」の一部の「心」とは字形が異なる。楷書体が唐の時代の筆書きを再現する書体なのに対し、明朝体は明の時代に用いられた印刷用の書体であることが、両者が大きく異なる原因。明朝体では正方形を意識した大胆なデザイン化が行われた

ü  「我」の作り方――エレメント間の空きが均一に見えることが重要。5画目のソリハネに引っ張られて2画目の横線が右下がりに見える(錯視)ため、少し右上がりに引く。4画目のハネアゲも手偏などでも見られるが、3画目の縦線と交わった後で細くなって見える(錯視)ため、交差した後の下辺を太くする

 

l  左右合成漢字の作り方

偏と旁で構成される漢字を「左右合成漢字」といい、同じ偏の漢字でも旁の形や大きさによって、エレメントを調整する必要がある

ü  「調」の作り方――言偏の基本形。「内側より外側を強く」の原則から、偏の4本の横線の長さは、「2画目>1画目>3画目=4画目」とする。「口」の幅は4画目の横線と同じか狭く。偏と旁の一体感も重要で、「口」の下に「周」の左下ハライ部分を潜り込ませる

旁の「土」の一部が外周に接して作られている書体があるのは金属活字のデザインの名残で、細い横線を近接する縦線に繋げることがよく見られる

ü  「海」の作り方――三水(さんずい)の基本形。3画目のハネアゲが独特

ü  「鯨」の作り方――魚偏の基本形。旁の大きさによって「魚」の幅を調整するが、狭め

ü  「錠」の作り方――金偏の基本形。旁の大きさによって「金」の幅を調整

ü  「通」の作り方――之繞(しんにょう)の基本形

ü  「赴」の作り方――走繞(そうにょう)の基本形。「柿」(旁は「なべぶた」に「巾」)と「杮」(旁の縦線は1)の差異と同様、「走」の縦線が1画に見えないように3画目の横線から下をずらすなど工夫が必要

 

l  上下合成漢字の作り方

冠など、上部と下部を合わせたような漢字を「上下合成漢字」といい、同じ旁の漢字でも下部に来る字の形や大きさによりエレメントを調整する必要があるのは、「左右合成漢字」と同じ

ü  「家」の作り方――ワ/ウ冠の基本形。冠の下を空け、全体のバランスや重心の低さを見る

ü  「範」の作り方――竹冠の基本形

ü  「病」の作り方――垂の基本形。垂とその内側の関係。「病」は重心が右に寄りがち

ü  「気」の作り方――気構(きがまえ)の基本形。「気」は重心が左にずれる

 

l  字種拡張の方法

明朝体金属活字は19世紀のフランスで初めて作られた。東洋学の研究用とともに、キリスト教布教に必要とされたため。当時の欧文の基本書体であるローマン体と明朝体がデザイン的に似た雰囲気だったことと垂直水平構造が楷書体よりデザインし易かったことから明朝体になった。「分合(ぶんごう)活字」と呼ばれる手法で活字が作られ、上下・左右を別個に作るので、字種拡張が容易。偏や旁のスペースを字面の1/3としたため、バランスは悪いが、彫刻する活字の数は激減。現在でも分合活字の発想で字種拡張が行われ、そこに修正を加えている

ü  字種拡張:「謡」の場合――「謡」を作るために必要な種字を周囲に配置した字種拡張のファイルは以下のようになっている

言偏の種字は、旁の字形などにより「話」など6文字あるが、画数のほぼ同じ「論」を利用、「緩」の旁の上部と、「端」の旁の上部の「山」を「謡」の旁の下部に移動させ、それぞれエレメントとして利用すると、字面の外側が決まる。「嵯」の旁のウロコを参考にして「謡」の旁のウロコの大きさを決定

ü  字種拡張:「築」の場合――字種拡張のファイルは以下のようになっている

竹冠の種字は4種あるうち、下部とのバランスなどから「篤」を使う。「恐」の上部と「柴」の下部を使用して、上下の高低幅を調整して字形を工夫

 

コラム  漢字とひらがなの3500年史

ü  甲骨文字――3500年前

ü  篆書――戦国時代(BC475221)に地域ごとに作られ、秦の始皇帝によって統一書体

ü  隷書――前漢時代(BC206AD8)に、隷書の書きにくさを改善して簡略化したもの

ü  草書、行書――後漢時代(25220)に隷書を崩して誕生。「草」は「下書き」の意。王義之

ü  楷書――南北朝(420589)、随(581618)、唐代(618907)に標準書体として定着。欧陽詢、顔真卿

ü  明朝体――明 (13681644)、清代(16441912)に、楷書体の印刷文字としての特性を高めたものとして定着。『康煕辞典』(1716)は漢字字書の規範

和様書風の確立

ü  三筆――空海(774835)、嵯峨天皇(786842)、橘逸勢(はやなり、782844)。楷書

ü  三蹟――小野道風(みちかぜ、894966)、藤原砂理(すけまさ、944998)、藤原行成(9721027)。万葉仮名の草体化(崩し文字)→連綿仮名(複数のひらがなを繋げて書く)→草(そう)仮名と発展してきた和様書風の爛熟期

ü  嵯峨本――江戸時代初期。角倉素庵(15711632)、俵屋宗達(生没不詳)が連綿体の木活字を開発して出版

ü  木版印刷――大鳥圭介(18331911)が「楷書+非連綿仮名」の金属活字を完成させ、木本昌造(182475)が金属活字を鋳造(1869)

ü  ひらがな――上代様かなが原点。連綿仮名を切断したようなものが使われていたが、徐々に漢字かな交じり文が整う

 

第2章     仮名の作り方

l  仮名と漢字の親和性

ひらがなは、全てのエレメントが曲線で構成される手書きのようなデザインで、カタカナは楷書のイメージで11画をしっかり書いたようなデザイン。漢字とは全くスタイルが異なるため、何らかのデザインの親和性がないと読みにくい

親和性を高める方法――エレメントの定型化と、コントラストの強化

起筆と終筆の定型化

細い部分を漢字の横線くらいまで細くし、太い部分を漢字の縦線よりもやや太くしてコントラストを強める

 

[ひらがなを作る]

l  言葉から始まるデザイン

ひらがなは、「フトコロ」「エレメント」「大きさ」によって見え方が変わる

「フトコロ」の狭い/広い――暗い/明るい、スマート/堂々、大人びた/子どもっぽい

「エレメント」の単純/複雑――機械的/人間的、情緒がない/情緒がある、静的/動的

「大きさ=字面」の小さい/大きい――控え目な/力強い、清楚/剛毅

言葉のイメージは「組版」で表現することも可能――仮想ボディを変えずに、字面だけ大きくすると字間が狭くなり、「力強い」「剛毅」なイメージに、逆に小さくしてバラバラさせると「控え目」「清楚」などのイメージになる

「運筆」による表現の違い――「骨格」「粘着度」「速さ」の変化により、言葉のイメージを考える

「骨格」では、クラシックな行書体からモダンな明るい印象まで変化

「粘着度」では、運筆がうねるように複雑なものから、簡潔なものまで、柔らかさなどを表現

「速さ」では、極端な右上がりで「動的」な印象を与えたりする

 

l  ひらがなの書き方

仮名は手で書くほうがよい。筆の運筆をしっかり表現するための基本的な手法とは

試作(鉛筆書き)→下書き(字形、運筆、筆の強弱を意識して2種類作成)→墨入れ(単線図上に入れる)→仕上げ(デジタルデータ化して仮フォントを作成し修整する)

 

ひらがなの代表6書体比較

漢字の4書体から平成明朝体を除き、以下の3書体を追加

リュウミン――森川龍文堂の新体明朝が土台、1982年モリサワが写真植字用として発売、1993年デジタル化。モリサワを代表する明朝体書体

ヒラギノ明朝体――大日本スクリーンの委託により字游工房が1993年作成。「シャープ」「モダン」がコンセプト。横組み用の仮名も同梱

筑紫明朝――2004年フォントワークス発売。横組みを意識したエレメントのデザインにも特徴

 

明朝体のひらがなの特徴が表れている13文字

1字のなかでの点画の繋がりだけではなく、前の文字や次の文字に繋がる意識を持つことが重要。「い」「お」「か」「ふ」「む」などの明朝体は撥ねて終わり、次への繋がりを意識している

ü  「あ」の書き方(もとの漢字「安」)――游明朝体が楷書的。イワタでは、1画目の急な右上がりの終筆を左上に撥ね上げ、その筆脈を受けて2画目の縦線が反り返るように下りていく、独特の癖がある。3画目の右側の弧の描き方に書体全体の性格が掛かっている

ü  「お」の書き方(もとの漢字「於」)――教科書体とヒラギノ明朝体は2画目の縦線が下で左へ折り返し、右に弧を描くように一筆で書くが、一般の明朝体は折り返しで一旦途切れ、3画目で大きく弧を描くので、4画の文字になっている。縦線の起筆の打ち込みと、弧の起筆の打ち込み(折り返し部分)と最終画の点の3カ所を強くすると、運筆の強弱のバランスが良くなるため、バランスを優先して一旦途切れさせ、別の画が始まるようにした

ü  「か」の書き方(もとの漢字「加」)――1画目の起筆に2種あり。「露峰(ろほう)」は筆の先を外に出して書き(左上から右下におろすようにしてそのまま横線に入る)、「蔵峰(ぞうほう)」は、画の中に隠すように、筆先を反時計回りに1回弧を描くようにしてから横に線を引いていく

ü  「き」の書き方(もとの漢字「幾」)――3画目は、2画目のハネから時計回りの弧を描くように空を描いて起筆する。教科書体では弧を一旦切って、4画にする。「さ」も同様

ü  「す」の書き方(もとの漢字「寸」)――真ん中の丸を「結び」といい、書体間の特徴が出る

ü  「な」の書き方(もとの漢字「奈」)――運筆が複雑。3画目は点を書くようにしっかり止め、その反動で戻るように反時計回りに運筆して縦線へと続く。教科書体ではここで一旦切るので4画だが、明朝体の多くは3

ü  「の」の書き方(もとの漢字「乃」)――「の」「と」「は」は書体の代表

ü  「は」の書き方(もとの漢字「波」)――「結び」のある字は多いので、大きさの順を決める

ü  「ふ」の書き方(もとの漢字「不」)――教科書体は4画だが、明朝体の多くは文字としての一体感を持たせるために2画。縦書きの場合、1画目が読点と見間違われる恐れがある

ü  「へ」の書き方(もとの漢字「部」)――ひらがなは曲線的、カタカナは鋭角で直線的

ü  「む」の書き方(もとの漢字「武」)――『古今和歌集』の最古の写本で上代様かなを代表する『高野切(こうやぎれ)』の第1種と3種は結びが低い位置にあり、第2種は真ん中辺りにある。明朝体は第2種に倣い、教科書体は1種と3種のほうの書きぶりに倣った

ü  「れ」の書き方(もとの漢字「礼」)――終筆が右に抜けていく代表。ほかに「し」「ん」

ü  「を」の書き方(もとの漢字「遠」)――左右の中心線を意識すると字形が安定する

 

l  横組み用ひらがな

文字の天地・左右幅に広狭があり、ラインや字間にバラツキが生じないよう一定にする

横組み専用の仮名書体が「疾駆仮名」で、そこから派生したのが「水面かな」

 

[カタカナを作る]

l  カタカナのパターン分類――カタカナの字面とエレメントのパターンを分類

漢文訓読の補助的な役割を担ったのがカタカナ。9世紀ごろの誕生。漢字の「かたほう」を抜き出したので「カタカナ」と呼ぶ。平仮名は曲線のエレメントを多用する草書的な文字で、上代様かながデザインの原点だが、カタカナにはそうした歴史的な基準はない

ü  字面のパターン分類表

パターンA     ア・オ・ケ・サ・チ・テ・ナ・ネ・ヤ・ヰの10字。大きな文字で、標準字面いっぱいに広がる

パターンB     イ・ウ・キ・ク・ソ・タ・ノ・フ・メ・ラ・ワ・ヨの12文字で、縦長

パターンC     ト・ミ・リの3字で、さらに細い文字

パターンD     ス・セ・ネ・ヒ・モ・ル・レの7字で、左右が標準字面に接する横長の文字

パターンE      エ・コ・モ・ハ・ヘマ・ユ・ヨ・ロ・ヱの10字で、横長でさらに天地幅が狭い

パターンF      カ・シ・ツ・ホ・ム・ンの6字で、Aより字面が一回り小さい

ü  エレメントのパターン分類表

パターン①②       横線のエレメント。①は「エ」の上横線で谷反り、②は「エ」の下で山反り

パターン③~⑤    横線が転折した後、左もしくは下に向かうエレメント。③は「フ」など、④は「セ」などハライが短いタイプ、⑤は「コ」などで転折した後下に向かう

パターン⑥⑦       縦線のエレメント。⑥は「イ」で終筆を止めるタイプ、⑦は「オ」終筆を撥ねるタイプ

パターン⑧⑨       縦線が転折した後右に向かうエレメント。⑧は「レ」で右上に払うタイプ、⑨は「セ」で右に曲げて止めるタイプ

パターン⑩⑪       ハライのエレメント。⑩は「ノ」で左ハライ、⑪は「シ」で右上にハラう

パターン⑫         「ミ」の点、「ホ」逆点

パターン⑬         「へ」のみ

 

l  濁音半濁音、拗促音、長音、踊り字、ルビの作り方

ü  濁音・半濁音の作り方――全体のバランスを考えて濁点・半濁点や、場合によっては静音の配置を調整

ü  拗促音の作り方――明朝体では、文字のデザインは共通で、位置の変更のみ。サイズは静音の7880

ü  長音の作り方――カタカナにのみ使われるのが日本語文章の原則だが、最近はひらがなでも混ざるようになってきた

ü  踊り字の作り方――同じ文字の繰り返しを避けるために用いられる「繰り返し記号」

ü  ルビの作り方――明治時代に5号活字(3.69㎜四方)のふりがなとして使用した7号活字(1.85㎜四方)が、イギリスで「ruby」と呼ばれた5.5ポイント活字に近い大きさだったことからついた呼び名。4.5ポイント活字はダイヤモンド、6.5ポイントはエメラルド

 

l  組版テストの方法

文字作りは修整の連続。1文字の修整のみならず、全体を眺めることも大切

配列を変えてもバランスよく見えるかどうかをチェック

仮名書体がOKになったら、組み合わせるべき漢字との合成フォントを作り、実際の文章を組んでみて仮名と漢字の関係をチェック

 

第3章     欧文書体、算用数字、約物などについて

l  欧文書体と算用数字の作り方

和文書体に付属する欧文書体は、文章として組まれるより、記号的に使われる場面が多いことを意識して作成

欧文書体制作には2つの方向性――文章として読むための欧文専用の書体と、和文に混植された欧文を読むために付属欧文の書体作り

明朝体の付属欧文はセリフ(文字の端にある装飾)が付いたローマン体が基本

ローマン体は、手書きのニュアンスが特徴のオールドスタイルと、直線的なラインが特徴のモダンスタイルがあり、前者は16世紀に作られたギャラモンGaramondなど、後者は18世紀末に作られたボドニBodoniなどが代表例

 

l  約物の作り方

約物とは、文字・数字以外の記号の総称。「約」は「つづめる(短くする)」の意。明治の中頃まで全角の大きな約物はなかった

 

 

あとがき
使用書体一覧

 

 

 

Book Design ホームページ

『明朝体の教室 日本で150年の歴史を持つ明朝体はどのようにデザインされているのか』(2024110日発売予定)

 

  

史上初! 書体デザインの第一人者が書いた明朝体の作り方の本

 

書体デザインの第一人者、鳥海修氏が明朝体のデザインと作り方について書いた本です。本文用明朝体の制作手順から、各書体の比較検討、文字の歴史まで、明朝体のすべてを、わかりやすく解説しています。

字游工房の游明朝体を基準にして、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベット、約物の順に文字デザインの特徴を説明。さまざまな明朝体と比較しながら、明朝体の本質に迫ります。

今まで言語化されることのなかった明朝体の作り方が初めて書籍にまとめられました。

デザイナーや文字を愛するすべての方に読んでいただきたい一冊です。

 

【著者コメント】

書体デザインに携わっている人はもちろん、これから書体デザインをめざそうとする人、書体デザインに興味のある人は、ぜひこの本から、書体デザインの楽しさと奥深さを感じ取っていただけるとうれしいです。

明朝体の世界へ、ようこそ。(鳥海修)

 

 

 

202439 2:00 [会員限定記事] 日本経済新聞

書体設計士が明かす「明朝体」制作の奥深さ

明朝体の教室 鳥海修さん(あとがきのあと)

鳥海さんは「本当の読みやすい文字って何だろう」と考え続けている

書体デザインの第一人者が、日本で150年の歴史を持つ明朝体の「作り方」をまとめた。これまでも書体設計士という自身の仕事の内容を紹介する本を書いてきたが、「実際の文字の具体的な制作手順に踏み込んで書いた」ことが本書の特徴だ。

例えば、田という漢字。中央の縦線を左右の真ん中に置くと、人間の目の「錯視」によって右の空間が狭く見える。中央の横線も上下の真ん中に引くと下側が狭く見えるため、双方の線の位置は少しずつずらして調整している。「読みやすさのために細部にこだわっている。その一つ一つが大事なこと」だと説く。

多摩美術大学卒業後、写真植字メーカーの写研を経て1989年に同僚2人と書体デザインを手掛ける「字游工房」を設立。游明朝体、游ゴシック体など100以上の書体開発に携わり、2024年の吉川英治文化賞受賞が決まった。

「日本人にとって文字は水であり米である」。仕事を始める頃に、かけられた言葉だという。「自分の出身地、山形県の庄内平野の水田の光景が思い出されて、この世界に引き込まれていった」

「本を作ることの中に文字がある。その一滴を担うのが私の仕事だ」。デザインの際には「誰が作ったのか分からないような文字を心がけている」が、「手で書くことが基本なので、文字の骨格には自分が出てしまっていると思う」。

これまで現場は「『見て覚えろ、やってみて覚えろ』という世界」で、実際の手順を記した資料は少なかった。「言語化することで、プロのみならず、興味のある一般の人にまで裾野が広がっていく」ことを期待する。

近年は大学や一般向け講座で後進の育成にも取り組んできた。「この本をベースに、また誰かが新しいものを作っていけばいい」。自らも「本当の読みやすい文字って何だろう」と、探求は続く。(Book&Design3520円)

 

 

(著者に会いたい)『明朝体の教室』 鳥海修さん

202446 500分 朝日

 ■書体には人生が表れる 書体設計士・鳥海(とりのうみ)修さん

 「文字は水であり米である」。学生時代に聞いた書体デザイナーの言葉で、この道に引き込まれた。

 「田」は、6本の直線で囲まれた四つの空間の左上をいちばん狭く、右下をいちばん広くすることで自然なバランスをとる。12画目の縦線は、下に向かうに従って太くする。右上の角に突き出る「ウロコ」の角度や大きさを追求する。

 同じ太さ、同じ間隔で線を引いても、人間の目にはどれかが細く、どこかが狭く見える。ときに005ミリレベルの修正を重ねていく。「わずかな違和感は一瞬でわかる。勝手に手が動きます」。その工夫に「読んでいる人は気づかないのがいい文字です」。

 美大を卒業後、写植機メーカーの写研で書体デザイナーとして働いた。その後、先輩と会社を立ち上げ、游明朝体をはじめ100を超える書体設計に関わってきた。長年の功績が評価され、今年の吉川英治文化賞に決まった。

 水や米のように欠かせないものなのに、書体デザインの技法を詳細に伝える解説書がない。だから、自分で残すことにした。「この本にそれぞれが肉付けしていってくれたらいい。最初の一冊として作りました」

 かつてグラフィックデザイナーの先輩から「70歳にならないと本当の明朝体は作れない」と言われた。「書体には人生の経験が出る。出ないとおもしろくないよね」。歴史を学び、知識が増えると、美しいと感じる書体の幅も広がっていった。

 本書では、他のメーカーが作った書体を批評し、自身が手がけたものに反省もする。游明朝体にも、いまはもう満足していない。「きれいすぎるというか、品が良すぎるというか。『水清ければ魚(うお)棲(す)まず』と言うけれど、ここに魚はすんでないんじゃないかなって」。過去ではなく、いま作るものがいちばんいい。続けてきた人の自負は、格好良い。

 (Book&Design・3520円)

 (文・田中瞳子 写真・鬼室黎)

 

 

『明朝体の教室』鳥海修著

2024/03/29 15:20 讀賣オンライン

「東」の字を見比べると書体ごとに受ける印象が異なる(本書より)

 本や新聞をよく読み、「活字離れ」とは無縁だと思っている人でも、活字の制作手順や成り立ちに精通した人は多くないだろう。本書は、書体デザインの第一人者が「明朝体」をテーマに解説した一冊だ。

 パソコンのフォントでもおなじみ「明朝体」。読んで字の如く、中国・明代に、楷書体の印刷文字の特性を高めた書体として定着した。清代に康煕帝の勅命で、約47000字を収めた漢字字典『康煕字典』が編纂され、日本の「明朝体」の拠り所になっているという。

 「明朝体」と一口に言っても、その種類は豊富で、デザインには、奥深い世界が広がる。文字の重心の高低や太さなどによって、がらりと印象が変わる。技術だけで書体は作れない。著者は〈技術の前提になる姿勢〉、大きく言えば哲学が大切と説く。「書は人なり」と言われるが、ネット時代でも変わらない。書体の端々に、丹精を凝らした設計者の心が宿っているのだ。(Book&Design3520円)(真)

 

 

ダイナフォントストーリー ホームページ

2024/02/21

ぬらくら第154回「書籍『明朝体の教室』」

このコーナーでも度々取り上げてきた「明朝体の教室」が本になりました。

201811月に連続講座として始まった「明朝体の教室」は書体設計士の鳥海修 (* 1) さんに質問するという形式で小宮山博史 (* 2) さんが「漢字編」を、日下潤一 (* 3) さんが「ひらがな・カタカナ編」を展開した明朝体のデザインセミナーです。

漢字から始まり、ひらがな、カタカナを含む全ての講座が終わったのは2023年3月です。足掛け五年というロングセミナーでした。そして、毎回のセミナーの内容はその都度小冊子にまとめられ頒布されてきました。

それらの小冊子を底本にして加筆、一冊の本にまとめられたのが『明朝体の教室 日本で150年の歴史を持つ明朝体はどのようにデザインされているのか』です。出版社は Book & Design* 4)、発売日は2024年1月10日です。

綺麗な本です。簡潔な本です。足掛け五年の教室の空気がぎっしり詰まっています。

この本には明朝体を設計(デザイン)する時に判断しなければならないことの、出発点とも言うべきポイントが示されています。文字設計の道筋を示しながらも「こうであらねばならない」と書いていないところがこの本の芯です。

書体デザイナーを目指す人、既に書体デザインに関わっている人、編集者、デザイナーの皆さんには是非手元に置いていただきたい一冊です。ただ文字が好きという人にとっても、読み物としてとても面白い本です。


* 4) Book & Design
社公式サイト
https://book-design.jp/
『明朝体の教室 日本で150年の歴史を持つ明朝体は
   どのようにデザインされているのか』の直販サイト
https://bookdesign.theshop.jp/items/81737682

 

 

 

Wikipedia

明朝体(みんちょうたい)は、漢字書体の一種で、セリフ書体に分類される。漢字や仮名の表示や印刷において標準的な書体である。中国語では一般に宋体といい、明体とも呼ばれる。日本語の明朝体は活字技術の導入期以来ひらがなカタカナを含むが、漢字とは様式が異なる。

特徴[編集]

活字として彫刻するために、基本となる楷書の諸要素を単純化したものが定着している[1]。縦画と横画はそれぞれ垂直・水平で、おおむね縦画は太く、横画は細い。しかし「亡」や「戈」に見られる緩やかな転折では、どちらもほぼ同じ太さとなる。ほかには、横画の始めの打ち込みや終わりのウロコ、縦画のはね、また左右のはらいなどに楷書の特徴を残している。しめすへんしんにょうなど一部の部分では、隷書と類似したものも見られる。

活字としての利便性から字形が正方形に近づいたため、筆書体とは要素のまとめ方が異なり、字面において点画が可能な限り均等に配置される。こうした字面を一杯に大きく使う手法は、小さいサイズでの可読性が向上するだけでなく、文章を縦横二方向に組むことが行われるようになった後は、いずれの方向へ組んでも整然とした効果を得られるという点で、さらに有効なものとなった。

字体問題[編集]

明朝体は活字の書体として成立したため、書き文字よりも字体が固定化しやすい。様式化のために手書き書体で正統なものとされた楷書との字体の相違が発生した。加えて『康熙字典』に発する字体の問題があり、明朝体の字体をめぐる問題はこれらが合わさって起こっている。

木版印刷や活字による活版印刷における印刷書体として成立した字体は、当時の通用字体または正字体を反映して様式化されたものであった。例えば筆押さえは楷書では運筆上で軽く添えるだけのもので、明朝体のような様式化されたものではない。

そのほかにもくさかんむり()3画につくる明朝体は、楷書体が原則として4画につくるのと対立した。そしてぐうのあし(禸)の1画目の始めの位置と2画目の始めの位置が同じである明朝体は、1画目と2画目を左上で交わらせる楷書体と対立した。『康熙字典』において『説文解字』などに則り新たに定められた正字はこれらとは異なっていた。それまでの「隠」と「隱」のような字画の構成要素の不足で正誤または正俗字体を区別していたのに加えて、書体の変遷として通用していた「曽」の点画の向きが『説文』の小篆のものと異なるのを問題として「曾」を正字とするなどとした。

しかしそれでも一般的な出版においては通用字体が主流のままであったが、中国へ欧米勢力が入り、金属鋳造活字の開発を始めた時、『康熙字典』を参照して漢字活字を製作した。一部において通用字体が使われることもあったが、欠画なども『康熙字典』のままであった。これらの活字技術が従来の技術に取って代わり、金属活字によると明朝体が日常で見られるものとなると、それまでの通用字体・正字体との隔たりが大きな問題となった。例えば楷書体では「吉」の上部は「土」につくり「𠮷」として、「高」は「はしご高()」が多かったが、新たに入ってきた明朝体の字体を理由にこれらが誤りとされるなど、筆記書体に大きな影響を与えた。

筆押さえなどは、字を示す上で必要がないとされることもある。中国や台湾の規範ではこれらを省いた場合があり、楷書風に改めたものが示されている。日本で19494月に当用漢字字体表が告示された際、手書きの表であったため筆押さえなどがなかった。したがって、ないのが正しいとして、活字を作り直す業者や、新字体で印刷するのにそれらを不要とする顧客もあった。しかし当用漢字表外の漢字や、一部活字業者では筆押さえなどは残されたままであった。教育などでは正しい字体の指導上問題になるとして明朝体を使用しなかったり、使用したとしても「印」や「収」などの折れ曲がりの部分、しんにょうが楷書と異なるとして特別に変えたりした。

ただし常用漢字などでは、このような筆押さえ等の形状に加え、点画の付くか離れるかや長短などという細かい差異を「デザイン差」と呼び、専ら統一などするまでもない「差」として、統一は強制でないとしている。日本産業規格JIS)などでもそれに従うが、教育の場などにおいて省みられることは少ない。

使用場面[編集]

明朝体は主に印刷において、本文書体として使われ、比較的小さいサイズでの使用が多い[2]。一方、そのデザイン上の特徴を生かして、大きいサイズでも使われる。特に太いウェイトのものは、コントラストが高くインパクトが要求される見出しや広告などの場面で使用されることもある。

20世紀終盤にはゴシック体で本文を組む雑誌などの出版物も増えてはいるが、教科書体が使われる教科書以外の書籍は、ほとんど明朝体の独擅場と言える。よってフォントを制作・販売する企業(古くは活字母型業者、のちには写植機メーカー、そしてフォントベンダー)は、ほぼ必ずラインナップの中核に明朝体を据えている。そうしたことから、明朝体は活字文化の象徴として捉えられることもあり、かつては明朝体で組まれた文章・紙面とは、すなわち印刷所を経由してきたものであった。

1980年代の日本語ワープロの普及、続くパソコンの普及により状況は変わっている。パソコンで文字を扱うに際しても明朝体のフォントOSに付属するため、そういった機器・ソフトウェアを使用する誰しもが明朝体で組まれた文書を作成・印刷できるようになっている。一方でウェブブラウザなど、もっぱら画面上で文字を扱う場合には、明朝体はあまり用いられず、字画のよりシンプルなゴシック体が広く用いられる。これは解像度の低い画面では、ウロコなど明朝体独特の装飾がギザギザに表示されたり、縦横の線の幅が不統一になりかすれるなどして可読性を損ねるためである。

ゴシック体ほど多くはないが、鉄道設備(駅・車両等)のLED表示機でも広く使われている。

歴史[編集]

明朝体は木版印刷や活字による活版印刷における印刷用書体として成立しており、1670年にはすでに存在していたとみられる[3]。木版印刷は、当初楷書で文字を彫っていたが、楷書は曲線が多く、彫るのに時間がかかるため、北宋からの印刷の隆盛により、次第に彫刻書体の風をうけた宋朝体[4]へと移っていった。宋朝体がさらに様式化し、明代から清代にかけて明朝体として成立し、仏典や、四書などの印刷で用いられた。清代に入り古字の研究成果がとりまとめられた『康熙字典』は明朝体で刷られ、後代の明朝体の書体の典拠とされた。『康熙字典』は『説文解字』など篆書体隷書体で書かれた文字を明朝体で書き直したため、伝統的な書字字形と大きく異なった字形がなされた。

19世期に清朝が弱体化し、ヨーロッパ諸国が中国に進出するようになると、まず中国への興味から、その風習などと共に文字が紹介された。中国進出を誇示する目的もあって、ナポレオン1パルマ公によってそれぞれ作られた『主の祈り』という本に使われた活字はフランス王立印刷所ジャンバッティスタ・ボドーニイタリア語版)の印刷所などヨーロッパの印刷所で彫られたものである。その後中国研究が始まり、中国語の辞典や文法書などの印刷のために漢字活字の開発が必要とされた。清の時代は直接の布教活動が許されていなかったが聖書や小冊子での布教は許されていたため、宣教師により翻訳が始められた[3][5]。東アジアに既に存在した製版技術を利用せず、金属活字の技術を持ち込んで使った。そしていずれも漢字を活字にするに当たって明朝体を選択した。これは欧文の印刷で普通だったローマン体(漢字活字の開発は主に英仏米の勢力が中心であった)とテイストが合っていたためといわれる[3]。宣教の場面では、活字はヨーロッパで使われていたものを使用したり、現地で使用するのに木などに活字に彫って製作した。

ヨーロッパで使用されていたもので、初めてまとまった量が作られたのはルイ14の命によるフランス王立印刷所の木活字(171542)であった。この活字はのち、ナポレオン1世の中国語辞書編纂のために拡充された。その後ジャン=ピエール・アベル=レミュザの『漢文啓蒙』で使われた活字は、鋳造活字であった。木活字も鋳造活字もともに明朝体であった。19世紀中葉、王立印刷所のマルスラン・ルグラン (Marcellin Legrand) は中国の古典の印刷を目的として活字制作を依頼され、明朝体の分合活字を製作した。ルグランの分合活字では、偏旁冠脚をそれぞれ分割して、より少ない活字製作で多くを賄おうとしたがデザインは劣悪であった[3][6]

キリスト教宣教では、主にプロテスタントが伝道を担った。彼らは伝道する地域の言語で伝道することを重視し、そのために漢字活字の開発が重要だった。ヨーロッパから、例えばルグランの分合活字などの活字を取り寄せることもあったが、現地で活字を開発するものも多くあった。サミュエル・ダイア (Samuel Dyer) など幾例かがあるが、その代表例は上海の「英華書院」や「美華書館」である。英華書院は London Missionary Society Press の漢訳名で、倫敦伝道会 (London Missionary Society) の宣教師が設立したものであり、美華書館は American Presbyterian Mission Press の最後期の漢語名称で、美北長老会差会 (American Presbyterian Mission) の印刷所であった。特に後者では、6代館長にウィリアム・ギャンブル中国語版)が入り、スモール・パイカ(small pica = 11ポイント[7]。普通のパイカ(pica)は12ポイント)のサイズなどの活字の改刻を行った。これらのミッションプレスの活字は欧米から来た技術者が指導して制作された金属活字で、サイズも自国の活字サイズに基づくものであった。活字の大きさは、特定の大きさのみを作り、大きい方から順に「1号」、「2号」……と呼んでいた[3]

美華書館は一時上海で隆盛を誇ったが、美華書館の活字を二次販売する商務印書館などの業者が現れ、廃業する。

日本[編集]

日本に明朝体が入ってきたのは代や代に仏典四書などを輸入したものを再版したことに興る。特に大規模なものは、黄檗宗僧侶・鉄眼道光禅師による一切経の開刻であった。その後もこれらの用途では明朝体は使われていたが、楷書が使われるほうが多く、一般にいたっては「御家流」と呼ばれる連綿体の一種が主流であった。

大鳥圭介による明朝体での活字開発はあったが、金属活字における明朝体の歴史は一般に本木昌造長崎鉄工所に開かれた活版伝習所において、美華書館に来ていたウィリアム・ギャンブルを招聘し講習を受けた際、ギャンブルが持っていた明朝体を本文書体として使い続けたことに始まる[3]。当時、美華書館の活字にも仮名文字は存在したがあまりクオリティが高くなかったため、本木が「崎陽新塾活字製造所」(後の東京築地活版製造所)を立ち上げ、連綿体であった平仮名を一文字ずつ切り離した活字を開発する[3]

明治末期から昭和にかけて活字のサイズがアメリカン・ポイント制へ移行した。ベントン母型彫刻機を導入して新たに活字を供給する事例が出現した。一字ずつ木に父型を彫り、電胎法で母型を得てそこから活字を作る蝋型電胎法とは異なり、ベントンは一字ずつ原字パターンを制作しそれを基に機械的に縮尺を行って母型を得るものであった。ベントンの導入の際、より細い字形を作った。

昭和に入って写真植字の開発も行われ、嚆矢となる写研の石井明朝体は築地活版の12ポイント活字を利用して作られた。以後も写植では活字からの翻刻書体が開発・利用されることがあった。写植ではファミリーが形成され、特に太いウェイトの字形では、横線を極端に細く、縦線を極端に太くされた。

1949当用漢字字体表が告示されると、各社は新字体によった字体に変更し始めた。この時、当用漢字字体表の字体に筆押さえなどのエレメントがなかったのを、これも字体変更のうちと判断し、新字体への変更と同時に取り除かれることがあった。しかしこれは当用漢字字体表の字体は手書きであるために筆押さえがないのであり、筆押さえなど明朝体に特有のエレメントがないのは改悪だとの批判もあった。

日本語デジタルフォントの初期はビットマップフォントが使われていた。字体はJISに準拠することになるが、JIS X 02082次規格(通称JIS83)により、漢字の字体変更や入れ替えが行われたことで混乱が生じた。アウトラインフォントが実用化されると、モリサワPostScriptフォントとしてリュウミンを投入したことをはじめ、幾多の会社が活字の復刻・翻刻書体や新規書体を開発して市場に投入した[8]

かな[編集]

日本で活版印刷を実現する場合、仮名の鋳造も必要となる。

明治20年代、明朝体の仮名の出発点であり東京築地活版製造所による書体、「築地体前期五号」が完成した[3]。ただし、明治7年には使われていたものとする説も存在する[9]。漢字に合わせるため手書きのニュアンスを外し記号性を強めている[3]。明治30年代には「後期五号」が完成し、明朝体の基本となった[3]

印刷技術の向上や印刷紙の質の劣化に伴い、1910頃から文字を細くする傾向が生まれる。印面がシャープに刷りあがるということから始まった。加えて日中戦争に向かうにつれ印刷用紙が劣悪になり、それまでの文字では滲んで使い物にならないというのがその傾向に拍車をかけた。細字化とカナ文字派の「仮名の視認性の向上」などの動きから、仮名文字を大きく形作る書体がさまざまに試みられ、それまでの小ぶりな字(文字の中の白い部分が狭い=懐が狭い)から、懐が広く「明るい」字が作成されるようになった。

1929に実用化された写真植字機と、1950年代以降日本の金属活字の製造で一般化したベントン母型彫刻機では、一つの原字から複数のサイズで同じ字形を生成することができるようになった。これにより、写植時代に同じ字形で太さが異なる書体群(ファミリー)が発生した[10]

1951年、写研により石井明朝体のニュースタイルかなが発売された[11]。書体作者の石井茂吉の弟が教科書会社に勤めていたこともあり、教科書体の流れを汲んだ書体となっている[12]。また、この書体以降明朝体の仮名にニューかな系が増加した[12]

日本語の表記において仮名の比重が増すにつれて、仮名フォントの重要性も高まり、仮名だけを変えて使うという例も増えた。例としては、モリサワのフォントリュウミンの仮名を「リュウミン オールドかな」に置き換えて使用するものなどがある[13]

韓国[編集]

パタン体(上)

最近まで日本の用語の影響で、同様のハングルの書体を、韓国語で明朝体(명조체、ミョンジョチェ)と呼んでいたが、1993年に文化部後援の書体用語標準化により、韓国語で「基礎」という意味のパタン体(바탕체、パタンチェ)という単語に置き換えられ、これが現在の用語になっている[14]

参照[編集]

1.     ^ 絶対フォント感を身につける。』エムディエヌコーポレーション、2018年、022頁。ISBN 978-4-8443-6820-5OCLC 1076324644

2.     ^ “【フォントまめ知識】明朝体ってなに?| ブログ | ニィスフォント | NIS Font | 長竹産業グループ”. 202319日閲覧。

3.     a b c d e f g h i j 絶対フォント感を身につける。』エムディエヌコーポレーション、2018年、070-073頁。ISBN 978-4-8443-6820-5OCLC 1076324644

4.     ^ 中国語では「仿宋体」という。

5.     ^ “小さな文字に隠された壮大な歴史 その1 | フォント・書体の開発及び販売 ダイナコムウェア株式会社”. ダイナコムウェア株式会社. 202319日閲覧。

6.     ^ “千都フォント|連載#1「上海から明朝体活字がやってきた」”. www.screen.co.jp. 202319日閲覧。

7.     ^ small pica - Free Online Dictionary, Thesaurus and Encyclopedia

8.     ^ “技術と方法(4)コンピュータ・下 | 文字を組む方法 | 文字の手帖”. 株式会社モリサワ. 202319日閲覧。

9.     ^ “千都フォント|連載#2「四角のなかに押し込めること」”. www.screen.co.jp. 202319日閲覧。

10. ^ “技術と方法(2)写真植字 | 文字を組む方法 | 文字の手帖”. 株式会社モリサワ. 202319日閲覧。

11. ^ “石井中明朝 ニュースタイル小がな MM-A-NKS|写研の書体”. 写研アーカイブ. 202319日閲覧。

12. a b 絶対フォント感を身につける。』エムディエヌコーポレーション、2018年、110-113頁。ISBN 978-4-8443-6820-5OCLC 1076324644

13. ^ 絶対フォント感を身につける。』エムディエヌコーポレーション、2018年、087頁。ISBN 978-4-8443-6820-5OCLC 1076324644

14. ^ “様々な韓流コンテンツのデザインに!韓国のフォントブランド Design210”. デザインポケット. 2023110日閲覧。

 

 

 

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