存在しない女たち  Caroline Criado Perez  2022.2.4.

 

 

2022.2.4. 存在しない女たち 男性優位の世界に潜む見せかけのファクトを暴く

Invisible Women Exposing Data Bias in a World Designed for Men 2019

 

著者 Caroline Criado Perez 1984年ブラジル生まれ。英国国籍を持つジャーナリスト、女性権利活動家。オウンドル・スクール、オックスフォード大学ケブル・カレッジで教育を受け、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで行動経済学及びフェミニスト経済学を専攻したあと、ジャーナリスト、フェミニスト活動家として初の全国キャンペーン「ザ・ウィメンズ・ルーム・プロジェクト」(女性専門家がより多くメディアに登場できるよう働きかけたプロジェクト)が話題となる。13年にはイギリス紙幣に「女性を増やす」キャンペーンを行い、国内外のメディアに広く取り上げられ、ジェイン・オースティンの起用に成功。16年には国会議事堂前広場の11体の銅像がすべて男性であることから、18年の婦人参政権獲得100周年記念に女性参政権獲得に貢献したミリセント・フォーセットの銅像建立に成功。2013年イギリスの人権団体リバティによる年間最優秀人権活動家賞受賞、15年の女王誕生記念叙勲では大英帝国勲章4等勲爵士OBEを授与され、20年には男女平等推進に貢献した功績を讃えるフィンランドのハン賞受賞

本書は、発売直後から英『サンデー・タイムズ」紙のベストセラー第1位に輝き、2019年王立協会科学図書賞、英『フィナンシャル・タイムズ』誌とマッキンゼーによる2019年ブック・オブ・ザ・イヤーなど数々の賞を受賞。米『スミソニアン』誌の10ベストサイエンス・ブックス2019にも選ばれた。世界26か国での刊行を予定

 

訳者 神崎朗子 翻訳家。上智大学文学部英文学科卒業

 

発行日           2020.11.20. 初版印刷        11.30. 初版発行

発行所           河出書房新社

 

 

はじめに

人類史の大部分はデータが著しく欠落している

女性が果たした役割については、文化史的にも生物学的にもほとんど言及されていない

こうした無視はあらゆる場所で横行し、私たちの文化全体にはびこっている

女性という不在の存在が男性の陰に隠れているというのが、データにおけるジェンダー・ギャップで、それが悪意によるものではなく、意図的ですらないことが重要

ボーヴォワールの『第二の性』(1949)では、「人間とは男のことであり、女は男を基準に規定され、区別されるが、女は男の基準にならない。(中略)男は主体であり、絶対者である――つまり女は他者なのだ」と言っているが、いまだにその状況は変わらない

女性の存在を無視しているせいでビッグデータ自体が損なわれている場合、そこから得られるのはせいぜい半端な真実に過ぎない

女性特有の問題のうち特に以下の3つのテーマは生活のほぼすべての面に関わる問題――①女性の体の問題、②女性による無償のケア労働、③男性による女性への暴力

「性別」が個体の雌雄を決定する生物学的な特徴を指すのに対し、「ジェンダー」は、生物学的な事実に押しつけられた社会的な意味を指す。つまり、女性はこうであるという思い込みに基づいた女性の扱い方

本書の目的は、ジェンダー・ギャップのデータを示すこと。人間=男性と想定するのが当たり前のような思考停止に警鐘を鳴らし、そうした偏見が如何に頻繁に見られるか、私たちの生活を支配する本来客観的であるべきデータがいかに歪曲されているかを示す

 

イントロダクション男性が基準(デフォルト)

男性を基準とする考え方は、人間社会の構造の根幹をなしている

進化論における男性中心主義はいまだに根強い。別段の証拠がない限り男性と判定する研究アプローチは、民族学のあらゆる分野に蔓延しているし、社会の基本的な構成要素である言語にも組み込まれている

man」という言葉は、男性のことを指しているのか、人類のことを指しているのか、用法が曖昧であり、本来は人類を指すはずの「man」という言葉を、男性と同義語に捉えていたり、「総称語」(男性を指すheなどの言葉を、女性を含むジェンダー・ニュートラルな総称として用いる方法)は、実際には総称として解釈されず、圧倒的に男性を指す語として解釈されている

英語には文法上の男女の区別がないため、現代用法では総称語は極めて制限されている。「doctor」「poet」などは、かつては総称語だったが、現在ではジェンダー・ニュートラルな単語と見做されている

仏独西ではすべての名詞が男性名詞と女性名詞に区別され、「性別による語形変化」があり、男性と女性の概念が言語そのものに組み込まれている。人々を表す名詞については、男性と女性を表す単語がそれぞれ存在するが、標準的なジェンダーは常に男性形

言葉に組み込まれた男性中心主義は、決して封建的な時代の遺物ではなく、オンラインの世界でも、オンライン人口の90%以上に使用され、世界中で最も急速に普及している言語である絵文字が1980年代日本で発明され、女性の方が男性より高い利用率を示すが、2016年までは男性中心社会だった――絵文字には統一のコードが使用され、異なるプラットフォームのユーザー同士でも同じように表現できるようにしているが、プラットフォームがジェンダー・ニュートラルな表現を悉く男性として解釈(「警察官」の絵文字のユニコードによる呼称は「police officer」だったのに、プラットフームが「policeman」と解釈)したため、2016年以降、人間を表す絵文字は全て性別を明確に示すことにして、コードを男性・女性別々に付与

Human Computer Interactionに関する論文で人々を示す使用頻度の高い単語を調べたところ、上位5つは「ユーザー」「参加者」「パーソン」「デザイナー」「研究者」で、どれもジェンダー・ニュートラルだったが、学会の参加者に聞くと、男性参加者の場合、何れも男性だと思った人の割合が80%を下回ったのは「デザイナー」(それでも70%近い)だけ。女性参加者の場合性差による偏見は少ないが、それでも全体的にはジェンダー・ニュートラルな単語を男性と判断する傾向が強い

映画でも男性主役の方が圧倒的に多く、台詞の量も女性が主役になる数少ない映画になって初めて男女同じくらいになるという

大衆の目に触れる彫像も紙幣も圧倒的に男性だし、報道機関でも活字媒体と放送媒体における女性の登場率は全体の24%に過ぎないし、新作テレビゲームでも女性を主人公とするゲームはわずか3.3

古代ギリシャは民主主義の揺籃(ゆりかご)とされるが、、女性の選挙権はなかったし、ルネサンスも、男性の権利が拡張される一方で、女性の権利は狭められた

2013年、ウィンブルドンでマリーが優勝すると、「77年間の雪辱」と大騒ぎしたが、1977年にはヴァージニア・ウェイドが優勝している

女性の登場に対する否定的な反応は、文化のあらゆる面において目撃される――2013年、イギリスの紙幣に女性を採用すべきと抗議のキャンペーンを巻き起こした時、怒り狂った男性のバッシングに遭う

絵画でも音楽でも科学的な業績でも、今では女性の功績であることが明らかにされているが、当時は男性の名前で公表された。そうした不当な扱いの最たるものがロザリンド・フランクリンの功績によってワトソンらがDNAを「発見した」とされノーベル賞を受賞

客観的に見えるものが、実はかなり男性中心であることを示すのは、価値は意見の問題であり、意見は文化によって形成されるために、我々の文化が男性中心主義だと、文化そのものが女性を軽視するから

客観性を装った主観的な価値に基づく指名は至る所で散見――イギリスの紙幣掲載の基準に「歴史的人物で、物議を醸す可能性がない人物」とあるのも、元々のデータにおける歴史的な男女格差を度外視している。今後もこの基準を重視するのは、男性中心による過去の不正をさらに助長するだけ

人類史、美術史、文学史、音楽史、さらには進化の歴史も、すべて客観的な事実とされているが、実際には人類の半分が含まれていないせいで事実が歪曲されている

アメリカのトランプやブレグジット、ISISは世界の秩序を覆した世界的な現象だが、いずれも本質的にアイデンティティ主導型のプロジェクト。アイデンティティを読み違えたり、無視してしまうのは、まさに男性中心主義がジェンダー・ニュートラルという普遍性を装っているために見えにくくなっているせいだ

男性=普遍的という推測は、データにおけるジェンダー・ギャップの直接的な結果だが、原因でもある。女性が忘れられ、私たちの知識の大半を男性に関するデータが占めているせいで、男性=普遍的と見做されるようになった

本書は、人類の半数を考慮しないとどうなるかを描いた物語であり、データにおけるジェンダー・ギャップが、日常生活の中で常識としてまかり通り女性たちにどのような害を与えてきたかを暴露する本

同時に、変革の呼びかけでもある。女性が表舞台に出て、物の見方を変えるべきときだ

 

第1部        日常生活

第1章        除雪にも性差別が潜んでいる?

2011年、スウェーデンで男女平等イニシアチブの一環として、すべての政策をジェンダーの視点から再評価した際、除雪だけはジェンダーにうるさい人々も首を突っ込んでこないといったのがきっかけになって真偽を確かめることに。男性と女性では移動手段や目的が異なり、幹線道路を優先的に除雪する政策によって影響を受ける度合いが男女間で異なることがわかる――女性は無償ケア労働の75%を担っており、移動の必要性が高い

除雪を歩行者や公共交通機関利用者の利便性優先に見直したところ、歩行者の障碍も減り、コストも削減されたという

典型的な男性の移動パターンを不公平に優遇しているのは明らか――公共交通機関に関する諸施策が男性の移動パターンを「標準」として策定されているし、道路建設に巨額の公共投資が行われているのも同じ視点からだ。1つの国に限らず、世界銀行による運輸関連の資金提供の73%が道路及び高速道が対象で、ジェンダー・ニュートラルとは言えない

徒歩や短距離の移動は、インフラ整備の政策決定には無関係とされ、意図的に除外

1990年にウィーンで始まったジェンダー計画では、徒歩による移動の改善策に着手、横断歩道の位置の改善、階段のバリアフリー化、歩道の拡幅、歩道の街灯増設など実施

大都市の公共交通機関は、ダウンタウンを中心に放射状になっていて、いくつかの環状道路によって蜘蛛の巣のようになっているが、通勤には便利でも、子供を送り迎えしたり買い物をしたりする一般の主婦の動線には必ずしも最適ではない

女性たちによる無給のケア労働は、全世界のGDP10兆ドルも貢献しているのに、有給の仕事に要する移動の方が、無給のケア労働に要する移動よりも重要だと考えられている

女性の移動理由ではケア労働がずば抜けて多いが、複雑でデータが収集しきれていない

交通システムの問題にとどまらず、ゾーニングという都市計画にも問題がある

家庭を憩いの場と決めつけるような思慮の欠如がもたらす影響は深刻――ブラジルの貧民街のための公営住宅は、女性に余計な負担を強いる結果に

 

第2章        ジェンダー・ニュートラルな小便器?

公共施設のトイレを、ジェンダー・ニュートラルな小便器と個室に変更したのは、男性が利用できるトイレを増やしただけだし、男女別にしても同じ面積を割り当てるだけでは、女性の使用時間が長いことなど考えると平等になっているとは言えない

女性への性的暴行のリスクを考慮していない都市計画は、公共空間に対する女性の平等な権利を侵害するもの――トイレの供給不足のように、ジェンダーへの配慮に欠けた設計によって女性が排除されている例は多い

ジェンダー・ギャップを悪化させているのはデータの収集方法――性的ハラスメントの横行に関し大規模データが不足しているのは、報告件数が少ないからではなく、性的ハラスメント自体犯罪統計に含まれていなかったりきちんと分類されていなかったりする場合が多いという問題で、危険認識における著しい男女差は明白であり、低所得やエスニック・マイノリティの女性たちはさらに強い恐怖感を抱いているのに、データには現れない

女性の側にも被害を報告しない様々な理由がある

ジムでも、利用機会の平等を建前としジェンダー・ニュートラルな空間を作ったとしても、利用している大半が男性であれば、女性は入っていきにくい。公園などのパブリックスペースでも同じように女性が閉め出される設計になっていて、設計や計画段階から女性を排除しない配慮が求められる

 

第2部        職場

第3章        長い金曜日

国連が1975年を「国際婦人年」に宣言。その年の1024日アイスランドでは90%の女性が一切の労働を拒否。翌年ジェンダー平等法が制定され、5年後には世界初の女性元首が誕生。現在8年連続で世界で最もジェンダー平等が進んだ国となっている

無償労働の75%は女性が担っている――女性の1日平均36時間に対し、男性は0.52時間。女性の最短はノルウェー、男性の最長はデンマーク

家事の61%は女性が担う

無償労働の負担が、女性の健康に悪影響を及ぼす――心臓手術の予後が思わしくない

1930年以来、ILOが労働時間の限度を週48時間と決めているが、対象は有給労働のみであり、限度内であっても女性の方がメンタルヘルスに問題が発生するのみならず、心臓疾患やがんなど命にかかわる病気の発症リスクも高いことがわかっている

時給におけるジェンダー格差が大きいのは、女性の無償労働時間が男性に比べて大幅に長い国々で、子供が生まれるとさらに格差は拡大し、生涯年収でも大きな格差となる

年金制度でも男性優位は明らかで、女性の無償労働は全く考慮されていない

有給出産休暇制度にしても、女性がキャリアを断念しなくても済むだけの休暇の期間と支給額が必要だが、両方満足できる制度を持つ国はない

イギリス議会下院では、出産休暇があるがその間も国会で投票するためには登院しなければならないので、「ペアリング」制度といって、採決で投票できない議員と、対立する立場の議員が共に欠席することを取り決めるのが慣習となっているにも拘らず、2018EU離脱関連の2つの重要な法案採決に際して、ペアリングされていた議員はそれを無視して投票した挙句、「失念していた」と言い訳。その採決によって政府は僅差で勝利している

世界でも何らかの有給出産休暇を保証していない国は4か国しかないが、その1つがアメリカで、無給休暇は保証されているが、それすら1年の労働実績がなければ休暇取得が認められず、女性の85%にはいかなる有給休暇も与えられていない

アメリカの大学で採択されている「テニュア・トラック制度」も、学術的な職務についてから約7年経過後、適格と見做された場合はテニュア(終身在職権)を付与されるが、その期間は女性にとって子づくりの期間と重なる。ある大学では、子供1人誕生ごとに「親」の教員のテニュア期間を1年延長することにしたが、恩恵を被ったのは圧倒的に男親だった

2017年、アップルが「世界最高のオフィスビル」を誇った本社には保育施設がない

昇進制度や、IRSの経費認定の基準も男性中心

無償のケア労働に配慮した職場づくりが必要

 

第4章        実力主義という神話

20世紀の間、世界のオーケストラに女性演奏家はほとんどいなかった

1970年以降、女性の演奏家が急増。ブラインド審査の採用により、実力主義となり、ニューヨーク・フィルでは80年代初めには女性が新規雇用者の50%を占め、現在の女性の割合は45%だが、実力主義は欺瞞に満ちた神話で、画一的な白人男性中心主義の隠れ蓑

科学、技術、工学、数学(STEM)の分野も、白人の中流・上流階級の男性が多数派で、女性著者による論文は、ダブル・ブラインド・レビューの方が受理される確率が高いというが、そのレビュー方式を採用する専門誌や会議はほとんどない

企業の採用や昇進についても、男性優位がまかり通る――グーグルでは、ジェンダー・ギャップを認めたが、その改善方法として持ち出したのが基準をそのまま据え置いて女性側を改革することだったので逆効果、賃金格差は現存している

テクノロジー業界が性別に区分されたデータを恐れる理由は不明だが、実力主義の信奉と何らかの関係があるはず――一例として、雇用におけるクオータ制は、不適任の女性の採用を助長することはなく、むしろ能力のない男性を除外するのに役立っていることが判明

 

第5章        ヘンリー・ヒギンズ効果

職場環境におけるジェンダー・ギャップも、非快適なオフィス環境や非効率に繋がるだけでなく、慢性疾患に繋がる恐れすらある――建設業では重量物の運搬には重量制限や安全な方法も周知徹底されているが、介護ビジネスの力仕事にはそういう配慮は少ない

労働衛生におけるジェンダー・ギャップが生じるのも、労災関連死は男性が圧倒的に多いことが原因――業務関連のがんによる死亡例も鉱山労働者や建設労働者など、典型的な男性の業種における症例は数世代にわたり蓄積されてきたが、女性労働者はデータから排除され、女性が増えてきた現在でも男性対象の研究データを女性に当てはめている。特に放射線や化学物質への曝露など、女性特有の症状が考えられる場合は深刻な事態

作業用の器具や沿岸警備隊の個人用保護具などについても、男性用か標準的なユーザー用にデザインされ、女性への配慮がないため、負傷率などは女性の方が高い

「ヘンリー・ヒギンズ効果」(著者の命名)とは、『マイ・フェア・レディ(ママ)』で言語学者のヒギンズ教授が、𠮟責に耐えかねたイライザに食って掛かられた時に、「なぜ女は男性のようになれないのだろう?」といったように、男性が普遍的で、女性は「非定型的」と決めつけることを指し、世の中のあらゆるところに当たり前に存在する

 

第6章        片っぽの靴ほどの価値もない

2008年、哺乳瓶や食品容器など無数の消費財に使われる耐久プラスチックの原材料であるビスフェノールA(BPA)に発がん性物質が含まれことが判明しパニックになった時、製造工場における女性労働者への危険性については話題にもならなかった

この10年間、EU全域で女性の雇用が増加したのは、パートターム労働と不安定労働によるもの。不安定労働は、とりわけ女性たちには深刻な打撃をもたらす――性別の賃金格差に加えて、性的ハラスメントのリスクも高い

特に医療現場の看護師に対する患者からの暴力は酷い

 

第3部        設計(デザイン)

第7章        (すき)の仮設

「歴史的に犂を使用してきた社会では、ジェンダーの平等が進んでいない」という仮説

鍬など手道具を使う耨耕(どうこう)農業の方が、牛馬などに犂を引かせる犂耕(りこう)農業より、女性に向いているという考え方のこと――男女の基礎的な体力差があり、訓練などで縮まるものではない

犂耕農業を行う地域では男性が農業を支配し、権力と特権を独占する不平等な社会を生み出し、性差別的な考え方をする傾向にある

現代の「労力節約型」機器は、「男性の労力節約型」機器であって、女性たちの人手を要する作業の労働需要はむしろ高まっている

 

第8章        男性向け=万人向け

手の大きさも男女で差があるが、器具の設計はいまだに平均的な男性の手の大きさを基準に行われ、女性が不利益を被っている

ピアノ鍵盤も標準的なサイズは女性にとって不利であり、携帯電話もiPhoneの登場でスクリーンの大きさに拘るようになり状況が一変

スマホなどで活用されている音声認識ソフトですら男性中心――男性の話す言葉のほうが正確に認識する確率が70%も高い。発話の形態に男女間で有意な差があり、本来女性の発話の明瞭度が有意に高く認識しやすいはずなのに、システム開発の段階で使われる大規模データの大部分を男性の発話録音が占めているためにこういう事態が起きる

画像(イメージ)データセットにも同じことが言える――ウェブ上から集積されたイメージデータでは圧倒的に男性画像が多いだけでなく、女性に関する事実を不正確に伝えている

例えば、性別に関係ある職業のtop 10には、哲学者、社交界の著名人socialite、キャプテン(機長、大尉など様々な意味を含む)、受付係、建築家、乳母nannyなどがある

人工知能でも同じような文化的なステレオタイプが散見される――自動翻訳では、教授にはheを使い、看護師にはsheを使うし、キッチンに立つ禿げ頭の男性の写真を見て、アルゴリズムは「禿げ頭=男性」より「キッチン=女性」という偏見から女性に分類する

ロボットが既に面接や人事考課にも導入されていることを考えると、ジェンダー・ギャップのあるデータに基づく基準が無意識のうちに使われていたとしたら恐ろしい

 

第9章        男だらけ

スタートアップがベンチャー投資家の支援を受ける際にも、「男性は優れたデザインや卓越したテクノロジーを好むが女性はそうではないという固定観念」から、女性のベンチャーには投資したがらない傾向がある――ベンチャー投資家の93%が男性であることとも関係

実際、女性経営者のスタートアップの方が男性のそれより倍以上の収益を出しているし、長期的な業績も好調――女性の革新的な持ち味に加えて、経営陣が多様な視点を持つことで、顧客について幅広い情報を入手できるからだろう

男性優位のテクノロジー業界には、ジェンダー・ニュートラルと言いながら、実は男性向けの製品が溢れている

スマホの受動追跡アプリは、スマホを常時身につけていることが前提だが、女性の服はそうできていない――女性の不便を開発者が認識しなければ解決しようがない

VR企業の大半の創立者も女性ではないため、VR体験はおのずと男性中心になりがちで、セクハラなども見逃されがち。ヘッドセットだけでも女性には大きすぎるし、VRの反応も乗り物酔いなども含め、性別で有意な差があることを無視している

自動車の設計も長年にわたって女性を無視してきた――自動車事故に遭う確率は男性の方が高いが、事故に遭った時の重傷を負う率や死亡率は女性の方が圧倒的に高いのは自動車の設計が誰のために設計されたかに関係する。女性は運転するとき前のめりになりがちだが、それは男性用に設計された運転席に無理して合わせているからで、1950年以来衝突安全テストに採用されたダミー人形も平均的な男性のサイズに作られ、女性サイズが登場したのは2011年、それも男性の縮小版でしかなく、女性の体の特徴や、ましてや妊婦などは考慮外

 

第4部        医療

第10章     薬が効かない

組織的に女性を差別する医療制度のもとで、女性たちは常に誤解され、治療ミスや誤診の被害に遭っている

その発端は医師たちの訓練方法に始まる――古代ギリシャでアリストテレスが女性を男性の出来損ないと見做して以来、体格と生殖機能以外に男女で根本的に異なる点はないとされ、医学教育では男性が「基準」とされ、そこから外れるものはすべて「非定型」「異常」とされた。臨床試験の対象に女性が含まれていなくても男女ともに有効として示された

人体のあらゆる細胞組織や臓器には性差があるとともに、人間の一般的な疾病の大部分における「罹患率、経過、重篤度」にも性差がある。自己免疫疾患の罹患率も、発症率は女性の方が3倍も高く、ワクチンも性別の開発が提唱されている

女性は大部分の医学的研究や治験から除外されてきたため、ジェンダー・ギャップの解消に必要となる性別特有のデータが著しく不足

1960年代に悪阻の苦痛にサリドマイドが処方されたのは、妊婦対象の臨床試験がなかったせい。男女両性で実験を行うのはリソースの無駄遣いだとすら言われた

女性の体の複雑性、非定型性に研究が追い付いていないのが現状

一方で、顔のしわ取りや歯科用品の治験では、女性の参加者が90%以上となっている

ジェネリック医薬品も、先発医薬品と同等のバイオアベイラビリティ(生物学的利用能)が確認できれば良いとされ、治験は「ほぼ若い成人男性のみ」を対象に実施されている

研究の世界でも、対象に両性を選んでいても、結果データを性別で区分しない。そのため、閾値の設定が男性には有効でも、女性には命取りになる場合がある――2016年、アメリカでは漸く前臨床段階の動物実験でも両性を対象とすることが要件とされ、NIHが出資する臨床実験のデータは性別に区分し分析することが義務付けられた

薬物有害反応も、女性の方が遥かに起こしやすいことが証明されている――投与量が男女共通であり、女性は過剰摂取のリスクにさらされている。女性は体脂肪率が高く、脂肪組織への血流量が多いことが一部の薬品の代謝に影響する場合がある

 

第11章     イエントル症候群

イエントルは、1983年のミュージカル映画『愛のイエントル』の主人公で若い女性、タルムードを学ぶために男装するが、医学界ではこの映画に因んでイエントル症候群という言葉が誕生、女性の病気や症状は、男性のそれと一致しない限り、誤診や誤った治療を受ける可能性が高いことを示したもので、命取りになる場合もある

「心臓発作=男性」という思い込みが誤解を広めている――西欧では、低所得者層の女性が同じ低所得者層の男性に比べて心臓発作を起こす確率が25%も高く、女性死因のトップ

アスピリンの心臓発作予防効果も、男性には有効だが、女性には効果がないどころか、有害になる恐れがある

子宮内膜症の診断に至るまで、イギリスでは平均8年、アメリカでは10年かかっていて、治療法はなく、10人に1人が罹患。英国国立医療技術評価機構NICEが当該疾患の治療を行う医師へのガイドラインを初めて発表したのは2017年で、主な推奨事項は、「女性たちの話に耳を傾けること」だった

アメリカの女性は男性よりも平均寿命は長いが、健康寿命は長くない

イエントル症候群の厄介な副作用は、女性に多い医療問題、あるいは女性にしか影響のない医療問題については、そもそも研究が行われていないため、研究対象に女性を含む必要性さえ考慮しなくて済むこと

医学界が女性たちを蔑ろにしている証拠は枚挙にいとまがない。すべてはデータ・ギャップのせいであり、実際に科学的証拠を突き付けられてもなお、しつこくはびこっている思い込み――男性が人間のデフォルトであるという考え方のせい。男性は男性に過ぎず、男性に関するデータは女性に当てはまるものではない。適用可能でもないし、すべきでもない。医学研究と医療には大改革が必要。データにおけるジェンダー・ギャップの影響を受けている医師たちの知識こそが問題

 

第5部        市民生活

第12章     費用のかからない労働力

国の経済指標として一般的なGDPの策定は、本質的に主観的なプロセス――様々な判断が入り込んでいるし、不確定要素も多く、データも不十分

大恐慌の教訓として、経済動向を正確に把握する必要に迫られて誕生したものだが、最大の欠陥は生産における大きな要素が除外されている――無償労働による貢献が欠如

戦後の生産性の上昇に伴う経済発展も、実際に起こっていた大きな変化は、女性たちが外で働き始めたために、以前は家庭でやっていたことが市販の物やサービスにとってかわられただけで、生産性そのものは上昇していなかった

推計では、無償のケア労働は高収入国ではGDP50%、低収入国では80%を占めるが、こうしたデータを体系的に収集している国は皆無

保育や高齢者介護なども社会インフラとして公共投資に加えれば、女性の無償労働を減らし、就業率を上げることができる

 

第13章     妻の財布から夫の財布へ

家計はいまだに夫婦間で平等に分けられていない

イギリスでは、公的な給付金や税額控除は、各世帯の主たる所得者(ほぼ例外なく男性)の口座に振り込まれるため、性別による貧困に関するデータ・ギャップはますます深刻化

アメリカでは、96%の夫婦は合算所得税申告を行う。節税や税額控除の特典を得るためだが、所得合算により税率は高くなり、家庭単位では税額が低くなるが、所得の低い女性にとっては個人で申告する場合より高い税金を払わされている

消費増税の影響をまともに受けるのも女性たち――貧困層に女性が多いからだけではなく、日用品を買うのは主に女性の役割だからであり、付加価値税の除外対象を決める際にジェンダーへの配慮が欠けているからでもある

税制が及ぼす影響には性別によって顕著な差があることは明らかだが、それは性別に区分されていないデータと、男性をデフォルトとする考え方に基づいている

 

第14章     女性の権利は人権に等しい

過去数十年間のエビデンスによれば、女性の政治家が増えたことにより、可決された法案に明らかな変化が現れている――教育関連や女性のニーズに関連したインフラ投資が増加

2016年のアメリカ大統領選でヒラリー・クリントンが立候補した際、各方面から批判的なメッセージが巻き起こったが、その中に「野心家すぎる」という非難があった。政治経験もないトランプは野心という言葉でこき下ろされることはなかった――人々のイメージにおいて圧倒的に男性の領域だったところに踏み込もうとした結果、有権者たちはヒラリーの行動を常軌を逸していると思い、それが単純に人々の反感を買い、否定的な強い感情を生じさせたのだろうが、これもデータにおけるジェンダー・ギャップのせい

民主主義は公平な競争の場ではなく、女性を選出するのには抵抗がある。男性中心の議会では、データにおけるジェンダー・ギャップのせいで、女性たちのニーズに対して不十分な対応しかできない

 

第6部        災害が起こったとき

第15章     再建は誰の手に

災害後の復興計画において、計画担当者に女性がほとんど参画していないために、不便を強いられることになるのは決まって女性のほう

国連の決議にも、紛争終結後の平和構築に関しては、「女性・平和・安全保障に関する国連安保理決議第1325号」が存在、「国連のあらゆる平和と安全の取組みにおいて、女性の参加を増やし、ジェンダーの視点を取り入れることを全ての関係者に求める」としているが、2000年の決議から18年経った現在でもほとんど実行に移されていない

女性が交渉のテーブルに着けば、合意に至る可能性が増すだけでなく、平和が長続きする可能性も高くなることはデータで実証されている

 

第16章     死ぬのは災害のせいじゃない

紛争時に女性が受ける被害に関するデータは極めて少なく、性別で区分されたデータはさらに僅少。その上女性はさらに女性特有の被害に遭っている――紛争が勃発すると、女性たちへの家庭内暴力が増える

国連では紛争によるレイプの被害を推計しているが、実際の数字は遥かに大きいと予想

自然災害の被災地でも、女性の方がより影響が大きく、感染症が蔓延するなか、出産などの関連も含め死者数も遥かに多い

女性たちがケア労働を担っていることも、パンデミック時には致命的な結果を招きやすい

災害時の救援活動についてもデータにおけるジェンダー・ギャップに早急に対処する必要がある――死者数は女性の方が遥かに多く、女性の社会経済的地位が高いほど死者数における性差が小さいことが判明

女性たちが死ぬのは災害のせいではなく、性差のせいであり、性差によって女性たちの生活がどれだけ制限を受けているかを考慮していない社会のせいだ

難民キャンプでも、男女共用の施設のせいで悪夢のような体験をすることがある

 

 

おわりに

私たちがこれから世界を構築し、計画し、発展させていくうえで、女性たちの生活を考慮する必要があるのは、データを見れば議論の余地はない。なかでも、女性たちが今後世界とどのように関わっていくかを左右する3つのテーマについては、とりわけ考慮する必要がある

    女性の体(不可視性)について――医学、テクノロジー、建築などのデザインや設計において、女性の体の特徴を考慮してこなかったせいで、世界は女性たちにとって非快適な、危険な場所になっている。女性の体への考慮を怠ることは様々な不具合に直結する

    女性に対する性的暴力――性的暴力への対策を踏まえたインフラや制度設計を行ってこなかったせいで、女性たちの自由は大きく制限されている

    無償のケア労働の問題――社会にとって必要不可欠なものだが、女性が担うことが当然とされている

女性や女性の生活に関するデータの収集を怠るということは、今後も性差別やジェンダー差別が当然のように続くということであり、差別がなぜか目に入らない、というより当たり前だと思っているから気付かない。女性であることの皮肉はまさにそこにある

「女性は複雑すぎて計測できない」という言い訳は避けて通れない大きな壁

データ至上主義の時代、統計アルゴリズムを用いる数値に世界人口の半分が含まれていなければ、でたらめな結論しか導き出せない

解決策としては、生活のあらゆる分野において、女性の参画を増やすこと

女性たちが女性の意見や視点の重要性を強調する動きは、学問の世界にも広がっている

2017年のブレグジットで、人権法をブレグジットに伴う法改正から除外させ、女性の権利を法的に救済することができたのも、1人の女性議員が政府に迫ったお陰

世界のデータにおけるジェンダー・ギャップをなくすためのロビー活動の先頭を走っているのも女性――1995年ヒラリー・クリントンは、国連世界女性会議において、「人権は女性の権利であり、女性の権利は人権である」と宣言

性差やジェンダー・ギャップにおけるデータ・ギャップに対する解決策は、女性参画における格差を縮めること。すべての「人々」にとって必要なのは、女性たちの意見を訊くこと

 

 

河出書房新社ホームページ

存在しない女たち

男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く

衝撃のデータが、世界の見方を変える! 公衆トイレから最新家電、オフィス、医療、税金、災害現場まで……「公平」に見える場所に隠された、思いもよらない男女格差のファクトに迫る。

イギリスで話題沸騰となったベストセラー、ついに翻訳。

データのハサミで切り刻まれる「気のせいでしょう」という欺瞞。

女性の生きづらさには、これだけの証左がある──ブレイディみかこ

男のために設計された社会で「男も大変」とか言っちゃう傲慢さを知る──武田砂鉄

「サンデー・タイムズ」No.1ベストセラー
マッキンゼー/フィナンシャル・タイムズ「ベスト・ビジネスブック・オブ・ザ・イヤー2019」選出
王立協会科学図書賞 受賞

 

 

存在しない女たち キャロライン・クリアド=ペレス著

データで示す性差別の構造

202126 2:00 [有料会員限定] 日本経済新聞

2016年に開業したバスタ新宿では、女子トイレの個室数が少なすぎて女性たちが長蛇の列を作ることになった。その後、改装を経て増設されたものの、どうして女性のニーズを無視した設計にしたのかと不思議に思ったものだ。

原題=INVISIBLE WOMEN(神崎朗子訳、河出書房新社・2700円) 著者は84年ブラジル生まれ、英国籍のジャーナリスト、女性権利活動家。

こんなふうに都市空間や社会、設備やシステムの設計に女性の声が反映されず、女性たちが存在しないかのように扱われてしまうというカラクリを鮮やかに明かしてくれるのが本書である。

公共交通を利用する、政治に参加する、職場で働く、手術を受けるなど、日常を過ごすあらゆる空間が、いかに男性の要望と視点にのみ基づいて設計されていることか。男性お得意の「データ」や「エビデンス」を列挙することで、本書は女性の視線や声が社会の中でいかに排除され、女性たちがいかに不便を強いられているのかを実証的に検証していく。

男性が考慮を怠り省みていないのが、女性の身体的特性・女性による無償のケア労働・女性への暴力という三つの領域であると筆者は主張する。なかでも医療の領域において、女性に関する臨床データが欠落し、男性の身体特性に基づいた治療を施されることで女性たちの生命が危険にさらされているというくだりには、背筋の凍る思いをした。さらに、女性の排除が最も顕著なのが政治の場である。私たちの理想とする民主主義は、実際には女性たちの声を聞こうとしないくせに、「公正かつ平等」なものであるかのような顔をしていると、本書のさまざまなエピソードが教えてくれる。

とはいえ本書で示される事例のいくつかには、わずかながら希望も見える。女性たちが表舞台に飛び出し、声を上げ、その声が聞き入れられたことで、女性の存在が見えなくさせられている状況を変え、格差を縮めたというデータやエビデンスもしっかりと書かれているからだ。

つまり本書は、聞く力の欠如に関するものである。聞く力を欠いているのは誰であるのか――もちろん、男性たちである。

あなたの家庭に、職場に、「存在しない女たち」はいないだろうか? じっとよく見て、しっかりと聞く力を養うことが、ジェンダー平等に向かう社会を作るための第一歩となることだろう。

《評》大妻女子大学教授 田中 東子

 

 

 

(多事奏論)狩猟は忍耐を伴う だから女と男は平等なのだ 近藤康太郎

202126 500分 朝日

 冬が終わる。昔はたいてい鬱気味になっていた暗い季節が、いまは名残惜しい。

 猟師になったからである。

 厳しい冷気の中、鴨や鹿を追う。響くのは、枯れ葉を踏む自分の足音ばかり。誰にも会わない。独り言が多くなった。感染症になりようもない奥深い山中の爽快は、何物にも代えがたい。猟の魅力の一半は、そこにある。独りになること。世間から、「人の作ったもの」から、離れること。

     *

 さて。さてじゃねえよ(〈C〉山下陽光)。山から里に下りると本なども読むのだが、「存在しない女たち」(キャロライン・クリアド=ペレス著)がたいへん話題になっていた。入学や昇進で女性はなにかと差別される。オーケストラの採用、トイレの設置、コンピューターのプログラミング、除雪の順番まで、いたるところで、男性を基本形として社会を作っている事実を、本書はデータで明らかにする。

 日本でも医学部受験で女子学生が一律に減点されたり、「女性がいる会議は時間かかる」と、自分こそ話の長いおっさんに揶揄されたりする。なぜこんな社会になったのか。「人類の進化は男がもたらした」という謬見があるからではないかと、同書は指摘する。「人類が類人猿とは異なる特徴を備えたのは、すべて太古の狩猟者たちのおかげである」という人類学の説がある。そして「男性=狩猟者説」は広く信じられている。つまり「人類の進化は男によってもたらされた」といいたいわけだ。それに対し、男が猟に出ているあいだ、女は出産や育児で協力した、採集でも力を発揮したという反論を、同書は紹介する。

 だが、ここにわたしは引っかかった。女性も、狩猟のきわめて大きな戦力だったはずだ。むしろ「男性=狩猟者説」じたいが、謬見なのではないか。

 けものを〈獲(と)る〉のは力のいる仕事だが、〈探す〉方は、忍耐そのものである。たとえば鴨は、見えやすいところに落ちてくれない。たいてい、イバラが生い茂り、枯れた竹やぶに落ちる。ホームセンターで売っているような鉈では、歯が立たない。本物の鍛冶屋が作った本物の鉈で、一歩、また一歩、やぶを切り開く。1羽の鴨を探すのに、2時間かけたことがある。

 見つかればいい方で、2時間かけてなお、見つからないときがある。努力して見られるところは全部見ました、ではない。偏執的に、10センチ区画で、すべての地面を視認して、枯れ草をひっくり返して、なお見つからない。UFOに持っていかれたと自分を納得させ、あきらめる。

 わたしの感触では、猟は〈発見する〉が2割、〈獲る〉が3割、〈探す〉が4割、〈解体・精肉する〉が1割。力仕事より、丁寧な人、我慢強い人が、有利だ。

 だから、人類の歴史の大部分を占める狩猟採集生活では、男女はきわめて平等だったはずだ。猪の力強さ、鹿の跳躍力、鴨の俊敏さに比べれば、性差や個人の能力差――腕力や走力など、ものの数ではない。

 人間は、弱いけものなのだ。猟の魅力のもう一半は、自分の弱さの自覚にある。

     *

 「人間の知性、興味、感情、そして基本的な社会生活は、すべて狩猟活動にうまく適応したことによる進化の産物である」という学説を、同書は紹介する。猟師としてはうれしいが、「だから男がすぐれている」ではなく、「だから女と男は平等である」のだ。頭で言っているのではない。自分の汗で、それが分かる。

 よって、男性のために設計されたこの社会は、端的に間違っている。失敗した設計図だ。だからこそ、希望もある。公共トイレやオフィスの温度の身近な問題も、選挙や入試や人事や税制の、大きな設計であっても。五輪組織委員会の会長も。

 なんであれ世界は変えられる。

 それが、人の作ったものであるならば。

 (日田支局長)

 

 

 

All Reviews  2021/05/13

書き手:鴻巣 友季子

『存在しない女たち: 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(河出書房新社)

著者:キャロライン・クリアド=ペレス

翻訳:神崎 朗子

内容紹介:

衝撃のデータが世界の見方を変える!トイレからオフィス、医療、税金、災害現場まで、「公平」に見える場所に隠された格差に迫る。

男性を基準に設計された世界

新元号選定の有識者会議の報道を見て啞然とした。「経済界」「法曹界」などの枠(全員男性)の他に「女性」という枠が示されていた。女性とは多くの男性にとって、共同体のどんな分野分類にも属さない他者であるのか。ここで思いだすのは、ボーヴォワールの『第二の性』の一節だ。「人間とは男のことであり、(中略)男は主体であり、絶対者である――つまり女は他者なのだ」。男性が基準(デフォルト)であり、女性は逸脱した変異型だというのは、古来の考え方だ。

『存在しない女たち』の原題は、Invisible Women(見えない女性たち)。この世界が、いかに男性を基準にして設計されてきたか、いかに女性の心身のありようを無視した上に成り立っているかを、無数のファクトとデータをもとに明らかにする圧巻の著だ。以下のテーマが繰り返し現れてくる。(1)女性の体の問題 2)女性による無償ケア労働 3)男性による女性への暴力。

昨年、米の有力紙に、アンデスの高原地帯から9000年前の狩猟者とおぼしき遺品と女性の骨が出土したという論文が紹介された。狩猟者の3050%は女性だったのではという説も出ていると言い、となると、「男は狩猟者、女は採集者」という定説は覆される可能性がある。『存在しない女たち』によれば、「人間の知性、興味、感情、そして基本的な社会生活は、すべて狩猟活動にうまく適応したことによる進化の産物である」という理論は、前世紀中葉の学説を継承するものらしい。

入学や入社、昇進の際にも、男性の評価は水増しされ、女性は減点されてきた。本書は、プログラミング、オーケストラへの採用、農業、自動車設計、絵文字、はては除雪の仕方にまで現れる意識的/無意識的な女性無視/除外を論じる。そもそも「調査」の多くが、女性、とくにマイノリティの女性の回答者を充分含んでいないのだ。

女性作家の文学に関しても、イメージで論じられてきた面がある。本書は、「戦争を取り上げている本なら重要だ、上流社会の女性たちの感情を描いた本などくだらない、と批評家は決めつける」というウルフの考察を引く。かくして、オースティンの小説が内包する鋭い社会諷刺や批評を読みとれず、「視野が狭い」と宣(のたま)う男性作家が出てきたわけだ。

危険な実害があるのは、一つに医療分野だ。心臓発作後の女性の死亡数が増えているのは、その兆候が見過ごされがちだからだと言う。女性に多い頭痛、息切れなどの症状が「非定型」に分類されているせいだ。子宮の病気の正確な診断を受けるまでに、10年もの歳月を要した例も出てくる。

ヒステリーの名づけ親フロイトいわく、「人びとは女性性という謎に立ち向かってきた」。女性を神秘扱いすることで解決してきた問題はあまりに多い。男性は理解を超えた女性の性質を「聖」か「狂」の概念で処理し、そのリソースを巧みに利用したり、閉じ込めたりしてきたのではないか。

最後に「人権は女性の権利であり、女性の権利は人権である」とヒラリー・クリントンの言葉が引かれ、全ての人びとにとって必要なのは、「女性たちの意見を訊くことである」と。それは、ハリス次期米副大統領が勝利宣言で口にした「声を聴かれる基本的人権」という言葉とも呼応するだろう。

 

 

 

President Online

「男女差47%」自動車事故で女性の重傷リスクが圧倒的に高い理由女性のデータは無視されてきた

キャロライン・クリアド=ペレスジャーナリスト

自動車事故は男性のほうが事故に遭う確率が高い一方で、女性のほうが重症化や死亡するケースが多いそうです。ジャーナリストのキャロライン・クリアド=ペレスさんは「自動車の設計には、長年にわたって女性を無視してきた恥ずべき歴史がある」と指摘します――

本稿は、キャロライン・クリアド=ペレス(著)神崎朗子(翻訳)『存在しない女たち:男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

l  自動車設計における女性差別

ミネソタ大学の運動生理学の教授、トム・ストッフレジェンは、「女性のほうが男性よりも乗り物酔いになりやすいのは、この分野の研究者なら誰でも知っています。」と語る。「女性の姿勢の傾きは月経周期によって変化する」というエビデンスも発見した。

私はストッフレジェンの研究結果にはわくわくすると同時に、怒りを覚えた。

なぜならこれは、私が調べているもうひとつのデータにおけるジェンダー・ギャップの問題すなわち、車の設計にも関わってくるからだ。

座っているときでも、体は揺れている。

「スツールに座っている場合は、ヒップのあたりが揺れています」ストッフレジェンは説明する。

「椅子に背もたれがある場合は、首の上にある頭が揺れています。揺れを取り除くにはヘッドレストを使うことです」

その瞬間、私の頭に疑問が浮かんだ。もしヘッドレストの高さや角度や形状が体に合っていなかったら、いったいどうなるんだろう?

女性はただでさえ乗り物酔いをしやすいのに、車が男性の体格に合わせて設計されているせいで、車酔いがよけいにひどくなるのでは?

私はストッフレジェンに疑問をぶつけた。

「そうですね、おおいにありうるでしょう」。彼は答えた。

「ヘッドレストの高さなどが合っていなければ、安定性の質がね……そういう例は初耳ですが、いかにもありうる話だと思います」

だがここでまた、データにおけるジェンダー・ギャップにぶつかる。車のヘッドレストが女性の体格を考慮して設計されているかどうかを確認できる研究は、どうやら皆無のようなのだ。だが、それも予想外ではなかった。自動車の設計には、長年にわたって女性を無視してきた恥ずべき歴史があるからだ。

l  自動車事故の死亡率の男女差

男性は女性よりも自動車事故に遭う確率が高い。つまり、自動車事故における重傷者の大部分は男性だ。ところが女性が自動車事故に遭った場合は、身長、体重、シートベルト使用の有無、衝突の激しさなどの要素を考慮しても、重症を負う確率は男性よりも47%高く、中程度の傷害を負う確率は71%高い。

さらに、死亡率は17%高い。これらはすべて、車がどのように、そして誰のために設計されたかに関係がある。

運転するとき、女性は男性よりも前のめりになりがちだ。その理由は、女性のほうが平均的に身長が低いからだ。

両脚がペダルに届くように前に出す必要があるし、ダッシュボードを見渡すには背筋を伸ばして座る必要がある。しかし、これは「標準的な座席の位置」ではない。女性たちは「適所を外れた」ドライバーなのだ。標準から外れているということは、正面衝突の際に内臓損傷を負うリスクが高くなるということだ。短い脚をペダルへ伸ばすことで、ひざやヒップの角度も損傷を負いやすくなる。基本的に、すべてがまちがっているのだ。

さらに追突に関しても、女性のほうが負傷のリスクが高い。女性は首や上半身の筋肉が男性よりも少ないため、むち打ちに弱いのだが(最大で3倍も弱い)、車の設計のせいで、さらに負傷しやすくなる。

スウェーデンの研究では、いまの車の座席は固すぎて、衝突の際に女性の体を保護していないことが明らかになった。女性のほうが体重が軽いため、椅子の背もたれが機能せず、女性の体は男性よりも速いスピードで前方に投げ出されてしまうのだ。こんなことが起こってしまう理由は単純だ。

衝突テストは「男性前提」でしか行われていない

自動車の衝突安全テストに用いられるダミー人形は、「平均的な」男性の体格にもとづいているからだ。

衝突安全テストにダミーが初めて導入されたのは1950年代のことで、それから数十年のあいだ、約50パーセンタイル[100人中、下から数えて50位くらい。つまり平均的]の男性にもとづいていた。最も一般的なダミーは、身長177センチ、体重76キロ(どちらも平均的な女性をかなり上回っている)で、筋肉量比率や脊柱も男性にもとづいている。1980年代の初めには、研究者たちのあいだで、規制試験においては50パーセンタイルの女性ダミーを含むべきではないかという意見も出たが、その提案は無視された。アメリカの衝突安全テストで女性のダミーの使用がようやく始まったのは、2011年のことだ。ただし、これから見ていくとおり、そのダミーが「女性」と呼べるものかどうかは疑わしい。

妊婦においては有効なシートベルトさえ開発されていない

妊婦をめぐる状況はさらにひどい。妊婦のダミーは1996年から製造されているが、アメリカでもEUでも、政府は衝突安全テストにおける妊婦ダミーの使用を義務付けていない。それどころか、自動車事故は母体外傷による死産の原因の第1位であるにもかかわらず、妊婦に有効なシートベルトさえ開発されていないのだ。

2004年の研究は、妊婦も標準型シートベルトを装着すべきだと示唆しているが、妊娠後期の妊婦の62%には標準型シートベルトはフィットしない。また3点式シートベルト[腰の左右と片方の肩の3点を支えるもの]を妊婦が大きくなった腹部(妊娠子宮の膨らみ)を横切るかたちで装着した場合は、1996年の研究で明らかになったとおり、腹部の下の、腰骨のできるだけ低い位置でベルトを装着した場合にくらべて、力伝達が34倍に上昇するため、「致命傷のリスクも上昇する」。

また標準型シートベルトは、妊婦以外の女性たちにもあまりよくない。女性は胸の隆起があるため、多くの場合は装着のしかたが「不適切」になり、負傷リスクが上昇する(だからこそ男性の縮小型ではなく、ちゃんとした女性のダミーを設計すべきなのだ)。さらに、妊娠によって変化するのは腹部だけではない。胸のサイズも変化するため、適切な装着はますます難しくなり、シートベルトの有効性は低減してしまう。この問題もやはり、女性のデータがあるにもかかわらず、無視され続けている典型的な例だ。必要なのは、完全なデータを使用して自動車を徹底的に再設計することだ。そのためにも、実際の女性の体格にもとづいてダミーを製作すればよいのだから、簡単な話だろう。

女性ダミーの導入により安全性の評価が急落

以上のようなデータ・ギャップはあるとはいえ、アメリカでは2011年に衝突安全テストに女性ダミーを導入したことによって、自動車の安全性の星評価が急落した。『ワシントン・ポスト』紙の記事によれば、ベス・ミリトーと夫は、4つ星の評価が決め手となって、2011年型のトヨタのシエナを購入した。ところが、思わぬ誤算があった。ミリトーは「家族で外出するときは」助手席に座ることが多いのだが、助手席の安全評価は2つ星だったのだ。前年モデルでは、助手席(男性ダミーでテストされた)は最高評価の5つ星だったが、助手席のダミーが女性ダミーに切り替わったことで、時速約56キロの正面衝突の場合、助手席の女性の死亡もしくは重症リスクが2040%になることが明らかになった。

『ワシントン・ポスト』によれば、このクラスの自動車における平均死亡率は15%である。

米国道路安全保険協会の2015年報告書では、「自動車設計の改善により死亡率低下」という見出しが躍っている。喜ばしいことだ。新しい法律の効果だろうか? それはありえないだろう。報告書には、まぎれもなくつぎの一文が存在する。「ほかにも乗車人員がいたかどうかは不明のため、死亡率はドライバーのみの死亡率である」

これはデータにおける甚だしいジェンダー・ギャップだ。

l  女性ダミー導入の意味がない死亡率

男女が一緒に車に乗るときは、男性が運転することが多い。したがって、運転席以外のデータを収集しないのは、女性のデータを収集しないのと同じことだ。

すべてが腹立たしいほど皮肉なのは、男性は運転席、女性は助手席というのが当たり前になりすぎて、衝突安全テストでは運転席には男性ダミー、助手席には女性ダミーを設置するのがいまだに一般的であることだ。したがって、運転者の死亡率しか含まれていない統計データには、衝突安全テストに女性ダミーを導入した効果はまったく表れていない。結論として、あの見出しはもっと正確にこう書くべきだろう。

「自動車設計の改善によって、男性が座ることが多い運転席における死亡率は低下したが、女性が座ることが多い助手席における死亡率については不明である。ただし、自動車事故における死亡率は、女性のほうが17%高いことはすでに明らかになっている」

歯切れがやや悪くなるのは否めないが。

運転者以外のデータは回収されていない実態

傷害防止および安全促進の研究を行うセーフティ・リット(SafetyLit)財団のデータベースの責任者、デイヴィッド・ローレンス博士に話を聞いたところ、彼は私に言った。

「アメリカのほとんどの州では、警察の事故報告書は研究材料としては使いものになりません」

運転者以外に関するデータは、ほとんど収集されていないのだ。警察の事故報告書は、書面で「データ入力のため契約会社に渡される」ことが多い。

「データの品質チェックはめったに行われませんが、実際に行われたケースでは不備が指摘されています。たとえばルイジアナ州では、1980年代の自動車事故の場合、車に乗っていた人たちの大半は195011日生まれの男性。事故車のほぼすべては1960年型でした」

もちろん、そんなはずはない。デフォルト設定のままだったのだ。

ローレンスの話では、この問題は「ほかにも多くの州で」明らかになっている。にもかかわらずデータが改善されていないのは、「データ入力の慣行を変えていないから。アメリカ政府は各州に対し、警察の事故報告書を米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)に提供するよう要請しているが、データの品質についての基準も、粗悪なデータを送った場合の罰則も示していない」のだ。

l  女性のデータも取り入れたものづくりを

アストリッド・リンダーは衝突安全テスト用の女性ダミーの開発に取り組んでいる。女性の体格を正確に表現した初めてのダミーとなる予定だ。現段階ではまだ試作品だが、彼女はすでにEUに対し、衝突安全テストにおいて人体測定学的に正確な女性のダミーを使用することを、法律で規定するよう要求している。厳密に言えば、これは実際に法律ですでに規定されている、とリンダーは主張する。法的拘束力のある欧州連合機能条約(TFEU)の第8条には、こう記されている。

「欧州連合はすべての活動において、不平等を撤廃し、男女間の平等を促進することを目指すものとする」

自動車事故の重傷リスクが女性のほうが47%も高いことは、これまで看過されてきた不平等の最たるものだ。

ある意味では、なぜとっくの昔に衝突安全テストにおいて適切な女性ダミーが開発され、その使用が法的に義務付けられなかったのか、理解しがたいものがある。だがいっぽうで、これまで見てきたとおり、設計と計画において、女性や女性の体格がことごとく無視されてきたことを考えれば、まったく驚くには値しない。

スマートフォンの開発から医療技術や調理用ストーブまで、さまざまなツール(モノであれ、金融ツールであれ)が女性のニーズをまったく考慮せずに開発された結果、女性たちに大きな被害を与えている。さらにそのような被害によって、女性の生活には甚大な影響が表れている女性たちは貧困や病気に苦しめられ、自動車事故では命を落としかねない。設計者たちは、すべての人の役に立つ商品をつくっていると信じているかもしれない。だが現実には、おもに男性向けの商品をつくっているのだ。もういいかげん、女性のことも考えて設計をすべきである。

 

 

2021/05/26 11:00

プログラマーが「男性の仕事」になった本当の理由「典型的なプログラマー像」のウソ

キャロライン・クリアド=ペレスジャーナリスト

世界初の電子計算機ENIACのプログラミングを行ったのは6人の女性でした。しかし現在、プログラマーの多くは男性です。なぜそうなったのでしょうか。ジャーナリストのキャロライン・クリアド=ペレスさんは「プログラマーの採用テストは客観的に見えて、実は女性に不利である」と指摘します——

本稿は、キャロライン・クリアド=ペレス(著)神崎朗子(翻訳)『存在しない女たち:男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

教科書に女性科学者が登場すると女子の科学の成績が上がる

子どもたちは学校で優秀バイアスを植え付けられるというエビデンスがあるのだから、植え付けるのをやめるのはきわめて簡単なはずだ。実際、教科書に女性科学者たちの画像が掲載されている場合は、女子生徒の科学の成績がよくなることが、最近の研究で明らかになっている。だったら、女子生徒たちに「女性は優秀ではない」と思い込ませるのをやめるには、女性について不正確な事実を伝えるのをやめればいい。じつに簡単だ。

だがいったん植え付けられてしまった優秀バイアスを正すのは、きわめて難しい。優秀バイアスを植え付けられた子どもたちが大人になって働くようになると、それを助長する側になることも多い。通常の採用活動においても大きな弊害が生じるが、アルゴリズム主導の採用活動が増えていくと、問題はさらに悪化するはずだ。なぜなら、私たちが意思決定を任せようとしているコードそのものに、優秀バイアスが無意識のうちに組み込まれているのではないか、と疑うべき理由が十分にあるからだ。

l  なぜハッカー業界は「男ばかり」なのか

1984年、アメリカのテクノロジー・ジャーナリスト、スティーブン・レビーは、ベストセラー『ハッカーズ』(工学社)を上梓した。登場するヒーローたちはみな優秀で、ひたむきで、全員男性だった。セックスはほとんどしなかった。

「とにかくハックするんだ。ハッカーの掟に従って生きろ。女にうつつを抜かすのが、いかに効率が悪くて無駄なことかよく知ってるだろう。時間が無駄になるし、やたらとメモリを食うしな」と、レビーは語っている。

「女なんて、いまだにまったくわけがわからないよ」ハッカーのひとりはレビーに言った。「(デフォルトで男の)ハッカーが、あんなできそこないに我慢できるわけがない」

そんなふうにミソジニー[女性嫌悪、女性蔑視]を露わにしたくだりから2段落後、それにしてもなぜハッカー業界はほぼ「男ばかり」なのか、レビーはその理由を説明できずに戸惑っていた。

「残念なことに、超一流の女性ハッカーには会ったためしがない」。彼はこう書いている。「その理由は誰にもわからない」

さあ、どうしてかな、スティーブン。ここはひとつ当てずっぽうで考えてみようか。

ハッカー業界の露骨なミソジニー文化と、なぜか女性のハッカーがいない理由との明確な関連性を見出せないレビーは、ハッカーとしての生来の才能に恵まれているのは、男性と決まっているらしいと考えた。

現在、このコンピューターサイエンスの分野ほど優秀バイアスにとらわれている業界は、ほかに思いつかないほどだ。

l  プログラミングは男の仕事?

「プログラミングが大好きな女子はいないんでしょうか?」

アドバンスト・プレースメント[飛び級]のコンピューターサイエンスの授業を担当している教師たちを対象とする、カーネギー・メロン大学の夏期プログラムに参加した、ある高校教師が疑問を呈した。

「コンピューターが好きでたまらない男子なら、いくらでもいるんですがね」。彼は考えあぐねて言った。「うちの息子はほうっておけば、きっと一晩中プログラミングをしているでしょう、と何人もの親御さんが言っていました。でも、女子でそういうケースはありません」

それは本当なのかもしれない。だが、彼の仲間の女性教師が指摘したとおり、極端な行動に表れていないからといって、女子生徒がコンピューターサイエンスを好きではないとは言えないはずだ。実際、その女性教師は自分の学生時代を振り返って、「大学に入って最初の授業でプログラミングに夢中になった」と語った。でも徹夜はしなかったし、大部分の時間をプログラミングに費やすこともなかった。

l  世界初の電子計算機のプログラミングを行った女性たち

「徹夜をするというのは、それだけ没頭して夢中になっているしるしですが、未熟さの表れとも言えるでしょう。女子の場合、コンピューターやコンピューターサイエンスへの情熱はもっとちがうかたちで表れます。徹夜のような強迫的な行動を期待するというのは、典型的な若い男性の行動を期待しているんです。なかにはそういう女子もいますが、ほとんどはちがいます」

コンピューターサイエンスへの適性について、典型的な男性の行動を当てはめようとするのも妙な話だ。じつは、かつて女性たちは元祖「コンピューター」として、軍隊で複雑な計算を行っていた。その後、機械のコンピューターが登場して、女性たちに取って代わったのだ。

おもに男性がコンピューター関連の仕事をするようになったのは、それから何年も後のことだ。1946年に登場した世界初の電子計算機、ENIACのプログラミングを行ったのは6名の女性だった。

1940年代から50年代において、プログラミング業務を担当していたのは女性たちだったのだ。

l  女性は「生まれつき」プログラミング向き

1967年には『コスモポリタン』誌で「ザ・コンピューター・ガールズ」という特集記事が組まれ、プログラミング業務での女性の活躍を促した。

「夕食の準備と同じようなものです」。コンピューター技術者の先駆けであるグレース・ホッパーは語っている。

「まず献立を考え、すべての手順を考え、必要なものはすべてそろえておく。プログラミングには、忍耐力と細かいことに対処できる能力が必要です。女性は『生まれつき』コンピューター・プログラミングに向いているんです」

かつて、プログラミングは高い技術を必要としない事務仕事と考えられていた。だがちょうどそのころ、企業側もプログラミングの重要性に気づき始めた。タイピングやファイリングとはちがって、プログラミングには高度な問題解決能力が求められる。そして、客観的な現実よりも優秀バイアスが勝ったために(すでにプログラミングを行っていた女性たちには当然、スキルがあった)、業界のリーダーたちは男性を対象にトレーニングを開始した。やがて開発されたのが採用ツールで、これは客観的に見えながら、じつは女性に不利にできていた。

女性に不利な採用テストが「典型的なプログラマー像」をつくった

現在、大学で広く実施されている授業評価と同じように、採用時に実施されるこれらのテストは、「求職者のステレオタイプな性格分析しかできず、職務への適性については見えてこない」と批判の声が上がっていた。こうした採用ツールができたのは、データにおけるジェンダー・ギャップのせいなのか(探し求めている性格の特徴自体が男性偏重であることに気づいていない)、直接差別のせいなのかはわからないが、実際に男性に有利にできているのは否定しようがない。

「細かいニュアンスに欠け、特定の問題への対処能力」しか測れない多肢選択(マークシート)式の適性テストは、数学の雑学的知識ばかりを問うもので、当時の業界のリーダーたちでさえ、プログラミングとはあまり関係がないのではないかと思うようになっていた。そのようなテストでわかるのは、当時の男性たちが学校で習得した数学のスキルくらいだ。あとは、求職者がどれだけ人脈に恵まれているかもよくわかった。というのも、適性テストの回答は大学の友愛会やエルクス・ロッジ(アメリカを拠点とする友愛会)など、男性限定のネットワークで出回っていたからだ。

かくして、典型的なプログラマー像が形成されていった。

l  「典型的なプログラマー像」が生んだ採用の偏り

広く引用されている1967年のある論文では、「人びとに対する無関心」や、「人との密接な交流を要する活動」を毛嫌いすることなどが、「プログラマーに顕著な特徴」であると指摘している。その結果、企業はそういう人物を探し出し、そういう人たちが当時のトッププログラマーになった。典型的なプログラマー像は、自己充足的予言となったのだ。

となれば現在、採用プロセスへの導入が進んでいる秘密のアルゴリズムのおかげで、そうした密かな偏見がふたたび増長しているとしても、驚くべきことではない。

アメリカのデータサイエンティストで、『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(インターシフト刊)の著者、キャシー・オニールは、『ガーディアン』紙の記事において次のように説明している。テクノロジー業界専門のオンラインプラットフォーム「ギルド(Gild)」(現在では投資ファンドのシタデルに買収され、傘下となった)を利用している企業は、求職者の「ソーシャル・データ」を綿密にチェックすることで、履歴書に書かれた以上の情報を入手していると説明した。

つまり、求職者たちがオンラインで残した足跡をたどるのだ。このデータは求職者たちを「社会資本」(ここでは、あるプログラマーがそのデジタル・コミュニティにとってどれほど不可欠な存在かを示すもの)によってランク付けするのに使用される。これは「ギットハブ(GitHub)」や「スタック・オーバーフロー(Stack Overflow)」などの開発プラットフォームにおいて、コードの共有や開発にどれだけ時間を費やしたかによって、測定することができる。だが、「ギルド」がふるいにかける膨大なデータから見えてくるのは、それだけではない。

l  ウェブでマンガを読むこともプラス要素に

たとえば、ギルドのデータによれば、ある日本のマンガのウェブサイトをよく見ているのは、「優れたプログラミング能力を示す有力な判断材料」となる。したがって、このサイトをよく見ているプログラマーは、高評価を獲得する。なかなか面白いが、オニールも指摘しているとおり、そういうことで高評価を与えるのは、ダイバーシティを重要視している人なら警戒すべき事態だと思うはずだ。女性たちは世界の無償労働の75%を担っており、マンガのことでオンラインチャットで盛り上がっている暇はないはずだ。さらにオニールは、「テクノロジー業界の例にもれず、もしそのマンガのサイトの訪問者も男性ばかりで、性差別的な発言が目立っているとすれば、テクノロジー業界の大勢の女性たちは、たぶんそんなものは見ないでしょう」と述べる。

もちろん、ギルドは女性を差別するアルゴリズムを意図的に開発したわけではない。彼らが目指したのは、人間の偏見を取り除くことだった。しかし、そうした偏見がどのように作用するかを認識していなければ、そして、データを収集したところで科学的根拠にもとづいた方法を構築しなければ、旧弊かつ不公平な体制を助長してしまうだけだ。女性の生活は男性の生活とは異なることを考慮しなかったことで、ギルドのプログラマーたちはそれとは気づかずに、女性に対する偏見の含まれたアルゴリズムを考案してしまったのだ。

l  「科学」を重視すれば採用の偏りはなくなる

テクノロジー業界が性別に区分されたデータをなぜそれほど恐れているのか、その理由は完全にはわかっていないが、実力主義の信奉と何らかの関係があるはずだ。実力主義を掲げてさえいれば「優秀な人材」を獲得できるなら、データに何の意味があるだろう?

いわゆる実力主義の企業や組織が、そんな主義を信奉するより科学を重視していれば、エビデンスにもとづいた解決策を利用していたはずだ。

データはちゃんと存在するのだから。

たとえば、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)による最近の研究では、雇用におけるクオータ制[一定数を女性に割り当てる制度]はよくある誤解とは正反対に、「不適任の女性の採用を助長することはなく、むしろ能力のない男性を除外する」のに役立っていることが明らかになった。

「女性採用」を意識しないと優秀な人材を見落とす実態

また企業や組織は、採用プロセスに関するデータを収集・分析すれば、自分たちの採用プロセスが実際にジェンダー・ニュートラルなものであるかどうかを検証できるはずだ。まさにそれを実行したマサチューセッツ工科大学(MIT)は、30年間以上ものデータを分析した結果、女性教員たちが「通常の学科ごとの採用プロセス」では不利な立場に置かれていることや、「従来の人事委員会の部門ごとの採用方式では、傑出した女性の候補者はおそらく見つからない」ことが明らかになった。

人事委員会が各学科長に対し、とくに優秀な女性の候補者たちの名前を挙げるよう、具体的な指示を出さないかぎり、学科長らは女性の名前を挙げないのだ。女性の候補者を見つけるために特別な努力が払われた結果、採用された女性たちの多くは、それほど強く推されなければ応募しようとは思わなかったはずだ。LSEの研究結果と一致するように、そのMITの研究では、女性を採用するために特別な努力が払われた際には、採用基準を下げるようなことはなかったことが明らかになった。「それどころか、採用された女性たちは、男性の候補者たちよりも優秀だったほどだ」。

 

 

2021/05/25 11:00

「飲み代は認めるが緊急時の保育代は出さない」男性中心で決まった"経費"のおかしさ世界最高のオフィスに足りないもの

キャロライン・クリアド=ペレスジャーナリスト

家事や育児、介護に伴う労働に女性がかける時間は、15時間にも及ぶ。一方で働く男性はたったの1時間だ。ジャーナリストのキャロライン・クリアド=ペレスさんは「もういいかげん、ケア労働をする人たちを不利な立場に追い込むのはやめるべきだ」と言う。仕事において「男性のニーズこそが普遍的」とされる労働文化において、女性たちが感じる不公平さとは――

本稿は、キャロライン・クリアド=ペレス(著)神崎朗子(翻訳)『存在しない女たち:男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。

l  男性に有利な労働文化

目に見えない女性の無償労働は、新生児の誕生によって始まるわけでも、終わるわけでもない。典型的な職場は、浮世離れした身軽な労働者に合わせてつくられている。

彼は(言わずもがな、男性だ)子どもや高齢者の世話や、炊事、洗濯、通院、買い物で煩わされることもない。子どものケガやいじめに対応し、お風呂に入れて、寝かしつけあくる日もまた同じことを繰り返す必要もない。

彼の生活は単純明快で、仕事と余暇のふたつしかないのだ。全従業員が毎日同じように出勤するのが当たり前の職場では、出勤・退勤の時間も融通が利かない。学校や保育所や病院やスーパーは、勤務先の近くにまとまっているわけでもなく、みんなばらばらだ。そんな職場は、女性にとって不便でしかない。女性が働きやすいように設計されていないのだ。

女性を働きやすくする企業の取り組み

だがなかには、典型的な職場や就業日に潜んでいる男性中心主義の問題に対処しようとしている企業もある。キャンベルスープ社は、従業員の子どもたちのための学童保育や夏期プログラムを職場で用意している。

グーグル社は、新生児の誕生後3カ月間、テイクアウト用の食事手当や補助金付き保育サービスを提供するほか、オフィスの敷地内にクリーニング店などの商業施設を設けており、従業員は平日に個人的な用事をすませることができる。

さらにソニー・エリクソン社[現ソニーモバイルコミュニケーションズ]やエバーノート社では、従業員にハウスクリーニング費用まで支給している。

アメリカの職場では、専用の搾乳スペースを用意するところが増えている。アメリカン・エキスプレス社では、母親が授乳期に通勤しなければならない場合、母乳を家に配達するための費用まで会社が負担している。

しかし、このように女性への配慮を忘れない企業はめったにない。

2017年、アップル社がアメリカ本社を「世界最高のオフィスビル」だと宣言したとき、その最先端オフィスには医療施設や歯科クリニックや、ラグジュアリーなスパまで備えていたが、保育施設はひとつもなかった。つまりは、男性にとって世界最高のオフィスというわけだろうか?

l  目に見えない男性優位な傾向が女性を働きにくくする

実際、男性のニーズこそ普遍的であるという思い込みにもとづいた労働文化のせいで、世界中の女性たちはいまだに不利な立場に置かれている。最近の世論調査において、アメリカの主婦や主夫の大多数は(97%は女性)、自宅で働けるなら復職したい(76%)、フレックス勤務で働けるなら復職したい(74%)と回答している。

アメリカの企業の大半はフレックス勤務を提供していると主張しているが、実情はやや異なるらしい。実際、2015年から2016年にかけて、アメリカではフレックス勤務者数は減少しており、大手企業ではリモートワーク制度の撤回が始まっている。イギリスでは半数の労働者がフレックス勤務を希望しているが、求人広告でフレックス勤務を明言しているのは9.8%にすぎない。そして、フレックス勤務を希望する女性たちは、職場で不利な目に遭っている。

企業はいまだにオフィスでの長時間労働を有能さと混同しているきらいがあり、どこの企業でも評価するのは長時間働く従業員であることが圧倒的に多い。おかげで得をするのは男性たちだ。統計学者のネイト・シルバーは、労働時間が週50時間以上の従業員の時給は(70%は男性)、もっと一般的な週3549時間労働の従業員の時給にくらべて、1984年以来2倍の速さで上昇していることを突き止めた。

そして、この目に見えない男性優位の傾向は、残業時間は課税対象とならない国々においては、さらに助長されている。

l  日本がジェンダーギャップ指数で世界的に後れをとるワケ

長時間労働の傾向は日本ではきわめて著しく、真夜中過ぎまで働く従業員もめずらしくない。勤務時間の長さや勤続年数にもとづいて、昇進が決定されるせいもあるだろう。

そのためなら、「ノミニケーション」への参加もいとわない――日本語の「飲む」と英語のコミュニケーションを組み合わせた言葉遊びだ。もちろん、どれも建前上は女性にもできることだが、実際にはなかなか難しい。日本の女性は15時間の無償労働をしているが、男性は1時間だ。遅くまで残業して上司にアピールし、近くのストリップバーでおおいに盛り上がって酒を飲む。そんなことができるのは男女のどちらか、一目瞭然だろう。

日本で女性の無償労働がさらに多いのは、日本の多くの大手企業が採用している総合職(キャリア)と一般職(ノンキャリア)という2種類のキャリア制度のせいもある。一般職はおもに事務職で、昇進の機会はほとんどなく、「ママ」路線とも呼ばれている「ママたち」は、総合職の人材に求められる労働文化にふさわしくないのだ。子どもをもつことによって女性の昇進の機会には影響が生じる(勤続年数の長さによって、会社への忠誠心をアピールできるかにかかっている)ため、日本の女性の70%は第1子を出産したのち、勤続10年程度で退職し(アメリカの場合は30%)、そのまま就労しない人たちも多い。また日本はOECD諸国のなかで、雇用における男女格差では第6位、賃金における男女格差では第3位となっているのも、驚くべきことではない。

l  女性が「昇進」しにくい問題

長時間労働の文化は学問の世界でも問題となっている。これを悪化させているのは、典型的な男性の生活パターンにもとづいて設計された昇進制度だ。

欧州の大学に関するEUの報告書によれば、フェローシップ(特別研究員、特別研究員への奨学金、研究奨励制度)における年齢制限は、女性差別に当たると指摘している。

女性の場合はキャリアを中断するケースが多いため、「年齢のわりに、研究者としての実績年数が少ない」傾向が見られるからだ。『子どもは重要か――象牙の塔におけるジェンダーと家族(Do Babies Matter: Gender and Family in the Ivory Tower)』(未邦訳)の共著者で、ユタ大学教授のニコラス・ウォルフィンガーは、『アトランティック』誌の記事において、大学はパートタイムのテニュア・トラックのポジションを提供すべきだと主張した。

主たる保育者でも、パートタイムならばテニュア・トラックに残ったまま仕事を続けられるし(実質的に試用期間は2倍に延びるが)、都合がつくようになったらフルタイムに復帰すればいい。

このような選択肢を設けている大学もあるいっぽうで、その数はまだ非常に少ない。ここにも、ケア労働のためにパートタイム勤務に切り替えたせいで、貧困に陥ってしまう問題が表れている。

l  働く女性を脱落させないドイツの制度

この問題にみずから取り組んでいる女性たちもいる。ドイツでは、1995年にノーベル生理学・医学賞を受賞した発生生物学者、クリスティアーネ・ニュスライン=フォルハルトが、博士課程にいる子持ちの女性たちが、男性にくらべていかに不利であるかに気づき、財団を設立した。

こうした女性たちは「熱心な研究者」であり、日中は子どもたちをフルタイムの保育園に預けている。

それでも、長時間労働文化のはびこる環境において、平等な条件で働くにはほど遠い。保育園の閉園時間以降は、また身動きが取れなくなってしまうからだ。

そのあいだも、男性や子どものいない女性の同僚たちは、「読書や研究の時間を捻出している」。こうして子持ちの女性たちは、熱心な研究者であるにもかかわらず、道半ばで脱落してしまう。

ニュスライン=フォルハルトの財団は、このような脱落者をなくそうとしている。受賞者には毎月奨学金が支給され、「家事労働の負担を軽減するためなら、ハウスクリーニングサービス、食洗機や乾燥機などの時短家電や、保育園の閉園後や休園日のためのベビーシッター代など、どのように使ってもよい」。ただし、この奨学金の受給者はドイツの大学の修士課程か博士課程の在籍者でなければならない。

そして重要なことは、アメリカの大学が育児休暇を取得する教員に適用するジェンダー・ニュートラルなテニュア延長制度とは異なり、ドイツのこの奨学金制度は女性限定なのだ。

l  経費における不公平さ

男性中心のイデオロギーが見られるのは職場だけではなく、就労規定に関する法律にも織り込まれている。たとえば、どんなものを仕事の経費として認めるかだ。この問題は、おそらくあなたが思っているほど客観的でもジェンダー・ニュートラルでもない。会社が従業員に対して経費精算を認める範囲は、一般的にその国の政府がなにを経費として認めるかに準じている。そして一般的に、それは男性にとって必要なものである場合が多い。制服やツールは経費として認められるが、緊急時の保育費用は認められない。

アメリカの場合、なにが正当な経費として認められるかは、内国歳入庁(IRS)によって決定される。「一般的に個人的費用や生活費や家計費は、経費として認められない」。しかし、どんなものが個人的費用に相当するかは、議論の余地がある。そこで、ドーン・ボヴァッソの出番だ。ボヴァッソは、アメリカの広告業界ではめずらしい女性クリエイティブ・ディレクターで、シングルマザーでもある。

l  何が正当な経費なのか

会社からディレクターズ・ディナーへの招待状を受け取ったとき、ボヴァッソは決断を迫られた。200ドルのベビーシッター代を払ってまで、わざわざこのディナーに出席する価値があるだろうか? ボヴァッソの男性の同僚たちは、そんな計算に頭を使う必要もない。もちろん、シングルファーザーも存在するが、数は非常に少ない。イギリスではひとり親の90%は女性で、アメリカでは80%だ。ボヴァッソの同僚の男性たちは、ただスケジュールを確認して出席か欠席かの返事をすればよく、ほとんどの場合は出席した。それどころか、彼らは会場のレストラン付近のホテルを予約して、飲み直すのだ。彼女が支払うベビーシッター代とはちがって、こうした飲み代は会社の経費で落とすことができる。

ここに不公平さが潜んでいるのは明白だ。会社の経費規程は、従業員の家庭には専業主婦の妻がいて、家事と子どもの世話をするのを前提としている。それは女性の仕事だから、会社が支払う必要はない。

ボヴァッソは、つまりこういうことだと言っている。

「遅くまで残業したら(奥さんが留守で、料理をつくってもらえないから)テイクアウトのために30ドルもらえる。したたかに酔っ払いたい気分なら、30ドルでスコッチを飲んでもいい。だが、ベビーシッターを雇うために30ドルはもらえない(奥さんが家にいて、子どもの面倒を見ているんだから)」

結局、先ほどのディナーの件では、ボヴァッソはベビーシッター代を会社に負担してもらうことができた。だが彼女が指摘しているとおり、「あくまでも例外であり、こちらから要求しなければならなかった」。

女性はいつもそうだ。つねに例外であり、デフォルトになることはない。

l  規定を設けても実際に支給されていない実態

イギリスの女性解放団体フォーセット・ソサイエティによる、イングランドおよびウェールズの地方自治体に関する2017年の報告書によれば、「すべての地方議会は、議員が職責を果たすために必要なケア費用(保育・介護費用)のための手当を支給しなければならない」という規程を2003年から設けているにもかかわらず、実際に支給されたケースはごくわずかだった。

なかにはケア費用の払い戻しにまったく応じない議会もあり、払い戻しに応じる議会の大半も「補助金」を支給するだけだ。マンチェスターにあるロッチデール自治区議会の規程には、「これは1時間につき5.06ポンドを支給するもので、『ケア費用の全額払い戻しではなく、補助金である』と明記されている。ただし、この重要な注意事項は交通費には適用されない」。

これはリソースの問題ではなく優先順位の問題だと思われるが、地方議会の大半の会議は夜に開催される(保育の手が最も必要となる時間帯だ)。いまではアメリカやスウェーデンなど多くの国々の議会において、会議への出席や投票がリモート方式でも可能となっているが、イギリスの現行法はこのような安価な代替策を認めていないのだ。

l  「女性の見えない労働」に配慮した職場づくりを

有給労働の文化全体について、抜本的な見直しが必要なのはきわめて明白だ。そのためには、女性たちが従来の職場設計の対象であった身軽な労働者とは異なることを、しっかりと考慮する必要がある。

さらに、男性は右にならえで足並みをそろえる傾向が強いとはいえ、そんな働き方は望んでいない男性たちも増えている。結局のところ、企業も含めて私たちは誰ひとり、ケア労働者たちによる目に見えない無報酬労働の世話にならずには、生きていけないのだ。

もういいかげん、ケア労働をする人たちを不利な立場に追い込むのはやめるべきだ。私たちは無償のケア労働を認め、正当に評価しなければならない。そして、無償のケア労働に配慮した職場づくりを始めなければならない。

 

 

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